下の息子が今年就職して、ちょっと前に配属部署と勤務地が決まった。営業志望だったので本人はてっきり地方勤務となり、一人暮らしでテニスやゴルフを楽しむ情景が頭に刷り込まれつつあったようで、東京勤務を言いわたされたときは、うれしくもあり、残念でもあったようだ。
ぼくの新入社員時代を思い出している。ぼくが会社に入ったのが昭和47年だから36年前ということになる。おおー、もうそんなに経つのかと驚いてしまう。あまり景気がいい時代ではなかった。ぼくが入ったのは従業員500人くらいの小さな会社だったが、会社ができたばかりだったのでプロパー社員も皆若かった。それだけ、この会社を大きくしてやろうという意気込みは強かったようだ。
ぼくは、技術系だったので短期間の研修を終えるとすぐに工場に配属になった。いきなりその年に新しくできたばかりの化学プラントのシフト勤務になったのである。プラントは1年間止めないのでもちろんオペレーションは昼夜、盆正月関係無しに行う。
当時は人も少なく3班2交替という勤務形態だ。この勤務形態では、1直というのが朝7時半から夜の7時半までの12時間勤務である。2直というのがその裏番で夜の7時半から朝の7時半までの12時間の夜勤である。残りの班が明け、公休という休みになっている。明けというのは夜勤を終えて朝帰ってからその日が休みということである。これが2日続くと次のシフトに変わっていき、それを繰り返すのである。
これは正直きついですよ。1直の勤務時間が長いこともあるが、生活のリズムを保つのが大変なのだ。いつもかるい時差ぼけみたいなのだ。たとえば、明けの時帰ってすぐ寝るのか、我慢するのかでけっこう悩んだりする。
そんな生活を会社に入ってすぐに経験した。そのかわり交替勤務手当てや休日出勤手当てやらでかなりの給料を手にしてびっくりした。さすがに3班2交替はきつかったので半年ぐらいで4班3交替に移行した。それで、ぼくはその交替勤務を2年半もやったがこれはずいぶんといい経験になった。
大学出たての若造がベテランのオペレータにまじって操作するんだから、やってるほうも使っているほうも気が気ではなかった。じゃあ、手取り足取り教えてくれればいいのにまず教えてくれない。こちらも意地があるから聞かないで盗もうとする。そんなやり取りで学んでいく。みんなそうしていた時代だった。
ちょうど今週放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」でそんな光景を見た。洋上加工船工場長ファクトリーマネージャーの吉田憲一さんという方が出ていたが、この人は30歳で船上での事故で右手を失ってしまうが、いまでも加工船に年間200日も乗り込みスケソーダラの船上加工を指揮している。この人がいみじくも言っていたのは、「教えない」ということだった。部下にあれこれ指示するのではなく考えさせることだという。
まだ、こういう世界があったのだと感心してみていた。ただ、その工場は日本人はその吉田さんだけで後は外国人ばかりなので昔の日本に似ているのかもしれない。上昇志向の強い若者たちだからである。
ぼくらの入社したての頃はこうした状況に似ていて上のひとは教えてくれないから自分で努力しないといけなかった。だから、最初のころは技術習得に時間がすごくかかるのでさっと教えてくれればいいのにと思ったものだが、苦労して覚えるとそれは確固としたものになる。
それと何より、現場ではひとりのミスが事故につながることがあるので、そこではチームワークや信頼感が大事になる。それを身にしみてわかるようになる。同じ釜の飯を食った感覚とでも言うのだろうか。
こうした学び取る姿勢と現場感はそれからの仕事にずいぶんと役に立った。今の会社でこういう経験はなかなか味わえないが、これはあとから得られるものではないので、意識して若いときに少しでも経験しておくのもいいことだと思う。