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2008年9月 アーカイブ

2008年9月 1日

こりゃひどい

もうあまり言いたくないんだけどテレビのことである。テレビを見ないと言ってもたまには見えてしまうことがある。ビデオを見ようとしてスイッチを入れたら、サキヨミとかいう番組が映って、何やら討論をしていた。

どうもスポーツに税金を投入することの是非のようだ。簡単に言えばオリンピックで金メダルを増やすために320億円もの税金を投入するのに賛成か反対かと言っている。

ゲストの小倉智明、勝間和代、森永卓郎が賛成でウエンツ何とかという子が反対という設定。ところがこの議論がひどいのなんのって、森永卓郎なんか320億円というのは国民一人当たり60円だから、1年でキャラメル1箱を我慢して金メダルが増えればいいじゃんなんてバカなことを言う。

勝間和代にいたっては、グラフを持ち出して何を言うかと思ったら、そのグラフがひどい。横軸に国が投入したお金の額で、縦軸に金メダルの数が表示してある。国が確か中国、アメリカ、イギリス、日本、韓国だったかなのだが、これは見事に相関がありますね、相関係数は0.9ですと言う。

ええー、たまげたね、おかしいでしょ。そんなの相関関係がありそうな国だけ並べただけじゃん。それでお金をかければ金メダルが増えるというんだからアホぬかすな。じゃあ、人口100万人の小国でも中国並みのお金をかければ金メダルが増えるのか。そんな単純なものではない。

議論もお金をかけるべきかということと税金を投入すべきかということを混同して言っているからまったく議論になっていない。こんな番組を作って何と思っているのだろうか、あきれかえってしまう。

これが、たまたまテレビをつけたら見てしまって、それもたった5分ぐらいの中味なのだ。ということは、こんなくだらないものが、やたら出てくるのが今のテレビなのだろうか。もうホント劣化している。まあ、これからもテレビは見ないからいいけど。
 

BPMを正しく理解するために-ITは投資かコストか

先日、ITC協会の研究会のあとの呑み会で題記のような議論になった。

80年代を謳歌した日本産業界も90年以降、アメリカに置いてきぼりを食ってしまった。その原因は、IT化の質と量の差である。

アメリカも、80年代はまだコスト削減が主体のIT投資であったが、その投資対効果が疑問視され、もう少し戦略的に投資しなくてはいけないということに気がつき、その領域への投資額も増やしていったのである。

反対に日本は相変わらず維持保守のための投資が主体で、それ以外でも自動化による省力化だとかいった効率化を目指したものにカネをかけている。

要するに、日本では情報システムはコストと考えているが、アメリカでは投資というようにとらえているから、ROIをちゃんと評価してやっている。この差が大きいのではと言うような議論であった。このあたりのことは。野口悠起雄も「ジェネラルパーパステクノロジー」で書いている。

別な言い方をすると、コストと考えているうちは経営戦略も何もないのだから、前回に言ったような「経営とITとの同期」なんてことは関係ないのだろう。

しかし、前述したように日本経済の弱体化をもたらした大きな要因に戦略的IT投資ができていないことがあげられるわけで、そうなるとだんだん経営者もわかってくるので、これから有効なIT投資をどうしたらよいかという問いかけが活発になることが予想される。その答えは、いままで言ってきている経営と同期したITの構築ということになるのです。

2008年9月 2日

殯の森

第60回カンヌ国際映画祭で、審査員特別大賞「グランプリ」を受賞した河瀬直美監督の作品「殯の森」を観る。

ざっとしたストーリーはこうだ。

奈良県の山間地にある旧家を改装したグループホームに入所している認知症のじいさんと女性介護士の交流を描いたものである。じいさんは、33年前に妻を亡くして、その妻への思いをずっと抱き続けている。介護士の女性は子どもを亡くしたことがきっかけで夫と別れつらい思いを抱えながら懸命に生きようとしていたらしい。(らしいというのは映画ではせりふが聞き取れなくてこうしたバックグランドがぜんぜんわからないのだ)そして、二人はじいさんの亡き妻葬られている森の中に入っていく・・・となる。

これじゃあ何のことかと思うでしょうが、冗談抜きでこれだけです。どうしてこんな作品が賞をもらったのでしょうか。

おそらく、妻を亡くした認知症の老人が妻の埋葬された森の中に行き自分もそこで死んでいくというのが思いついて、そこに介護士を絡ませて、そして美しい自然をちりばめて生きるとは、死ぬとはを問いかけようと考えたと思う。

しかし、全くリアリティが感じられなかった。いまぼくの身近で認知症になりかけているひとがいて、かなり現実的な話になっているが、映画のような設定が信じられない。だいいち、亡き妻が森の相当深いところに埋葬されているとは驚きだ。そこに元気に登っていって、墓を掘って死んでいくなんてありえない。

自然の景色の美しさが随所に見られるがそれはそれで上手に撮れているし感動するが、何を意味しているのかがよくわからない。

要するに、河瀬監督のひとりよがりのような気がする。自分のイメージした観念的な世界をそのまま画像にして、さあみんな見てよねという感じなのだ。だから、最初に書いたように、せりふは聞き取れないし、シチュエーションが非説明的だから、何が起こっているのかさっぱりわからない。

たぶん、それがカンヌで受けたのだと思う。かえってこうしたよくわかんないものをわかったふりをしたい審査員が選んだのでしょう。

以前、オリジナルシナリオで映画を撮るべきだと言ったてまえ、この映画もオリジナルなのであまりけなしたくはないのだが、あまりにもリアリティにかけるシナリオなのでがっかりしてしまったのであえて苦言を呈することにする。


2008年9月 3日

Web2.0の企業への適用-Web2.0とは

いまある研究会でWeb2.0技術を企業で活用するにはというテーマで議論をしている。そこで、ぼくなりに考えたことを書いていくことにする。

いまさらWeb2.0もないだろうというツッコミはあるかと思いますが、エンタープライズ系との兼ね合いで語らえることは少なく、Enterprise2.0という言葉もあることはあるが、そのニュアンスともちょっと違うし、ということでもう既にいくらかは浸透してきている現状でもあることなので議論しておく意味は十分あると思う。

こういうテーマだとすぐに社内ブログだとか社内SNSという方向に行ってしまうが、それもあるがもっとさまざまな局面で技術を使ったりすることがあると思う。それよりも何よりもWb2.0の精神とか考え方を注入することの方が重要であるとも言える。

企業で使われる条件は二つあると思っていて、一つはそれを使わないと仕事ができないような状況になること、もう一つはそれを使うと個人的に得をするとかいった場合である。すなわち、強制力とインセンティブ付与である。

こうした観点から考えていくが、最初にWeb2.0とはいったい何のことかをみていく。具体的な技術やコンセプトを言う前に大づかみに捉えておくことにする。

どうもWeb2.0というのは、「つなぐ」あるいは「つながる」技術でありコンセプトであるのはないかと思う。つなげるものはそれぞれ違うが結局その相互の関係性を従来と違った形に変えていくものであると規定してみた。

そうすると、次のような切り口が見えてくる。
1) 何と何をつなぐのか
2) どうやってつなぐのか
3) つなぐと何が変わるのか
4) めざすものは何か

これからそれぞれについて検討を加えていくことにする。

2008年9月 4日

違いを知ること

同じような言葉や言い回しなのだが、実は中味は違うということがある。情報システムに関することでそうした誤解、曲解があったりする。

このブログでも何回も指摘しているので繰り返しになるが、ただ今まで書いたことを整理しておくということもブログを書く上で大事なことでもあると思うので、あえて同じようなことを書く。

よく混乱するワーディングには、ビジネスモデルとビジネスプロセス、要求定義と要件定義、ソフトウエア開発とシステム開発といったところがある。2番目の要求定義と要件定義についてはちょっと前のエントリーで書いてあるので、前後についてみていく。

ビジネスモデルというのは、事業の形態、収益のあげ方、競争のし方などで、戦略的な意味合いが強く、競争優位を保つためのモデルといえる。

それに対して、ビジネスプロセスというのは、戦略を実行するための業務遂行プロセスで、かなりオペレーショナルなもので、どちらかというとリソースの稼動効率を最大化してコストを最小化することに重点を置いている。ビジネスモデルはCEOの責任であり、ビジネスプロセスはCOOのミッションということでもある。

3つ目のソフトウエア開発とシステム開発である。ここでちょっと話がそれるが、開発という言葉を両者が使っているが、実態はどうも違うように思える。開発をしているのかどうかということである。ソフトウエア開発は、プロダクト開発といってもいいが、むしろソフトウエア製造とかプロダクト生産のような言い方が近いのではないだろうか。

また、システム開発はシステム構築のほうが似つかわしいと思う。業務システムはシステム屋が開発するのではなく、ビジネスをやっている人が開発するものである。

ソフトウエアを作ることとシステムを作ることはだいぶ様相がちがっていて、理解しやすいように例え話でいうと、自動車産業と運送業とかタクシー業の違いである。ソフトウエア(プロダクト)を作るのは自動車を生産するのに似ている。しかし、業務システムを作るということは運送屋が自動車を使ってビジネスやオペレーションをどうするかの仕組みを作ることと同じである。

このことは、よくIT業界を自動車産業になぞらえていう人もいるが、決定的な違いはここで、企業の情報システムを作るのは自動車を作ることではなく、自動車を使ったビジネススタイルを作ることなのである。だから、難しいのだ。

誤解を恐れず言うと、自動車生産のモデルは簡単だ。適当に予想してそれにあったようにモノを作り、売ればいいのだ。それがどんなところで、どのように使われようがどうでもいい。ベンツで田んぼのあぜ道を走ってスーパーにいってもいいし、トラックに人を積んでどうでもいいのだ。基本的にProductOutだからユーザの恣意に踊らされない。

それに比べると、システム開発は、様々なユーザ要求に対するソリューションとしてあるので、モデル化も難しいし、単純な方式化も大変なのである。だから、自動車産業のほうが上でITは劣位だなんてことはなく、システム構築でやっていることはかなり高度なことをやっているのだ。いや、まだできていないから、これからやらなければいけないと考えたほうがよい。

オレたちのやっていることはかなり高度な産業であるという誇りをもったらいい。それを矜持という。ITに関わる人間としての矜持こそ大切なのではないだろうか。

話はそれたが結局まとめると、それぞれの言葉は似ているようでちがうが、しかし関連性があってつながっているのである、それを表現すると、

「経営戦略から導き出された“ビジネスモデル”から“要求定義”を行い、モデルを実行するための“ビジネスプロセス”に落とし込み、そこからの“要件定義”に従って“ソフトウエア開発”されたプロダクトを活用して、“システム開発”を行う。」

ということになる。
 

2008年9月 5日

Web2.0の企業への適用-何をつなぐのか

Web2.0は「つなぐ」「つながる」が上位キーワードという風に考えたが、まずは何と何をつなぐのかという話である。

対象は、「人」、「情報(データ、コンテンツ)」、「サービス」であると考える。よくヒト・モノ・カネという言われ方をして、これまではそういうものを主たる対象にしてきたように思う。ところがWeb2.0の世界では対象が違うのではないだろうか。

少しそれるかもしれないが、可視化だとか見える化という視点でみても、これまでの見える化の対象はヒト、モノ、カネのうちほとんどがカネにつながるもの、すなわち、ヒトだったら給与、モノだと有体物であり、その価格である。

ところが、これからは無体物の価値のようなものが重要になる。例えば、ヒトであればその人のスキル、性格、特技、ネットワークといったものであり、モノでいえば、その商品の持つブランド力とか顧客満足度とかいったものである。それはある種の情報あるいはサービスといってもいいだろう。

従って、ヒトとヒトのつながりやヒトと情報の交わり、サービス同士の連携による新たなサービスといったことが重要になってくるのである。

カネや有形資産としてのモノを中心とした世界も大事だが、それよりも目に見えない価値の世界の重要性が増してきているのではないでしょうか。そこの領域を可視化して、モデル化してくれるのがWeb2.0であると思う。

特にヒトとヒトの関係において、その関係性のプラットフォームがどんどん変わってきていて、今はそれがWeb(ネット)になってきているというのは厳然たる事実だ。良かれ悪しかれもうそこから逃げられないということも事実なのである。だとすれば、それとうまく折り合っていくことが最善の選択であると思うのである。

2008年9月 6日

赤めだか

これはすごい本だ。何よりも面白いから一気に読める。立川談春という落語家が書いた「赤めだか」(扶桑社)という本だ。言って見れば上質の新作落語を聴いているようだ。

まあ、対象があの立川談志なので、存在そのものが強烈な印象を与えるのに、その私生活があからさまになってしまうのだから、面白くないはずがない。

ぼくは落語が好きなのだが、ここに書かれていることはほとんど知らなかった。談志と五代目小さんとの確執は有名だが、この本の最後にそのあたりの話が出てくる。ネタばれになるので書かないが、和解するのかしないのか、ああ涙が出てくる。

そのほかにも桂米朝との絡みだとか、高田文雄との出会いなど、もうどんどん引き込まれていく。

作者の談春そのひとも魅力的だ。競艇の選手になりたかったのに、背が伸びてしまってあきらめて落語家の道に入ったなんて、それだけでのけぞってしまう。ところでこれと同じような話がわが家にもあって、したの息子は競馬の騎手になりたかったが、やはり背が伸びてあきらめた。なにしろ今や184cmもある。

談春の落語の修業についても、ほんとにこんなことがあるのかと思えるようなエピソードが満載で、きれいごとだけではなく、後輩に遅れて真打になるという悲しいことなども忌憚なく表現していて、そんなところもこの本をより面白くしている。

立川流は談志というカリスマの家元がいてこそ、落語協会から飛び出してもやってこれた面がある。その談志がいなくなったときどうなるのか気になってくる。しかし、志の輔や志らく、そしてこの談春がいれば何とかなるのではと思えてくる。

そんなことを考えると談志の偉大さがわかってくる。落語協会にいれば誰でも最後には真打になれるわけで、こうした年功序列的な世界でぬくぬくやっていけるのにそんな道を捨てて独立するのである。寄席を持たないから大変である。そこで、談志がひとりで全部弟子の修業を見て、そして何よりも一段と厳しい芸を要求したのである。

だから、これをクリアした弟子も鍛えられているので半端なやつはいない。談春は談志に「いま古典落語を演らしたらこいつが一番うまいのじゃないかな。おれよりうまい」なんて言わしめるまでに育っている。

人間こうした芸の世界に限らず、会社でもなんでもすばらしい師匠をもつことがすごく大事であると思う。少なくとも、今日そういった師匠の存在が希少になってしまったことが、粗野で軟弱な人間の乱造につながっているように思える。

振り返って自分の師匠は誰だったのかと思いを馳せる。学校の先生は師匠ということではないと考えると、ぼくには二人いる。二人は多分自分が師匠だとは思ってもいないだろうが、ずいぶんと影響を受けたし、何よりも自分が苦境に立ったときにそばにいてくれた二人なのだ。

この本はまちがいなく面白いのだが、それにも増して何か現代人が忘れてしまったようなものが詰まっているいることがすばらしい。ぜひぜひ一読することを強く薦める。
 

赤めだか
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2008年9月 7日

あぶねえー

サッカーW杯最終予選が始まった。アウエーで勝ち点3ゲットはうれしいが、なぜか手放しでは喜べないという試合。

おそらく岡田監督も俊輔も言っていたように3点が入って安心したというか、集中力がふっと切れたところを狙われた。サッカーの恐ろしさなのだが、ちょっとした気のゆるみで一瞬にして攻守がかわり、点が入ってします。全員ではなくて一人でもそういう選手がいると起こる。これは疲れとかそういうことではない。だから、交替で入った選手が起こすことだってあるのだ。

試合のあとのインタビューで感心したのは、中村俊輔が「交替選手がどういうことで入ったのか考えないと」みたいなことを言っていた。これにはなるほどと思った。

後から出場した、中村憲剛、佐藤、今野の貢献度を言うのだが、確かに憲剛の3点目が結果的に効いていても、これら3選手が相手の2点を防ぐことにどう関わったかというとそこが問題のような気がぼくにもしていたからである。

俊輔はすごい選手になった。以前はそんなことは言わない選手だったが、確実に中心選手としてのリーダシップを発揮できるようになった。頼もしい限りだ。

今回のバーレーン戦でよかった点は、やはり、玉田と田中達也のツートップだ。二人のスピードとアイディア溢れる突っ込みは相手の大きなディフェンダーを大いに困らせていた。これは、レベルは違うがアルゼンチンスタイルなのであって、そういう攻め方は日本のサッカーのめざすところのように思える。

とりあえずバーレーンに勝ったのはこれからの戦い方が楽になるが、この試合と同じように楽勝かと思うとひっくり返りそうになることもあるので、最後の最後まで息が抜けない。次のウズベキスタン戦もがんばってもらいたい。
 

2008年9月 8日

街のあかり

フィンランドの名匠アキ・カウリスマキの作品「街のあかり」を観る。何か不思議な感じがする映画だ。セリフがないシーンがフェイドアウトしながらつなぎあわされたりしていて、物静かに流れる寡黙な映画だ。そこが主人公の置かれている風景をうまく表現している。

友達も家族も恋人もいない男が主人公で、周りから孤立して生きているが、しかし夢をもっていていつかはそれを実現しようとするがなかなかうまく行かないにもかかわらず、ひっそりと失望せずに生きている。

しかし、そんな彼に魔の手が伸び、女を使って犯罪者に仕立てられてしまう。そんな彼にも暖かい思いを寄せてくれる女性がいるのだが、最初はそれに気づかないが徐々に・・・。そして最後の感動のシーンで終わる。

上演時間が87分と短いので、あもう終わりかと思ってしまう。そして、えこりゃ何なのだろうかというある種の物足りなさを感じるのだが、時間がたってくるに従ってじわっとくるものがある。

北欧の映画はほとんど観ないが、がさがさしていないこうしたゆったり感がいい。チャップリンの「街の灯」のオマージュだそうだ。こうした映画を観ていると、もうハリウッドの派手な映画を観る気がしなくなってくる。

ところで、非常に気になったのが、映画の中味とはあまり関係ないが、主人公も含めて登場する男どもがみなヘビースモーカーなのだ。やたらたばこを吸う。刑務所のなかでもぷかぷかやる。別に時代設定が古いわけでもないのにフィンランドでは今でもこんなに喫煙するのだろうか。
 

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2008年9月 9日

Web2.0の企業への適用-つなぐ形態

つなぎ方にはどんなものがあるのだろうか。ここにWeb2.0の思想とその技術の間にある概念を考えてみる。言いかえれば、どういう特徴がWeb1.0ないしは非Webと差異を表現しているのだろうかということである。そこに3つの特徴を見出した。

1)双方向コミュニケーション
2)オンデマンド
3)ハイパーリンク

勝手に選んでみたので、異論があろうかと思いますが、この3つの特徴で考えてみる。

双方向コミュニケーションは従来の一方通行的な関係から、相互に議論し合うような場がSNSやBlogなどで実現できるようになったことは非常に大きなインパクトのような気がする。

いままで上意下達的であったり、言いぱなし、報告を聞くだけといった縦の関係の意識が強いコミュニケーションから、横の関係へと変化していくと考える。こうしたことにより、参加型のコミュニティ形成、集合知の創出といった世界ができてきた。

オンデマンドというのも重要な概念であるように思える。簡単に言えば、使う側の主体性の取得である。お仕着せのものから、自分のスタイルに合ったように情報を取ってきたり、コミュニケーションを行なう主体的行動へと変わるのである。

ちょっと違うかもしれないが、ProductOutからMarketInという言い方もある種のオンデマンド型への移行を意味しているのではないでしょうか。

最後のハイパーリンクはWebでは当たり前というか、Webそのものを指しているのでその効用を忘れがちになるが、このハイパーリンク構造により、情報取得コストが格段に下がったと思うのである。信じられないくらい欲しい情報へのアクセスが楽になった。

以上述べたような3つの特徴を生かした多くのサービスやアプリケーションができていて、これらを使うことで仕事のやりかたや事業のオペレーションが大きく変わっていくと思われる。

2008年9月10日

Web2.0の企業への適用-どう変化するのか

変化を考えるのに形容詞の変化という見方で整理してみる。

・遅いから早い   :情報の伝達速度、処理速度
・少ないから多い  :情報量(受信/発信)
・狭いから広い   :世界中の人とコミュニケーション
・高いから安い   :チープ革命、ハードウエアコスト
・硬いから緩い   :永遠にβ版
・遠いから近い   :映像通信
・重いから軽い   :軽量言語、クライアント負荷
・厚いから薄い   :ドキュメント、ノートPC
・長いから短い   :開発期間
・大きいから小さい :デバイス

こうしてみると、いちいち説明することもなく、重厚長大から軽薄短小、高遠長から安近短へと変化していることがわかる。スピードとリーチを手に入れたボクサーということであり、そうなればフライ級のボクサーでもヘビー級の選手を倒すことができるのである。そういう変化をもたらしたのである。

のそのそと動き、こちょこちょと手を出しているような企業はいつかやられてしまうのは目に見えている。ですから、これからの企業がWeb2.0を活用するということは何を意味するかというと、身軽でフットワークよく動き、長いリーチとスピードで戦うという姿を志向することに他ならないのである。
 


2008年9月11日

ハイエク 知識社会の自由主義

有名なブロガーで経済学者でもある池田信夫さんの最新作「ハイエク」(PHP新書)は、ぼくのような経済学を知らないやつにもだいたい理解できる良書である。

どこが対立点で、それがどう変化してきたのか、そして、実際の社会とどう関わってきたのかといったことが比較的わかりやすい言葉で語られている。

ケインズ対ハイエクなんて分析はおもしろく、ついいま自民党の総裁戦で話題の政治おける財政再建派、景気対策派、上げ潮派などの考え方がどういうところをベースにしているかを窺いしることができる。

ハイエクは今になって注目されているのは、その考え方がインターネットの世界とマッチしているからである。簡単に言えば、国の統制的管理はいい結果をもたらすことはない、ひとの自生的な秩序が幸せをもたらすということだ。

この考え方は必然的にWeb2.0の精神などにつながる話で、それは既成の仕組みから出たくない人にとっては相容れないのだ。

池田さんのブログはすごい数のアクセス数があり、影響力はそんじょそこらの雑誌なんかよりもあるのだが、そこに書かれていることは、ハイエクの思想に影響されている。だから、様々な局面で国が介入することにことごとく反対する。また国とともに大きな既成概念であるマスメディアに対しても、元NHK職員ということを割り引いたとしてもいつもかみついている。気持ちいいくらい激しい。

ちょっと前の大田農相の事務所費問題でもその架空事務所の隣に自分の事務所があって、秘書活動なんて何もしていなかったとそのブログで暴露してしまった。でテレビ出演の依頼があったが、上の人の許可をもらわないとまずいから、もしそれでOKなら出てもいいと返事したそうだ。そうしたら、アイツはテレビ局の敵だから出演させるなとなったとのこと。

本からそれてしまった。この本にかいてあることを今整理して書き出している。かなりきれいにまとめてあるので再三言うがわかりやすい。

いま総裁選に出馬している議員さんたちもこれを読んでおいたほうがいいですよ。
 

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    • 4 情報ネットワーク時代におけるハイエク再考論―適切な入門書の登場!
    • 4 サイバーリバタリアンの自由主義論―ハイエクの思想は指導的原理となりうるか
    • 4 ならば
    • 4 インターネットと新自由主義の関係
    • 3 入門書への入門書
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2008年9月12日

Web2.0の企業への適用-何を期待するのか

Web2.0の適用による変化は少なからず企業にインパクトを与えることになるが、具体的にどうなって、どんないいことが待っているのかを吟味する必要があるだろう。

組織的なことと個人的なことがあるが、大きくは次の3つに集約されるのではないかと思う。

Web2.0を活用することによって
1) コミュニケーションが円滑になる
2) コラボレーションが効率的になる
3) 個人の情報処理能力が高められる

その結果
1)企業内の孤立感がなくなり、楽しく仕事ができるようになる
2)みんなの知恵を使ってクリエイティブな仕事ができ、そこで自分が成長できる
3)作用効率があがり生産性が向上する
と言える。

以前に「不機嫌な職場 なぜ社員同士で協力できないのか」という本を紹介したが、その中で、いま職場で何が起きているのかについて、関わらない、協力しないという態度が増加して、その結果、生産性や創造性の低下、品質問題や不正をもたらしているといったことが書いてあった。

そして、役割構造の変化による「タコツボ化」の進行、評判情報の流通機能の低下、インセンティブ構造の変化により、組織内の協力関係の構築・維持が阻害されているのである。

こうした現象に対する処方としてWeb2.0の精神の注入と実際のソリューションの採用が有効であるように思う。上述したように人と組織を活性化させるためにも、Web2.0をうまく活用することが必要なのである。


2008年9月13日

ちょっと変だよ総裁選

自民党の総裁選が佳境に入ってきたが、何か見てて変な気がする。まずは、ぼくらが投票権も何にもないから、誰がいいとか悪いとか言ってもどうにもならないので所詮他人事にしか聞こえないことである。

それはそれとして、最初に5人の候補者が華々しく持論を展開し、その違いを強調していたのにだんだんそれがぼやけてきて、対立軸がどこにあるのかわからなくなりつつある。

そしたら、断トツの麻生さんが政権をとったら候補者を閣僚に起用するとまで言い始めている。これって、ぼくらをバカにしてませんか。主たる論点になっている経済政策にしても景気対策優先だとか財政再建、構造改革維持だとか方向が違うことを言っているわけで、そういう人たちが一緒の内閣の中でやっていけるんですか。そんなことをすれば、足して2で割ったような政策しか出てこないのだ。

企業なんかは、社長になったら自分と意見が合わないやつは切るのが常識です。それじゃないと自分の思想や方針を貫けないのである。当然ですよね、社内に不平分子を置いた状態でいつ寝首をかかれるかわからないのではうまく舵取りはできない。

ぼくの最大の”変”は、各候補者がなぜもっと大きな視点で全体感、将来感を示せないかということです。それを認めてもらうことが政権をとるということではないのでしょうか。目先の問題解決も大事でしょうが、それよりも何よりも国民が「ああこういう国にしようとしているんだな」ということが納得できるかどうかであろう。そういった構想力の違いで争ってほしいと思う。本を書いてもいいが、こういう場で議論して欲しいのだ。

ある意味、小泉純一郎はそういうことをやったわけで、だから郵政民営化反対のやつを切ったが、ただそれは、重要ではあるがまだ一部の政策の違いだったので、もう少し上位概念での争いであればよかったのではないだろうか。

それにしても、大きな構想力がもてない小物の政治家ばかりだからこの国は疲弊しちまったのだ。

2008年9月14日

クワイエットルームにようこそ

松尾スズキが監督した「クワイエットルームにようこそ」を観る。芥川賞候補作にもなった自ら執筆した小説の映画化である。面白かった。

ただ、この映画の舞台が精神病院でそこに様々な症状の患者いて、そこの模様が描かれるのだが、これはもう登場人物を誰がどういう演じ方をするのかが勝負みたいなところになり、案の定、この作品でも個性豊かな俳優さんが特異な演技を披露している。

中でも、大竹しのぶ、蒼井優が秀逸。それと主役の内田有紀がコミカルさを持ち合わせたいまどきの若い娘の典型を熱演していた。

これだけの個性をぶつけあうとなるときちんとシナリオがかけていないと拡散してしまうことがあるが、この作品はそこがよく書けている。

精神病院に運ばれてきてから、徐々に事実が明らかになっていくという展開はいい。そして、異常なようでそうではないように見えたりする人間模様の中で、ふとした笑いの裏に不気味さを感じたりする。

ところでこの映画を見て、そして今やっているパラリンピックを見ながら、健常者っていったどんな人間をいうのだろうかと思ってみた。

おそらくこの映画の感想をいうとき、私たち健常者からの目で見るとなんて前置きをつけるヤツがきっといると思うが、じゃあ何をもって健常者というのか、それよりそんなヤツがいるのかと言いたくなる。完全無欠のやつなんていないわけで、誰でもどこかに健常ではない異常なものを持っているだろう。

だから、この映画はぼくらのことを描いた映画なのかもしれない。
 

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2008年9月15日

創業2周年

今日は、息子と一緒に起業してからちょうど2回目になる創業記念日である。もう2年も経ったのか、早いなあというのが正直なところである。

起業したときは、そんなに突き詰めて計画を練ったわけでもなく、はずみみたいなもので、まともな事業計画もないわけで行きあたりばったりの船出であった。よく言えば、走りながら柔軟に対応していこうよという感じである。

IT起業というのは、ここらへんがいいところで、大きな設備投資もいらないし、いざとなればネットで開発の仕事をとればいいやのノリでやれるところで、技術さえ持っていれば何とかなるのだ。しかし、難しいのはそれに溺れてしまい、そこそこで留まってしまうことだ。

ぼくらも当初はホームページ制作なんかの仕事を取りに行ったりして、近場でそういう仕事をたくさん取ってきて、それをベースに自分の好きなことを少しずつやろうやなんて考えてみたが、そんな簡単ものではなく、細かい面倒くさいことをやってもそんなに稼げないことが身にしみてわかった。

じゃあどうしたらいいのだ。まずは目先の収入を追うのはやめよう、それよりもいい仕事が向こうから来るようなことを考えよう、そのためにはぼくらのやりたいこと、できることを世に知らしめることが先決ではないだろうかという結論に至ったのだ。

焦るな、自分たちの存在感を認知してもらってからでも遅くはない。そういう基礎の上でビジネスをすることが軸がぶれない安定した経営につながると考えた。

このあたりは、先日のESPer2008という未踏ソフトウェア創造事業/未踏IT人材発掘・育成事業の元開発者・現開発者による集会で、うちの社長が「社長のウェブプレゼンスドリブン経営」というタイトルで発表していて、それをブログで書いているので参考にしてください。

そして、最初の1年は社長もぼくも名前を売ることに注力した。社長は、Perlのコミュニティを中心にそうした場で発表したり、CDTubeのようなマッシュアップサービスを送り出したりした。ぼくは、自分で開発したBPMの方法論を持ってその認知に奔走した。

2年目あたりから、そうした活動が少しずつ実を結ぶようになり、開発の仕事が入ってきたり、コンサルタントとして契約できたりした。一度こうして動き出すと向こうから仕事がやってくるという良循環をもたらす。

そうなってもまだ、めざすところには到底行き着いてないわけで、これからどう対処していくのかを大いに議論して行かなくてはいけない。

課題をいくつかあげてみると、ビジネスモデルそのものをどう確立していくかという創業以来の根源的な問題がある。すなわち、プロダクト開発なのか、受託開発なのか、サービス提供なのかといったことで、それぞれに難しさを持っている。さらに大事なのは持続性のあるビジネスでなければいけないという問題である。

中でも受託開発というと「泥のように働く世界」かよという意見もあるだろうが、ぼくはある意味このビジネスは必要な通過点であるような気がする。それは何よりもユーザニーズを肌で感じることの大切さを言っている。

ただ、これもユーザの言うことをただ聞けばいいと言っているわけではない。ぼくは受託開発にも“攻めの受託開発”と“守りの受託開発”があると思っている。

皆さんお分かりだと思いますが、言われたとおりに開発するのが“守り”です。それに対して“攻め”は、こちらからも提案や企画もするし、言われたこと以上のことができることを言っています。“攻めの受託開発”は魅力的なビジネスです。

そのためには、自分たちが保有する技術、ソリューション、サービスをお客さんにきちんと理解してもらい、それを使う価値を共有することが重要である。それができれば、目先の売上を得るためにやりたくない仕事、自分たちが得意でない仕事を取ってくることは必要なくなると思う。

そうは言ってもと言われるのは分かります。そうした声が出てくるのは既存のSIerやソフトハウスからだと思います。なぜかというと既に人を抱えてしまっているから、どうしても守りに入らざるを得ないのでしょう。

でも敢えて言いますが、それだとジリ貧になるのは目に見えています。どこかで“守り”から“攻め”への転換をしていかなくてはいけないと思います。

その点、起業から入る場合は、ひとの問題はないので、資金面だけ我慢できたら“攻め”から出発できるという有利さがある。

ビジネスモデルの確立という課題は、“攻めの受託開発”もやりながらどうするか模索していくことになるが、もう一つの問題はリソースの確保の問題である。

今は二人でやっているが、いくらいいビジネスモデルを作ったとしても、ビジネスを拡大するという前提に立てば、リソースが不足する。その対応をどうするかが大きな課題である。自分たちの技術や方針に共感してくれて、一緒にやってくれる人を捜すのはやさしいことではない。

しかも、二つのタイプの対応が必要になる。ひとつは量への対応であり、もうひとつは質とかレベルへの対応である。すなわち、同じようなスキルを持って量をこなせる人と自分たちの持っていない領域のスキルを持ったひとの確保ということである。

いずれにしろ、ぼくは何とかなると思っているのは、ネットの世界の可能性を思うからである。いま言ったようなリソースの確保にしても、別に同じ会社にいなくてもいいわけで、ネットワーク型の仕事体でかまわないし、そういう形態は当たり前になっていくような気がするのである。

さて、いよいよ3期目に突入するが、1年後のこのブログにどんな報告ができるか楽しみである。
 

2008年9月16日

フィンランド 豊かさのメソッド

ちょっと前にフィンランド映画を見てなんとなくフィンランドという国はどんな国なのだろうかという思いを抱いた。そんな折、本屋で「フィンランド その豊かさのメソッド」(堀内都喜子著 集英社新書)を見つけた。

フィンランドについて、ぼくはもちろん名前や場所ぐらいは知っているし、サウナや森と湖の国だとかまでは知っている。そうだLinuxのリーナス・トーバルズの国だ。

しかし、それ以上はよくわからないというのが正直なところだ。ところが、最近OECDの学力コンテストでフィンランドの中学生がトップになったことで、その教育水準の高さが注目されている。

そんな興味もあって読み進むと予想以上におもしろかった。著者は2000年にその前に観光で行って興味を抱いたフィンランドの大学に留学する。それから8年間学校生活や仕事で暮らしたフィンランドのことを書いている。実際に暮らしたそのままのレポートなのでリアルに伝わってくる。

良し悪しは置いといてあまりに日本と違うのにびっくりする。もちろん似ているところもあって、例えば、恥ずかしがり屋で沈黙を好むということがあり、フィンランド人の中には「日本人と話するときはあまりしゃべらないですむから楽」という人もいるそうだし、フィンランドにいる日本人は皆この静けさが好きなのだそうだ。

そういえば、「街のあかり」の主人公も寡黙であまり話したがらない男であった。映画のシーンにもそんな静かな感じがよく出ていた。

ではいったいどんなちがいがあるのだろうか。

フィンランドの大きさは、日本から九州を取ったくらいの面積に約500万人の人が住んでいる。従って、人口密度からいうと20分の1である。そして、国土の70%が森林で、10%が湖である。これだけで、ゆったりとした生活であることがわかる。

そんな国が世界経済フォーラムによる国際競争力ランキングで過去5年間で4度も1位に輝いているのだ。なぜそんな高い評価を得ているのかというとまずは教育なのだそうだ。それと、国家財政がうまくいっていること、政治が腐敗していないこと、研究開発投資、IT化政策、高齢化社会対策などがあげられている。逆に懸念は高い税金だ。でもそれだからこそ社会福祉が整っているとも言える。

フィンランドの主要産業は、森林業、金属・エンジニアリング、情報・通信技術の3つである。最も有名な企業は「ノキア」であろう。このノキアの成功がフィンランド人に自信を与えているのは確かなようだ。

国際競争力ランキング1位だと、みんなよく働いているのかというとそうではなく、残業なんてしないし、長期休暇はあたりまえだそうだ。ほんの一例だが豊かということはそういうことなのである。

フィンランドは、もちろんはじめからこんなに競争力があったわけではない。一時は失業率20%という時代もあって、そこからここまでになったが、その要因はざっくりというと、教育とIT化や特定産業への重点施策、そして税金で支えられた手厚い社会ということが言える。びっくりするくらい学校が機能しているし、IT化の進展もすばらしい。そして、女性の進出がすごい(男が負けているかも)のも社会全体のバックアップがあるからだ。

こうしてみると、まったく日本と違う。というより日本のやっていることが情けなくなるくらい無策に思えてくる。ちったあ真似たらどうかと言いたくなる。

ただ、日本も同じようにできるかというとそう簡単な話ではない。というのは決定的な違いは人口なのだ。500万人の国でできたことが、1億2000万人の国でできるかというと大変難しい。従業員1万人の会社の経営と500人の会社の経営がぜんぜん違うのと同じで、ひとり一人にどれだけ目が行き届くかというキャパシティの問題は厳然としてあるように思える。

そこで、道州制とか藩復活みたいな話にいくのかもしれない。しかし、北海道が人口560万人だから、独立国になればフィンランド並みになるのかというとそうはいかないだろう。やはり、教育の問題がすごく大きいように思えて、こどもの教育から変えていくという長期のスパンでの変革を志向していかないとどうにもならない。そういうところではフィンランドは非常に参考になると思う。

そういったことを考えさせてくれる、なかないい本です。
 

フィンランド豊かさのメソッド (集英社新書 (0453)) (集英社新書 (0453))
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    • 4 単純に日本と比較はできないにせよ、考えさせられることの多い本
    • 4 フィンランドに関心があれば気持ちよく読める経験的フィンランド論
    • 5 瞠目すべきフィンランド事情リポート、日本社会の未来を考えるヒントが豊富
    • 4 世界一でも「豊か」とは限らない
    • 4 小国だからこそのきめ細かさ
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2008年9月17日

自動化のワナ

IT化というのは基本的には作業や情報伝達を自動化することとも言える。人間でしかできない仮説立てと判断を除いて自動化しようとする。場合によっては判断もルール化することで自動的に答えを導こうというアプローチもある。

ところで、本当に自動化ができるのだろうかと考えてみる。前述した判断の自動化という問題をとりあげると、自動化が可能な条件というのは判断の結果が許容できるものなのかになる。言い換えれば、割り切りができる程度の事象なのかどうかである。

昔工場で働いていたとき、発電所の選択遮断のデシジョンテーブルを検討したことがあるが、こういう場合は、最終的に系統を切られてもしかたがないという割り切りの世界なので、事前にその得失を吟味して設計しとけばよいことになる。

逆にプラントなんかだと定常状態では自動化はできるが、スタートアップやシャットダウンといった非定常作業は自動化が困難で人間が操作して行なう。

実世界でも同じなのだが、むしろ割り切れないケースが多く現れる。例えば一番わかりやすいのは、お客さんがいて何かトラブルがあって、それに対してルールどおり自動的に対処しましたから、といったところで納得いかないお客さんがいたらそれで終わりだ。

ですから、あらゆるケースを想定してルール化しようとしてもできないのでこうした例外が発生してしまうのである。

いま判断というアクションについて言ってきたが、それ以外でも様々な例外や異常を想定して自動化の仕組みにするコストが、自動化しないで対処する場合のコストを上回ったら、それはわざわざ自動化する必要はないのである。

おそらくそうした吟味はされず、何でも自動化に向かい、どうしてもできないものはやめておくかといった事態になっているのではないでしょうか。ですから、そこをも少し、人間の判断や操作も入れながらシステムを構成することが大事ではないかと思うのである。

システムトラブルでも復旧に時間がかかったりすることは、複雑な自動化が遠因となっていることもあるような気がする。

BPMでもBPA(Business Process Automation)というようないわれ方もされるが、そこのところをよく考えないとかえって使いにくいシステムになる危険性がある。

そういった意味で、これからはITと人間がうまく共生していく仕組みが求められていくのだろう。
 

2008年9月18日

萌の朱雀

以前、河瀬直美監督の「殯の森」のことを書いた。そのときあまりいい評価をしなかった。こういうときって、ただ1作で低い評価を下すのもなんだかかわいそうになってくる。そこで、彼女が97年にカンヌ映画祭で新人監督賞をもらった「萌の朱雀」を観ようと思ったのである。

ところが、観終わったときの第一声は「これ、おんなじじゃねえの」ということだ。
前回次のように書いた。

要するに、河瀬監督のひとりよがりのような気がする。自分のイメージした観念的な世界をそのまま画像にして、さあみんな見てよねという感じなのだ。だから、最初に書いたように、せりふは聞き取れないし、シチュエーションが非説明的だから、何が起こっているのかさっぱりわからない。 たぶん、それがカンヌで受けたのだと思う。かえってこうしたよくわかんないものをわかったふりをしたい審査員が選んだのでしょう。
この作品でも、登場人物がどういう関係でどんな背景を背負っているのかがさっぱりわからない、しかも途中でいきなり、時間がとんでしまうし、おやじとトンネルがどう関係しているのかもわからない。そりゃ饒舌な映画も困りものだが、ただぼそぼそやられてもわけわかんねえとなってしまう。

それに、脈絡のないシーンが出てきてなんだこりゃとなる。だから涙を誘うようなシーンが出てきても感動しないのだ。

河瀬監督は何か勘違いしているんじゃないだろうか。そして、映画かぶれの学生が作ったような映画を評価するカンヌ映画祭の審査員も勘違いしているふうに思える。

かなりきついことを書いたが2本ともわけのわからない映画を見せられては書きたくなる。
 

萌の朱雀
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    • 5 繊細にエロティック
    • 4 映像が先、物語はあと
    • 4 初心の映画
    • 4 喪失と無常
    • 2 そうだ奈良を撮ってみよう
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2008年9月19日

街場の非合理性

人間というのはいつも合理的な考え方をするわけではないし、行動をとるわけではない。多少こじつけになるのだけれど街で見かけた二つの情景に出会ったとき感じたことである。

ひとつは、「傘と杖の兼用」である。この間新橋の駅でみかけたのだが、おじいさんが杖をついて歩いていた。よく見ると、どうも杖が傘になっている。要するに杖と傘が一体になっているというわけである。

一瞬、なるほどこれは便利だと思ったが、待てよ、雨が降ったらどうするのかと考えてみたら、傘をさしたら杖を使わなくてもいいのだろうか。このおじいさん、駅に外に出たら雨が降っていて、そのときさっとかばんから傘を出したのである。(このくだりはネタです(笑))こういうのをアイディア倒れというのである。アイディアとしてはおもしろいが合理的ではない。

次の例は、ぼくがいつも乗っているモノレールを待っている時間のことである。モノレールは15分間隔で運転されていて、始発の大船駅に来るのは出発の3分くらい前である。そこで折り返し運転となる。

ぼくが降りる駅までは7分で、その前の駅だと3~4分である。それなのにみな並んで立って待っているのだ。もちろん、ホームにはベンチが置いてあって座って待つことができるにもかかわらずだ。だから、電車で3分座るために10分立つのである。

これがよくわからない。ぼくは、そういうときは最適計算をあたまの中でやる。すなわち、立っている時間を最小にする選択をするのだ。最初にベンチに座っていて、だんだん並んでくるので、座れそうなぎりぎりで列に並ぶのである。それを合理的な行動であるとぼくの中で思っている。

まあ、こう書いていて思ったのは、こういうのを“みそくそ”というのかもしれない。でもこういう思考はシステム化をする場合大事なことではないかと思っていて、日夜密かに巷の合理性を追求しているのである。こりゅあ、性分かもね。
 

2008年9月20日

液晶ディスプレイが来た

おお液晶ディスプレイが来た。Dellの19インチワイドなヤツだ。サーバー2台も一緒に買ったのに7万円台なのだ。いくらキャンペーンといっても安すぎ。

そうなると、ソフトの値段が相対的に高く感じる。昔みたいにハードの値段が高いときはいかにリソースを食わないようにと工夫を凝らしたものだが、今のような時代だと簡単にハードを追加して終わりということになる。
 
社長にBPMアプリが動く環境を作ってもらうことにする。今はノートPCにVMwareからwindow2003サーバーやOracle まで入れていて、けっこうあっちこっちでトラブルって大変だったが、これからは楽になりそうだ。

さて、今まで使っていたCRTディスプレイを捨てなきゃいけない。ああメンドクセー。

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2008年9月21日

同窓会

今年還暦を迎えるということで同窓会がいくつか開かれる。昨日は、高校のクラスの同窓会である。場所が、代々木にある「カオティップ」というタイ料理の店で、タイ大使館御用達でテレビにもしょっちゅう出てくるので知っている人もいると思います。

実はこの店のオーナーが高校のクラスの同窓なのである。この同窓会は、5年前に学年合同の同窓会をやったのだが、そのちょっと前にクラスで集まったのをきっかけに、それからちょくちょくと開かれるようになった。

昨日は、17人ほど集まったが、もはやみなおじいさん、おばあさんである。ほとんどが会社を定年で辞めるから、名刺交換もなく、話題はこれからどんなことをして楽しむのかということである。

ぼくは、高校の時はサッカーばかりやっていたので、クラスの行事とかにはあまり参加できなかったが、対組といって、いくつかのスポーツ種目で1年から3年まで一緒にクラス対抗をやるんだけれど、それのサッカーと駅伝くらい(全校で2位となったが、その時のアンカーがぼくでその前がカオティップのオーナーだった)と、3年生の体育祭に出たくらいで申し訳なく思っているというような話をした。

このクラスは、全部で54人いて、そのなかから17人だから3分の1が出席したことになる。消息不明の人もけっこういるみたいで幹事の人が苦労していた。女性が4人参加していたが、クラスには8人いたので半数が参加である。当時この学校は男の子ばかりで、女の子がクラスで7~8人であった。ぼくの息子2人も同じ高校を卒業しているが、彼らの時は女子生徒の方が多いくらいになっていたそうだ。

そんな女性たちだから強い。美術史家で「仏像のみかた」という本を監修している關信子さん(当時は生物研究部にいたので生(ナマ)子と呼ばれていた)とか、旦那さんが漫画家の佐々木ケンさん(この人もクラスは違うが同窓)で自身もまだ現役のプログラマーというひと、息子が格闘家のリアルタイガーマスクこと勝村周一郎とか、男性陣もたじたじである。

そんななか最後に何やら手を上げて、皆様に報告があるというヤツがいた。そうしたら「私今年結婚しました」と言ったのである。しかも、60歳で初婚で、さらに驚くことなかれ相手の女性も10歳下で初婚なのだそうだ。みんな唖然としたのは言うまでもない。

というわけで、40数年前にタイムスリップし夜であった。
 

2008年9月22日

還暦祝い

今月の23日が誕生日だから、そこで60歳になる。だから、その日に還暦祝いをすることにした。なぜか自分でセットしないといけないようなので、店もぼくが予約を入れておいたという変な話。

ところが、下の息子が東京と行ったり来たりしなくてはいけないらしく、急遽昨日に繰り上げた。幸い場所も同じところを取れたので、少し遅い時間になったけどそこでお祝いだ。

店は茅ヶ崎の「えぼし」にする。ぼくは基本的に魚が好きなのでうまい魚料理を食べたいときはここの店に行く。何を頼んでも外すことはない。昨日も、珍しいものが好きなぼくとしては、のどくろの寿司とクジラの刺身とハマグリのうしお汁といったものとその他もろもろを注文。ビールと酒で堪能した。

それで嫁さんが勘定書をもってレジに行って支払をしようとして計算をしてもらったら、なんとぴったり2万円なのだ。20種類くらい頼んでいて端数もないぴったりというのには驚いた。お店の人もびっくりしていたので、ぴたり賞でなんかちょうだいと言ったらただ笑っているだけだった。これから何かいいことがありそうな予感だ。

昨日は、お祝いに下の息子から赤いハンカチをもらった。おいおい石原裕次郎かよということはなしにしてうれしかった。上の息子と嫁さんは急遽繰り上がったので間に合わなかったみたいで、あとで何かくれるようだ。楽しみにしている。

ということで、還暦にちなんだ行事が続くが、還暦というくらいだからここで一旦リセットして新たな気持ちでがんばろうという気になる今日このごろである。
 
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2008年9月23日

察知力

中村俊輔が書いた「察知力」(幻冬舎新書)は、よくあるタレント本のような気がして手に取ることはなかったが、けっこう売れているというのを知って、じゃあ読んでみるかといったちょっぴり不純な動機で買う。

結論から言うと、売れるだけのことはあると感じた。察知力という題名はともかく、中村俊輔の小さいときからどうやって、あるいはどんなことを考えながら、いまの地位と名声を得たかが、ほんとうに素直に表出されている。

だから読んでいても、読み終わっても気持ちいいのだ。特に、中学校3年のときに天狗になり、マリノスユースに残れなかったことがトラウマになったが、ただそれでふてくされるのではなく、自分を見つめなおして高校サッカーで極めて、そしてそのマリノスとプロ契約するあたりは、感心させられるものがある。

ぼくは、中村俊輔は挫折もなくきたのかなあと思っていたがそうではなかったのだ。やはりすんなりと一流になれるものでない。壁をいくつも乗り越えてこそなれるのだろう。

俊輔も今年30歳だと聞いてへえーもうそんな歳かと驚いてしまう。いま、代表でも歳上の世代であるが、最近の姿を見ていると若い選手と一生懸命会話しているし、試合中もしょっちゅう声を出している。以前なら一人で黙々とやる感じであったがずいぶんと成長したものだ。

察知力という面では、海外のチームでプレーし、内外のいろいろな監督に仕え、そのたびに求められるものが違っていて、それにあわせていくことで磨かれていった。特に日本代表では、俊輔も言っているように「連動性」が生きる道だから、どうしても個を目立たせてはいけない。そのあたりをよく理解しているからこそ今の俊輔があるのだろう。決してテクニックだけではないということだ。

この本は、サッカーのことに関して書かれているが、サッカーファンだけではなく一般の人も読んで面白い本である。
 

察知力 (幻冬舎新書 な 4-1)
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  • 中村 俊輔
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    • 3 「察知力」という言葉は読んでもぴんと来ない
    • 5 言い訳せず、努力する姿勢がスゴイ!
    • 5 書いてあることは当たり前のこと
    • 4 中村俊輔は意外と普通の感覚を持っている
    • 5 「今死んでしまっても悔いはない」と言い切れる、妥協しない俊輔から学ぶこと
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2008年9月24日

業務システムの変化

技術とか考え方などは時とともに変化するものである。それは、新しいいいものが開発されたり、世の環境の変化に対応するために形を変えることがおこる。

その場合、往々にして変わるタイミングが問題になる。すなわち、あまり早く新規技術を取り入れてもうまくいかないし、遅すぎるとメリットを享受する時間が短いことになる。

なぜこんなことを書いているかというと、ちょっと前に羽生章洋さんがブログに書いた「今だから出来る業務システムを」という記事を読んだからである。そして、羽生さんの言うことに激しく同意したからである。

ITのIはインフォメーションすなわち情報です。業務システムをIT化する・IT化されたシステムを刷新する、というのは、業務における情報のあり方を見直すということです。情報を見直すことを通じて、仕事の流れを整理し直していくというのが、本来の意味での業務のシステム化です。ですが、伝票がそのままであるということは、おそらく業務自体は何も変わっていないのであろうと見て取れるのです。これはROIが相当に問われるケースかと思うのですが、得てして日本のシステム構築というのはこの辺何となく許されてしまえるようです。

というくだりなど思わずうなずいてしまうのである。単に今様の技術を使ったから新しいシステムであるということはない。新しい技術が生まれてきた背景を考えると、突然出てくるわけではなく、使う人のニーズだったり、時代の要請があるのであるからこそ使われる技術になる。だから必然の産物なのである。

ということはそうした時代の変化に合ったような使い方をしないと意味がない。羽生さんの言うように仕事の流れを旧態依然のままにして新規ITで作りましたといわれても何のためのシステム化だということになる。

例えば、Webの技術を使うのだったら、どうしてそういう技術が登場したのか、それによってどういう変化がおき、どんないいことをもたらしてくれたかをちゃんと理解して利用しないと意味がない。

伝票がなぜ必要だったのか、今の道具と仕事のやりかたのなかで伝票の役目は昔のままなのか、といった問いかけをしていかないといけない。

このブログでも、帳票というのは「電子化された業務と電子化されていない業務をつなぐもの」と書いたが、その定義から言えば、現在のように仕事がどんどん電子化されている状況では、その必要性は減っていっているはずなのに、帳票にこだわる人がいたりする。

画面もそうで、追加・更新・削除はないよなあとぼくも思う。

また、業務改革というように大上段にふりかぶらないでも新しいITやそれを活用する考え方を“正しく”適用していけば、かなりの部分で業務改善くらいはできるはずだ。

よく技術はどうでもよくて思想が大事だみたいな言われ方をするが、そういう一面はあるにしても、前述したようにその技術の登場した背景を考えるとかいった技術からの発想も思っている以上に大事であることを強調したい。

2008年9月25日

単純を極めた先に技術の革新がある

もう至言である。これを言ったのは、「折りたたみ携帯電話の未来を開いた男 久保田直基」である。「未来創造堂」というテレビ番組(これは時々見る)で登場した。

彼は、スプリングの特性を生かして、凹凸のあるパーツと組み合わせる新たな蝶番を考案したのである。いまや世界のトップメーカもこのスプリング式開閉システムを採用しているという。

確かに、別に特別な仕掛けや複雑な構造になっているわけではない。まさにシンプルで誰でも思いつきそうなものである。しかし、そういうものこそ革新的なのだ。こういうことを“目からうろこ”ともいう。

創造活動におけるこのような視点は非常に大事だといつも思う。どうしても、皆と違うことをするとか、今までにないものを作るというと、いかに違いを付加するかという方向に行ってしまうのではないだろうか。そうしたことはクリエイティブでもなんでもない。そこを勘違いしてはいけない。あくまで、シンプルなものを作ってこそクリエイティブであるといえる。

ところがこのシンプル化は大変難しい。もの作りではなくても、例えば簡単な例でプレゼンテーションでもいいが、言いたいことを1枚で書けと言われるくらい難しいことはない。ぐたぐたいろんなことを並べることはできるが簡潔に言いたいことだけにするのはすごく苦労するのは皆さんも経験あると思います。

ましておや、創造的活動で単純を極めるのは至難の業だが、どうしたらそういうことができるのだろうか。

前提条件として、たえずゼロベースでものが考えられて、ものごとの本質をえぐれる人がなしえることができると思う。壁にぶち当たったときに、“そもそもこれは”と立ち止まれることだ。もちろんそれを実現できる能力がなければいけないが、少なくともそういった態度の上で生み出されるように思える。

そして忘れてはいけないのは、単純なものほど美しいということである。美しいものほど人に愛され、長く残るのである。

システム構築やソフトウエア開発の場合にもここで言っていることが当然当てはまるので、これから一層肝に銘じようと思う。
 

2008年9月26日

ALWAYS 続・三丁目の夕日

前作を観てかなり感動したので、続編をすぐに観ようかと思ったが、割と評判がよくなかったことや、すぐに続編を作る商業っぽさが気になって観ないでおいた。

ところが還暦を迎え、少しばかり気持ちが回顧的になってきて、観るかとなったのである。だって、あそこに出てくる子供たちとぼくらは時代を共有しているのだ。出てくるシーン出てくるシーンみんな焼きついているものばかりだ。

「ALWAYS 続・三丁目の夕日」(山崎貴監督)は、また懐かしい思いをもたらせてくれた。ただ映画としての評価をしなくてはいけないのだが、実際はラストでは涙ぼろぼろになった。しかし、なぜか一作目とちょっと違うように思えたのである。どうも見事に泣かされたのではないかと。

こういう映画は予定調和の世界を描くから、ほとんどが予想通りの結末になる。寅さん映画が典型であるが、それが妙に安心感があって、分かっているのに感動する。ところがである、この映画では、その調和させるものがいっぱいあり過ぎなのだ。

茶川さんとヒロミ、淳之介が一緒に暮らせるようになること、親戚の女の子のいい子化、六子の幼馴染の改心、どれもこれもうまくいくのである。

映画の中のシーンで現実は甘いものではないのでそんなにうまくいくものではないと語らせておいてだ。だからあまりにも多くのことがうまく行き過ぎて、そんないい時代だったのかなあとか思ってしまう。

まあ、そうは言っても個々のシーンや小道具に思わずそうだったよななんて相槌を打ちながら、日本橋の上に高速道路を走らせたは誰だと怒ってみる。

ひょっとしたらシリーズ化されるのだろうか。

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2008年9月27日

街場のセンチメンタルジャーニー

もう前の会社を辞めて2年半くらい経つ。昨日はそこの会社の元の上司の所に状況報告の挨拶にいった。元の会社に行くのは辞めてから初めてだ。その上司は専務なので役員のいる階へ行く。

担当の秘書の子とも2年半ぶりだ。「まだいたの」と軽口をたたいたら、ほかのメンバーはほとんど変わっていませんよという話。秘書室をのぞいてみたら新しい子がひとり入っていたが後は顔見知りの子であった。

その専務に近くのすし屋で呑みながら近況報告をする。そして、当時謎であったことがわかったり、時間が経ったので聞ける話だとか昔の懐かしい話で盛り上がるが、いまの若いやつはといったことも出てきて、少しずつ会社もかわっていくんだなあと実感。

その後は、そのまま家に帰ろうかと思って、いつも通勤で乗っていた都営三田線に乗ろうとしたら、あそうだ、辞める直前まで下の息子と住んでいた白山に行こうと思い立つ。

息子が大学に通っていたとき家から遠いということとぼくも大きなプロジェクトを抱えて帰りがいつも遅かったこともあり、二人でマンションを借りたのである。そこは、白山の駅から1分の傘なしでも雨に濡れないくらいのすごく便利なところにあって、2Kでまったく同じ部屋が二つある間取りでお互いあまり干渉されずに過ごせる絶好の棲みかであった。

そこに行ってみようと思ったのである。当たり前のように何も変わってはいなかった。もちろん住んでいたマンションはそのままだし。冷蔵庫替わりに利用していた階下のセブンイレブンもそのままだ。大変お世話になったオリジン弁当も薬膳カレーも焼く鳥や、もつ煮込み屋もそのままあかりが点いている。

2年半じゃ変わりようがないのかもしれないが、それでも懐かしさにジーンと来た。3年弱の生活だったが、いろいろなことが起こった、濃密で劇的な時間であったので印象深いのだ。

耳にしみついていた地下鉄の発車合図メロディーが耳に飛び込んできた瞬間、いいこといやなことが蘇る。そんな気持ちを引きずりながら戻って、銀座の「M」に立ち寄る。そこも、そのころの思い出が一杯残っているところだったので、あのころはこうだったねという話でしんみりとなったのである。

たまにはぼくも感傷的になることもあるというお話。やっぱり歳のせいかな。
 

2008年9月28日

ポール・ニューマンが死んだ

ぼくの大好きな俳優であったポール・ニューマンが死んだ。享年83歳。

彼は「傷だらけの栄光」で一躍脚光を浴び、その後「ハスラー」でスターの座を獲得したが、ぼくはまだそのときは子どもだから、なんとなくカッコイイやつぐらいにしか見ていなかった。

ぼくにとってのポール・ニューマンは「明日に向かって撃て」になる。1969年の作品だから、ちょうど大学生の時だ。このときは、ロバート・レッドフォードとの競演で実在の銀行強盗であったブッチ・キャシディとサンダンス・キッドを小気味よく演じてぼくたちを魅了した。

もうたまらなくポール・ニューマンの虜になる。その後、「スティング」「スラップショット」などでもその魅力を遺憾なく発揮し輝いていた。

彼の魅力は、さわやかな凛としたたたずまいの中に男らしさがむんむんしているところである。ぼくはしばらくたって肩まであった長髪を切ったとき、ポール・ニューマンのようにしてくれといったものだ。

1980年代くらいからはあまり映画にもでなくなり、彼を見る機会がなくなったのだが、2002年に「ロード・トゥ・パーディション」でトム・ハンクスとジュード・ロウと一緒に出演し、マフィアのボスを演じたのを観た時はうれしかった。歳をとってもぼくには昔のポール・ニューマンがいて、胸にジーンときたのだった。

自分も歳をとるから仕方ないのだが、いつかはみんな死んでいくのだとふとそんなことを考えさせらえた訃報であった。
 

2008年9月29日

自虐の詩

不覚にも泣いてしまった。堤幸彦監督「自虐の詩」である。阿部寛のちゃぶ台返しが話題になっていたのでてっきり喜劇だと思って見たら、これでもかこれでもかという泣かせシーンが続き、後半は泣きっぱなしという意外な展開に。

やっぱり日本人は、貧乏話、田舎から夢見て上京、母親に捨てられる、事故で助かる、新たな家族の誕生とかそういった類のお涙意頂戴場面の連続には弱い。

しかし、ちょっと手放しではないのだ。というのは、なんだかんだといいながらみんないい人ばかりだし、こんなに世の中ってやさしかったのかなあという思いがある。

それと、中谷美紀の幸江と阿部ちゃんのイサオの自虐ごっこみたいなやり取りに、ええー人間って、そんなに簡単にSとMに切り替わるのかなあとか見てしまう。

まあ、そういっても泣いてしまったのでいい作品であることは間違いない。それにしても、中谷美紀は「嫌われ松子の一生」といいこの映画といい、薄幸キャラが板についてきた。

この原作は人気の4コママンガだそうだが、また嫌味を言うわけではないが、マンガに頼った映画が多いのには困ったものだ。またまたオリジナル脚本が増えてこないかなあと嘆いてみる。

最後にどうでもいいけどやっぱり熊本さんはアジャ・コングだった。
 

自虐の詩 プレミアム・エディション
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2008年9月30日

IT化を妨げるもの

日本のIT投資はなかなか増えないようだ。政府でもIT投資の促進を謳っていても、笛吹けど踊らず感がある。まあ、笛の吹き方も悪いけど。

どうして、投資をしないのだろうか? 経営者がITを理解していないだとか、IT戦略を立てられるCIOがいないだとか、ROIが成立しない、日本では従業員が優秀だから人手でやってしまうとか、いろいろな言われ方をされているがいったいどれが決め手なのだ。

ぼくが思うに、大きな理由のひとつに、雇用の流動性の欠如があるように思える。風が吹けば桶やが儲かる式の話になるが、日本では依然として終身雇用制が残っている。そうであると、今いる会社で長く存在感を発揮することが給与を上げることになる。

ということは自分の存在意義として固有性を保持することが重要となり、仕事が属人化する。IT化は標準化のことだから、属人性を排除して成り立つのでそこでコンフリクトが起きて、IT化抵抗勢力が形成される。

経営者はそれを改革してまでIT投資をする気がない、というか正当化するための理論武装ができるほどITに理解がないからIT化は夢と化す。

これをいいとか悪いとかいう議論でいうとよくわからない。別に無理してIT化する必要はない。ITなんか使わなくても、自分の会社の身の丈にあっていればそれでいいのだ。

だが、日本における雇用の流動性の欠如はIT化の問題に限らず、どうも日本の活力を失っている原因のひとつのようだから、そのうち雇用の流動性が今よりおこっていく可能性は高い。そうなると、仕事の標準化がおき、そこにITをぶつけていく事態は当然予想され、そういう意味ではいまから準備しておくことなのだろう。

もうひとつ言えるのは、経営者にIT投資がおしなべて高いというイメージが刷り込まれていることではないだろうか。高い投資額がIT化を妨げているということだ。そうしたら、ITの価格が下がれば導入が進むのだろうか。ことはそう簡単ではないような気がする。

だいぶ前になるが面白い話を聞いたことがある。あるパッケージソフトがよく売れているというので、その数を聞いたらものすごい数なのだ。そのまま、全部使われていたら大変なことになる。ところが、それほどでもない。

どうしてかというと、入れたはいいが使ってない数が多いということである。捨ててしまったというわけだ。要するにこのソフトは“使えなかったら捨ててもかまわない”値段だったというわけだ。この話を聞いたときになるほどと感心してしまった。

もうひとつ、逆の話として安いと信頼感をもてないというか、安かろう悪かろうと考えてしまい、ある程度高くないと使わないという心理もある。これもおかしな話なのだが、こんなにお金をかけたのだからいいものを手に入れたはずだと思い込む。開発のようなケースでもあって、あまり早く安く作るといいものではないと思われたりする。

だから、必ずしも、安くすればIT投資は増えてくれるのかというと必ずしもそうはいかない。ただし、それは、いまもかなりIT化をしているような大企業のケースが多い。IT化が遅れている中堅・中小はそんなことは言ってられないので、安いのにこしたことはないと思う。

まあそうは言っても結局は、安けりゃみなさん使ってくれるはずだ。やっぱ、IT化を妨げている一番のものは価格であるとしておこう。ユーザのみなさんよく言いますよね”もうちょっと安ければ買ってあげるのに”(ウソかホントかわからないが)
 

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