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2008年3月 アーカイブ

2008年3月 1日

OSACセミナー

昨日、“OSACフレームワーク完成!”というセミナーがあってそれに参加した。OSACというのはオープンスタンダード化支援コンソーシアムといって、三井物産戦略研究所が事務局になっていて、電子自治体の効率的かつ円滑な構築を図るために、情報システムへの標準化(オープンスタンダード)技術の採用を推進する団体である。

簡単に言うとオープンソースのソフトウエアを採用してシステム連携の基盤のフレームワークを作り、自治体で共同利用してもらい、相互連携も可能にするというもの。具体的には、UNIX、Tomcat、Apache、JBoss、MySQLといったものをパッケージにしてある。

ねらいは、特定ベンダーによるロックインの回避やコストダウンである。それらを、フライトシステムコンサルティング、野村総研、電通国際情報サービスが提供している。

ただ、ぼくは標準化というと何となく首をかしげざるを得ない。標準を決めたとたんに新しい技術ができたりする時代であるし、この例でもそうだけど、オープンソースのソフトウエアをバインドしてフレームワークを作ったらそれ自体がオープンソースの枠組みから外れてしまうと思うのだが。ひとつのベンダーにロックインされるのを嫌っておきながらひとつのフレームワークに固定化されるという自己矛盾があるような気がする。

もうちょっとゆるいものでいいはずなのだが、つい標準化という錦の御旗にいいことだと錯覚しているように思える。できればいいが、非常に難しいのであえて言っている。それよりも、アプリケーションレベルの標準化のほうが意味があるような気がする。

例えば、お役所ではバックヤード業務ってどこも同じはずなのだから、同じものでも十分であろう。そういうことを思っていたら、懇親会でセミナーで事例発表していた北九州市の方とお話することができ、そこで出てきたのが、窓口業務とそのあとの業務の性格が違うねということで、そこは作り方も違ってくるよねということであった。

すなわち、窓口では依頼者によって様々な用件があり、決まりきったプロセスでは対応しきれない。そこで決まればあとはルーティンとしてまわせると言っていた。それは、ぼくが言っている3層構造プラットフォームで実現すべきという話をした。

あと、Seaser2のひがやすおさんが動く仕様書ということでプレゼンをしていた。生でひがさんのプレゼンを聞くのは初めてだったので感激。動く仕様書というのは、仕様を紙の上に書くのではなく、すぐその場で動くものを見せてそこでコードを書き直してしまい、そしてホットデプロイができるのですぐに確認できるというもの。これもぼくが言っているFace2Face開発というのと同じで、スピードを求められる昨今、こうした開発方法は必須のような気がする。

ただ、昨日のような場でひがさんのプレゼンは出席していたひとたちは理解できたのだろうか。ちょっと場ちがいのような気がした。

OSAC標準フレームワークの中にjBPMが入っているが、自治体へのBPM導入はまだまだのように思える。まだ実績もないようだ。ただ、北九州市のひとも話していたようにBPMの出番がくると思われるので少しずつ教宣活動をすることのようだ。
 

2008年3月 2日

BPMオフ会

OSACのセミナーの後BPMオフ会に行ってきました。夜の8時からだったのでOSACの懇親会が終わってかけつけてちょうどよかった。ただし、すでに若干酔っ払い状態。

今回のオフ会はサイボウズラボのid:n_shuyoさんのFlowrについてである。どうもFlowrを知って面白そうだということでid:yojikさんやid:wkzkさんが取り上げてそこからコミュニケーションができ今回の臨時オフ会になったとのこと。こういう動きもネットコミュならではの面白さですごくいいことだと思う。

昨日は30人弱の参加で、幹事のid:GoTheDistanceさん、wkzkさん、いつものid:habuakihiroid:makotan、ToiToiさんや久しぶりのmatsuさん、それに結構初めての若い子がいっぱい。

Flowrの話はぼくにとってはかなりむずかしいのでよく理解できなかった。雰囲気としてひょっとしたらBPMのフロントやそこの連携にてきようできるかも知れない気がした。habuakihiroさんにもそんなことを言われた。中味はよくわからなかったので昨日昼飯を食いながらうちの社長にパーマリンクやらRESTfulのことを解説してもらった。

もちろんぼくのお目当てはビールパーティのほうでかなり入れ込んでしゃべってしまった。エロ爺がやたらまくしたててすいませんでした。

4月の第3回オフ会でしゃべることに正式になったようで、そのときのネタをずいぶんとばらしてしまったようで、4月はどういうプレゼンにするかよく考えてみよう。

今回、いろいろな人と話したが、shuyoさんや後から呑み会に参加してくれたTDDで有名なid:t-wadaさんと熱いトークができたので楽しかった。t-wadaさんとは同じワダだし、親子でやっているという共通点があり、気になっていた存在であった。だけど、t-wadaさんがぼくのブログを読んでいてくれて、デブサミのことについて書いた記事の続きを書いてくれと言われてしまい感激した。スイス人でOpenWFEを作ったmettorauxさんとも会話できたしもうミーハー気分。

それにしてもいつものことだが、みんな熱いわ。こんなエロ爺さんに対しても全く若いひと同士のように接してくれるのがなんともうれしいかぎりだ。

今回も幹事のwkzk、GoTheDistance両名に感謝!

2008年3月 3日

ネット渋滞

今朝の読売新聞に「接続業者の4割、「ネット渋滞」対策で通信量制限」という記事が出ていた。インターネットプロバイダー協会が調査した結果、約4割のインターネット接続業者が一部ヘビー・ユーザーの通信量を制限していたそうだ。

今は動画の視聴が増えてきていて、そのために格段にネットを流れる情報量が増加し通信速度が遅くなる現象がでてきているらしい。

つい最近もうちの回線も急に制限を受けつながりにくくなったが、これも接続業者が勝手に絞ってしまったのである。これは別に違反ではなくちゃんと約款に書いてあるので文句は言えないが何となく苦情を言いたくもなった。

新聞では定額料金制についても言及していて、大量の情報量を扱うヘビー・ユーザと一般ユーザとの公平性が問題になると指摘している。この調査で、接続業者が制限をしたり、検討している理由は「利用者間の公平性確保」が最も多かったそうだ。

うちの場合はヘビー・ユーザーだからあまり規制されるのは望まないが、これからますます動画を見る人が増えてくるのでひょっとしたら対策を打ってくるのかもしれない。しかし、有料道路だって重いものを積んでいようが軽いものしか積んでいようが同じ料金じゃないかという屁理屈も言いたくなるし、ネット利用に水をさしかねないので、そこは料金体系を変えずにキャパシティを増やす方向でやっていってもらいたいと思うのである。

2008年3月 4日

東京スポーツ映画大賞レポート

今年もまた東京スポーツ映画大賞とエンターテインメント大賞の授賞式に出かける。場所は去年と同じ赤坂プリンスホテル。映画大賞も今年で17回目ですっかり定着した感がある。

今年はほとんどの受賞者が出席していた。しかも、ほぼ全員が最後まで残っていた。昨年だと欠席者もけっこういたし、自分の賞が終わるとそそくさと帰ってしまうというシーンがあった。今年の欠席者は映画賞では北乃きいだけで、エンターテインメント賞では長井秀和、柳原可奈子、船場吉兆の湯木社長ぐらいだった。傑作だったのは、エンターテインメント大賞の特別賞にノミネートされた湯木社長が弁護士を通じて辞退の通知をしてきたことで、経営方針に反するのでもらえませんとか言っていた。

それでは、それぞれの賞についてもたけしのコメントや本人の受賞の弁を写真とともに手短にレポートします。

■外国作品賞:「ドリームガールズ」
たけしは作品のことはあまり言わないでエディ・マーフィーをほめていた。
そして、「バベル」の話になりけちょんけちょんにけなしていた。

■特別作品賞:「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」、「監督・ばんざい!」
二つの作品を比較して、自分の作新「監督・ばんざい!」は確信犯的にあほらしいものを作ったが、三池監督の「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」はまじめに作った結果、あほらしいものになったと言っていた。さらに、たけし自身はこの作品を外国でみたそうだが、日本の映画なのにセリフが全編英語であるのだが、海外ではそれに英語に字幕がついていたとチャカしていた。

■新人賞 :北乃きい「幸福な食卓」
この子は同じ名前だから選んだと冗談を放ってから、新しさのなかに古きよき時代の雰囲気も併せ持っていると賛辞を送っていた。それとくだらないバラエティに出ないで役者業をちゃんとやれと言っていた。

■助演男優賞:正名僕蔵「それでもボクはやってない」
これは意外な人選で、裁判官役は他に小日向文世と大和田獏がやっていたが、むしろ小日向文世のほうがインパクトあったと思った人が多かったのではないでしょうか。でもたけしは絶賛しいていた。そう言えば、自身のコメントでは、どういう風に演じようか悩んでいたとき、周防監督から日常を表現してくれと言われてこれだと思ったそうだ。おそらく、ふつうの人は裁判となるとある異常状況という感覚になるが、裁判官にとっては裁判は日常であるという、そういう思いに気がついたとき、どうすればいいのかが分かったのではないだろうか。

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■助演女優賞 :加藤治子「魂萌え!」
このひと85歳だという。びっくり仰天。魂萌え!でのおねだりばあさんの演技は彼女だからこそできた。もしあの品がなかったら単にいやらしいばあさんになってしまっただろうと評していた。

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■主演男優賞: オダギリジョー「東京タワー」
リリー・フランキーとオダギリジョーはかけ離れているが、見事に演じきったとこれまた絶賛。母親役の樹木希林にいじわるされただろうと言われていたが、挨拶でさかんに否定していた。もはやおしもおされぬ一級の男優になったって感じ。とにかくなんたってかっこよすぎ。

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■主演女優賞:風吹ジュン「魂萌え!」
風吹ジュンはぼくらの世代ではアイドルなのだ。一緒に行ったぼくの高校の同級生はもう感激していた。たけしはそんな風吹ジュンが一皮向けた作品であったと評価していた。作品自体はほめていなかったが、今陽子とか清水弓子や加藤治子も含めて女優陣が引っ張っていたと言っていた。
坂本順治監督から花束をもらう風吹ジュン。

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■監督賞:周防正行「それでもボクはやってない」
たけしのコメントは、これだけきちんと取材をして、練ってちゃんと映画つくりができる人はいない。教科書のような作り方ができるとほめていた。
おもしろかったのは、正名僕蔵のことに言及して、彼を選んでくれたことをすごく感謝していた。正名は以前「歌謡曲だよ、人生は」という映画でオカマ役で出ていたところを周防監督が抜擢したのだそうで、ついにオカマから裁判官まで演じられる幅広い役者になったといって笑わせていた。あと、奥さんの草刈民代も来ていた。

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■監督・ばんざい!賞: ビートたけし、石橋冠「点と線」
テレビドラマで映画賞というのもなんなのですが、ぼくも見たけど二日間に渡っていながら視聴率も20数%をキープしたそうで、久方ぶりの重厚なテレビドラマであったと思う。まあ、たけし主演だからなにだけどテレビも安易なバラエティだけではなくこうしたドラマにも力を入れて欲しい。

続いて、エンターテインメント大賞です。

■カムバック賞 : 長井秀和
長井秀和がなぜカムバック賞なのかさっぱりわからなかったら、どうもフィリピンで不詳事を起こして、いまアメリカで修業しているらしい。それで本人がビデオでコメントをしてきたのだが、これがおもしろくもなんともないトークで、たけしもこれじゃだめだから早く日本に帰って来いと言っていた。ところで彼の所属する事務所は大田光の奥さんがやっているんですね。その人が登壇してコメントを言っていたが、それが“頭が真っ白です”という船場吉兆の女社長の真似をしたのだが、ぜんぜん受けなかった。太田光が絶対そう言えと仕込んだらしい。

■特別賞 : 船場吉兆・湯木佐知子社長、姫井由美子参院議員
その湯木社長が辞退したという特別賞に、あの姫井議員も選ばれたのだが、この人は出席した。よく出てきたものだ、たけしもその隠さないところがエライとほめていた。まあ、「姫の告白」という本の宣伝を兼ねてでしょうけど。この賞のプレゼンテーターとして東国原宮城県知事が登場した。相変わらず宮崎県のPR。

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■日本芸能大賞:タカアンドトシ、楳図かずお、ムーディ勝山
この中になぜ楳図かずおがはいっているのかわからないが、かれのスピーチを聞いたらこりゃ芸能人だ。あとの芸人さんはネタをやらされていた。こういう場でネタを披露するのってすごく難しいのであって、ムーディは完全に外してしまった。それにくらべると、タカトシはそな雰囲気でも笑いをとっていた。たけしも関西弁でないしゃべりでテンポよくやれるのは素晴らしいとほめていた。

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■話題賞 :松本人志
これはすごいことですよ、たけしと松っちゃんのツーショットというのは。これは映画賞ではないので「大日本人」のことは少しだけで、けっこう細かいところのこだわりを評価していた。ただ映画でやることではないのかもということも同時に言っていた。たけしは、みんながほめるようなものは避けるところがあったり、実験的な試みを理解するという癖があるので、松本人志にもエールを送っていた。確かに、あの映画はこけたけどそれに懲りずにこれからも映画を撮ってもらいたいと思うのはたけしだけではなくぼくもそう思う。松っちゃんが神妙な顔をしていたのは言うまでもない。

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2008年3月 5日

中小企業の情報化

昨日はITC(ITコーディネータ)協会のトップの方と意見交換をした。協会のHPによれば「ITコーディネータは、経営とITの両面に精通し、企業経営に最適なIT投資を支援・推進することができるプロフェッショナル。」となっている。2001年に設立されて、毎年試験によりITCが誕生していて、もう全国で7000名くらいになっているようだ。

ただ昨日もお話を聞いていて、ほんとうにITCが活躍できているかというと疑問なところがあって、掛け声どおりにはなかなかいっていないようだ。

その理由は何なのだろうか。そのときにもぼくが言ったのだけれど、ITCの方がたが現場で中小企業の経営者とやり合うときの武器を持っていない、いい話し合いの場となるツールがないのだ。特にIT関連ツールで、経営分析をしましたまではいいのだが、では実際にすぐに使えるITを提示できているかというとそれができていない。成熟度診断はツールがあってそれでやれるのだが、そのあとに続かない。

ITというとどうしてもインフラからプログラミングみたいなことまで含めて非常に広範な技術要素を含んでいるのでひとりで全部わかっている人はいないので、何か相談がくると4、5人でチームを組んで行く。そうすると、中小企業のおっちゃんはびっくりしてうちにはそんなお金がないからEXCELでやるからもういいやとなる。

ここのところの考え方を全く変えていかないといけないというようなことを話した。簡単に言えば、ITCのところで情報システムを作るということはやめなければいけない。情報システムを作るのではなく、ビジネスを作るという風にすることが大事なのである。

お客さんのところに行って一緒になってそこの会社のビジネスの実相を可視化して、どうしたらいいのかを考えるということである。そのための道具立てを彼らにしてやることが重要で、だからコードを意識したり、システム機能がどうのこうのといったところから解放してやるのだ。そうすれば、ひとりでも経営者とやりあうこともできる。

昨日はそのためのソリューションということで先日セミナで発表した「BPWeb2.0」の話をした。かなり理解していただいたようで検討してもらうことになった。

ところで、他にもいろいろおもしろい話を聞いた。ITCは地方の中小企業との接点となっているので、そうした中小企業の悩みをもろに受けているところがあって、そこでよくあるのが2代目社長の悩みである。

どういうことかというと、創業者の父親は会社のことは何でも知っているが、IT化されずほとんどが自分の頭の中にあるのでよく見えない。一方、若い従業員も増えてきていいて、その子らは携帯も含めITを使って育っているので、会社でなぜITを使わないのかという不満がでるという。そこをなんとか結びつける、融合させる方法はないかと模索している2代目社長が多いのだと言っていた。

いま世の中はどんどん多様化しているが、そこでは一律の考えややり方で縛れなくなってくるわけで、多様化が進むと孤立化も起きてくる。ですから、多様化すればするほど多様化されたセグメント同士の境界に溝ができないようつなぎとめておくことが大事になる。それはある種のマッシュアップという考え方に近いと思う。以前にも指摘したが、今後、こうした境界領域での融合アーキテクチャの重要性が増していくものと思う。
 

2008年3月 6日

早春の富士と梅三種

少しずつ春めいてきて気分もあったかくなってきましたね。
まだまだ真っ白な富士山がきれいに見えます。
庭には三種の梅が競って咲いています。

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2008年3月 7日

責任範囲とプロジェクト規模

昨日は、日本BPM協会の第6回BPM―J交流会に行ってきました。出席通知をするのを忘れていて、満席締め切りの中、急遽事務局に頼んでねじ込んでもらう。なおかつ、懇親会もむりやり潜入する。昨日の講演はオリンパスの石橋さんの「オリンパス修理サービス改革事例」とNECソフトの貞金さんの「学術情報サービスのプロセス改革事例」。両方とも事例なのですごく参考になる。

オリンパスの石橋さんは実は初対面でしたが、間接的によく知っている人で懇親会では共通項について話が進み盛り上がった。オリンパスの修理サービスの話は以前からよく知っていたが、あらためてうなずくことが多いプレゼンであった。こういう人がBPM協会に入ってきてくれるといいんだが。

石橋さんは、特にERPの導入をベンダーの力を借りずに導入した人で、ユーザ視点の発想がある貴重な存在である。結局言わんとしているところは、ベンダー丸投げはユーザ企業の責任放棄であるという言葉。

すごくよくわかるが、これが非常に難しく、じゃあ責任を持つべき人が誰なんだということ、そしてその人がこうした意識を持ち得るかということが大きな問題なのである。これは責任の所在という問題で、現実的には会社なのか、事業部なのか、もっと小さな単位なのかが重要となる。範囲が大きくなればなるほどITの理解が深まらないから、どうしてもリスクヘッジに走るわけで、そのスコープをどこまでにするかでそのプロジェクトの自立性が左右される。

オリンパスは、昨日話されたプロジェクトは成功したが、逆に失敗したプロジェクトもあるということで、成功要因のひとつにプロジェクト規模ということを強調されていた。具体的には30人くらいまでのプロジェクトに収めるべきだと言っていた。

そこで感じたのは、ビッグバンで全社システムを導入というようなプロジェクトがけっこうあるが、それは大変難しい舵取りが必要で失敗する例も出る。(今朝のニュースでスルガ銀行が基幹システムの開発の遅れでIBMを提訴したと出ていた。)
ですから、そう大きくないスコープで漸次拡げていくアプローチが有効のような気がする。そうなんですね、そういうことを可能にしたのが「BPM on SOA」なのです。
 

2008年3月 8日

日本画家のホームページ

ずっと懸案になっていた日本画家坂本武典さんのホームページがついに運用開始です。

昨日は社長と二人で熱海の武典さんの家に行って、ブログの書き方や編集のし方などを教えてきた。自宅から車で湘南の海岸沿いを通ってドライブ。天気もよかったので気持ちよかった。途中社長が会社が大きくなったら熱海にオフィスもちたいねと言った。最近はてなも京都に行ったし、何も東京に拠点を持つ必要はないわけで、東京まで新幹線ですぐなので熱海という選択肢はありだなと思う。

武典さんの家に着いたら1時ちょっと前だったので近くで昼飯を食べようと思ったら、最近開店したおかあさんがやっているお店でランチをご馳走になってしまった。手作りだとおっしゃっていたがこれがすごくおいしくて二人で大満足。

武典さんは画家ですが、文章も上手でブログも楽しいものになると思いますので、ぜひアクセスしてみてください。さっそく記事が投稿されていました。

その日は夕方からいまやっているプロジェクトの進め方について、そこに参加している会社の社長と打ち合わせがあったので、熱海から電車で東京へ行く。そのあと呑んだので遅くなって家に帰る。今週は出かけることが多くお疲れモード。今日もこれから学生時代の友達の7回忌にいかなくてはいけない。
 

2008年3月 9日

故人の偲び方

故人を偲ぶと言う。亡くなった人をあとからなつかしがったり、こんなこともあったよねと思い出すことである。しかし、死んでしまった人は自分がどう偲ばれているのか知ることはできない。だから、故人を偲ぶのは生きている人のためにあるものだ。その偲び方について考えさせられることがあった。

ぼくの大学時代の同級生で同じサッカー部ですごく濃い付き合いをしたやつが、ちょうど6年前の3月8日に多発性骨髄腫で50歳ちょっとという若さでこの世を去った。あまりにも早い死であり衝撃であった。

身体を壊しているというのは聞いていたが、病名や深刻度がわからないままでいたら、もう余命いくばくもないというのを同じサッカー部の同期がみなに知らせてくれて、とにかく集まろうということで同期たちが急遽夏の暑い日、渋谷の「長崎」という皿うどんの店に集合した。

この店はその死んだやつが学生のころからよく行っていたところで、ぼくも時々行ったことがあって、店と同じ棟にある、集まろうと知らせてくれた同期のやつの家で麻雀をして、終わるとそこでよく皿うどんを食べたところである。急遽集まったのが死ぬ半年前である。そのときのうれしそうな顔が今でも目に浮かぶ。

で、昨日は元の会社の同僚の人たちも来てくれて15人くらでその同じ「長崎」で皿うどんを食べながら7回忌を行なったのである。

死んだ彼の奥さんにいつも感心させられるのだが、昨日も彼の子ども時代の写真をみんなに見せたり、その気使いも敬服する。そして、引き出物をいただいたがその中に奥さんが書いた故人を偲ぶ文章とある本が添えられていた。胸を打つもものがあるので紹介したいと思う。

クリスチャンでもない私ですが・・・・ 「病気になったら」の詩に出逢い、この本を手にすることになったのが2000年“多発性骨髄腫”という耳慣れない病と闘う日々が始まった年です。   あれから21ヶ月・・・・・(入院・退院 一年後に再入院) みんなに「ありがとう」と声かけて 旅立った○○さん 病室はいつも穏やかな空気に包まれ まるで自宅の居間のよう 毎日通う高尾へのドライブは 別荘に向かう心持ちでした。 看護師さんたちも「この部屋に来ると、ほっとする 」と 時々 一息つきに立ち寄ってくれましたっけ・・・

末っ子でみんなに可愛がられた幼少期・勉学にサッカーに麻雀にしっかり楽しんだ青春期
やりがいのある仕事に出会い、持てる力を十分に発揮させて頂けた幸せ者の壮年期
短い人生ではあったけれど、深く豊かに生き切った○○さん
 
早くに かけがえのない存在を失ってしまったことは、どうにも埋めることのできない
不運には違いないけれど、不幸ではないと思うのです。

濃縮還元ジュースのように、共に歩いた人生をずーっと愉しみながら味わっています。
 
見守って下さる沢山の心友の方々や いっぱいの思い出・・・・
それらの宝物を残してくれた○○さんに感謝しながら。

                        しみじみ教徒

ここに出てくる「病気になったら」という詩や「しみじみ教徒」という言葉は、一緒にいただいた「だいじょうぶだよ」(晴佐久昌英著 女子サンパウロ会)という本にあります。

これだけ夫のことを愛していたということに感動しますよね。こんなやさしい奥さんに看取られて死んでいた友も幸せだったに違いない。

そんなわけで昨日は自分が死んだ時のことを考えてしまった。こんな風に偲んでくれるのだろうか、すぐに忘れられてしまうのだろうか。もう一方で残された家族のこれからの人生を考えると忘れてもらいたいこともあるのではないかとも考えてしまう。

もらった本を帰りの電車のなかで読みながらそんなことを思った。昼の酒も効いてぼーっとなりながら、家についたら嫁さんが「あーら、もう帰ってきたの」と言いながら引き出物のお菓子を取り上げられてしまった。“しみじみ”とおれはどうなるのかとふと溜息をついたのであります。
 

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2008年3月10日

要件定義ということ

前に、デブサミの感想で怒ったので、そのことに関連して続きを。業務システム開発というとまずはユーザから要件ヒアリングをして、それをどう実現するのかとか考えるわけです。

それできっとシステム屋さんは、「あいつらシステムのことをぜんぜんわかってないよな」とか、「コンピュータができることは決まっているのに無理なこと言うなよな」とか「それでいいと言っておきながらできてから変えるなよな」とかとかの嘆き節を奏でているような気がする。

ぬぬ、ちょっと待ってよ、誰が主役よということなのです。使ってもらえない、あるいは使う価値のないものを提供してもしょうがないのだ。

ユーザの要件をどうやって獲得するかというのが問題という。そのための要求開発だととか、ゴール分析だとか、そうそう要求工学っていうのもある。

ところが、そういった類のものをみるにつけ、何だか違うような気がするのはぼくだけだろうか。その感覚というのは、“おお、まえらユーザをバカにしていないか”ということである。

ユーザはシステムのことを知らないから(アホまでとは言わないけど)、オレたちがオマエらの仕事を分析して要件を引出してあげるよと言っているように感じる。ホントにそうだろうか?ぼくはそのスタンスが違うように思える。そもそもコンピュータシステムを作るわけではないのであって、業務システムを作るのである。

ちょっと脱線するが、みんなシステム開発って同じだと思っているけど、違っていて、いちばん分かりやすいのは、システムプロダクト(ソフトウエア)と業務アプリケーションは違うわけで、そこをちゃんと理解しておかないとシステム屋のおごりにつながる。

そもそもコンピュータシステムを作ることが最終目的でも何でもなくて、自分たちのビジネスを作りたいと思っているわけです。ビジネスそのものをITで表現したいのです。それって、ベンダーやSIerの人はわかっているのでしょうか。たぶんわかっていないのではないでしょうか。というより、わかったら自分たちのビジネスモデルが崩れるから思いたくないと言ったほうが正確かもしれません。

ですから、いままでのようなスタンスだとみなさんの利害関係をWin-Win化するモデルはないのです。ということは、モデルを変えていくしかないのであって、そのためにはシステムプロダクトを作る工程と業務アプリを作る工程を分けて考える必要があるというのがまず僕が主張する考え方です。
 

2008年3月11日

ソフト産業は自動車産業か?

昨日の記事でシステム作りのモデルを変えていかなくてはいけないと言ったが、これは、何日か前に、はぶあきひろさんがブログで「黒船の大砲がソフト業界に構造改革を迫る:田中克己の針路IT:ITpro」についてコメントしていることにも関係していて、日経BPの田中克己さんの言う“ソフト産業も自動車のような産業構造に変革せよ”みたいな論調に、はぶさんがちょっとした違和感を覚えているが、それと全く同じかどうかはわからないがぼくも違和感がある。

自分でも以前からシステムプロダクトを作る工程と業務アプリを作る工程を分けて考える必要があると言っているように、「分業化と専門特化が工業化のキーポイント」と思っているので、「マフラーだけを作るソフト部品会社、タイヤだけを作るソフト部品会社と、システムインテグレータと呼ぶシステム組み立て会社に分業化することで、 インテグレータはソフト部品会社から調達した部品を組み合わせてシステムを構築する」というのもわかるのだけど、“自動車のようにはいかないよね”というのがぼくの考えである。

なぜって、できあがった業務システムと自動車とは同じですか?もしそうだとしたら、大企業がベンツに乗って中小企業は軽自動車に乗ればいいのですか?

違うよね。システムって自動車の使い方まで含めて考えなければいけない。トヨタが車の乗り方、使い方まで教えてくれるの?

だから、ソフト産業は独自のモデルが要るわけで、そこのところをしっかり考えないで、日本は自動車産業が強いからまねすればいいという話じゃない。乱暴な言い方をすると自動車産業なんてその業務プロセスは簡単でしょ。トヨタなんか4輪自動車しか作っていないんですよ。

ちょっと脱線したけれど、システム産業は導入する企業の複雑性をも呑み込んだシステム構築を行なうわけだから、すごく難しいモデルになるのだ。だからこれまでも何度も工業化とか言われてきたのに実現できていない。

いまこそ、課題を提示しあうのではなく具体的な回答を用意しなくてはいけない時代になった。
 

2008年3月12日

BPMに対するサッカー的一考察

このブログではBPM(Business Process Management)とサッカーの話がよく出てきますが、大胆にもこれらをくっつけてみたらどうかという話である。

BPMという概念が出てきてシステムの構造化が進んだと思っているが、そのBPMはプロセスを表現していて、業務システムの骨格を形成している。フロントエンドのユーザインターフェースのところと、バックエンドの基幹システムとの間でそれらの橋渡しをしているミドルエンドシステムであると考えられる。

ということは、サッカーでいうミッドフィルダーと同じではないのかという仮説を立ててみた。そうなると、さしづめフロントのところがフォワードで基幹はディフェンダーになる。じゃあキーパーはどうなるんだ。監査とかコンプライアンスかもしれない。

これはあながち荒唐無稽な話ではなく、何となく似ているような気もしてくる。フォワードって決められたようにプレーしていたら点なんか取れないわけで、もちろん基本的なところはある決め事はあるんだけど最後は個人のアイディアだとかテクニックだったりで、相手守備陣を切り崩して得点する。だからかなり自由さや臨機応変さが要求される。

一方、ディフェンダーは、むしろ堅実で安全なプレーが要求される。バックスが守備でトリッキーなことをしたらえらいことになるから確実にやること、そして組織的な動きが大事になってくる。システムでは、基幹業務システムはまさにきちんとした正しい処理をしなくってはいけないのでディフェンダーの役割によく似ている。

さて、ミッドフィルダーである。最近のサッカーではこの中盤の重要性がますます増しているようだ。昔のサッカーはけっこう中盤を省略したゲーム運びも見られて、頑強なセンターフォワード、足の速いウィングめがけて、だいたいのところに球をけりこむ式サッカーがあった。また、こどものサッカー(こどもに限らず、レベルの低いおとなのサッカーも)にも中抜きが多い。

このミッドフィルダーの役目をBPNMが担っているように思える。フォワードであるフロント業務とディフェンダーである基幹業務をつないでいるのである。ミッドフィルダーはパス交換により自陣から敵陣に入り、フォワードにラストパスを送る。これは得点をあげるためのプロセスなのである。サッカーもこのプロセスがうまく形づくられたら得点を入れられる確率が高くなる。

ということは企業においてもプロセスをきれいに作ってスムーズなパス回しから新規顧客を獲得するとか、売上を拡大するとかをめざすべきなのだ。

おお、なんとうまくあてはまるのだ。というか、サッカーそのものがビジネスの縮図として見れないことはないということだと思う。言いかえれば、サッカーの監督は社長とか事業部長といった立場とも言える。

サッカーゲームで自分の好きなチームを作れるというのがあるが、ぼくは以前このゲームを社員教育に使ったらどうかと半分冗談で本気半分で提案したことがあるが、これをやらせると、攻撃的な子とか守備的な子とか、スター選手ばかりを集めようとするとかいろいろな意味で性格や考え方がでると思う。面白いと思いませんか。

話はちょっとそれてしまったが、このミッドレンジの重要性、プロセスの有効性がサッカーを見ているとよくわかるという話なのである。

この間のJリーグの開幕戦でレッズがマリノスに負けたのはこのことなのです。レッズがエジミウソン、高原という二枚看板で臨んだが、1点先取され、さらに永井と田中達也を投入し、さらに相手が10人になっても追いつけなかったのは、中盤でプロセスを形成できなかった、する選手がいなかったことに起因している。やみくもに昔のサッカー、ガキのサッカーをやったところで勝つことはできないのである。

ちゃんとプロセスをつくり、それをコントロールしましょうよというのが業務システムでもサッカーでも重要なのである。

2008年3月13日

日本の行く道

またずいぶんと仰々しいタイトルだ。この「日本の行く道」(集英社新書)を書いたのは橋本治である。ぼくと同い年なのでこの本に書いてあることは“わかる”。ただし、どうして橋本治の本はすらすら読めないのか不思議だ。決して難解な言葉でもないのに。

以前に読んだ「上司は思いつきでものを言う」もそうだった。どうも広範な知識で論を展開していくから、頭のなかで整理がつかないのだ。ぼくの頭はそんなに多角的にできているわけではないのでつらいのだ。

この本でまず言っているのは、世界を産業革命前に戻せばいいということ。例えば地球温暖化の問題にしたって、産業革命によって二酸化炭素を排出するエネルギーが大量に使われ出しので、そうしたらそれ以前の人力やら馬力の世界に戻せば解決するというわけだ。でもそれではちょいと行きすぎだから、1960年代前半に世界を戻せばいいと言っている。

この1960年代前半というのは、日本では昭和30年代から40年に変わったときで。その変わり目の象徴が東京オリンピックなのである。そして、団塊の世代が受験戦争に突入した年でもある。そういえば今から考えるとあの頃からいろんなことが変わり始めたような気もする。でもわれわれ団塊の世代がみんな悪いみたいないわれ方はやめて欲しいよな。

それはさておき、著者はさらに徳川三百年の地方制度を参考にせよと言っている。「中央集権的でありながら日本全国を平均的に栄えさせる」というもので、廃藩置県の逆である廃県置藩てなことをしたらと言っている。

それで最後に冒頭のぼくの感じたことに対する答えが載っている。引用してみる。

「日本は、未来を考える選択肢の検討を、とんでもなく長いスパンで可能に出来る国なんだ」と思うと、私はただ「日本に生まれた日本人でよかった」なのです―― そういう「人とは逆の考え方」をする人間なので、この本は平然と、「長く膨大にして、ややこしくかつ広範な本」になっています。これを全部頭に入れるのは、きっと大変なことでしょうが、それは私のせいじゃありません。「選択に関する豊かな可能性を有している日本という国のあり方のせい」です。

うーん、何となくわかったような気分になったがどうだろう。ただ、こうした視点で今の世の中を見ることは大切であることは伝わってくる。
 

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2008年3月14日

公証役場

生まれて初めて公証役場というところに行ってきた。

ばあちゃんが土地をある建設会社の土砂置き場に貸していて、その賃貸借契約を2年ごとにやっていが、今月がその更新時期にあたっていた。いつもはその建設会社の人が車で迎えにきてくれるので、ばあちゃんも行けたのだが、最近「もうわたしゃ行くのが億劫だから、おまえ行ってきておくれ」ということで、急遽委任状を書いて代理として行ったのである。

公証役場ってもっと大きな建物でりっぱなところかと思っていたら、どこにあるのかわからないくらい地味にあった。ドアを開けると受付の女の人が二人いて、彼女らが事務処理を行なう。その親玉みたいなおじさんがひとりいて、書類のチェックや印紙の管理などをやっている。それに公証人がふたり、パーテーションで区切られたところに座っている。こんな感じのところです。

まず、証書を渡されたのでそのまましまったら、しばらくして「お読みになりましたか?」と聞かれ、そうか読んで内容を確認しろということだったのかと思い、あわてて読む。そのあと、公証人の人のところに行って、署名、捺印をして、公証人のひとが筆でサインして終わりです。

費用は印紙代を含めて5万円強だったが、建設会社の人が請求書くださいと言ったら、請求書は発行しません、ここは現金だけですと言われ唖然とする。結局、その人はお金を会社に取りに行った。

ここでいったい公証人というのはどんなひとなのだろうかという疑問がわく。Wikipediaで調べみた。

公証人は、30年以上の実務経験を有する法律家の中から法務大臣が任命する公務員で、70歳まで勤務することができるため裁判官、検察官および法務省を退職した後に就くことが多い。 国家から俸給を得るのではなく、依頼人から受け取る手数料が収入源の独立採算制である。当然、扱い件数の多い東京や大阪などの大都市では、年収3,000万円を超える公証人も多数存在する。

ということは今日の公証人は元裁判官か?ええー、そんな風にはぜんぜん見えなかったけど。そのひとが印紙に割印を押すように言うのを忘れていたのでこちらで指摘すると、「これは割印がなくても成立するんですよ。ただ確認のために押すんですから」とわけのわからないことをぶつぶつ言っていた。あそうか、そういうことを言うのが法律家なんですね。
 

2008年3月15日

そばと銀河

昨日は、呑み歩き隊のそば例会。場所は、築地の「さらしな乃里」。今、週に2回ほど築地のある会社に通っているので、その近くということで選ぶ。あいにくの雨だったが早めに到着してひとりで先に呑みだす。こここでのお気に入りの鳥わさとあさりのぬたを食べながら呑んでいるとみな順次到着する。

それぞれの近況を話し、恒例のIさんの変態ばなしがあって、それから話題は、「銀河」のことになった。メンバーにこてこての”鉄っちゃん”おじさんがいるので自然とその方向に行く。

「銀河」というのは東京-大阪間の寝台特急のことである。いわゆるブルートレインというやつである。それが昨日がラストランであった。1949年がスタートだということだから約60年走り続けたことになる。ぼくも学生の頃乗ったことがあるが、夜遅く出て朝早く着くので宿代と時間が節約できるのでうれしかった。最近は利用者がぐっと減ってしまって、このたびのダイヤ改正でその姿が消えてしまった。

東京駅に行って見送るほどではないが、なんとなくこういうものがなくなっていくのはさびしいものだ。また昭和のひとつが消えていった。

そば屋のあとは築地なので魚で2次会。また呑み過ぎた。
 

2008年3月16日

松ヶ根乱射事件

リンダリンダの山下敦弘監督作品だが、すばらしいできだと思う。日常の中の異常性を何気なく描く、そしてディテ-ルがいい。のっけから子どもが女の死体をまさぐるシーンでびっくりさせられた。そこでもうやられたとガツーンと来た。

田舎の都市で警官と適当にやっている双子の兄弟を中心にその家族が織り成すドラマなのだが、彼らがまたぎりぎりでバランスを取った生活をしている。親父なんかは家を出て愛人宅にいってしまったのに、母親はあまり強く言わないとか、認知症のじいさんが重石になっているという風に、みんなやっと日常を送っている。

そんなところに外乱が入るとどうなるか。ひき逃げされて生き返った女とヤクザみたいな男が登場するとその微妙なバランスが崩れていく。

この男を木村祐一、女を川越美和が演じているんだけど、この二人がリアルな人物のようでそうでもなさそうに描かれている。女はひき逃げされるのだが、仮死状態で警察に運ばれ、死体として処理されるが、生き返るのである。男はアイスピックで胸を刺されるのだが、抜くと死ぬといってそのままにして、後で死んでいないことを暗示させるシーンが出てくる。

おそらく山下監督はこの田舎町の日常に静かな水面に石をなげるように、架空の男女を放り込んでみたらその波紋がどう広がるのだろうかということを描いたのだと思う。

これもまたやられた。

この若い監督の仕掛けはすごい。そして、1990年半ばの時代設定に対してその雰囲気やファッションもきちんと合わせてくるし、感心させられる。

これからどんな作品を作っていくのか期待をこめて注目していこう。

松ヶ根乱射事件
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2008年3月17日

内部統制の熱気

金融商品取引法が2006年6月に成立し、2009年3月期の決算から、上場企業に内部統制報告書の提出・公認会計士によるチェックが義務付けられた。いわゆる内部統制、J-SOX法である。

しかし、この内部統制について、ひところの熱気がない。IT業界はちょっと前まではそれこそ第二のY2K(2000年問題)かと色めきたったが、今は静かになってしまった。

そうなんですね。何をしなくてはいけないかもはっきりしないし、すぐにIT化するっていうことでもないし、要するに具体的にどうなるかがあいまいなのである。

結局各社様子見というのが多いのではないでしょうか。とりあえず最低限のことをやっておいて、何か指摘されたらそのときに直すというフィードバック的対応が賢いと気づいているようなのです。

ただ、それはそれでいいのであるが、そのあとに必ず実質的な内部統制の仕掛けが必要になってくる。そのとき、強制的なものではなく自発的で実効性のあるものが望まれるはずだ。基本は自分たちの業務プロセスが効率的で信頼性のあるものであり、会社のリソースが保全されていることである。

ですから。こうしたことを行なうには情報システムの対応も当然大事になってくるわけで、ぼくらがいまやっているBPMがそこをカバーすると考えている。

業務プロセスの可視化です。プロセスが見えていなければ統制も何もできない。皆さんすぐに承認ルートをちゃんとして、文書で記録してとかは言うのですが、プロセスをコントロールするという概念が乏しいような気がします。BPMの良さはそこのところです。業務の流れをモニタリングしてそれをコントロールする機能が有効なのである。

ではこの場合の制御対象は何でしょうか。ぼくは、「意思決定の質」と「処理時間」だと思っている。
 

2008年3月18日

若い経営者

息子(社長)の友達にBPM(Business Process management)に興味がある社長がいるので会いたいということになり昨日東京駅の近くのうどん屋で会った。

「フオジンジャパン」という会社のみよしクンとつるクンである。あとから「おもろき」のかまたクンも来たので、社長と同い年26歳の会社経営者のそろい踏みであった。

「フオジンジャパン」という会社は、海外への業務移管やアウトソーシングを検討している企業向けに、各種の支援サービスを提供していて、今は中国の大連を根拠地として主にIT企業の事務処理のオフショア業務処理をやっています。

みよしクンは大学卒業とともに起業していて、つるクンにいたってはまだ大学院の博士課程の学生である。みな慶応大学の卒業生でつるクンが理工学部だが、他の子はSFCである。

前の日にTBSの「情熱大陸」で同じSFC出身の山口絵理子というバッグデザイナーが登場していたが、彼女はうちの社長と同じクラスだったという。みんなすごいなあ。そうぼくらの若いときのように安定した大企業への就職へのこだわりなんか何にもない。そして、日本だけでものを考えていない。輝いています。

BPMの話にいく前にいきなり四日市ばなしで盛り上がる。ぼくが、昔三重県の四日市で働いていたことを話したら、なんとふたりとも四日市に住んでいたというではないか。うちの社長も小学校4年生まで四日市で育ったのでびっくりして、世の中ほんとに狭いなあということに。

そのなかのおもしろい話を。うちの社長が小さいときコンビナートの煙突から煙がもくもくと出ているのを見て、空の雲はこうやってできるものだと思ったと言ったら、つるクンがぼくもそう思っていたということになって大笑いになった。

でBPMの話であるが、業務をオフショアにもっていくとき、まずやらなくてはいけないのは現状業務の洗い出しなのだが、相手が中小企業なので自社の業務プロセスが見えていないことが多いのだそうだ。

だから、プロセスを切り出してどうのという前に現状のプロセスの整理からやらなくてはいけなくなる。そんなことをやってもそれが成約に結びつくかは分からないわけで、効率がよくないというような悩みを言っていた。

そこで、ぼくが今やっているBPMSを使って業務プロセスを設計する方法について紹介をした。ちょうど、PCも持っていたので簡単なデモもしてあげたら、けっこう理解してくれて興味をもってもらえた。

結局、何度も言っていることなんだけど、業務プロセスの可視化とか見える化といっても、現場でそれができる道具がなければ、目の前に魚が泳いでいても釣竿とえさがなければつかまえられないのと一緒で、単なる評論家のたわごとにしかならないのである。

まあ、そんなことを話したのだが、ぼくのおしゃべりを熱心に聞いてくれてうれしかった。これからも協力することを約して分かれたのだが、こうした若い人と話すとなんと刺激的なのだろうか。

少なくとも、ぼくらがよく言ってしまう“まあいいや”とか“しょうがないや”といった言葉は絶対出てこないし、前をしっかり見つめている。この歳になっても、“おれもいっちょやったるか”という気持ちになった楽しい夜であった。

帰りの電車でかまチャンのとった「おせっかいプレー」におもわずわろてしまい帰路についたのであります。
 


2008年3月19日

お彼岸

今日はお彼岸に入って3日目で平日でありながら家族が全員揃ったのでばあちゃんを連れてお墓参りにいく。当家のお墓は鎌倉の材木座にある妙長寺という法華経のお寺にあります。お昼ころ車ででかける。比較的近いし、混んでいなかったので20分くらいで着く。

妙長寺は工事中だった庫裏も新装され、ますます立派なお寺に変貌した。以前の寂れた感じの寺から様変わりだ。前の住職ガどうも競輪に溺れて寺のほうにお金を回さなかったようで荒れたままだったのをパージして、新しい住職の下本堂から全部建て替えてきれいにしたのだ。

お参りのあとは、海岸を通ってプリンスホテルで食事しようと車を走らせたが、急遽、坂ノ下のちょっと先にあるパークホテルの「甲羅」というレストランに変更。この店は一度も入った事がないので、とりあえず偵察に寄ったところ、よさそうなので速攻で決める。

店の名前のとおり、かに料理が主体であるが、いろいろなパターンの料理やコースがあって、どれにしようか迷ってしまう。結局わが家は全員”かに釜飯御膳”、ばあちゃんが”桜会席”とかいうようなものを注文。かに好きには満足いくものである。ばあちゃんはおいしいものが少しずつ食べられると喜んでいた。

下の息子が今月末から就職でばあちゃんにそのお祝いももらったのでお返しも兼ねての食事で二人で久しぶりの会話を楽しんでいた。

その後、134号を海を見ながら江ノ島に出て「高清」であじの開きを買って帰ってきた。意外と鎌倉にいてもこういうコースは通らないもので、そういう意味では今日はべたな鎌倉・江ノ島を味わったのである。
 

2008年3月20日

チベットが揺れている

中国チベット自治区の首都ラサで3月10日反乱が発生した。軍や警察の発砲で多数の死者や逮捕者が出たようだ。ぼくはチベットにかなり肩入れした時期があった。いや今も何かにつけて気になるところであるので憂えている。

ちょうど32年前の今頃中国にいたことがある。そのころの中国というのは周恩来が死んだばかりで、その年の4月は初めに最初の天安門事件が起きる。もちろんわれわれ外国人に対してその事件はさっぱり伝わってこない。報道なんてしないし、共産党が言論を封じ込んでいるためである。だからこの事件を知ったのは1週間後の日本から送られてきた朝日新聞を見たときである。

そうした報道管制はいまも変わらないのだ。ただし、インターネットで多くの中国人も知ることが出来るのがそのときと大きく違う。だから、中国政府、共産党に対する反発は大きくなる可能性があるような気がする。

ぼくがチベットを意識したのは、その32年前に仕事を終えて日本に帰って、その2年後にまた招待されて行ったときのことである。そのとき、承徳という地方都市に連れていってもらったときに見た「ポタラ宮」のイミテーションに感動したからである。その宮殿は紅衛兵に荒らされて見るも無残な様相ではあったが、遠くからみる姿が端然としてそびえたっていたのである。そうぼくには見えた。

そのときから、本物の「ポタラ宮」があるチベットに思いをはせるようになった。それ以来、ダライ・ラマの本や日本人で初めて行った河口 慧海の物語などチベットに関する本や映画をみたりした。そうしたことを勉強するにつけ、チベットは明らかに独立国家であることを再認識する。

1950年の人民解放軍に侵攻はまさに不当な侵略に他ならないのだ。おそらく多くのチベット人の思いは、自分たちの文化や信仰を踏みにじまれていると感じているのである。それは、チベット人としての誇りであり、アイデンティティであるわけで、そこに武器を片手に勝手に入り込んできて、そして今は札束で頬を張りながら懐柔しようとしているのである。それは許せないことなのである。

さて、これからどうなるのだろうか。中国は他に多くの少数民族を抱えているのでやすやすと弾圧の手をゆるめないと思うが、今や共産党一党独裁は破綻しかけているし、世界の目が届くようになってきているので無茶なことはできなくなってきている。

ダライ・ラマ14世が生きているうちに何とかしないとなお混沌とした状況に行ってしまうように思う。心配だ。
 

2008年3月21日

天然コケッコー

この間、山下敦弘監督をほめたので、彼の最近の作品も観なくてはいけないと思い「天然コケッコー」を借りてくる。

何よりも夏帆ちゃんが出ている。夏帆は三井のリアハウスのCMで見てからもうべったりのファンになった。あんな子が自分の娘であったらなというかなわない夢を見た。そして、キャノン三姉妹でも応援している。山田優はイマイチだけど蒼井優と夏帆はいい。

その夏帆ちゃんがすばらしい演技を披露している。それだけでも観る価値はある。正直こんなにいい女優になるとは思ってもみなかった。おお、これからが楽しみだ。

さて映画だが、田舎の学校を舞台に東京から転向した同級生との淡い恋や仲間との生活、そして村の人々や家族の暮らしをその美しい自然のなかでほのぼのと描いている。映画というと刺激的でドラマチックなほうがいいというひともいるけれど、ぼくはこういった静かな情景が好きだなあ。

だって、ぼくらの日常ってそんなに劇的でもなく、ほんの些細なことで毎日が過ぎていく。そこでの小さな喜びや悩みに一喜一憂して生きていく。だからこそ刺激をもとめるというのもわかるけど、むしろちょっとした元気をもらうということも大事ではないのだろうか。そんな映画のような気がする。山下監督の映画はそうした何気ない日常の描き方が秀逸だ。

ただ、不満を少し。ロングショットが多く、表情が分かりにくいところがある。まあ個人的に夏帆ちゃんのアップを見たかったというのもあるが、寄せと引きのメリハリが欲しかったのはぼくだけだろうか。

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    • 2 青春を思い出す?
    • 4 青空の木村町と、雨の東京との対比。夏帆が可憐!
    • 5 夏帆ちゃんの魅力がいっぱい
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2008年3月22日

プロフェッショナルの言葉

NHKの番組で「プロフェッショナル 仕事の流儀」というのがある。毎回、これぞプロという人が登場して、その人の仕事のやりかたや考え方を語るのだが、ちょっと前に放送した中で「プロフェッショナルとは?」という質問に答えた言葉で非常に感銘を受けたものがあったのでそれを紹介する。心臓外科医でカテーテル治療の第一人者である延吉正清さんの言葉である。

プロは、難しいことをですね単純にするんですよ。アマチュアは簡単なのを難しくする。うまい人っていうのは、こんな複雑な病変をあっというまに簡単にさーっとと終われるのね。これがプロなんです。

この単純にするということが難しい。難しいからこそ、それができるのがプロであるという。そうなんですね。プロまでいかなくても、会社なんかでも仕事ができる人って単純化するのがうまいですよね。それに比べてできないやつというのはわざわざややっこしくして何をやりたいのか、何をしたいのかがさっぱりわからないということがある。

スポーツでも一流選手というのは難しいことをいとも簡単にやってのける。誰でもできそうにみえるので、まねしてやってみても普通のやつじゃできないということもよくある。

だから、この言葉は身にしみてわかるのだ。

でこの番組に登場した他の人たちの言葉が気になったので調べてみた。そうしたら、みなさんだいたい同じようなことを言っているんですね。少し乱暴だけれど、それらをまとめて言うと、「自分の思ったことに対して、情熱をもって、どんな時でも力を発揮でき、信念と誇りを持続できる人」がプロのようだ。

ただ、そこからちょっと離れたような言葉をはく人もいて、先の延吉正清さんもそうだが、何といってもイチローの言葉が異彩を放っていておもしろい。

ファンを圧倒し、選手を圧倒し、圧倒的な結果を残す、ということです。

こりゃあすご過ぎですよね。“プロの中のプロとは?”という質問の答えみたいにプロでも抜きん出たプロの言葉ですね。まいった!

2008年3月23日

クィーン

ヘレン・ミレンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した「クイーン」を観る。これはもうヘレン・ミレンの映画以外何ものでもない。その素晴らしい演技が良質の映画をもたらした。

ご存知のように1997年にダイアナ妃がパリで交通事故に遭って亡くなった事件を題材にその対応に苦悩するエリザベス女王を描いたものである。そのエリザベス女王に扮したのがイギリスの名優ヘレン・ミレンである。

イギリス王室の内部の様子まで赤裸々に描いていて驚く。本当の姿なのかどうかはうかがい知ることができないが、あたかも真実のようにみえる。エリザベス女王と当時首相になったばかりのトニー・ブレアとのやりとりなんて、さもかくありなんといえる。

それにしても、ついいまわが国で取りざたされている皇室のことが思い起こされる。この映画と同じように例えば皇后と雅子さんの関係を映画にできるのだろうか。エリザベス女王とダイアナ妃との確執に近いことがあるような気もする。伝統やしきたりを守ろうとする側と新しい開かれた皇室を築こうとする側の葛藤は共有されるのではないだろうか。

ただ、離婚して単なる一般人となったダイアナに哀悼のメーセージを出したり、異例の行動に出ざるを得なかったときと同じような局面が日本の皇室におとづれたらどうなるのだろうかと思ってしまう。

本当かうそかはあるにしても、ふつうの人々とかわらない王室の様子は、当たり前なのだがおもしろかった。女優の演技もさることながら作品自体もなかなかよかった。

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2008年3月24日

BPM日米比較

先日ある会合でBPMに対する日米の違いについて議論した。先月米国のナッシュビルで開かれた「BPM TechShow」に出席したMさんが、その報告をしてくれたからである。

その中で、BPMAwardsの表彰事例を見ると、手作業で実施していた複雑な作業をBPMソフトを使って簡単にしたいというのが多かったそうだ。意外だったのは、どうも米国はまだ紙を使ったり、手作業が多いみたいで、そこを効率化する手段としてのBPMという位置づけのようだ。

そして、これはよく言われるのだが、米国では日本と違ってユーザ自身が開発するのが基本のようで、BPMはユーザ主導でやるのによいツールになっているのだろう。でそのときの議論で、ユーザ主導というのもいいがそれがいき過ぎると、昔のEUC(End User Computing)のように職場固有のシステムが乱立するようなことが起きてしまうから気をつけないといけないというようなことになった。

そういうのを「シャドーIT」といってIT部門の管轄外になり困った問題となる。そんなことをITRの内山悟志さんがITMediaのエグゼクティブで書いている。


だから、ユーザ主導もいいがちゃんとIT部門が目の届くところでやらなければならない。一方、ERP導入のようにトップダウンでやらないとだめなものもある。従って、その兼ね合いが重要なのだ。少なくとも、BPMでは日本のSIerのようなベンダーの位置づけは弱まるわけで、より米国型に近づいていくと思う。そして、単なる紙の作業の代替だけではなく、もっと高度なエンドユーザーBPMが実現するように思える。

ということは、これまでと違った形のEUCが登場してきてもいいような気がする。ぼくはそれは「社内SaaS」と考えているが、そこの議論をこれからしていくことにしている。

また、この「BPM TechShow」については、岩田研究所の岩田さんがレポートしてくれているのでそれについて次回に書きます。
 

2008年3月25日

プレスリリース

昨日、うちの社長がサービスを開始した「ListPod」に関する記事が出た。CNETITMediaなどに掲載されたのでみてください。

このサービスは簡単に言うと「YouTubeの動画をお気に入り(マイリスト)として登録できて、それがそのままPodcastを吐いてくれて、iTunes や iPod ですぐ見れる」という代物。容易にiPodで見れるというのが売りのようだ。

動画も携帯して視聴する時代なんですね。このサービスはひとつひとつは目新しいものではないが、その組合せというか、これもMashUpだと思うが、そういうデザインとスタイルを提案しているところがいい。身内ながら素晴らしいと思う。

実はこうした記事が出たのは、いくつかのメディアにプレスリリースを打ったからである。そんなことをあまり考えていなかったのでちょっと驚いたが、個人で出している人もいたりして、おもしろいとすぐに取り上げてくれるんですね。

こういったことで名前を売ってビジネスにつなげるというのは、人が資本のIT会社にとっては重要な販促活動なのである。ぼくもやりたいなあ。
 

2008年3月26日

海外BPM最新情報

一昨日、先月米国で開かれた「BPM Tech Show」について触れたが、岩田研究所の岩田アキラさんがそのレポートを書いているので、そのことについて考えてみた。

まず、最初に今回の参加で感じたこととしてつぎのことをあげている。

1.BPMNを採用するベンダの増加
それらのベンダは“コードレス”を基本コンセプトに謳う
2.BPM On-Demand(SaaS型BPMS)の登場
・Web2.0, Ajaxなどの最新技術を取り込み進化しつつある
・SaaS型BPMSは、まだ1年生であるが今後の成長が楽しみ
3.Ad-Hoc Process向けBPMSの登場
・プロセスが定まりにくいナレッジワーカー向けの課題解決型BPM+PMツールとは
4.BPMプロジェクトはユーザ主導型開発
・従来のSIerビジネスモデルは崩壊する
・ユーザ企業IS部門のエンパワーメントがBPM成功の鍵

自慢じゃないが、ここに書いてあることは全部もう1年以上も前からぼくが言っていること、やっていることだ。そういう意味ではやっと海外で認められたということなのだろうか。

いまぼくが提唱している「BPWeb2.0」の考え方は、ユーザ主導のノンコーディング開発をBPMSとWeb2.0の技術(フレームワーク)とサービスで行うというもので、全く上記の考え方そのものです。

BPMが今後のシステム開発に変革をもたらすと考えられるのは、そういうパラダイムシフトが起こせるかもしれないからなのです。それは、ここでも言っているようにIT業界そのものの構造変化をもたらす可能性さえ指摘できるのだ。

なぜって、ユーザ自身がSaaSで提供されるプラットフォームで、コードを書かずに自らの手で業務アプリケーションが構築できてしまうのだから。さてそうなったら、どこにSIerの入る余地があるのだ。

ただそうなると、問題となる、あるいは難しいところは技術だとかプラットフォームではなくなって、ビジネスプロセスそのものの設計になっていく。業務フローが書けたらあとは難しいことではなく、さくっと動くものができてしまうのである。

従って、今後は“きれいなプロセス”と“魅力的なプロセス”をデザインする力こそが、求められる重要なスキルとなる。

ところが、そういうと業務のプロでないとできないとか、業務経験がないとだめだとかの話になるが、ほんとにそうであろうか?もしそうだとしたら、工学的でもなんでもなくて属人的な職人芸になってしまう。そこを何とか工学的にとまではいかないにしても、エンジニアリングの世界に落とし込みたいと思っている。だいたいできてきたのでそのうち紹介したいと思っている。

ビジネスプロセスの設計という面では日本人は強いのではないでしょうか。昨日も言ったように、米国なんかは単純な効率化までのようだし、日本は美しいプロセスを作る技術をもっていると思うので、ぜひ日本のIT業界(いまの構造ではない)がBPMを梃子に強くなってほしいと願っている。
 

2008年3月27日

おとなになれないサッカー

ああ眠い。昨日遅くまでサッカーの試合を見ていたからである。日本代表がバーレーンに負けた。アウエーの試合で相当タフな試合になると予想されたが、厳しい戦いの結果1-0でやられてしまった。

ただこれで終わりでも何でもないので、それほど悲観することもない。毎回、W杯の予選はすんなり勝てるわけではなく、幾度もピンチをしのいできたことは言うまでもない。バーレーンだって取りこぼしもあるだろうから、これからしっかりと勝っていけばいいのだ。

昨日の試合は、引き分けの勝ち点1狙いでいったと思う。そういうなかでの戦い方は悪くなかった。それでも一瞬でやられてしまうのがサッカーの恐ろしさである。ああいう点のとられ方がまだまだ”こども”なのだ。

例えばイタリアのような”おとなのサッカー”だと、守りきってしまうのである。攻め続けろというのはこどもでもわかるが、じっと我慢をして負けない試合をするのはこどもではできない。

点を入れられてから攻勢に転じていいところまでいったので、最初からそうすればよかったのにというのは素人の見方で、テレビ解説の松木も素人だから、ついその解説につられてそんな風に思ってしまう。

それと昨日の試合の成り行きとして速攻が効かなかったことが誤算だったのではないか。敵地でそして故障選手が多く、ピッチコンディションを考えるとある程度引いて、ロングパスで速攻というのが狙いであったが、相手もそう攻めてこなかったこともありうまくいかなかった面はある。

いずれにしろ、いろんな状況に応じた戦術をやれるチームに成長していってほしい。それが”おとなのチーム”といえるのである。
 

2008年3月28日

夢を食った男たち

ある人から面白いよと言われて手にする。「夢を食った男たち」(阿久悠著、文春文庫)である。副題が「「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代」とある。

これは、1992年10月から翌年3月までの半年間、「スポーツニッポン」紙上に掲載された「阿久悠の実録テレビ三国志」という連載をまとめて本になったものである。そして、そのタイトルからもかなり面白いのではないかと期待をもったのであるが、残念ながらちょっぴり期待はずれであった。

それは何に起因しているのだろうかと考えたら、どうも新聞の連載だったからではないかと思う。新聞の連載というのは、1回1回ミクロの起承転結を意識するはずで、それを本にするとマクロの起承転結と整合しなくなってしまうという問題があるのではないでしょうか。

従って、断片的には面白いのですが、じゃあ全体として何なのだろうかと感じてしまう。題名の夢を食った男って誰のことなのか、単なる時代という状況の解説なのか、うーんよくわからん。エピソード的にはああそうだったのかとか、ぼくはほぼ同時代を生きてきたのでよくわかるし、なつかしくなる。

前半の大半が「スター誕生」に費やされていて、森昌子、桜田淳子、山口百恵の中三トリオの誕生そしてピンクレディで終焉を迎える話である。また後半はグループサウンズ、特にザ・スパイダーズの誕生秘話だとかが語られているが、それはそれでなるほどとおもうのだが、すごく感心したのは、阿久悠の時代の風を感じる力というか、変化をとらえる目というかそこがすごい。

まあ、だからこそあれだけの詞を書きながらいつも時代の少し前を行くことができたのだろう。この少し前を行くのがすごくむずかしい。彼の歌詞は何年か経ったあとでも決して古くないというのはそういうことなのだろう。

この本はそこを読むことをお薦めする。

夢を食った男たち―「スター誕生」と歌謡曲黄金の70年代 (文春文庫 あ 8-5)
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2008年3月29日

桜満開

今日はいい天気だ。
家の近くは桜の名所なので多くの人出でにぎわっている。
満開の桜が咲き誇っている。
古い木が多いので年々花が少なくなっているような気がする。
ぼくら子供のときはもっとトンネルのように咲いていたと思う。
いよいよ春本番だ。

sakura08.JPG
 

2008年3月30日

親父の背中

子供は親父の背中を見て育つという。ぼくも親父の端くれだから自分の背中はどうなっているのだろうかと思う。どうしてこんなことを思ったのかというと、下の息子がこの4月からいよいよ社会人となるからである。

上の息子(うちの社長)はよくわからいうちに社会人になだれ込んだ感があるが、下の子はちゃんと入社式をやって勤め人になるので、ああこれでやっと一人前になるんだというような感慨がある。もうこうなると親の背中なんぞ見ずにいくのか、それともずっと見続けるものなのかなどと考えてしまう。

じゃあ、自分のときはどうだったのかと思い出しているが、あまり意識した記憶がない。ただぼくの親父はただただ一生懸命働いていただけのような気がする。気のきいたことを言うわけでもなく、すごいことをしたわけでもない。むしろ、何事もないように望んでいたようでもある。あの頃はひたすら働くことしかない、そんな時代だったのかもしれない。

翻って、自分のことである。ぼくは、信念みたいなものがあって、こどもには10歳までは背中を見せるのではなく、抱きしめることが大事だと思っている。それこそいつもぎゅっと抱きしめてやるのだ。オマエにはオレがついていてやるぞということを体で示してやるのである。

それが過ぎたら、ほったらかしでいい。何でも好きなようにやれである。それで、もし何かがあっても抱きしめてくれた親がいるから、そこに帰れる安心感がある。だから何も言わなくても自分で何でもやるようになる。これが親父の背中の見せ方のような気がする。

事実、うちの二人の子には中学から全く何も言わなかった。勉強しろとも言わなかったし、どこの高校、大学に行くかも自分で決めてきたし、塾にいくかも本人の判断だった。親からああしろ、こうしろと言われたことがないと言うと、珍しがられるそうだ。

ただ小学生の時は、二人とも3つの習い事をやらせた。3つとは、水泳、ピアノ、習字だ。これは親が強制した。溺れて死なないように、音感を育てる、落ち着いた姿勢と集中力の涵養は必須と考えたからである。少しは役に立っていると思う。それが最後の親の強制力だった。

下の子の面白いエピソードがある。かれは中学生のとき真剣に競馬の騎手になろうとした。ゲームでダビスタにはまって以来、中学生のくせに競馬にのめり込んでいく。そして、競馬場にも何回か通った。もちろんぼくがついていくわけだが、電車のなかで赤鉛筆を耳にはさみ、競馬エイトを読む中学生を想像してみてくください。

競馬場では、彼が予想をしてぼくが馬券を買いにいくという算段で、最初のビギナーズラックでいくらか儲かったが、それからはなかなか当たらないのでピクニックに行くという感じであった。

ある日、マスクに帽子を目深にかぶってきて、「ぼく、ハタチにみえるかな」と言うのである。ひとりで競馬場にいけないかということらしい。これにはたまげたが、だんだん背が伸びるとともに、騎手になる夢もしぼんできた。何とこの子はいま184cmあるんですよ。

でも真剣に騎手になるにはどうしたらいいのかとか、学校は千葉県の白井ということころにあるらしいとか、近眼だとなれないんだとか、ぼくも調べたりした。

つい学校を卒業するということでこんなことを思い出してしまった。この子の目にぼくの背中はどんな風に映っているのだろうか、そして、本人は社会人になるということで、これからは自分の背中にも責任を持たなくてはいけないようになるわけでがんばってほしいと思う。

ところで今はぼく自身としては背中をみせるというより肩を並べるというほうがいいような気がする。そうなんですね、「胸を開いて、背中を見せて、肩を並べる」、これが親父と息子の年代を追ったつき合い方なのではないだろうか。
 

2008年3月31日

サッド ヴァケイション

下の子が今日から北九州にしばらく行くことになって、それで北九州を舞台にした「サッド ヴァケイション」を観ていた。ぼくも借りて観た。

けっこう評判となった映画で、何よりも浅野忠信とオダギリジョーが共演している。黒沢清監督作品「アカルイミライ」でも共演していたけど、ふたり一緒にでてきたらヤバイよね。二人ともすげえ存在感があるから火花ぱちぱちって感じなのだが、今回のこの映画でびっくりしたのは、それより何より石田えりのほうがすごかったのだ。

映画は、自分を捨てた母親に復讐する男をメインにそこの周りにいるあぶれものたちがからんできて、最後はその母親のしたたかさに圧倒される。その役が石田えりである。

しかしながら、まず最初の30分は全く何が始まったのかさっぱり分からなかった。何の脈略もないシーンが重なって意味わかんねー状態。だんだんそうかこうつながっているのかという風に分かってくるのだが、どうも青山真治監督の前作を観ていないとよくつながらないみたいで、そりゃねえだろう。だから、そういったシーンを削って見せてくれた方がよかったと思う。

さらに、言葉がわかんねえのだ。北九州弁をぼそぼそやられたら、語尾が肯定だか否定だか判別不明でこれまたさっぱりなのだ。

それと、粗い、いや荒いといったほうがいい作りで最初はもう少し丁寧に作れよみたいに感じたが、これはだんだん何となく北九州の雰囲気が出ていていいじゃんと思えてきた。

最近の映画では、男より女の方が強くしたたかに描かれることが多いような気がする。まあ、世相を反映しているのかどうかしらないが、たまには高倉健のようなもっと強い男が出てこないかと少しノスタルジックな気分にもなる。
 

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