しょせん道具じゃないかという人がいる。道具なんて職人さんの世界の話でホワイトカラーは関係ないよと思っている人がいる。
しかし、人は自分以外の世界と関わるときは存外多くの道具を使う。他者とのインターフェースとして機能させる。
そうであれば、使い勝手のいいもの、使いやすいものがほしくなるのは人情というものだ。道具というと、趣味の世界を思い浮かべる人が多い。つり道具しかり、ゴルフのクラブしかりである。それもあるが、家事でも道具が大切である。昔は、箒やはたき、雑巾、鍋釜包丁まで、道具をもって主婦は割烹着にあねさんかぶりで立ち振る舞うものであった。
最近は、リモコン付きでやたら機能満載の電動製品がそれに変わってでてきている。しかし、いまの電動機のように味気のないものより、昔のような道具を使うと何となくやわらかさだとか暖かさのようなものを感じるのはぼくだけだろうか。
だから思うのである。会社の仕事もいい道具でやりたなと。システムの開発もいい道具を使いたいなと。
ところが、後者のシステム開発の世界では道具が命みたいなところがあって、多少のこだわりもあるが、その探求は深いものがある。でもこの世界は自分の仕事の質を上げてくれる道具を自分で探せるし、自分で作ってしまうこともできるのだ。
ところが、企業で働く人たち、特にホワイトカラーの人たちは、それができない。自分の仕事の道具をよそから与えられているのである。
主婦が自分の仕事をやりやすくするために箒を遠くまで買いに行くようにできればいいが、そんなことはできない。それじゃあ、昔の職人のように道具の使い方を親方が教えてくれることがるのかというとそんな職場も少なくなっている。
そういうことをビジネスの世界でできないのだろうかと思う。ビジネスには職人さんは要らないということなのかもしれない。ただ従順に与えられたもので言われたようにやればいいと言っているようだ。鶏小屋の鶏には道具が要らないのだ。黙って卵を産めばいい。
そこでだ、自分が仕事をするために自分の好きな道具を選べるぐらいにならないといい仕事ができないという主張をしたらどうか。そして、それを提供できるIT業界になるべきだと思う。
まあ、好き勝手に変な道具を使われてもいけないのである程度の制限は要るとしても、仕事をするのに道具は重要であることをもう少し認識してもいいような気がする。