よく世代ギャップという。このとき世代が離れれば離れるほどギャップが拡がるように言うがそうだろうか?
もちろん、世代というより個人の考え方や生き方のギャップのほうが大きいと思うが、昨今の団塊世代たたきに代表されるように、世代差がそのまま意識のギャップのような風潮はいかがなものかと思う。意識というのは物事に対する感じ方の問題でそれは世代とは関係ないように思える。
いまの年寄りはITのことがわかっていないと言われても、もしオレたちがキミらと同じくらい若いときにインターネットがあったら、ひょっとしたらオマエらよりすごいことをしたかもしれないんだぜ。だから単純にぜんぜんわかってないだとか、年寄りにはついていけないなんて軽く言うなよなと言いたくなる。
で世代ギャップの話に戻るのだけれど、どうも単に歳の差ではないような気がする。だって、いつの時代でも子供から年寄りまでの年代差を抱えた世代で構成されるわけで、ずっと世代ギャップを抱えて時代を経てたのだろうか?
違いますよね、おそらく時代の変化が激しいとき、言ってみればそんなことを考えている暇がないときは世代ギャップなんてだれも思わないし、そこを生き抜くにはどうしたらいか、その知恵をもっているやつが生き残るみたいなことだったのではないだろうか。
明治維新がそうだったように、大げさに言えばいまの日本はそうかもしれないのだ。だって、「パラダイス鎖国」を破らないと沈没するぜ。だから世代ギャップなんて言っている場合じゃなくてジャパンのプレゼンスをどうするか考えないといけないのではないのかと思う。
世代ギャップってあって当たりまえなのだ。どうしても人間って自分の生きている“とき”を基準に考えるもので、そのときの時代にあるものでしか経験できないわけで、その時々の技術だとか思想だとかに左右される。そういうものなのだ。
で話しを戻して、言いたいことは単なる年齢ではなく、共有した雰囲気とか浴びた時代の風とかの方が影響力があるような気がする。そうなると、親子というのがそうした共有関係にあるのではないかと思うのである。子供が小さいときって同じ音楽、テレビ、映画を見て、一緒に過ごしていたわけで、同じ風を感じていたはずなのだ。
だから、むしろ少し離れた年代の方がずれが大きいように思う。ぼくらは団塊の世代だがその後の年代は新人類と呼ばれ、ぼくらには遠く感じられたものである。
そういう意味で、「親子で起業」はコミュニケーション的にもいいモデルなのかもしれないと思うのである。