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知りたくもないこと

八王子の書店でアルバイトの女子大生が刺されて死亡した。またもや通り魔殺人事件である。犯人の声で「大きな事件を起こせば自分の名前がマスコミに出ると思ってやった」というような発言があったということだが、毎度同じような言葉ででてくる。

ぼくは、こうした言葉を耳にするたびに何かおかしな感覚にとらわれる。犯人の“自分の名前をマスコミに取り上げてもらいたいという言葉をマスコミを通して知る”からである。だからいつも思うのだが、こうした報道はやめたらどうかと思うのだ。事件そのものを記事にしたり、放送したりしないことだ。

それにより、少なくとも動機の一部は取り除くことができる。だいいち、こうした不愉快な事件を報道することはいったいだれのためになるのだということである。これから犯罪を起こそうとしているやつに対する抑止力になる?一般のひとに犯罪にあわないために注意を促す?加害者や被害者が誰であったかを知らせる?

2度と同じような犯罪がおきないように報道は役にたっているのだろうか。ぼくはこんな事件のことは知りたくもない。たとえ身近なところで起きたとしてもそんなことを知って何になるのだと思う。このての報道はほとんど意味のないことだと思う。

だから、もうやめてくれないかなあ、マスコミの視聴率稼ぎの野次馬根性は。

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コメント (2)

同感です。今回のように犯人がその場で捕まったりした場合、そもそも報道する意味がまったくないように思います。(犯人が逃走中など、犯人が捕まるまでは、「周辺住民・関係者」への情報提供、という名目で、報道を正当化できるかもしれませんが。もしくは、被害者がそれを望んだ場合、とか。後者はあまりないように思いますが)

マスコミで取り上げることが炎上の燃料投下になること(Winny情報漏洩しかり)、天災や事件のたびに現場に群がるマスコミが復旧や捜査作業にとって百害あって一利なしなこと、稚拙な手法で一方的に誰かを悪者にして総スカンにしてしまう得意のやり方などなど。

広告収入がないとやっていけず、視聴率が広告単価の指標がである以上、そういうネタを流せば視聴率があがる(≒そういうネタを市民は好んで見る)のであれば、それは見る側にも責任の一端があるかもしれませんが..

mark-wada:

コメントありがとうございます。
いま、様々のなことが変わりつつあります。従前からの価値基準がひっくり変わろうとしています。ぼくたちはこれまでマスコミの発することをあたかも正しいことのように捉えていましたが、そうではないことがあからさまになってきています。かれらもこうした変化に対応できないまま、現実の世界のダイナミズムに取り残されているように思えます。ですから、読者や視聴者にとってほんとうの報道とはといった根源的な問いかけも放棄して、ただ単にビジネス的なアプローチでしか考えられないという状態なのではないでしょうか。

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2008年07月24日 10:36に投稿されたエントリーのページです。

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