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2009年2月 アーカイブ

2009年2月 1日

5世代会

還暦の時というと同窓会やら同期会が急に増える。いくぶん、自らで増やしていることもある。昨年半ばから、高校の1年、3年のクラス会、高校のサッカー部の還暦を祝う会、そして年があけて大学のサッカー部のOB会、元の会社の同僚という具合に毎月のように懐かしいひとたちと会う機会があった。

昨日は新宿で大学のサッカー部の5世代にわたる人たちの集まりを行なった。5世代というのは、ぼくの3つ上と1つ下の世代である。高校も大学もサッカー部の集まりはいずれもぼくが幹事をした。よくやるねえと言われることもあるが、自分で企画したほうが楽しくなると思っているので、どうしてもそうなってしまう。

昨日は34人の参加があった。ぼくは、最近けっこうこうした会に参加していたのでおおかたの人は知っていたが、それでも卒業以来というひともいて、その変わりようにびっくりしたりした。

いつものことながら、最初はよそよそしかったのがだんだんと学生時代そのままが出てくる。そして、みんな昔のことをよく覚えている。

当然、勉強のことではなく、サッカーのこと麻雀のことダンパ(ダンスパーティのことです)のことなどが話題の中心である。びっくりしたのは、いまだに試験に落ちて卒業できないという夢にうなされることがあるという、ぼくも思わずおれもそうだとうなづいてしまう話や、コンパ(飲み会です)で踊った話、合宿で塗られたサロメチールの話やらで盛り上がったのである。

でもやっぱり、まだみんなサッカーに関わっていて、いまだに現役でやっている人もいるし、子供がやっているとか、少年サッカーの指導をしているとか、そんなスピーチが多かった。楽しかったので続けてやろうと言われて幹事としてすごくうれしかった。お疲れ様でした。
 

2009年2月 2日

私家版業務システム変遷史 ― 2000年

さて、この年の初頭に分社化をする。全員出向というかたちで新会社に移籍した。

企業理念や経営方針といったものは重要ではあるが、情報子会社だから自ずからだいたい決まってくるので、むしろどういう形態の会社にしていくかが難しい。提供サービスを何にするのか、誰を顧客とするのか、人材育成をどうやるのかといったことをきちんと決めなくてはいけない。そして、前回にも言ったが“自立するとは、あるいは自立できるのか”を追求していく必要がある。

当たり前ですが、まずは親会社にとってメリットがある子会社になるのが最優先である。それはコスト削減に他ならないのである。

実は、1980年代に分社化ブームみたいなことがあって、その時はどちらかというと多角化という考え方だったように思う。ですから、コスト削減というより、新規事業創出といった文脈で語られていたと思う。しかしながら、そうした情報子会社で企図したように育った会社は少なかった。従って、2000年における分社化の目的はコストダウンにならざるを得ない。

それとも関連するが、単体経営から連結重視へと変わるときでもあったことが影響している。グループ経営という考え方が前面にでてきたのである。

当時はまだグループ会社はIT部門があるところはほとんどなく、しかもIT化も遅れていた。連結経営では、こうしたグループ会社の収益が相対的に重要さを増すわけで、それにはITによる経営効率の向上が望まれることになったのである。

そこで出てきた当面の施策はこうしたグループ会社への貢献を目的としたもので、親会社の情報子会社がグループ会社のIT化を促進させることになる。

ですから、ターゲットはグループ会社です。そして、そこに対してどういったサービスをどのように提供したらよいかになるわけです。その時、打ち出したのが、「Total Solution Provider」、「Application Service Provider」、「Outsaucer」という概念です。

要するに、IT部門を持たないところにはなんでもトータルで面倒みてあげることが必要である。

さらに、自分たちのところにシステムを置いて運用管理はできないから、業務アプリケーションをネット経由で利用させることにした。当時は、まだASPという言葉もあまり聞かれないし、実際にやっているところはほとんどなかった。あるベンダーにこの計画を話したときにそこの社長が「ああ、本当にやろうとしている会社があるんだ。まだ言葉だけかと思っていた」といわれたことを覚えている。

今では、SaaSというかたちで定着しているが、当時は手探りで始めたのである。ネットワークの敷設から、PC配布、Web化などなど大変苦労した。

さらに、アウトソーシングという考え方である。これには、二つの方向があって、受けるほうと出すほうである。どういうことかと言うと、グループ会社に対しては、アウトソーサーとして振舞うが、自分たちの業務で外に出せるものはアウトソーシングするという形である。

実際にもグループ会社には、システム運用から業務アプリケーション、OAに至るまでのフルアウトソーシングを指向し、出すほうとしては、メインフレームの運用を大手ベンダーのアウトソーシングサービスに出したのである。

このアウトソーシングは、単なるコストダウン(大幅なコストダウンを達成した)だけではなく、分社化後の重点はメインフレームの運用といったような守りの業務から、グループ会社の開発も含めた業務系へと移す必要があったため、リソースの再配分をおこなったのである。

こうして、コストダウンを図りながら、一方でその原資の一部を使い、グループ会社向けの業務アプリケーションパッケージを導入していったのである。このあたりの話は次回にする。
 

2009年2月 3日

悩む力

かなり売れて評判になっているので、こりゃ読まないわけにはいかないと思い姜尚中著の「悩む力」(集英社新書)を手にする。

なかなかよく書けているし、それなりの説得力があるので、多くの人が読むというのがわかるような気がする。

内容は、目次を並べるとどんなことが書いてあるか瞭然であるが、そこから追っていこう。

序章 「いまを生きる」悩み
第一章 「私」とは何者か
第二章 世の中すべて「金」なのか
第三章 「知っているつもり」じゃないか
第四章 「青春」は美しいか
第五章 「信じる者」は救われるか
第六章 何のために「働く」のか
第七章 「変わらぬ愛」はあるのか
第八章 なぜ死んではいけないのか
第九章 老いて「最強」たれ

こうしてみると、ぼくもそうだったが若いときにいつも心の中で自問自答するようなことである。それを、著者は夏目漱石とマックス・ウェーバーを引合いに出しながら考えている。そして、在日として生まれた著者自身の人生も重ね合わせて、姜さんの佇まいと同様に、静かな語り口で訥々と訴えかけてくる。だれでもが癒されるような、そんな本である。

それぞれについて書いても紙数がないので、なんといってぼくにとっては最後の章が印象深い。著者はぼくより2歳年下でほぼ同年齢であるが、老人についてこう述べています。

かつて「老人」の持っている力は社会の暴走の歯止めになる、つまり「安全弁」になると考えられたものでした。しかし、いまわれわれの世代がもう少し年を取ったとしても、社会の安全弁などには、おそらくならないでしょう。「老人は権威によりかかる」とか、「老人は保守的である」とか言われてきましたが、今後はそれもあてはまらなくなる可能性が高いのです。 ゆえに、これからの「老人力」とは何かと問われたら、「攪乱する力」である、私は答えたいと思います。 子供はどんどん減っていきますが、老人はどんどん増えていきます。ですから、この社会は、もしかするとアナーキーなほうに向かうのではないかという気も少ししています。 とはいえ、これは悪い意味で言っているのではありません。老人の「攪乱する力」は、生産や効率性、若さや有用性を中心とするこれまでの社会を、変えていくパワーになると思うからです。

そして、著者がこれまでやってこれなかったことをやってみたいといって提示したのが、役者をやりたいこととハーレーを乗り回したいことだそうだ。ちょっと映画「最高の人生の見つけ方」に似ている。

そうなんですね。若いときから悩みぬいて、齢を重ねた結果、怖いものがなくなり、ある種の達観した気分になり、しがらみのない生活を希求するのはすごくいいことではないかと思う。死に近づくとマイナスの気持ちにあるのではなく、プラスにもっていく気持ちが大切であるのだろう。

この最後の章の悩んで突き抜けるためにも大いに悩もうじゃないかというメッセージを実感として感じたのである。最後に、その最後の言葉もすばらしいので載せておく。


若い人には大いに悩んでほしいと思います。そして、悩みつづけて、悩みの果てに突きぬけたら、横着になってほしい。そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらないし、未来も明るいくない、思うのです。

さしづめ昔のサントリーのCMじゃないが、「みんな悩んで大きくなった」といきたいものだ。さあみなさんがんばりましょう。
 

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2009年2月 4日

チェ 28歳の革命

チェ・ゲバラを知っている人はもうかなりの歳のひとになってしまう。フィデル・カストロはキューバの首相ということで割りと知られているが、ゲバラは39歳という若さで死んだこともあって、人々の記憶も薄れてきたように思う。

ぼくは、キューバ革命はカストロよりゲバラのほうが強い印象がある。それは何といっても「ゲバラ日記」の存在が大きい。この本を読んだ時の衝撃はすごいものであった。

少し前置きが長くなったが、「チェ 28歳の革命」を観る。2部作の最初の作品で、もう続編の「チェ 39歳 別れの手紙」が公開されているので、早く前編を観ておきたくて出かけたのである。

やはりというか、もう初めから入れ込んでいる自分がいて、自分の若かりし頃のことも重なり合ってじーんときてしまう。

何と映画が始まる前に、ゲバラをよく知らない人のために簡単なゲバラ紹介映像が流れたのである。アルゼンチンの裕福な家に生まれ、中南米を放浪し、メキシコでカストロと出会いとか、そんな説明が入るが、でもこんなことはWikipediaで調べればすぐわかるからよけいなことのように思える。

それはそれとして、やはりゲバラはすごい。革命とはこういうものだという強いメッセージがある。それは、決してイデオロギーではなく、戦うことであり、「祖国か死か」という究極の選択のことである。あのころは皆これに酔ったのだ。

映画でもそうだが、思想がどうのこうのといったものではなく、抑圧された国民を解放するという割と単純な思いがあったような気がする。

映画としては、米国に行って、国連演説やインタビューを絡ませながらハバナに侵攻する様を描いていて、これが成功していると思う。単に革命闘争を追うだけだとわかりずらいと思うので、そこをうまく捌いていた。

ただ、ぼくの個人的な思いでは、ゲバラは少数でのゲリラ戦のイメージが強く、その不屈の精神をゲリラ戦で感じていたので、そこの描写が少なかったのでちょっと物足りなさがある。

ぼくはそのゲバラのどんな逆境にも絶対に負けないという強靭な精神にえらく感動し、自分もそうした強さを持たなくてはと思った記憶が残っているので、そこを描いて欲しかったが、そうしたら3部作になってしまうのでしかたないのかもしれない。

続編が楽しみだ。
 

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2009年2月 5日

福竹再訪

池上線の蓮沼駅近くにあるお好み焼きの「福竹」は、従来のお好み焼きのイメージを覆す店である。昨日は、2度目の訪問である。今回は下の息子とふたりで行く。

この店の特徴は、何といってもおカミさんの個性である。おカミさんを語る前にその店のシステムを言うと、ふつうお好み焼きは自分で焼くものだと思うでしょうが、ここでは客は手をふれてはいけない。おカミさんが最初から最後のお皿にのせてくれるまでやってくれる。客は時計見ていて時間がきたら知らせるだけだ。

それで、そのお好み焼きを焼いてくれている間ずっと、おカミさんがしゃべり続ける。これがまたエンターテインメントなのだ。単におしゃべりしているわけではなく、それにより実際に口に入れたときの美味しさを演出しているのだ。

このおしゃべりがまたプロで、明石やさんまの手法を取り入れているからたいしたものだ。まず、お客さんの中からいじる相手を一人選ぶ。そのお客をターゲットにいじめつつもちあげつつしゃべり続ける。昨日も、うちの息子が指名され、社会人1年生だから仕事のしかたから上司の選び方までいじり倒してくれた。

こういうのを嫌がるひともいるが、これは明快で嫌なら来るなだから、そんな客にはにらみをきかせれば2度と来ないと言っていた。まあ、昔よくいたお節介おばさんというところだ。

おカミさんが他のお客のところにいくと娘さんがきてくれる。そこでほっとする。そしたら、息子が失礼にもおいくつですかと聞いてしまった。そうしたら、だいぶ躊躇しながら40ですと答えたのはびっくりした。それだけ若く見えるということで、ことさら息子はちょっと年上のおねえさんと思ったらしくがっかりしていた。という余談。

お好み焼き以外にもはんぺんやピーマンを焼くときにもそのうんちくはとどまるところを知らず、息子はもう感嘆の声を上げる。

そんなおカミさんトークを聞きながら腹いっぱい食べて呑んでひとり4000円なりで店をあとにしたのである。
 
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2009年2月 6日

私家版業務システム変遷史 ― 2001年

前回書いたようにその頃からこれまでの単体経営重視から連結決算、グループ経営重視に舵が切られていた。会計監査ももちろんそういう見方になった。すなわち、親会社の損失を子会社につけまわすなんてことができなくなったのである。

これは、大きなインパクトで、親がちゃんと子の面倒をみなくてはいけないということなので、それまでは、論功行賞的な人事で子会社の社長を充てていたのを、きちんと経営できる人材を送り込まなくてはいけないというふうに変わっていった。実務的にも親会社のリソースやノウハウを子会社にトランスファーすることが求められるようになった。

情報システムに関しても、前回書いたようにグループのアウトソーサーとして振舞うことが重要になった。アウトソーサーというと、どちらかというとインフラを考えてしまうが、インフラだけではなく、アプリケーションの領域まで拡大する必要があった。そうなると、共同利用になるわけだから、標準のアプリケーションを設定して、それらを各社が使いまわすことが効率的である。

当時は、一部親会社のメインフレームの業務システムを子会社が使うことをやっていたが、それをこれから拡張するわけにはいかないので、新たな共通システムをもってこなくてはいけなくなった。

さて、それをどう調達するのかである。それというのは、基本的には製造業なのでサプライチェーンの仕組みである。選択肢としては、手組みで作るか、パッケージを買うかである。もちろんまだ、SaaSという形態はなかった。その当時の雰囲気はもう手組みの時代ではない、パッケージを使って安く早く作る方が得策であるということであった。

そして、ある中堅ベンダーのパッケージを決めてそれらをカスタマイズして使うことにした。しかも、Javaで走るWeb対応のもので、ASP型のサービス提供である。おそらくこんなことをやっていたところはほとんどなかったのではないだろうか。案の定、大変苦労して何とか動かした。苦労はパフォーマンスの問題が大きかったが、開発で各社の要件をどこまで入れ込むかといったことも難しい問題であった。

連結重視のグループ経営といってもまだまだそれぞれの会社の固有性や“癖”みたいなものを無視するわけにはいかないし、どうしてもカスタマイズが発生してしまう。

このあたりが非常に難しいところで、標準と固有のバランスをどうとるのか、標準に寄せるときのガバナンスをどう効かすのか、ずいぶんと悩んだものだ。

で結局、そのパッケージは数社に入れたあと、もっと自分たちの融通が利くようにするため、自前のパッケージを作ることにした。もともとそうした技術力はあったが、コストとのかねあいでパッケージ導入に踏み切ったのだが、変更が多くなるとそのための期間とコストもばかにならなくなるため、かえって自前のものにしたほうがよいという結論になった。

これは、モチベーションの問題にも関係していて、お仕着せのものから自分たちで作り上げることで意欲も上がることが大きかった。

そんなわけで、開発フレームワークを作り、それをもってグループ会社へ展開したのである。

2009年2月 7日

ヒトラーの贋札

この映画は、実際に第二次世界大戦中にナチスドイツが、イギリス経済を混乱させるために、ザクセンハウゼン強制収容所でユダヤ系の技術者を集めて、ポンド紙幣の贋札を作ったという実話に基づいている。いわゆる“ベルハルト作戦”と呼ばれたものである。

さすがに、実話に基づいているのでリアリティがあるし、迫力がある。主人公は贋札や偽造パスポートを作ったりしていた絵描きである。それが、ナチスにつかまり、彼を捕らえた警備隊のやつが、収容所にいた主人公を呼んで贋札をつくらせたのである。

そこで、当然のように、その贋札つくりに協力するものと、それに抵抗するものとの葛藤が生じる。しかし、ここでは反抗することが即処刑につながるから、生きるためには妥協するしかない。しかし、それは自分の信条に反し、自己否定することになるわけで、その争いは静かで切実なものとなる。

戦争という異常な世界では必ず起きることで、戦争映画というのはここを描くことにあるといっても過言ではない。

この映画で、特徴的なものは、その主人公が犯罪者であったということであろう。犯罪者にとっては、主義信条というよりただ生きることを優先すると思われる。それが、徐々に犯罪者の姿から素の人間へと変わっていく様が映し出される。

それが、戦争が終わってギャンブルをする最後のシーンでその心情がにじみ出る。この作品は第80回アカデミー賞の外国作品賞をもらっている。さて「おくりびと」は受賞できるだろうか。

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2009年2月 8日

ジョークで読む国際政治

ジョークというのは、日本人はホント下手である。もちろんぼくも日本人だからうまくはない。でも外国人はなかなかうまい。日本人はジョークをつい“冗談はよし子さん”(これもジョークですけど、わからない人のために。このセリフは林家三平の口癖だった。え、単なる駄洒落ですか、どうもすいません。)のように不真面目ととる人が多い。

ただ、堅苦しい場が、気の効いたジョークによって和やかな雰囲気になることもある。そんなジョークを集めて国際政治をながめようという本がある。「ジョークで読む国際政治」(名越健郎著 新潮社新書)である。著者は元時事通信社で多くの海外勤務をして各国の政治をみてきたひとである。

この本の評はいちいちジョークを取り上げてどうのと言うわけにはいかないので、各地域ごとにまとめてあるので、その中でぼくが一番と思ったやつを列挙してみよう。

アジア
三人の韓国人が話し合っていた。
「われわれは何かというと、すぐに日本人のせいにしてしまう」
「その通りだ。一体なぜなのだろう」
「わたしにもわからない。なぜ何事も日本人のせいにしてしまうのか」
その三人がやっと結論に達した。
「われわれが日本人のせいにするのも。やはり日本人のせいなのだ」

アメリカ
初代ワシントン大統領は、嘘をつくことができなかった。
ニクソン大統領は、真実を語ることができなかった。
クリントン大統領は、嘘と真実を区別することができなかった。

欧州
世界で一番薄い本は-。
米国の美術史。
中国の人権史。
英国の料理本。
フランスの戦勝記。

ロシア
クレムリンの秘密会話-。
プーチン「わたしは2008年に退陣する。後継者3人公表したい」
パトルシェフ「ポロニウムを二人分用意するまで待ってください」

中東
ブッシュ大統領が中東問題で演説した。
「中東和平を前進させるには、イスラエル人とパレスチナ人がクリスチャンのように行動すべきだ」

おまけ(政治には関係ないが)
ビル・ゲイツ会長が自動車見本市を訪れて言った。
「もし車の開発技術がコンピューター並みのスピードで進んでいたら、時速1万キロの車が誕生しただろう」
これを聞いたフォード社の社長が言った。
「1日3回フリーズする車に誰が乗るものか」

どうです、これだけでも面白いでしょ。そんなジョークがいっぱい詰まっていて大変楽しい本ですからぜひ読んで気の効いたジョークの一つでも言ってみてください。

最後に、すぐれたジョークをつくるコツは、故米原万理に言わせると「意外性と機転、マクロとミクロの反転、詐欺にも似た錯覚」だそうだ。
 

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    • 3 お手軽な世界情勢の教科書
    • 5 通勤電車の中で手軽に読める良本
    • 4 『世界の日本人ジョーク集』より面白い
    • 4 面白い読み物として
    • 3 暇つぶしに丁度よい、楽しめる本
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2009年2月 9日

透明になるIT

ついちょっと前に日比谷のシャンテで映画を観たあと定番の銀座の「M」に行く。そこで女性バーテンダーのかおりちゃんとITについて軽く議論をする。

話題は、近くの医者に行ったときの話である。診断してもらうのはいいのだが、最近どうもパソコンが導入されたようで、そのパソコンから患者のデータを参照して、その診断結果や処方を入力するようになったそうだ。

ところが、入って間もないこともあり、先生が習熟していないのだ。だから、画面にエラーがバンバン出ているのが見えて、その対応に追われて患者のことなど忘れてしまっているのだという。そんなのあとからやればいいからとりあえず紙にでも書いておいてくれないかなあと思ったそうだ。

そういえば、ぼくも同じような経験があって、偉い年寄りの先生がやはり入力のし方がわからなくて、横の若い女医さんが見るに見かねて私が入れましょうかと言っているにもかかわらず、いいからとか言って悪戦苦闘していたのを思い出した。

結局どちらもパソコンにお医者さんが使われているように見えるのである。まあ、導入してすぐだという事情があるにせよ、何かおかしいという思いがした。

ぼくが前から言っているように。今のITは人間を従にしておのれが主であるように振舞っている。そういう作りを平気でやってきている。パソコンがえらそうに「私に向かって間違えのないようにデータを打ちなさい。それでなければ何も進みませんよ」と言っている。

あのお偉いお医者さんに向かっても同じなのである。それを、これからは主従の関係を逆転させようと言っているのである。

そんなことを思っていたら実に同じようなことを言っている人にめぐり合った。ときどき読んでいるITアーキテクトの鈴木雄介さんの「arclamp.jp アークランプ」というブログの記事に「ITをサービスにする方法(ホテルオークラの場合)」というタイトルの記事がでていて、ホテルオークラの接客とITについてこんなことを書いています。

普通のホテルならロビーのインフォメーションパネルに情報を流しますと。そして、自由に宿泊客がみれるようにする。  でも、オークラは宿泊客から情報を隠してしまう。そして、しかるべき時に取り出せるようにする。つまり、宿泊客にサービスする瞬間に、従業員が入手できるようにしておく。  「○○さま、飛行機の到着が1時間遅れているようです。よろしければ、ラウンジにてゆっくりされていってはいかがでしょうか?」

ホテルオークラはITに何を望んでいるのでしょうか?それは「従業員に代わって発着状況を知らせるIT」ではないのです。

これって、主は従業員であり、従がITですよね。ぼくはこういうことを口をすっぱくして言っているのです。そして最後こう結んでいますが、全くそのとおりだと思います。

これからのITに求められることはヒトの作業を代替することではないのです。大事なのは「ヒトが判断し、行動し、価値を産み出す」、そのことそのものを支援すること。そして、結果としてITは透明になっていきます。
 


2009年2月10日

誰も守ってくれない

映画の友のS君から、これはお薦めですよという作品「誰も守ってくれない」を川崎109で観る。チケッット売り場で陣取ってしまう若い女に腹を立てながら、始まる寸前にチケット入手。

初めて年齢確認をさせていただきますと言われちょっぴりうれしかった。ところが、隣に来た明らかに60歳はオーバーしているおじさんにも同じことを言ったのでがっかり。

そんなことはどうでもいいのだが、この映画はS君が薦めるだけのことはあってすばらしいできばえだ。監督が君島良一といって「踊る大捜査戦」の脚本なんかを書いていたひとである。だから警察ものだというのかもしれないが、単純な刑事物語ではないところがこの作品を際立たせている。

これは、視点を変えた効果である。こういう姿勢が評価できる。被害者の家族の視点から加害者の家族への転換である。今まで気がつかなかったことである。こういう視線はすごく大事で、こうした世の中では誰もが加害者にもなるし、被害者にもなるのだ。だって、飛躍するが環境問題だって同じ構図ですよね。

この警察が加害者の家族を守るということは知らなかった。確かに、今のメディアやネットいやメディアは世間に媚びているので世間といったほうがいいかもしれないが、それは以前に比べすさまじく攻撃的になっている。だから、映画で描かれていることが決して非現実的ではないのである。

ただ、少し話は映画からそれてしまうが、こうした犯罪をマスコミが取り上げることにぼくはすごく違和感がある。それはなぜかというと、そうした報道が誰かを助けることになっているのかということである。犯罪の抑止力になっているのかということである。

むしろマスコミが犯罪を報道することで、犯罪を煽っているように思えてならない。だれも得にならないことはやめたほうがいい。この映画を観るとつくづくそう思うのである。

その他にもこの映画は家族の問題を語りかけている。家族とはいったい何なのだろうか。信頼できるものなのだろうか。それとも、そこから自立することが求められているのだろうかという問いである。すごく重いテーマである。

映画では、犯罪者であっても兄だからおまえが守ってあげろというセリフが決めだが、そこは別の考え方もあってもいいと思うので、各人でよく考えることだろう。

ただ、難点は作りが“粗い”ことだ。佐々木蔵之介の記者にしても最初に絡みはわかるがそのあといつのまにか消えていってしまう。また、少年の裏切りが描かれるが、ただ“つらい”だけでもう少し突っ込み方もあったような気がする。

出演した俳優たちもすばらしい。主演の佐藤浩市にしても、少女役の志田未来にしても名演技が光る。ぼくは何といっても松田龍平ですね。義理で出した柳葉敏郎がクサかったのに較べて、ワルっぽいクールさがいいですね。

これは、イチ押しの映画です。
 

2009年2月11日

クラウドの衝撃

こういう題名のテレビ番組があったし、本も出版されているようだが、見ていないのでその内容はわからないが、いまこの「クラウドの衝撃」を考えている。クラウドとは何かなんて定義は重要ではなくて、Amazon、Google、Saleforce.com(そのうちMicroSoftも参戦してきます)がやっていることを見ればいいだけで、それを「クラウド」と言うのだ。

ただし、それぞれがやっているクラウドは一括りにはできなくて三者三様である。AmazonのEC2やA3といったサービスはしケーラビリティとユーティリティ化されたインフラ提供であるし、GoogleはGoogleAppsのようなアプリケーション提供のプラットフォームであり、SalesForceはCRMという業務に特化したアプリケーションサービスであるわけで、競合していないことに驚かされる。

こういうことは言いたくはないが、日本はどうかというと愕然とする。何よりも日本のベンダは横並びであって、差別化も何もあったものではない。どこも同じことをし、よその真似をする。この“どこも同じこと”というのは、守旧的なビジネスでしかないのは必然で、革新的なことはどこにもない。

だから、日本のIT投資の実態調査でも攻めの投資よりも守りの投資が大幅に上回っているのである。ひとと違うことをすることのリスクを恐がって、まわりと同じように保守・運用だけやっていれば何とかなると思っている。もはやそんな時代は終わりを告げていることをクラウドは如実に表わしている。

この時勢でIT投資もままならないことはあるが、それでも世界はすごい勢いで変化している。その象徴がクラウドである。

ではこのインパクトを考えてみよう。前述したように、インフラからアプリケーションサービスまで、“あちら側”で大規模な供給システムが出来上がってきたのである。それも圧倒的な低コストで享受できるようになってきた。セキュリティがどうの、安定性がどうの(EC2は99.95%の稼働率を保証してしまった)と言っている間にそんなものはすぐにクリアしていく。

そうなると、わが国のITエンジニアはどうなってしまうのだろうか。保守・運用の人材が相対的に多いわけだから、かれらの多くが仕事がなくなっていくことを意味しないのだろうか。「クラウドの衝撃」の恐ろしさはここだ。

サッカーでもラグビーでもバックスをやっていたやつがいきなりフォワードやれって言われても,そう簡単に変われるものでもない。だから、急に運用をやっていた人間が明日から開発だと言われてもハイ分かりましたとはいかない。

そして、今の経済環境では、この1億2000万人の島の中だけで細々と食っていくしかないのだろうか。そういう意味では、全体のパイも縮小するわけで、なおかつビジネスドメインも変えていかなくてはいけないとなると大変なことである。さてどうするのだ。

だからといって、AmazonやGoogleと同じようなことは絶対できないし、なおかつ彼らを無視するわけにはいかないのだから、彼らの上で踊るしかないだろう。うまく踊るにはどうしたらいいのかそれを考えて行くことが進むべき道であろう。

2009年2月12日

まあ、よかったんじゃない

昨日のW杯最終予選のオーストラリア戦は引き分けで勝ち点1に終わった。ホームだから、勝ちたかったところだが、最低限の負けない試合という結果であった。

あれだけのチーム力の相手が、リスクを冒さず守りにつかれるとなかなかゴールをこじ開けることはむずかしい。それでも、バックスの背後をつくパスも見せたし、サイドをえぐったシーンもあり、遠藤のミドルシュートもありとそこそこの攻撃を見せた。ただ、みんな言うようにもう一歩の壁が厚いのだ。

それを破るのは何なのか。ぼくは昨日の試合を見ていて思ったのは、バックスの攻撃力とシュートの精度を考えてみた。

あれだけ、引かれて中盤も厚く守られるとなかなか攻撃の糸口が見つからない。そんなときに、余ったバックスが攻撃に参加するのだ。ただ、攻撃といっても闘利王のように前線に上がって行くことではなく、後ろからフォワードに突き刺す早いフィードができるかということだ。これによって、中盤がフォワードを追い越す動きができる。

シュートの精度のことでいえば、まともに枠に飛んだのは遠藤のシュートくらいだ。当たり前に、枠に行かなければ得点にはならない。そこでこの前のフィンランド戦を思い起こしてほしい。5-1で快勝したが、ほとんどのシュートが枠にいったからあれだけ得点できたのだ。

ただし、間違ってはいけないのは、フィンランドのキーパーが下手くそだからで、もしあのときのキーパーがオーストラリアのキーパーだったら、あれだけ点が入っていたかどうか。これは、キーパーがうまいとまだ力が入って枠にいかないのである。下手だと思って打ちゃいいじゃないかと言うがなかなかできない。

日本選手はパスはうまいのになぜシュートが下手なのかは、パスとシュートでは使う技術と意識がまるで違うからである。パスは渡す相手が受けやすいように蹴るが、シュートは相手が取れないように蹴るのだ。変な話、意地悪な人のほうがシュートがうまい。結局、日本選手はみんなおひとよしなのかもしれない。

これで、オーストラリアと日本の2強の構図になってきたが、それが一番いい。他のチームがあきらめてくれるからである。最終のアウエイでのオーストラリア戦までに予選通過を決めておきたいものだ。

それにしても、毎度のことで言うのも疲れたが、テレビ朝日の中継はひどい。あの、松木、越後、角澤のトリオは何とかならんのか。相変わらず、瑣末な局面解説ばかりで、もっとテレビを見ている人をワクワクさせるような実況をしてくれないと困る。
 


 

2009年2月13日

比較というワナ

“ワナ”シリーズ第二弾(そんなのあったの?)で、今回は「比較」ということについて。どうも日本人は比較の中に自分あるいは自分の組織、自分の国の存在を置いているような気がするのである。

ぼくの経験でも、例えば仕事で提案したり、企画をしたりすると、必ず聞かれることがある。それは、他社や他製品と比較したかである。

不思議なのは、独創的なもので新しいジャンルのものであっても言われるのである。どうして、そんなよそのことを気にするのかと思うのだが、結局、これだけ比較検討した結果、うちの提案はそれよりちょっといいですよというのが、安心感みたいなものに訴えかけるのかもしれない。

リスクがないし、すこし優位だから安心でしょというわけである。ところで、経営トップはそんなことを望んでいるのだろうか。どうも違うような気がする。もっと、大胆でもいいから豊かな発想の提案をしてこいと思っているはずだ。変な自己規制をかけているように思える。

同じような話が、政治や経済にもあるのではないでしょうか。よその国と比較して、日本はいいとか悪いとかすぐしたくなるようだ。主体的にわれわれはこう行くという姿勢がないから、周りの国に振り回される。アメリカがくしゃみをしたら、日本はすぐに風邪をひく。

この比較思考はやめるわけにはいかないけど、独立的にどうしたいとか、ひとと違ったものをつくりたいとかそういった非比較思考も必要な気がする。

そんなことを思ったのは、オバマ新大統領の就任演説を聞いたからである。何よりもそこには、どこかの国を引き合いに出すこともなく、自分たちが築き上げた国を見つめなおし、またがんばって行こうみたいなそうした非比較思考に溢れていたからである。

オバマのような演説ができる政治家が日本のどこにいるのかとながめたとき愕然としたのはぼくだけではないと思う。そうした言葉でひっぱっていけるのがリーダシップでもあるのだ。

そしてまた愕然とするのである。そうしたリーダシップを取れる真のリーダの育て方を知らない日本にである。育て方を知らないこともあるのだが、むしろ育ってほしくないという意地悪な根性があるように思えてならないのだ。

その原因の一つに、「比較思考」がしみついた社会があるような気がしてならないのだ。

2009年2月14日

詐欺にあったような

去年末にe-Mobileとの抱き合わせ販売でネットPCを買ったので、e-Mobileを二重に契約したことになった。すぐに解約する手もあったが、解約料もとられるからと思って、まあ、1年契約だったのでその期限が3月だからそのとき契約満了でやめることにした。

それで、サポートセンターに電話したら、解約申請書を送るからそれに記入して送り返してくれという。解約手続きってわざと面倒にしているんだよな。

そうしたら、申請書が着いた時点で解約になるという。もし、それが満了日に対して早すぎると契約解除料がかかり、逆にそれが遅れると、翌月の基本料金の日割り金額を請求されるという。

おっとっとどういうことかわけわかんねえ。どうでもいいからお金がかからないで解約できる方法を教えてくれと言ったら、なんとそういう方法はありませんときた。おいおい、そんなことがどこに書いてあるんだ。その契約満了日にお宅の会社に解約申請書をもっていくからと言ったら、書面の郵送でしか受付けできないことになっていますときた。

そりゃねえーだろう、もし郵送が何かの手違いで遅れたどうするのだろうか。普通に考えると満了日前に申請書を出しておいて、満了日で契約が打ち切られるということだろう。

だって、契約した時もその月に基本料金が発生して、日割りで徴収され、満了月も基本料金をとられているんだから、どうしてその満了日を境に契約解除できないのだ。

これって詐欺じゃねえの。何度いっても埒があかないからいま解約することにするわ。何か気分が悪い。
 

2009年2月15日

「ボケて」が販売開始

社長(息子)が役員をやっている、といっても2人だけだが、「オモロキ」という会社がある。そことある出版社と組んで「ボケて」というタイトルの本が明日発売される。

この「ボケて」というのは、本の副題にもあるように”写真で大喜利”という感じで、ネット上で写真をお題にしてひねりのきいた面白いコメントを書き込むサービスで、そのコンテンツが本になったのである。

サービス開始してから5ヶ月ぐらい経ったのだが、一部熱狂的なファンもでき、かなりの作品がたまっているようだ。思わず吹き出してしまうものもありなかなか楽しいサイトですよ。こういう形の出版がこれから増えてくるかもしれませんね。

で本になると聞いて驚いた事が一つあって、どこで売るかである。それが、コンビにとAmazonなのである。いわゆる一般書店には並ばないのだ。そういえば、コンビニに多くの雑誌に並んで本が置いてありますよね。あの類の本として販売されるという。そして、初版の部数もそこそこ出るらしい。

そこで、全国のコンビニの数を調べてみた。セブンイレブンからam/pmまでの上位7社の合計が45,000店舗である。だから、1店舗1冊でも45,000部になる。たとえ、セブンイレブン一社だったとしても12,000店舗であるから、1店舗3冊置いても36,000部である。おおー5万部くらいいけるかも!?

ところで、一般書店の数はどのくらいだと思いますか。昨年半ばで16,400軒なんですね。それがどんどん減り続けているそうです。2001年は21,000軒あったのがそこまで減少している。こうしてみると書店の店頭販売より、コンビニやネット販売の方が部数をかせげるんですね。

この「ボケて」は600円ですから、どうぞ気楽にお買い求めてください。これを読んで大笑いしてボケを防ぎましょう。意味ちがうよ、そんなところでボケないでよ。ハイ。
 

写真で大喜利ボケて
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2009年2月16日

ビジネスプロセスパターン研究

来月から、標記のようなテーマで勉強会(BPP研)をやろうと思っています。なぜこうしたことをやろうとしているのかというと、オバマではないですが、変わらない、変わろうともしない業務システムを抜本的に“Change”させたいからです。

ビジネスプロセスパターンというのは、あまり聞きなれないと思いますが、その意味するところは、業務を階層化し、ある粒度に分解していくとそれぞれの階層でパターン化できるのではないかという仮説に基づいています。

これを「業務の構造化」と考えていますが、そうした構造化により、システム構築の方法もシステム構造そのものもひいては仕事のやり方も変えられるかもしれないということです。

それを皆さんの知恵を借りながら仕上げていこうと思っています。そして、パターン化された業務コンポーネントをベースにどう業務プロセスを設計し実装していくかという実践的な議論をしようと考えています。

そこで、このブログでもテーマごとに問題点や論点について書いていくことにします。ただ、その前に大前提を書いておきます。その大前提というのは、議論を進めていく際にいつも頭の中に入れておいてほしい考え方なり、態度です。

1. ITのことは忘れる
特に3文字熟語は忘れてください。BPM、SOA、ERP、CRM、UML、DOAなどなど。なぜかというと、業務のことが中心ですから、まず業務ありきからスタートするのに邪魔になります。その言葉の枠にはめようという意識になるからです。

2. ビジネス視点、ユーザ目線
これまでシステムは、ベンダー視点、開発者目線で多く語られてきています。それを逆の見方に変えてみると言うことです。そうすると違ったものに見えるはずです。

3. 論理的な思考アプローチ
業務システムは工学的なモデルになりにくいと言われています。しかし、それではいつまでたっても職人芸の域から抜け出せないことになる。いかにして、工学的に扱えるようにするのかを追求する姿勢を持ち続けましょう。

4. ビジネスの実相を実装する
システム化というと、従来の発想でいうところのITにのせられるものしか対象にしていません。ITができることだけが業務システムなのでしょうか?逆ですよね。できるかどうかわかりませんが、まずは人間が行う業務をそのままITにのせることを考えることから始めましょう。

5. Simple is Beautiful
「とにかくシンプルに」を心がけます。シンプルなものほど機能的です。機能的なものは美しいのです。これは非常に難しいことですが、つい易きに流れ、複雑なものにしてしまうのはやめにしましょう。

このことは、何をいっているのか別の言い方をすると「自分の頭で考えろ」ということに他なりません。

もちろん勉強し、学習するのは大切なことです。しかし、それをそのまま自分の中で消化しきれず単に本に書いてあることの受け売りになってはいないでしょうか。自分の頭で徹底的に考え抜き、絞り出すようにおのれの考えにまとめる作業がものすごく重要なことだと思うのです。

だから、こういう勉強会はみんながゼロベースで考えてみることが必要で、そうした行為により真のスキルが身につくのではないでしょうか。こうした考える場で皆さんと議論をして、少しでもお役に立てたらオジサン望外の幸せです。
 

2009年2月17日

ビジネスプロセスパターン研究~マクロ視点での問題の所在~

前回の主旨で述べたように今の業務システムを変えたいと言っています。ということは、現状に様々は問題があって、その問題を解決していこうということでもあります。その問題あるいは課題とはいったい何なのだろうか。そこをきちっと分析して本質的な課題を抽出しないと方向がずれてしまいます。

個々の領域については細かく見ていくことにしますが、現状の業務システムおよびそれを取り巻く環境を俯瞰してみると、どうも「ビジネスとIT」、「ユーザとベンダー」といった両岸の間に流れる“誤解”の川があるような気がします。そこにかなりの部分の問題が潜んでいるように思えるのです。

何年もの間、「経営とITの融合」、「ビジネスに貢献するIT」、「ビジネスマインドをもったSE」だとか両者をうまくつなぐことの必要性は謳われていながら、現実には乖離があるのは否めないのではないでしょうか。

その誤解について少し見ていくことにします。そして、この誤解を解くことがギャップを埋める第一歩かもしれません。

(1)業務システムは開発するものだ
 ほとんどの人が業務システム開発という。これから販売管理システムを開発するのだという。では一体誰が開発するのですか?システム側の人が業務の仕組みを開発するのですか?

どうも、開発プロジェクトを起こし、そこで業務システムを開発してしまっているのではないのだろうか。だから、プロジェクトは混乱するわけで、そこでは業務(プロセス・機能)を開発してはいけないのです。DevelopmentとConstructionの違いであることを理解すれば、実際のシステム構築の場ではコードを書かないことが大切だとわかると思います。

業務システムというものはユーザがITとは関係なく自分たちのビジネスを強くするためにプロジェクトとは別に開発しておくわけで、それをあらかじめ開発されたソフトウエアを使って組み立てればいいのです。

これって、建築のケースで考えればわかりやすいと思いますが、家を建てるとき“家を開発する”とは言いませんよね。都市とか生活スタイルを開発するとはいいますし、機能的な建材を開発するともいいますよね。そういう感覚で業務システムを作ることを薦めます。

(2)システムを作ることが目的である
さて、業務システムを構築するというが、それだけが目的になってやしないだろうか。もうおわかりでしょうが、作って終わりではなく、それを使ってビジネスや業務を行い、それが役に立ってもらうことが真の目的になります。

そして、この役に立つというのは、皆さんつい忘れがちですが、オペレーションエクセレンスということで、作った瞬間ではなく、それを使っている日々の中で優れた機能やサービスを提供し続けられるかです。

(3)正しいシステムが役に立つ
だれでも、システムを“正しく”作ろうとします。そのための作り方の本もたくさん出ているし、それに異を唱えるひとはいません。しかし、それでいいのでしょうか。少なくとも正しいシステムであれば必ず役に立つとは言い切れないのは確かだと思います。

このことは何を意味しているかというと、見方を逆にすること、すなわち、役に立つシステムであれば正しくないシステムでもいいということになります。

システム屋さんはこういうことを言うとすぐに、正しくないシステムを作るとパフォーマンスが出ないとか、セキュリティが問題だとか言う。そういうことを言っているのではなく、まずは役に立つものを作ってからの話でしょということです。極端なことを言えば、何もシステム化しないほうが役に立つかもしれない、そんなこともあり得るということを頭に入れておくことも必要ではないでしょうか。

(4)業務知識がないとだめだ
よく言われることに、システムエンジニアの人たちに向かって、業務の経験がないからだめだとか、業務知識をもったユーザのいうとおりにすればいいのだとかがあります。これはほんとうでしょうか。そんなに業務経験、業務知識が必要なのでしょうか。

すこし意地悪風に考えてみましょう。まず、その業務経験と業務知識って標準的かつ普遍化されたものでしょうか。違いますよね、もろ属人的なものです。ですから、いつも豊かな経験と豊富な知識がある人がいるとは限りません。わずかな経験と貧弱な知識の人がプロジェクトにアサインされることはいくらでもあって、悲劇の引き金になります。

せっかく、要求定義をしてもプロジェクトの後半やテストの段階になって、”比較的”豊かな経験と知識をもつ、いわゆるキーパーソンが出てきて今までのものを覆してしまうこともよく見かけることです。その人でも本当に客観的に標準にできる要求を出せているかというとおおかたの場合心もとないのではないでしょうか。

ですから、どうしてもユーザがビジネス要求定義をしなくていけないとは思わないのです。前に言ったようにいい加減なユーザが定義したものをシステム化するほうが厄介になることもあるわけで、そうであれば、ユーザ側もシステム側のない、科学的な定義のしかたができれば、こうした誤解は解消されるのです。

ただ、誤解の誤解をしてはいけないのは、だからといってユーザがだめだと言っているのではありません、むしろユーザは意外と賢いということを肝に銘じたほうがいいと思っています。その賢さを引き出すことが大事なのです。

(5)要件定義が大事である
ここでは、「要求定義」と「要件定義」の違いを理解することです。「要求定義」というのは最近やっとその重要性が指摘され出してきていますが、これまでは特にわが国ではあまり語られることが少なかったように思います。

いきなりRFPを書いて(これもユーザではなく、ベンダーが書いてしまうケースもあります)、要件定義に入ります。そうするとどうなるかというと、前に書いたように要件定義に従って、そのとおりにシステムは作ったのだが、いざ動かしてみると使い物にならなかったという事態になります。

それは、要求定義でビジネス上の要件を抽出してそれを仕様化することをしていないからです。ですから、要件定義も大切ですが、それ以上に重要なことはこの要求定義をきちんとやることなのです。

そういうことができていないから、ビジネスの要求がシステムに反映されていないというユーザ側の不満と、ちゃんと言ってくれないからそうなるのだというシステム側の不満がぶつかることになってしまうのです。

(6)経営者はITを使って経営をすべきだ
一見なるほどそうだと思われるでしょうが、そうなのでしょうか。まず、ビジネスと一括りで言っていますが、その中には、経営・事業・業務というようなレベルがあります。

この最上位に経営というものがあって、これは経営者(陣)がこれにあたります。そして経営というのはいったいどういうことなのかであるが、それを考えるとき“社長の関心事は何か”という問いに答えるのがわかりやすいかもしれない。

おそらく多くの経営者の関心は、「事業構造論」と「人事」だと思っています。自社の事業ポートフォリオをどうするのか、そのために企業あるいは事業買収あるいは売却をどうするのかです。そして、それをだれにやらせるのか、おれの後継者をだれにするのかを絶えず考え続けているのです。

そうなると、はたしてそうしたことにITが要るのでしょうか。ある程度の情報は要るかも知れませんが、ITを使って何かをするというふうにはならないでしょう。

ですから、むしろここで言いたいのは、ITは事業に貢献するものであり、業務の効率を上げることに寄与できるもとと位置づけるのがよいでしょう。あまり大上段にふりかぶって「経営とITの融合」なんて言わないほうがいいように思うのです。あくまで、「事業とIT」くらいでいいのではないでしょうか。

これらの“誤解”をよく考え、それを解いていくことが大事であると思うのです。このことは何を意味するかというと、視点を変えてみたら、常識を疑ってみたら、既成概念をこわしてみたらという、今までと違う見方をあえてしてみることでまた新たな発想が生まれてくるような気がするのです。
 


2009年2月18日

プロセス志向イノベーションフォーラム

昨日は、日本BPM協会主催の「プロセス志向イノベーションフォーラム」に出かける。最近、東工大の飯島先生が議長をつとめる「プロセス志向イノベーション推進会議」というのができて、そこが企画したものである。

「プロセス志向イノベーション」というのは、主旨に書いてあるが、“組織を越え顧客・取引先をも含めた仕事のつながりを自在にデザインし、ITを有効に活用したビジネスモデルを創出すること”となっています。

そのために、BPMやSOAといったものが活用されるということです。確かに、プロセスの重要性は企業内外問わず大きくなってきている。それがITの進展とともに今までできなかったことが可能になったのである。

ぼくは、午後から受講したので、ベンダーによるワークショップが主だったが、そこではいままではこの手の話をすると「BPMとは」とか「SOAとか」という説明から入っていたが、今はその理解が進んでいて、どう活用するのかという話から入れるようになったと言っていた。ただ、まだ従来型のワークフローとどこが違うのといったところが説明しきれていないような気がした。

やはり、面白かったのは最後の二つのユーザ事例で、特に「セブン- イレブンのビジネス改革と情報システム」が印象深かった。一番感心したのは、ビジネスモデルがITの先を行っているということである。

たとえば、ハードウエアスペックが貧弱だったとき、もっと多くのデータ活用をしたかったができなかったとか、ネットワークパフォーマンスが出なかったので情報交換に支障をきたしたとか、要するに、やりたいことがあってそれを実現できるITが登場するとすぐにそれを採用するのだ。従って、これは世界で初めてですという言葉がぽんぽん飛び出す。

よく考えるとこれが本当の意味で“ITを有効に活用したビジネスモデルを創出すること”につながるのだ。その逆が多いですよね。ベンダーがはやりのITをもってきて、これを使うといいですよと言われ、じゃあ入れてみるかじゃビジネスモデルを創出するどころではなく、新規ITの実験場になってしまう。

ですから、セブンイレブンのIT化からは、はやりの三文字熟語はでてきません。すごく考えさせられたプレゼンテーションであった。

こフォーラムでは旧知で久しぶりの人を含めて多くの人に出会った。なかでも、すごく驚いたのは、会場でぜんぜん知らない人に突然声を掛けられて「いつもブログを見させてもらってます」と言われたのである。しかも、そのMさんはぼくの家の近くに勤務されていて、年齢もほぼ同じで、ブログに書いたことに興味と共感をもっていただいたようだ。今度、家の近くでお会いすることを約して別れたのである。こういう出会いもあるのですね。意見交換できることを楽しみにしています。
 


2009年2月19日

現状の業務システムはビジネスの要求に答えられているか~業務システムの現況~

いまの業務システムの課題をさぐるために業務システムの過去と現在をみていきましょう。と言ってみたが、この業務システムってやつがここ何年も変わっていないことに気がつきます。15年いや20年前とほとんど変わっていない。

もちろん、それを動かすインフラやハードウエアは怖ろしいほど変化しているが、業務システムそのものは大きな変化もなく同じようなものです。

ホスト-端末構成からクライアントサーバー型に変わっても、手組みからERPなどのパッケージ開発に変わっても本質的な変化はありません。単に新しい技術を取り入れただけでは、それで変化したとは言いません。根本的にビジネスの変化に対応して進化することができていないのです。

一方のビジネス側は、企業を取り巻くビジネス環境のすさまじい変化に対応していっています。そうでなくては、企業が存続できなくなるからです。

従って、変化対応力をつけるためにITへの期待があるにもかかわらず、変わらない業務システムとの乖離がますます拡がっているように思えます。

ですから、何としてもビジネスとITが同期できるようにしていかなくてはいけません。では、そのビジネス(事業)とITが同期しているとはどういう状態なのでしょうか。そこを少し考えてみましょう。

それは、次の3つであると考えています。

1.業務プロセスを可視化しコントロールしている
2.事業全体の適正なオペレーションができている
3.業務パフォーマンスの把握と戦略へのフィードバックがなされている

それに加えて、もうひとつ大事なことがあります、それは、企業で働く個人のひとたちの働きかたです。ITが企業に持ち込まれて久しいのですが、従業員ひとりひとりのの働き方が改善されたのでしょうか。組織の動きが円滑になったのでしょうか。

ひょっとすると、ITが現れる以前の職場より悪くなっているかもしれません。コミュニケーションの退化が起こっている可能性も感じることがあります。

こうしてみると、どうも今の業務システムは、個人・組織・事業のそれぞれにおいて、表面的なところではない根本的なところに問題があり、それが徐々に顕在化していると思うのである。
 

2009年2月20日

街場の小経済学その4

最近、急に雇用問題がクローズアップされている。この経済情勢では当然であるが、何か意図的なものも感じられ、あまり熱くならないほうがいいように思う。

議論が情緒的になって、やれ雇用確保は企業責任だとか企業の内部留保を吐き出せとか、ワークシェアリングだとか言い出していて、あたかも企業が悪玉のように扱われる。景気がいい時はそんなことは何も言わないで、この時期にかさになって追及する。弱り目に祟り目である。

しまいには、終身雇用がいいとか言いだす。まあ同じ仕事を続けたいというのは当然の要求だが、だからといって、それが終身雇用でなくては実現できないということが問題で、大事なのは会社が倒産しても同じ仕事を同じ条件で別の会社できるようにすることなのだ。

今のような終身雇用を引きずるとろくに働くかなくても給料をもらえるから、生産性はどんどん落ちていく。もうそんなに言うんだったら、社会主義にすりゃいいじゃんという恐ろしい話になる。ぼくが今望んでいる制度は、「いつもちょっと資本主義」(景気がよくなると資本主義で、悪くなると社会主義の人がどこかの国に多くいますよね)だと思っている。

どっぷりでも軽くでも資本主義を選択したからには、格差は当然だし、今回のような雇用維持を企業に求めるのは間違いである。企業が成長して利潤を生んでそのことで雇用を創出するのが基本だから、その逆に損失を生んだら雇用は確保できないのは当たり前ですよね。だから、身勝手に聞こえてしょうがない。

少なくとも、企業を攻撃するのはやめた方がいい。向ける先は政府であって、その無策によるセーフティネットの不在が問題なのである。バカな法律ばかり作ってないで、ちゃんとした制度設計をしてくれなくてはいけない。

おわかりのように資本主義というのは、お金の流れを作ることだから、その流れは“差”がないとできませんよね。均衡が崩れるとか、格差が広がるとか、情報の非対称性いったところにお金の流れを作るのです。それは、自然にできる場合もあるし、意図的に作り出す場合もある。

卑近な例でいうとテレビのコマーシャルや新聞の広告がそうですよね。あなたはもっといい生活をしなくてはいけないとか、みんなが持っているものをあなたも持たなくてはという風に煽るわけです。いつも消費者は充足されていないという“差”を喧伝するのである。

最たるものはバブルである。そうなんです、資本主義である限りバブルは絶対になくならないのだ。資本はバブルに向かって投入されるのが鉄則だからである。

ただ、恐いのはバブルはバブルであるときはだれも気付かないではじけて初めてそれがバブルだとわかるということである。じゃあどうしたらいいのかだが、まあ、お金を持たなけりゃいいんじゃない。
 

エンドユーザコンピューティング?

今度始めるビジネスプロセスパターン研究会について、それに参加するbegiramaさんがご自身のブログに書いてくれている。ありがとうございます。ところで、その中で最近話題になった秋田県大館市の事例について下記のように言及しているのでそのことについてコメントしてみる。

また、秋田県大館市の事例のようなエンドユーザが本当に自分たちが欲しいと思うものが安価に、早く作れる(冗長なものは要らない。)ということができたら、素晴らしいなーと思っています。

この例のような全部自分たちでやるのが良いかどうかは、構築時など一時的にパワーが必要な場合や、平時は必要ないスキルを持った人を短期的に集める、アウトソースした方が良いケースはもちろんあるはずなので、バランスが必要だと思いますけどね。


この事例は、IP電話を導入しようとしてベンダーに見積もりさせたら2億円だったのを、自分たちで敷設することでサーバーは20万円,電話機500台は800万円で導入できたという話である。

一見すると、すごいと思うかもしれないが、begiramaさんも言っているように必ずしも全面的によいことであるともいえないと思う。エンドユーザがどこまでやるべきなのかという議論になるが、ぼく個人としては、上記の例はエンドユーザがやるべきことからはみ出しているような気がする。

なぜかというと、本来の業務の延長ではなくて、異質のスキルもいることだし、専門家ではないところの危うさもあるわけだから、敷設後の運用・保守などを含めた総合的な得失を見たとき、本当に効果的であったのかどうか疑問である。

むしろこうした領域は複数の専門家に競争させ、それでその見積をきちんと査定して、適正な価格にすることがとるべき道であるような気がするがいかがでしょうか。

一方で、これから勉強会でも議論になると思うが、業務プロセスを設計し、ユーザ自身で実装してしまうようなことはどうなんだろうかということがある。ここのところはみんなでよく考えてみましょう。
 

2009年2月21日

旭山動物園物語

こういう映画はフツーにいい映画である。マキノ雅彦監督の「旭山動物園物語」である。しかし、主演が西田敏行なので、つい「陽はまた昇る」と重ね合わせてしまう。そんな“プロジェクトX”物語なのである。

だから、結末も当然のようにわかる典型的な予定調和映画で、それでもフツーに涙が流れてくる。

実ははじめからこの映画を観に行ったわけではない。品川プリンスに「チェ39歳別れの手紙」を観に行ったのである。ところが、そこでシニア1枚といって千円札を出したら、お客さんこの映画はプレミアム上映ですので2500円いただきますと言われてしまった。ええー聞いてないよ(古いなあ)というわけで、急遽ほぼ同時刻に始まる「旭山動物園物語」にしたというわけだ。

入ると観客が少ない。結局5人くらいしか入っていなかった。もっと観にくればいいのにと思ったのだが、この映画のターゲットはどういう年齢層なのかと考えてしまった。動物が出てくるから子供向けかと思うと子供にはさっぱりわからないと思う。じゃあ若者向けかというとそうではない。だから、そのターゲットを決めその層へ訴えることが必要だったんじゃないのだろうか。

このフォーカスがされていないことは、映画の中味の構成についても言えて、ただただマキノ(津川)雅彦の思い入れだけで作ったみたいなところがあって、それはそれとして伝わってくるものがあっていい感じなのだが、なぜ廃園寸前だった旭山動物園が変わっていったのかという大げさに言えば戦略的な部分の描き方が弱い。

この動物園が生き残ってさらに日本一の入場者数を数えるまでになった秘密がそこにあったはずで、単に情熱だけでなったわけではないのだから、そこの変革の方法をもう少し明らかにした方が良かったと思う。そう書いて思ったのだが、それってビジネス発想だから、おもちゃ屋かなんかのビジネスに失敗した津川雅彦じゃ無理なのである。

ちょっと脱線してしまったが、脚本をもう少し練ってもらいたかったということだが、それでも飛び込みで見た割にはまあまあの映画でした。
 

2009年2月22日

ポトスライムの船

第140回芥川賞受賞作である津村記久子の「ポトスライムの船」を読む。最近は毎回発表されるとすぐ読むようにしている。やはり時代を反映するものが登場してくるので、そういう楽しみがある。

今回の受賞作は30歳ちょい前の非正規社員の女性が主人公である。世相を反映しているかといえば、そうだと言えないことはない。ただ、一般の非正規社員はかわいそうだとか、暗い話なのかというとそうではない。

主人公のナガセは契約社員として製造業のラインとしてクリーンルームで働きながら、それが終わるとさらに友人の喫茶店で働き、またパソコン教室のインストラクターとしても働いている。しかし、契約社員での年収が160万円くらいで、その年収と同じくらいかかる世界一周ツアーに申し込もうとしているところから物語が始まる。

そして、女友達や自分の母親との絡みがあり、それぞれの生活が坦々と描かれる。読み出してすぐに滑らかに読み進んでいけるのである。この作家のすぐれた力量を感じさせられる。

普通、けっこう考えながら、戻ったりしながら、そして行間を読もうとしたりするものである。ところが、この作品はすうっと入っていける。だからといって、退屈な描写ではないのだ。登場人物の心理やその土地の情景などがしつこくもなく、はしょるでもなく、丁寧に簡潔に表現できているからだろう。

この気負いがなく、等身大の人物を描くことで、けっして明るくない状況をみじめなものではなく、むしろ吹き飛ばしてしまうたくましさみたいなものを感じてしまうのである。人間なんて実は眉根にしわを寄せて嘆いているばかりではないのだ。

そういう意味で、評者の山田詠美がいった「蟹工船よりこっちでしょう」というのが印象的でかつ的を射ているように思える。
 

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2009年2月23日

壁と卵

やはり書かずにはいられない。

エルサレム賞の授賞講演で村上春樹が行なったスピーチのことである。読んだとき激しく揺さぶられ、感動し、そして涙した。久しく日本人の口からこのような感動的な言葉を聞いたことがない。それも、かなり政治的な状況の中でである。

作家であるから当然かもしれないが、言葉の力の偉大さを感じざるをえない。これは、オバマの就任演説もそうだろう。

壁と卵という表現で人間の脆さと「システム」という壁の強固さを対比させ、しかし、自分は断固として卵の側に立つという宣言はなんという毅然たる姿だろう。

そして、めったに聞いたことのない父親のエピソードをさらっと、しかし威厳にみちた言い回しで語る。

彼がここで言う「システム」というのはいろいろな解釈がなされると思います。共通的にいえるのは、それは人間が人工的に作ったものであるということです。自然なものではなく、都市的なものである。そして、そうして作られたものが、実は人間のコントロールから外れて、自己増殖してしまうところが恐いのだと思う。

いまぼくは、狭義の意味での「システム」を扱っているので、彼のあくまで人間主体であるべきだという主張に心して耳を傾けたのである。

忘れないためにも、少し長くなるが全文を掲載しておく。

こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。    もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

 それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

 そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

 真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

 受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

 しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

 というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

 「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

 そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

 この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。
 
 しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さ らに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

 私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

 私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。
 
 父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

 今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直 面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。
 
 このことを考えてみてください。私たちは皆、実際の、生きた精神を持っているのです。「システム」はそういったものではありません。「システム」がわれわれを食い物にすることを許してはいけません。「システム」に自己増殖を許してはなりません。「システム」が私たちをつくったのではなく、私たちが「システム」をつくったのです。
 これが、私がお話ししたいすべてです。
 
 「エルサレム賞」、本当にありがとうございました。私の本が世界の多くの国々で読まれていることはとてもうれしいことです。イスラエルの読者の方々にお礼申し上げます。私がここに来たもっとも大きな理由は皆さんの存在です。私たちが何か意義のあることを共有できたらと願っています。今日、ここでお話しする機会を与えてくださったことに感謝します。ありがとうございました。(仮訳=47NEWS編集部)

2009年2月24日

アカデミー賞受賞

「おくりびと」が第81回米アカデミー賞の外国語映画賞に輝いた。すばらしいことである。前評判はそれほどなくて、というより知名度がぜんぜんないなかで選ばれたということは掛値なしに評価されたのだろう。

確かに、題材が特殊ではあるが、ある普遍性を描いているので海外の人にも理解と共感を得ることができたのだろう。普遍性というのは、さまざまな死と向き合うことで生の大切さを知ることである。

そしてこの映画には、誰にでも死はやってきて、その死には格差なんてなくてみな平等であるというメッセージがこめられている。

昨日のエントリーで書いた村上春樹のスピーチもそうだが、こうして日本の文化の良さを世界に発信できるということはすごいことで、“もうろう”大臣の記者会見の醜態を打ち消して余りあるような気がする。

何はともあれ、「おくりびと」の滝田洋二郎監督、主演の本木雅弘、それから他のキャスト、スタッフに心からおめでとうと言いたい。
 

2009年2月25日

私家版業務システム変遷史 ― 2002年

前回と同様グループ経営のためのIT化の話になるが、象徴的なシステムであり、標準化、統一化しやすいものに連結決算システムがある。連結重視というなら連結決算の状況がいち早く見える仕組みがいるのは必然でもあった。

従来は、メールでExcel表を添付して送ってきたり、郵送で来たりした。また、決算期も違っていたりして、海外の会社もあり、その集約と整合にものすごく苦労していた。本社経理部の若手は5月の連休中もずっと計算に追われる。新入社員が入ってくると連休は休めないものと思えというのが最初の先輩のアドバイスである。

そして、その連結の計算を早く仕上げることが大きな課題となったのである。そのプロジェクトを1年前に立ち上げていて、そのスローガンが「ゴールデンウイークを休もう」である。

で結局作ったのは、「グループ経営情報システム」というWebサイトを立ち上げ、そこにまず決算の情報を流すようにした。期日だとか前提条件だとかいった情報をその掲示板に載せるのである。そして、そこから、統一されたフォーマットでできた決算データ記入シートをダウンロードさせるようにした。そこには、前年どの実績値などを脇に示して入力の支援をしたりした。このシートはもちろんExcelである。ほんとうにExcelは重宝である。だれでも使えるし、インターナショナルでもある。

このシステムと、ガバナンスにより、決算が連休前にできるようになったのである。だから、ぼくらは決算発表がすぐにできると期待したのだが、意外な障害があって連休後になって残念な思いをした。

さて、この年に基幹システム用のフレームワークはできたが、それ以外の情報系をどうするかがあった。そのための開発基盤や使用ソフトウエア、さらに開発手法などが議論された。この領域は、みな好き嫌いも含めて、一家言あって、やれNotesだColdfusionだ、.netだとかまびすしい限りだ。で結局ここにBPMを導入したのである。

ぼくは、もともとシステム屋ではなかったのでプログラムを書いたことがないので、コードも読めないし中味はよくわからない。それで、プログラマーの人に最初に聞いたことは業務にはワークフローという機能が必ずあるよね、それはどうやって書いてあるのということであった。そうしたら、システムごとにプログラムで流れを書いているような答えだった。そのとき、それを抜き出せないかなあと思ったのがきっかけであった。機能とプロセスの分離である。

データについては、1996年のところで書いたようにDOAを試行したこともあって、その限界みたいなものもわかってきた。すなわち、T字形ERでは、イベントデータを上にリソースデータを下に書いて、イベント系は時系列に並べていくというのが基本で、これにより業務プロセスも表現していると言われたが、それだけではよくわからないと言うのが正直なところだ。少なくともユーザにはなかなか理解してもらえない。

そんなこともあって、プロセス的な指向が必要と考えていたとき、BPMSであるSavvionに出会いそれを使うことにしたのである。そして、そのBPMSのアクティビティをどうするのか、画面をどうするのかが問題になった。

そこをいろいろ考えていたとき、ある外注のプログラマーのひとからデータコンポーネントという考え方が提示されて、思わずひざを打ったのである。データコンポーネントというのは書類のイメージと思えばよくて、その書類上にデータを転記していって書類を完成させ、それらをSavvionでつなげばプロセスになると思えたのである。

じゃあ、そのデータコンポーネントを何で作り、どうやって結ぶかが問題であった。結局、当時Webサービスが出てきていてそれでつなぐことにして、それに対応を表明した.netを使ったのである。この仕組みを使って、PCやプリンターなどのIT調達のプロセスを開発したのである。ただその後ERP導入のプロジェクトがあったりして進展しなかったのが残念であった。

BPMも浸透してきたので、この経験が生かして、多くのBPMアプリケーションが作られることを支援したいと思っている。
 

2009年2月26日

現状の業務システムはビジネスの要求に答えられているか~業務システムの課題~

前回、いまの業務システムがビジネスの変化に追随できていないということを指摘した。そこでもう少し具体的に問題点を探ってみましょう。大きくつぎのような分類をしてみました。

1) 構造上の問題
2) 技術上の問題
3) 制度・慣習上の問題

まずは、構造的な問題について考えてみます。いろいろな領域でその構造の問題点が浮かび上がってきます。

(1)システムのつくりの問題(システム構造)
(2)ユーザとベンダー間の問題(業界構造)
(3)組織と個人の問題(人材構造)

システムそのものの構造については、前にも触れたように変化対応力に乏しい硬直的な構造になっています。それは、手組み開発であれ、パッケージ開発であれ、プログラムに機能が埋め込まれた構造になっていて、手組みだとそこにプログラムを継ぎ足し、スパゲッティ状態を作りだしています。

パッケージの場合はそうではなくモジュール単位になっているじゃないかと言われますが、結局、カスタマイズやアドオンという形でロックインされてしまいます。ですから、基本的にみな密結合で形成されているといえます。これが、柔軟性、すなわち変化対応力がない原因ではないでしょうか。

つぎに、ユーザとベンダーとの関係をみていきましょう。ユーザといっても直接現業部門ということもあり、IS部門が窓口という場合もあるでしょう。また、ベンダーといっても、SIerであったり、パッケージやソフトウエアベンダーであったり、単なる開発ソフトハウスだったりします。そのなかで一番悩ましい問題を抱えているのは、ユーザ企業のIS部門とSIerとの間の問題ではないでしょうか。

そして最大の問題は、「情報の非対称性によるインセンティブの歪み」から生じる利害の不一致です。どういうことかというと、ITに関する情報はたいていの場合SIerが多く持っています。ユーザはSIerがどんなことをしているの容易にはわからないし、自分たちの要求がどう実現されるかはできてみないとわからないという意味で情報不足の立場にあります。

この非対称性によってどうなるかは、コストや品質などについての合意形成の難しさとして表出してきます。しばしば、ここの争いでプロジェクトが紛糾することになります。

組織と個人の問題という点では、簡単に言うと、IS部門であれ、SIerであれ、自分のキャリアパスをどう描くが焦点になるでしょう。3K職場と揶揄されるように、ITSSのようなものがあったとしても、必ずしも実際の現場レベルにはきちんとした人材育成ロードマップやロールモデルがあるとは言えないのではないでしょうか。

ついで技術問題をみていきます。これは何回も言っていますが、簡単にいうとつぎの開発のジレンマのことになります。

(1)アプリケーション仕様のほとんどが、結局、ユーザの恣意でしか決まらないこと  
仕様を決定付ける科学的、工学的なモデルが存在しないということ
(2)実業務の様々な例外をコンピュータ上に乗せるか否か
情報システムと人間の境界が、元来不安定であること
  
こうしたジレンマを抱えながら技術者は日々苦闘しているのではないでしょうか。このジレンマから解いてあげることを真剣に考えないといけません。

最後の制度や慣習みたいなものもあるがここではそれほど重要ではないということで取り上げないことにします。

2009年2月27日

いちばん大事なこと

養老孟司先生が環境問題について本を書いたので、まともな意見が知りたくて買って読む。

ホントまっとうなことが書いてある。そしてタイトルどおりすごく大事なことをやさしく書いてくれている。そんな本が「いちばん大事なこと」(集英社新書)である。

環境問題というとかなりエキセントリックな議論になったりして嫌なのだが、原理主義者でもこれを読んで文句を言うやつはいないのではないだろうか。

環境問題は政治問題であり、生活スタイルのことであり、何よりも自然と都市、身体と心の問題であるという提示は、激しく同意するのである。

単純に解釈すると、「ああすればこうなる」という世界は、自然とは相容れないものである。自然はわからないことだらけである。それに真摯に向かうことこそおおかたの人びとが幸わせになる道であると説いてくれる。

「外の自然だけではなく内なる自然もある。だから人間は自然なのである」自然と対立している人間は都市社会の人である。

「ああすれば、こうなる」式で問題を解決しようと考える人があとを絶たない。それには何もしないこと、しかしみな必ず何かをしようとする。

また、環境とは直接関係ないが、経済についても語っていてこれが面白いので抜書きする。

経済統計は要するに花見酒の経済なのである。八つぁんと熊さんが樽酒を二人で担いでいる。八つぁんガ手持ちの十文を熊さんに渡して、酒を一杯飲ませろという。熊さんがいいよ、という。次に熊さんが、八つぁんからもらった十文を八つぁんに渡して、おれにも一杯飲ませろという、これを続けると、樽酒がいずれなくなる。経済統計はしかし、それでつじつまがあっている。収入と支出の釣り合いは、みごとにとれているからである。自然と経済の関係は。これなのである。そんなことは、江戸時代の人だってよくわかっていたから、落語になっているのである。中略

お金は数字であり、紙である。それが実体でぁないことは、だれでも知っている。経済活動には、その意味では虚と実がある。花見酒でいうなら、十文のやりとりは虚で、酒が減るのと、八と熊が酔っぱらうのが実である。極端に単純化するなら、経済とは十文のやりとりを指し、酒の減少とは資源のことであり、八と熊が酔っぱらうことは生きることである。つまり、グローバル化した経済とは、地球規模の花見酒である。

このたとえ話には思わずうなってしまう。よくわかりますよね。

さらに、話は子どものことにおよび、「子どもは自然である」という。なぜなら、子どもは、意識的に設計できないからだそうだ。そして、なぜ少子化は進んだのかということに対して、都市化が進んだことがあり、その都市は自然を排除する。だから、「自然としての子ども」もまた排除される。なるほど、なるほど。

日本の自然の豊かさはすごい。だから民度も高い、その余裕は自然環境の豊かさから生まれた。しかしながら、現代の日本では、その自然を破壊しながら都市化が進行している。それよって引き起こされる様々な弊害がいまの世の中の矛盾を抱えているのだろう。

やはり、単純な自然保護を訴えることではなく、環境問題をヒステリックに糾弾するのではなく、もっと淡々と自然の前でもっと謙虚になって共生していくことが大事であると思うのである。

この本には、そのほか目からうろこの至言が詰まっているので絶対おすすめの一冊です。
 

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2009年2月28日

アフタースクール

前作の「運命じゃない人」でその才能にびっくりした内田けんじの「アフタースクール」を観る。これまた面白い映画である。

前作同様のどんでん返しと同時並行物語の手法はネタバレになるので言わないが、あっと驚いてしまう。こういう構成の意味は、「人は何でも知っているようで実は何もわかっていない」というメッセージがこめられている。

物語は、妊婦のいるある家庭のシーンから始まる。それは普通の夫(堺雅人)と妻(常盤貴子)のごくありふれた風景である。そして、あるときその夫と妻の中学校の同級生である大泉洋扮する中学教師のところに、佐々木蔵之介扮する同級生だったと名乗る探偵が訪ねてくる。

そこから、ストーリーはめまぐるしく展開し、ヤクザや一流企業の社長や警察、政治家が絡んできて、最後になってやっとそのつながりがわかるという算段である。

もう、内田監督に翻弄されるというか、手品を見せられている感覚になり、してやられたと思ってしまう。それだけ、脚本が緻密に練られているということでその構成力は大したものである。

主演の三人の男優陣もそれぞれの持ちみを発揮している。それはとりもなおさず、俳優自体も監督にだまされているのではないかと思わせる、そんな演技である。

ただ、題名のアフタースクールって、放課後という意味だから、その放課後がいまだに続いているということなのだろうか。それはちょっと意味が違うように思える。

大泉洋が佐々木蔵之介に言う「お前がつまらないのは、お前のせいだ」というセリフが決めだと思うが、もう少し、その蔵之介をつまらないやつにしておかないと生きないのでちょっと残念であった。

こういうどんでん返し映画は、予備知識なしで観たほうがいいに決まっているが、事前に知っていても十分楽しめるという珍しい映画だ。
 

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