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2008年1月 アーカイブ

2008年1月 1日

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします

さて、このブログも一昨年の9月から書き出しましたので、今年3年目を迎えました。そこで昨年の記事を振り返ってみます。

昨年1年は、起業して間もないので事業コンセプトやビジネスモデルを模索した一年でもあった。そのビジネスの商材として「ユーザ目線のBPM」であり、活動としての「ビジネス奮戦記」であった。やっと、今年は蒔いた種が芽がふき、花が咲きそうな気配となりました。

記事を書き込んだ日数は、325日でした。40日だけ書かなかった日があったことになる。トータルのエントリー数は358であった。カテゴリー別にエントリー数を数えてみると多い順に次のようになった。

乱調亭日乗   :111
オヤジの本棚   :41
ユーザ目線のBPM :40
スポーツ“感”戦記   :33
シネマディクトの禁断症状  :26
ビジネス奮闘記   :22
企業情報システムのかたち :17
働きたくなるIT :16
親子で紐解くWeb2.0  :15
チャイナばなし :12
その他 :25

まあ、ITビジネス系が100エントリーあり、ずいぶんと書いたが、今年は実ビジネスとして成功するかどうかを追いかけていくことになる。

また、目標は毎日更新で、休みなく書き込めるようがんばってみたいと思う。

昨年のブログを読み返すとその時の様子がすぐに蘇ってきて懐かしくなる。ブログを書いていると世のなかの様々な事象に対して考える習慣がついてきて、日々新鮮な気持ちになり楽しく感じている。

読んで下さっているかたに感謝とともに、今後ともよろしくお願いいたします。

2008年1月 2日

初詣と富士山

最近、初詣は家の近くにある「龍口明神社」に行くことにしているので今行ってきた。

この神社はそんなに有名でもないが、それゆえに落ち着いてお参りができるので毎年行くようになった。実はこの神社、りゅうこうみょうじんじゃといいますが、由緒ある神社で、538年の創建で、鎌倉で最も古いものです。

これまでは、家内安全や無病息災を祈ってきましたが、去年から会社隆盛、商売繁盛を加えています。お札も買ってきて事務所に飾ってありますが、神頼みはないよりあったほうがいいんじゃないでしょうか。
 
jinja.JPG

さて、今朝の富士山はものすごく美しかったのでおもわずシャッターを切る。

huji.JPG

 

2008年1月 3日

半脱テレビ宣言

年末年始はどうしてもテレビの前に座りることが多くなる。ついつい特集番組の羅列を意味もなくながめたりしてしまう。だが、もうテレビを見るのをやめようと思う。

勤め人をしていたときにはほとんど夜は呑んでいたので、家でテレビを見ることはなかった。だが、SOHOになったら夜に時間ができるのでついテレビをつけてしまう。

極力くだらないバラエティなんか見ないようにしてニュースを中心にしていたのだが、それでわかったことは、ニュースもくだらないということに気がついたのだ。

ニュースというのは淡々と起こった事実のみを簡潔に流すだけでいい。それを変に解説したり、キャスターの思い込みコメントがあったりして、視聴者をミスリードする。それに根底に野次馬根性があるし、不安をあおることで大衆をひきつけようとする。ぼくは前々から犯罪報道は必要ないと思っている。必要以上に細かく報道して何のためになるというのだ。被害者が泣く姿を映して何になるというのだ。

極論すると、エコのところでも言ったけど、まあマッチポンプみたいなところがあって、さんざんテレビのCMで消費社会を喧伝しておきながら、ニュースでこうした風潮はよくないですねと言うが歯切れがよくない。結局ニュースも結果的に、無意識的にスポンサーの意向に沿う形で大量消費生活を後押ししているとしか思えない。

ということで、これからは、テレビを見ないようにしようと思うのだが、さすがに全く見ないというわけにはいかないので、例外をもうけることにした。スポーツ中継プラスアルファとしようと思う。プラスアルファは良質の番組ということになるが、例えば「未来創造堂」とか「情熱大陸」「プロフェッショナル 仕事の流儀」のような番組だ。

で年末の「未来創造堂」で面白かったことを少し。「まんじゅうの未来を切り拓いた男 林虎彦」というテーマで、金沢で和菓子屋を開業した菓子職人の林虎彦が苦労の末開発した「自動包みあん機」の誕生の物語である。

何がおもしろかったかというと、ふつう、機械で自動的にまんじゅうを作るなんていうと職人さんが怒ると思いますよね。ところが、この人は、機械はむしろ職人さんに喜ばれるはずだという信念でやり遂げてしまった。そして、完成したとき一番喜んだのは菓子職人だったのだ。それは単純作業から開放された職人たちは新しい菓子を創造することに力を注げたというのである。手ではできない機械だからこそできる、例えば雪見大福みたいなものが作られたのである。

この挿話ですぐに思いついたのは、システム開発の姿である。単純なプログラミング作業はもうやめようよねということなのだ。そのためには、「自動包みあん機」が必要なのだ。そして、創造的なことにエネルギーを注ぐべきだと思う。この「菓子職人の心持」がシステムの世界でもなくてはいけない大事なものであるような気がする。

こんなことを考えさせてくれる番組は視聴する価値があると思う。だから、全面的ではない“半脱テレビ宣言”というわけである。

なので正月は駅伝とラグビーとサッカーを見ている。ところで大晦日の「ハッスル祭り」はスポーツ中継なのだろうか。
 

2008年1月 4日

年末年始ネマ

年末年始はテレビを見るのを限定的にしたので、余った時間はDVDで映画を見ることにした。テレビドラマの「点と線」も含めて6本を鑑賞。それぞれに対してちょっとしたコメントをつけてみる。

1)マッチポイント
初めてニューヨークから出たウディアレンの最新作。ストーリー的にはどこかであったような金と女の欲の葛藤みたいな物語である。ところが、秀逸なのはやはり指輪の落ちるところで、このシーンとの重ねあわせで最後に唸ってしまう。しゃれた男女関係というより、現実的な、あるいは打算的な関係であるが、それを犯罪というところまで行ってしまっても映画が汚くなっていないのが、アレンの力でしょう。

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    • 5 楽しめた!
    • 5 愛欲の恐ろしさと運命の皮肉
    • 4 果たして結末はハッピーか?!
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2)アマデウス
モーツワルトは名をヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトという。映画の題名はそこかとっている。そのモーツァルトの類まれなる才能を嫉妬して、殺したと語るアントニオ・サリエリが回想するというスタイルで映画は進行する。

モーツワルトは小さいときからのほとばしる才能はつとに有名であるが、映画のように奔放で型破れな若者に描かれているのに驚いた。モーツワルトはどうもサヴァンだったらしいが。でも、このあたりは現代でも変わらないのじゃないのだろうか。その時代にとんがった天才は、常人では評価できない世界にいきている。凡人と天才の間の人間がそこに嫉妬するのである。こんな音楽家の描き方もあるのだと思っておもしろかった。

ぼくも以前“1981sにかるくシット”と書いた手前、サリエリのようにならないように気をつけなくては。あそうか凡人だからいいのか。

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3)半落ち
これも観よう観ようと思っていた作品。原作は読んでいないが、評判になったミステリーだったので期待大。出演者も寺尾聡、柴田恭平、原田美枝子、伊原剛、國村隼、高島礼子、奈良岡朋子、樹木稀林、西田敏行といったそうそうたるメンバーで、皆さんいい演技で素晴らしかった。ストーリーも泣けるし、笹野高志が車のカーテンをそっと上げてのエンディングもよかった。

ところがである、なんか手ばなしで讃えられないのだ。それは、映画のキーになるところの寺尾聡が隠しとおす空白の2日間の理由があれだけの緊迫感あるシーンを引き出すために弱いのだ。だから、ハラハラ感もあまりなくなって、人間味を表に出す演出になってしまっている。そうなんです、“半分腑に落ちない”のであった。

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    • 5 良い確かに良い
    • 5 思わず涙の作品
    • 5 マイッタなあ〜!映画館で視ておくべきだった。
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4)間宮兄弟
さて、間宮兄弟である。ぼくはこの手の映画は嫌いではない。ディテールのこだわりとか、小ネタなどわりとおもしろかった。まあある種のオタク兄弟っていってしまえばそのとおりなんだけど、多くのひとが持ちたいと思っているほのぼの生活感のようなものは出ていたと思う。だから結構共感する人がいたんじゃないかな。

しかし、この作品もところがである。こんな兄弟いないよと叫んでしまった。男の兄弟同士で一緒の部屋で寝るなんてありえねーよ。キモイよ。おっと、それと、この兄弟ベイスターズのファンのようだが、それをオタクとして扱っていることが許せないのだ。

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    • 4 男性だけで見るとヘコみます
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5)地球の中心で、愛を叫ぶ
さて“セカチュー”である。片山恭一の同名のベストセラーを行定勲監督で映画化されたもの。何しろ300万部売れたというからすごい。ぼくは、題名を聞いただけで照れくさくなり本も読む気もないし、映画も観る気にもならなかったが、正月の暇な時に放映していたので鑑賞することに。

こりゃずるいよ、反則だよ。もうベタベタの純愛映画じゃん。だって、地方都市の高校生の青春ときて、主人公の美少女が病気でいくばくかの命しかない、周りの友達や年寄りはみんないい人で人生訓をたれてくれる。おおなんと美しい世界なのだろう。決して皮肉ではなく、きれい過ぎる物語にみな感動するんですね。

ぼくらの世代は「愛と死をみつめて」だね。これは往復書簡集をもとに映画化されているから、実話にちかいのでベタではない。しかし、いずれにしろ、ぼくは苦手だ。

「地球の中心で、愛を叫ぶ」は、観た人の多くが涙したと思うが、ぼくは泣かなかった。いや、泣けなかった。何がって、この映画恐ろしくないですか。死んでも生きている人の心に残ってくれと叫ばれたらどうでしょう。そしたら、死に別れたひとはみな次に好きな人を作っちゃいけないのと言いたくなる。ひねくれオヤジですいません。

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というわけで、どうも邦画に少し注文をつけたくなった。映画って、いいシナリオがあって、それを監督がいい演出をして、俳優がいい演技をして、それでいい作品に仕上がるものですよね。そういった意味でいずれの邦画もそこのところのどれかが少し足りないように思える。

もう少し丁寧に丹念にきちんと作る必要があるように感じた。別に洋画がよくて邦画が悪いといって言っているわけではなく、例えば、テレビ映画であるが、「点と線」なんてはよくできた作品であるように、作り方の問題だと思うのである。
 

2008年1月 5日

イチローのすごさ

テレビを見ないと言っておきながらテレビの話で恐縮なのですが、2日にNHKで放映された「プロフェッショナル 仕事の流儀」のイチロー・スペシャルはとてもおもしろかった。イチローはなかなかマスコミに露出しないのでそのナマの声や姿が見えていないのだが、今回は自宅や奥さんの映像も映し出されていて、その素顔を知ることができたのである。

最初に驚いたのは食事のシーンが出てくるのだが、それは朝昼兼用の食事で7年間毎日カレーしか食べないのだという。いいですか7年間毎日ですよ。それも奥さん手作りの同じ味のものなのです。

それから、試合の臨み方もいつも同じで、練習も全く同じことをこなして試合に臨むのだそうだ。決まりきったことをやることで試合に集中していく。うーん、わかるような気がしますね。ルーティン的なものは極力パターン化して、神経は別なところへ向けるというのは野球に限らず、仕事や日常生活にもあてはまるのではないでしょうか。

さらにおもしろい話。イチローは試合前のバッティング練習でやすやすとホームランを連発するんですね。そうしたら、イチローが、ホームランはいつでも打てると豪語していた。芯に当てて飛ばせば打てるのだそうだ。

また、例の背面キャッチのことに話が及ぶと、あれは遊びでやっているのではなくちゃんと意味があるという。それは、平凡なフライって意外とミスしやすいのだそうだ。油断して一瞬ボールから目を離してしまうからだ。そのために目をそらせても取れる背面キャッチの練習をしているとのこと。

この放送での最大のテーマは、もう十分に実績を残しているのに、まだ達成感に飢えていること、そのためにまだ進化しようとして、これまでのイチローを捨てようとしていることだろう。こりゃすごいのひとことである。

昨年までのイチローは重圧に負けていた。毎年ヒットを170本くらい打ったころから重圧で打てなくなったりしたそうだ。それを何とか技術でカバーしていたが、それを今年は、重圧から逃げない、立ち向かうことにしたのだという。そのためにイチローが変身したこと、進化させたことは何だったと思いますか?

それは、“ストライクだけ打つ”という単純なことだ。イチローはなまじ技術や身体能力が高いがゆえに、相手投手の難しい得意球を打ってやろうだとか、ワンバンドをヒットにしたように訳のわからないボールに反応してしまっていた。

それを改めるという。イチロー自身も語っていたが、ストライクの球を打つのは世界一である。だから、普通に打てる球だけを打ちにいくというのが新しいイチローの姿である。

なるほど、これも野球以外でも通用することかもしれない。あれやこれやと手を出すのではなく、自分のできるゾーンで目一杯勝負することが大切なのではないのかと思わされる。

それと、だからこの結論を採用すればいいのかというとそうではなく、紆余曲折があってたどりついたわけだから、その過程が非常に重要であることは言うまでもない。

それにしても、NHKもたいしたものだ。こういういい番組は歓迎だ。今年イチローがマグリオ・オルドニエスとアメリカンリーグの首位打者を争っていて最後に負けてしまって2位になったが、その負けを悟った試合でイチローがセンターの守りで涙を流したのをカメラが捕らえたのは素晴らしかった。

あらためて天才イチローのすごさを知ったのであった。
 

2008年1月 6日

論点5 Google -「ネット未来地図」から

本の要旨 -- グーグルvs.マイクロソフト 覇権争いの最終決着

アドワーズとアドセンスがネット広告市場を拡大した。こうした検索連動型広告では、自分の興味対象に関連した広告が表示されるため、非常によい広告モデルとなった。そしてグーグルは1兆円を越える巨大広告企業に成り上がってしまった。

そして、マイクロソフトが没落し、覇権はグーグルへと移っていった。マイクロソフトは「アプリケーションはウィンドウズでしか動かない」という市場支配力を武器に成長を持続してきたが、ブラウザさえあれば動くグーグルのサービスが登場するともはやマイクロソフトでなくてもかまわなくなったのだ。さらに、マイクロソフトはインターネットビジネスへの参入に失敗してしまった。

ただ、だからといってグーグルが磐石だというわけではない。将来への不安もある。

ひとつは、検索エンジンなどのアルゴリズムによる体系化にこだわり過ぎていること。そして、もうひとつはグーグルという企業に対する信頼性が少しずつ揺らいでいること。会社が大きくなりIPOを経ると当初のよさが消えていくのである。

ぼくのコメント

会社の命は30年とか言われているが、いよいよマイクロソフトが終焉を迎えていくのだろうか。そんなことを思ったら、もうそのマイクロソフトから覇権を奪ったグーグルが衰退の兆しと言われてもちょっと待ってくれといいたくなる。たしかに、この世界はめまぐるしく技術やビジネスモデルが変化するとはいえ早過ぎないか。

まあ、会社というのは大きくなると必然的に破壊に向かっていくという宿命を内在しているとは思う。グーグルも最初にスタンフォード大学の大学院生二人で始めたときはメチャ面白かっただろうし、儲かる仕組みを思いついたときには興奮しただろうが、だんだん人も増え、会社も大きくなるとそうしたワクワク感がなくなっていくのではないだろうか。

今の若い人たちもちょっと前まではグーグルが憧れの会社だったようだが、今は少し冷めて見ているようだ。それに、日本でも優秀な人が何人かグーグルにいったけど、グーグルに入る前はいろいろ情報を発信していたのに、入ったとたん何をやっているのか聞こえてこなくなったという声も聞こえてくる。

うーん、すごい世の中になったものだ。
 

2008年1月 7日

歳のとり方

SOHOで仕事をしていると平日に近所に出かけることがよくあるが、そこで見かけるのが年寄りである。実に多い。また、土地がらかよそから観光やハイキングにやってくる年寄りもいる。みんな、定年を過ぎて、しかしまだ元気に動ける人たちだ。ぼくもそろそろ同じような年齢になってきたが、そういう人たちを見るとあまり感心はしない。

以前近所の居酒屋で呑んでいたら、どうもダンス教室の帰りにみなで呑んでいるらしい年寄り集団と隣合わさった。聞きたくもなかったが聞こえてくる会話が会社での話と似ているのだ。そのダンス教室が職場で先生が社長で見たいな感じで、だれそれさんが勝手なことばかりするとか、先生が特定のひとばかりかわいがるだとか、もう会社帰りの飲み屋の会話なのである。

もう会社を辞めたのだから、もっと気楽にあるいは気を使わないようにやればいいのに思うのだが、いつになっても上司の悪口や愚痴が好きなんですね。

また、この間はおもしろい光景に会った。保育園の園児が先生の先導できちんと並んでどこかの公園に向かっていたら、逆から年寄りの集団が旗をもってリーダのあとにきちんと並んで歩いてきてすれ違った。史跡めぐりツアーだったのかもしれない。おいおい、年老いて幼児に戻っていくのかよと思ってしまった。

歳をとってきたらもっとのんびりと好きなことをひとりでやるっていうのが過ごし方じゃないのかということと、その前に“おまえら老け込むにはまだ早い”と言いたい。ダンスやったり、ボーリングしたり、ハイキングするのもいいけどもうちょっとちがうんじゃないだろうか。いっちょあがりの人生はないと言いたいのだが、どうも定年を迎えると、そこで終わりあとは余生だとなる。

人生常に挑戦じゃないかと書いて、いやまてよ、それって言いすぎだなとも思うが、しかし、これからの日本の社会って年寄りも一緒にもうちょっとがんばらなくてはいけない社会になってきたように思うのだがいかがでしょうか。
 

2008年1月 8日

今日のニュースから

1)工業高や商業高、5年制職業校に再編…政府・自民が検討

各都道府県の工業や商業、農業など複数の公立の専門高校を再編・統合し、3年間の教育課程にさら に2年間の新たな高等教育課程を加えるというものだそうだ。

いまは、専門高校に3年間通い、さらに数年間、別の専門学校に通って知識や資格を取得する学生が増えているらしい。従来、高校の3年間で取得することが不可能だった資格が取得できるようにするという。

前からぼくは、昔のように専門高校の役割を復活させるべきだと思っていたのでこうした動きは歓迎だ。ただしだ、ちょっぴり「仏作って魂入れず」を感じてしまう。資格取得を公共の学校で目的化するとかなぜ5年にしなくてはいけないのかとか、議論がいるように思える。

そして一番大事なことは、作ったあとのことで、そこを卒業した生徒をちゃんと社会が受け入れてくれるかということなのだ。企業が必要人材として職場を用意できるかである。

そういう社会構造的な対応ができてこそ意味が出てくるのであって、今のようにろくに勉強してこなかった学卒ばかり採用しているようでは、状況は何も変わらないことになってしまう。だから、政府がいくらがんばっても産業界が本腰をいれないと実効があがらない可能性がある。

2)万能細胞「お分けします」…内外の研究者に理研が3月から

理化学研究所が京都大学の山中伸弥教授のグループがマウスの皮膚細胞から世界で初めて作製した万能細胞(マウスiPS細胞)を希望する研究者に配布する事業を始める。iPS細胞を多くの研究者に利用してもらうことで、再生医療などの研究を加速させるのが狙いだという。

このニュースで思ったのは、ITにおけるオープンソース開発の精神を医学の分野にも適用したらどうかということだ。万能細胞の場合は有償ですが(費用は約100万個の細胞が入った試験管1本で実費1万2000円なので無償に近いかも)、こういうものは無償でどんどん配って、そこからいろいろな成果をあげたらいいと思う。

似たようなところで、薬の開発も同様にオープンソース開発型でやったらいいと思う。だって、ひょっとしたらすごいアイデアを持った人がいるかもしれないわけで、それを開示することで活かせる可能性がでるのである。人々の命を救えるかもしれないのに、こそこそ隠して研究したばかりに成果が出るのが遅れたり、出なかったりしたらそれこそ人類の損失なんじゃないのか。

だから、製薬メーカーが儲けるために密かに開発するというのはおかしい話で、そういう会社がおそらく理念に“人類の幸福のために”と掲げているのも矛盾していると思いませんか。
 

2008年1月 9日

伝統校

高校サッカーは藤枝東と流通経大柏の2校が残った。藤枝東は34大会ぶりの決勝だそうだ。そうなのだ、あのころ藤枝東はムチャ強かった。

藤枝東は1963年、64年、67年、71年と全国大会に優勝していてそりゃすごかったですよ。でぼくらは、66年に全国大会に行ったのだが、その前年にその藤枝東と戦っている。ときどき静岡県に遠征に行っていたが、そのとき練習試合をさせてもらったのである。

まず、藤枝の駅にについてびっくりしたのは、駅の売店にサッカー最中が売っていたことで、それには驚いた。さらに、練習試合だというのに観客が集まってくる。街に練習試合の日程が張られているのだ。この学校のグランドは静岡国体の時にサッカー会場になったこともあって、ちゃんと観客席が設けられている。

まあ、勝てはしなかったがそのうまさ強さを実感したのである。そういう経験って大事ですよね。憧れのチームと試合をして、自分たちの弱さを肌で感じ、そして近づこうとすることで成長していくんですよね。ぼくらもそういうことがあったので全国大会の出場をはたしたと思っている。

いよいよ決勝は14日だ。そんなこともあって今年は藤枝東を応援しようと思う。
 

2008年1月10日

代表監督というお仕事

昨日、高校サッカーの話を書いていたとき、高校のチームって監督に負うところが多いよなあと思ったので、その監督のことについて。

サッカー日本代表の監督に岡田武史が就任した。病気で倒れたオシムの後任ということだが、岡田監督は前にも急遽加茂監督の辞任を受けて就任したから、緊急避難監督になった。まあ、オシムの後すぐにとなると日本人監督の方がいいので、そうなると岡田くらいしか思いつかないから順当な人選である。

ところで、みなさん監督というのはどこの監督でも同じようなものだと思うかもしれませんがそうではないのです。例えば学校での監督、Jリーグの監督、そして代表監督といったジャンルがあると思うが、それぞれで違ってくる。

学校の場合の大きな特徴は、生徒が3年なら3年という限られた年数でしかそのチームにいないということがあげられる。そうなると、入学してきた学生の質と量に非常に左右されるので、そうした選手の特性に合わせつつ伝統的なカラーに染めさせるという手腕が求められる。

一方、Jリーグの監督はある程度自分のスタイルを貫いてやれるのだが、そのための駒(選手)は与えられたものがほとんどであることが多い。ですから、うまく補強ができたらいいがそういかないと自分のカラーは出しにくくなる。

その点代表監督の一番いいことは、自分で好きなように選手を選べることである。自分の戦術を理解できるやつを捜してきて、もしそれができなければ取り替えることもすぐにできるというわけである。まあ、逆にいうとJリーグなんかはフロントに文句も言えるけど代表の場合は全面的な責任は監督にあることになる。だから、代表監督というのが指導者の目指す最終形なんでしょうね。

こんなことを考えながら、会社の場合はどうなんだろうと思った。すなわち、監督は社長だから、会社の社長はどんなジャンルの監督に相当するのだろうか。普通の会社はどうも代表監督ではないようだ。むしろ、Jリーグの監督と学校監督の間のような気がする。自分で社員を選んでいるわけではなく、今いる社員を使わざるをえない。そして新入社員に対しては教育的指導をしながら働かせるというわけだかから、両方の要素をもった監督なのだ。

ところが、よーく考えて見ると代表監督のような社長もあり得るなといういことで、それはベンチャー起業の社長である。自分の事業戦略に合致した人材を集めて起業するのは、代表監督としてチームを引っ張ることに等しい。ところがそれは初期のころで会社がだんだん大きくなるとJリーグ監督タイプに変化していってしまうのではなかろうか。ですから、そこそこの規模でチーム一丸となれるところでずっとやっていくのが一番のような気がします。
 

2008年1月11日

ベスト・オブ・超凄サービス大賞

うちの社長(息子)が、ネトランの2007年の最優秀ウェブサービスを選出する「ベスト・オブ・超凄サービス大賞」という企画で、大賞を受賞した。

対象となったのは以前からここにも何回か登場した「CDTube」です。その他、「これ☆ほしい」というのと「札コラメーカー」もノミネートされていた。

これらはいわゆるMashUpというやつで、「CDTube」は、テレビでやっている「CDTV」のランキング情報とYouTubeのPVを組み合わせたサービスです。

そこの授賞理由と審査員のさとるさんのコメントが印象的だったのでこのブログで取り上げてみた。一部引用する。

一見、単純なマッシュアップと思われがちだが、誰よりも早く実装した点、また見やすいインタフェースと安定した運用で人気コンテンツになった点が、審査員の注目を集めた。
大賞を受賞したCDTubeはアプローチの面白さが際立っていた。テレビのチャンネルを模倣したマッシュアップサイトも多かったが、CDTubeはまるでそれ自体が1つのテレビ番組のようで、ネットに詳しくないユーザーにも分かりやすいテーマと見せ方なのが好感が持てる。これぞまさにマッシュアップ! という分かりやすさ。大賞にふさわしい作品ではないだろうか。

そうなんですね「わかりやすい」というのが大事なキーワードです。どうしても独りよがり的な凝ったものを作りたくなるが、単純にした方が受けるのだ。まさに「Simple is beautiful」であります。

それと安定した運用を評価してくれたのはうれしいんじゃないかな。

賞金いや開発支援金というのだそうだが、50万円もえらえるらしく、そうオヤジにも焼肉ごちそうしてよ。
 

2008年1月12日

思考の整理学

これはまぎれもない良書です。1983年に書かれたものを1986年に文庫として発売されているので四半世紀近く売れている。外山滋比古著「思考の整理学」(ちくま文庫)は誰でもが手にしてほしい本だ。それほど厚くないので520円という値段からするとすごいコストパフォーマンスだ。読んだあともずっと手元においておきたくなる。

題名のとおり、考えることについてのエッセイでどうしたらいい考えが浮かんで着て、それを整理して、自分の思想として、どう活かしていくかということを、非常にわかりやすい文章、文体で表わしているので、いちいちうなづきながら読んだ。

なぜロングセラーであり続けるかは、読んだらすぐわかるが、時代を感じさせない、つまり非常に普遍性のあることを言っているからなのだ。ぜんぜん古めかしいところがなく、現代でも通用する考え方なのである。そのあたりのキーワードをいくつか抜き出して紹介しよう。キーワードだけでも何か伝わってくるのではないでしょうか。

・飛行機とグライダー
・見つめるナベは煮えない  
・カクテルとちゃんぽん   
・第2次的創造の価値
・情報のメタ化つんどく法
・思考の整理は忘却
・とにかく書いてみる
・第一次現実と第2次現実
・拡散的作用と収斂的作用

大変参考となる文章がいっぱいですが、最終章にコンピュータについての記述があるので引用してみる。

これまでの学校教育は、記憶と再生を中心とした知的訓練を行なってきた。コンピュータがなかったからこそ、コンピュータ的人間が社会で有用であった。記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。コンピュータの普及が始まっている現在においては、この教育観は根本から検討されなくてはならないはずである。学校だけの問題ではない。ひとりひとりの頭のはたらきをどう考えるのか。思考とは何か。“機械的”“人間的”概念の再規定など、重要な課題がいくらでもある。この本が、知ること、よりも、考えることに、重点をおいてきているのも、知る活動の中には“機械的”側面が大きく、それだけ、“人間的”性格に問題をはらんでいるとする考え方に立っているからである。
さて、25年経ってこの問題提起にきちんと答えられているのだろうか。  

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    • 5 間違いなく「出会って良かった」と思える一冊
    • 4 タイトルどおりの内容、しかも普遍的。
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2008年1月13日

大きな矛盾

米国でも地球温暖化の議論が高まってきて、キリスト教保守派「福音派」の宗教指導者グループが地球温暖化防止策として温暖化ガス排出削減法の制定 などを政権に求めるキャンペーンに乗り出したそうだ。大統領選でも争点になっているようだ。

もはや米国も知らん顔もできなくなってきたのだろう。それはそれとして、何回も言っているように毎日自動車に乗って、ものを買って、そして大量に捨ててそんな生活をしていながら、一方で「不都合な真実」を叫んでもどうも矛盾しているように思えてならない。

もし本当に温暖化対策をするんだったら非常に簡単なのだ。再生不可能な資源の価格をあげればいい。
ローレンス・レッシグは、「世の中で人間が行動を決める要因は、道徳と法律と市場とアーキテクチャーの4つである」と言っていますが、この件で当てはめると、環境を破壊するのは悪いことだと思うのが道徳で、CO2排出基準を決めるのが法律、リサイクル技術がアーキテクチャーとすると、市場って一体何よということになる。

そうしたら、環境に悪いものの値段を高くしてそれを使えないようにすればいいんじゃないのか。
だから、ぼくはガソリン税を下げる必要はないと思うし、その税金で道路を作るのもやめたらいい。全く反環境的な政策ですよね。

また、大量の消費を煽るのはやめてくれ。価格を高くして、必要以上にモノをつくるな、売るなですよね。
皮肉な話、原油の価格高騰は温暖化対策である。ちょっと飛躍しすぎたかな。
 


2008年1月14日

ブログの恐さ

ブログが恐ろしいものであるということではない。決まった人のブログばかりを見ることが恐いのである。普段見るブログが固定化されることが気になるのだ。

ぼくは、RSSリーダで気に入った人や気になる人のブログをほとんど毎日のようにチェックしている。そしてそのブログからたどってまたおもしろそうな人のブログをお気に入りに入れるようにしている。そんなことをしているとたまに全然関係ないと思っていた人同士がお互いのブログにトラックバックしていたり、コメントを書いていたりするところに出くわす。

そうなると、ある種の仲良しクラブ的な趣になっていく。自然と自分の好みのひとのブログを優先的に見ることになるわけだ。だから、読むたびにそうだよな、やっぱりオレの考えていることは正しいのだと納得するのである。

これが恐いのだ。無意識のうちに異分子を排除しているから、自分に都合のいいことを追認する道具としてブログを見ていることになる。

本当は自分とは異質の意見や反対のことを主張しているブログをみて、こんな見方もあるんだというバランスが必要だと思うが、そんな暇はないから、そして気分悪くなるといけないので、つい易きに流れてしまうのだ。

結局、所詮ブログはサロンだと思うしかないのだが、あまりベッタリにならないためには、自分でもブログを書くことが冷静さを取り戻し、平衡を保つ手段になるような気がする。

なぜって、頭の中で考えているだけだとまとまらないままになっているが、いざ書くとなるとちゃんと整理しないと書けないし、いろいろな角度で検証していかないと文章が成り立たなくなるからである。
 

2008年1月15日

流通経大柏高校優勝おめでとう!

昨日の全国高校サッカー大会の決勝はぼくが応援していた藤枝東が千葉の流通経大柏に4-0と完敗した。

優勝した流通経大柏は強かった。すごいチームだ。力の差がそれだけあるということなのだろうか。藤枝東に勝機はあったのだろうか。

流通経大柏の強さは何か。それは、“個”の強さだ。個人々の能力が非常に高く、フィジカルも強いことがあげられる。その“個”が機能したら強いに決まってる。それが準決勝、決勝に出た。

じゃあこういう強いチームに対抗するにはどうしたらいいのだろうか。少なくとも、藤枝東の“パスサッカー”では勝てない。パスサッカーにしても個の力があってこそ可能であるが、残念ながら個の力が弱い。これは仕方ない面があって、能力のある人材を確保できないから、そこをカバーするにはコンタクトを避けるパスサッカーという選択肢は当然なんだけど結局限界があるといういことだ。

それに比して、流通経大柏は能力の高い選手を集めることができるので一段高いレベルのサッカーが可能になる。

むしろ、流通経大柏に勝つには昨年優勝した盛岡商のような90分間走りまわった体力とあきらめない精神力が可能性としてあるような気がする。

だから、繰り返すが、藤枝東のパスサッカーは戦術以前の問題として“相性が悪かった”のだ。だから4-0と大敗を喫した。

昔は、強いチームに戦術的に勝ることで勝つこともできたが、最近は個人の力が相当あがってきているのでなかなかそうはいかない。だから、まず個人の力をアップしてそれから戦術ということになる。

そうですね、毎年この年代のレベルがかなり上がっている。これからの日本サッカーが楽しみになってきた。でも、メッシはこの歳には世界的な選手だったよな。

2008年1月16日

善き人のためのソナタ

三重映画フェスティバルのQ氏絶賛の「善き人のためのソナタ」を観る。予想に違わず素晴らしい作品だ。

ベルリンの壁崩壊直前の1984年の東ベルリンを舞台に、人々を恐怖の下に統治してきた絶対的な監視システム・シュ タージ(国家保安省)が描かれている。シュタージの敏腕な局員が劇作家と恋人で女優の芸術家カップルを監視するが、盗聴を続けているうち、監視者から、理解者へと変貌していく姿を見せられる。

こうした、重いテーマを33歳のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクが監督しているが、これが初監督とは恐れ入った。

また、劇作家を演じたウルリッヒ・ミューエは実際にシュタージに監視されていた過去を持つというだけあって非常に抑えの利いた演技ですばらしかった。

まあ、やっとこうした映画が作られるようになったという感慨と同時に、実際に目の当たりに監視される世界を見せられると怖しく、苦しさがのしかかってきた。

そして何よりもラストシーンが気に入った。これまた秀逸のラストだ。

これは是非善き人は観てほしい。いやそうでない人のほうが観た方がいいかな。

善き人のためのソナタ スタンダード・エディション
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    • 4 深い溜息と共に
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2008年1月17日

小さい手帳

会社勤めのころ、パソコンのスケジューラを使い出したら手帳を持たなくなった。会社をやめてからも使う機会がないので持ち歩くことはなかった。

ところで、最近のボケ化現象からかちょっとしたことをすぐ忘れてしまう。仕事のことだとか、ちょっとしたアイディア、あるいはこのブログのネタだとかがふと浮かぶことがある。しかし、一瞬で忘れてしまうことがよくあるようになった。

優れた考えが浮かぶのは三上といって、馬上、枕上、厠上なのだそうだ。馬上は現代では電車中かもしれない。だから、そういうところでいい考えが浮かんだときには、すぐに書き留めておくに限る。

去年までは、メモ用紙を持って歩いていたのだが、歩きながらでは書きにくいし、ときたまペンを忘れる。そこで今年から手帳を持つことにした。こういういきさつだから、別にスケジュールを書き込むために使うのではなく、ふと思いついたことをメモしておくためのものである。ですから、形式はどうであれ、小さくて、鉛筆がついているやつがいいのだ。

昔、工場で働いていたころは作業服の胸ポケットに収まるおおきさでできるだけ薄いものを愛用していたが、今はズボンの後ろポケットに入るくらいの小さいサイズのものをOAZOの丸善で見つけてそれを使うようにした。なかなかいい感じです。
 
techo.JPG

 

2008年1月18日

伝えておかないと

きのうは忙しい一日であった。サンプル開発プロジェクトの定例会があって、そのあと日経BPの記者とお願いやら、よもや話などをして、そのあと中小企業向けASPについてコンサルをしている人と提案方法などについて打ち合わせ。

そのとき、すこし驚いたのは中小企業のIT化に対して思い違いをしていたことに気が付いたのだ。それは二つあって、ひとつが、中小企業はブランド志向だということと、もうひとつが若い営業を差し向けることが大事であるということ。

ぼくは、中小企業だから有名なものより無名でも安いものを提供した方がいいんじゃないかと思っていたらそうではないらしい。また、ぼくらのような年寄りが営業に行くと相手は遠慮してしまうのだそうだ。だから、お客さんが叱れるぐらいの若い営業が必要だといっていた。

それが終わったらそのコンサルのKさんと3人で会食。最初築地市場の中にある「魚四季」に行くが満席で入れない。ここは少し前に懇親会で使ったのだが、そりゃ安くて旨くて感激したので行ったのだが、時間もちょうど混むところであきらめざるをえなかった。仕方なしにこの近くの店に入る。

で、そこでのKさんの話のことである。

この人はぼくより歳がちょっと上の人ですが、元々は国産メーカーにいて、そのごDECにいたりして、その間OSに携わってきたのだ。それで、日本のITの黎明期のさまざまなことを裏話も含めて話してくれて非常におもしろかった。

それで思ったのですが、こういう人の話を誰かが残してあげないといけないのではないかと。以前、アシストという会社の社長であるビル・トッテンについて書かれた「起業家 ビル・トッテン ITビジネス奮闘記」という本があって、それを読むと日本のパッケージビジネスの歴史がよくわかっておもしろかった経験があったので、ほかの分野、OSだとかネットワークとかについても誰かが書き留めてくれないかと思うのである。

今の人は、最初からマイクロソフトがあって、オラクルがいてとか思っているかもしれないが、つい数十年前は誰もがいまの状況を予想できていなかったのだ。そういうことを知っているひとの頭のなかにまだ残っているうちにぜひお願いしたい。

 

起業家ビル・トッテン―ITビジネス奮闘記
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2008年1月19日

論点6 Platform -「ネット未来地図」から

本の要旨 -- 携帯電話キャリアは周辺ビジネスを食い荒らしていく

NTTドコモやauなどの携帯電話キャリアが、雪崩を打ってコンテンツビジネスに入り込んできている。例えば消費者向けに提供している基盤である「おサイフケータイ」が典型だ。プラットフォーム支配の第一歩である。
文章だけでなく、地理情報や音声、動画などあらゆる情報を解析し、新たな形式でのお勧めを実現して行こうという考え方で、有用なサービスを開発すると非常に強力な携帯電話のインフラとなりうる。

音声電話はいまも完全定額化はされていないので、音声通話はなるべく行なわず、ネットだけ利用するユーザがどんどん増えている。

新たな収益モデルとして、おサイフケータイやモバイルアベニュー、マイライフ・アシスト・サービスが登場してきている。

ぼくのコメント

ぼくは携帯電話は音声通話以外はあまり使わない。子どもとのメールと写真くらいでiモードも使っていない。だから、携帯が変貌していると言われてもピンとこない。

とはいえ、若い人をみていると使いまくっているという感じですね。最近電車に乗ると前の席で何人の人が携帯を覗いているかチェックするようにしている。そうすると代替6~7割の人が見ている。ほんと、びっくりする。昔はそのくらいの割合で新聞や雑誌を見ていたものだが、いまや新聞を読んでいる人がずいぶんと少なくなった。

話を戻すと、確かに携帯というプラットフォームは有望のようだ。グーグルフォンなんて話もあるし、激しい戦いが展開されるんでしょうね。それと、MACの超薄型PCじゃないけどハード的にも違ったものになるような気もして楽しみだ。
 

2008年1月20日

角度を変えて見たら

ちょっと前に製紙業界における再生紙の古紙配合率をめぐる偽装が発覚して話題になった。そして、みなが大問題のように騒ぎたてるが、ぼくは何が問題なのかよくわからない。これって、食品の賞味期限の偽装と似たところがあって、要するに誰が被害に遭ったのかということなのだ。

ある意味、消費者をばかだと言っているように聞こえてならない。ちょっと飛躍しているかもしれないが、再生紙の件だって、単に品質とコストの問題であって再生紙が入っていようがいまいが消費者の目でコストにあった紙を買うだけの話である。品質が悪かったら配合率がどうであれ買わないだけの話だ。消費者がその判断ができないから、配合率の低い再生紙をだまされて買っていたというのだろうか。

また、今話題になっていて、今国会でも焦点になるガソリン税の問題も、メディアはすぐに物価が安くなる方がいいのか、道路が作れなくなるのが困るのかといった議論になっている。しかし、別の角度からながめてみると以前にも書いたが、環境問題からの視点があって、環境に負荷をかけるものはコストがかかるという市場原理にするといいわけで、そうなるとガソリン税は下げてはいけないのだ。

ガソリン税を下げて自動車をばんばん走らせていいんですか。道路だってもういいじゃないのスローライフでいきましょうよというのが正しい温暖化対策でしょ。だからばんばん税金をかけて、それを道路ではなく温暖化対策に充てたらいいのだ。

どうも近視眼的な見方で良し悪しを言うのはやめてほしい。そして鳥の目をもって上からながめることもしてみたらどうだろうか。
 

2008年1月21日

こんなに使える経済学

以前「経済学的思考のセンス」(大竹文雄著 中公新書)という本を読んで面白かったので、大竹教授の編纂した「こんなに使える経済学-肥満から出世まで」(ちくま新書)を読む。大阪大学社会経済研究所の先生たちがわれわれの身近な問題を経済学という切り口でわかりやすく説明してくれている。

例えば、各章のタイトルを見るとおもしろいのだが、

第一章 なぜあなたは太り、あの人はやせるのか
第二章 教師の質はなぜ低下したのか
第三章 セット販売商品はお買い得か
第四章 銀行はなぜ担保をとるのか
第五章 お金の節約が効率を悪化させる
第六章 解雇規制は労働組合を守ったのか

という具合に最近話題になっていることがらにスポットをあてているので思わず引き込まれてしまう。

基本的には著者の大竹さんが前に「経済学的思考センス」のあるひととは、インセンティブの観点から社会を視る力と因果関係を見つけ出す力をもったひとと定義しているように、インセンティブなんですね。ただ、それだと何となく人間の行動っていつも経済合理性だけで動くわけではないよなあってなことを言いたくなる。

でも、面白いことがいっぱい書いてあって楽しめたのだが、その中でも「不況時に公共事業を増やすべきか」というのを紹介しよう。

いつも不況になると公共事業を増やそうとするが、これって結局単なる失業手当じゃないのかと思っていたのだが、本の中でも同じことを言っていた。いずれも公金が同じように使われるのだから一緒でしょとなるから、何でもいいから公共事業をやればいいのだというのは誤りなのである。だからといって減らすほどよいというわけでもない。

よく公共事業は税金の無駄遣いというけど、結局国民の懐に入るわけだから意味はないことはない。だから、何が大事かというと公共事業で作ったモノやサービスが価値があるものなのかどうかなのである。これは、当たり前の結論なのだが、その通り議論されていないわけで、政治家や役人はただ単にお金の額のことしか言っていないことが問題なのである。

こういうこととか、その他普段ちょっぴり引っかかっていたようなことをうまく説明してくれているので読んですっきりする本だ。
 

こんなに使える経済学―肥満から出世まで (ちくま新書 701)
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2008年1月22日

データも忘れないようにしよう

今日は雪がふるという天気予報だったので(いや本当は別の理由があったのだけど)、午後遅くなって東京へでかける。

今の開発方法論というのは機能とプロセスに注目しているのだが、実はそのほかに重要な要素としてデータがある。ぼくは以前、(Data Oriented Approach)という手法を勉強し、実践してきたのでデータということがとても気になっている。今の方法論は、データがきちんと整備されているという前提で成り立つものである。

そこで、以前から付き合いのあるデータの専門会社を訪ねる。この会社はデータの取扱いでは日本でも有数の会社で、かつて一緒に仕事もしたことがある。

そこで今のぼくの技法をひととおり説明し、意見をもらった。けっこう共感してもらったと思っているのだが、検討してもらうことにした。

そのあと、そこの副社長のHさんと営業のKさんと久しぶりに呑むことにする。特にWeb界隈の話が聞きたかったらしく、Web2.0やネットの話で盛り上がった。やはり企業情報システムに携わっている人たちはまだそのあたりの情報は少ないみたいで、こちらで話すことがみな初めてのようだった。

ますます、ネットとエンタープライズの融合をやっていかなくてはいけないという気がした。それと、ITベンダーの危機感が前より強くなってきているように感じられた。その会社は起業して20年経ったということだが、よくここまで来れたなあと感慨深げに語っていたのだけど、これからどこまで生き延びれるかみたいなことも言っていたので、みなさん心配なようですね。

てなことで楽しく過ごしたのだが、なんといっても呑んだところが新日本橋の近くだったのでそのまま横須賀線一本で帰れてらくちんであった。
 

2008年1月23日

老人とテレビ

ぼくは今年から半脱テレビ宣言をして、できるだけくだらないテレビをみないようにしているが、うちのばあちゃんは反対でますますテレビにのめりこんでいく。体が弱って動けなくなるにつれてテレビの前に座ることが多くなる。大相撲が始まるとウキウキしている。年寄りにはテレビが最高の暇つぶしのようだ。

これはばあちゃんのばあちゃんの話である。今うちのばあちゃんは86歳だから、昭和初期のことになる。そのころのばあちゃんはいったい何をしていたのだろうか。家の仕事から解放されたばあちゃんの生活とは。そんなことをばあちゃんと話したことがある。

何をしていたかというとご詠歌を唄い、写経をし、こよりを編み、そして時々家の前に出て道行く人を眺めていたという。

そうなんですね、都会ではあまり見かけないが、田舎の方に行くとよく家の前に椅子を置いて、そこに腰掛けて一日中通る人と車を眺めている年寄りを見かけることがある。そこのところは昔も変わらないのかもしれない。

昔の人は時間をつぶすのに苦労したのかどうかはわからないが、今の年寄りはテレビがあるおかげでそれを見ることでかなりの時間をつぶすことができている。だから、テレビ局はもっとお年寄り向き番組を真剣に考えてほしいと思うのである。
 

2008年1月24日

論点7 Venture -「ネット未来地図」から

本の要旨-- 日本のネットベンチャーの世代交代が加速する

2004年ころからベンチャーをめぐる状況が劇的に変貌している。ライブドアの堀江や楽天の三木谷、USENの宇野康秀に代表される旧来型の経営者とは決定的に異なった新たなネットベンチャー経営者が登場してきた。

旧来型のベンチャーの勝ち組の成功要因は、
1.いち早くインターネットのビジネスに着目し、先行者メリットを享受したこと
2.営業力がきわめて強かったこと
3.ネットバブル崩壊直前の「逃げ切り」株主公開

しかし、それから日本にはシリコンバレー型のベンチャーが出てきていないが、その理由は
1.新興企業向けの株式市場が存在せず、資金調達の方法が少なかった
2.技術者や研究者がカネのないベンチャーに流れてこない
3.技術主導型のビジネスモデルを生み出せなかった

ところがこの3つの不足は2000年以降急速に解消していく。

そこではWeb2.0の潮流の影響は大きく、楽天、ヤフーはこの潮流にうまく乗れなかった。
そしてこの間隙を縫うように、Web2.0の潮流をうまくすくい上げ、成長曲線に乗るようになったのが、はてなやミクシー、ドリコム、ゼロスタートコミュニケーションズといった第三世代のベンチャー群だった。

ぼくのコメント

第二世代から第三世代への移行はよくわかる。以前あるお客さんの商品を楽天に出店させようか検討したことがあったが、そのとき感じたのはああ楽天は営業でもっていると思ったのだ。もう営業マンがすばらしい。いろいろなサポートをやってくれるのでつい引き込まれそうになる。ところがけっこうなマージンを取るんですね、これが。だからそのときこの会社はネット企業じゃないと思ったものだ。

だから第二世代というのは、ネットでひと山あててやろうというような連中が多く、実体的には浮いていたように思う。

そこに技術を引っさげた第三世代の登場であるが、逆にビジネス的にだいじょうぶかなとも思ってしまう。ドリコムなんてやばそうだという噂もあるし、収益モデルを無視してやっているところもあるみたいで、やっぱり両方のバランスがいると思う。

それと、ベンチャーの資金がどうなっているのか、ぼくはよくわからないけれど、少くともシリコンバレー的なVCは日本には少ないと思うので、そういうVCが育ってほしいと思っている。

だからというわけではないが、第三世代のあとが続いていないように感じている。いまこれは面白い会社だというような起業をあまり聞かないようだが違うかなあ。


2008年1月25日

止まり木

昨日、おとといとほぼ一日中外出していたので自宅勤務に慣れた身にとっては少々疲れた。疲れた原因はたまに出かけるということもあるが、複数の訪問場所があるとその移動と移動の間の空き時間のすごし方が疲れを呼ぶ。東京に拠点があると戻れることをベースにスケジューリングできるので、そういったロスが少ないような気がする。

いま、スターバックスとかドトールとかコーヒーショップがいっぱい存在するのは、そんな空き時間を過ごす人たちの止まり木なんでしょうね。ぼくらの年代はそれを喫茶店と言ったのだ。いや“サテン”といった。

その止まり木もグレードがあるみたいで、スタバーに止まる鳥とマックに止まる鳥はちと違うようだ。ぼくは、すずめのようなものだからマックのコーヒーで十分だ。そんな時間のつぶし方ををする。

そして、止まり木は昼以外の世界にもある。ぼくにとっては夕方がそば屋だ。軽く呑んでせいろ一枚がいい。夏なんかまだ陽が高いときにそば屋にはいるのが至福のひとときである。

夜はバーという止まり木がある。ぼくは銀座に行きつけのバーがあって、そこに行って止まり木に座ると、何も言わないでもEarly Timesのソーダ割が出てくる。まあ昔でいうハイボールです。ここ何年同じシーンだ。こういうことが落ち着くのである。

でバーのカウンターというのは、そんな人たちが集まる。そして口をあけて酒を流し込む。おお、子供の鳥が口をパクパクやってえさを入れられてうれしくてさえずっている図が浮かんでくる。

こうしていたるところに止まり木ができ、そこで時間を過ごし、大人になっていく。そうなんです、子供には止まり木はないのだ。お前らは飛び続けろ。そして家に帰れ。
 

2008年1月26日

究極のエコ

究極のエコは資源を使わないことなのだろうが、このとき資源とは何かと考えたとき、二つのタイプがある。ここでも、ストックとフローということで、すなわち、ストックの代表的なものは石油であり、フローの典型は森林である。石油も非常に長いスパンでいくとフローなのだが、蓄積と消費のバランスが大きく違うためストック化しているということになる。

もうひとつ、考えなければいけないことはバランスである。バランスとは、収支バランス、マテリアルバランスのことである。僕は以前石油化学のプラントの生産管理をやっていたことがあるが、このマテバラというのが重要な管理要素であった。

おそらく、普通の人はこの石油に関するマテバラというのをご存知ないと思うが、かなり重要な点は、石油(原油から化学原料まで)はバランスの科学であり、経済であるといいことなのだ。だから、例えばどうしてガソリンができるかということをみたとき、簡単に全部ガソリンをバイオ燃料に変えればいいやという話もないのである。

どういうことかというと、原油はまず石油精製の工場に持っていかれる。中東からタンカーでマラッカ海峡を越えて入ってくるのです。それを海上のシーバースから陸上の原油タンクに入れられる。おっと、この話をしだすといっぱいあるのでこれまでとして、要は原油は常圧蒸留装置で蒸留という操作を経て、いろいろな成分に分離する。その分離された1成分がガソリンなのだ。だから、ガソリンだけ取ろうと思ってもできないのだ。

他の成分では、灯油や軽油、重油などがある。だから、お互いに持ちつ持たれつの関係になっている。何をいいたいかと言うと、原油というのはそれを使ったら目的外の成分も出てくるから、経済合理性の世界では、それを捨てるわけにはいかないから無駄かもしれないが何かに転化しているのである。しかし、今のところそのひずみは大きくなく、コストの調整で解決しているといえる。ただ今の原油のコストは政治的な影響で決まっているが。

同じように、森林についてはどうなのか、門外漢なのでよくわからないが、似たようなこともあるような気がする。

あまり環境のことについて言いたくはないといった手前、どうしようかと思うけど多少は発言していこうと思う。ここでは、「科学的って何」というエントリーも書いたがとりあえず、ある事象について言うのなら、事実認識をしたほうがいいと思う。感情論でひとを翻弄してはいけないのだ。科学的というのは冷静な態度のことでもある。環境とか人道とかはこの客観的冷静さが一番大事なことなのだと思う。「情熱と冷静」ですよ。

で話を元に戻すと、石油というストックをどうしていくかがこの世界中の、そして今世紀の最大の課題になる。CO2って石油と森林なのですよ。この向き合いかたって、自分たちの生活スタイルをどういうふうにしたいかってことになる。あくまでいまの生活レベルを向上させていこうというスタイルなのか。もうなくなる資源なのだから少しでも使うのをやめようというスタイルなのか。

人間ってだいたいにおいて流れに身を任すから後戻りするのは難しいが、簡単に言えばそこでがんばって後戻りすればいいのだ。石油が本格的に使われ出したのほんの数十年前だからそのときの生活をすればいい。

ところがだんだん、そのときの生活、すなわちエコである生活を(無意識で結果的にエコだったということも含めて)知っている人がいなくなる。別な言い方をすると、エコの生活をしたことない人にいくら昔の生活がエコと言ったって、そうした生活の実感がないから、戻そうとしたとしても石油ありきの生活しかイメージできないというおそろしい話になる。

もうやけくそで言うと、早く石油を使って枯渇させてしまえば温暖化なんか心配しなくてもよくなるという某教授の説が案外的を射ているのかもしれない。
 

2008年1月27日

第2回BPMオフ会

昨日はBPMオフ会にでかけてきました。場所は勝どきのトリトンスクエアで昼からtoitoiさんの「BPM入門」とwkzkさんの「jBPM紹介とデモ」を聞く。途中飛び入りでtomsawadaさんがBPMの変遷とワークフローとBPMの違いみたいなことをしゃべってくれた。

終わったあと近くの居酒屋でもうひとつのBPM(ビールパーティみんなでしましょ)というわけで、呑みながらあれやこれやのお話で盛り上がる。ぼくは、一次会の前半はずっとhabuakihiroさんと会話。今ぼくがやっていることを話したらかなり面白がってくれたのですごくうれしかった。これはどうも次回の勉強会のテーマにするかもしれないとwkzkさんが言っていた。

そのあとは2次会で多くの若い人たちとしゃべって、結構酔っ払って帰途につく。大船駅に着いたら乗ってきた電車が最終電車だとわかってびっくりした。乗り遅れなくてよかった。他の人は4次会ぐらいまで行った人もいたようだ。

今回は驚くことなかれ57名の参加があった。gothedistanceのブログをみてきた人、java-jaの人たちなどが初参加。早く終わったので、各自自己紹介する時間ができて、一言でもそれぞれのひとのバックグランドがわかって非常によかった。いろんな人がきていましたね。楽しかったです。

でもみんな熱い。若い人も熱いし、数は少ないがオジさんたちも負けずに熱い。仙台から来たHarryさんなんて前回も来てくれたのですが、前回はその日のうちに仙台まで帰らなくてはいけないので呑み会を途中で抜けたのですが、今回は会場の近くに宿をとって万全の構えで臨んでいました。燃(萌?)えてるよねHarryさん。

皆さんほんとにお疲れ様。そして、gothedistance、wkzkさんご苦労様でした。
 

2008年1月28日

可もなし不可もなし

おとといはBPMオフ会だったのでナマで見られなかったサッカー日本代表戦をビデオで観戦。

岡田ジャパンの船出ということで注目していたのだが、チリとスコアレスドローという結果でちょっと残念であった。ビデオで見るということは結果が分かってしまっているのでワクワク感がないかわりに、冷静にプレーや戦術を見ることができるのでまた違った楽しみ方ができる。

で結論的には“可もなし不可もなし”であった。“加茂なし”ではありません。(笑)“良くもなく悪くもなく”という、戦術やそれの理解度がちゃんとあるんだけどその日のチームとしての調子が悪かった、良かったということともちょっと違って、もっと前提としてやろうとしていることがまあまのところにあるといったようなことなのである。

岡田色が出ていない、あるいはオシムを引きずっていると言ってもいいのかもしれない。まあ、W杯の予選がもうすぐだからなかなか現状か大幅な変更はできないかもしれないが、メンバーにしてもほとんどオシム時代と変わらない。あのカズと北沢を切った岡田さんはどこに行ったのだろうか。

ここは、オシムサッカーを進化させるのか、岡田サッカーに変えていくのかの選択なのだ。それが、どっちつかずの印象を受けた。それが“可もなし不可もなし”ということである。例えば、巻と高原のツートップはオシム路線から変えたが前半で変えてしまったし、ディフェンスは従来のままなのである。も少し思い切ったことをやらないと自分で掲げたW杯3位以内は夢のまた夢になってしまう。

2008年1月29日

準備不足

ここ数日ぼくの周りでいろいろあって忙しかったので、ここの記事も1日遅れです。だから、日曜日のことを書く。

大相撲とマラソンで負けた二人のことある。

大相撲では、千秋楽の横綱決戦で白鵬が朝青龍に勝ち3連覇を達成した。朝青龍はブランクを感じさせないがんばりで惜敗である。

大阪国際女子マラソンでは、福士加代子が最初からぶっ飛ばしたが30kmで失速、最後はロサンゼルスオリンピックのアンデルセン状態になりゴールイン。惨敗である。

二人は惜敗であれ、惨敗であれ敗れ去ったが、その原因は明らかに準備不足である。朝青龍は直前の稽古で間に合わせたし、福士はたった1ヶ月しかマラソン練習をやらずに本番を迎えたらしい。やはり、究極のところに行くとそうした準備不足が露呈するものなんですね。

これは、スポーツに限らず、仕事でも同じで適当に準備して臨むとえらいことになるのを何度も経験した。何といっても準備が思い通りにできると精神的なゆとりが出るというのが大きいと思う。

さて、福士にはもうひとこと言いたい。“福士よ笑うな!”ということである。大阪のマラソンでも走っているとき無理やり笑顔を作っていた。どうも学生時代の恩師が苦しいときにも笑顔を忘れるなとか、応援している皆さんに感謝の気持ちを込めて笑顔で答えてやれとか言ったとからしいのだが、ぼくはやめろと言いたいのだ。

もう2年位前だったか、確か駅伝で走っているとき観衆に笑顔振りまいていたら、併走していた選手と接触してねんざかなんかしてしまいしばらく走れなったことがあった。これは集中力を失ったことによるのだ。

笑顔もいいけどその瞬間力も抜けるし、集中心が切れるはずだ。真剣勝負に笑顔なんて要らない。朝青龍じゃないけどもっと恐い顔をしろ、集中しろということなのだ。増田明美も笑って走っている選手をほめるな。

このブログの記事も準備不足なのでへたくそな文章ですね。反省。
 

2008年1月30日

IT産業崩壊の危機

ある人から日経BPの主任編集委員である田中克己さんと会って話をするから一緒に来てくれと言われたので、その田中さんが最近書いた「IT産業崩壊の危機」(日経BP社)を読む。

ぼくも今のような日本のIT産業だといずれ崩壊するのではないかと思っているので興味深く読んだ。内容は以前日経コンピュータや日経ソリューションビジネスなどに連載した記事を再編集したものである。

従って、盛りだくさんのテーマでITベンダー側から、またはユーザ企業側からの視点でも書かれているが、正直言ってテーマが多すぎる。またインタビュー記事も多く入れられていて、どれが著者の意見なのか、どうまとめようとしているのかがよく分からなかった。

危機的状況であることは分かるが、それを乗り越えていくのに、従来型の発想の延長でできるのかと思ってしまう。既成の大手ITベンダーの人たちの取材でその人たちが将来こうなると言ったところで、ぼくは限界があるような気がするのだ。もうそういう時代ではない。もっと世界は早いスピードでダイナミックに動いている。そんな時代なのに、その存在こそが危機を招いている会社に打開できるわけがない。

もっと若くてやわらかい発想や行動力に期待せざるをえないとぼくは思う。もっと日本のよさや強さを具現化した日本発のITを創出しないといけないのだ。

それと、国の対応のことも書いてあったが、経産省にしても総務省にしても彼らの支援する先はあくまで業界なのである。そのスタンスを変えないといつまでたっても日本のIT産業は再生できない。

最近「消費者庁」というような構想もでてきたようだが、ITにもこのユーザのためのITという切り口を持ってこないといけないと思うのである。例えば、中小企業のIT化だとかいうと、経産省はすぐにIT産業の振興というアプローチになってしまう。経産省にも中小企業庁というのがあるのだから、日本の中小企業を活性化するためにITをどう活用していくかという視点でやってもらいたいのだ。

こんなことを今度田中さんに会った時に議論できたらなあと思っている。
 

IT産業崩壊の危機―模索する再生への道のり
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2008年1月31日

試合は勝ったが熱気でハンドに負けた

サッカー日本代表がボスニア・ヘルツェゴビナに3-0で勝った。点差からいうと快勝だが、前の試合相手のチリに比べてはるかに弱いので割り引いてみなくてはいけない。しかし、ディフェンスが無得点に抑えて攻撃陣も3点も入れたのだから、この次のW杯予選のタイ戦にはずみがつく。

まあ、相手のボスニア・ヘルツェゴビナのサイド、特に左サイドがぜんぜんだめで内田がいつもフリーでいたので、そこからかなりシュートにつながっていた。前の試合のチリはものすごいプレッシャーをかけていたから、内田は全く機能しなかった。

だからサッカーっていうのはチームプレーというのと同時に対人戦としてのマッチアップが大事で、局面ごとの勝敗が全体の攻守に大きく影響される。内田のプレーも両方の試合でできが違うのではなく、相手との兼ね合いのなかで、昨日の試合は活躍できただけなのである。

それから、巻が退場して山瀬に代わって、大久保が2トップの一角になってからの方がチームとしてはよかったのではないだろうか。前のチリ戦のエントリーで書いたが、高原、巻の2トップは日本型サッカーではないと思う。

やはりトップにはアジリティの高いプレーヤーを配さないとめざすパスサッカーのよさが出ない。からだの大きさやポストプレーも必要かもしれないが、昨日なんか相手がでかいヤツばかりだから巻でも小さくなってしまう。それならいっそのことスピード重視にした方がいいんじゃないのか。

で大久保のことである。昨日はいいアシストをしたけれど、ぼくは彼のプレーはあまり好みではない。スピードはあることは確かだが、“かたいスピード”なのだ。以前レッズにいたエメルソンと同じようなタイプである。

そうじゃなくて“やわらかいスピード”がほしいのだ。メッシやアレクサンドレ・パトとまではいかなくともマグノアウベスとかジュニーニョのような感じですね。このへんに近い日本人選手がでてきてほしいのだ。それが日本型サッカーに絶対必要な要素なのである。

それにしても、昨日はハンドボールの熱気に負けていましたね。昔からぼくらはハンドボールをやっているやつをからかっていた。“こんなマイナーなスポーツやっていておもしろいのか”とか言っていたものである。それが一気にメジャーになった。理由は何にせよ喜ばしいことで、ただ一過性ではなく、続いてほしいものだ。それには強くならないといけないというのが唯一最大の答えである。期待しよう。
 

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