このブログもそうだが家にサーバーが置いてありそこで動かしている。昨日、そのサーバーがダウンした。社長が外出していたので、ぼくの唯一できる操作であるリブートを試みたがなかなか戻らない。しばらくして復旧したが、どうもアクセスが集中したようだ。半端じゃないアクセスがあったみたいだ。そろそろスケールアウトを考えなくてはと社長が悩んでいた。
アクセスの集中は、yusukebeがエントリーしたエロサイトをオープンしたという記事が原因のようだ。この記事がはてなの人気記事の1位、2位になっていた。エロサイトそのものが1位で、そのサイトの仕組みを解説した記事が2位である。こりゃすげえや。でも、オヤジはエロくないので誤解しないように。
ところで、ぼくの記事もはてぶされていた。25日に書いた「つながる若さ- 1981sにかるくシット」がけっこうブックマークされていて、しかもよい文章というお褒めの言葉ももらいありがとうございました。親子ではてぶされるというのもなんともうれしいものですね。
そうしたら、昨日もぼくのよく知っているGo The Distanceさんの記事「スーツにはスーツの道がある」もはてぶされていた。しかも、小飼弾さんのブログ「404 Blog Not Found」にもとり上げられていた。
以前、ぼくの記事を元にGo The Distanceさんがブログに書いた記事がはてぶされて人気エントリーになったこともある。yusukebeはPerlのプログラムを弾さんに勝手に添削されていた。
こうなると、はてなの世界あるいはブログの世界でみなつながってくるんですね。みんなが見ていてくれて、いろいろ意見を言ってくれるというのは楽しいことなのである。
でぼくも「スーツにはスーツの道がある」について何か言おうと思ったが、弾さんが的確に言ってくれていて、そのとおりだと頷いてしまった。その言葉とは、
ギークとスーツの違いは、何を身に纏っているかの違いではない。 魂に何を纏っているかの違いなのだ。スーツの言葉など、当のスーツすら動かせない。手の裏付けのない言葉はあまりに安い。人を動かしたかったら、まず自分の手を動かせ。手が塞がっていたら、手を動かした経験を語れ。口で語るな手で語れ。
スーツを身にまとっても、負けじゃない。しかしそれを魂に纏ったら、負けなのである。
晒している人こそ、強いのだから。ギークとは、魂に纏わないもののことである。
スーツを身に纏っても、そのことさえ忘れなければ君は立派なギークなのだ。
ぼくは、スーツを着ていようが着ていまいが、あるいはどんな立場であろうが、どんな職種であろうが、「職人の心持」を失ったらおしまいのだと思っている。
経営だって、営業だってそうだ。手を動かせなかったら意味がないのだ。自らの手で“もの”を作ってから言えっていうことだ。素晴らしいものでなくてもいいから、自分の頭で一生懸命考え、心で鋭く感じて、それを作るあるいは表現することが最も基本的な態度だと思うのである。