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2009年1月 アーカイブ

2009年1月 1日

あけましておめでとうございます

2009年元旦を迎え今年はいい年になりますよう祈っています。ところがこの経済情勢ではむなしく聞こえてきそうですが、ピンチのときこそチャンスと思う心持でいきましょう。

このブログも昨年は皆勤賞でしたが、今年もまた挑戦していこうと思います。ただし、やみくもにつまらないことを書くのではなく中味を充実したものにしたい。

ぼくがブログを書いていて、多少はこだわりというか、ここだけは守ろうよみたいなことがある。それは何かというと、何々を食べた、どこどこへ行った風の私的な日記はやめよう、日々の時事問題に批評を加えるのも極力避けよう、そして、必ず自論を書こうということである。

他人にとってどうでもいいことを書いても結局自分にとってもつまらないことになるような気がする。ある程度、後で読み返して、「そうだあの時そんなことを思っていたんだ」といったものが残せたらと思う。

それから、いちいち新聞やテレビの記事に反射していても単なる評論家のようになってしまう。もちろん本ブログでもそんな記事を何件か取り上げてはいるが、主体的に記事を起こすということが大切ではないだろうか。

そして何よりも評論、反論でとどまらず自論を展開することを心掛けていきたいと思っている。ブログのよさ、あるいは多くの人に読んでもらうためのブログは、こうした書き手の個性ある意見が読めるからである。

この作業はけっこうしんどいのであって、そのためにはぼーとしてないで、いつも一段深く考えるという習慣を身につけておかないとできないのである。そして、書き続けることで書くことが苦にならなくなる。

一年間通して書いてみてわかったことは、このブログの一番のファンはぼく自身であったということである。

さて、今年はどんな記事を書けるのだろうか。よろしくお願いします。

今日は天気がいいので初富士がきれいです。 
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2009年1月 2日

振らん差

サッカー天皇杯はガンバが延長でレイソルを下し、日本一の座を獲得した。これで来年のAFCクラブ選手権への出場も果たせ、現チャンピオンとしての意地を見せた。

この試合のガンバは実にいい試合運びをした。ここにきて詰まった試合日程でけが人も多く戦前の予想ではかなり苦戦が伝えられていたが、見事に覆し、スタミナ不足、けが人のハンデを乗り越えた。こういうのをおとなのチームという。

では、レイソルとどこが違うのか。

昨日のNHKのテレビでは割と俯瞰して映してくれたのでその差が見えていたが、それはセンターリングの考え方である。よくサイド攻撃の重要さを言うが、昨日のガンバはあえてそれをしなかった。というか無理をしなかったのである。

それに比べてレイソルは、中途半端な位置から無理やり放り込んでいた。確固たる狙いがあるわけでなく、アバウトなボールを蹴るという入ればもうけものプレーである。

一方、ガンバは本来は安田と加地の奥深くえぐったサイド攻撃が持ち味だが、多少はあったが無理をしなかった。この攻撃は、得点の確率の高いかわりに、逆襲をくらうリスクとスタミナを奪うことになる。だから、あえて遠藤、橋本、明神、寺田の中盤でボールをキープして、ちょっとした相手ディフェンスのほころびを見つけると、ルーカスを中心にダイレクトパスで崩すというのをくりかえしていた。

ボクシングで言えば、アウトボクシングである。レイソルはフランサのキラーパスによる一発KO狙いのボクシングである。

アウトボクシングはスタミナの浪費をふせぎ、相手の疲れを待って必殺パンチを浴びせればいい。延長後半満を持して播戸を投入し1点をもぎとった。実に見事な試合ぶりだ。

ということで、ガンバのあえて振らなかったゲームプランに“巧”である。
 

2009年1月 3日

事業計画

うちの会社の事業年度は9月―8月なので、本来なら9月新しい年度の経営方針や事業計画をつくるのが筋だが、そんな大げさなものをという気持ちもあるし、けっこう忙しかったりするので、年末年始に落ち着いて考えるのがいいみたいで、家で風呂にゆっくりつかり、酒を呑みながら思いめぐらせることにしている。

いまワディットも3期目に入り、何となく進むべき針路のようなものがおぼろげながら分かってきたように思う。

最初の期は、なんとかなるわとたかをくくっていたが、全く仕事がとれず、どうなるものかと不安の船出であった。そしてあるときから考え方をがらりと変えた。目先の小遣い稼ぎを捜すのはやめよう、やりたくないことを無理してやらないことにした。

そうこうしているうちに2期目に入ると仕事も舞い込んでくるようになり、そこそこに売り上げも達成して、黒字になった。ただ、黒字といったって自分たちの給料次第でどうにでもなるので、細々ともらって黒字なのか、たっぷりもらってまだ儲かっているのかである。

確かに、給与額(役員報酬になるが)はそう多くはない、むしろ少ないくらいだと思うが、感覚的にはそこそこもらっていると感じる。ぼくは、以前はサラリーマンだったから、その感覚でいくと少ないが、何と言っても可処分所得の比率がぜんぜん違うから、まあまあの給与額なのである。

さて、今年の事業計画であるが、昨年は受託開発のようなこともやったのだが、今年はそこを控えて、自社サービス、自社プロダクトを中心に据えようと社長とは話している。まあ、受託開発の仕事は自社サービス、プロダクトの提供をやっていく上でどうしても通らなくてはいけない道であったと考えている。徐々にその軸足を変えていくということになる。

では、その自社サービスとかプロダクトとはいったい何なのであろうか。ここで、初心に帰って眺めてみると、親子で起業したということ、ネット系(ギーク・あちら側)とエンタープライズ系(スーツ・こちら側)を融和させるということ、Web2.0を企業に活かすということなどなど、そんなマッシュアップビジネスをやろうとしてたじゃないかと思うのである。

それをやります。従来の発想ではないフュージョンサービス・プロダクトです。今基本設計をしていますが、たぶん相当面白いことになりそうです。これは、最初はお金にはなりませんが、出来上がったあかつきには儲ける仕組みも考えようと思っています。さあ、わくわくしてきたぞ。
 

2009年1月 4日

今年もまたイチロー

去年の正月にテレビが語ったイチローのすごさを書いたが、今年もまたテレビでイチローを見つけた。

テレビは普段見ないがふとんに入ってつけっぱなして寝る癖がついているので、そこでたまたまイチローが出ている番組を見た。翌朝新聞で確認したら「イチ流inミラノ」とかいう番組であった。そういえば、お抱えライターの義田貴士とそのファッションセンスを争っていた。

まあ、そのファッションショーまがいのことはご愛嬌だが、もちろんインタビューもあって、相変わらず御用質問でぐっとくる答えを引き出せないのだが、ひとつだけすごく気になったことがある。

それは、WBCの監督の話に及んだときで、確か「監督は“毒がない”のがいい」と言ったと思う。酔っ払っていたからちょっと違うかもしれないが、そんなことを言っていた。なるほど、王さんにしても原辰徳にしても毒がない。星野は毒があるほうだし、野村や落合じゃ毒がありすぎるわ。

しかし、そんなこと言っていいのかなあ。ある意味バカにしているというか、能無しがいいと聞こえないこともない。余計なことをしないでボーとしていてくれと言っているようだ。

ただ、そうなのかもしれないと思えてくることもある。WBCに来る選手はもう一流の選手ばかりで、それぞれが自分のスタイルを持った一国一城の主である。そんな選手を操るのには毒があってはいけないのではないのかと思うのである。

ひょっとすると、こういうチームのリーダーというのは、あの大山巌の「茫洋」さをもっていることが一番いいということなのかもしれない。
 

2009年1月 5日

漢字と英語

白川静の本を読んでから、いろいろなことを考えているというか、考えさせられることがいっぱい詰まっていた。ですから、それに触発されたかたちでいくつかのテーマで書いてみようと思う。

まずは、最近学校の英語の授業を英語だけでやるとかといったニュースが話題になるように、世界の共通語である英語へのシフトが進んでいるように思う。そして、いまや学術論文やインターネットは英語でなくては通れなくなっている。それはそれでグローバル化していく上で必要かもしれないが、ぼくはこれによって日本語がどうなってしまうのかが気になる。

白川静の本にもあったのだが、もともとの漢字は中国の文字だが、それがわが国に入ってきたとき、しゃべる中国語は浸透しなかったのだ。日本の言葉に合わせるように、必要なものだけを選んで使っていたのである。ですから、漢字を音訓で読んでいたのでまさに国字ということになるのです。

だから、ベースは日本語でそこに外来語をうまくミックスしながら高度化していったのです。福澤諭吉のように外国語をうまい日本語訳をつけることもやられていたし、西洋の言葉をそのまま日本語のように取りいれていますよね。よく言われる、テレビだとかナイターだとか、英語の発音をそのままではなく日本語化してしまう。これはすごいことだと思う。

ところが、昨今の教育もそうだが、日本語のそうした素晴らしさをほったらかしにして無味乾燥なアルファベットを教えることに汲々としているのを見るにつけだいじょうなのかと心配になる。

だから一部の言葉だけ理解できるひとだけが海外の叡智に触れて、そうしたものを翻訳して普通の生活者に届けなくなるとどうなるのであろうか。ちょっと恐ろしくなった。
 

2009年1月 6日

私家版業務システム変遷史 ― 1997年

この年は、生産システムの開発に全力を注いでいたが、他にもいろいろな変化が押し寄せてきた。ダウンサイジングという波はすでに言ったが、EUC(End User Computing)という流れもあった。これはPCの性能向上と普及が背景にあるが、IS部門に頼んでもなかなかやってくれないというバッグログ問題も横たわっていた。

ちょっとしたシステムをホストでやるわけにはいかない、さりとてユーザはPCでまともなシステムの組みかたをしらない、といったせめぎあいの兆候がでてきた。そして、どんどんPCが入り込んできて、IS部門がその応対に苦労しだしたのである。何しろ数が多く、様々なユーザがいるわけだから、日々問い合わせやら苦情やらが対応できないくらいになる。

そこで組織したのが、「システム化推進員」である。課とかグループごとにパソコンに詳しい人間を1名それに任命するのだ。その人のところで、まずは一次切り分けをしてもらうことにした。まあ、「パソコンお世話係」といったところである。でもそれでずいぶんと助かった。

このPCの管理コストはばかにならなくて、当時TCO(Total Cost of Ownership)という言葉で語られたように、PCの保有コストという議論がおこり、ガートナーがPC一台あたりのTCOはPC価格の5倍であるというようなことをまことしやかに唱えていた。

一方でこのPC普及とともに、EUC(End User Computing)という流れも起こってきた。その象徴的なものが、Lotus Notesを使った開発である。これは割りと簡単にアプリケーションがつくれるので、エンドユーザ自らが開発できてしまう。

そこで議論が巻き起こったのである。どこまでやらせていいものかである。当時のIS部門は、そんなものはシステムではない、おもちゃみたいなもので企業のシステムはできない、セキュリティはどうなるのだ、運用はどうするのだ、といった消極論で、それに対してPCのスキルをつけたエンドユーザや工場のIS部門は、これまでのバッグログの問題もあったため、積極論であった。

結局、限定的な使い方にし、できるだけIS部門がAccseeやCSシステムを使って開発してあげることにした。それがよかったか悪かったかよくわからないが、いまNotesが普及した会社はその保守とマイグレーションで困っていると聞く。

EUCの問題は、作るのは手軽にできるが、作った人が転勤になったらどうするのかという保守にある。手に負えなくなった資産があふれてくるのである。

ただし、この問題は、いままた出てくるように思う。例えばSaaS型で簡単に業務アプリを取得できるようになってくるとエンドユーザが直に使い出すからである。こういった、これまでと違ったタイプのEUCはどうなるのかという議論があるように思う。

2009年1月 7日

I Have a Dream.Yes We Can.Thanks.

去年の米国の流行語大賞は、オバマの「Yes We Can」 ではないだろうか。日本の「グ~!」と「アラフォー」じゃどうにもこうにも比較にもならん。

それで、キング牧師の有名な言葉、I Have a Dream とつなげてみた。もう45年前の有名な演説でこの言葉で切り出して公民権運動の高まりを見せた、あのフレーズである。その夢をオバマがかなえたのが昨年の大統領選であった。

こうしてつなげてみると、われわれがふだん心得ていかなくてはいけない言葉を示しているように思える。
日本語で言えば、「いつも夢を持ちなさい。そうすれば、必ずかなえられる。そして、それができたら感謝しなさい」とでもなろうか。

そうなんです。これはぼくが座右の銘にしている、村上和雄さんの「高い志、プラス思考、感謝」につながることなんです。

夢があるいは高い志がなければ自分の存在価値はない。それがあってこそ、それを実現するための努力をする。けっして諦めず、プラス思考で、絶対できるという気持ちを持てばできるのだ。そして、それができたのは自分ひとりでやれたのではなく、まわりの人たちの支えがあってこそできたのだから、その人たちに感謝することを忘れてはいけない。

こんなメッセージがこめられている。どこかの国の政治家によく聞いておけと言いたくもなるのである。
 

2009年1月 8日

オヤジの役回り

きのう、おとといと嫁さんと子どもにそれぞれ別々にオヤジとしての役目をはたす。たまには、存在感を見せることも必要だ。

嫁さんは昨年の手術後の予後があまりよくなく、おとといも年末の検査結果を一緒に聞きにいった。ところが、検査の結果は説明してくれるのだが、だからどうなのといところがぼやけてしまって、何か欲求不満が残った。まあ、そんなものかとあきらめ、あせらずじっくり治療しようということである。

病院の帰りに義弟のところによって甥と姪に少し遅いお年玉をあげる。もう二人とも大学生だから今年が最後になるかもしれない。

昨日は昼から上の息子(社長)と表参堂のある会社にでかける。昨年から受託している開発の進捗会議である。いままでは、どちらかというと二人は別個に仕事をしていたが、社長の方はコードを書きながらプロジェクト管理みたいなことや対外折衝をしていたが、何もなければいいのだがひとたび面倒なことになるとそちらのほうに時間がとられ、製造の時間がとれなくなるという事態になる。

なので、そのプロジェクト管理のようなことはぼくがやることにして、年末から多少問題があって、委託会社の人や一緒にやっている受託会社の人たちと情報交換をするようになった。その調整会議だったのである。

まあ、なんとかまとまって一息といったところで、懸念しながら進めると効率も落ちるのですっきりしたのでやりやすくなった。今後もこういう役回りを担っていこうと思った。

その日は、夜に下の息子と呑むことになっていたので、時間つぶしに映画をみようとしたら、どこも微妙に時間が合わずしかたなしに、もっていったPCで仕事をする。息子の勤務地が桜新町で呑むのを三軒茶屋にしたので、キャロットタワーの26階ロビーで夜景をみながらキーボードを叩く。

行った店が「味とめ」。この店はアド街ック天国に2度紹介されたことがあるという有名店である。しかし、きれいでも何でもなくて雑然とした店内にメニューの張り紙がびったり。

入るとおばさんにぐるなびのクーポンをみせたら、喜んで「ぐるなびさん、2名ご来店」と大きな声で叫ぶ。小上がりの奥のテーブルに座り、まずは生ビールとぐるなびサービスのうなぎの串焼きを食べる。

メニューがあり過ぎて何を頼んでいいかわからない。こういうときはおすすめを聞くに限る。寄せ鍋とかつおの藁焼き、いわしのしそ揚げを頼み、酒はホッピーにする。息子はあと赤霧島を呑んで感激していた。

鍋は1人前で十分といわれたのでそうしたが、ほんと1人前でも軽く2人前はある。食べ終わったら、おばさんが七草粥ならぬ七草雑炊にしてくれて、それも全部おばさんがやってくれてよそってくれる。そのあいだ、三人で話し込む。ぐるなびの掲載料がはやっている店とそうでないところと違うということや、雑誌に掲載されたの見せてくれたり、面白い話を他のお客さんをほったらかして話してくれる。

そんな雰囲気で久しぶりにというか、下の息子が就職してから初めて二人で呑んだ楽しい夜であった。「味とめ」のおばさん、そして板場の息子さんありがとうございました。
 

 

2009年1月 9日

絵文字

またもや、白川静ネタです。いま、あるITの研究会でWeb2.0を企業に適用するにはというテーマで議論している。その中で、絵文字についてけっこう面白い話になっていて、絵文字によってコミュニケーションが円滑になる可能性があるんじゃないかという意見がでてきている。それがどうして白川静なのかというと、次の白川の言葉をみてください。

わが国の文字の歴史は、どちらかというと文字を遊ぶ、文字を国語の中で自在に、いわば陶冶して国語化してしまって、そうして国語では表現できないようなところを、漢字を使って表現する。つまり足らざるを補って、表現力の上に加えるというやり方をするわけです。だから日本における文字は、本来の役割以上の働きをしている。それは一つには日本人が、表現上に一種の遊びの心をもっておった、事実を表現するだけでなく、その余韻を楽しむ、「あはれ」「をかしさ」というようなものを余分に表現しようとする、そういう表現以上のものを求める手段として、漢字を上手に使っているのです。

これを読むとわが国で絵文字が生まれたことが偶然ではないことがわかると思います。

この絵文字のことをぼくは“表情文字”と名づけたいのである。表音文字、表意文字に次ぐ第三の文字である。表情というのは顔の表情だけではありません。要するに“情”を表す言葉です。

情はいろいろな意味があります。情のつく言葉を思い起こしてください。感情、人情、心情、厚情、情熱、情緒、情愛などなど、人間の気持ちの持ち方、人に対する接し方、そういえば情報という言葉もあります。すなわち、人間の生身のインターフェースを表しているように思えるのです。

絵文字は、この“情”を表現している文字ではないでしょうか。そして、白川の言うように表現以上に人間同士のつながりをそこに求める手段のように思えるのです。

ところがその絵文字のユニコード化をGoogleがやるというのじゃありませんか。ぼくはここにわが国のIT企業の文化のなさというか、「日本のIT産業」という視点が欠落している証左であると思う。

グローバル化はこうした足元の文化、風土を消化してこそできるのであって、簡単にコストだけを見て、オフショアー化するバカな経営をしている限りはお先が真っ暗だ。

その象徴として絵文字文化の掘り下げは大変楽しい作業なのである。何といっても「機嫌のいい職場」のほうがいいに決まっている。ぜひ絵文字文化を議論したいと真剣に思うのである。
 

2009年1月10日

人のセックスを笑うな

いきなりこの題名だからTSUTAYAで男の店員のところに行こうとしたら、女の店員さんに呼ばれてしまった。別にいやらしい映画でもなんともないのだがちょっと恥ずかしい。

なかなか面白い映画であった。この井口奈美という女流監督は知らなかったがいいセンスしている。映画は、地方の美術学校に通う男二人と女一人の若者がある朝もう若くはない女を車に乗せてあげるところから始まる。この若者を松山ケンンジ、忍城修吾、蒼井優が演じ、その若くはない女は永作博美である。

このキャスティングで早くもうなってしまう。見る前から期待が高まる。期待通りの演技で楽しませてくれる。

永作博美は、小悪魔的で19歳の男の子を翻弄するが、憎めないそんな役回りを気負うことなく自然ですごく好感が持てる。

松山ケンジもその自然な感じがすごくよくて、若者の誰でもがもつ年上の女性への憧れをうまく表現していた。忍城修吾は初めて見たが、色気がある男の子だ。

蒼井優は、やはりこの子は素晴らしい。男の子二人と不倫の女との間に入って重要な役まわりなのだが、これまた可愛らしく、しかし強さも持った、そんな女の子を好演している。

他の出演者もみなはまっているように思え、ちょっとびっくりしたのは、あがた森魚が永作博美の旦那役ででていたことで、ぼくらの世代では懐かしく思うだろう。

この監督のセンスのよさを感じたのは、俳優たちに自由に演技させてその自然さを摘み取っていることで、だから割とワンシーンが長まわしで、その“間”を与えることで、せりふや仕種がとても面白いものになっている。この辺の非凡さを感じ、次の作品を期待している。
 

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2009年1月11日

生命をつなぐ進化のふしぎ

最近、福岡伸一の本の影響か、生命とか進化とかいったことに興味を抱いている。それに関する本で「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)を手にする。著者は、東京大学理学部生物学科を卒業して現在早稲田大学教授である。主に進化論がテーマである。

まずは、本の内容をうんぬんする前にどうも読み進めにくいのだ。それが何なのかと考えてみたら、引用文献の多さなのだ。別に多いからだめだというのではなく、整理しきれていないことが問題なのだ。

著者があとがきで「新書であっても大量の参考文献を載せたいという私のこだわりを、知の誠実性と理解してもらい、とてもうれしく思う」と書いているが、これは間違っている。学術論文ならいいが新書であるからだめなのである。新書の読者を想定してみてください。専門家ではないのである。その人たちに向かって律儀に知の誠実性とまで言うより、わかりやすくするほうが優先されるはずである。

この参考文献の多さがなぜだめなのかというと、断定的な言い方を避けているから読者はいったいどう理解したらよいか迷ってしまうのだ。いたるところ、「~という示唆があります」「~という説もあります」「~という報告があります」で終わっている。

そして、文献を参照して、こんな意見もあります、ここはまだ議論していることです、など一見して客観的かつ論理的であると思ってしまうがそうだろうか。確かにこういう分野では、理学のように明確な答えがあることは少ないと思うが、一般読者に対して、様々な意見があるが噛み砕いてみると私はこう思っていますという自論を言ってもいいような気がする。

長々と本の中味とはあんまり関係ないことを書いてしまったが、もちろん面白い話も入っていて、まず“適応的”という言葉がよく出てきてすこしとまどった。なるほど人間が進化してある形ができるということはその形は“適応的”ということなのである。

そういう意味で見ていくと、面白かったのはつい人間って農耕型の生活が大昔からやられていたと思ってしまうが、人類の歴史の大半は移動しながら狩猟や採集で食糧を作っていたのであって、定住しての農耕又は牧畜によって食糧を作りだしたのがほんの1万年前だということである。ということは、まだ狩猟型から農耕型への進化の過程なのかもしれない。

そして、さらに面白かったのは老化の進化論で、長生きするための条件を動物モデルから導き出すと、生殖機能をなくし、粗食で、さらに冷蔵庫に入っていればよいらしい。おっと、こんな北国の仙人みたいな生活をして長生きしたい人がいるのだろうか。
 

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2009年1月12日

街場の小経済学その3

いまの仕事柄、背広をほとんど着なくなり、せいぜいジャケットを着るくらいだし、事務所にいるときはセーターとかトレーナーである。そうなると重宝するのがユニクロである。それこそ、靴下から下着、綿パンも含めてユニクロ調達が多くなる。

そこで思ったのは、ユニクロは本当に安いのかということである。というのは、どうも持ちが悪いように感じるからである。デザインが毎年変わるから、買い換えるということもあるが、1年か2年で新しいのに変えている。これは、デザインの刷新ということだけではないように思う。耐久性の問題である。ユニクロ以外のものはもちろん高いのだが何年も着ることができる。

ところで、どうしてここまでユニクロが伸びたのだろうか。みな価格の低さをいうがそうだろうか。ぼくは、これだけ受け入れられたのはデザインのよさだと思う。ユニクロ以前は、特におじさんなんてそれこそダサイものしかなかった。いいものがあっても高価だった。よくゴルフウエアがカジュアルの代表みたいに言われたこともあった。それがユニクロが登場しておじさんたちの着ているものが洗練されてきた。

ぼくの個人的なことでいえば、前にこのブログでも書いたが、昔から着るものはトラディショナルなものを着ている。トラディショナルというのに変えてしまうのはやめてよねという話を書いた。そのトラディショナルなファッションをユニクロが提供したことがインパクトがあったのだとぼくは考えている。

オックスフォードのボタンダウンシャツってなかなか売っていなくて、あってものニューヨーカーとか高かったりしていた。それを安価でカッコイイものを売り出したのである。それが、折りしもクールビズの流れもあっておじさんたちにもボタンダウンシャツにチノパンといういでたちが増えていったのである。

そういうスタイルに合った商品を提供していったことがユニクロのビジネスを成立させているわけで、決して安いからということではない。だから、毎年着れないトラディショナルでも、擬似的かつスポット的なトラディショナルでも受け入れられたのではないだろうか。

しかし、ユニクロ以外で少々値がはるものだと、何年も前に買ったシャツやセーターやジャケットが今でも着れるのにユニクロのものは2年も着ればいいほうで捨ててしまうというのはいかがかと思ってしまう。

結局何を言いたかというと、ユニクロは寿命を考慮すると決して安くはないが、デザインのよさで市場を獲得したということである。最近は機能性も評価されているようだ。
 

2009年1月13日

おめでとう広島皆実高校!

今年の全国高校サッカー選手権は、広島皆実高校が鹿児島城西高校を3-2で下して初優勝した。

大迫、野村という二枚看板の攻撃力と松岡主将率いる守備力の争いは非常に見ごたえのある好試合であった。

勝敗を分けたのは、守備力の差であった。鹿児島城西の守備は最後の厳しさが不足していた。例えば勝ち越し点を許した右からのサイドバックのクロスを身を挺して防いでいない。そこは、皆実との差で、皆実の選手たちは一人一人が厳しく徹底した守備を行なっていた。

これは、簡単にいうとチームカラーであり、自然と身についたスタイルなのである。城西は抜きん出た力の選手がいるから、最後はそこに頼れば何とかなると思ってしまうし、事実何とかしてくれていた。そうなると、どうしても個々の選手の、そして個々の局面での甘さが出てしまうように思える。

だから、ダメだと言っているのではなく、チームつくりというのは選手の構成に応じてするわけで、城西のように傑出した選手がいる場合とそうでない皆実の場合では、そのスタイルは違ったものになる。その生かし方ができるのか、または相手によって生きてくるのかということだ。

そういう意味では、昨日の試合では幾分皆実のスタイルがうまく機能したということだろうと思う。城西だってあの堅守の皆実から2点も奪ったのだから、わずかな差だったのだ。

しかし、城西の大迫勇也選手は将来性を感じさせる逸材である。なぜすばらしいかというと、従来にない型のストライカーだからである。

これまでの選手では、強さ、うまさ、速さのどれか持っているというのが条件で、そのうちの二つ以上を持っていると優秀な選手と言われる。ところが彼は、どれもがそこそこである。ところが、それ以上に備わっているのが、“しなやかさ”である。

実にしなやかな動きをする。ボールを受けてから一連の動作が無駄がなく力みもなく滑らかである。だから、いとも簡単にゴールへ向かう姿勢がとれる。しなやかさはどうして生まれるかというと力の抜き方をからだが知っていることだと思う。柳の風に打たれても折れない強さに似ている。試合でもあまりガツンと当たれて倒れるシーンがないことからも分かる。

そして、そのしなやかさに加えさらにすばらしいのは、タイミングの取り方が非常にうまいのである。大きなフェイントとか切り返しはほとんどやらないが相手ディフェンダーをかわしていく。これがなぜできるかというと、相手との間合いのホンのちょっと先をいくとか、相手の足が届きそうで届かないところにボールを運ぶとか、そういったちょっとした違いを自然に発揮できる能力がそなわっていることである。

べたほめだが、最後は“性格”である。精神的にもこの“しなやかさ”を身につけ代表選手になってもらいたいものだ。

ところで広島勢の優勝は1967年の山陽高校以来41年ぶりという。ちょっと意外な感じがしている。というのは、ぼくらの感覚だと、このころの強い高校というのは、もう埼玉、静岡、広島で決まっていて、そのほかはたまに、東京、千葉などの関東勢、大阪、京都などの近畿勢くらいだった。

ぼくは、何回かこのブログでも書いているが、その山陽高校が優勝した年の2年前に神奈川県代表として選手権に出場している。そのときの優勝チームは大阪の明星高校と千葉の習志野高校の両者優勝であった。

まだ、関西開催で主会場が長居競技場でそのほか西京極などで行なわれていた。関東開催になったのは第55回大会(1976年度)からである。関東に移ってからは日本テレビの後援も受け、認知度も上がってきたが、ぼくらの時代は誰も応援に来るわけではなく、観客もほんの少しという中で戦ったのである。

西京極競技場で行なった一回戦の時の写真があるのでそれを見てください。これが当時の全国高校サッカー選手権の模様なのですから隔世の感がしますよね。

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2009年1月14日

ハッピーフライト

たまには映画館に行かなくてはと思い、ウォーターボーイとスウィングガールの矢口史靖監督の「ハッピーフライト」を日比谷シャンテで観る。なんとなく不思議な映画だ。不思議だという意味は、前述2作品のようにある目的に向かってみんなでがんばって達成するという意味では同じ系統ではあるが、その目的が緊急対応かよってツッコミたくなる。

何か防災訓練をみせられたようでちょっとがっかりなのだ。ぼくは化学プラントで働いていたから、工場の緊急対応訓練を思い出したのである。特に、毎年行われる9月1日の地震を想定した大がかりな訓練のようだったのである。

ここで訓練といったのは、緊急事態の緊迫感が伝わってこないからである。映画のような事態ってかなりやばいように思うのだが、それが軽いから観終ってから訓練みたいだと思わされる。能天気といってもおかしくないので、だから「ハッピーフライト」なのだと皮肉ってみたくなる。

しかし、だからといってだめだとは言えなくて、飽きさせない展開や様々なエピソードはそれぞれ面白くなるほどなあと思う。

ただ、ここでも待てよそれは個性のある俳優を配して、その人の雰囲気で見せているだけかもしれない。岸田一徳、笹野高志、田山涼成、ベンガル、正名僕蔵・・・、柄本明まで出ていた。(皆オーディションで選ばれたそうだが) それと、ストーリー展開も引っかかるところもなく、ある意味しっかりした脚本なのだ。

ということで、ウォーターボーイとスウィングガールの延長として観るとちょっと違うように思え、やっぱりとらえどころのない不思議な映画であった。
 

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2009年1月15日

本質を見抜く

ここのところスタロジの羽生さんが立て続けにブログですごくいいことを書いているので反応したくなった。「営業マン」「起業・経営の必要条件」「制約が工夫と本質を磨く」である。

GoTheDistanceさんもこのエントリーに対してコメントしているが、ぼくはぼくなりのちょっと違った視点で考えてみた。羽生さんが書いていることは、会社でモノを作ってそれをお客さんに売って会社の経営を立ち行かせるには、何が大事なのかをこれだけの行数でほぼ言い尽くしてあるのに驚かされる。

ぼくも2年半まえに起業してまがりなりにも会社を経営しているので身につまされる思いで読んだのである。ただし、これは何も起業している人たちだけではなく、普通に会社で働いている人にとっても当てはまることでもある。

ブログの記事に言及する前に最近の問題も絡んでくるのでそのことに少し触れておく。いま、派遣だとか非正規社員だとかいう問題が喚起されているが、皮相的な議論はさておき、ぼくは本質的なところをよく考えておく必要があると思っている。

それは何かというと、働く価値というか生きがいをもって働くということはどういうことかということである。

どうも今の派遣などの問題では、何でもいいから職をくれ、給料をもっとくれと言っているようだ。そしてワークシェアリングだなんてばかなことを言う。こういうことは、裏を返せばノンワーキングリッチが何といわれようとも会社を離れないといっているのと変わりはない。

すなわち、働くということは、いやなことやりたくないことでも給料がもらえればそれでいいのだという振る舞いにつながるわけで、そんな主張をみんなしているのだろうか。

だから、事の本質は働く人それぞれが生きがいを持てる、あるいはそこまでもいかなくても好きになれる仕事に就けるという多様的な雇用の流動化が必要なのであって、派遣規制をするとか労働者を保護することではないのだ。

こんなことをいうと、必ずそんなことをすぐに出来るわけがないとか、だれでも好きなことができるわけがないと言う。そりゃすぐにできないし、みんながやりたがらない仕事をするひともいるだろうが、徐々にでもいからそういう構造にもっていくように舵をきることなのだ。

昨年、うちの社長(息子)が転職雑誌のインタビューを受けたことがある。社長は就活もしたこともないし、就職もしたことがないのになぜ転職雑誌に載るのかと思ったら、その編集者が、「起業も転職の一つです」と答えたのでなるほどと思った。

転職とは自分のやりたいことをやれる場所を探すことだから、確かに起業は既存の会社ではできそうにないので会社を起すわけだからそういうことだ。だから、社会構造的かつ心理的にも、こうした動きをもっと滑らかにできるようにしたらいいと思うのである。

ただ、ここで転職と起業の大きな違いがある。起業する場合、羽生さんの言う「起業・経営の条件」としての「財務と営業」の重要さである。買って頂く能力とお金の使い方の能力が不可欠なのです。だから、羽生さんの言うように、会社を作るのは簡単だが、この条件をクリヤーするのは並大抵のことではないのだ。

羽生さんはこれをOSのようだと表現していますが、従ってもっと大事なのはこのOS上で何を動かすかです。すなわち、どんなものを売るのか、何を商品とするのかです。それが魅力あるものであるのか、お客さまが欲しがるものなのだろうかとなる。しかし、それがあったとしてもお客様が来るのを待っていたら売れないわけで、それをどうやって売るかが“営業”なのである。

ぼくが営業で最も必要と思うことは、簡単に言えば「自分がほれ込んだ商品を売ること」である。これは営業だけに限らず、開発や製造でも同じで、「自分がほれ込んだ商品を開発することであり、製造すること」なのである。だから、最初に言っているのは、こういう誇りを持てる仕事をすることで報酬を得ることを志向しようよということである。

羽生さんのブログに出てくる営業の人たちは、ぼくの経験からも一般的によく見てきた。自分商品がそれほど好きでないのに売り込みがうまいやつとか、某社のように圧力団体のように大勢の営業がきて脅していく。ただ売れればいいという態度である。それではなかなか売れないと思うのだがけっこう多いパターンで、そういう人たちは”売れそうな商品”があるところにすぐに乗り換える。

逆にいえばほんとに自分が愛情をそそげるような商品があり、それがいいものであれば、必ず売れるはずだ。スタロジはギョウゾー!ができてうらやましい。ぼくらも今年前半には何とかいい商品をつくるつもりだ。

そして、そのいいものを作る上で意外と思われるかもしれないが、「制約が工夫と本質を磨く」ということが大事なのである。何でもお客様が望むことができるのがいいことではないだろうし、様々なお客様が同じことができるとは限らないだろうから、必ず制約というものが存在する。

ただし、その制約とは、これができない、これをしてはいけないということではなく、羽生さんの言う「型」にはめることだと思う。ただし、その「型」が本質的で、かつ適応的なものでなくてはいけません。

この本質を見極めるというのは、業務システムの領域について述べますが、システムからの発想では見えてきません。システムは単なる道具だからです。業務側あるいは使い手側から発想していくと、本質が見えてきます。

実はその業務は「型」があることに気がつきます。大変シンプルなものです。そして、それができれば、そこには「作法」が生まれ、そこで初めて作法を実行するためのインターフェースとしての道具(システム)が必要になってきます。

結局、「本質を見極めた商品を作り、それにほれ込んで売り込み、買ってもらったお客様に喜んでもらうこと、その結果、利益(給料)もそこそこあげられるということ」を働きがいがあることだと思えるようにしたいものです。
 
そのためには、繰り返すが、硬直的な労働市場ではなく、もっと流動的にすることだとぼくは思う。

2009年1月16日

Web2.0の導入レベル

Web2.0の技術やサービスを企業に導入するにはといったテーマで勉強会をしているという話は前に書いた。そのとき、どういうエリアで導入すべきなのかという問題がある。仕事の種類でどういった技術やサービスが適用できるかということである。

そこで、そうした業務の性格をながめてみた。3つのエリアというかステップがあるように思うのである。
その3つはつぎのような業務形態ではないかと思いいたった。

1) 個人の知的生産性に関するところ
2) グループで行うプロジェクト的業務に関するところ
3) ルーティン的な基幹業務プロセスに関するところ

それぞれで求められる要件が違うように思う。

1)では、あくまで個人であるので個人がどれだけいい情報に早く到達できるかであろう。当然情報取得は人からもあるから、効率的なコミュニケーション能力というのも含まれる。

2)のところでは、ある設定された目的に対して、それぞれの役割を与えられたメンバーが情報を生み出し、それを結んだり、編集したりして新たな情報を生み出すという行動を行う。

ここで重要なのは、決まったプロセスではないので、臨機応変に進め方を変えられる変化対応力が求められる。その変化に対して素早い判断ができることが望まれる。そこでは、メンバー間の情報共有と協力が不可欠であることは言うまでもない。

3)は、基本的には決まったことをこなすのだが、時には例外的なことがおきたり、また細かい点ではいつも同じとは限らないという性格があるので、軽いプロジェクト的な動きも必要となる。

そして、組織体としてのチームプレーが求められるが、プロジェクト業務とは違って、必ずしも優秀な人ばかりで構成されていないというなかでいかに高い質の意思決定を行えるかが重要である。

つぎに、そういった要件に対してそれをどんなWeb2.0がどのように解決してくれるのかである。
その前にWeb2.0の特徴(従来できなかったと)を考えてみましょう。私は次の3つであると考えています。

・ 双方向コミュニケーション
・ オンデマンド
・ ハイパーリンク

これらの特徴がどう生かされるのでしょうか。

個人の知的生産性の向上では、いまやネットを使う上で様々なツールやデバイスあるいはサービスが提供されていて、それらをうまく使いこなすことでリテラシーの向上が図られるものと思われます。ハイパーリンクで情報のリーチが長くなったこととオンデマンドで自分の好きなときに情報を取得できるようになったのです。

2)と3)については、大事なことは、情報共有型の業務処理をITを使って行うということではないでしょうか。この参加型のコラボレーションによる意思決定は従来の紙ベースの逐次処理とは明らかに違ってきます。

伝票や帳票を持って回って、決裁を仰ぐスタイルでは、プロジェクトや業務プロセスにおけるスピード感がまるで違ってきます。そして、双方向コミュニケーションという特徴が生きる世界です。

これこそがWeb2.0の世界がもたらすメリットではないでしょうか。情報共有型ということで言えば、SNS、Blog、Wikiといったアプリケーションはそうした場を提供してくれます。それを構成するCMSなどのフレームワークも充実してきました。私は、ここが最大のポイントであると考えています。

ということで、各レベルで必要とされる要件を満たすような技術やツールがWeb2.0から得られる時代になったように思うのである。

2009年1月17日

最高の人生の見つけ方

腹が立つほどひどい邦題だ。原題は「THE BUCKET LIST」、直訳すれば“棺おけリスト”だ。要するに、もうちょっと前の映画「死ぬまでにしたい10のこと」と同じような話である。だから、ぜんぜん意味が違う。そのまま“棺おけ”は直截すぎるからそのまま“バンケットリスト”とかでよかった。

邦題のひどさから言うわけではないが、評判がいいようだけどぼくの中ではあまり評価できない。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンの主演とくれば、もう名作間違いなしという感じだが、二人の演技はそりゃうまいが、なんとなく感動しないのだ。

余命6ヶ月を告げられた境遇の全く違う初老の二人が病院で同室になり、意気投合し死ぬまで一緒に過ごすというもの。確かに死ぬまでにやりたいことを書き出してそれを実行していくという設定は面白そうに思うが、そのやりたいことがどうも違和感があるのだ。

それは、
・スカイダイビング
・ 世界一の美女にキスをする
・ 泣くほど笑う
・ 見ず知らずの人に親切にする
・ 荘厳な景色を見る
・ 入れ墨をする
・ ピラミッドを見るなどなど
なのだ。

余命6ヶ月の老人がスカイダイビング??というのも、ジャック・ニコルソンの方は大金持ちでモーガン・フリーマンはしがない自動車整備工というわけで、その大金持ちの専用ジェット機で世界中を飛び回るという設定である。

アメリカ人の考えることってこんなことなのか、金にあかせて遊びまわりたかったのかなあ。死を宣告されてそれまでにやりたいことって、若いときにやりたくってもできないこととかお金がなかったのでできなかったことをしたいのかなあ。どうも違うように思えるのだ。自分がそういう立場になっていないのでなんとも言えないのだが、もっと地味で静かなことのように思える。

だから、最初に設定は面白いと書いたが、むしろ設定に無理があって、そもそも映画にはなりにくいテーマなのかもしれないなと、そんなことを考えてしまった。

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2009年1月18日

第1回OB会

昨日は、念願だった大学時代のサッカー部のOB会が開催された。1961年に創部されたので48年目になる。去年のOB戦でOB会を作ろうという話になり、それから準備委員会を作り、規約から名簿作成といった作業を行い、やっと昨日を迎えることができた。

昨日は、第一回の総会と懇親会を大学のキャンパス内で行なった。懇親会の会場である食堂は昔のままですごく懐かしく、また構内はぼくらの時代とずいぶんと変わっていて、建物がすごく増えてびっくりした。

総会は50人近くの人が出席してくれて、役員選出や規約の承認などを行い、そのあと懇親会に移ったが、そこには100人以上の参加があり、学部長や顧問の教授からも祝辞をいただいた。

何しろ48年間だから、OBが600名くらいになる。親子ほど違うOBが一堂に会すので実に面白い。ぼくの3年下の後輩の息子が現役の部員として受付や懇親会の設営を手伝ってくれたりした。

会場では、それこそ40年ぶりで会う人もいて最初は誰だかわからないのだが、すぐにああーとお互いに声を出し合うという状態があちこちで現出する。

OB会の出席者は、年寄りと若い子たちに偏る傾向がある。30歳から50歳くらいまでの参加者が少ない。今回も入学年度(最初卒業年度にしたらまずいことに留年組がけっこういて、入学年度に変えた)ごとに幹事を決めてその人たちがその年度をまとめることにしていたが、その年代で幹事さえ欠席という年がけっこうあった。

これはある意味しかたないことで、自分の経験にも照らし合わせて見ても、どうしても会社や家庭が忙しい年代なのでなかなか時間が取れないようだ。ただ、彼らも年をとってくると自然とまた集まってくると思うのでそれまで連絡が途絶えないようにしておくことなのだろう。

さて、昨日は受付係で始まるときと終わるときにお金を徴収する役目だったのであまり飲むこともできず、幹事団の2次会で飲みなおして帰路についたのであります。
 

2009年1月19日

雇用の流動化

数日前の「本質を見抜く」というエントリーで雇用の流動化について書いたが、もう少し補足して説明する。そこでは、多様な雇用の流動化がワーキングプアや失業を減らし、働きやすい職場を作ることにつながるとうことを示唆した。

そして、そもそも何が問題なのかについて、好きなことができる環境をなかなかみつけにくいし、移動しにくいことを指摘した。

それとともに、関連することとして「新卒の過度の優遇」をここでは考えてみたい。

日本の企業、特に大企業と言われる会社では、定期的な新卒採用が基本になっている。そのため、この新卒の人たちをベースに会社の組織とキャリアパスが設計されているので、その新卒がどのように出世していくのか、出世させるのかで動いている。

ぼくには、この新卒の過度の優遇がかなり日本の企業の硬直性を生み出しているように思えてならない。ただ、IT業界のようなところや外資系の会社はこういうことが少ないのだが、一般の企業ではこれが大きいのだ。

ところで、今IT企業はそうではないと書いたが、実は間接的に影響を被っているように思える。それは、IT企業とユーザ企業との人的交流が少ないということである。ぼくは、この人の流れはどんどんやった方がいいと思うのであえて言っているのである。

IT企業の方は確かに転職もでき、ある程度流動性は確保されているが、ITを使ってもらうお客さんの企業はどうかというと、大部分のユーザ企業は、指摘したように厳然と新卒重視型組織になっているから硬直化して動きが悪いのだ。だから、ユーザ企業からIT業界へ流れていかない。

ユーザ企業の人たちにとっては、せっかく新卒で入ってぬくぬくとやっているのに、リスクをとってIT業界へ飛び込むことはしない。よほどメリットがある場合か、技術をもった元気のあるやつしかやらないということになる。

ある意味、こうしたことがITとビジネスとの乖離がなかなか埋まらない遠因でもあるような気がする。そのぬくぬく組が何もしないだけならまだいいかもしれないが、バリアになってしまっていることもあるのだ。だから、依然として、開発のときのユーザ側とシステム側の円滑なコミュニケーションが難しいのである。

もちろん、ユーザだけの問題ではなく、受け皿のIT業界が3K職場と揶揄されるようじゃ困るのだが、それはそれとしてユーザ企業でもITを経営に生かすためにも、まずはユーザ企業からのIT人材の供出はやったほうがいいと思う。だって新卒重視企業に人材を送るという逆の流れは激しく難しいからである。

こうしたことが、ぜんぜん進まないのはもちろんインセンティブが働かないのであるが、インセンティブが働くように、どこへいっても自分の力に見合った評価が得られるような構造にしないと、日本全体の人的活力が死んだままになる。これは、新卒でも本当はもっとよそで違ったことをやりたいと後で気付いてもじっと我慢するほうを選択するという場合もあるわけで、そうしたら双方が不幸になる。

だれもが、こんな時代は動かない方がいいと思いがちであるが、そうではなくてむしろ多様な流動化によって、“塩漬け新卒”を活性化させることも必要ではないかと思うのである。
 

2009年1月20日

私家版業務システム変遷史 ― 1998年

さて、工場の生産管理システムは何とか動いたのだが、どうしてもできなかったものがあった。それは、生産計画システムであった。正確に言うと生産計画というより、製造スケジューリングといったほうがいいかもしれない。

販売計画に基づき、最適化された稼動スケジュールを描くというものである。反応釜がいくつかあって、キャンペーンごとにそれらを切り替えながら製造する。さらにそれを入れるサイロ繰りもスケジューリングする。

これが難しいのだ。まあ、スケジュール問題はとくに最適化の要素が絡むとかなり難しくなる。当初は、AsprovaだとかArtemisだとかいったソフトを買ってきてやろうとしたが予算の関係上買えないことがわかり、それじゃあ最適化を諦めて単なるスケジュール作成システムにするかと考えた。

最適化を入れるか入れないかでぜんぜん違ってくる。後年、この難しさから、私はケーススタディができベターケースを人間が選択すれば十分じゃないかという考えになった。

ところが、そのとき名古屋のあるベンチャーがやりましょうと言ってきた。それもイスラエルのソフトを使ってやりますという話である。研究的要素があるので安くやるということに目がくらみ開発を始めた。しかし、2年経ってもできなかった。これはにがい思い出のひとつである。

さて、この年の半ばに工場のシステム部門から東京本社の情報システム部長に転進した。この組織は協力会社のひとを含めて120人くらいの所帯である。東京は主にメインフレームを使った基幹業務システムの運用管理である。

まだ、赤坂の一等地の地下にコンピュータ室があって、何人かのオペレータがいた。いやー、メインフレームの経験がないのでこんなものかと思ったが、なにか重厚な感じがしたものである。

そのころの開発にSFAがあった。確か人事が主宰して事務部門の効率化プロジェクトみたいなものを立ち上げた。そのなかで営業部門のシステム化がテーマになった。営業情報が属人的になったり、上司に報告がいかなかったり、そんな問題を解決しようとなったわけである。

そのとき営業支援ソフトを導入して、営業日報の記入と共有化を行なうのがいいとなった。ところが、最初のころはよかったのだが、だんだん使われなくなってしまった。

そこでなぜ使われなくなったのかをいろいろ考えてみた。実際の現場の営業マンや営業部長などにも聞いてみたのだが、どうも現場の営業マンが営業日報を書かなくなったのがそもそもの発端で、なぜ書かないかというと書いてもそれが上司のためだけであって、自分の役に立たないということが理由のようだった。

要するに、日報を書くインセンティブが書く本人にないことに起因しているのだ。せっせと上司に報告するだけで、しかもそこから的確な指示が出るわけでもないとなるとモチベーションが下がりますよね。そんなわけでほとんど使われないというまたまた苦い思い出になった。

ところで、いまSalesForce.comが注目されていますが、うまく使えているのだろうか。
 

2009年1月21日

ミニオフ会

昨日は赤坂で30歳前後の若いITエンジニアの悲喜子さん(こんな名前ですが男です)とbegiramaさんと三人で呑む。ニ人は大手ベンダーに勤めていて、SOAやBPMに関してブログで発信している。

以前、悲喜子さんとは彼の記事を見て声をかけてBPMオフ会に誘ったことがあって、それから注視していた。できのうは、その彼のブログから、彼の会社の先輩であるbegiramaさんを知り、一緒に呑むことにしたのである。

息子と同じくらいの歳だから何か変な感じだけど、ブログで情報を知っているので、別段話づらいなんてことはないわけで、むしろ共通の話題があるから歳なんて関係なしにすぐに打ち解ける。もちろん、話の中心は、SOAやBPMで、ただぼくがひとりでしゃべってばかりいたようで申し訳なかった。(begiramaさん、悲喜子さん、ごめんなさいね)

二人はすごくいろんなことを考えていて、悩んでいて、そして何より意欲的だ。だから、何回も勉強をしたいとか勉強会みたいなことができたらと言っていた。(勉強会しようかな)

それと、自分たちのキャリアパスをどう設計していくかも彼らにとっては重要なことのようだ。IT業界というのは、レガシー企業のように年功序列・終身雇用ではないので自らで設計しなくてはいけない。しかも、身近にロールモデルもなかなかいないので余計に大変だ。

でも、ぼくだってこの歳になってやっとわかったところがあって(遅いか)、30歳のころは同じように悩んでいた。まあ、失敗を恐れず何でもやってみることかもしれない。そのうちできなくなるんだから。

こうして、ブログで知り合って、リアルの場で話をするという関係はいいとぼくは思う。それができる条件は、自分の考えをきちんとブログに書くことである。そこに共鳴や同志的感情も湧くわけでそれをリアルの場で確認するということだと思う。

視線が同じだと話していても面白いし楽しい。あっという間に時間がたってまた会うことを約して店を出る。あぶなく終電を乗り過ごしそうになった。
 

2009年1月22日

暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る

ちょっと前に「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)を読んで人間までの進化論について知ったので、もう少し読んでみようと思い「暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る」(山極寿一著 NHKブックス)を手にする。

著者は京都大学教授で最近では「爆笑問題のニッポンの教養」出ていたからご記憶のかたもいると思いますが、ゴリラの生態を追っている霊長類社会生態学者である。

タイトルは今日のように世界中で起こっている人間の争いが進化論的にどうやって生じてきたかを明らかにしてくれると期待させる。

ただ、そこまでに行くのが遠い。最初のところは「攻撃性の神話」として語られ、面白い導入となっている。ところが中盤がいけない。またもや、「生命をつなぐ進化のふしぎ」と同じように参考文献が頻出してわけがわからなくなってしまう。そして、最後はまた面白いという中だるみだなければと思わせる。

ところがよく考えてみるとこれはやむを得ないことなのかもしれない。このジャンルの学問は、ひとりで全体をカバーできないし、しかもフィールドワーク主体だから、文献をしらべて論文を書くわけにもいかない。そうなるとどうしても他人のフィールドワークの結果を参考にせざるを得ないということなのだろう。

それはそれとして、もうちょっと整理してよと言いたいが、その最初の導入のところである。われわれは、つい最近まで人間の先祖は狩猟民であって、こうした狩猟民というのは攻撃的で暴力的であったと思い込んでいた。その象徴的なものが、「キング・コング」である。1933年にアメリカで公開された映画により、ゴリラは好戦的であるという誤解ができあがった。

ところがこうした考え方が間違いであったことがわかったのが20世紀も後半になってからだという。ゴリラが胸をたたくのは、戦いを挑んでいるわけではなく、その逆で引き分けねらいの表現なのである。同様に、狩猟民も争いを好むわけでもなく、逆に争わないことのほうが適応的であるという。

さて、最初の霊長類は、夜行性でもっぱら昆虫を食べていたらしい。それが、果実を食べるようになって、昼間の樹冠に顔をだすようになる。そうした食物の違いがさまざまな特徴を生み出していく。昼行性になり、二足歩行で地上生活を送るようになり、雑食化していくというように食の影響が大きい。

もう一方で、性をめぐる争いの影響もおおきく、それにより家族というものができ、テリトリーや階級といった社会構造も変化していった。面白いのは、人間だけが一緒に食事をし、食物を分かち合うのだそうだ。

そして、主題の暴力についてだが、なぜこうして戦争が人類におこるようになったかについて著者は次のように言っている。

それは、言語の出現と土地の所有、そして死者につながるイデンティティの創出により可能になったと私は考える

言語はヴアーチャルな共同体を作り出し、国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿りそれを守ろうとする。土地は“縄張り争い”である。狩猟民の時代は獲物をめがけて動きまわるから土地所有という概念はないが、農耕民は土地が命である。鎌倉時代の武士の「一所懸命」と同じである。

そして、最後に現代にどう生きるかについて

人間以外の霊長類にとって、群れで暮らすということは大きな拘束であり、行動の制約を意味するのである。人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができるからだ。そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私は思う。

うーん、なかなか面白いでしょ。それにしてもこうした学問がまだ発展途上で最近でもあらたな発見があるらしいことに驚くが、そうした研究が人間の本来的に争いを好まない動物であるということからいまの人間に警鐘を鳴らしてほしいものだ。ぜひ一読を薦める。
 

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2009年1月23日

専門家というワナ

よくこの問題は難しいから専門家の意見を聞こうというがこれは正しいのだろうか?政府でも何とか審議会のようなものもその筋の専門家を集めることになっている。しかし、こういう場合の専門家というのはどういう人なのだろうか。

問題は、往々にしてこういう審議会は何か新しいことを始めようとしたとき、あるいは今までにないことがおきたときに開かれるのが常である。そこでだ、その時に登場する専門家と呼ばれる人たちは、だいたいがこれまの業績で評価されてきた人たちなわけです。そういう基準で選ばれるわけです。

こうしたことって全くナンセンスであると思いませんか。新しいことなのだから、従来の考え方を変えていこうとすることが多いはずだ。そんなときにそこの領域で名を残すようなひとは、変えようとしないから、審議の結果、これまでの延長線から抜け出ることはなく、何が新しいことがでてきたのかわからなくなってしまう。

これは政府の審議会だけのことではありません。マスメディアでも一緒で、意見を聞くといったらもうその道で食っているひとで、いつも同じ人が出てきます。そんな人の意見や考え方はこうした環境や価値の変化が激しい時代はよく言っても半歩遅れているし、代表できないのです。

ですから、専門家といわれたら眉に唾をかけたらいいと思う。だいいち、政府にしろ、メディアにしろ自分たちに都合いいことしか言わない人を専門家といっているだけである。つい名の通ったひとの意見は正しいと思ってしまうが、そうではないことが今回の金融危機で証明されたと思う。

もう、みんな以前言ってきたことを手のひらを返すように解説しているけど、ちゃんと分析しないで口からでまかせを言っているやからが多いのは困ったものだ。
 

2009年1月24日

母さんの骨折

ぼくが3歳のとき、母親が腕を骨折した。一家のなかで母親がけがをしたり病気をすると大変なことになる。今もぼくの妻が病気療養中なので痛切に感じる。ただ、いまは、子どもが大きいので何とかなるのだが、こどもが小さい時は困ったことになる。

ぼくの弟が生まれたばかりでその子を背負って、縁側から降りようとしたとき、踏み石ですべってころんだのだ。だから、三人の子どもはまだ赤ん坊から幼稚園児である。

ある意味、腕のけがは足のけがよりやっかいである。炊事、洗濯の類ができないのである。

昔はそんな時には近所にいる嫁入り前の若い娘が手伝いにくるのだ。このときも、すぐ近くの家からやってきて、家事をやってくれたのである。

母親の実家は辻堂だったが、今なら近いがそのころはえらく遠いところだったし、父親の実家すなわち本家はこちらから手伝いに行くことはしても来てはくれないものであった。そんなわけだから、遠い親戚より近くの他人というわけである。

昔はこうして助けあって生きていた。そうでなくては皆が生きていけなかったのだ。やや乾いた言い方で言うと、社会全体のコンセンサスとしてこうした互助行動が合理的だったのである。

家事を手伝ってくれた娘さんがお嫁にいくとき、ぼくの母親はうれしそうに「あの娘はきっといい奥さんになるよ」とつぶやいた。
 


2009年1月25日

マイティ・ハート/愛と絆

これは実在の人物の映画である。パキスタンでテロリストに拘束され、殺されたジャーナリストの妻の物語である。結末が分かっているから、ストーリー展開というよりそこに至るまでの登場する人々の心理描写や事件のダイナミズムみたいなところに焦点を当てざるを得ない。

そういう点では、犯人を追う展開はダイナミックなのだが、早過ぎてついていくのが大変である。めまぐるしく新しい人物が登場するのでそれらの関係がわからなくなってしまう。

それに対して、この映画を支えているのはなんといってもジャーナリストの妻役のアンジェリーナ・ジョリーの熱演であろう。

最初はぐっと抑えていてクライマックスの叫び声で爆発する。夫が拘束され、自分の家が捜査の拠点になり様々な人が入り込むが、そこでは感情的になることもなくじっと抑え込んだ姿を見せる。

しかしながら、夫の死を知ると抑えていた感情を解き放すように叫喚する。これをアンジェリーナが素晴らしい演技で表現している。

やはり、実話の迫力はすごい。そして、カラチの喧騒のリアリティにも圧倒される。こういう映画は日本では作れないなあと思ってしまう。というより、こんなことが日本人の実話としてありえるのということかもしれない。なぜなら、テロリストに敢然と立ち向かい虐殺されたジャーナリスト、その姿を直視する妻というそんなことになる日本人がいるのかといことである。

映画云々というより、政府や企業の対応も含めてそんな日本人とアメリカ人の違いみたいなことが気になった映画であった。
 

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2009年1月26日

リア充

たまにこの言葉をネットで見かけることがある。何のことかと思っていたら、リアリティが充実していることをさすらしい。現実生活がうまくいっていることのようだ。その対語があるのかないのか知らないが、「バーチャ充」であるが、それは哀しいのでそんなものはないと思う。

ところでその「リア充」という言葉が朝日新聞に登場したのでちょっぴり驚いた。年末か年初か忘れてしまったが、社会学者で東大名誉教授の見田宗介が書いた記事がそれだ。

タイトルがたしか「リアリティに飢える人々」だったと思うが、そのなかですごく興味を惹いたのは、1968年に起きた連続射殺事件(永山則夫事件)と昨年の秋葉原で起きた無差別殺傷事件(加藤智大事件)を比較していたことである。

両事件とも若い男が動機もよく分からない無差別殺人を行ったことである。なぜなのだという問いがずっと続けられるという、そういう事件であった。ということで、両者は現象としては似かよっているように見えるが、実は違いがあるというのである。

その違いのことである。そのとき、重要な2つの視点でその違いを指摘している。

「未来があるのとない」、「まなざしを受けることとまなざしを受けられない」違いである。ひとことで言うと、「空気が濃いから空気が薄い」へということになる。これには、思わずうなずいたのである。

たぶん若い人は永山則夫事件を知らないと思うが、1968年はぼくが大学入学した年であるし、似かよった年の若者が起こした事件だからよく覚えている。

この未来があるかないかということはどういうことかというと、永山の時代は、いやぼくらの時代でもあるが、未来は確かにあった。それは、単純に戦争に負けて、アイデンティをぐちゃぐちゃにされ、みんな苦しい生活を強いられ、そこからどうやって抜け出たらいいのかと思ったら、きっと人間誰だって明るい世界が先にあると思うものだ。

三丁目の夕日をみてくれればいいのだ。全共闘だって、実は奥には明るい未来があったので、その実現の仕方で異相を生じていたような気がする。というか、明るい未来に向かって清算しておきたかったことがあったのかもしれない。

それが、秋葉原では逆に未来を信じられなくなったのだそうだ。未来を信じられないということは、単純にいうと渇望度の希薄さなのかもしれない。今のような生活を基点とした場合、めざすものが奈辺にあるのか見えにくいと思う。これ以上何を求めるのだ、何があるのだという意識である。

もうひとつの、「まなざしを受けることとまなざしを受けられない」という問題である。この差も指摘している。すなわち、ぼくらの時代は、よかれ悪しかれ周囲のまなざしを浴びていた。それを世間とか、お天道様というような言われ方でみな認識していた。

それがぼくらの規範であったわけで、それをうるさいと感じた人たちもいて、様々なコンフリクトをおこしていたことも確かだが、それはそれで共同体意識は失われてはいなかった。

ところが、今は逆に誰にもみられていないことに怖れを感じ、かまってほしいと思うようになっているようだ。このたった40年で変わってしまったのだろうか。

こうしたことが空気の濃さから薄さへの変化と考えているようである。なるほど。ずいぶんと時代は変わっているように思える。だから、同じような若者による動機のない無差別殺人事件であっても、その背景や空気が違っているという。

とうことは、現在は「バーチャルな時代」であり、その中で“未来を感じられなくなり”しかもだれからも“まなざしを受けられなくなる”とリアルの世界に飢えていくという構図なのだろうか。

しかし、ぼくは少し違うような気がする。いったいバーチャルって何、リアリティって何ということである。ぼくにはよくわからないと言うのが正直なところだ。

「リア充」ではないからネットに逃げるということも確かにあるかもしれないが、だからといってネットがなんでもバーチャルかというとそんなことはなくて、別にネットの世界だって十分にリアルだと思う。

例えば、TwitterとかIRCとかでコミュニケーションとっているのはリアルですよね。また、オフ会というのがあるが、それこそもろリアルな出会いがあるわけである。

でもきっとそれは単に目の前にある現実ということであって、リアリティと言うのは、実はそれぞれ人の心の中にあって、“自分がそこにいることを納得できるかどうか”が「リア充」かそうでないかという差ではないだろうか。

であれば、それはいつの時代でも、どんな年齢でもありえることなのだろう。
 

2009年1月27日

私家版業務システム変遷史 ― 1999年

この年はなんと言っても「Y2K」であろう。いわゆる2000年問題である。これはずいぶんと脅された。ニュージーランドではもはやこの問題で工場で事故があったとか、いろいろと煽り立てられた。

社内に対策委員会をつくり、事務用コンピュータから制御用コンピュータ、あるいは組み込み型システムまで網羅的にやった。

結局、ホストはプログラムをなめて直していった。困ったのは、工場のプラント管理のコンピュータでまともな対策をすると大金がかかる。そこでどうしたかというとコンピュータ内の時計を戻したというようなトリッキーなこともやった。非生産的ところに大きなお金をかける気がなかった。

会社によっては、2000年問題のためにERPにリプレースしたとかいう話もあったが、大きな投資をせずに乗り切った。もちろん、1999年の大晦日から2000年正月までは泊り込みで徹夜で監視した。

社長も陣中見舞いに来てくれた。ほとんど何もなく年を越したのである。全国的にも大過なかったのである。あの騒ぎはなんだったのだろうか。

そして、この年から分社化の検討に入った。機能分社という言い方で、間接部門を本体から切り出して子会社化することである。対象となったのは、物流、設備管理、試験分析、人事総務サービス、そして情報システムである。

こうした場合、最初の方針や理念が大事である。すなわち、なぜ分社化するのか、その目的は、どういう事業ドメインにするのか、プロフィットセンターなのかコストセンターなのかといったことである。

ここの軸がぶれないように気をつかった。何より問題は人の問題で子会社に出向していく人たちの処遇の問題やモチベーションの維持,評価基準などをどうするのかである。

もうそのころのIS部門はかなり専門化しており、また本体との人材の交流も少なくなってきて、その道で生きていこうというひとも少なくなかった。そうした人にとっては分社化は覚悟を決めるきっかけになるが、そうでない人にとっては悩ましいことになる。そこは、本体との行き来は残すことで分社化に踏み切ったのである。

もうひとつ悩ましかったのは、プロフィットセンターかコストセンターかである。親におんぶしてもらわないようにできるかということである。これは簡単なことではない。

しかし、プロフィットセンターを目指さない分社はありえないと考えた。何よりも、従業員のモチベーションがあがらないという問題が残る。利益を出さなくてもいいという会社はあるのかという思いで、プロフィットセンターとして出発することにした。

しかしながら、すぐに外に行って利益をだすことなんてできないから、当面は親からのミルク補給で力をつけ、何年後に自立するという絵をかいたのである。それは、親会社依存率を下げていくことを意味している。

あまたの情報子会社はこの親会社依存率を下げる過程でかならず大きな谷にぶちあたる。簡単にいえば、自立するための教育投資やインフラ整備といったリソース確保のコストが高くなり急激に収益性が悪化するのである。その谷を乗り越えられるかが勝負である。

でもだからといって親会社の仕事だけをやっていても面白くない。そのときのロジックは、外で儲けられないような技術・サービスを親会社に提供したら、結局コスト高ということだから、そんなことは親は望まないはずだ、というものであった。

まあ、そんな議論を繰り返しながら船出した。この分社化はただ分社したわけではなく、その会社が強くなるためのいくつかの施策を考えていたのである。この話は、2000年のところでする。
 

2009年1月28日

金融大崩壊

今の金融危機について、新聞やテレビでは実態や本質が見えてこない。さりとて、経済を勉強したこともない工学部出身にとっては、このあたりのことをやさしくわかりやすく教えてくれるものを探していた。

この「金融大崩壊 「アメリカ金融王国」の終焉」(水野和夫著 NHK出版生活人新書)はそういう意味では、ぼくのような人間でもかなり理解できる本である。

まずは今の現象について書いてあって、サブプライムローン問題が第一段階で、そして、アメリカの投資銀行が消滅して業界再編が行なわれている今の段階が第二段階であり、そのあと実体経済への影響が本格化するのが第三段階になるのだそうだ。

しかし、一瞬にして5大投資銀行が消えてしまったのにはびっくりした。このことが「アメリカ投資銀行」あるいは「アメリカ金融帝国」の終焉を象徴している。

これまで、アメリカが世界を牽引していた新自由主義という経済政策の考え方がここで役目を終えたということである。

そして、その引き金になったサブプライムローン問題とはと切り込んでいる。それについてはそれこそメディアでさんざん解説されているので、ここではバブルの構造について、市場原理をつきつめていくとバブルにならざるをえないというところが納得。

そしてバブルというのは、それがはじけないとそれがバブルであったのかが分からないという厄介なことになっている。だから、日本の不動産バブルも今回の住宅バブルも以前のITバブルも確かにはじけてああこれがバブルだったのだということであった。

それから、なぜ「アメリカ金融帝国」が生まれたのかという歴史的な分析もしてあるが、その「アメリカ金融帝国」の終焉後の世界が気になってくる。

で何よりもアメリカの金融危機がなぜ日本にも波及したのかを見ていく必要がある。それは、アメリカの金融や経済に日本も完全にロックインされていて、著者の言を借りれば「アメリカ投資銀行株式会社」と「日本輸出株式会社」は表裏一体、コインの裏表だからだそうだ。

すなわち、アメリカは世界の投資銀行として、レバレッジをきかせて住宅ブームをおこし、日本はそこに向かって輸出して儲けていたわけなのだ。

それが、一気に輸出できなくなったことが日本の危機なので、自動車や電機の輸出型の産業は大打撃をくらっているのである。だから、日米で危機の構造が違うので、同じように論じられることもあるがそれは間違いである。

ですから、アメリカは喫緊の課題は金融システムの立て直しであるが、日本はそうではなくて、今のような輸出型の産業構造を変えて行かなくてはいけない。そうすると、じゃあ内需型でいこうなんていったら、ガラパゴス化してしまうわけで、そうではなくバブルをあてにしなくても世界で戦っていける産業を育てるしかないのではないだろうか。そこで、環境ビジネスなんてばかなことは言わないでほしいものだ。

この本はわかりやすいし、読んでほしいお薦めの本です。
 

金融大崩壊―「アメリカ金融帝国」の終焉 (生活人新書)
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    • 4 この危機がいつ頃終焉を迎えるのかの見解を語っている
    • 4 ミネルバの梟の美しさー激変する世界の金融情勢が一晩でわかります
    • 5 分かりやすい
    • 4 金融資本主義が崩壊に至るまでと、その後の世界を読み解く上で参考になった
    • 4 池田信夫blog推薦図書
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2009年1月29日

人類は退化している?

先日来、「生命をつなぐ進化のふしぎ」(内田亮子著 ちくま新書)と「暴力はどこからきたか  人間性の起源を探る」(山極寿一著 NHKブックス)を読んで、人間の進化の過程を知ったのだが、そこでは、人間は霊長類から適応的に種々の能力を得て進化してできたと書いてあるが、どうもそうだろうかと思うことがある。

それは、最近の若い子をみていると退化しているのではないか、昔の類人猿に戻っているのではないかと思えてくるのである。以前「ケータイを持ったサル」(正高 信男著 中公新書)という本があって若者がサル化していると指摘していたが、同じような話である。

山極の本では、進化の過程を次のように言っている。特に食物と性がキーポイントである。

最初の霊長類が誕生したのは、新世紀の初頭の今から6500万年前の北アフリカである。最初の霊長類は、樹上で昆虫を食べていた。(今の若者が昆虫を食べるようになったわけではありませんよ(笑))

なぜ、樹上にいたかというと地上の捕食者から逃れるためである。そして、昆虫だけではなく、花、葉、果実なども食べるようになった。これは、植物にとってもいいことで、霊長類は大量の果実を飲み込んで、種子を糞とともに散布してくれるので繁殖には好都合だったのである。共生的に進化していったのである。

また、その頃の霊長類は夜行性であった。というのは、鳥類との食卓争いなのである。そのために夜に行動していたのである。そして、昆虫だけでなく葉を食べるようになった霊長類は大型化してくる。そうなると、鳥類と競合できるようになり昼行性へと変わっていくことになる。さらに、そのとき樹上生活で得た手の操作や腕使いを地上に下りたとき活用するために二足歩行へと移っていった。

ところで、この昼行性になったが、そうでないものもいたが、そのとき面白いのは、群れるのかペアなのかといったテリトリー問題がある。昼行性のものでは、単独でテリトリーを構える種はない。そしてメスがオスより優位であることが多いのだそうだ。逆に夜行性であると群れずペアで行動することが多いという。

さて。次は性の問題である。これが家族の誕生に関係するわけだから重要である。実は、人間は哺乳類としてはじめて集団生活とペア生活が両立できるような社会を作ったのである。

それができたのは「インセストタブー」によって性の競合を緩和する家族という形態が必要で、それを社会的な目的に使ったのだ。このインセストタブーというのは、近親間の性交渉の禁止のことで、このタブーがあるために、血縁関係にある同性、特に親子は性の相手をめぐって競合することなしに平和に暮らせるのだ。

そして、人類の食生活の顕著な特徴は、わざわざ食物を仲間のところにもってきて食べるということだそうな。その場で食べられる食物も、それほど量のない食物も、ヒトは消費せずにもって帰ることが多い。この分かち合う行為を家族というものを作ったときに確立した。

こうした、食を分かち合うことによって強化された結束力は、無償で家族や共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力になったのである。

まだまだ、話は尽きないのだが、どうやって進化して人間らしさを獲得していったかが少しは分かったのではないでしょうか。

それで最初の若者退化論ですが、どうも夜行性、メス優位、単独行動、非家族化、近親相姦的親子関係、非互酬性、食物を分け与えないなどなど、進化前の類人の生態に似ていると思いませんか。
 

生命(いのち)をつなぐ進化のふしぎ―生物人類学への招待 (ちくま新書)
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ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)
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2009年1月30日

はばのり

昨日は、「呑み歩き隊」の例会。場所は、ぼくが幹事だったので年初に下の息子と行った三軒茶屋の「味とめ」にする。

有名店だから予約しないとまずいと思い、先週からずっと電話をしていたがぜんぜん出ないのだ。しょうがないから、満員でもいいやと思っていて、最後の電話をしようと昨日の3時ころ電話したらなんと通じたのである。

あのおかみさんの声が聞こえるので、店がつぶれたかと思ったといったら、ぼくがかけていた電話は店の電話ではなかったらしく、別の電話番号を教えてくれた。早く言ってよねえ。

というわけで、安心して待ち合わせ場所の三軒茶屋駅に到着。すでに隊長と隊員が待ち構えていてすぐに店に向かう。

着いたらおかみさんがちゃんと覚えていてくれて案内される。もうすでにお客さんがいっぱいで、予約しておいてよかった。昨日は、まず、トビウオとクジラの刺身にする。これがうまい。そのあと、いわしコースでこれまた刺身から、焼き物、ぬたときて最後はつみれ鍋である。

すっかり呑んでいい気持ちのなって、お客さんも減ってきたところでおかみさんが、いいものを作ってあげると言う。鍋のつゆを使って「はばのり」を入れて雑炊を作ってくれたのだ。これがまたまた美味である。

この「はばのり」というのは、おかみさんのふるさとの房総でとれるのだそうだ。この時期に岩から採ってきて干してたべるのだそうだ。お正月のお雑煮にいれるのが慣わしっだという。

こうして、いつもおかみさんが美味しい雑炊を作ってくれるのでときどきここに鍋を食べにこようと思うのである。
 


2009年1月31日

いとこ

ぼくにはいとこがいっぱいいる。われわれの親の世代は兄弟が多いからである。父親は男4人兄弟で、母親は男2人おんな3人の5人兄弟の末っ子である。ちなみに嫁さんの兄弟も同じようで父方が男4人女1人、母方が男1人に女が4人という構成。多いですよね。でも昔はこれが普通だった。

だから、いとこが19人いる。上は母親と同じぐらいの年齢から下は45歳くらいまでで、近所で年齢の近い子とはよく遊んだ。

その中でも、いろいろ世話になったのが逗子に住むいとこで、歳はぼくより10歳くらい上だから今は70歳を越えている。しかし、いまでもバイクを乗り回してツアーに行ったり、近くの神社の代表みたいなことをやっていて、毎朝境内の掃除をしていたり、市民文化教室で包丁研ぎの先生になったりとほんとよくやるよなあと感じる。でも去年片方の腎臓を取ってしまったので、どうかなあと思ったがまだまだ元気なようである。

ぼくが小学生のときそのいとこの家によく遊びにいった。ぼくが小学生だから、いとこは大学生であった。でもすごくよく面倒を見てくれて、夏休みには決まって何日間泊り込みで遊びにいく。その家には横浜市大に通う学生が下宿していて、その人たちとも一緒に逗子の海にいくのである。

子どもたち3人だけで何日もいるのでおばさん(ぼくの母親の姉)は大変だったろうと思うが、にこにこしながら世話をしてくれた。そのおばさんももういない。

ぼくが一番楽しみにしていたのは、釣りである。その当時いとこの趣味が釣りでその懲り方は尋常ではなかった。でたまに連れていってくれるのだ。磯でも堤防でも、そして船にも乗せてもらった。たこ釣りはおもしろかったなあ。かまぼこの板みたいのに鉤がたの針があって、そこに小魚をつけて底を引くのである。何といってもその釣ったたこをゆでて食べたときのおいしかったこと。

ぼくらはこうして近所のひとだけではなく親戚の人たちとの付き合いのなかで、いろいろなことを学び成長していったのである。それを考えると今の世の中がそうした関係性が薄れ、なんとも味気ないことになっているように思えてくる。それこそ空気の濃さから薄さへの移り変わりの一例かもしれない。
 

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