前回、中部大学教授の武田邦彦さんという方の環境論をベースに話を進めると言ったが、少し環境問題についてネット上で調べてみた。そうしたら、当然なんだけど、反論している人がいる。武田教授の主な論点は。簡単に言うと「リサイクルをしてはいけない」ということと、「地球温暖化は二酸化炭素の影響ではない」ということにある。
要するに、リサイクルはコストがかかり、余計に資源を使うことになるという主張。さらに、ペットボトルの国内リサイクル率は10%程度で後は焼却か輸出であると言っていて、ゴミを輸出していいものかとのこと。ただし、ここが“科学的”でないと指摘されている。論拠はPETボトルリサイクル推進協議会のデータなのだが、その当の協議会から捏造であると同協議会のHP上で抗議されてしまった。
昨日のニュースゼロでこのペットボトルのリサイクルの話題が放映されていたが、それによると40%くらいが、独自ルートで中国に輸出されているそうだ。まあ、確かにこの輸出分をリサイクル率に含めるのか否かは議論があるが、中国で再生使用されるとなると含めてもいいような気がする。このデータ捏造の事実がわかった瞬間、武田教授がとたんに信用できなくなってしまった。むしろ、異を唱えている安井至東大名誉教授がまっとうに思えてきた。
一方、地球温暖化のほうだが、これは温暖化の主原因が太陽の活動の変化であるという主張。これは、テレビによく出る池田清彦さんといっしょ。ロングスパンで考えるとそうかもしれないが、反対派はだからと言って二酸化炭素を排出していいわけではないと言う。
ところで、この地球環境特に温暖化についてはどうもよくわからない。というのは、温暖化してどんな被害があるのかと思ってしまう。北極や南極の氷が溶けて海面が上昇すると言っても、“科学的”には、それこそゴアが言っているような上昇はない。それじゃあ、異常気象なのかといっても因果関係なんかわかりっこない。そうなると、内田樹さんのように「地球温暖化で何か問題でも?」ということになる。彼のブログの一部を載せる。
地質学的なスケールで考えても、現在は「間氷期」である。 地球は氷期と間氷期を交互に経験する。 最後の氷期が終わったのが、約1万年前。 黙っていても、いずれ次の氷期が訪れて、骨が凍えるほど地球は寒くなる。 そのときには海岸線がはるか遠くに退き、陸の大部分は氷に覆われ、動植物種も激減するであろう。 だから、私は温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないかと思っている。 地球寒冷化よりずっとましだと思う。 寒冷化した地球を想像してみたまえ。 夏が寒いんだよ。冬は豪雪で零下数十度。 冷夏では作物がとれないから、すぐに飢饉になる。 食料が高騰する。 いくら夏が暑いとはいっても、河原でも森の中でも、どこか涼しいところを探せば、なんとかしのげる。 でも、寒いときには「温かいところ」には必ず人間がいて、金を出さないとそこには入れない。 寒冷化した地球では、食料と暖房を買うことのできる人間しか生き残れない。 貧しい人間たち(つまり人類のほとんど)は遠からず凍死するか餓死する。 温暖化ではたしかに北極のシロクマさんたちは生活を脅かされて困っているであろうが、寒冷化で、人間たちが(もちろん動物植物たちも)ばたばたと凍死餓死するという未来もあまり想像したくない。 適当なところで落ち着いて欲しいものである。
こうした環境問題についての議論に正しい答えはない。だから、どちらか片方が正しくて、片方が正しくないというニ項対立の図式はありえない“納得”の世界なのである。しかし、この二元論はテレビの世界ではまかり通るわけで、わがままな市民を作り上げる。もう少し、冷静に正しい知識に基づいて議論し、ウチダくんがいうように適当なところところに落ち着いて欲しいものだ。
ほんのちょっとだけれど環境問題をみてみたが、ここで何か言うのはやめようと思っている。結局、環境問題の行きつくところは、自分のライフスタイルをどう設計していくかになるような気がする。乱暴に言えば、そこに他人がとやかく言う筋合いではないのではないかということだ。別な言い方をすると、その人の生き方が資源を浪費し、環境を悪化させているとその人に言ったところで“納得”するだろうか。ということは、世の中の仕組みでいい方向に向かうようにすることではないのだろうか。
安井教授が言っているように、「環境問題では、負の価値をもったもの、例えば、公害を引き起こす物質にしても、ゴミにしても、減らそうとすれば、それを排出すると費用が掛かる、という社会的仕組みを作る以外に方法は無い」のかもしれない。