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2009年4月 アーカイブ

2009年4月 1日

ビジネスと業務の構造化~2段ワークフロー~

前回の議論でアクティビティの粒度はだいたいこんものかという見当をつけましたが、それだけでは、工学的であるとは言えません。中味が問題になります。

それを検討するとき、分かりやすいようによくある見積依頼のプロセスを例に考えてみましょう。

前回の設定した機能レベル2のアクティビティで簡単に表現すると、見積依頼受付―プロダクト確定―納期確定―価格確定―見積回答作成―見積書送付となります。もう少し細かくみていくと、見積書を誰に書かせるかとか、差し戻しとかがありますが、基本的な流れとしてみてください。

これをみると依頼受付という始点と見積書送付という終点、それと見積書作成という実作業の間にはさまれるアクティビティに共通的な機能を見出すのではないでしょうか。

すなわち、見積依頼項目に対して答えなければいけないどんな製品を提供するのか、その納期をいつにするのか、価格はいくらで出すのかというデータ項目を確定していっていることがわかります。

このデータ確定すなわち意思決定を順番にやっていくことでプロセスが構成されていきます。最初にあった依頼に対する答えが出揃った時点でプロセスは終わります。

ここでは、それぞれの意思決定がどうやられているかは関係ありません。このプロセスではひとつの意思決定が終わると次の意思決定を“あるところ”に投げてその結果返してもらうことというフロー制御を行ないます。

こうしておけば、決めなければいけないこと(最初の依頼項目)を“あるところ” に依頼して、そこで処理した結果を受付けるというだけのハンドリングですので、均一で均質なもので連なることがわかると思います。この“あるところ”は別な言葉では”サービス”と言い換えることもできます。ここらあたりはまた後で議論しましょう。

さて、そうなると“あるところ”が何なのかが気になりますよね。すなわち、意思決定の場をどうするのかということになります。これには、決まったものはありません。質の高い意思決定が早くできる場であれば何でもかまいません。

会社の形態やプロセスの性格だとかで選択肢が変わるかもしれません。ただ言えることは、この中にもフローがあるということです。少なくともデータ確定には承認という行為がありますから、ワークフローには変わりません。

ということで、仮に最初のフローをマクロワークフロー、そして意思決定の場をミクロワークフローと規定してみると、この2段ワークフローがなんだか分かりやすくなったと思えませんか。この両者では、処理形態や業務の性格が違うのでそれを分離してみたという意味もあります。

さてその違う意味とはなんでしょうか。そのあたりを大いに議論していきたいと考えています。
 

2009年4月 2日

千年働いてきました

世界で最古の会社はどこにありますか?テレビの雑学クイズじゃないが、この問題に答えられる人はどのくらいいるだろうか。それが日本にあると言われても出てこない。

答えは、大阪にある「金剛組」という宮大工を抱えた建築会社なのだ。創業が578年というから飛鳥時代からあるのだそうだ。なんと創業1400年になる。

これにはびっくりだが、日本には老舗と呼ばれる会社の数が多く、それらを取材したルポルタージュ本が「千年働いてきました」(野村進著 角川oneテーマ21)である。

老舗といっても、同じ事業だけをずっとやり続けているところももちろんあるが、現代的な事業領域で発展しているところが主に登場する。伝統の技術が形を変えて今に生きているという話である。ですから、われわれがいつも使っている携帯やそうしたハイテクに見えないように入り込んでいて、それがなかったら世界中の携帯電話が動かないというしろものなのだ。

そうした、老舗が生残る日本の社会について、著者は「職人のアジア」と「商人のアジア」を対比して、日本人が職人を尊ぶ風土が、他のアジアと違い「職人のアジア」を形成し、そうしたことから成り立つ会社が老舗になれると言っている。

ということで、この本のメッセージでいちばん興味があるのは、なぜそんなに長く続いているのかである。それを探るために、本に出てくる会社の家訓(社訓)や言い伝えを拾ってみた。

電解銅箔などを生産している“箔”の会社である福田金属

相場好きな人間や山っ気の多い人間は、「友として身の害成すべし」と戒め、「鈍き人も誠有人」を友とせよ

醗酵技術を生かしてライスパワーエキスを製品化した酒屋である勇心酒造
「不義ににして富まず」

自然ロウを生産するセラリカNODA
「私欲を起こせば家を破壊する」

金箔の技術でスタンピング・フォイルに進出したカタニ
「伝統は革新の連続」

ショベルのトップメーカー浅香工業
「良品は、声なくして人を呼ぶ」

なるほどと思いますね。これらをまとめて著者が老舗製造業5つの共通項をあげていた。

1. 同族経営は多いものの、血族に固執せず、企業存続のためなら、よそから優れて人材を取り入れるのを躊躇しないこと
2. 時代の変化にしなやかに対応してきたこと
3. 時代に対応した製品を生み出しつつも、創業以来の家業の部分は、頑固に守っていること
4. それぞれの“分”をわきまえていること
5. 「町人の正義」を実践してきたこと(売り手と買い手とが公正と信頼を取引の基礎に据えてきたこと)

なのである。でも、これって老舗に限らず、ベンチャーだって同じかもしれないと強く思った。
 

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2009年4月 3日

私家版業務システム変遷史 ― まとめ

これまでかなりはしょって書いてきたので分かりづらいところがあったかと思いますが、一応2003年度をもってこの「私家版業務システム変遷史」を終わります。

実はこのあとSAP導入プロジェクトがスタートすることになったのですが、それについてはまだ生々しいことと途中で会社を辞めたこともあり、書くことができないということです。

いまこうして5年前までを追いかけてみたわけですが、5年前と今とどう変わっているのだろうかと考えている。最後に書いたように情報インフラは劇的に変化しているように感じられます。そのほか、運用やアプリケーションプラットフォーム、開発技術なども新しい技術やサービスがどんどん出てきているように思います。

しかし、業務システムそのものは構造的にもコンセプト的にもほとんど変わっていないとうのが偽らざる思いです。

ところが、最近あるところでオラクルとSAPの今後の戦略のようなことを聞く機会があったのですが、この2社以外にもIBMやマイクロソフトを含めて、彼ら外資系ベンダーの変貌ぶりに驚かされています。おそらく、業務システム構築という領域でのパラダイムシフトが早晩やってくるように思えます。

それに伴うビジネスモデルも違ったものになっていきます。単なるソフトウエアライセンスビジネスは縮小均衡に入っていき、さりとてシステム開発費用もソフト・ハードの低価格化によりどんどん下がっていく中で、どこに収益源を求めるかが最大の課題になってくるのではないでしょうか。

それに比べて国産ベンダーやわが国の対応はどうなっているのでしょうか。少なくともぼく耳には敏感に反応しているという声は入ってきていません。だいじょうぶでしょうか、少なからず心配になってしまいます。(ぼくが心配するようなことではないか)

パラダイムシフトのキーワードは「プロセス指向」「SOA指向」です。こうしたことが簡単に実現できるプラットフォームや、そこで使うサービスが提供されてきます。このシリーズでも出てきた、柔軟でアダプティブ構造化が進み、業務アプリケーションやサービスの「作る・買う・つなぐ・借りる」が容易になってきたわけです。

ですから、こうした動きに対してますます重要性を帯びることはいったいなんだと思いますか。確かにサービスやテンプレートはリポジトリー化され、好きなようにひっぱり出せるようにはなるのですが、ではどんなサービスを選択するのかはどうして決めるのでしょうか。

それには、自社の事業を適正にプロセス化することがもっとも重要なことになります。そこではじめて要求されるサービス機能を的確に選択できるわけです。まずは自分たちのプロセスありきです。これはいくらいいプラットフォームがあっても提供してはくれません。

従って、これからの業務システム構築の主戦場は業務プロセス設計と業務ルール管理になってきます。そんな予感がします。
 

2009年4月 4日

行列の居酒屋

昨日は急遽呼び出されて某社にBPMの売り込みと意見交換にいく。その会社は以前から付き合いのある会社で2年くらい前にもBPMの話にいったことがある。それで時間も経っているから再訪したのである。

ところが、もうすでに取り組みを始めていて、ツール選択も終わっていた。それはそれで、ひとしきりBPMの現況について意見交換する。

そこでの話でおもしろかったのは、そうした取り組みを急いだのはユーザからの要望だったということである。だから、ユーザから何とかしてくれという声(実際はワークフロー導入要望)が気付きを与えてくれたと言っていた。自分たちだけからは出てこなかったということを盛んに言っていた。しかし、その声にすぐに反応したということがすばらしいと思う。

それと、合い通じる話だが、一般のSIerの意識が全くそこに言っていないという。従来のERPに代表されるような既成システムではプロセス志向になっていないため(ERPにはプロセスが皆無だと断言していた。ぼくは多少はあると思うのだが)、ワークフローの導入が必要なのにそれにぜんぜん気付いていないというのだ。

これは困ったものだ。SIerが気がつかないうちに抜け駆け的にやれば儲かるかもと思いがちだが、実はそうではなくて、BPMそのものの認知度や理解度が全体的に上がってこないとビジネスが生成されてこないのである。だから、特に国内SIerの立ち上がりが急務なのだが、国の方も含めて鈍いのはいかがなものか。

それが終わって、一緒した2人で次の会合に参加しようとして豊洲に向かったはずが、浦安まで行ってしまった。信じられないのだが、まあありえない話ではない。もう間に合わないので、さてどうするかとなって、そうだ門仲だ。ここは陽の高いうちから店を開ける門前仲町の「魚三」で決まり。

ところがどうだ、まだ開店前だというのにずらっと人の列である。聞いてはいたが、いつももっと遅くいくのでこの時間は初めてだったのでいささかびっくりする。というわけで、そのあとに呑む予定が入っていたが、早くも呑みだす。相変わらず安くて旨い。普段食べられない“むしあわび”を食べて満足。

そのあとが新橋の「いさむ」である若い子と会うことになっていたが、ここもさかなが旨いのでだいぶかぶってしまい、いつもより少なめでお願いする。

待ち人はぼくのブログを読んでコメントをくれた子である。36歳でコンサルティング会社に勤めている。初対面であるが、顔をあわせた瞬間から初めてとは思えない感じでおしゃべりに入る。やはりブログというのは、それを書いている人がどんなひとかおおかたわかってしまうので、最初の壁がとりはらわれるのだろう。

というわけで、よどみなく会話がつづき、すごく楽しい時をすごす。実は、大学の後輩であったり、プラント制御やシミュレーションをよく知っていたりで、そういう意味でぼくの今主張している考え方についてかなりシンクロしてもらえた。次回から、ビジネスプロセスパターン研究の勉強会に参加してもらうことになっている。

だんだん、「プロセス志向」が広がっていっていることを感じた一日であった。
 

2009年4月 5日

ぐるりのこと

先日の東スポ映画祭の授賞式でたしかあきるの映画祭のひとだったと思うが、主演女優賞を獲得した木村多江(残念ながら授賞式には欠席していた)を絶賛していたので、その彼女が主演した「ぐるりのこと」を観る。

原作・脚本・監督は橋口亮輔。この監督も「歩いても歩いても」の是枝裕和と同じように自分のオリジナル作を監督している。全部ひとりでやってしまうのはいいところと悪いところがあると思うが、両者とも、ひとりよがりにならない客観化がちゃんとできていると思う。

物語は、1990年初頭のバブル崩壊からの10年くらいの出来事を縦糸に、ある夫婦の破綻から再生の軌跡を横糸に描いている。法廷画家の夫(リリーフランキーも好演)と二人暮らしの妻(木村多江)に子供ができたが、その子供を失う(どうして失ったかははっきりさせない)ところから、その妻が徐々に精神的に病んでいく。

その様を木村多江が渾身の演技で表現する。それは少しずつ、様々な要素がまざりあいながら蝕んでいくのだが、不器用な夫はなすすべがない。しかしながら、不器用であからさまな愛情は表現できないながらも、心の奥で静に見守っているのである。そして、その夫の慈愛に助けられ救われるのである。

縦糸である時代を象徴するような事件の裁判が登場して、時代の病巣との絡みもあり、ぼくは自分の生活を思い出しながらいたくリアルな感覚に陥ったのである。

ぼくのあの10年の始まりは、ちょうどバブルの崩壊と同時に前にいた会社が大きな会社に吸収合併され、東京に転勤になった。買ったばかりのマンションを売って横浜の社宅に入ろうと思ったが、買ったときの倍にまで値上がりしていたそのマンションは誰も買い手がつかなかった。

だから、わが身のこととしてはっきりバブルの崩壊の瞬間を見届けている。それから、映画に出てくる事件もそれぞれよく覚えているし、自分っも壊れそうになるような経験をして、そのたびに何とか踏みとどまったのである。そんなことを思い出してしまった。

この映画は、木村多江とリリーフランキーの夫婦に尽きるが、けっして派手な演技ではなく、几帳面な妻とシャイな夫をごくごく自然に演じていたのが非常によかった。
 

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2009年4月 6日

姥桜

いよいよ桜の季節だ。ぼくの家がある鎌倉山は桜の名所なので、ここのところ連日お花見客でにぎわっている。昨日の日曜がピークのようである。

ただ、老木が多く、以前に比べて桜の木自体が減ってきているように思える。少なくとも、以前は花のトンネルができていたと思うが、いまはまばらに咲いている。

ソメイヨシノに寿命があるのをご存知ですか?だいたい、60年から70年と言われています。

ここ鎌倉山が別荘地として開拓されたのが、昭和4,5年あたりだから、うちのばあちゃんに言わせるとそのころ桜の木を植え始めたそうだから、その時のものは80年経っていることになる。だから寿命がきているのだ。

それでも、まだ咲いているから、”姥桜もがんばるなあ”と思っていたら、実は”姥桜”の意味を取り違えていたことがわかった。桜の種類で葉が出るより先に花が咲くものの俗称なのだ。”葉(歯)がない”ということからきているのだ。だから老いた桜を指しているわけではない。

それと蔑称でもなくて、娘盛りを過ぎても美しい女性のことでほめ言葉なのだそうだ。さっそく、うちの嫁さんに君は”姥桜”のようだといったら、ひどく怒られたのは言うまでもない。

ところで、ああー、言いたくないがまだ春が来ないところがある。横浜ベイスターズである。去年と同じように開幕3連敗。また、悪夢が。

 
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2009年4月 7日

小飼弾の「仕組み」進化論

Danさんが書いた本なので興味があって買ってみた。テーマは「仕組み」についてで日本実業出版社から刊行された。

「仕組み」って「システム」のことなのになぜその言葉を使わないのかと思ったが、微妙に意味が違うように思う。システムではなく仕組みというと、どちらかというと個人の仕事や生活に関わる“道具”に近い意味になってくる。だから、後述のような新しい働き方を提案しているのでその言葉の方がたしかに合っている。

それはそれとして、Danさんは書評家としても有名なようにあらゆるジャンルの本を片っ端から読んでいるので、本の書き方が読者にわかりやすいように構成されている。この辺はさすがだ。

ただ、中味はというとぼくにとってはそんなに目新しいことでもないし、それこそ、ビジネスプロセスを考えていると必然的に仕組みつくりに辿り着くのですーっと読んだ。

この本での主題が、新20%ルールといって、「既存の仕組みを回す仕事を勤務時間の20%で終わらせ、80%を新しい仕組み作りにあてる」というものである。まあ、これがクリエイティブなスタイルだというわけである。

もちろんおもしろいものもあって、そのなかでは「生物の仕組みに学べ」というのがる。前から言っているようにシステムのめざす目標は生物化ですから、同じようなことを言っている。そして、生物ならではの仕組みの特徴として次の3つをあげている。

(1) 生きていれば最適である必要はない
(2) 一度使った仕組みは、失敗も含めて手放さない
(3) できることだけを行い、出来ないことは無視する

これをシステム作りに生かせないだろうか。ついそんなことを考えてしまう。

読みやすいので一気に読め、章ごとにポイントをまとめてくれているのでわかりやすい。これは重要なことで難しいことを簡単に書くことは大事である。

ところでDanさんが大学生のころ化学分野のエンジニアを目指していたとは意外であった。仲間みたいでうれしくなった。
 

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2009年4月 8日

第2回BPP研究会

昨日は2回目の「BPP研究会」を行なう。テーマが「ビジネスと業務の構造化」で、企業における業務の構造を考え、それを構成する要素に分解してみようということです。要素分解するには、ただやみくもにばらすのではなく意味ある粒度にする必要があります。そのあたりの議論をした。

まずは、企業の構造として、サプライチェーンを中心としたコアプロセスと、その周辺として、意思決定サポート、サプライチェーンサポート、定型業務サポートがるという話をする。そして、そうした構造の業務から、業務プロセスや業務機能を抽出するにはといった議論を行なう。

そのとき寄り道としておもしろかったのは、業務プロセスに差別化要素あるいは競争優位の源があるのかどうかという問題である。

ぼくは、以前から業務プロセスそれ自体にはそうした差別化するものはなく、もっと別なところにあるのではと思っていたが、いろいろな意見がでる。

そのなかで、ぼくはプロセスというか業務のフローそのもののことを言っていたが、プロセスにはそのパフォーマンスで違いがでてくるので、やはりプロセスも差別化できるのではないかという話がでた。

ここはけっこう重要なところで、というのは今までのシステム化というのはシステムを作って終わりみたいなところがあるので、それをうまく使いこなして効果を上げたということが少ないため、単にITを入れただけで競争優位性を埋め込んでいないのだ。

だから、BPMという考え方は、このシステムを作っただけでなく、それを効果的にオペレーションすることで差をつける意味が大きいのである。そういうことを議論できることがうれしかった。

そして、その時の効果を測定するメジャメントをどうするのかという議論に続いていく。プロセスの何をモニタリングしてその結果として、どう改善につなげていくかが非常に大事なことなのである。

このパフォーマンスについても、個別局面での効果判定と全体プロセスの効果判定の両方がある。個別最適が決して全体最適につながらないケースも当然でてくるので、そのあたりの評価基準も必要になってくる。

ぼくは、プロセスは意思決定の連鎖であると規定しているので、ただ昨日言われたがプロセス全体も“意思決定”でもあるのだが、そこでモニタリングするのは、「意思決定の質とスピード」だと思っている。

ここでは、スピードはわかると思うが、では質って何よとなる。質とは手戻り率(差し戻し率)や顧客応答時間みたいなもになると思っている。

そして、この質とスピードはトレードオフでもあって、早く処理したいがためにいい加減な意思決定をして、全体としてパフォーマンスがあがらないことにもなりかねない。その両方をバランスさせることが重要なのである。

ちょっと長くなったが、この話はプロセスパターンとはちょっと違うのでテーマに入れてなかったが、別の機会でもいいから議論した方がいいかもしれない。

さて、業務プロセスを抽出して、それをフロー化するとき、そのアクティビティの粒度をどう決めていくかが、主テーマであって、それに対して、ぼくのほうから「マクロとミクロの2段ワークフロー」という考え方を提示した。

すなわち、マクロワークフローのところの粒度は定型的でシーケンシャルに並べられる。その時の箱すなわちアクティビティは“単位意思決定”であるとした。

その単位意思決定をするのがミクロワークフローで、それは非定型なのもので、それを行なう場は、3種類あって、情報共有の場、一般的なワークフロー、そして画面や帳票であるという提案をした。

それぞれについてケースバイケースでどう使い分けるのかといった論議は次回にするが、こうして2段に分けることによって分かりやすくなると思うのだが、まだまだ議論の余地がありそうで大いに意見交換をしていきたい。

そして、議論で考えさせられたのは、2段にできるのは定型的なルーティン業務なのではないかということで、それ以外にプロジェクト的に動く業務や定型とプロジェクトの中間のような業務があるが、そうしたものへの適用をどうするのかという意見もあった。ここら辺も次回に議論しようと思う。

要するに、業務プロセス・機能の持つ“性格”が違うのである。性格の違うものを一緒くたにしないことで、アプリケーション的にもプラットフォーム的にも分けて考える必要があると考えている。来月のテーマはここですので、みんなでよーく考えましょう。
 

2009年4月 9日

プロセス志向のデータベース設計

このあいだ、「SOA時代のデータ管理」というエントリーを書いたが、そこではデータベース設計をどうやるかには言及していない。それで、最近そのことについてずっと考えているが、なかなか答えが見つからない。

データベース設計というと、DOAが浮かんできます。データ総研の椿さんはいつも、DOAの条件として、「データ先行・リソース先行・概念先行」ということをおっしゃっています。データをプロセス/処理に先行して考え、イベントデー タ(受注・出荷・請求など)より先にリソースデータ(社員・顧客・商品など)を固め、物理データベースより概念データベースを先行するという意味です。

では、POA(という言葉があるとすれば)だとどうなるのでしょうか。「プロセス先行・マクロプロセス先行・概念先行」といったところでしょうか。しかしデータベースはどうするのだの答えにはなっていません。

DOAだと一般的に言われるのは、画面と帳票からデータを抽出するということですが、プロセス志向だとどうなるのでしょうか。

まずプロセス志向の開発のやり方を自分流に考えてみると、最初に画面と帳票は考えずに、というかITを意識することなくプロセスを書き出します。そのあと、そのプロセスで確定していくデータや参照するデータを捕捉していきます。そのあと、そうしたデータを確定していく場としての画面を考えていくわけです。

そして、帳票は原則登場してきません。もちろん、法定帳票やデータ分析の帳票などはありますが、その他は考えないようにします。なぜなら、帳票の使われ方のひとつは、電子化されている業務と電子化されていない業務の橋渡しですから、全部の業務を電子化してしまえば、必要なくなのです。

ですから、データの捕捉のアプローチが従来と違ったものになるわけですから、データベースの設計の方法も違ってくるのではないかと思っています。

しかし、いまその答えがあるわけではなく、一生懸命考えている最中である。そこで、救いの神が、羽生章洋さんが書いた「楽々ERDレッスン」(翔永社CodeZineBooks)である。

この本に書いてあるデータベース設計のことが非常に参考になる。(羽生さん、おとといも山本陽平君とふたりでこの本はすばらしいと称え合いました)いまこの本を何度も読み返しながら頭をひねっているのである。
 

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2009年4月10日

"システム"を考える

最近、このシステムという言葉に出会う。ただし、情報システムというITに関することではない。このシステムという言葉の使われかたはいろいろである。その中で「自然と人間と人工物」といった観点で考えさせられることがあった。

ここで3人に登場してもらう、木村秋則、養老孟司、村上春樹である。まずこの三人が語ったことを並べる。

木村秋則(「奇跡のリンゴ」から)

「人間にできることななんて、そんなにたいしたことじゃないんよ。みんなは、木村は、よく頑張ったって言うけどさ、私じゃない、リンゴの木が頑張ったんだよ。これは謙虚なんかではないよ。本気でそう思っているの。だってさ、人間はどんなに頑張っても自分ではリンゴの花ひとつも咲かせることが出来ないんだよ。手の先にだって、足の先にだって、リンゴの花は咲かせられないのよ。そんなの当たり前だって思うかもしれない。そう思う人は、そのことの本当の意味がわかっていないのな。畑を埋め尽くした満開の花を見て、私はつくづくそんなことを思い知ったの。この花を咲かせたのは私ではない。リンゴの木なんだとな。主人公は人間じゃなくてリンゴの木なんだってことが、骨身に染みてわかった。それがわからなかったんだよ。自分がリンゴを作っていると思い込んでいたの。自分がリンゴを管理しているんだととな。私に出来ることは、リンゴの木の手伝いでしかないんだよ。失敗に失敗を積み重ねて、ようやくそのことがわかった。それがわかるまで、ほんとうに長い時間がかかったな」

養老孟司(「大事なこと」から)

「人が人を殺すということはあるが、そのときに、自分でつくることのできない、複雑微妙なシステムを、自分が破壊しているという気持ちがなければならない。いわゆる「文明人」にいちばん欠けているのがそれだ、ということは、多くの人が気がついていることだろう。だから、戦争ばかりしているのである。
生物多様性を維持するというのは、じつはその延長である。人間のつくり出した技術は強力だという。たしかに人間自体を簡単に殺すという意味では、素手に比べて、ピストルは強力である。しかし、ピストルの単純さと、人間の複雑さを比較してみればいい。人間に比較したら、ピストルなんて、それこそバカみたいなものにすぎない。月までロケットが飛んだ。そんなこといって、人間は威張ってみるが、飛ぶだけならハエだってカだって飛ぶ。それならハエやカがつくれるか。そもそも人間はロケットの仲間か、ハエやカの仲間か。中略
生態系とは、ハエやカを含めた生物が、全体としてつくり上げているシステムである。その複雑さとうてい把握しきれないほどのものであり、だからこそ意識はそれを嫌うのであろう。自分には、わからないことがある、それを意識は嫌う。だからバカという言葉が嫌われる。しかしいかに嫌ったところで、意識には把握しきれないものがあるという事実は変わらない。
生物多様性というのはつまりは「生きとして生けるもの」全体を指している。それは、ただ生きているというだけではない。その構成要素がたがいに循環する、巨大なシステムをなしている。それを「壊す」のは、人殺しと同じで、ある意味で「簡単」だが、「つくることはできない」のである。その意味で。現代人は時計を分解している」子どもと同じである。なにをしているのか一つ一つの過程は「理解している」つもりであろうが、全体としてなにをしようとしているのか、それがわかっていないに違いない」

村上春樹(エルサレム賞授賞スピーチから)
「今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直 面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。」

ここで語っていることをつなげると、人間が自然を管理していけると思ったってそんなことは無理で、それだけ自然というものは複雑なシステムである。そうした自然を壊すのはできるが、それと同じようなものをつくれるかというとできない。壊すものは人間がつくったシステムでもある。そのシステムには生物のもつ生きた精神がないから、自己増殖させてはいけない。というところでしょうか。

ですから、「システム」と簡単に言うが、非常に複雑で生きた自然システムもあるし、人工的につくられたシステムもあるのです。

では人間はどちらでしょうか。人間は自然物だろうか人工物だろうか。当然、生物だから自然でしょうということになるでしょうが、まず子供は自然だが、大人ははたしてそうだろうかと思ってしまう。“作られた大人”になってやしないだろうか。

それはともかく、人間はこの自然と人工物の間に介在しているわけだから、ここのコーディネーターなのである。そのとき、どちらも人間が上に立ってコントロールしようとすることが大きな間違いである。

ただ、台風も自然だから少しはコントロールしたいと思うので、コントロールという言葉を使わせてもらうと、人間は自然とは共存的なコントロールであり、自分たちが作ったシステムに対しては、主体的にコントロールするということではないでしょうか。

言い換えると、「システム化」のめざすところ究極は「生物化」ということになるのはないでしょうか。これはもちろん情報システムにもあてはまります。
 

2009年4月11日

定例オヤコ呑み(4月)

毎月やっている定例の親子呑み会を渋谷の「長崎」で行なう。今社会人2年目に入った下の息子と毎月初めに一緒に呑むことにしているのである。

この子は中学生のときから競馬が好きだったから、渋谷のウインズで待ち合わせしたが、どこだか分からないと言ってきて道案内を伝えながら並木橋付近で落ち合う。

「長崎」はぼくが学生時代から知っている店で、ちゃんぽんと皿うどんが有名である。あの池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって 」(新潮文庫)の中でも紹介されている。

実はこの店はあるマンションの1階にあるだが、学生時代にそのマンションにぼくと同じ大学に通う友達がすんでいて、その家が店のオーナーだったのだ。だから、ときどき麻雀をしに行くと終わったあと必ず皿うどんをごちそうになって帰った。

当時はまだ東京に本場長崎のちゃんぽんや皿うどんを食べさせてくれるところは少なく、最初に食したこの店の皿うどんがその旨さにまいったこともあり、これが皿うどんだと思い込んでいた。

最近では多くの店で出すようになって、チェーン店までできている。しかし、皿うどんとチャーメンを混同していて、細麺でぱりぱりになったのを出されるが、それは違うと思い続けている。

そして、いつかうまい皿うどんに出会えるかもしれないと、街で見かけるとつい皿うどんを頼んでしまうのだが、東京ではいまだこの店をしのぐものはただ一軒だけだ。その店の名は「円山」といって、溜池交差点の近くの地下にあった。ここの皿うどんは絶品であったが、数年前に突然姿を消しえしまった。どこかに移転してしまったかもしれないと思い、「はてな」でも探したが分からずじまいになっている。誰か知らないだろうか。

ここで少し余談になるが、友達の家はそのマンションに来る前は田園調布に家があって、そのときあの長島茂雄が学生の時にそこに下宿していたのだという。ぼくらはウソだろうと思っていたら、ある日彼の家でいつものように麻雀をしていたら、いきなり長島が現れたのである。“やあー学生諸君がんばてるな”ってな具合で声を掛けて風のように去っていった。

さて、「長崎」で皿うどん、ちゃんぽん、そしてひとくち餃子、シューマイ、サラダを頼み、ビールと冷酒でお腹もふくれ、ほろ酔いになる。帰り際、しばし店の料理人のたけちゃんと昔話。もう43年働いていて年を食ったというが、あまり変わらないように見える。

それから都バスと山手線で、定番になりつつある銀座の「M」へ。いきなり、ドンペリをごちそうになる。32周年記念でもらったとかいう。初めて飲む高級酒に舌鼓を打ちながら、いつものNさんとR子さんと下の息子を交えて楽しいおしゃべり。

R子さんの昨年結婚した娘の婿さんが、ぼくら親子と同じ高校出身ということで、その話から、夫の小遣いはいくらが妥当かとか、草食系男子が増えていて(その言葉を初めて聞いたといったら引かれてしまった)、息子が自分は草食系だという話で盛り上がる。

そういう意味では下の子は上の息子と正反対なのだが、上の息子が肉食系かというと、それより、兄ちゃんは長島タイプで、弟は王タイプというほうが何となく合っていると思っている。

そのあと、息子と同じ大学・学部で同学年だった娘さんをもつMさんとも久しぶりに会えて、子供談義となる。世の中せまいなあと思った一日でもあった。

そうだ、来月どこ行くか決めるのを忘れた。つぎはどこへ行こうかな。
 

散歩のとき何か食べたくなって (新潮文庫)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.11
  • 池波 正太郎
  • 文庫 / 新潮社
  • Amazon 売り上げランキング: 19628
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.5
    • 3 「グルメ本」にあらず
    • 3 似たような話
    • 5 今回も色々味わわせて頂きました
    • 5 オレも散歩が好きなものでして・・・
    • 5 食を楽しむ生き方を教えてくれる本
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2009年4月12日

フィッシュストーリー

定期的に東京に出ていかなくなったのですこしだけ生活のリズムが変わる。以前は、昼に向かっていって夜が空くというパターンだったが、今は逆に夜がセットされるのでそれに対して東京に出ることになる。夜までの時間を映画館と喫茶ルノアールで過ごすのが定番になりつつある。

で、先日渋谷でそんな感じで映画「フィッシュストーリー」を観る。これはまさに、時空を超えて展開する伊坂ワールドそのものの映画である。監督は、「鴨とアヒルのコインロッカー」の中村義洋。この作品で伊坂幸太郎に気に入られたようで、また伊坂作品のメガホンをとる。

最初は、中古レコード屋でなんか変な会話から始まり、地球にすい星が衝突して人類が破滅するというわけのわからない話になる。それが2012年のことで、そこから、1975年、1982年、1999年、2009年と5つの時代を行き来する。

だから、初めのほうは脈絡がなくどうなるのかさっぱり分からないが、ラストになると見事につじつまがあってくる。

それは、基本となる1975年の売れないパンクバンド“逆鱗”のエピソードがしっかり描かれているからだと思う。そこをベースにした物語が最後につながっていくのである。

1975年は当たり前のように昭和50年だから、ぼくはこのバンドの彼らと年齢的にも近いのであの雰囲気がよく分かる。もうこの年になるとちょっと前までのあのざわめきや熱気が冷めてきて何やら落ち着きだしてきたころではなかっただろうか。この映画でよく出てきる言葉で“どうせ売れないから”といういくぶん虚無的な雰囲気がその時代の感じを出ているように思う。

しかし、それでも自分たちのやったことが何らかの形として後世に伝わることを信じている。そこは“どうせ伝わらないから”とは言わないのことで踏みとどまっている。こうした映画は、重苦しくもなく、さりとて軽やかというわけでもない、一種独特のノリがあるように思え、悪くないと思う。

2009年4月13日

思考停止社会

最近、世の中どうもおかしいという気がしていて、それが何なのかがなかなか分からないでいたら、「思考停止社会 「遵守」に蝕まれる日本」(郷原信郎著 講談社現代新書)を読んでいくぶんその謎が解けたような気がした。

題名から受ける印象だと、あまり深く考えないようにして誰かの言ったことに便乗しているという感じだったが、中味はちょっと違うようだ、たしかに、「遵守」すれば何事もいいのだというとこらから思考停止に陥るということのだが、思考停止というより、本質を見誤った思考形態が蔓延しているとでも言った方があたっている。

だから、マスメディアが伝えることを無批判に受入れてしまい、そのマスメディアそのものも安易に情報を操作し垂れ流す愚を繰り返す。

しっかりと、そうした事象が起こった背景や本質的な問題はどこにあるのだといった深い洞察力を持たなくてはいけないと思う。

そして、著者は「法令遵守」と「規範遵守」をわけて考える必要があると言っている。最近になって金科玉条のように「コンプライアンス」という言葉が闊歩している。このコンプライアンスを法令遵守のこであるという以上に考えている人がいて、それが規範遵守の領域まで入り込んでしまうことが問題なのである。

この問題は、日本人の法律感が大きく影響しているという。すなわち、日本の社会では昔から法は社会の周辺にしか存在しないものであると思われていて、自分のことで考えてみても身近に法はなかった。社会的なトラブルは、慣行や話し合いで解決してきたように思う。

それが、経済社会となり、アメリカの考え方が入ってきて、どんどん「法化社会」に変貌してしまったのである。法の意味や使い方に慣れていない日本人がいきなり「法令遵守」だと言ったってうまく対応できないのである。

そんなひずみが「隠蔽」「偽装」「捏造」「改ざん」といった事象に現れているのだが、単純にそういうことに対して、魔女狩りのようにいっせいに叩いて、問題の本当の解決にはならないと説いている。

著者は、あの期限切れ原料問題で揺れた不二家の信頼回復対策会議の議長を務めたひとで、その経過を実際に詳細に調査したので、誤ったバッシングを非常に強く批判している。特にTBSの「朝ズバッ」には相当腹を立てている。あのときのみのもんたの発言が非常に大きく影響し、山崎パンに会社を売る遠因になっていると指摘している。

この問題も含めて、耐震偽装や社保庁の年金改ざんや裁判員制度にもおよび、ぼくらが単純に知らされていたこととは別の面からみるとぜんぜん違った見方がることを教えてくれて、眼からうろこである。

これは必読の書である。
 

思考停止社会~「遵守」に蝕まれる日本 (講談社現代新書)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2009.4.8
  • 郷原 信郎
  • 新書 / 講談社
  • Amazon 売り上げランキング: 1201
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 3 盲目的な規則「遵守」をせまる社会とそこからうみだされる問題の指摘
    • 5 自分の頭で考えよう
    • 4 遵守から、「真の法治社会」へ―経済法のスペシャリストによる緊急提言!!
    • 5 「法令遵守」だけでは問題は解決しない
    • 4 胃散を飲みすぎる人たち
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2009年4月14日

新経済対策のいいかげんさ

政府が追加経済対策として15兆円規模の財政出動を発表した。しかし、その中味について、もちろん全部精査したわけではないが、かなりいいかげんじゃないかと思った。

だいいち、需給ギャップを埋めるために財政出動だという時点でおかしい。そういう発想だと、何でもいいから予算をつけられるものを片っ端からあげて行くことになる。だから、必ずしも今の経済状況とは無関係な支出も含まれている。

本来は、いまの危機が起きた原因をきちんと分析して、それを立て直すためにどうしたらよいかを考え、それに効果がでるものにお金をつけるというのが筋だろう。金額の多寡ではないだろう。それに、日本の状況は米国とも違うし、欧州とも違うし、中国とも違うのであって、単純に各国と横並びでGDPの何%という考えもいかがなものだろうか。

その使い道を具体的にみてみると、エコカー、エコ家電への買い替え需要を喚起する対策や太陽光発電などのエネルギー技術などで「輸出依存の産業構造の転換を促す」といったとたん、いかがわしいと思ってしまう。

だって、内需がなかったから、輸出にいった結果、世界同時不況でもろ影響を受けたのに、いまから内需を増やそうとしているのには絶対無理があるのはあきらかでしょう。産業の裾野が広いからという理由で、特定産業を保護しているに過ぎない。だいいち、エコカー、エコ家電をいっぱい買ってもらってどうなるわけ、余計にCO2を増やすわけで、何がエコだかわからない。

それに、需給ギャップがあろうとなかろうと別の観点で実施を判断すべき項目もどんどん入っている。全くわけがわからん。産業構造の転換というならもっとコンセプトのしっかりした中長期的な対策でなくてはいけないのに、場当たり的としか言いようのないものばかりのような気がする。

高速道路の料金を値下げする愚挙と同じようなことがおきないか心配だ。自動車の通行量を増やしてCO2を撒き散らして、フェリー会社をつぶそうというのはどういうことだ。

そして、何よりもよく考えてみたら、15兆円ということは一人当たり15万円で最後は税金で取られるわけだから、その分の恩恵を受けられるのだろうか。4人家族なら60万円ですぞ。それだけもらって使い道は特定産業に振り向けるとはどういうことだ。もらう産業もどうかしている。ああ、もういいかげんなこの国の政治にはほとほと困ったものだ。
 

2009年4月15日

アプリケーションプラットフォーム~業務処理の性格が違う~

これからはビジネスプロセスを実行するプラットフォームについて考えていきましょう。これまでに、業務プロセスの階層化とコンポーネントをおこなってきましたが、その階層化された業務コンポーネントを機能させるためにもプラットフォームの階層化が必要になります。

業務機能の性格が違うのだから、動かし方も違うので、それぞれにフィットしたものを用意してあげる必要があるからです。

業務プロセスはマクロワークフローとミクロワークフローに分けましたので、これからその呼び方で議論していきます。

そして、マクロワークフローは単位意思決定=データ確定の連鎖であり、ミクロワークフローはその単位意思決定の場であるというふうに規定しました。

では、この二つのワークフローでどういう性格の違いがあるでしょうか。まず、ミクロワークフローである単位意思決定をみていきます。

これは簡単に言うと4W2Hを決めることだと思ってください。すなわち、「何を(What)いつまで(When)にどこの(Where)誰が(Who)いくら(How much)でどのように(How to)作業して決める」(Whyはプロセス依頼の起点となる依頼には必ず理由がすでにあるものだから、後から決めるものではありません)のかです。

そこでこの仕事の特徴をみてみると、非常に不定形で不安定であることに気がつくと思います。依頼元がどこなのか、対象商品は何なのか、急ぎなのか、また季節だとか、決算期だとかで違ったりと、ケースバイケースであるのが多いでしょう。とくに顧客接点から始まるプロセスでは、決まりきった処理というほうが珍しいかもしれません。

一方、単位意思決定の連なりであるマクロワークフローは、決まったことを流すわけですから、わりと定型化されたフローになります。

こうしや高次レベルの仕事のやり方というのは、業種、業態や会社の規模などにあまり左右されません。例えば、オーダーが来て、それに対して、プロダクトを選定し、価格を決め、納期を確定するといったことは、どこも大差ないと言えます。

違いが出るのは、それらの決め方のところです。大きな会社では決定ルートが長いが、小さな会社では一人で何でも決めてしまうというようなことです。

このように、マクロワークフローとミクロワークフローではそのフローの持つ性格が違うということが理解できたでしょうか。

そして、さらに特徴的なのは、そのフローを回す主体も違うということです。非定型で不安定な処理であるミクロワークフローは、人間主体にならざるを得ません。ここではたえず人間の判断が優先します。

ところが、定型で安定なマクロワークフローは、その会社や組織の決められたルールに沿って回すことができます。それは、人間が介在しなくてもシステムが主体で流してくれます。

今回は、業務処理の性格や特徴が違うこと、その違いによって処理の担い手も変わることを議論しました。次回はそれを実現する“場”について考えてみます。
 

2009年4月16日

マクロとミクロの発想術

先日のBPP研で、マクロとミクロのワークフローという概念を提示した。要するに、業務プロセスを分解していったとき、BPMS記述するようなレベルでは、2段構えでプロセスをわけた方がよいことを説明した。このマクロワークフローとミクロワークフローにし、それぞれでつなげる機能の粒度を合わせることで、分かりやすくするメリットがある。

マクロ経済とミクロ経済ということもあるように、いろんな領域でマクロの眼とミクロの眼をもってながめることがなされる。

同じように、物理学では量子力学の視点をミクロ、古典力学の視点をマクロと呼ぶ。他にも木を見て森を見ずとか言われるように微視的と巨視的視点の両方が大事なのである。

先に言ったのは業務プロセスのことですが、システム全体にもこのことは言える。SOAの時代では特にこの視点をもっていないと個別サービスだけを見ているとサービス同士の有効なつながりができなくなる。
このように、鳥の眼で俯瞰し、虫の眼で凝視することを片方ではなく相互に繰り返すことが必要なのである。

この思考方法は、分かりやすくは囲碁を考えてみるといい。ずっと昔にもこのブログでも書いたが、囲碁は布石があってこそ、4隅の生死が重要なのに、いきなり4隅の生死にいってしまう人がいる。結局、局面では勝利しても全体では負けたとなる。これは戒めなくてはいけない。

最初のところから若干ずれてしまったが、マクロとミクロの2段でものごとを見ていくということがいかに大事であると言いたかったのである。個別事項にのめりこんでいるときにふとそこから離れて大きな眼で眺めて見るということである。

それは、日常の仕事でも言えることで、細かい部分で仔細にチェックし、その集まりは少し視点を上げて整合的であるかをチェックすることが求められているのである。だから、この2段思考アプローチを業務プロセスへ敷衍してみたのである。
 

2009年4月17日

3文字熟語のワナ

IT用語では、3文字熟語が定番である。みなさん、あまりいい印象で話さないが、便利だからつい使ってしまうのではないでしょうか。中には、自分で勝手に3文字を作ってしまったりする人もいる。実はぼくだってBPPなんて言葉を作っている。ただ、3文字に替わって日本語で説明しようとするとかなり大変なことになる。

だから、概念やその意味するところを簡潔に3文字で表現できるということはある程度評価できるが、ときどきその弊害がでてくるように思う。それが、実体のないバズワードだから困るということもあるが、あるいは、定義が人によってまちまちになってしまうといったこともあるが、問題は思考のアプローチをねじ曲げてしまうことにあると思う。

それはどういうことかというと、3文字熟語が提示されると、それを理解しようとする態度がそれを招いているのではないかと思うのである。その言葉はどういうことを意味し、何をすることなんだという思考アプローチとなるからである。

ERPとはなんだ、SOAとはなんだ、CRMとはなんだ、ということを学習して、それを理解しようとする。でそれをいいものだと思うと(ときどき売れるものだと考えるひともいる)、それを普及しようとする。いいものだから使えというのだ。それを、受け売りという。人のふんどしで相撲をとるともいえる。

一見、そんなことは当たり前にやられているし、悪いことではないと思うでしょう。しかし、問題は、そうした結果自分の頭で考えることをやめてしまう思考停止の状態になるからだ。

ですから、それとは違う思考のアプローチが必要になってくる。自分の頭で考えたフレームに合うコンセプト・技術・サービスを採用するというアプローチである。それを考えるときに忘れてはいけないのが、何度も言っているビジネス視点・ユーザ目線である。使う人の役に立ってこそITの存在価値があるのだから、その視点でしっかり自分自身が考えることが重要なのである。

先日お会いした気鋭のITベンダーの社長さんが言っていた、これからは、for Userからby Userへと意識を変える必要があるということがすごく印象に残っている。

これまでITの作り手側はユーザのためにいいものを提供してあげるということを言う。ところが、そのいいものというのは、作り手側がいいものだと思っているだけだし、それも誰かが作った3文字熟語で表されるものを勉強し、その学習結果を売っているだけである。

そうではなく、ユーザ自身でできるようにサポートするのがITの本来の役割なのではないでしょうか。

最近、ぼくもBPMの普及というようなことを声高には言わないようにしている。BPMのよさはだれよりもわかっているつもりだが、ユーザがほんとうに知りたいのは、BPMの意味ではなく、自分たちのビジネスや業務に役に立つのか、企業が従業員が幸せになるのはどうすればいいのかである。

その幸せになる仕組み・仕掛けを一緒に考えた結果として、BPMがいいねと言ってもらいたいのである。
 


2009年4月18日

向田邦子と昭和の東京

ぼくらぐらいの年齢になると、平成何年に何があったということより、昭和何年にはこんなことがあったという記憶の方が鮮明である。昭和34年に皇太子ご成婚があり、昭和39年に東京オリンピックがあり、新幹線が開通した、昭和44年に安田講堂というようにかなりはっきりと覚えている。

平成だとむしろ西暦になってしまうのである。1990年にバブル崩壊、2002年FIFAワールドカップ日韓協働開催とかいうふうにである。

「向田邦子と昭和の東京」(川本三郎著 新潮選書)はそうした昭和の時代について、向田邦子という優れた作家・エッセイストの特に東京での暮らしぶりから探っている。だからぼくらにとっては非常に懐かしいとともに、自分の子供のとき、そして青春のときと重ね合わせて甘くすっぱい気持ちに陥ってくる。

いまの若い人にとっては、知りようもないことが随所に出てくるのでまあ読まないと思うので、若干解説じみてしまうが今とどんなふうに違うのかの一端を紹介しようと思い、この本に出てくる昭和の「言葉」と「食」と「町の風景」について見てみる。

向田邦子が好んで使った古い言葉のいくつかを書く。まずは、「しくじる」という言葉である。いまでなら「失敗する」という。この言葉に対して著者は、「失敗」より「しくじり」の方が愛嬌がある。「失敗」は許されないが、「しくじり」なら許される感じがすると言っている。

次に出てくるのは、「お出掛け」、「シャボン」、「ご不浄」「たち」などである。その中でもおもしろいものに「たち」というのがある。

昔ぼくらも親や世間から「男のくせに」とか「女のくせに」とか「子供のくせ」にというように、それぞれでこうあるべきだという型や規範があって、それから外れるとそう言われた。ところがそればかりだと型苦しくていやだということで、そういわれたとき「こればっかりは、たちだからしょがない」という反撃の言葉も用意されていたのだ。

いま出てきたような言葉は、温かさがあったように思う。今では、家族でお出掛けも少なくなってしまったし、「トイレ」、「石鹸」じゃあ味気ないように思うのである。

さて、食であるが、ライスカレーとカレーライスの違いが書いてある。向田邦子に言わせると、おもてでお金を払って食べるのがライスカレーで、自分の家で作るのがライスカレーなのだそうだ。これは何となく分かるような気がする。

しかし、ぼくはだいぶ大きくなるまで外でカレーライスを食べたことがなかった。カレーは自分の家でライスカレーを食べるものと決まっていたからだ。

向田邦子の食に対するこだわりを知るには、テレビドラマ「寺内貫太郎一家」の食事風景を思い出すといい。この番組では、朝ごはんは必ず、ごはんと味噌汁(おみおつけと言う)と白菜の漬物である。

また自分のことになるが、うちも必ずそうで、もちろん白菜は自分の家で漬けたものである。昭和の食卓は、貧弱なものであってもぬくもりがあった。

さて、最後に町の風景で思わずそうだったとひざを叩いたのは、「傘をもってお迎え」のことである。不意の雨のとき、その頃の子供たちのやらなければいけないことは、最寄りの駅に傘をもってお父さんを迎えることなのだ。夕方はそうした子供たちで駅は溢れる。傘を受け取った父親は「お」と言うだけである。

今はこんな風景は見られない。折りたたみ傘もあるし、ビニール傘もすぐに買えるし、何ならタクシーで帰ってきたらとなる。何かが失われているように思えてならない。

読み終えてしばらくは目の前がセピア色になっていた。
 

向田邦子と昭和の東京 (新潮新書)
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    • 5 本当に昭和は遠くになりにけり
    • 5 「単なるノスタルジー」でいいじゃないか
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2009年4月19日

百万円と苦虫女

この題名から受ける印象だとどんな映画化よくわからないと思う。ぼくは、蒼井優ちゃん主演だからすぐに手に取った。タナダユキ監督の「百万円と苦虫女」である。

蒼井優だったからこそこうしたいい映画になったと思わせる。物語は、ひょんなことから前科ものになってしまった鈴子という21歳になる女性が、出所してから百万円たまったら家を出ると宣言してアルバイトに精をだす。

そして念願かなって、知っている人が誰もいない海辺の町へ。そこで夏のあいだだけ海の家でまたアルバイト。その後は今度は山合いの町で桃園の収穫の手伝い。そして、そのあとは東京近郊の町のホームセンターでバイトという具合である。こうして渡り歩いているときでも、周囲から様々な形のコンタクトがあるのだが、この鈴子という女性はなかなか心を開かない。

3番目の町で同い年の学生アルバイトと恋に落ちるのだが、結局実らないでその町も出て行く。どこにでもいそうで、しかし内面に何か鬱屈したものがあってという女性を蒼井優が好演。そして、旅をしていろいろな人と交わるうちにすこしづつ変化していく様子もうまく表現していた。さすが優ちゃんである。

彼女を取り巻く森山未來やピエール瀧、子役の男の子というような男優陣もよかった。

最後に“来るわけないか”といって少しふっきれたようなわずかな笑みが印象的であった。
 

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2009年4月20日

内需シフトと分社化の類似性

わが国の産業構造を外需型から内需型に変換するんだといっている。そのために、需要を喚起しなくてはいけないからバラマキをしている。これは明らかに論理矛盾を起こしているのだが気がついている人が少ない
そこで、分かりやすいかそうでないかは別として、ぼくの経験した情報子会社との類似性から考えてみることにする。

国を親会社に国内企業を子会社になぞらえてみるとおもしろい。子会社が外販を一生懸命やっていたが、なかなか利益を上げられないでいたら、親会社からもう外販をやるな、そのかわり本体のIT予算を増やすから、そこで仕事を集中させろといわれたみたいである。

親会社向けだけのビジネスだったら分社する必要はないのだから論理矛盾となるはずだ。それと同じように、国が輸出で儲からなくなってしまった会社に対して、予算を増やすから内需で食っていけよというのもおかしいのはあきらかだと思う。

そのおかしなことを15兆円のバラマキで行なっている。そんなことならみんな子会社を親会社に戻す、すなわち国有化してしまえばいいじゃんとなる。もちろん、それで社会主義国の計画経済が破綻したわけだから、そんなことはできっこない。

だから、子会社は外販をしなくては生き残れないなのだ。すくなくとも外販をめざさないと会社の体力がつかないので、勝負にもならない。

すなわち、国内の企業は、基本的に輸出をめざすべきだと思う。いやー、うちは国内だけでちまちまやればいいのでなんていう会社があったらつぶれてしまう。誤解しないようにしてもらいたいのだが、別にほんとうに外国に売らなくてもいいのであって、海外にもっていっても通用するものを作れということなのだ。

たしかに、昔なら国内だけで食えたかもしれないが、グローバル化した現代では、国内であってもたえずマーケットは世界であるということでなのだ。

こうした世界で戦っているわけで、そこに向かっていけなかったら、どんどんジリ貧になって、貧乏国になるしかなくなる。ぼくらの世代は貧乏を知っているからいいが、若い人はそれでいいのだろうか。

おそらく、そんなあくせくしないでスローライフを楽しもうと言っている人たちの多くは、いまの経済状態を前提で言っていやしないだろうか。お金のある中でのスローライフだと思える。
 
こうしたわが国の「ゆでがえる化」、「ガラパゴス化」はどうしたら直るのだろうか。
 

2009年4月21日

アプリケーションプラットフォーム~意思決定の場~

前回は、マクロワークフローとミクロワークフローとでは業務処理の性格も違い、処理の担い手も違うことを提示しました。そうした違いがあるのなら、それらの機能を実現する“場”も変えたらいいというのがここでの立場です。

従来は、これらを一緒くたに考えていて、下手するとそれを全部コードで書いていたのではないでしょうか。あるいは、あらかじめ同じプラットフォームに組み込まれたパッケージというものを使っているかもしれません。餅は餅屋というか適材適所を考えるべきであると思います。そういうことができるようになったのもSOAという概念のおかげでもあります。

さて、それではまず、ミクロワークフローである単位意思決定をどういうところで行なうかを考えていきましょう。意思決定プロセスはサイモンを持ち出すまでもなく、いろいろな情報を参照しながら、選択肢を見つけ、調整しながら最終的な答えを導き出し、業務だと承認されて終わります。

ですから、この営みをどこでやるかになるわけですが、意思決定をする“場”には、3種類のものがあると考えられます。一つは、従来のような画面や帳票回付で、二つ目が、一般的なワークフローです。そして、3つ目が、情報共有型Webサイトです。

画面・帳票は、担当者が画面を開いて、あるいは帳票を回して意思決定していくもので、一般的なワークフローは、申請(起案)-承認ワークフローと呼ばれるようなもので順番に回していくわけです。情報共有型というのは、SNS、Blog、Wikiといった参加型の仕組みを持ったWebサイトのことです。

それらをどう使い分けていくのかを検討するには、意思決定の形態について考えてみるとよいと思います。まず単独行動なのか、それとも複数の人間が関係するグループ行動なのかを考えましょう。

従来は、単独行動で行なっているケースがけっこうあったのではないでしょうか。例えば、今のシステムの画面操作を考えてください。担当のオペレータが一人で画面を開いて入力するシーンでは、少ない参照情報のもと単独で意思決定しているのではないでしょうか。

もちろん、重要なものは電話、メール、FAX、直接の会話などで調整や確認をしながら意思決定をするでしょうが、おおかたは担当の単独意思決定があり、最後に承認をもらうパターンではないでしょうか。

こうしたやり方は、一般的なワークフローもそうですが、決まりきった流れの定型的な処理であればいいのでしょうが、各所と調整をとらなくてはいけないとか、差し戻しが頻繁に起こるようなケースでは、手作業に頼らざるをえないか、複雑なワークフローを書いてわけがわからなくなるような気がします。

こうしたことを考えていくと、従来の画面と帳票はもはや役目は終えたように思うのですが、いかがでしょうか。重要なことだけではなく、通常の意思決定もできるだけ関係者の参加で意思決定ができるようにするほうが意思決定の質と速さが向上します。

現実的には、定型的なものもあるので、一般的なワークフローと情報共有型Webサイト(これをCollaborative Work Spaceと呼びたい)の組み合わせになると思っています。

次回は、マクロワークフローの実現の場を中心に議論していいます。
 

2009年4月22日

Web2.0の適用

いまビジネスプロセスパターンで意思決定の場として、Collaborative Work Space ということを提案しています。それは具体的には、SNS、Blog、WikiといったWeb2.0技術を使った情報共有サイトを指しています。
ここで、なぜそうした技術や機能を使うのかということを考えてみましょう。

あるところで、もうWeb2.0という言葉は使わないほうがいいのではと言われた。そうした言われ方には、もう陳腐化して使い物にならないということと成熟して当たり前になったという2つの解釈が成り立つのですが、Web2.0の場合はどちらでしょうか。おそらく後者のことだと思います。ネットの世界では当たり前のように若い人たちは使いこなしています。

このWeb2.0がもたらした変化は何だったのでしょうか。従前のものとの違いは何なのかをみると、3つの大きな特徴があると考えています。

1) 双方向コミュニケーション
2) オンデマンド
3) ハイパーリンク

双方向コミュニケーションというのは、言い方を変えると、だれでもが情報発信できる手段を持ったということです。これまでは、マスメディアにみられるように普通の人は一方的に情報を受信するだけでした。

それが、一方通行ではなく、双方で情報の行き来ができるようになったわけです。そこから、集合知だとか参加型のコミュニティができました。コミュニケーションの広がりや知識の獲得が容易になったのです。

オンデマンドというのは、好きなときに好きなところへアクセスして情報を得ることです。テレビの例でもわかるように、こちらの事情には関係なく情報を垂れ流してきます。自分の生活のリズムをそちらに合わせなくてはいけないという変な関係でもあったのです。

いまや、テレビもとりあえずHDDで全部録画しておいて、後から好きな時間に見るといったスタイルも増えてきています。人間は機械に使われるのではなく、人間が機械を使うという主体性を持ちたかったのです。

ハイパーリンクはインターネットの基本のところで、当たり前と思っている人が多いと思いますが、実はこのおかげで情報へのリーチとスピードが格段に向上したと思いませんか。

そうです、このリーチとスピードを得たことで「フラット化した世界」が現出したのです。それは組織のヒエラルキーを破壊することを意味し、閉じられた情報を握っているからこそ高い地位にいる人たちの存在感を薄めて行きます。

こうしてみると、企業の中でも非常にインパクトを与えそうな変化がもうネットでは当然のように起こっていて、それは人々にメリットを与えているのです。何よりもそういうスタイルが確立してきているのです。

ですから、これから企業にもどんどん若い人たちが増えてくるわけで、仕事のやり方も変わらざるを得ないわけで、そういう意味でWeb2.0技術を使ったCollaborative Work Spaceはこれから必須になっていくように思うのです。いいものは早く使いましょう。
 

2009年4月23日

いまさら聞けないBPM

いよいよ、本日BPMオフ会です。前に案内しましたように、1次オフ会がOracleOpenWorldの”Unconference"の一環として開かれます。それが終わったあとが、2次オフ会で近くの居酒屋で行なわれます。

最初のオフ会は「いまさら聞けないBPM」と題して、6人のスピーカがそでぞれの立場でBPMについて話すことになっています。

ぼくも、その一人として「ビジネス視点、ユーザ目線から見たBPMがもたらす価値と変化」ということで、この価値と変化を理解しないでBPMを導入しても何も起こりませんよと言おうと思っています。他の5人も熱い人ばかりなのでおもしろいことになること請け合いです。

2次BPMオフ会の楽しいのは、ビールを飲みながら、年齢や会社を越えて和気藹々おしゃべりができることです。ぼくは、いつもほぼ最年長ですが、息子みたいな歳の子達と普通に話すと若返ります。

さて、今回は1次オフ会の模様が何とネット中継されます。会場に来られなかったひと是非見てください。
http://www.ustream.tv/channel/otn_japan
 
 


2009年4月24日

第5回BPMオフ会

昨日は、5回目となるBPMオフ会があった。今回は、通常の土曜日開催ではなく、平日午後5時からということで、若干趣が変わっていた。しかも、第1部がいま東京国際フォーラムで開かれているOracle Open Worldのなかで行なわれた。

昨日、ご案内したとおりぼくを含めて6人のスピーカーによる「いまさら聞けないBPM」というテーマのプレゼンである。ひとり10分だから、簡潔にしゃべらないといけないので難しい。スピーカーの皆さんそれぞれ違った角度からのトークでまあまあだったのではないだろうか。まあ、羽生さんのファシリテーションで助けられた面が多分にあるのだが。

その羽生さんも言っていたが、Oracle Open WorldでもSOAという言葉は結構あるのだが、BPMは少ないように思う。もう少し浸透しているのかと思っていたが、このセッションの最後に質問を受けたら、“このBPMというのは何の略ですか?”というのが飛び出してびっくり。どうも途中から参加した人だったのだが、Oracleのフォーラムに参加している人の中にでもBPMをご存じない人がいたことに少し驚いてしまった。

近頃は、BPMの認知度が高まって、以前はBPMとはということの説明から入ったが、最近では、それをとばして、BPMをどう使っていくのかというところからはいっていけるようになったと言っていたのでありゃーとのけぞった。

その後は、帝国劇場の地下のそば屋で楽しい2次会です。今回は、最初に言ったように従来と変えた形式だったので、初めて参加するという人の方が多かった。そして相変わらず若い人が多く、一緒に参加したMさんがぼくより上だったのでかろうじて最年長は免れたが、親子のような年齢差である。

しかし、酒が入れば歳の差なんか関係なく熱い会話が飛び交うことになる。いつも言っているように、こういうオフ会は目的というか、関心事のベクトルが合っているから、初めて会ってもすぐ打ち解けて話せる。そして、お互いが勉強になる。いつものように楽しい夜であった。


2009年4月25日

捌き屋

“さばきや”と読む。浜田文人原作の小説である。実は著者である浜田文人さんとはときどき行きつけの店で会う人で、ぼくよりひとつ下ですが、ほぼ同年代、すなわち団塊の世代である。だから、昔の話をするとぴったり合ってしまい、ついそのあたりの話が中心となる。

そんな浜田さんが書いた本を読まないわけにいかないので(ちょっと不純だが)、遅まきながら「捌き屋Ⅰ、Ⅱ」(幻灯舎文庫)を続けて読む。

捌き屋という言葉も存在も聞きなれないが、要するに表に出せない組織間のトラブルを解決する交渉人のことである。ただ、それを“捌く”という言葉を使ったところに、その存在をうまく表現できているように思う。

単に“交渉人”では、ビジネスライクに渉りあって、強弱や正邪の結果で交渉が決まるようなイメージになるが、“捌き屋”というと、理屈とか、規範とかそうした枠ではなく、清濁合わせて落としていくという感じで、まさに裏社会を捌く。

こういう小説の重要な要素は、主人公のキャラクターである。そういう意味で、主人公である鶴谷康は魅力ある人物に描かれている。もちろん、頭は切れて、胆力溢れ、女に持てるのは必須であるが、不幸な過去をひきづるニヒルさも併せ持ち、その非情さの奥に一瞬見せる優しさがいっそうの魅力となっている。

「捌き屋Ⅰ」では、神奈川県の下水道処理場にまつわる建設業界を中心にした疑惑を、「捌き屋Ⅱ」では、新薬開発をめぐる製薬会社や教授、役所、医師会などのごちゃごちゃした関係を捌いていく。その、トラブルを少しずつ解いていくプロセスが非情にスリリングでおもしろい。

鶴谷康の周辺に登場する人物も魅力をもっていて、特に子供のときからの親友である白岩光義、彼はれっきとしたヤクザであるが、大阪大学出身のインテリとして描かれ、時として主人公を支える役回りである。

もうひとり、藤沢菜衣という銀座の一流クラブのママも主人公の重要な情報源として登場してくる。昔は鶴谷とは恋愛関係があったが、今はそうした関係ではなくなっても、依然として乾いた親密さを保っているという設定である。この二人とのからみのなかから、鶴谷の過去が少しずつあぶりだされるという仕掛けなのである。

ぼくは、比較的こうした小説は読まないほうなのだが、意外とというと浜田さんに怒られてしまうが、見直してしまった。最近では、草食系男子がもてはやされる時代だそうだが、この主人公の鶴谷康のようなハードボイルドダンディー(肉食系男子というのとちょっと違う)もいいものですよ。
 

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2009年4月26日

おくりびとの再評価

ちかごろばあちゃんが怒っていて、何かというとテレビの番組がおもしろくないという。相撲があるとまあまあいいのだが、終わってしまうと、水戸黄門しか楽しみがない。それも金曜日と土曜日はやらないのでその日はぼくの仕事を邪魔しに来たりする。

ところが、この間の東スポ映画祭のこともあって、「おくりびと」に興味を持ち出して、手放しで観たいというわけではないが、何となく観たいそぶりをする。それで、DVDを借りてきて見せてやった。そうしたら、真剣に観ていてすごく喜んだ。山崎努の演技もぼくと同じような感想を言っていた。

それで、もう一度あの映画のよさみたいなことを考えてみた。アカデミー賞外国語作品賞の審査委員長はつぎの4つのことを評価していた。

1. 儀式の美しさ
2. 親子の絆
3. 夫婦の愛
4. ユーモア

なるほど、これだけのことが詰まっていれば、日本人だけではなく外国の人たちにも受けいれられるなあと思う。

でもう少し日本的な見方をしてみると、「矜持と諦念」という言葉が浮かんできた。簡単に言えば「誇りと諦め」みたいなことになってしまうが、まあ矜持というのはその通り自信と誇りを持とうよということだが、諦めというのは、五木寛之の言うように、投げ出すことではなく、「明らかに究める」ことだと思う。

ですから、映画では、本木雅弘が演じる主人公がチェロ奏者を“諦め”自信と誇りを失ってとき、明らかに究めることを知った山崎努演じる納棺師の社長のもとで、みずから、自信と誇りを取り戻し、明らかに究めることができた物語としてのすばらしさが際立っていたのだと思う。

そんなことを再び考えさせれる映画である。
 

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2009年4月27日

パラダイムシフトの正体(1)

先日のBPM協会コンポーネント部会は、季節がらなのかニューフェースが4人も出席して、新旧メンバーによるBPMへの思いを話しあった。

そこで話をしながら、あるいはその後のディスカッションで改めて、そうだ今唱えている「プロセス志向」はすごいパラダイムシフトを起こさせるトリガーになると意識させられた。

単にプロセス志向で業務システムを開発しましょうということでは全くないのである。プロセスを中心においた途端にその周辺のもろもろのことについて、従来とぜんぜん違う考え方をとらないとやっていけなくなる。

例えば、プロセス志向におけるデータベース設計はどうするのか、画面設計はどうするのだ、そもそも従来と画面のイメージが変わるかもしれないとか、開発プロジェクトの構成も進め方も違うだろうというようなことである。

まずは、影響を与える領域はどんなところがあるのだろうか。

1)要求分析・定義
2)プロセス設計・I/O設計・データベース設計
3)開発・製造
4)システム構築プロジェクト
5)保守・運用
6)要求人材・スキルセット
7)ユーザとベンダーの関係・収益モデル

こんなところが浮かんできます。おそらく、上記の全領域に少なからずのインパクトを与え、従来の考え方と大きく変わっていくのではないかと思っている。

これから、そこのあたりを少し詳しく見ていきましょう。ただし、他にもシステム構成とかクラウド・SaaSなどのインフラとかもあるかもしれませんが、それはプロセス志向に限った事ではないので言及しません。

どうも見わたしたところプロセス志向のための開発方法論がまだないと思うので、みなさんよく考えてほしいのだが、とりあえず我流であるが自分が思うことを書いていくことにする。
 

2009年4月28日

アプリケーションプラットフォーム~業務フローを制御する場~

さて今回は、マクロワークフローの実現の場を中心に議論していきます。マクロワークフローというのは、意思決定の場で決められたことを受け取って、次の単位意思決定に流す役割を担っています。

前回あまり言っていなかったのですが、単位意思決定の場は、ミクロワークフローと言っていますが、むしろワークフローというより、ステータス(状態遷移)制御の方が理解しやすいと思います。

すなわち、最初は決定してほしいという素案が提出されます、その素案のステータスがだんだん遷移して最終的に確定・承認というステータスで終わるわけです。

一方、マクロワークフローの方は、上述したようにフローを制御します。分かりやすく言うと何かを決めてくれと依頼して、その結果を受け取ったら、つぎに決めなければいけなことをまた依頼していきます。

その順番や、場合によっては分岐したりということ、あるいはBPMらしくということであれば、滞留を検知して早く処理するように催促したりするわけです。

このフロー制御の場はBPMSになります。BPMS(Business Process Management Suite)は、BPMを実行するための機能群のことで、そのなかには、必要最低限の機能とあった方がいいものや徐々に高度化していくための機能があります。

モデリングやモニタリングなどは後者にあたり、これらの機能を初めから全部使ってBPMを実践する必要はありません。ですから、ここで言うフロー制御の場は、必須機能であるBPM実行エンジンとワークフローとなります。

最近では、BPMSは市販のものからオープンソースのものまで数多くの製品があり、搭載機能もいろいろです。ではどれを使えばいいのでしょうか。

ここでよく考えてほしいのは、2段ワークフローという考え方を採用した場合のBPMSは一般的な評価でいいのかという問題です。いま出回っている製品はこうした考え方に基づいて作られていませんので、既存のBPMSのもつ機能がどうのというより、2段ワークフロー方式が要求するものから見てみます。

必要な機能は、前述したように依頼と受付というイベントを回すことですから、とりあえずは必須機能であるエンジンとワークフローがあればいいと言っているのです。言ってみれば、多くの機能があるよりも非常にシンプルで頑丈なエンジンでいいのです。そのあたりが選択のポイントになります。

しかしながら、それだけでもないケースももちろん出てきます。たとえば他システムやデータベースとの連携があります。また、業務ルール管理やBAM(Business Activity Monitoring)などです。ただ、こうした機能はビジネスプロセスパターン研究とは少しずれてきますのでここでは議論しないことにします。

ということで、業務フロー(マクロワークフロー)はBPMSの必須機能であるプロセスエンジンとワークフローを使って制御することになります。
 

2009年4月29日

実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)

この3時間10分という長さの長編映画をどう“総括”していいのかわからないでいる。見終わってぐったりしてしまった。そんな「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」はあのピンク映画の巨匠若松孝二が渾身の力を込めた作品である。

ぼくはまさにリアルタイムであの時代を生きていたから、そのころの雰囲気をよく覚えているが、確かにあの狂気が生まれても不思議ではないように思える。そのあたりは、いまの若い人には理解できないかもしれない。

あの壮絶な組織に似たものとして、軍隊、ヤクザなどを連想させられるが、どうも違うような気がする。同じ兵士ということでいえば軍隊なのかもしれないが、軍隊は兵士を殺しやしません。だから連合赤軍は軍隊ではないのです。ヤクザは合理的です。しいてあげればオウム真理教あたりであろうか。

しかし、それだからといって何の説明にもならない。そして、そのころの話を書いたところで意味もない。もう、そういうことがこの日本で起こったという事実でしかなく、映画でも描かれたように、いくら総括したところで終わらせることができないのである。“総括”とは、多分に恣意的であるから、皆が腑に落ちることがないのである。

多分、いろいろな人がいろいろな見方で見るから、多くの人が登場するので混乱するとか、どうして森と永田がリーダになったのかがわからないとか、評価も分かれると思うが、学生側から描いたということと、それをわりと客観的にみていることは評価できると思っている。

ということで、内容が重いので口も重くなってしまった。最後に印象的なのは、なんといってもあさま山荘が落ちるシーンで加藤弟が言う“あんたたち勇気がなかったんだよ”と言うセリフであろう。何だかずうっと引きずる映画である。

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    • 4 若松孝二 ひさびさの重量弾
    • 4 買いですが・・・。
    • 3 映画作家としての魂を感じました。
    • 2 実感をともなった感想として
    • 4 思想的な背景よりも、組織として崩壊していく過程が印象的
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2009年4月30日

ビジネス臨床学

この未曾有の経済危機に対して経済学というものが役に立っているのだろうか。経済学というくらいだから、学問なわけだから、ある現象をみて、この現象はこういう原因で起きているから、こここう直せばよくなるという処方を示せると思っていたら、どうもそうではないらしい。

政府の大型財政出動をやれやれという人もいるし、その反対のことを言う人もいる。すぱっとわかるようなものではないらしい。じゃあ、どうして経済学なんてものがあるんだろうかと思ってしまう。

経済学といっても範囲が広く、行動経済学というようなものがあるかと思うと金融工学のようなものもある。心理学もありゃ工学もあるというわけである。しかし、どれをとっても自然科学に近いようなものではなさそうだ。

どうしてかというと、現象を起こす要素が多すぎて、しかも複雑に絡み合うからきっと大変難しいのである。だからこういうものは、うまくいっているときには、あたかも説明できたように感じるが、うまく行かなくなったときには役に立たないことになる。

これって、実は医学も同じことが言えて、病気になって初めて、医学が登場してくるが、ちゃんと論理的に治療できるわけではない。結局、乱暴な言い方をすると、同じような症状の人が前にいてその人は、こうした処方をしたらうまくいったから、それと同じようにしてみますというのが、採りえる方策となる。これを臨床医学という。

経済についても、病気になったら過去の状態と照らし合わせて対処法を考える態度が必要だと思うが、今の状況に置き換えると、アメリカは過去の日本の状況を反面教師としてそこから学ばなければいけないのだが、その評価がまちまちなのである。

おそらく、そうした病気をちゃんと総括していなかったのではないのだろうか。ほんとうの原因やほんとうに効いた対策などの見極めをしていなかったのではないかと思う。

さらに、飛躍して言うと、化学工場におけるプラントでも似たようなことが言える。化学プロセスというのは、ほかの生産プロセスと違って、目的の製品が狙い通りにできないという特徴がある。ちょっとびっくりするかもしれませんが、これだけ科学技術が進歩してもできないのです。なぜかと「化ける」からである。

こうしたプロセスでは、きちっと予測できないので、どうするかというと「臨床」的にみるのである。ある原料を仕込んである条件で処理した結果のデータを解析して、次に生かすというようなやり方である。

これらのことを、業務プロセスでも考えたほうがいいと思う。すなわち、業務プロセスを動かしてみて、その結果をうまくいったものも、うまくいかなかったものも全部蓄積し、そこから、その時点での処方箋を作っておいて、データが増えるたびにアップグレードするといった動的な仕掛けである。

ついつい今やっていることに結び付けてしまうが、どうも突き詰めていくと本質的なところでは共通した考え方に収斂していくことがあるという思いが強くなるのである。
 

 

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