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2008年10月 アーカイブ

2008年10月 1日

おくりびと

60歳を過ぎると映画館でシニア割引という特典にあずかることができる。やっとそうなったので昨日は品川プリンスホテルシネマに行く。お目当ては「おくりびと」。ぼくの友達が絶賛したのでワクワクして行く。

初めてシニア一枚といったら、証明できるものを見せてくださいと言われるものだとばかり思っていたら、何も言われなかったので拍子抜けする。ふと、こりゃ喜んでいいものやら悲しむべきことなのか一瞬とまどってしまった。だって、歳相応あるいはそれ以上に見えたってことだから。

それはともかく、滝田洋二郎監督「おくりびと」は素晴らしい作品であった。こういうのを”秀作”という。ちょっと前にモントリオール映画祭でグランプリを受賞したニュースが飛び込んできた。さもありなんという感じである。海外でもこの映画のよさがわかるのだ。

さて、映画であるが、新聞の折込求人広告で勘違いして始めた仕事が納棺師という主人公が、様々な死と出会いながら、そして自分の肉親との死による再会といったことを経て、その職業に誇りを抱いていく物語である。それを、山形の自然のなかでまじめに美しく描いて見せた。

重厚でもなく、重苦しくもなく、さりとて軽くではなく、死をこんなかたちで見せてくてた映画はかつてなかったように思う。人間は死を避けられない、誰でも必ず迎えるものである。それゆえ、”おくってもらえる”ことはほんとに最後の望みのような気がする。そんな見方はしていなかったのですごく考えさせられる。

俳優陣も主演の本木雅弘がすばらしかったが、なんと言っても、山崎努の渋い演技が何ともいい味を出して映画を引き締めていた。広末涼子は、そんなにうまい演技だとは思えないが、泣き笑いの表情はよかった。それよりも何よりも死体を演じた役者さんが一番よかったんじゃないかな。

この映画は、日本映画のよさを発揮した素晴らしい作品であった。ぜひ、見てください。
 

2008年10月 2日

SOAは終ったのか

先日「「SOA ユーザ企業自身がデザインする、導入のかたち」とうタイトルのセミナーがあったので参加した。このタイトルからすると、なんかユーザがSOAの仕組みをばんばん作っているイメージになる。ところが、基調講演はよかったのだが、それ以外に5セッションあったが期待を裏切られた。

基調講演はカシオ計算機の事例であったが、これはすばらしい。SOAをきちんと理解し、しかも実践しているというところは見習うべきところがいっぱいある。しかも、Web2.0技術も積極的に取り入れている。

ぼくは今カシオの人たちといろいろ議論しているが、おそらく自分たちはSOAをやっていますという意識はないと思う。競争優位を得られるためのITはどうあるべきかということを追及した結果として、SOA的なものになったはずだ。

さて、なぜタイトルで「SOAは終わったのか」としたかというと、最初に言ったように、基調講演以外のものをながめたとき見るべきものがなかったからである。というより、「ユーザ企業自身がデザインする」と謳っておきながら、カシオ以外にちゃんとしたユーザ事例がないのだ。

これは何を意味しているのかというと、カシオの例で言ったようにビジネスユーザは意識してSOAをやろうなんて思わないのだ。だから、SOAだと言っているのは、システム部門がシステム基盤整備で構造化する場合か、ベンダーが製品を売らんがためのものでしかないということである。

そして、さらに言うと、SOAのサービスが定義されていなから、大きいものから小さいものから、何でもかんでもSOAと言っている。大きいところではコンポジットアプリケーションなんて言っているが、これはもうERPやパッケージを入れてしまったので、しかたなしにそういう概念を持ち出しているようにしか思えない。

よーく考えてみてください。まっさらからシステム構築しようとしたとき、はじめからそんな考え方を採りますか。だから無理がある。やるなら、既存アプリをスリム化してからつなぐことだ。

それから、システム機能をサービスと言うのもちょっと違うのではないかと思ってしまう。その辺は、フレームワークに埋め込んでしまえばいいんじゃないかということだ。

結局、ビジネスに貢献できるためにSOAはどうなんだを説明できていない。だから、ユーザ視点を失ったSOAは消えていかざるを得ない。

FlexibleでAdaptiveな構造の仕組みにしたら、それが結果的にSOAだったということでいいのではないだろうか。要するに、目的語から形容詞になったってことだと思う。
 

2008年10月 3日

内儀さんだけはしくじるな

銀座の「M」の常連に噺家の柳家小里んがいる。その「M」のママに立川談春の「赤めだか」の話をしていたら、すぐに本を持ってきて、これを読んでみたらと言われた。それが「内儀(かみ)さんだけはしくじるな」(古今亭八朝、岡本和明著 文芸春秋)である。小里ん師匠は立川談志と同じ5代目柳家小さんの弟子で、しかも内弟子だったので、この本に登場する。

本は、その五代目柳家小さん、六代目三遊亭圓生、八代目桂文楽の内儀さんにまつわる話をその内弟子だった噺家に暴露させようというものである。

ところで、落語家の師匠というのは、その住んでいるところの名前で呼ばれる。小さんは目白、圓生は柏木、文楽は黒門町の師匠となる。

そんな師匠の家に住み込みで修業をするのが内弟子で、いわば家族のような存在になるので、しょっちゅう顔をつき合わせているわけで、否応なしに師匠やお内儀さんとのバトルが展開するのである。

いまだから話せることも多く、面白いエピソードが満載である。芸人さん世界は一般の世界とまた異質であるが、特に落語家の世界は、落語そのもののような話が一杯出てきて楽しい。

こんな家で内儀をつとめるのは大変だ。三者三様の内儀が登場してくるが、それぞれが個性的であるが、それぞれ共通するのは、師匠に惚れていて情が厚く男っぽいところかもしれない。うちの嫁さんと正反対だ?!

ただし、「赤めだか」の迫力にはちと及ばない。まあ、これは聞き書きの形態をとっているのでしかたない。でもおもしろいことには間違いない。

今度、小里ん師匠に会ったら、ここに書いてあるさらに裏の話を聞いてみようと思う。
 

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2008年10月 4日

イントゥ・ザ・ワイルド

この映画にはいろんな要素が詰まっている。さすがショーン・ペンはすばらしい才能を持っている。

「イントゥ・ザ・ワイルド」という映画は、裕福な家庭で育った若者が、大学を卒業した途端、放浪の旅に出て、アラスカの山の中にある“不思議なバス”に辿り着くところから始まる。そして、なぜそんな旅にでたのか、そこまでの2年間をどう過ごしてきたかが語られる。

このタイトルを見てぼくらの世代がすぐに思い浮かべるのは、五木寛之の「青年は荒野をめざす」であり、同名のザ・フォーク・クルセダーズの歌である。ここではジュンという青年が欧州へ旅立つ話であるが、流れる基本のところは同じような気がする。

誰もが一度は経験しただろう、抑圧、既定路線、偽善などから開放され、自由に孤独に放浪してみたいという欲求である。少なからずの人はそうして“小さな”放浪の旅をする。もちろんぼくだって、海外はいけなかったが国内を一人であてどなく旅したこともある。

さて、この映画の物語は、いつの時代でも普遍的な若者が旅立つときの揺れを描いている。ただし、だいぶ過激だ。そして、旅の途中でいろいろな人と出会う。ヒッピーが登場してびっくりしてしまうのであるが、その人たちと交わっていくうちに成長していく姿が描かれている。

最初にいろんなことが詰まっていると言ったが、「人間と自然」というテーマもあり、自然の前には人間は無力だなんて陳腐なことはいいたくないが、やはり大自然の中では人間の存在ははかないものなのだろう。そいう自然に打ちのめされる姿も映し出される。

この映画の重要なポイントは、2年間の放浪を経て憧れのアラスカに着いて、その間に様々な出会いや経験をつみ、これから生きていくのに自分ひとりではなく、周りの人たちがいてこそ、自分も意義のある人生が送れることを悟った瞬間、孤立から免れることができなくなり悲惨な最後を迎えるという皮肉な結末である。

こういう終わり方をしたというのがショーン・ペンのすごさである。

ところで、見終わってちょっと気になることがあった。なぜ、主人公はサバイバルできなかったのかということである。途中で出会う老人からたもやつり道具をもらうという伏線があったので、てっきりそれを使って自給生活をするものとばかり思っていたら、それを使うところもでないで飢えてしまった。

単純に熊が生活できるんだったら人間だって生活できるよなと思ってしまう。ということはおそらく彼は自ら命をたつことを望んだのだ。だって、もし、例えば、飛行機かなんかがそこに不時着して一人取り残されたとすると、きっと自活しながら、脱出したはずだ。生きて帰りたい気持ちが強ければ可能だ。

きっとほんとに悟っていなかったのだ。どうしても戻りたいと思っていなかったのだ。じゃあ、アラスカに行くことだけが目的だったのか。うーん考えさせられるなあ。

これはいい映画です。いま若い人も、昔若かった人も若者がある清算をして大人に変わっていくときの不安や期待とどう戦っているのか、いたのかをみつめるいい機会になりますのでぜひ観てください。
 


2008年10月 5日

気丈なひと

今から、通夜に行く。血はつながってはいないが、親戚となる女性が亡くなったのである。1日に亡くなったのでずいぶん経ってからの通夜になる。途中に友引をはさむのどうしてもこうなるのだろう。先日の伯母さんの時もそうだった。

この人は、ぼくの嫁さんの一つ上だから56歳である。いまの時代では若い。実は5年前に肺がんが見つかってそれからずっと闘病生活で力尽きて帰らぬ人となった感じである。ただ、死の直前までそんなに苦しむことがなかったらしく、家に戻っていたりして死の5日前くらいから容体が悪くなったそうだ。

死んだ日の翌日に、嫁さんと二人でお悔やみにうかがったのだが、穏やかな死に顔で早かったかもしれないが天命をまっとうした姿であった。ついちょっと前に「おくりびと」という映画を観たあとだったので、余計切なくなった。

この人は家は仏教なのだけれど、自分はクリスチャンであって、すごく優しい人で、まず自分のことより相手のことを気遣うようなところがある。夏に療養していた病院に見舞いに行ったときも、かなりつらいはずなのにちゃんと起き上がって応対してくれた。

そんな人だったから、おそらく時には痛かったり苦しかったりしたときでも表に出さずにじっとこらえていたにちがいない。ぼくは信仰するものは持っていないが、つくづく信仰するひとの強さを感じざるをえなかった。神がせめて苦しみを与えることなく死を迎えさせてあげたのではないだろうか。合掌。
 

2008年10月 6日

ラグビー型システム

いま、BPMS(Business Process Management Suite)とCMS(Contents Management System)を組み合わせたアプリケーションプラットフォームを指向しているが、それを考えていたときふとこれはラブビー型のシステムだなと思ったのである。

以前にこのブログでBPMをサッカーになぞらえて書いていた。フロント業務がフォワードでバックヤード業務がディフェンダーでBPMはミッドフィルダーのようなものだと。ところが、システムのかたちを見てみるとどうもラグビー型のような気がしたのである。

すなわち、CMSのところがフォワードで、BPMSがバックスである。フォワードがラックやモールでボールを奪うとそれをバックスに渡してバックスはパスをつないで攻めるというのは、情報共有で処理し、後は決まったプロセスで受け渡すというのに似ていなくもない。

ラクビーはフォワードとバックスではずいぶんと役割やら必要スキルが違うのである。逆に言うと、どんなタイプの選手も受け入れられるスポーツなのだ。太ったやつ、小さいがすばしっこいやつ、足の速いやつ、頑丈なやつ、とそれぞれ働き場所がある。これだけ多様なタイプの選手が活躍できるスポーツは他には見当たらない。

ここで何を言いたいかというと、SOAというのはどうもサッカー型の仕組みを言っているように思え、でも現場を見るとまだそこまでできなくて泥んこになって、倒れこみながら、どっちに転ぶか分からない楕円のボール追っていくようなフォワードスタイルがあるのではないだろうか。

サッカーボールも不規則であるがラグビーボールはもっと不規則なのである。それを扱うには、束になってスクラムを組まないと扱えない。手でつかんだ後は、わりと確実につなげるというわけである。

サッカーは、洗練された、レベルの高い企業がやれることかもしれない。しかし、ふつうの会社はそうは行かないのが現実であるし、ボールを持っているやつの突進を助ける目に見えない動きも必要なのである。それが、BPMS+CMSであると考えているのだ。

ちなみに、昔のERPや汎用機の仕組みはアメフトだと思うがいかがでしょうか。
 

2008年10月 7日

極私的年代記

ちょっと前に60回目の誕生日が来た。これを還暦というらしい。もう2年前からブログを書き出して思ったのことは、この歳でブログを書くということは遺言を書いているようなものではないかと。

で還暦を迎えて、月並みだけど自分の生きてきたことを少しだけ振り返ってみようと思ったのである。しかし全部さらけ出してとはいかない。よく墓場まで持っていくものがあるというが、確かにそういうものはある。それは書かない。だから、言えないこともあるということで、これまでの60年を総括ではなく思い出を書いてみる。かなり私的なことなので読み飛ばしてもらってけっこうです。

ぼくは昭和23年に生まれたので、こてこての団塊世代だ。こればかりは、いくら時間が経っても取れないレッテルで、これからもずっと良くも悪くもついて回ってくるものでしょうがない。そんな団塊のおじいさんが昔のことを書いておこうと思うのである。

いまおじいさんと自分で言ってちょっと驚いてしまう。つい先日も行きつけの「M」で常連のNさんに、♪村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん。年はとってもお舟を漕ぐときは元気いっぱい櫨がしなる。それギッチラギッチラギッチラコー♪と唄われてしまった。でも、この間の高校の同窓会でもみな昔のイメージのおじいさんではない。だからほんとはおじさんと呼ばれたいと思うのである。

まあ、少なくとも気持ちだけは若い時のままでいたい。そのためにも、一度これまでのことを整理しておくのも意味があるように思える。ただ、だらだらとあったことを並べてもしょうがないので、その時代のトピックを中心にあるタイトルを決めて書こうと思う。
 

またまたぴったり賞

ついちょっと前に家族で食事をしたときの勘定がぴったり20,000円であった話を書いた。

ところが今日、ばあちゃんを連れて近くのスーパーに行って買い物をしたら、その金額がなんと10,000円ぴったりなのだ。

25種類の細かい、それこそ1円単位で値がついているのにである。レジのおばちゃんもびっくりして、こんなことは初めてと言って興奮していた。ぴたり賞で何かもらえないのですかと冗談を言ったが軽く無視された。

2回も続けてぴったりで、こりゃなんかいいことが待っていそうだ。
 
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2008年10月 8日

オヤコラボ

昨日は、Web系の会社の人たちとミーティング。最初が、日本の草分けのような会社でそこでBPMの紹介とぼくが今やっているBPMS+CMS開発のことを少し説明する。最近は、こうしたWebの開発から入って、バックヤードの業務プロセスにつながる話が多くなっている。

やはり、顧客との関係性が重要になってきているということと、そこからのプロセスの効率性も問題になっているのだろう。

一昨日に行った通信系の会社でもショップでの応対作業のパフォーマンスを改善するためにプロセスの可視化をしたいという案件であった。

それが終わって、次もWeb系の会社の若い社長と呑むことになっていて、新橋の機関車の前で落ちあうことにした。こちらはぼくといつものUさんともうひとり名古屋から出てきたあるIT会社の役員で事業部長をしているTさんのおじさん三人組である。

そのTさんを待つっていたら、だれか近づいてくる。何だろうと思っていたら、「テレビ東京の者でですが、インタビューをお願いできますでしょうか」ときた。マイクとカメラをもった若い子も近づいてきた。

どうもUさんに向かってお願いしていたのだが、Uさんが固辞してしまった。結局あきらめてしまったが、いったい何のためのインタビューなのだろうかという話で、きっと株が暴落している事に関してじゃないのかということになった。

ところが、今朝の新聞をみたら、そうだノーベル賞のことだったのだと合点がいく。ただ、あのときノーベル賞のことを、聞かれても答えようがないなと思った。Uさんのそのあとの話で、以前にも街頭インタビューに会ったことがあって、そのとき大江健三郎がノーベル文学賞をもらったときだったという話だったから、よくよくノーベル賞に縁があるのだなあと感心した。

その若い社長は、中村祐介さんといって75年生まれです。もと記者で作家でもあります。「力道山」という本も出しています。ぼくは、この原作を元にして作られた映画を観ていたので、しばらくその話になる。

彼は、力道山を知らない世代なのに書けてしまうので大したものだ。でも逆に知らないからこそ客観的に見れるのでいいのかもしれない。ぼくらおじさんトリオは力道山世代だから、ひとしきり金曜日の夜はテレビのある家に見に行ったとか、三菱電機の掃除機がリングを掃除しているのをみてお袋がうちもあんなのがほしいなと言ったとか、そんな思い出話に浸る。

そこから、現代若者論みたいな話で、いまは出会いの場がぜんぜんない、ちょっと前まではナンパも一種の出会いだったのに今では怖くてナンパされなくなったということらしい。そうしたら、おじさんたちの得意技である、俺たちの時代はなあということにすぐに持ち込む。

おじさんたちの時代は、ナンパではなくダンパであり、合コンではなく合ハイだといったら、中村君はきょとんとしていた。ダンパはダンスパーティのことで、合ハイというのは合同ハイキングのことであると説明したら、かなり受けた。

でそんな話やら、日本のIT業界の黎明期に何があったのかをちゃんと残そうよねみたいな話だとかすごい盛り上がった。

ちょうど親子ほどの年齢差だが前にもこのブログでも書いたように、その親子の世代差のほうが分かりあえるのではないだろうか。なぜかというとぼくは、親と子として子供が小さいころから同じテレビを見、同じ歌を聞き、同じ景色を一緒に見てきたからではないだろうか。だから何となく波長が合うというか、理解の範囲内にあるのではと思うのである。

そんなわけで、親子ぐらい歳が違うひとたちとコラボレーションできたらいいなあと思っている。
 

 

2008年10月 9日

気分が乗らないプレゼンが

昨日は、ある大手オフィス機器メーカーの開発部門に行く。行く前にプライベートなところでBad Newsが飛び込んできたのであまり気乗りがしなかったが約束だから出かける。

相手は、ソリューション技術開発の若い有能な2人の技術者である。一人がうちの社長のコミュニティ仲間だったので紹介してもらったのである。

目的は、今ぼくがやっていることを紹介して、それに対する評価を聞くことであった。いきなりビジネスをやろうなんて話ではもちろんない。

ひととおり説明し、いろんな話をしたが、さすがにもの分かりが早い。ユーザもSIerも全く変わってしまうことをすぐに理解する。やっぱりわかるやつはいるんだと意を強くしたのである。けっこう評価してくれたのうれしかった。

これからやりたいことや付加機能なども披瀝したが、できそうだとも言ってくれてこれまた喜んでしまった。この日も“オヤコラボ”の日でもあった。

てなことで、説明しているうちに最初の沈んだ気分もなくなって盛り上がっていった。もちろん終わってから戻ってしまったが。

彼らは開発部隊だから、おいそれとぼくのやっていることをやるわけにいかないだろうし、事業という視点も持ちにくい。ということで事業部門の人を紹介してもらうことにした。どうもぼくと一部同じようなことを考えている人がいるとのこと。ある4分割の図を見せたら、同じ図を書いている人がいるのだそうだ。その人に会わせてくれるという。

徐々にではあるが、理解者を増やし、実践者を増やしていきたいと思っているので、こういう機会を今後もつくっていこうと思う。

2008年10月10日

若手はどこまでやれるか?

昨日のUAE戦でサッカー日本代表の若手が活躍した。内田、長友、香川、岡崎、興梠といった二十歳前後の若者が躍動した。結果、興梠のヘッドがバーに当たって返されたあと、内田からのクロスに香川があわせて得点した。

今回の試合はアジアカップがあったのでガンバとレッズの選手が入っていなかったので、若手にチャンスがきた。そういう試合で期待によく答えたのではないだろうか。若手のよさは前がかりでゴールに向かう姿勢であろう。

といっても、一方で若さも暴露した。失敗を恐れず突っかかっていくのが若さの特権といったが、その失敗が多かったら何にもならない。昨日は、この失敗がけっこうあって、そこを減らさないといけない。だって、若手といったって、世界でみると同じ年代の選手が、いっぱい欧州リーグで活躍しているのだ。そういう選手をみていたら、もっとプレーの精度を上げなくてはいけない。

そのためには、レベルの高い相手との試合の場数を踏むことしかない。今回の活躍した若手もJリーグではあるが、レギュラーを取って、多くの試合に出れるようになって伸びたのだ。

いよいよ来週はウズベキスタン戦であるが、やっぱり気になるのは、後半こちらが点を入れてからすぐに同点に追いつかれた守備である。

2対2の局面を作られると簡単に失点してしまう。まず2対2の局面を作られないようにボランチが戻るか、サイドのどちらかが絞らねばならないが、全部が上がってしまっていた。

それとよしんば、そうなったとしても、シュートを打たせないような二人のセンターバックの連携した動きが必要になるが、微妙にずれている。ここらあたりを修正しないとまた一発で入れられてしまう。
 
まあベストメンバーで臨んで、後半に粋のいい若手を放り込んでやればだいじょうぶだろう。状況に応じて使える若手の駒が増えたということは心強い。
 

2008年10月11日

めがね

もう予想どおり“まったり感”溢れる作品である。いまちょっといやなことがあって気分が落ち込んでいたので、そんな時にはこういう映画がいいんじゃないかと。「めがね」は「かもめ食堂」に続いて、荻上直子監督の同じトーンの映画である。

沖縄の与論島と思わせる島にもう若くはない、そしていわくありげな女性がやってくる。その女性は、おなじみ小林聡美が演じ、そこの宿にいるひとたちがもたいまさこ、光石研、市川実日子たちである。そして後からやってくる青年が加瀬亮である。

携帯が通じないところに来たというその女性は最初はそこにいるひとたちの暮らしぶりにとまどう。その島の人たちは「たそがれ」ることをしているという。「たそがれ」ってなんだろうかと考えているうちに、だんだん自分もはまっていくのである。

ここに流れる時間のテンポがぜんぜん違うし、映画のカメラワークものんびりと構え、ゆったりとしている。
ちゃかちゃかした映画ばかり見ているとこうしたスローなものもいいものだと思う。ふーと息を抜く感じが心地よい。

ただ、まだ若いのにそんなに早く「たそがれ」るなよと思ってしまう。前に「たそがれ」という映画を紹介したことがあったが、それは年寄りのもっとどろどろとした「たそがれ」を描いたものであって、ぼくはそのほうがむしろ「たそがれ」感があったように思える。

だから、この映画を見ていると確かにスローライフの気分はいいのだが、何か逃げているように思え、そんな「ジジ臭く、ババ臭く」なるなよと叫びたくなる。まあ、たまにはそういったのんびり生活もいいが、ずっとやるにはもっと歳とってからでいいんじゃないと思うのである。
 

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2008年10月12日

鎌倉という土地・・・極私的年代記

ぼくが生まれたのは鎌倉市常盤というところで、鎌倉市街からいうとだいぶ西のほうに位置する。本来の鎌倉というのは山に囲まれてその中央に鶴岡八幡宮があり、その周辺をいうが、そこへは7つの切通しを通って入ることができる。だから、その切通しの外は今でも市外といった趣である。

しかし、ぼくが生まれたところは、地名からもうかがえるように歴史の香りがただよっている。常盤は源義朝の愛妾であった常盤御前からきているし、隣は梶原といって梶原景時が居を構えたところである。そのほかにも、打越、笛田、手広といった雰囲気のある地名がそろっている。鎌倉にはそういう地名が多い。これは絶対になくしてほしくない。富士見台だとかすみれが丘はやめてくれと思う。

今住んでいるのはその中にある鎌倉山という山の中である。近くにみのもんたが引っ越してくるというところである。

鎌倉に住んでいるというと必ずといっていいほど「いいところにお住まいですね」と言われる。確かに、響きとかイメージからいうととてもいい所のように思える。それはいいところもあり、住みにくいところもある。このあたりの話はまたするとして、生まれた頃のことを書く。

その当時は田舎で家もまばらにあった。だから、こどものころは野山や海川を飛び回ったという記憶しかない。少し変わったことというと、家の前に有料道路があったということである。日本ではじめてと言われた自動車専用道路である。大船から江ノ島に通じる道路で、これがまた傑作な道路である。自動車専用道路であるからには人や自転車は入ってはいないですよね。ところが、人は歩いているは、自転車は走っているはである。

さらに面白いのは、当然料金徴収所があるのだが抜け道いっぱいなのだ。竹でできた踏み切りがあってそこで止まった車を番小屋と呼んでいた小屋の中からおじさんかおばさんが出てきてお金を取るのだ。ぼくらはこの近くが遊び場だから、番小屋のおじさんと運転手がしょっちゅう喧嘩しているのを楽しんだのである。のんびりとした時代だ。

その道路は、もうだいぶ前に市が買い取って公道になった。ところが問題は、もともと自動車専用だから、人が歩くようには出来ていないのだ。ぼくは出かけるときは冗談抜きに命がけである。数年前に近くのおばあさんが車に轢かれてしばらくして死んでしまった。

さて、こどものときに戻ろう。当時は、鎌倉がそんなに歴史的な都市であるという意識はまったくない。だいいいち、こどものころなんて隣町までがどれだけ遠かったか。正月に八幡様(鶴岡八幡宮)に行くこと、藤沢に映画を見に行くことが最大の遠征なのだ。

だから、一度横須賀までサーカスを見に連れていってもらったときは興奮した。いまでもはっきり覚えている。あまりにはしゃぎすぎたので迷子になってしまった。ふざけながら、目の前に来たバスに飛び乗ったら後だれもついてこなかった。ああ、これが迷子だと思った。

これでぼくはサーカスに売られるかわいそうな子になったと思ったのである。ほんとぼくのお袋はよく悪いことをすると、サーカスに売りとばすからねと言ったものだ。

そして、バス会社の詰め所でストーブにあたりながら親を待つ寂しさは子どもの身にとって相当きつかった。しかし、幸いなことに何とそのときの車掌さん(昔は乗合バスに乗っていたのです)が、うちの近所のひとでぼくの親を知っていて親切に対応してくれたのである。ぼくは、サーカスで宙返りをすることなく大きくなることができた。

話はそれた。いや、いっぱい話したいことがあって、あっちいったりこっちいったりすると思うがご容赦を。

話が戻って、鎌倉という土地で生まれたわけであるが、鎌倉で和田というと、多くの人が和田義盛の末裔ですかと言われる。そうですと言いたいのだが、実は和田義盛は北条義時に一家全滅の憂き目にあっているのである。だから、この和田一族は滅びたのであるが、もともと和田義盛にしても三浦市にある和田という土地の出であって三浦一族なのである。

多分そこから来て生き残ったのか、あるいは苗字帯刀を許すといったときにもらった姓かもしれないが、まあどちらでもいいが、鎌倉だから多少のはったりもいいんじゃないのだろうか。またずれてしまった。これから先はまた次回に。
 

2008年10月13日

呑み歩き隊の意外な展開

昨日、鎌倉の話を書いてまた今日も鎌倉の話です。前回の呑み歩き隊の例会を何気なしに鎌倉をやることになり、それが昨日あった。

ぼくが幹事ではないのでアドバイスするだけだったけど、結局ぼくの提案どおり、天気がよければ自転車を借りて、由比ガ浜から七里ガ浜を通り、江ノ島までの国道134号線サイクリングにすることに決定。帰りは、稲村ガ崎から、極楽寺を通って、長谷に抜け、大仏から市役所どおりを経て八幡宮という設定である。

ところがである。のっけから躓いた。11時ころ駅の隣のレンタサイクル屋さんに行ったら並んでいる。嫌な予感がしたんだけど、案の定、ぼくらのちょっと前で自転車がなくなってしまった。ほんのちょっとの差だったから、一番遅れてきた幹事に八つ当たり、お前がもう少し早く来ていれば借りられたのにというわけだ。

でしょうがないので、とりあえず腹ごしらえをしながら考えようということに。昼飯は、「天金」を予約していたので、そこでビールと鎌倉丼を食す。さてどういうコースにするか思案。そのまま、江ノ電でサイクリンコースをたどるか、北鎌倉の方にするのか、駅近辺でぶらぶらするか、しかし、昨日は人が一杯なので江ノ電も待たなければいけなくなりそうでやめて、じゃあ人力車にでも乗るかと思っても高くてこりゃだめだ。

で結局、「鶴岡八幡宮」の裏手のほうの鎌倉宮のほうはどうかということに。ぼく以外の3人のメンバーもそのあたりは行ったことがないと言う。さっそくコースつくりを行なう。その結果次のとおりにする。おおぼくも鎌倉公認案内人になれると思う。メンバーの一人は、月島のガイドの検定を持っているので、ぼくも取ろうかなと一瞬思う。

まず、八幡宮の境内から、右にそれて横浜国大付属中・小学校の脇をぬけ、「白旗神社」を横目に「源頼朝の墓」にいく。あの征夷大将軍にしては質素でこじんまりしているのに驚かされる。そのあとは清泉小学校の横を通り、日本3大天満宮の一つである「荏柄天神社」へ。ちょうどこの日は、絵筆塚祭で漫画家が数人来て似顔絵を描いたり、河童のエのコンクールなんかをやっていた。

そのすぐそばの「鎌倉宮」でお参りとちょっと一服して、今度は金沢街道沿いの「杉本寺」へ、ここは奈良時代に建立された鎌倉最古の寺である。荏柄天神が鎌倉最古の神社なので、これで神社と寺の最古のところにいったことになる。

途中、金沢街道は鎌倉に向かう道が大渋滞で歩いた方がよっぽど早い。ぼくらは絶対ここには車でこないが、他県ナンバーの車が並んでいた。

最後は、杉本寺からちょといったところにある「報国寺」である。このお寺は竹林が有名で、その竹林をながめながら抹茶をいただくというのが定番である。もちろんぼくらもいただく。落ち着いた雰囲気でいつきてもほっとする。

そこから、八幡宮戻って宮前にある「一茶庵」で呑むことに。結局3時間のウオーキングで歩いたのが1万歩であった。「一茶庵」では鎌倉ビールから始まって酒をあけ、暗くなったので最後にそばをいただき帰路についたのであります。

この店には3時ころ入ったのであるが、けっこう込んでいたが、帰るころになるとかなりすいていた。店の主人にたずねるとだいたい鎌倉は昼間が勝負なんですよ、夜はお客さんは来ませんとのこと。なるほど。

まだまだ込み合う小町通を、一緒に来た人が「和らく」で箸を買うのを付き合いながら、鎌倉駅まで驚きの目で歩いたのである。普段、休みの日に鎌倉駅周辺には行かないので、休日の込み具合を知らなかったのでびっくりだ。

さて、サイクリングができなかったリベンジを来年の春にすることを約して別れたのである。
 

2008年10月14日

コンサルタントの現場力

ぼくも一応“シニアITコンサルタント”と名乗っているので、コンサルティングの方法には興味がある。そんなわけで「コンサルタントの現場力」(野口吉昭著 PHPビジネス新書)を手にする。著者の野口吉昭さんは、HRインスティテュートという会社を経営している著名な経営コンサルタントである。

そのひとがコンサルティングは現場が大事であるという主旨で書かれた本である。ぼくも常々コンサルティングは現場に出て、実際に起こっていることを肌で感じ、そこから解決策を導き出すということが肝要であると思っているのでためになった。

ただこの本にやたら「○○力」という言葉が出てきて、斉藤孝じゃあるまいしと思ってしまった。試みに出てきた言葉を列挙してみる。

まずは大きくは、「現場力」、「人間力」、「思考力」、「実践力」なのである。その下に、「瞬間凝縮力」、「左脳・右脳力」、「仕組む力」、「仕掛ける力」、「自分パワーアプ力」、「組織シナジー力」、「本質探求力」、「モチベーション向上力」、「シナリオライティング力」、「リサーチ力」、「シナリオデザイン力」、「メッセージ力」、「コンサルティングコミュニケーション力」、「質問力」、「デリバリー力」とくる。

こう書くと、もう大体分かりますよね。どうしたらいいコンサルタントになれるかが。

ここらあたりは常識的なことでとくに響くことはなかった。ためになったと言ったのは整理して書いてくれたからである。それと、けっこう重要なのは道具なのである。頭の中に知恵があっても、それを相手にこういうことですよねと提示して、見せてあげることが大事なのである。

それに対してロジックツリーとマトリックスの二つをあげていた。これもよく使う。ロジックツリーというのは、中心にテーマを置いて、そこから、ボトムアップ・ブレークダウンあるいは帰納・演繹というふうにツリー構造で整理していく方法だ。マインドマップと同じようなものである。マトリックスというのは、例の4象限の図である。これは軸の設定が難しいが、うまくやると非常にわかりやすいものになる。

最後にまとめ風に言うと、どうもコンサルタントに必要なものは、ぼくが以前から言っていることで座右の言葉である「高い志、感謝、プラス思考」ということになりそうだ。
 

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2008年10月15日

プラント情報管理とビジネス情報管理

化学プラントにおける情報管理をどうやっているかを探り、それをビジネス情報の管理に適用できないかを考えてみることにする。

化学プラントの管理の基本はプロセスコントロールである。それには、DCS(Distributed Control System=分散制御システム)と呼ばれる制御システムで管理する。その名のとおり、分散的に置かれた制御ステーションで個々の制御ループをコントロールし、バス接続された中央にあるオペレーションコンソールで監視しながらオペレーションする。

実はこれだけだと、部分的な制御が主体なので全体がどうなっているだとか、さらに全体最適化をどうするのだとか、過去のデータやトレンドを見たいといったことができないのでそうした俯瞰できるような仕組みが必要になる。

そうしたシステムで優れたものにPIという米国のOSISoftware社が開発したソフトウエアがある。このシステムの最大の特徴はリアルタイムデータベースにある。プラントデータというのは、非常に短い周期、例えばミリ秒のオーダーでデータが生成する。そうしたデータを全部収集すると大変なことになるので、それを簡単に言うと差分だけ採るデータ圧縮技術によって強力なプラント管理システムとなっている。

この話をすると長くなるので、このソフトウエアの主要な機能をみると、Process Book、Data Link、Batch Viewの3つである。Process Bookというのはデータをプロセス図上でグラフィカルに表示するものです。Data Linkはシステムに収集・蓄積されたデータを様々な切り口でとりだすものです。最後のBatch Viewというのは、バッチトレンドやガントチャートを作成して基準との比較などができるものです。

さてこうしてみるとこれらは、ビジネス分野でも応用できそうな気がしませんか。業務プロセスフロー上で今どのようにタスクが動いているのかを表示してほしいですよね。また、過去のデータの履歴を、例えば期間ごとに前年と較べてみたですよね。あるプロセスの稼動状況をあるべき姿とどう乖離しているのかみてみたいですよね。

ということで、BPMS+CMSで開発した業務アプリケーションを一歩上のレベルに押し上げるものとして、業務プロセス管理システムを作りたいのだ。この場合は、Process Monitor、Data Box、Service Viewというような名前をつけようかと思っている。

さてどうなることか。米国ではこれに近いことを一部やっているようだが。
  

2008年10月16日

妻の入院

ぼくの嫁さんは、お産のとき以外入院したことがなかったが、今回ついに入院するはめになった。先月、家の近くの病院で検査をしてもらったら、子宮ガンが見つかったのだ。別に自覚症状があったわけではなく、違うことで診てもらってついでにガンの検査をしてもらったら見つかったのである。

早速、精密検査をして手術する病院を探すことになったが、義弟が小児科医なので紹介してもらった。すぐに手術できるのかと思ったら、12月にならないと順番がこないという。ほんの初期のガンだったようなのでまあ遅くなってもしかたないと思っていた。ところが義弟から電話があって、大学の付属病院で手術のあきができたのですぐに行けという。そこで念のために入院の支度だけはしてかけつけたら、すぐに入院することになる。そして、手術は来週の予定である。

ぼくはこんな事態を予想していたわけではないので、ばたばたしている。でもよく考えてみると、昔はガンの告知をすべきかなんて議論をしていたことを思うと、なんともあっけらかんとガンですと言われて少し変な気分だ。それだけ、治る病気になったということなのだろう。まあ、初期だということもあるが、嫁さんもとりみだしたところもなく普通の病気で手術するような感覚である。

嫁さんのいない生活は、単身赴任や東京での下の子との共同生活があるので苦にはならないのだが、家の中が広い分けっこう大変なことがわかった。退院して帰ってきたとき、お父さん何やっていたのよと言われないようにちゃんとしておかなくてはと思うのである。
 

どうした?

既に2敗をしているウズベキスタン相手にホームでドローという情けない結果に。昨日のサッカーW杯最終予選での日本代表の試合である。

昨日の試合の戦術的にどうだとか、監督の采配がどうのという選評は意味がないような気がする。人間の場合でも、よくわからないが、“何となく”(これは麻生太郎の口ぐせだそうだが)力が入らないときってありますよね。あれです、昨日の代表チームは。

相手をなめているわけでもないし、体調が悪いわけでもないし、しかし、気合がはいらないのだ。ひょっとしたら、チーム内で何かがあったのではないかと思わされる。モチベーションが上がらない何かが。

とにかく、こんなちんたらしたゲームをやってしまったのだから、ドローは当然だ。
 

2008年10月17日

オペレーションからの発想

システムを考えるとき、どういう発想を持ってみるかというと人それぞれで違うように思う。開発の視点から入る人もいれば、運用をまず考えたりすることもある。また、データからやパッケージから見たり、フレームワーク的な見方をする人もいるかもしれない。ところが、ユーザのオペレーションから発想する人はいるようであまりいないように思える。

すなわち、ビジネスプロセスをオペレーションするのにどういう仕組みが必要なのかという観点で見ることである。もしこうした視点で見た場合、システムを眺める景色がずいぶんと違ったものになるような気がする。ただし、ここでいうオペレーションは、個人的なものというより、組織としてのオペレーションを考えるので、業務プロセスの動かし方のことになる。

まず初めにビジネスにおけるこのオペレーションとはどういうことなのだろうか。いつも言っていることなのだが、オペレーションとは、「マスタデータや業務ルール、その他もろもろの情報を参照しながら、意思決定を行い、それをつないでいって最終的な意思決定結果をイベントデータとして生成し、それを登録する」ことである。

これって、化学プロセスでいう「原料を仕込んで、マニュアルや設計図を見ながら、単位操作を加え、最終製品にし、貯蔵する」というのと同じであることがわかると思う。化学プロセスではこれを当たり前にオペレーションと呼んでいる。

さて。このように定義すると、意思決定のための情報収集とその見せ方が重要であることに気がつく。すなわち、そうした関連する情報をどこから取得し、配置するかである。もっと言えば、それ以前に、必要な情報をしかるべきところに格納しているのかという問題がある。

今日では、非常に多くの情報があふれていて、その中から本当に有用な情報を持ってくるかが、質の高い意思決定ができるかどうかを左右する。この“情報のさばき方”のシステム化が大変大事になってきている。

これはいままでにはなかったことである。これまでは、むしろ情報を作ることに注力していたように思える。結果としてのデータを編集・加工することで新たな情報ができるということである。それはそれとして今でももちろん重要なのだが、結果を作るまでに参照する情報の量と質の問題も大きくなってきているように思う。

そのとき、基本としてやられてなければいけないのは、「データ辞書」と「業務ルールブック」がちゃんとあることだと考えている。同じ意味なのに違った名前のデータがあったり、人によってやりかたが違うといったことがないように、辞書とルールブックは必須になってくる。

このあたりの詳細については、次回に書く。
 

2008年10月18日

日常生活の断片

昨日一日だけでもこれだけちょっとした面白いことがある。

・オーシャンビューとインターネット

嫁さんが入院したが、その病院は海の近くで6階の病室に入った。最初は入り口付近だったが、退院した人がいてそのあとの窓側に移動した。そうしたら、景色がいいこと、目の前に海が見えるのである。

そのあとすぐに個室に移動したがそこでも海が一望できる。もちろん、病院につきまとう暗さはない。
しかも、病室でインターネットができるのだ。PCだけ持ち込めば設定してくれる。眺めはホテル並みのオーシャンビューでインターネット付きときて、まるでホテルだ、これが病院であるとは思えない。

・杖を取りに走った

しばらくばあちゃんの買い物の付き合いができないでいたら、案の定、もう食べるものがないから、どこか買い物に連れていってくれとせがまれた。午前中の早い時間に行くことにして車でまっていたら、ばあちゃんが出てきたが、杖を持ってくるのを忘れたといって取りに行ったのだが、驚くことなかれ杖を取りに何と走り出したのである。

この間もスーパーのカートにさしたまま帰ろうとした。現在87歳であるが、周りの人がみな持っているからファッションとして持っているだけじゃないのかなあ。

・万引き監視はお客のため?

そのばあちゃんと行ったスーパーで変な書き物が。万引きを撲滅することが安心して買い物ができることにつながるのだろうか?店が損をしないためだけじゃないの。

P1001283.JPG

・変なお愛想

夕方はかかりつけの医者へ、血圧が高かったので薬をもらっているのだが、ここのところずっと血圧は低く正常値をキープしている。薬はいらないくらいなのだが、飲みはじめてしまったのでやめられない。

で、その薬を薬局でもらったときのことである。最近薬局はやたら愛想がいい。若い女の子が笑顔で「いかがですか?」とか「おかわりありませんか?」とか聞いてくる。「ほかにどこか悪いところはありませんか?」というものだから「ちょっと頭が悪いのですが」とくだらないオヤジギャグをかます。

そうしたら、お釣りが3100円なのに100円だけしかくれない。おいおい愛想をふりまくのもいいがやることはやってよと言いたくなった。さすがに、「またのご来店を」とは言わなかった。

2008年10月19日

Web+DBPressに載ります

今月の24日に発売になる「Web+DBPress」Vol.47にぼくの書いた記事が掲載されます。タイトルが「実践的BPMのための 業務プロセスの設計作法」です。

このブログにも書いてあることですが、BPMアプリケーションを開発するためには、上位のプロセス設計が大事になってくるという主旨で、そのための設計作法について書いています。

一緒に社長の知り合いのYappoさんや、つい先日お会いした山本陽平さんも記事を書いているのでけっこう感激しているのです。

元々は8月発売の前号に載せるはずだったのですが、事情があって2ヶ月遅れとなりました。したがって、微妙に変えたいところもあったのですが、そのままにしてあります。

この雑誌は、若い開発者向けだそうですが、ぼくのような年寄りが書けるのかと逡巡しましたが、開発者にとって業務プロセスをきちんと捉えておくことは非常に重要であると思っていたので、そこに焦点をあてればぼくでも書けると思って引き受けました。

この記事は、スタロジの羽生章洋さんが技術評論社に紹介してくれて実現しています。羽生さんに感謝です。

さて、今月はこの記事が出るのもあり、また、社長が「エンジニアtype」という雑誌でインタビューされた記事も出て、そこに写真が載るのですが、そこにぼくの姿があります。

また、社長は新しいサービスについての記事などが雑誌に紹介された、あるいはこれからされるようで、親子で露出しています。というわけで、ウェブプレゼンス・ドリブン・マネッジメントの実践です。
 

 

2008年10月20日

日本人はなぜシュートを打たないのか?

「日本人はなぜシュートを打たないのか?」(アスキー新書)の著者である湯浅健二は、ぼくの高校のサッカー部の後輩である。ぼくの4年下になるので、在学中は一緒にプレーしたことはないので、よく知っているというわけではない。OBチームで1,2回顔を合わせたくらいだと思う。

その彼が、従来からよく言われている日本チームの決定力不足、すなわちシュートを打たなければ得点できないのにいっこうに打とうとしないことについて書いている。

先日のウズベキスタン戦の欲求不満もあったので興味あるテーマであった。結論的に言うと、あとがきに書いてある次の指摘に凝縮される。

優れた守備意識をバックボーンに、リスクチャレンジあふれる魅力的な攻撃サッカーを志向していかなければならないのだ。その絶対的な基盤が主体的に考えて決断する力であり、勇気と責任感に支えられた行動力なのである。

それは、自分のドイツ留学のときに経験したことをベースに、具体的な場面を描いてみせることで読者が分かりやすくなっている。単なる解説本ではない。しかし逆に実際にプレーしたことがない読者にとってはも少し直截に言ってよと思うかもしれない。

著者は実際にプロコーチであるので、監督術のようなマネージングについても言及している。選手やチームを変貌させる様も書かれていて、これからサッカーの試合を見るときに参考になる。

結局、日本人の弱さはサッカーに限らず、ビジネスや、一般社会についても当てはまるように思え、これから大事なのは“主体的な決断力”であり、“勇気ある行動力”なのである。

ただ、残念ながら、それをどうやって身につけたらいいのかには物足らなさが残った。でも、それが分かればとっくにやっているわけだから、少しずつでもいいから近づく努力を日々行なっていくしかないのだろう。

早く日本代表の主体的で勇気あるシュートを見たいものだ。

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2008年10月21日

妻の手術

いま、妻が手術の最中である。けっこう大きな手術なので6時間くらいかかるそうだ。その病室(個室に変わった)でこのエントリーを書いている。変な気分だ。こんなとき何を書いたらいいのだろうか。

幸いなことにぼくの嫁さんは不安なそぶりも見せないで、「まな板の鯉」の心境だといって手術室に向かった。あまり深刻になられても困るから助かる。普通の人は手術の前日は眠れないといけないというので睡眠薬を飲むのだという。ところが朝聞いたら薬飲まなくてもぐっすり眠れたというのにはびっくりした。

たしかに、じたばたしても自分じゃ何もできないのだから、もうあずけるほかないのである。ただ、表面上はそうだが内心はちょっとは動揺しているらしく、ぼくの普通では何でもない言動にいらついていたのが垣間見えた。

それにしても、個室とはいえ病室の中でパソコンのキーを叩いているのはなんともさえないが、さりとてぼーとしているのも退屈なのだが、さてこれから何をして過ごそうか。

まあ、今日はこんなところで。
 

2008年10月22日

iPod

今さらiPodもないだろうが、還暦のお祝いということで社長からもらった。といっても、社長がいままで使っていたやつで、自分は新しいのを買ったのでぼくにくれたというわけである。

でもぼくはヘビーユーザにはなれないから、それで十分なのである。最近は東京へ出る機会が増えてきたので、その行き帰りに利用したかったのですごくうれしかった。

ところが、さあ使うぞと思ったら嫁さんに取られてしまった。いま入院中で昨日手術があって、無事に済んだのでほっとしているが、病院で使いたいからといって入院するとき持参したのである。

どうも、痛みがあるときなどに好きな音楽を聴くと安まるからだそうだ。スガシカオと斉藤和義のアルバムを入れていった。

ところで、病室にはテレビを置いてあるが、嫁さんは見ないが、他の患者さんもほとんど見ていないように思える。おそらく、テレビを見てもおもしろくないのではないだろうか。自分の好きな音楽を聴いてゆったりすることがいいんじゃないのかな。

ぼくのiPodは退院しても返ってこないかもしれない。そうしたら5年後の妻の還暦祝いにしておこう。
 

2008年10月23日

遊び場

鎌倉といっても田舎に住んでいたのでそのあたりの話になる。昨日も、モノレールの大船駅で深沢地区鎌倉統合60周年という垂れ幕がかかっいた。そうなんです、ぼくが住んでいたところは、ぼくが生まれたときから、やっと鎌倉と呼んでもらえたところなのです。

ここからの話は、別に鎌倉に限った話ではなく、当時の日本中どこでもあった話のような気がする。遊ぶところはどこにでもあった。ぼくが住んでいた頃の遊び場は、たんぼと畑と山林と川と海である。そこで遊んでいた。

じゃあ、そこでの遊び方ってどうだったのか。まずは、田んぼですね。前から都会に住んでいる若い人は田んぼなんか、小学生のときの体験学習ぐらいかもしれないが、ぼくらは家の周りは田んぼだらけであった。いまは田んぼを探すのに苦労するが。

そこが遊び場であった。田植えをしたら、そこに蛙やザリガニ、どじょうなどが集まってくる。そこで蛙を捕まえて皮を剥いでそれを餌にザリガニを釣るのである。この話は前に書いたかもしれないがもう一度書く。

ぼくらがこうしてザリガニ釣りをしていたら、横で見ていた外人の子(当時は近くに進駐軍の家族が住んでいた)が、家に跳んで帰ったのである。しばらくすると何か大きなかたまりを手にしている。それをどかっと置いたのでよく見ると肉のかたまりなのだ。

こっちはびっくり仰天である。肉なんてめったに食べれないし、こんなに大きなかたまりも肉屋でしか見たこともない。外人の子はその肉をちぎってザリガニを釣りだしたのだ。おいおい、ザリガニに食わすくらいならオレたちにくれと叫んだのであった。

どじょうを取るのは寝込みを襲うのである。カンテラをさげて夜中に寝ているどじょうをもりでさして捕まえるのだ。

夜中に寝ているどじょうをもりでさして捕まえる話も書いたのでここではもう書かない。田んぼは稲刈りのあとの冬にそこで野球をしたり、飛行機をとばしたり、氷が張るとスケートをするのである。転んでも痛くないから縦横に走りまわれる。もちろん泥まみれになるが。

山にもよく行った。山といったって低い丘のようなものだが、こどもにとっては高い山である。そこに隠れ家を藤の蔓を使って木の上に作るのである。そしてターザンごっこである。カブトムシやクワガタもよく取った。どこにいるのか決まっている。

でも山は蛇や蜂に気をつけないといけない。桑の木に登って実を採って食べていたら、蛇に首を巻かれて木から落ちたことがる。棒で草むらを叩いていたら、蜂に襲われた。逃げても逃げて追いかけられて数箇所刺された。すぐにおしっこをひっかけたがだめで、腕がはれ上がりしばらく病院通いをした。

次は川の話である。家の前に小さな川があった。これもこども心には大きな川である。そこでは釣りや手作りのボートに乗っての舟遊びである。この川は、農業用水にもなっていて、春から夏にかけて堰止めをして水を張るのである。そのときに釣りやボートで遊ぶ。

で田んぼへの水張りが終わると、その堰をいっせいに外す。この日は一大イベントである。なぜかというと、水をたたえた川が一気になくなってしまうから、魚どもが手づかみで採れるというわけである。お目当てはうなぎである。この時期になるとよく油の乗り切ったうなぎを食べたものだ。

川は楽しいものだけではない。危険なものでもある。台風で何回かあふれたこともあるし、自転車の練習をしていてそのまま自転車ごと浅くなった川に落ちたこともあるし、弟がおぼれてすんでのところで助けあげたこともある。

さて、最後に海であるが、ぼくのうちは鎌倉でも海にはそれほど近くはない。さすがに歩いては無理なので自転車かバスである。由比ガ浜か江ノ島東浜である。夏になるとしょっちゅう出かけていき真っ黒になる。しかし当時は海水浴客も多く、何よりも海が汚かった。

そういえば、鎌倉カーニバルというのがあって、それを見に行くのも楽しみであった。もちろん、その頃はサーフィンなんてやっていなかったが、波乗り板というのがあって、今でいうボディーボードというやつでそれで遊んでいた。普通はそんなに波が荒いわけではないので、台風がきそうなときをねらっていくのである。ところが、これも楽しいことばかりではなくて、弟の同級生がおぼれて死んでしまった。それから、波が高いときに海に行くことを禁じられたのは言うまでもない。

今だと、危ないことはやってはいけないとすぐになるが、昔はあまり言われなかった。だいいち、少しぐらい危ないことのほうが面白いに決まっているのだ。だから、今の子供たちがかわいそうに思うのである。

ところで、こども遊び場に学校の運動場も付け加えたほうがいいように思う。それだけ、校庭でよく遊んだものだ。ぼくの家は学校からすぐ近くだったので、学校から帰ってランドセルを放り投げるとすぐに学校の運動場に行った。

何をするかというと、もちろん鉄棒などの遊具があるから、それで遊ぶというのもありだし、砂場で空転の練習をすることもある。空転というのは空中転回ということで、手を付かないで前方に一回転することである。これができるかできないかでクラスの中での評価が違う。このころ評価を得たいと思うと、かけっこで一番か、いまの空転ができる、跳び箱を一番高く跳べる、蛇をつかめる、相撲が強いといったことで勉強ができなくてもちゃんと尊敬される手があったのである。

またまた今と比較してしまうが、今は学校の運動場で遊べないのではないのか。それこそ変なやついて危険だからとなっているのではないだろうか。もちろん、ぼくらの時も変な大人がいたけれど、それは犯罪につながるような怖さではなかった。だから、夕方暗くなっても遊んでいて、近くの家のお母さんが「ごはんだからもう帰ってきな」という声とともにみな家に帰るのである。そういえば、塾もなかったなあ。
 

2008年10月24日

運命じゃない人

内田けんじの「運命じゃない人」を観る。2005年度の作品だから、ずいぶんと前になる。その年のカンヌ国際映画祭批評家週間へ出品されたことでも話題になった作品である。

まず、こりゃやられたと思った。要するに、いくつかのストーリーが錯綜して、最初は時間も含めて、関連性がわからない。そのうち映画が進行するに従ってそれが徐々にときほぐされてきて、最後のああそういうことだったのかと分かる仕掛けになっている。

こういう手法は別に新しいわけでもなくよく使われるが、この作品は、その組み立てが非常にうまくできていて、それは脚本を練りこんだ結果だと思うが、そのよくできた脚本を丁寧に演出している。劇場映画が初めてとは思えないできばえである。

出演者もあまり名の知られた俳優さんではないが、中心となる男女5人がそれぞれ違った個性を演じ、しっかり存在感を出していた。

同じカンヌ映画祭でグランプリを取った河瀬直美監督に脚本というのは詰めて詰めてつじつまもあわせながら、意外性を盛り込んでというふうにちゃんと書かなくてはいい映画が撮れないということをこれを見せて教えてやる必要がある。

内田けんじの次作「アフタースクール」を早く観たくなった。
 

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2008年10月25日

上海蟹

昨日は、じゃあじゃあぶりの雨の中を嫁さんの入院先の病院に行き、その足で横浜中華街に向かう。

来月に高校時代のサッカー部の連中の還暦祝いをするので、その打合せを、顧問だったS先生とキャプテンだったH君とサブキャプテンみたいだったS君と4人で中華料理を楽しみながらすることになったのだ。

ときちょうど上海蟹の季節である。S君の職場が中華街がすぐ近くということもあって彼のお薦めの店である「福満園新館」で上海蟹を賞味する。うまかった。

先生は70の手習いで始めた水彩画が3年で相当なところにきたようで、昨日も天気が良かったら写生をしたあとに中華街という予定であった。なので、じぶんで書いた絵を還暦を迎えた連中ひとりひとりに贈りたいということになった。

最初は、一枚だけでそこに皆にサインをしてもらって、とりあえずキャプテンのH君に渡すから、それをみんなで回したらということであった。そんな話をしているとき、先生が3個のミニチュアのサッカーボールを出して、これは、全国大会に出たときの年のものだというのである。自分が出場したとき、先生が就任してすぐに出場したぼくらの4年上のとき、そしてぼくらのときの3回である。

そうしたら、H君はおれも持っていると言ったのであるが、ぼくとS君は持っていないという話になる。さらに関東大会優勝の時のバッジを持っているとかいないとかとなる。当然もらえる数が限られているから全員に渡っていないのである。そんな話から、先生にみんなに絵をくださいよといって、もらうことになったいうわけである。

料理も、上海蟹だけでなく締めのフカヒレそばまでみんな美味で、そのためビールを飲んだあと紹興酒を5本もあけてしまい、いい気持ちで先生を送り出したのである。
 

2008年10月26日

プロフェッショナルの行動学

先週放送のNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」は面白かった。100回記念ということで「プロに学べ!脳活用法スペシャル」と題して、茂木健一郎がこれまで登場したプロたちの発想法などについての共通点を探るという主旨である。そこに出てきたものが下記である。


ひらめきの極意 プロのアイディア発想法
発想法① とことん考えてから、寝る
発想法② 考え事は「場所」を選べ

脳を活用 プレッシャー克服法
プレッシャー克服法① 苦しい時はあえて笑う
プレッシャー克服法② 本番前の「決まり事」を持つ

プロに学べ やる気が出る秘けつ
モチベーションアップ法① 「あこがれの人」を見つける
モチベーションアップ法② 小さな「成功体験」を大切にする

これらはみななるほどと思わせることばかりで、さてわが身はどうかと、自分のことに置き換えてみてみる。

寝ることがひらめきにつながるということは納得する。ぼくもこういうことがあって、行き詰ったときぱっと寝てしまうと、起きたときいい考えが浮かぶということがある。このとき大事なのはとことん考えるということなのだろう。

それは、何も眉間にしわ寄せてじっと考えなくともだらだらしていてもいいと思う。頭の中でいろんな着想があっちいったりこっちいったりしてまとまらないようなときは寝た方がいい。どうも、脳科学的にも寝ることで経験や知識が整理されるのだそうだ。

考え事にいい場所は以前このブログでも書いたが、古来三上といわれ、三上とは馬上、枕上、厠上である。馬上は馬の上だが、現代ではさしづめ電車のなかか、枕上は寝ているとき、厠上はトイレのなかだ。電車の中がこれに当たるかどうかはあるが、情報が一杯あるよりかは、ある程度情報が遮断されたところがいいようだ。

プレッシャー克服法では、イチローの試合前にいつも同じことしかしないことを思い出した。要するに、プレッシャーに負けるというのは、集中できないことなのであるから、本番前に決まり事をすることによって集中モードのスイッチが入るというわけである。この話もすごくよく分かる。

最後のモチベーションについては、簡単に言えば「ロールモデルを持って、少しずつでもいいから、そのひとに近づけるように努力するということ」なのだろう。

いずれにしろ、ぼくらが普段考えていること、しなくてはいけないことをプロたちはきっちり実践している。いや、それができたからこそプロになれたのだろう。


2008年10月27日

情報共有型ワークのすすめ

いま人間系のシステムとしてCMSのような情報共有型の仕組みを推奨している。それは、人間が絡むと非常にあいまいで、あっちいったりこっちいったりするからである。

しかし、だからといっていい加減ではない。むしろ議論をしながらいい方向に行こうということである。ここのところが非常に重要なことであるような気がする。ウエブ系の特徴はここにあって、孤立型バケツリレーはやめようよねという思想であると思う。

ネットで格差だとか疎外みたいないわれ方をするがぼくはそういうネガティブな側面はあるのは否定はしないが、それ以上に逆の仲間感があるような気がする。ただし、ここが閉鎖性を伴うとまずいのだが、ウエブにはそれに陥らないオープン性も一方の特徴としてあるわけだから、ドアを開けっぱなした仲間世界である。

これって、ぼくらの時代の人にとっては“縁台・縁側”なのだ。ぼくらの子供のときって家に鍵なんかしていないので、いつもよそのうちにあがりこんでも平気だった。夕方になると、縁台でおじさんたちがいろんなことを教えてくれた。

ぼくはそれをウエブに見ることがある。それをウエブ上に取り戻したいと思うのである。仕事はひとりぼっちではできない。いくらいきがってもできないのだ。

それをここのところわが国では、どうも自立とか自己責任とか言い出して、そういうことを単純にひとりでなんでもやれということだと感違いしているのか、あるいはひとのことをかまっていられないほど追い込まれているのかわからないが、ひとりで何でも処理できるやつができるやつだと思ってやしないのだろうか。

実はぼくも若いときはそう思っていた。すなわち、だれにも教えてもらわず、自分で何でもやってやれ、できると思っていたのである。それはそれで大事な資質だと思うが失敗した。

特に経験したことがないことが目の前に現れたときどうするかである。それは経験したことがないのだから、それでもあくまで自分の頭で考えるか、だれかに助けを請うかである。往々にして、自分でなんでもかたづけようとするが、うまくいかないのである。そのときどれだけ謙虚になって、教えを請うことができるかが、大げさに言えば人間の器になる。

ぼくは見た。若いとき、まだ化学プラントのオペレータのときである。ぼくが尊敬する人がいて、その当時はこの人は何でもわかっているすごい人だと思っていたのだが、ある緊急事態が起きたときに、もうなりふりかまわずぼくにむかって、“おいどうしたらいいのだ”と言ったのだ。

これはすごいことなのだ。結局、みんなで精一杯の知恵を出して解決することができた。それでぼくは鍛えられた。でも失敗だらけだ。「ほんとうにうまくやるのには人生は短すぎる」と思うのである。

ぼくみたいな年寄りはここのところは胸を張って言える。だから、いろいろな経験をしろと言いたいのだが、そう簡単ではなくて、経験はチャレンジしないと得られないということを肝に銘じることである。

話を基に戻すと、みんなで考えて決めたことは案外いいことだよねという精神は、けっこう今の企業のなかで使えて、むしろそういう方向がこれまで方向と違う、しかしかつての日本的な世界のよさを取り戻せるように思える。

でもこれだとひょっとして循環論だから、そうではなくて、進化した情報共有理論を誰か作ってくれないかなあ。
 

2008年10月28日

振り向けばSOA

以前、SOAは終わったと書いて、SOAはあくまでアーキテクチャであり、概念だから、それを目的として構築するという話はないと言ってみた。

ところで、いま渡辺和宣さんとH・A・サイモンの意思決定プロセスをぼくの主張しているCMS-BPMSプラットフォームで拡張展開できるよねということを話している。

H・A・サイモンの意思決定プロセスというのは、情報収集(Intelligence activity)-情報設計(Design Activity)-情報選択(Choice activity)であり、それはManagementであり、組織であると定義している。これはまさにいまやっていることに他ならないのだが、この話はまた書く。

こうして、サイモンのことを調べているとき、その延長線上に戦略情報システムが出てきた。その昔、SIS(Strategic Information system)と言ったやつである。それについて、「経営情報システム」(島田、高原 日科技連 1993年)に書いてあることがすごく印象的だったのでそのことについて書く。その中で、戦略的情報システムとは?ということに対して次のように記述しているので引用してみる。

「SISとは、経営戦略を実現するために。組織の基幹システムについて、情報技術を用いた組織内または組織間、あるいは両者間の業務結合により有機的に築かれた、差別化による競争優位のシステムである」としている。ここでのポイントとなるのは、情報システムが企業の競争優位を獲得する戦略に寄与しているならば、従来のどのような概念もSISとして位置づけ可能であるとしている点である。しかし、競争優位性の獲得という目的を達成するための手段は情報システム以外にも多様に存在し、また、SISの代表例と言われた情報システムも意図的に構築されたものではなく試行錯誤の結果としてでき上がったものであることを考えあわせると、「結果としてのSIS、振り向けばSIS」という言葉は味わい深い言葉である。

わーを、このなかでSISをSOAと言い変えてみてください。ぴったりでしょう。こうした見解が15年前に書かれているということは、同じような3文字が表われては消えしたのだろう。上の書いてあることってほんとSOAにも当てはまると思いませんか。

結局、そういうことなんです。“結果としてのSOA、振り向けばSOA”というのは言いえて妙である。

2008年10月29日

ヘアスプレー

この映画は、主人公の女子高生が言う次のセリフで決まりだ。「“人と違っている”ことがいいことなのだ」である。

背が低く太った女子高生がダンスで地方テレビ局の番組のオーディションを通り、一躍人気者になってしまう。「ヘアスプレー」(アダム・シャンクマン監督)はそんな映画である。まさにアメリカンドリームの一端を覗かせてくれる。ある意味で、古きよき時代の映画である。

いまやこういう状況になって、アメリカモデルがもろくもくずれさろうとしているが、ぼくらは、そんなに簡単に見限るなよと思うのである。だって、そういうお手本があったからこそ日本もここまで来れたという面は否定できないのだから、もう少し窮地にたった先生というような目も要るような気がするのです。

さて、映画であるが、時は60年代公民権運動華やかしころ、ボルチモアのような保守性が強い田舎ではまだ黒人差別が公然とあり、それが徐々に開放へと向かう時である。そんな雰囲気において、いかにも“ブス”の女の子がめげずに、言い方を変えれば、向こう見ずにできそうもない、途方もない夢を追って、しまいにはそれを実現してしまうという、変形シンデレラストーリーだ。

当然のように、周囲の暖かい目、特に父親と母親がすごい。娘以上に太っていて、ぜんぜん外に出なかった母親(これを何とジョン・トラヴォルタが演じている)と、“デブセン”の父親が最初は反対しつつもいつの間にか応援団になっているとう定番のストーリーである。

そこには、深刻な人種差別の問題を盛り込んでいるので、シリアスになるところをミュージカルという形態にしているところで救われる。どうも、ミュージカルとはそういう一面があって、深刻さを笑いとばす落語に似ているような気がするが、飛躍し過ぎか。

ただ、動的なミュージカルと静的な落語の対比は国民性を表わしていて面白いと思う。そんなことを考えた映画であった。
 

ヘアスプレー
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2008年10月30日

競争優位の源泉

これまで、業務プロセスを可視化して、それを改善、改革して差別化を図るという文脈で語ってきたが、ここにきて少し考え直している。

というのは、いろいろなタイプの業務プロセスを設計していくとどうもパターン化できそうだということが分かったからである。まだ、本当にそうだかわからないがそんな気がしだした。

プロセスはほぼ同じ構造になる。結局、ビジネス活動は、H・A・サイモンの意思決定プロセスに準じて行動される。その要素は、個別のアプリケーションによって相違があるわけではなく、共通的な構造となっている。ただし、その構成の違いによって業務が特徴づけられるといえる。

そう考えると、業務プロセス自体に差別化要因を内包できるのだろうか。言い換えれば、プロセスの違いによって、競争優位を発揮できるのだろうか。

確かに、プロセスの効率性とかオペレーションエクセレンスという面は否定はしないが、それではコスト競争力というだけのような気がするのである。もう少し、差別的な意味合いを見出そうとすると、プロセス以外のところに求めざるを得ないのではないだろうか。

でここで言いたいのは、いまの議論からいくと、プロセス以外のデータとかルールとかいった観点の色を濃くする必要があるのではないかということです。これが前のエントリーで指摘したことである。

そこでは、意思決定のための情報収集の重要性と大前提である「データ辞書」と「業務ルールブック」の存在に言及した。この3つがプロセスとともに非常に大事なものになる。ここでは、そのデータとルールが実は競争優位の源泉ではないかという仮説を提示する。

というようなことを言うと、かなりの人がそれはMDM(Master Data Management)であり、BRM(Business Rule Management)ですねという。そういうことではないことに注意しなくてはならない。これらは、あくまで管理システムであり、その前にどういうマスタデータ、どういう業務ルールを持つのかが重要なことなのであって、そこを忘れると、ただのシステムの話になっては本末転倒になる。中味が問題なのである。

マスタデータというのは、まさに企業がそれを原資として活動を行うものである。具体的には、製品・商品、顧客・取引先、従業員・組織などである。

人に例えてみればわかるように、優秀な人は、高いレベルの知識やスキルを持っていて、それを発揮できる良質の職場やクライアントを持ち、気心の知れたスタッフと一緒に活動するという姿が思い浮かぶことでしょう。ちょっと物騒なところでは戦争で戦いに勝つには、相手に応じた武器であり、兵站であり、兵士である。

マスタデータというのはそういうものであり。それはすぐに獲得できるものではなく、ビジネス活動をしながら、成長していくなかで確保されていくものである。ですから、それは企業の体力であるとともに、差別化するためのものでもあるのだ。

同様なことが業務ルールブックにも言えて、必ずしも論理的にあるいは一義的にアクションのしかたが決まらないのは皆さんいろいろな局面で出会うと思います。もちろんマクドナルドのようなマニュアルもあるかと思いますが、企業の中ではそうはいきません。

そうなると、経験だとかノウハウだとかといった暗黙知の世界も大事になります。ですから、現実問題としては、そうして知識やノウハウを顕在化して、それをルールブックに仮登録したらよいと思います。それで、そのルールが恒久的なものであると認知されたら、正式ルールになり、さらにそれが定型的なシステムにできるならそうするというサイクルを回すことが大事になると考えている。

トヨタが強いのは、プロセスというよりもトヨタウエイを完遂できる人材と忠実な部品メーカというリソースと、現場の知恵を生かすルールブックがそれを可能にしているようにぼくには思える。

情報収集のところも含めて、ここのところをどんな仕組み、仕掛けにするかをいま思案しているところである。
 

2008年10月31日

シンプルに

こどものとき働くもの食うべからずということを教わった。そのとき、“利子だけで食って何も働いていない人はいいんですか”と質問したやつがいた。そのときの先生の答えが「お金が働いているからいい」と言った。

そのときこども心に、そうかお金に働いてもらえるようになればいいんだと思った。しかし、そのやり方も分からないし、だいいち働かせるお金がない。それよりも何よりもそんなずるいことをしていいのだろうか。ぼくにはできないなという結論になった。

でも、世の中にはどこからかお金を借りてきてそのお金を働かせることをやっている人が一杯いる。そして、そこで生まれたお金をまた働かせる。これをレバレッジというらしい。

単純にこどものときと同じようにずるいと思う。ずるいことは、破綻する。そういうことを学校で教えてくれればよかった。

お金のことは難しい。わざと難しくして、そこで生じる「情報の非対称性」でお金儲けをしている。一番いいのは、お金のことだけではなく何でもそうだが、難しいことには手を出さないことだ。

シンプルにシンプルにいくべきである。そこで生き残ったものが本物である。

これをある程度実現しているのがウエブの世界のような気がする。例えば、集合知というのがあるが、これはまさにシンプルになって出てくる知恵である。なぜって、複雑で小難しいことを並べたってだれもその”集合”には入れないことになる。いい意味で、ピアープレッシャーならぬシンプル化プレッシャーが働く。その感覚がウエブを支えているように思える。

情報共有の世界も「情報の非対称性」の解消から出発している。そしてシンプルでないと成り立たない世界である。特殊なサロンは情報共有とは言わないのである。
 

 

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