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2008年4月 アーカイブ

2008年4月 1日

スポーツとビジネス

ちょっと前にサッカーとBPMという話を書いたが、コメントで敵のことを書いていないというご指摘を受けた。それでそのことについて少し考えてみた。そんなことを論じてどんな意味があるのかということはさておき、分類学、定義力、整理術から考えてみた。

スポーツは明らかに戦いなのだが、その戦い方に違いがある。敵はおのれだなんて精神訓は置いておいて、スポーツは何と戦い、何を競っているのかということになる。

スポーツは明確に相手がいる場合とそうでない場合がある。言ってみれば、“闘う”と“競う”という二つがある。“闘う”というのは相手がいてそいつと戦うことをいう。ボクシング、レスリング、柔道、テニス、卓球、サッカー、バレーボール、バスケットがこういうものにあたる。

一方、競うというのがあって、目の前に敵がいないケースで、相手を倒すことではなく、何かが相手を上回ることで勝利することである。

競うものがいろいろあるが、主に次の3つ、すなわちスピード、距離、正確さと思うのだがいかがでしょうか。陸上、水泳、スキー、スケートなんては早さを競うし、陸上の投てきや跳躍は距離を競うし、体操、ゴルフ、射撃など正確さを競うわけです。より早く、より遠くへより正確にといわけです。重量挙げのように重さというのもあったり、フィギュアスケートやシンクロの華麗さというのもあるけどだいたいが先の3つのくくりでいけるでしょう。

でここでもうひとつの要素が入ってきます。それを、個人でやるのか、チームでやるのかという要素が入ってきます。ここまでが分類学です。

ここで分類ができるわけです。
1・個人で相手がいるケース
2、個人で相手がいないケース
3.団体で相手がいるケース
4.団体で相手がいないケース

この4象限表示はどこのコンサルが考えたか知りませんが、分かりやすいのはまちがいない。それぞれを見ていくと、第一象限は、例えば格闘技系やテニス、卓球の球技ですね。

第2象限は、陸上、水泳、スキー、スケートなどなどいろいろありますよね。

そして、第3象限も球技がこれにあてはまるし、まあむりやり体操や卓球の団体を入れるかどうかだけど本質論から言うと違うのではずしましょう。

さて最後の第4象限は何か? そういうスポーツってあったけ?これがなかなか思いつかないのだ。無理やりいれるとしたら、ぼくにはエイトボートぐらいしか思いつかない。そりゃあ、ボブスレーとか、二人くらいで競うのはあるがこれは団体ではない。

むむ、ちょっと待ってくれ、じゃビジネスはどこにはいるのかなと考えてみると、この第4象限の戦いなのじゃないかと思うのです。だからビジネはスポーツにはない戦いをしているのだ。

ということは、もっと飛躍して言うと、例えば体育会系のやつをとったほうがいいなんて議論があるが、よーく考えてみると、スポーツ系だからビジネスにつながるというのもちと疑問であると思うのだけどどうだろうか。

何やらこうして改めて分類して定義していくと漠然と思っていたことが違った方向に明らかになることもあるんだなと思ったのである。

だから言いたいことは二つあって、ひとつはこうして分類して定義をしていくと何やら見えてくるものがあることと、ビジネスは多くのスポーツとちがって、団体で相手が見えないところで戦っていることがわかったことである。そうなのだ、実はそこを間違えている可能性がある。
 

2008年4月 2日

世代ギャップのこと

よく世代ギャップという。このとき世代が離れれば離れるほどギャップが拡がるように言うがそうだろうか?

もちろん、世代というより個人の考え方や生き方のギャップのほうが大きいと思うが、昨今の団塊世代たたきに代表されるように、世代差がそのまま意識のギャップのような風潮はいかがなものかと思う。意識というのは物事に対する感じ方の問題でそれは世代とは関係ないように思える。

いまの年寄りはITのことがわかっていないと言われても、もしオレたちがキミらと同じくらい若いときにインターネットがあったら、ひょっとしたらオマエらよりすごいことをしたかもしれないんだぜ。だから単純にぜんぜんわかってないだとか、年寄りにはついていけないなんて軽く言うなよなと言いたくなる。

で世代ギャップの話に戻るのだけれど、どうも単に歳の差ではないような気がする。だって、いつの時代でも子供から年寄りまでの年代差を抱えた世代で構成されるわけで、ずっと世代ギャップを抱えて時代を経てたのだろうか?

違いますよね、おそらく時代の変化が激しいとき、言ってみればそんなことを考えている暇がないときは世代ギャップなんてだれも思わないし、そこを生き抜くにはどうしたらいか、その知恵をもっているやつが生き残るみたいなことだったのではないだろうか。

明治維新がそうだったように、大げさに言えばいまの日本はそうかもしれないのだ。だって、「パラダイス鎖国」を破らないと沈没するぜ。だから世代ギャップなんて言っている場合じゃなくてジャパンのプレゼンスをどうするか考えないといけないのではないのかと思う。

世代ギャップってあって当たりまえなのだ。どうしても人間って自分の生きている“とき”を基準に考えるもので、そのときの時代にあるものでしか経験できないわけで、その時々の技術だとか思想だとかに左右される。そういうものなのだ。

で話しを戻して、言いたいことは単なる年齢ではなく、共有した雰囲気とか浴びた時代の風とかの方が影響力があるような気がする。そうなると、親子というのがそうした共有関係にあるのではないかと思うのである。子供が小さいときって同じ音楽、テレビ、映画を見て、一緒に過ごしていたわけで、同じ風を感じていたはずなのだ。

だから、むしろ少し離れた年代の方がずれが大きいように思う。ぼくらは団塊の世代だがその後の年代は新人類と呼ばれ、ぼくらには遠く感じられたものである。

そういう意味で、「親子で起業」はコミュニケーション的にもいいモデルなのかもしれないと思うのである。
 


2008年4月 3日

Geekな気持ち

以前紹介した佐々木俊尚さんの「ウエブ国産力」という本にすごいインタビューが載っている。未来検索ブラジルの役員である竹中直純さんとの一問一答である。思わずすげえなあということと日本の技術者にも希望がもてるという思いが湧いたのですこし長くなるが引用してみる。

佐々木:
グーグルに行ってみようと思ったことはない?
竹中:
新規株式公開(IPO)の前だったら、グーグルは行ってみたら面白い会社だったたんじゃないかと思う。でも今はどうかなあ。もう優秀な人はグーグルにはいかないんじゃないの。だってさ、今さら行ってもつまらないよ。
佐々木:
技術者の理想の会社ではないということ?
竹中:
技術者の理想の会社だというメッセージを伝えているのは偉いと思うけど、それが本当に技術者にとって幸せなことなのかどうか。そういうことに疑問を持ってしまうんだよね。少なくとも僕がグーグルに行ったらつらい気がする。だってみんなでホワイトボードを囲んで、自分のやっていることをアピールするなんてねえ、そんなことやりたくない。合わせられないよ。
中略
佐々木:
最近のグーグルは対マイクロソフトを意識しすぎているように思える。
竹中:
SaaSを推進し、グーグルだけで何でもできるようにするという戦略を遂行しているのは分かるけれど、でもエクセルやパワーポイントの真似をしたソフトを作るのが、技術者として面白いか?グーグルが吸い込んでいる人たちって、みんな生粋の技術者で、世の中を自分の技術で変えたいと思っている人たちだよね。そいう人たちがどうしてグーグルで表計算とかワープロとか作ってるわけ?
おまけに自前じゃなくて、外から買ってきたいしてるしさ。みんな何しているんだよ。
佐々木:
結局のところ、いったい何をやろうとしているのかがわからない。
竹中:
いくらガワをそろえたって、コンテンツがナイトダメだよ。グーグルは入れ物産業をやろうとしているわけ?カネもあって企業的には自由度が高いはずなんだけどね。ただ、エリック・シュミットとか創業者連中がこれから何をしたいと思っているのか、ということが問われている。
佐々木:
それが一番重要な問題。
竹中:
まあわれわれブラジルはお金もないし、実績もないので、まずグーグルが今いる場所に向かうのが目標。でもそうやって考えると、それを達成してしまった彼らは、人生的な岐路に立ってるのかもしれないね。一生ビーチでお酒を飲めるカネはあるとおもうけど(笑)、それじゃつまらないと思うし。
佐々木:
この業界では、一生使い切れないオカネができてしまったら、その後どうするのか?というのが現実的な問題として存在している。
竹中:
あがっちゃったプログラマー問題ね。海外に行って悠々自適で暮らす人もいれば、オカネがあっても仕事を続ける人、あるいは満たされなくて社会貢献に行く人とか。drも満たされてても満たされなくても、本当のプログラマーだったらプログラムを作り続けるんじゃないかな。そこでプログラミングを止めてトロピカルカクテルに行っちゃうようなヤツは技術者じゃなくて、単なる資本主義の犬だよ。

中略、日本のこの世界でも、世界に通用する人が増えて着ているのは間違いない。それは自然なことだと思う。これからだよ。

これぞGeekという心意気ですね。これがコードで世界を変えようというノリにつながるのだろう。最後に言っているようにこれからどうなっていくのか期待を込めて見守って生きたいと思う。

ただ、ぼくなんか軟弱だから一生ビーチで美女をはべらせながらトロピカルカクテルもいいかなと思うのである。
 

2008年4月 4日

酒井家のしあわせ

一家の幸せって何なのだろうか? ひとりひとりの個人の幸せは何となくイメージできるのだが、家族となるとどうなのだろうか?家族の幸せとはいつも家族全員がしあわせでいることなのだろうか。むむそんなことはありえないことのような気がする。

最近、家族のなかでいろいろな事件がおきているが、おそらく家族全員が不幸だったからおきた事件というわけではないだろう。そうなると、家族の一人の不幸が家族全体の不幸を招いてしまうという姿が語られるので怖いのだ。

前置きが長くなったが、そんなことを考えさせられる映画を観た。呉美保監督の「酒井家のしあわせ」である。

友近とユースケサンタマリア夫婦役を演じ、三重県の伊賀上野を舞台に繰り広げられる家族の物語である。中学生の子供を持つ母親役をお笑い芸人友近がしっかり演じていることにびっくりするが、中学生役の森田直幸とか他の役者もみないい感じでよくできた作品である。

さて、一家のしあわせのことである。多分この映画のうたい文句は、家族のあいだで殺人事件などがおきているこの殺伐とした現代に、家族の絆の大切を訴えるなんてことだと思うが、これは一般論としては正しいかもしれないが、そのことがどの家族にもあてはまることなのかというと、実は家族は千差万別どこの家族もパターン化できないことに問題がある。

従って、どんなその道の専門家と称する輩とか評論家みたいな人がいろいろ言うけど普遍論では全くないのだ。ということは、自分たちで考える、自分たちで解決するしかないのである。

だから、この映画は、そうかこういう家族もあるし、こういう対処のしかたもあるのだと思うことなのである。ケーススタディを多くやっておくことは意味があることをこの映画は教えてくれる。

実は、映画というのはケーススタディの機会なのである。擬似体験をしながらわが身にふりかかることを考える、そんなプロセスが要るように思うのである。それを映画や本が与えてくれる。

この映画の凝集されたシーンは最後に森田直幸が車の中で静かに笑うシーンだが、それを面白いと思うかどうかはこの映画を観てからよく考えてください。
 

酒井家のしあわせ
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  • DVD / 日活 (2007-07-06)
  • Amazon 売り上げランキング: 10509
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 5 名優ぞろい!音楽もよかった♪
    • 4 ほんとに居そうな家族。
    • 2 私には合わない映画だった
    • 4 忘れ去られる前に一度チェックしてほしい。友近は未来の泉ピン子だ!
    • 4 まるで本物!
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2008年4月 5日

「読み」の整理学

以前にも紹介した「思考の整理学」というベストセラーを書いた外山滋比古の「「読み」の整理学」(ちくま文庫)を読む。実は、うちの社長(息子)が持っていいたので、「思考の整理学」と交換したのである。社長は基本的には自分の本をひとに貸さない主義なのだが、ぼくが読んだ本をこれおもしろいよと渡すと自分の持っている本を貸してくれるのである。

この本は元々は「読書の方法」という本に基づいている。だから、本やそれ以外のものも含めて“読む”ということの意味についてまとめたものである。外山滋比古の本は、「思考の整理学」もそうだが、非常に読みやすくわかりやすい。むずかしいことを平易な文章で丁寧に書いてくれるからである。こういうのを教養というのである。

ところが、本の中では、いまの世の中は何でもわかりやすくしないといけないという“平明至上主義”があり、それを批判している。確かに、昔のように何度読んでもさっぱり理解できない難解な文章が影をひそめ、わかりやすいものになる傾向がある。

ただ、難しいという場合、多くは単に難しい言葉を使うとか独特の言い回しのセンテンスを指したりする。本来は、その内容、その主張することの難易を問うのであるが、そこへの言及は少ないような気がする。だから、外山滋比古のように、言っていることはすごく難しいことなんだが、文章はわかりやすいというのが本当に教養にある人がなせる業だということを言いたかったのだ。

さて、この本の主題は、“既知を読むアルファー読み”から“未知を読むベータ読み”へ変えていくことを説いている。

そもそも、学校の国語教育でおこなわれていることが、ベータ読みへの転換ができていないと嘆いている。わからないことをどうやって分かっていこうかということは非常に大事で、そこをあきらめてしまうと新たな発見もなければ、成長もない。

こうしたベータ読みへの移行には、素読とか音読の効用を言っている。今はどうか知らないが、ぼくらの子供の頃はけっこうこの素読、音読というのがあって、漢文や古文という教科で意味もわからず暗記したものだ。それがよかったかどうかはわからないが、難しい文章を我慢して読むという態度は少しは身についたのではないかと思う。

そうなんですね、古典の暗誦というのは必要なんですね。どうして古典なのかというと著者曰く「昔のことは古い。だからと言って古くさいとは限らない。新しいことはおもしろそうだが、時の試練をくぐり抜けていない。新しいものごとは古くなるが、古いものはもう古くならない」からなのである。ところがどうしたものか今この古典がどこかへいってしまっている。

最後に、ベータ読みについての落とし穴が書いてあるが、ここがぼくにはポイントのような気がするので紹介する。ベータ読みというのは、洞察による読み方が必要となる。“行間を読む”というやつである。これには個性的と古典的という二つの方向がある。

たとえば、わからない文章に出会うと、行間を読んでいるうちに、おのずと筆者の考えから、筆者の人となり、思想といった伝記的な面に向かう。これが個性的な読みである。文学作品の感動はこれだ。

一方、古典的な読みは、哲学的であり、普遍的なコンテクストに関連付けて理解しようとする。筆者の個人的事情は関係ないのだ。文科的ではなく理科的な態度といってもいい。

こうした、古典的な読みが大事で、どうしても文学青年のような読み方になる落とし穴に気をつけなくてはいけないのだ。

まだまだ、いろいろためになることがいっぱい書いてあるが、このへんにして、これからの本の読み方に参考にしたいと思う。
 

「読み」の整理学 (ちくま文庫 と 1-3)
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  • 外山 滋比古
  • 文庫 / 筑摩書房
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  • Amazon おすすめ度の平均: 3.0
    • 4 読書を考える上での易しい手引き
    • 5 知的生活を送りたい人にぜひ
    • 3 「読書の王道」を紹介
    • 1 文庫本1冊にするないようではないような
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2008年4月 6日

プラダを着た悪魔

メリル・ストリープとアン・ハサウェイの「プラダを着た悪魔」を遅まきながら観る。こういうしゃれた映画をアメリカは作るんですね。

この映画の内容はむしろテレビ的だと思うので、日本だとテレビでやるかもしれないが映画となるとできないような気がする。監督がいないのかもしれない。事実、この映画の監督デヴィッド・フランケルはテレビ出身のようだ。

ストーリーはファッション誌の鬼編集長のアシスタントになった女の子がイジメに合いながら、その編集長に認められていくといった、悪く言えば単純なストーリーである。ただし、鬼の編集長を演じるメリル・ストリープのふとのぞく“鬼の目にも涙”的な表情とアン・ハサウェイのキュートで素直なかわいらしさがこの映画の持ち味で、特に女性の目から見たら大いに楽しめるものではないだろうか。

またまた、言うのもなんなのだけど、女性主役の映画で男はさしみのつまみたいで、こんな作品ばかりだと嘆きたくなる。それと、これもパターン化しているのかどうかしらないが、最後が車の中でメリル・ストリープが押し殺した笑顔をみせるシーンで終わっている。

「酒井家のしあわせ」もそうだが、ラストシーンをどうするかというのは監督としてはすごく悩むし、また逆にそこで作品のできも左右されかねないところもあるからがんばるところであろう。映画に限らず、なんでも終わり方は難しい。

ストーリーも目新しいものでないけど、すんなり軽やかに楽しめる作品である。
 

プラダを着た悪魔 (特別編) (ベストヒット・セレクション)
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.6
  • DVD / 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン (2007-11-21)
  • Amazon 売り上げランキング: 348
  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 メリル・ストリープが最高
    • 4 意外とイケる!
    • 5 マーク・ジェイコブスが『as himself』
    • 5 素敵な映画★
    • 5 映画として質が高い
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2008年4月 7日

BPMオフ会でしゃべります

今週の土曜日に開かれる「第3回BPMオフ会」でしゃべります。この会もだんだん参加者も増えてきて、内容も充実してきているように思えます。

今回、ぼくは今やっているBPMのメソドロジーについて1時間ほどの時間をもらってしゃべります。簡単なデモもやる予定です。昨年の夏のBPM協会のプレゼンでは直前になって突然動かなくなってしまって冷や汗ものでしたが、今回は準備万端で臨みたいと思います。ぼくの後に「BPM入門」をプレゼンするtoitoiさんにも環境を貸してあげることになっているのでちゃんとしておこう。

時間が1時間でいつもより長くもらえるので多くのことがしゃべれるけど、あまりいろいろなことを入れると足りなくなることも考えられるので気をつけて的をしぼっておかないといけない。

まだ、定員がいっぱいになっていないようですので興味のあるかたはぜひ参加してください。何よりも、終わったあとの「ビールパーティみんなでしましょ」が盛り上がること必須ですから、それだけでも楽しいですよ。
 

2008年4月 8日

社内SaaSのすすめ

SaaS(Software as a Service)という言葉が踊っている。これからのキラーシステムのような言われ方もし、官民こぞって注目である。ところが、みなさんわかっているのだろうか。この場合のソフトウエアって何のこと、サービスって何のこと、誰が誰に対してするの、その提供の方法は、とかとかちゃんと定義されていないまま話が進んでいるように思える。いつものことだが。

こうした議論のとき感じる違和感はいつもシステム発想が強いことである。だからすぐに、以前のASPとの違いはとか、セキュリティがどうだとかになる。大事なのは、ここでもビジネス視点、ユーザ目線で、そういう観点でみていくと違ったものになる。

まず、ビジネスを行う上でSaaSで供給を受けたいものって何があるのか。業務機能から業務サービス、はたまた業務プロセスまでのどれをなぜ外部から提供してもらうのかと考えることになるはずだ。簡単に言えば、QCDFが担保できるかどうかになる。

ここでSaaSだと全部がいいことずくめに言われるが、大事なのはQとFの問題のような気がする。CDはある程度定量的な評価ができるが、QとFは定量化できないので判断がむずかしい。そうなると、いい品質のものが手に入るのか、柔軟な対応が可能なのかということが重要である。

これは両者は関係していて、いい品質のものが手に入るが、それは“標準化された良さ”であるということなので、そこは自社の要求に対して必ずしも対応してくれるわけではないという非柔軟性を許容することがある。

ある意味、SaaSはオープンソース精神でできているわけで、なぜかというと、多数に支持される“いいもの”だけが生き残るのからである。こうして民主化されたソフトウエアやサービスは時として自社固有性と軋轢を生む。

そこをどう考えるかになるが、結局主にここの優位性の評価で採用するソフトウエアあるいはサービスを規定することになるだろう。

そこで向いているものを探してみるとひとつには、ぼくはプロフェッショナルサービスではないかと考えている。例えば、法務、特許、税務、与信といったようなものである。こういうものは、標準化されたものこそ価値があるわけで向いているのではないでしょうか。

一方、固有性の問題があるようなら、限られた世界で使ったらどうだろうか。SaaSの良さを限定的な範囲で生かすのである。ぼくはまずは社内向けに、続いてグループ会社向けに
という風に自分の家から親戚にさらに知り合いへというような段階的な展開をしたらいいと思う。

そして、それは別の効果が生むことができる。以前指摘した「シャドーIT」の問題への答である。たとえば「社内SaaS」であれば、職場単位で自然発生的なシステム化を許すのではなく、ソフトウエア、サービスを中央で管理して、そこから提供するのである。その管理されたソフトイウエア、サービスをいつ、どこで使うかは部門に任すのである。

なお、ぼくが提案している「BPWeb2.0」を使えば、ソフトウエア、サービスだけではなく開発プラットフォームも提供できる。すなわち、ユーザはブラウザだけで自分たちの業務プロセスを構築、稼動ができるが、そのリソースはすべてIT部門の管轄下に置かれるイメージとなる。

どうも、SalesForce.comがSaaSの典型例としてもてはやされているが、ぼくは個人的にはあまり評価していない。営業のところってけっこう会社の肝のところのような気がするから、そんな風に思っているのである。繰り返すが、SaaSはプロフェッショナルサービスから、そして社内から始めたらいいのではないでしょうか。
 

2008年4月 9日

歌謡曲だよ、人生は

阿久悠の「夢を食った男たち」を読んだせいでもなく、正名僕蔵が出ていたからではなく、TSUTAYAで「歌謡曲だよ、人生は」を手にする。

この映画は、昭和のはやった歌謡曲を題材にショートストーリーを集めたオムニバス映画です。物語は10話あって、それぞれに個性的な監督が演出しています。出演の俳優も妻夫木クンや武田真治クンが出ていたかと思うと関根恵子や大杉漣などが出ていたりとそりゃ多士済々ですよ。

それよりも何よりもやはり、ここのテーマになっている歌謡曲がうなってしまう。十曲が登場した年代は昭和34年から昭和50年だから僕がちょうど青春真っ只中であったわけで、従ってものすごく印象に残っているものばかりだ。その曲を並べてみる。

昭和34年「僕は泣いちっち」 作詞・作曲:浜口庫之助 / 歌:守屋浩 
昭和41年「逢いたくて逢いたくて」 作詞:岩谷時子 / 作曲:宮川泰 / 歌:園まり 
昭和41年「ラブユー東京」作詞:上原尚 / 作曲:中川博之 / 歌:黒沢明とロス・プリモス
昭和41年「これが青春だ」 作詞:岩谷時子 / 作曲:いずみたく / 歌:布施明 
昭和42年「小指の想い出」 作詞:有馬三恵子 / 作曲:鈴木淳 / 歌:伊東ゆかり 
昭和42年「いとしのマックス」  作詞・作曲・歌:荒木一郎
昭和44年「みんな夢の中」作詞・作曲:浜口庫之助 / 歌:高田恭子 
昭和45年「ざんげの値打ちもない」作詞:阿久悠 / 作曲:村井邦彦 / 歌:北原ミレイ
昭和47年「女のみち」作詞:宮史郎 / 作曲:並木ひろし / 歌:宮史郎 
昭和50年「乙女のワルツ」 作詞:阿久悠 / 作曲:三木たかし / 歌:伊藤咲子

おお壮観ですね。昭和34年と昭和50年は少しずれるが、そのほかはほんと17歳から23歳という多感な時代のことであるので、そのときのことを思い出してしまった。

そうなんですね、その頃は歌謡曲全盛だったのです。今はどこに行ってしまったのだろうか。面白いのは、ビートルズが来日したのが、昭和41年6月だから、歌謡曲とリバプールサウンドが混在していたのです。

映画の話にもどると10話もある映画なので好き嫌いも含めて面白いものとつまらないものとがまざりあった不思議な映画で良し悪しをいうより懐かしんだらいいと思う。ということは平成生まれの子にとってはなんのことやらわからないでしょうね。
 

歌謡曲だよ、人生は
posted with yusukebe.com::AmazonSearch on 2008.4.9
  • DVD / ポニーキャニオン (2007-12-05)
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  • Amazon おすすめ度の平均: 4.0
    • 4 気に入った作品が数本あればOK
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2008年4月10日

久しぶりの新宿

昨日は久しぶりに新宿に出た。今は湘南新宿ラインがあり、とても便利であるが新宿から乗ったことは何回かあるのに降りるのは初めてであった。それで新南口というところに降りたらどこだかさっぱりわからなくなってしまった。高島屋が見えたのでどうにか確認できて目的の京王プラザに行けました。ずいぶんと変わったものだと改めて思う。

新宿に来たのはITR主催の「ITトレンド2008 特別コンファレンス」出席するためだ。この手のセミナー類は会社を辞めてからはほとんど行ったことがなかったが、昨日はITRの内山社長にある人を紹介してくれとお願いをしていたら、コンファレンスにくればと言われて急遽参加した。

ある人というのは、カシオ計算機の矢沢さんで、この人はユーザ企業のCIOの中でも先進的で非常によく考えている方なので一度お話をさせてくださいということをお願いしていた。こんど、ITRで「企業IT力向上研究会」というのを立ち上げるそうで、その会の発起人にもなっている。ぼくもさかんにユーザ企業ががんばらないといけいと言い続けているのでこうした活動をしている人には頭がさがる思いだ。

昨日のカンファレンスでは、内山悟志さんの基調講演「IT投資動向と戦略テーマ」がまずあって、そのあと「リーン思考による「コスト低減」」、「NGN時代の統合コミュニケーション」、「企業情報システムの重要成功要因」の講演があって、最後が「経営に貢献するITのあり方とは」についてのパネルディスカッションであった。

どうも、昨年は少しIT投資が鈍ったようで、ことしも景気がよくないのであまり期待できないようだ。それと、このコンファレンスでもふれているが、日本の会社はまだまだ保守・運用といった守りの投資が多く、戦略的な攻めの投資ができていない。投資額を低減するとなるとそれがたんに戦略的投資の減少になるだけという、なかなかITによる業績向上といったようなことが後手になっている感じが伝わってきた。

内山さんも言っていたがユーザも頑張らなくてはいけないが、それと同時にベンダーにも頑張ってもらうことも大事かもしれない。ぼくはついベンダーの悪口ばかり言うのだが、ユーザーがなかなか自立できない段階では、ある意味ユーザとベンダーは一連托生の関係にならざるをえない面があるのでそう思うのである。
 
懇親会では、久しぶりに旧知のひとと会うことができた。みんなそれぞれえらくなっていて、社長になったひと部長に昇格したひとなどみなそれぞれ活躍しているのを見るとうれしくなる。元部下にも声をかけられる。
 
そのあとまだ早かったので、西口の”しょんべん横丁”へ行って焼き鳥で一杯呑む。おお何年ぶりだろうか。昔もそうだったが隣のおじさんとすぐに打ち解けて、中国や東南アジア話に花が咲き、若いときのことを思い出しながら帰途についたのである。
 

2008年4月11日

花が咲く

春は花がきれいだ
木蓮と海棠の花が咲き出した
珍しく風邪をひいてしまい苦しい
明日はBPMオフ会だけどだいじょうぶかな
今日はこれから病気見舞いのはしごになる
見舞いに行くのはいいが、見舞われるようにはなりたくない
いま逗子に住むいとこが来た
仕事ではないが忙しい一日になりそうだ

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mokuren.JPG
 

2008年4月12日

神だのみ

昨日、久しぶりに逗子に住むいとこが訪ねてきた。彼からすると叔母にあたるうちのばあちゃんのところにきたのだけれど、一緒に話し込む。もう72歳になるがいまだにバイクを乗り回す元気なおじさんです。ぼくとはけっこう歳が離れているが、こどもの時よく逗子の家に遊びに行って海水浴などに連れて行ってもらった。

それで話はBSフジの「おぢさんの小さな旅」という番組に出演するということから始まった。この番組は竹中直人がカメラを手に歩き回るのだそうで、昨日の放送では逗子、葉山の特集だったようだ。うちではBSが見れないので内容がどんなだったかはわからない。

どんなシーンで出たかというと(といっても本人も実際に見ていないが)、逗子の駅の近くに「亀ヶ岡八幡宮」というのがある。そこに来たのだそうだが、いとこのおじさんはその神社の世話役みたいなことをやっていて、毎朝境内をくまなく掃除したり、正月や例祭、節分のときなどは大活躍しているのだ。それをもう9年間ずっと続けている。たまに新聞なんかに取り上げられたりすることもある。で竹中直人にその神社について聞かれたようだ。

そんな話をしていたら、いとこが突然ガンになったと告白。もう昨年の秋に見つかったそうなのだが、腎臓にガンができているとのこと。え、見たところ何ともないけれど、なぜほっとくのか思ったら、この連休明けに手術して片方の腎臓を除去してしまうそうだ。年寄りは進行が遅いのでそれでもだいじょうぶのようだ。

そうしたら、うちのばあちゃんがあれだけ神様に尽くしているんだから、絶対だいじょうぶだよとなぐさめていた。ところがそのいとこが言うには、おれは神様なんかいやしないと思っているからわからねえよと、あれだけ神社に奉仕しているひとがいう言葉とは思えない言葉が返ってきた。

神様がいないと思うからこそ境内やお堂の中まで掃除したりできるのだという。神様を信じている人は逆に怖くてそんなことはできないらしい。

毎日神社に出ていると、会社に行く前に必ず立ち寄ってお参りをしていく人が何人かいるそうだ。そういうひとを見ているとみな一様に拝む前までは目が釣りあがってすごい形相で来るらしい。挨拶もしないのだそうだ。それが、手を合わせたあとはみなおだやかな顔になり、にこにこ挨拶してくるという。もし、そういうひとにご神体の正体をみせたらえらいことになるというのだ。

なるほど、そういうことかと感心してしまった。神に仕えるものと神を信じるものは違いがあるのだろうか。

2008年4月13日

第3回BPMオフ会

昨日、第3回BPMオフ会に行ってきました。前回と同じ勝どきのトリトンスクエアで行なわれました。今回は、プレゼンを頼まれていたので最初のセッションで1時間ほど「ユーザ目線の実践的BPM」というタイトルで発表しました。

その他には、toitoiさんの「BPM入門2回目」、Intalioのニコラスさんの「モデリングから実装」、tomsawadaさんの「クラウドコンピューティング」、そしてマイクロソフトの小高さんの「ADO.NET Data Service – RESTfulDao」の話と、かなり盛りだくさんの内容で充実の勉強会でした。

toitoiさんのプレゼンで使うデモシステムはわけがあってぼくのPCに入っていて、前回そのデモが動かなくなってしまい冷や汗をかいた。だから今回はリベンジだなんて言われていたので、すこし心配であったが若干のミスがあったけど何とか動いたの胸をなでおろした。

ぼくのプレゼンが受けたかどうかよくわかりませんが、ビジネス寄りの人たちには関心をもってもらえたのかなあと思っています。今回は初めて参加の人が半分ぐらいいましたが、ベンダーとかユーザ系のかたが増えた感じで、技術的なこと以外の話もいいんじゃないでしょうか。

徐々にBPMということの認知度もあがってきたように思える。だからこそ、BPMって何という議論をしっかりとしていかないと変な方向に行ってバスワードにもなりかねないので、こうした場でもいろいろな角度から議論していったらいいと思う。

夜がメインの「ビールパーティみんなでしよう」なので、のどを渇かして月島のもんじゃ焼きや向かう。第1回目ももんじゃ焼きでもうもんじゃ通になってしまった。ただ狭い!。

2月の号外BPMオフ会のときも狭かったが今回もそれに輪をかけたように狭い。そこでもんじゃを焼くから暑い。途中で窓を開けっぱなしにしたので幾分涼しくなったが、ビルが進む。ぼくらの席は、もっぱらなぜか関西人のn_shuyoさんが上手に焼いてくれた。隣の席は失敗もんじゃを食べていた。

この狭いことで困るのは席を移動していろいろなひとと話ができないことである。昨日はしかも2階と3階に分かれてしまい、なおさら移動が困難であまり多くの人と話すことができなかったのが残念であった。はぶさんともほとんど話せなかったし、しかもはぶさんは珍しく1次会だけで帰っちゃったのだ。

だから、終わって店の外に出てから何人かのひととご挨拶。そうしたら、間接的に知り合いだったという人が3人もいた。要するに同じ人を知っていたというわけである。世の中狭いなあといつも思う。

2次会はwkzkさん、toitoiさん、Uchidaさん、hanedaさんと軽く呑む。ここで盛り上がったのは、hanedaさんが何とタレントだったってこと。テレビ・映画あるいはCMなどに出演しているのだ。アデランスのCMに出ていたのを見せてくれた。

BPMとは関係なかったけど、こうしていろいろなひとと知り合いになり、会話をするということがこうしたオフ会のいいところでずっと続けてほしい。

毎度のことながら、幹事のwkzk、GoTHeDistanceさんお疲れ様でした。感謝!
 

2008年4月14日

サイドカーに犬

芥川賞作家長島有の同名の作品を根岸吉太郎が監督して映画化した。竹内結子が主演していて従来のようなおとなしい役からイメージチェンジを図って話題となった。

この映画は、いまキャリアウーマンとして颯爽と生きている主人公が子どものときに、実の母親が突然家を出た後、やってきた奔放なヨーコさんという女性と過ごした夏の日を回想するところから始まる。

どちらというと内気な女の子が徐々に心を開いて仲良くなる様はほのぼのとした味わいで好感が持てる。管理型の母親に「してはいけないこと」ばかりを教えられることから、「何でもしてもいいんだよ」ということをヨーコさんに言葉ではなく行動で教えられる。

そしてヨーコさんは風のようにやってきて、風のように去っていく。この女の子だけではなく、みな少年、少女時代というのは何らかのかたちで、母親や父親と異質の大人に出会い、世の中の多様性だとか、自分の生活と違った側面を知ることで、自分自身を見つめなおす機会を得るのだ。

この親や親類以外の大人とのコンタクトはコカコーラを初めて飲んだときのように腹にしみこむのだ。そんな原風景をおだやかに描き、ヨーコの大胆な行動にもちょっとした翳りをちらつかせ、根岸監督の手腕は確かなものである。

気持ちのいいさわやかな映画だ。
 

サイドカーに犬
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2008年4月15日

忙しい1日

昨日は珍しく忙しい一日だった。まあ最近、少しずつ忙しくはなってきてはいたが、昨日は、4件の用事が重なってしまった。とりあえず1件は延期してもらい、残りの3件をこなす。

最初は、午前中ITMediaの取材。元々はうちの社長(息子)へのアポだったのですが、親子で起業していることに興味があるようで、お父さんも取材したいとなった。わざわざ、雨の中鎌倉の家まで来てくれて、ぼくのばあちゃんの家の事務所で話をする。

なぜ、親子で会社を作ったのだとか、親子だと何がいいのかとか、どんなビジネスをやっているのかなどなど聞かれたので、普段思っていることをしゃべった。いつ記事になるのかはっきりしないが出たらまたお知らせします。

それが終わると昼飯も食べずに築地へ。途中、先日のBPMオフ会で会った中でさらに話がしたい方たちに連絡をとる。最近、emobileを買ったので外でも電車の中でもメール、インターネットができるのですごく便利だ。7.2Mbpsのタイプでかなりさくさく動くので快適です。ただ、どこでもというわけにはいかない。昨日も新宿の地下の呑み屋では使えなかった。

築地ではオファーがきそうな案件についての対応策を協議。どうもトップが会社の業務が非効率ではないかと思っているのだが、どこがどう効率を落としているのかがわからないのでどうにかしたい。そんな話から始まったようなのだが、それにはまずは現状業務の棚卸から始まるようで、IT化の段階はもっと先かもしれない。

プロセスの可視化ができていないということなのだが、こういうケースでは可視化するだけでも効果が出そうですね。ただし、プロセスが見えてくるとどうなるかというと、往々にして、省人化につながるので、そうした合理化をちゃんとする意識がないとうやむやになるケースがあるので注意しなくてはいけない。

だって、現場でヒアリングして今の仕事を整理して改善案を出させると言ったって、現場の人は自分が合理化されるかもしれないことをやるわけがない。当然自分がやっていることはかけがいのないことだという。プロセスの可視化といってもこうした泥臭い難しさがあるので、やはりトップダウン的なやり方にならざるを得ないだろう。そんなことを話した。

それが終わるとすぐに新宿へ。約束の時間に少し遅れてしまったが、昔からの付き合いのKさんと面会。Kさんは以前生産計画スケジューラのソフトを売っていて、そのときお会いして以来の付き合いになる。当時ぼくはまだ三重県の四日市にいて、ある生産システムの開発プロジェクトでスケジューラが必要になったので、いいものがないかと検討していた。それで東京までいって話を聞いたというわけです。

で結局そのソフトは買わなかったのだが、そのときにいろいろな対応をしてもらったことでそれ以来時々会って呑むようになった。同じ弁護士の方と付き合いがあっただとか、サッカー好きで、映画好きだとか共通点があるので話がいつもはずむ。この連休中にスペインに行って会員になっているレアルマドリードの試合があるリーガエスパニョーラを見るんだそうだ。わあ、うらやましい。

Kさんは今はPPM(プロジェクト・オートフォリオ・マネージメント)というのを啓蒙している。戦略的にIT投資をすべきであるということなのだが、今の日本ではなかなかそこまでのレベルにいっていないと嘆いていた。ということはまず業務プロセスをきちんと作って、それをコントロールできてはじめてそうした高度な管理に向かっていくのではという話をして、何か今のぼくのやっていることと繋がっていることがわかり、これからも意見交換していこうよとなった。

新宿駅西口の「思い出横丁」のとなりの酒場で昆布焼酎をしこたま呑む。あーあ疲れた。
 

2008年4月16日

学ぶ姿勢

UEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントでチェルシーに惜しくも負けてベスト4進出ならず。といったらどこのチームでしょう?

はい、トルコの名門フェネルバフチェである。ジーコが監督をしている。よくここまできたかといって賞賛されている。日本代表のジーコを知っているので、ここまでチームを強くするとは思っても見なかった。ところが先日テレビのスポーツ番組みでジーコにインタビューしているのが放映されていた。もう全部は覚えていないが、印象的だったのは監督の勉強をいちからやったというようなことを言っていた。

最初は、自分が最高のサッカー選手だからその自分が指導サッカーがいちばんいいと思っていたのではないだろうか。だから、誰かの真似をするわけではなく、自分の感性で指導してように思える。日本代表の監督でもそうだった。

しかし、サッカーだ盛んで目の肥えたファンがいる国で監督をやると、それだけでは地位をたもてない。しかも、結果をすぐに求められるからゆっくりやるわけにはいかない。ジーコもずいぶんと悩んだに違いない。そこで、これまでの自分をかなぐりすてて、新米監督というところに一旦自分の身をおいたのだそうだ。そして多くの監督たちのいいところを勉強し、学んでいったというのだ。

だからこそ、チームもまとまり強くなっていった。こうした、自分の地位がどうであれ、いつも誰からでも学んでいこうとする姿勢こそがいい監督もっと言えば真のプロフェッショナルになるのだろう。

そんなことを考えていたら、これもずいぶんと前になるが、読売新聞の「時代の証言」という記事に将棋の米長邦雄元名人の話が出ていた。そのなかに彼が49歳11ヶ月で悲願の名人位を獲得するが、頂上に昇りつめても学ぶことを忘れなかったことが書いてあった。名人でありながら徹底的に自分の戦術を洗い直すために、その当時まだ若い羽生善治、佐藤康光、森内俊之などに教えを請うたという。

この話もさすがと思うが、どんなに上に立ったとしても絶えず謙虚に学ぶ姿勢があってこそ、新たな発見もあり、その地位は保たれていくのではないでしょうか。ジーコとか米長まで行かなくとも一般の人にとってもただ歳をとっているから、もう学ぶことはなく今までの貯金でやればいいというのではなく、若い人から学ぶなどやはり日々是精進ということが大事なのだろう。

2008年4月17日

Jパワーの株買い増し規制

今日の新聞の記事で注目は、JパワーのCTIによる株買い増しを政府が中止を勧告したというニュースだろう。関税・外国為替等審議会というのが議論していてその結論が今のような中止勧告ということになった。

これを報じた読売と朝日で意見が違っている。こういうときこそ、前に紹介した「あらたにす」というのを見るといい。英字で書くと「allatanys」でこれは、”All at Anys”という意味だとある日経の人が言っていた。それはともかくとして、くらべる社説で読売と朝日の社説を読み比べるとその違いがわかる。

読売の主張:

電力の安定供給確保の上で、妥当な結論だ。
中略
審議会が判断を下す際、問題視したのは、短期的な利益を優先するTCIの姿勢だった。
Jパワーは電力卸最大手で、国内5位の東北電力に匹敵する規模がある。長大な送電線網を持ち、青森県内に原子力発電所を建設する計画も進めている。
20年、30年という長期的な視点での経営が欠かせない公益企業である。ところがTCIは、投資期間として3~5年を想定し、その間に、投資に見合う利益を稼ぎ出す姿勢でいる。
TCIは、取締役を数人受け入れ大幅な増配に踏み切るよう、要求していた。増配の原資確保のため、Jパワーが決めた料金の一部値下げにも反対した。
TCIは最近、原発の建設計画について、新しい提案を出してきた。原発をJパワーから切り離し、事実上、国営化させる内容だ。こうした動きに、審議会が厳しい視線を注いだのも当然だろう。
勧告について、「外資に対し閉鎖的な日本」というイメージが広がる、と懸念する声もある。だが、国益上の懸念が生じる場合、何らかの形で投資を制限するのは国際的な常識だ。
今回は、国益にかかわる企業に対する問題多い投資という、特殊なケースに位置づけられよう。
そうした事情を丁寧に説明し、健全な投資は大歓迎であることを政府は内外に表明すべきだ。

朝日の主張:

前略
たしかに電力は公益事業であり、長期的な経営が必要だ。だが、それを外資規制で守れるとは言えない。
Jパワーは国策会社を民営化し04年に上場した。上場すれば株主は選べないし、上場時には海外からの投資を呼びかけもした。今になってルールの不備が明らかになるとは、民営化計画に欠陥があったことに他ならない。
守るべき「公益」が何かも検討すべきだ。大間を含む政府の核燃料サイクル政策が妥当か、議論が残っている。見直しの余地はないのか。経済産業省に天下り先を守ろうという下心はないのか。そういう疑問にも政府はきちんと答えなければならない。
さらに、もっと大きな「公益」がある。日本を海外へ開かれた国にしていく、という目標である。人口減少時代に突入した日本にとって、外国の優秀な技術や人材、経営を呼び込んでくることは、経済を活気づけるのに欠かせない。それなしに、今後の高齢化社会は乗り切れないだろう。
今回の決定は「日本は資本鎖国だ」という海外でのイメージを増幅するに違いない。その損失の大きさと、外資規制の効果を十分に比較検討したうえで発動したのか、大いに疑問だ。外資を恐れ嫌っていては、長い意味で国益を損なうことになりかねない。
外資規制を発動するなら、同時に、外資へいっそう広く門戸を開いていくというメッセージを強く発しなければならない。政府の責任は重大だ。

さて、どっちなんだと考えてしまう。ぼくはこの問題に関して言えば、朝日の法に分があると思う。池田信夫blogに面白いコメントがある。審議会の部会長の吉野直行氏を痛烈に批判しているので一部紹介する。

そして今回のJパワーの件で吉野氏は、記者会見で「原子力事業は20年から25年の長期にわたって考える必要があるが、(TCIが志向している)3~5年の投資では、長期投資を控え短期的な配当を多くするよう行動する」と断定した。これに対してTCIのジョン・ホー氏は「そんな説明はしていない」と否定し、「それなら株を取引するのを20年間禁止する法律が必要ではないか」と反論した。

吉野氏も経済学者なら、ホー氏のほうが正しいことぐらいわかるだろう。吉野氏のような論理が成立するなら、電力会社の株主はみんな株を20年以上もっていなければならない。それに彼は、TCIの買い増しで「原子力政策に不測の影響が及ぶ」と何を根拠に断定したのか。TCIの目標としている20%では拒否権も行使できないし、ホー氏は「株式を信託して重要な意思決定には関与しない」と約束しているのに。

要するに、吉野氏は経産省があらかじめ決めた結論に合わせて理屈をつけ、北畑次官の「資本鎖国論」を学問的に偽装したのだ。それが御用学者の処世術というものだろう。

これまた手厳しい。ほんと、いまの経済産業省の行きかたはやはり鎖国的な方向であると言わざるを得ないと思う。そんなことをやっていればどんどん世界から取り残されてしまう。取り残されてしまった日本の中で生きていきたいと思っているのだろうか。

そして、もっと単純なこととして朝日も言っているように、上場しておいて株を買い増ししてはいけませんよとよく言えるなあということである。読売の言う「健全な投資は大歓迎である」ということだが、この健全な投資って何よと思う。株式市場で健全も不健全もないんじゃないの。あるのは経済合理性だけなのじゃないのかなあ。
 

 

2008年4月18日

SaaSはどうなるのか

いま、IPA(独立行政法人情報処理推進機構)のベンチャー支援事業に応募することを検討している。委託費用が上限1800万円だから、われわれのようなベンチャーにとってはおいしい話だ。以前からこうしたベンチャー支援事業はあって、昨年も応募したが採用されなかった。

ところが今年は、すこし様相が変わって支援金額も多くなって、しかも全額になっている。そして何よりもSaaS型の事業モデルが謳われている。昨年から経済産業省は何かにつけてSaaSと言っている。そして、SaaS活用基盤構築事業も別途やっていて、そちらの方は規模も支援金額も桁が違うのだが、今回のものは、その基盤と連携したソフトウエアの開発事業を援助しようというものである。

ずいぶんと肩入れしているが、SaaSの定義というのか、どういうものがSaaSに該当するのかというのがよくわからない面もある。いまだと、Webアプリケーションなら全部当てはまるともいえないことはないので、あまり厳密に考えずに応募したらいいのかもしれない。

先日の、BPM協会のコンポーネント部会でもSaaSをテーマにして議論をした。なぜSaaSがいいのか、どういうメリットを期待して採用するのか、どんな形態があるのか、ASPとSaaSとどこが違うのか、BPMはSaaSとどう関連するのかといったことが論点になる。

SaaSの利点はコストと品質が主たるところではないのかとなった。ここでコストといった場合、従来型のパッケージをカスタマイズして使うコスト、スクラッチからプログラミングするコストから見ると確かにコストは安くなるかもしれない。ただし、コストが安くて早くつくれる技法があれば当然別の話ですよね。

例えばBPMでそこのあたりの開発がコストをかけなくてもできたら、何もSaaSで窮屈なソフトを使わなくてもすむかもしれない。あるいは、アプリケーションではなく開発プラットフォームをSaaSで提供というバリエーションの方がよいかもしれない。

それと、やはり融通性という面では制約がありそうで、自社固有要件はそれが汎用的でない限り(汎用的でないから固有なのだが)機能追加はしてくれないわけで、どこまで我慢できるかになる。

従って、BPMのSaaS化というのをどんな形でやっていくのかによっては、こうした課題を克服できる可能性がある。コンポーネント研究会だから、当然BPMSの末端にコンポーネントをぶら下げてアプリケーションを組むことをベースに検討している。そのとき、あちら側(SaaS)に何をおくのかが議論になる。一番簡単な例は、コンポーネントをサービスとして置いて、内側にあるプロセスで呼び出すという形態がもっともわかりやすい。

さらに進んで内部プロセスも含めて外部サービス化するということも考えられるが、この場合の問題は、セキュリティと継続性である。すなわち、自社の秘密情報をあちら側に置いてだいじょうぶなのかということとSaaS業者が突然やーめたと言って撤退したらどうなるのかという問題である。

そう考えるとまだまだクリアにしなくてはいけない課題があるように思える。だから、ぼくはまずはプロフェッショナルサービスと社内SaaSから始めたらどうかと言っているのである。
 

2008年4月19日

パラダイス鎖国

この言葉や著者の海部美知さんのことはご自身のブログや帯に推薦の言葉を書いた池田信夫さんや梅田望夫さんのブログで知っていたので、それほど新鮮味があるわけではない。しかし、この本「パラダイス鎖国」(アスキー新書)では、断片的なブログの記事を系統だってまとめて、そして新たな調査資料も加えているのでその言わんとしていることがよくわかる。

冒頭、この言葉が生まれた背景が書いてあって、著者が2005年に日本で夏休みを過ごしてアメリカに戻ってきたときに、(彼女はシリコンバレー在住)湧いた疑問が、「中からも外からも、つながろうとする力が弱まり、日本は孤立しつつあるのではないか?」ということで、住み心地のいい日本という国から外にでない鎖国化がおきているのではと感じたというのである。

この現象は、例えば海外旅行に行かなくなったり、海外赴任を命じられたらという質問に喜んで従うと答えた人が激減したとか、そういったことからも窺える。何かいい意味でも悪い意味でも上昇志向というものがなくなったような気もする。ぼくらのこどもの頃ってみんな一旗あげてやろうだとか、いずれは海外で活躍するんだとかいった思いを強くもっていた。そうしたことが今はないという。

日本のマーケットがそこそこ大きいのでそこだけをターゲットにしても食えていってしまうという中途半端さにより、どんどんグローバルな競争力を失っていってしまう。だって、日本は豊かですよね。餓死するやつもいないし、犯罪だって少ないし、インフラだって整っているし、ゆで蛙になってもしかたないのかもしれない。

しかし、このまま行ったらどうなってしまうのだろうか。ジャパンバッシングからジャパンパッシングになってしまって、さらにジャパンナッシングになったらどうするんだ。

今は「鎖国」だから早く「開国」しなくてはいけないのだが、著者はそのための対応策は、「多様性」にあるとしている。利害や価値観が異なるひとも全部ひっくるめて共存させて、その混沌の中から生まれる創造性に期待しようじゃないかと言っている。

それは今のウエブの世界で情報発信しているひとたち、梅田さんや池田さんもそうだが、そういう人たちの共通の意識のような気がする。

わかりやすくて読みやすく、シリコンバレーの雰囲気も出ているのでおもしろいです。
 

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2008年4月20日

SaaSはフルアウトソーシング?

再びSaaSの話。SaaSは文字通りソフトウエアをサービスとして提供し、それを使って業務システムを動かすことだが、そのソフトウエアを作る部分と運用する部分をアウトソーシングしているというふうに考えられないことはない。

企業の情報システムというのはもちろんそのライフサイクルがあって、設計・開発・運用・保守というサイクルがある。これを自社で全部やるところは少なくて、設計・開発のところはベンダーやSIerに丸投げするのもある意味アウトソーシングであるわけです。そして、運用・保守もハウジング、ホスティングときてアウトソーシングとなっているケースもある。

そう見ていくと、SaaSって別に特別なことではなく、情報システムのライフサイクルのほとんど全部をアウトソーシングしていることに他ならないのではないだろうか。

今までは、フルアウトソーシングというと、自社でハードウエアをもたないで運用をやってもらうというイメージだったけど、それはよく考えるとフルではないのだ。業務アプリケーションのところは自分たちで作ったものを運用してもらっていた。それらも入れて初めてフルアウトソーシングと言える。だから、SaaSでやっと真のフルアウトソーシングになったということなのかもしれない。

そう考えてみたのは、従来言われていたフルアウトソーシングはどうも成功したとは言いがたく、むしろ今は下火になっているように思えるからである。そんな中でまたさらに進んだフルアウトソーシングってありえるのかなあと素朴に思っているのである。

これまでのフルアウトソーシングが拡がらなかった理由は、エンドユーザの要求がアウトソーサーに届かなくなってしまったことで、ここでも“情報の非対称性によるインセンティブの歪み”がある。ユーザ要求を聞くことが決してアウトソーサーを利することにならない。そして最初はコストダウンとして始めたがだんだんとコストダウンのインセンティブがどこかに行ってしまう。

SaaSはこうしたことはだいじょうぶなのだろうか。いやSaaSはユーザ自身が必要なサービスを選んで使えばいいから、ベンダーの言いなりにはならないという意見が当然ある。ということは、SaaSを適切に活用するにはエンドユーザ部門が直接自分たちの必要なソフトウエアをもってきて使うことになる。

そうなると、情報システム部門のガバナンスが効かなくなり、シャドーITが蔓延しかねない。そうした矛盾を抱えていることをよく考えておく必要がある。やみくもにコストがかからない、すぐにやめられる(そんなに簡単に使いものにならないからやめますなんてできませんよ)、手間がかからないからといって飛びつくのはどうかと思うのである。

あくまで自分たちの手でやってみてこれはもう外に出してもいいという風にしないと、結局は高いものについたり、役に立たないものを使ったりというようになってしまうような気がする。そんな簡単に打ち出の小槌は手に入らないのだ。
 


2008年4月21日

今宵、フィッツジェラルド劇場で

ロバート・アルトマンの遺作となった作品「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を観る。アルトマン監督は「M*A*S*H」で、カンヌ国際映画祭パルムドールやアカデミー脚色賞などを受賞したが、それが1970年だからずいぶんと息が長い監督であったが、「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を撮ったあとの2006年11月に死去した。

さて、映画はミネソタ州のフィッツジェラルド劇場で30年あまり親しまれてきたラジオ番組の「プレイリー・ホーム・コンパニオン」が、最後の公開生放送の日を迎える。その日の劇場にいる出演者やスタッフの様子を描いた群像劇である。この番組は実際にあった番組でしかも司会は実際にその番組の司会をやっているギャリソン・キーラー本人が出演している。いまもこの番組は続いているそうだ。アメリカの田舎のほうってこういうカントリー音楽好きなんですよね。

ぼくはこの映画の雰囲気は好きです。老シンガーが死んでしまうのだが、「老人の死は悲劇ではない」と語らせるところなんてアルトマンの面目躍如ですね。そのあと自分も死んでしまうのだから。こうした終焉を迎えながらも単なる喪失感だけではなく、希望の火も少し感じさせる。

それにしても、メリル・ストリープはすごい。あの「プラダを着た悪魔」の編集長役とは全く違う歌手姉妹の妹役を素晴らしい演技力で演じきっている。そして、歌も披露していてそれがまたうまいのだ。これぞ名優というんだろう。

もう、アルトマンの映画が観られないとなるとさびしい気持ちになった。

今宵、フィッツジェラルド劇場で
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2008年4月22日

たけのこのこのこ

きのう元の会社のデジカメ同好会の面々と呑む。ぼくがいた頃はそんな会はなかった。ぼくがデジカメに興味があるというわけではなく、いま四日市に行ってしまった人がたまたま東京に出てきたので合流させてもらったというわけである。

写真談義にはついていけなかったが、行きつけの飲み屋のおねえちゃんの肘を題材にエロい写真をとって楽しんでいるのにはもちろん参加する。いやいやこんなことばかりしているのではなく、ちゃんとまじめな写真もとっているようです。

そんなこともあって、今朝家の庭で筍が生えているのを発見したのでデジカメでぱちり。去年も同じ時期に写真を撮っていた。毎年、筍の数が減っているように思うのだが、気のせいかもしれない。

さあ、これからたけのこごはんの季節ですね。
 
takenoko.JPG
 

2008年4月23日

ウチのシステムはなぜ使えない

時々SIerのことを書いたり、システム開発について提案したりしているところに、小飼弾さんがブログの書評でえらくほめていたこともあって「ウチのシステムはなぜ使えない」(岡嶋裕史著、光文社新書)を読む。

内容は、SE(システムエンジニア)とユーザの行き違いみたいなことについて皮肉やユーモアを交えて書いてある。主としてユーザのひとたちにシステム開発の実態を知ってもらおうという狙いのようだ。おそらく、開発の現場をよく知らないユーザの人たちにとっては面白い読み物かもしれないが、ぼくらはもう分かりきったことを単にわかりやすい言葉で丁寧に説明しているだけだと思ってしまう。

小飼弾のなんでもほめる書評は困ったものだ。書評で食っているわけでもないだろうから、もう少し辛味を効かせてもいいような気がする。献本がこなくなるといけないからなのかと穿った見方をしてしまいかねない。

ここでもユーザは何もわかっていないからだまされているみたいなトーンになっている。コンピュータ雑誌やネットも含めてほとんど嘆き節に終始しているように思える。だから、ぼくはこういう本を読んでもあまり愉快にはならない。

少なくとも、この現状からどうやって抜け出していくのか、明るい未来をどうやって作っていくのかといった前向きな提言のひとつやふたつ出してみろって。つい内輪の人間的言動になってしまうのでお許しを。

この間のパラダイス鎖国じゃないが、作り手側と使い手側のなれ合いがいつまでも続くとは思えないので、処方箋をどうするのかといった議論に早くもって行かなくてはいけないのだ。

すいません岡嶋さん、ちょっと八つ当たり気味で申し訳ありませんでした。

ウチのシステムはなぜ使えない SEとユーザの失敗学
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2008年4月24日

新入社員のとき

下の息子が今年就職して、ちょっと前に配属部署と勤務地が決まった。営業志望だったので本人はてっきり地方勤務となり、一人暮らしでテニスやゴルフを楽しむ情景が頭に刷り込まれつつあったようで、東京勤務を言いわたされたときは、うれしくもあり、残念でもあったようだ。

ぼくの新入社員時代を思い出している。ぼくが会社に入ったのが昭和47年だから36年前ということになる。おおー、もうそんなに経つのかと驚いてしまう。あまり景気がいい時代ではなかった。ぼくが入ったのは従業員500人くらいの小さな会社だったが、会社ができたばかりだったのでプロパー社員も皆若かった。それだけ、この会社を大きくしてやろうという意気込みは強かったようだ。

ぼくは、技術系だったので短期間の研修を終えるとすぐに工場に配属になった。いきなりその年に新しくできたばかりの化学プラントのシフト勤務になったのである。プラントは1年間止めないのでもちろんオペレーションは昼夜、盆正月関係無しに行う。

当時は人も少なく3班2交替という勤務形態だ。この勤務形態では、1直というのが朝7時半から夜の7時半までの12時間勤務である。2直というのがその裏番で夜の7時半から朝の7時半までの12時間の夜勤である。残りの班が明け、公休という休みになっている。明けというのは夜勤を終えて朝帰ってからその日が休みということである。これが2日続くと次のシフトに変わっていき、それを繰り返すのである。

これは正直きついですよ。1直の勤務時間が長いこともあるが、生活のリズムを保つのが大変なのだ。いつもかるい時差ぼけみたいなのだ。たとえば、明けの時帰ってすぐ寝るのか、我慢するのかでけっこう悩んだりする。

そんな生活を会社に入ってすぐに経験した。そのかわり交替勤務手当てや休日出勤手当てやらでかなりの給料を手にしてびっくりした。さすがに3班2交替はきつかったので半年ぐらいで4班3交替に移行した。それで、ぼくはその交替勤務を2年半もやったがこれはずいぶんといい経験になった。

大学出たての若造がベテランのオペレータにまじって操作するんだから、やってるほうも使っているほうも気が気ではなかった。じゃあ、手取り足取り教えてくれればいいのにまず教えてくれない。こちらも意地があるから聞かないで盗もうとする。そんなやり取りで学んでいく。みんなそうしていた時代だった。

ちょうど今週放送の「プロフェッショナル仕事の流儀」でそんな光景を見た。洋上加工船工場長ファクトリーマネージャーの吉田憲一さんという方が出ていたが、この人は30歳で船上での事故で右手を失ってしまうが、いまでも加工船に年間200日も乗り込みスケソーダラの船上加工を指揮している。この人がいみじくも言っていたのは、「教えない」ということだった。部下にあれこれ指示するのではなく考えさせることだという。

まだ、こういう世界があったのだと感心してみていた。ただ、その工場は日本人はその吉田さんだけで後は外国人ばかりなので昔の日本に似ているのかもしれない。上昇志向の強い若者たちだからである。

ぼくらの入社したての頃はこうした状況に似ていて上のひとは教えてくれないから自分で努力しないといけなかった。だから、最初のころは技術習得に時間がすごくかかるのでさっと教えてくれればいいのにと思ったものだが、苦労して覚えるとそれは確固としたものになる。

それと何より、現場ではひとりのミスが事故につながることがあるので、そこではチームワークや信頼感が大事になる。それを身にしみてわかるようになる。同じ釜の飯を食った感覚とでも言うのだろうか。

こうした学び取る姿勢と現場感はそれからの仕事にずいぶんと役に立った。今の会社でこういう経験はなかなか味わえないが、これはあとから得られるものではないので、意識して若いときに少しでも経験しておくのもいいことだと思う。
 

2008年4月25日

変化のきざしが

ぼくの元職が化学会社であった関係で今も化学会社の知り合いが多い。昨日はその化学系の会社2社に営業に出かける。

ところが最初に訪問したS社では会ったのは前から知っているひとではなく、何とBPMオフ会で会ったひとである。不思議なものである、知り合いの知り合いという関係でめぐりあうのである。

興味をもってもらったのは上流のプロセス設計の領域で、現状の受発注システムを改修したいのだが、どうやったらいいのか悩んでいるというのだ。20社くらいに使ってもらっていて、ASPとして提供しているのだが、それが各社ごとに作られてしまい、いまやスパゲッティ状態になっているとのこと。

なるほど、ぼくも以前にASP提供の仕組みを作ってやったがやはり同じような結果になった。当時は技術的にもインフラ的にも仕方なかったのだが、今それがSaaSという形で実現できるようになってきた。そのとき気をつけなくていけないのが、各社ごとに作っていってはいけないのであって、どれだけ共用・共有部分をもてるかである。そうすることによってマルチテナント化ができて開発・運用・保守の効率化が達成できる。というようなことを話して、これからこうした上流設計を一緒に検討しようと提案して別れた。

次がずいぶんと長い付き合いになるJ社を訪ねる。この会社にはSAPの導入・運用に関することなどいろいろと教えてもらった。情報システム部長だったひとが情報子会社の社長になって、その下にいたひとが部長に昇格したばかりである。いとしきり、ぼくの技法を説明し、その後その二人と新橋でまた呑みながら話す。営業に行って逆にご馳走になってしまうといういまだ営業になりきれないぼくでした。

話題は19年ぶりに情報システム部門に新入社員が入ったということから、最近のベンダーが自己保全に走っているとかといった話がでる。工事進行基準もあるが、最近は短期、あるいは単発プロジェクトの採算だけを追うために、長期的な信用関係がなくなってやりにくくなったという話になる。

また、三菱UFJ銀行を例にいまのプロジェクトマネージャも大変だねえということと、豪傑のようなプロマネがいなくなったとかいったことに話題が拡がる。

帰り際、この子会社の社長になったヒトは実はプラント制御の世界の専門家だったひとなので、プロセスといったらオペレーションとコントロールが重要だねというぼくの主張をきっちりと理解してもらったのがうれしかった。

この2社をまわっていろいろな話をして感じたのはスクラッチの開発でもだめパッケージでもだめ、じゃあどうしたらいいのだろうか、いままでのようにベンダーやSIerに投げてもだめ、さあどうしよう、ここでこれまでのモデルが変わっていくのだろうという思いが伝わってくる。

後で振り返るといまこそ変革の時だったのだなあと思うだろうということも言っていた。そう、いまそんなときがやってきたと思う。みなさん、そう感じてきている。そのときの主役はユーザであり、ユーザ系の情報子会社であるとぼくは思っている。
 

2008年4月26日

武田邦彦さんをみつけた

昨日の晩はなぜか遅くなってしまって、寝る時の睡眠薬みたいに見ているテレビをつけたらTBSでR30という番組をやっていた。国分太一と井ノ原快彦が司会をしていて、そこに環境問題の革命児として中部大学教授の武田邦彦さんが出演していた。ぼくは前からこの人に注目していてこのブログでもふれたこともあるが、テレビで見るのは初めてである。

この番組でもいつもと同じように環境問題について鋭く世間の常識を覆す発言を繰り返していた。ついつい見入っていまった。

温暖化の問題では、南極の氷が減っていくのはウソだと言う。逆に温暖化すると雪が増えて氷が増える。溶けている映像がよく出るがそれははじっこだけで、真ん中はいつも雪が降っているのだそうだ。北極の問題についてもアルキメデスの原理を持ち出して、氷が溶けても海面は上昇しないと指摘。

また森林のCO2の問題でも、森林はCO2を減らさない。というのは木はCO2を吸っても死んでしまったらそれを吐き出すわけだからCO2を減らすわけではないというのだ。

さらに、京都議定書のことだとか、ペットボトルのリサイクルについて言及していて、なるほどなあと思うことを連発する。いつものようにリサイクルは環境にやさしくないという話なんてみな驚くがおそらく武田さんの方が論理的なのである。

ところが、少し訂正しておかなくてはいけないことがある。レジ袋のことである。例によってエコバックなんか持つよりレジ袋を使った方がいいと言っているが、その理由のひとつが、レジ袋の原料がどうせ捨てられるものなのだから捨てるより使った方がいいという主張であるが、それはちょっと言い過ぎで、確かにそういうところもあったがちょっと違う。

レジ袋の原料はポリエチレンであるが、それは石油化学の原料であるナフサ(ガソリンのようなもの)というものを熱分解してできるエチレンを重合して作られる。

でここからが専門的で難しいのだが、日本の石油化学の特徴は原料にナフサというものを使っていることにある。この原料を使うと様々な成分が分解生成物として出てくる、これらをバランスよく使うことを求められるのであるが、それができないと極端な話、捨てることになる。しかし、そんなことをするとコスト高になるので何かの製品に転化するわけである。

武田教授はそこを言っているのだが、ちょっと違うのはレジ袋の元になるエチレンは“目的生産物”であるからである。だから、基本的に製造者は消費に合わせて生産する行動をとる。”目的生産物”は余ったものではないのだ。

こうした石油化学は規模の経済学が支配的だから、生産量を確保して全体のコストダウンを図るためにほとんど値段のないようなレジ袋を生産し続けているのである。

どうもわかりずらそうなのでこの話はここまでにしておきますが、やはり専門家の客観的な意見が必要であることを言いたいのである。

ただ、今の環境問題に対する議論は感情論、心情論が強く、そして政官にしてもリサイクル法などの一面的な統制経済で環境問題に対処したがるが、もうすこし経済合理性あるいはマクロ的な視点で考えていくことも必要だといつも思う。

おそらく、環境問題はそうした合理的、科学的な判断というより、イデオロギーや極論すると宗教みたいな話だから、いくら合理的、科学的な根拠を示しても、納得できない限り永遠に変わらないのかもしれない。
 

2008年4月27日

悲報

3日前に元部下だったA君が死んだ。まだ40代の働き盛りだ。

彼はぼくが東京の情報システム部のとき、四日市から転籍してきたので、7年くらい一緒に仕事をした仲間だ。ぼくが会社を辞めても毎年写真を貼った年賀状をくれる。

たまに酒を飲んだことがあったが、そのとき印象的だったのは何も食べずに酒だけ飲んでいたことだ。そんととき身体に悪いから何でもいいから食べなきゃだめだぞと言った記憶がある。それだけが原因でもないだろうがだいぶ身体を痛めつけたのではないだろうか。

なんともやるせない気分だ。

それも、路上で倒れているところを発見されたという。それを聞いたときどうしてもっと早く大きな病院へ行って診てもらわなかったのだと思うが、そんなことを言ってももう遅い。一人暮らしだから、周りでやいやい言う人がいなかったし、わりと頑固なところがあったのでこんなことになってしまった。

今は少しばかり落ち込んでいる。ただただご冥福を祈る。
 

2008年4月28日

官僚内閣制

いま話題?の高橋洋一氏が文芸春秋5月号に寄稿している。タイトルが「[官僚帝国]の反逆者と呼ばれて」で「「見えない官僚支配」を打破しない限り未来はない」という副題がついている。

高橋氏はぼくがよく見るブログの「池田信夫Blog」や「貞子ちゃんの連れ連れ日記」によく登場する人で「さらば財務省!―官僚すべてを敵にした男の告白」(講談社)を書いたひとです。

この人は無茶苦茶すごい人です。小泉内閣で竹中平蔵のブレーンとして郵政民営化を主導したのである。この郵政民営化というのは財投改革の延長として必然的に起こりえる改革であった。どういうことかというと、財投改革によって郵貯は大蔵省の手を離れて自主運用となるわけだが、ところが運用は国債だけに限定されるから利回りは劇的に低下して、いずれ破綻する。そこでそれを救える可能性があるのは民営化しかなかったのである。

というようなことが書いてある。明快でしょ。この高橋氏は、大蔵省に80年に入省しているが、東大に入学したときは理学部数学科だった。だから、理系のキャリア官僚というわけで、ご存知のように事務官が幅を利かす官僚では異端児とみなされていた。だからこそ改革ができたのかもしれない。

今のように年功序列が確固として存在し、天下りが常態化している世界では営々と築きあげた秩序を乱すことは、自分たちの権益を放棄することになる。官僚はそういう回路でものを考えていく。そこからは改革だとか変化だとかは生まれてこないのだ。

そうした官僚に支配されている内閣ではどうにもならない。高橋氏の暴露する実態を見るにつけ、日本の政官の実態にうんざりすると同時に強い危機感を持つのはぼくだけではないだろう。

そうした状況を打破するためには、今議論されている公務員制度改革を進めなくてはいけないと主張している。そのなかでも、キャリア制度の廃止が重要だと言っている。これは彼のような異端児もいてこそ活性化された組織ができるわけで、いまのように将来を約束されたキャリアに望むものはない。「全生涯の面倒をみてくれる役所こそ永遠」であるから国益より省益が優先するのである。

ここはけっこう重要なところで官庁だけに限らず大企業にも同じようなところがあり、こうした閉塞性から早く脱却しないと世界の変化についていけない。そのためにも流動的な組織、多様性をもった人材の確保が必要になっているのである。

注目の高橋洋一氏はつぎになにを仕掛けてくるのだろうか。
 

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2008年4月29日

草刈り

今日は、いい天気なので恒例の草刈り第一弾。毎年いまごろになると庭に雑草が生えてくる。山の中にある家なのでしょうがない。

でもぼくの家だけでなくばあちゃんの家の庭もやらなくてはいけないのでひと苦労だ。さらに門の外もほんとうは市がやらなくてはいけないが、真夏に1回だけくるだけだからほっておくと草ぼうぼうになる。これを全部やると相当な重労働である。

そこで、どうやったら楽にできるかを考えなくてはいけない。今日は電気バリカンと滑車のついた座る箱を用意、すわりながら2時間くらいでばあちゃんのうちの庭だけ刈る。

何回かいろいろな道具を試してみた。植木ばさみ、かま、円盤式やらナイロン糸式の草刈り機、芝刈り機などなど、だが今のが一番よさそうだ。結局、仕事をするのに道具って大事ですよね。

ああ、刈った後は気持ちがいい。でも、人間の髪の毛と一緒でまた1ヶ月か1ヶ月半で伸びてくるから散髪しなくてはいけないのだ。
 
刈る前です。タンポポをじはじめいろいろな雑草が生えています。

karumae.JPG
 
刈った後です。

kattaato.JPG
 
ああ、疲れた。

2008年4月30日

アヒルと鴨のコインロッカー

いま若者に支持されている伊坂幸太郎の本を読みたいと思って下の息子の本棚から「アヒルと鴨のコインロッカー」(創元推理文庫)を手にする。

近頃、新書ばかり読んでいたので小説は久しぶりだったので最初は読み進みが悪かったが楽しめた。“いい感じ”の小説に仕上がっている。シチュエーション設定や道具立てもよくて、バイオレンス、セックスが嫌味なく描かれていると思う。

ここのところ伊坂幸太郎の小説の映画化がされていて、この作品も昨年公開されている。確かに、映画的な意識を感じる。映画のシーンをみているように読んでいるのがわかる。

物語は、過去と現在を並行して語らせ、最後に繋がっていくという手法でそこはサスペンス風でいったい結末はどうなるのかと気を揉ませてくれる。過去の登場人物が男二人に女一人で何となく三角関係のような、これも映画でよく出てくるパターンである。そこに外国人を絡ませたことが特徴的なのであるが、それが欧米人ではなくブータン人であるところが面白い。若者の不安定さや偽悪的行動など、このあたりは昔もいまも変わらない普遍性がある。だから若者に支持されるのだろ。

小説や映画は非日常性を誇張するわけだが、巷の普通の人の青春でもいくらかの非日常性に戸惑いながら、悩みながら過ごしていく。

そんなことを考えていたら、自分の学生時代のことがふと蘇ってきた。ベトナム人学生のことである。そいつはグエン・バン・タンという名前で同じ化学科の同級生であった。サイゴンの写真館の息子でベトナム戦争の最中にやってきた。日本に来たのはいいがベトナムには帰れなくなって、卒業してどうしているのかわからなくなった。どうも今はカナダに住んでいるという噂を聞いた。会ってみたいと思う。

彼の4畳半の汚いアパートでみかん箱を机に一緒に勉強したことを今も鮮明に覚えている。そう、そんなときにボブ・ディランの「風に吹かれて」を聴いた。だから、この本にも「風に吹かれて」が重要なキーとして登場してくるので余計に自分の時代との対比をしてしまったのである。

映画的な小説だけど実際に映画にするには難しそうだな。そうどんな風に映像化したのか映画も観てみたくなった。

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