« 番狂わせ | メイン | 同期という名の連帯感 »

星野ジャパンの戦い方

またまた、スポーツネタです。昨日の野球の北京五輪予選は何とか韓国に勝って、予選突破に王手をかけた結果になった。長い試合で見るのも疲れたがやっている選手のほうがもっと疲れただろうし、なんといっても監督が一番疲れたのではないだろうか。

この試合で星野監督の戦い方をある選手と監督との比較で探ってみる。

ある選手というのは、マラソンの佐藤敦史選手のことである。昨日の福岡国際マラソンで好記録で日本人トップの3位に入り、北京行きの切符をほぼ手中にした。なぜそんなことと関係があるのかというと、昨日のレースでとても印象に残っているのは、34キロ手前くらいで、それまで並走していた3人の中から、佐藤選手が猛然とスパートしたことである。

結果的にはすぐに追いつかれてしまい、逆にあとの二人のスパートについていけず、3位に甘んじた。彼はなぜあそこでスパートをかけたのだろうか。もしが許されるなら、ずっとついて行ってもっとあとで勝負をかけたらどうなっていただろうかと思ってしまう。

結局、余裕の持ち方、持たせ方を考える“余裕”がなかったのだ。それは、おそらく日本人ランナーは積極性がなく、もっとはやく勝負しなくてはいけないという周囲からの呪縛に負けたのではないのか。

そこで星野ジャパンである。ぼくの感心したのは、岩瀬を6回途中から8回まで投げさせたことだ。それこそ周囲からの声は、8回藤川、9回上原だったのではないのか。まあ、8回に4点目が入ったからかもしれないが、よく続投させたと思う。

ところが、試合後の監督のインタビューで、そのことを聞かれ、「球児で行こうかと思ったが、延長もあるかもしれない」と言葉短く語った。なるほど、そこまで考える“余裕”だ。

さらに、この短く語ったところに星野の真骨頂がある。藤川を使おうと思ったがと言ったことで、ぼくはひょっとすると藤川を出すことが恐かったのじゃないかと邪推する。また、あまり延長になることを想定したと声高に言うと投げていた岩瀬や上原を信頼していなかったことになる。そこであの言い回しなのだ。

もうひとつの監督との比較のことである。それは、オシムと重なるところだ。何かと言うとオシムがジェフの選手を重用したのと同じように、星野は中日の選手を重用した。自分のスタイルを貫こうと思ったらそれを理解してくれる選手を使うの一番である。

うーん星野もなかなかやるなあ。今日の台湾戦に勝って北京への切符を手にしてほしい。
 

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kamawada.com/~masanori/blog/mt/mt-tb.cgi/408

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年12月03日 11:27に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「番狂わせ」です。

次の投稿は「同期という名の連帯感」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type