還暦祝いといってもぼくのことではない。まだ1年ある。昨日、高校のサッカー部の1年先輩の人たちの還暦祝いに行ってきた。顧問だった鈴木先生が還暦祝いをしてあげると言ったそうで、そのとき下の代のぼくらも呼べとなって急遽集まったのである。だから、上の代とぼくらで20人くらいになった。
この2世代はわりと会うことがあって大体顔はわかっているが、昨日は高校卒業後初めて会うというひとが来られて、みなびっくりしていた。42年ぶりとなるわけで、でもそのひとは高校時代「老人」というあだ名で呼ばれていたので、昔も今もあまり変わらないのである。
しかし、この還暦を迎えた代の人たちは、結束力がかたく、しょっちゅう集まっている。そして、多士済々のメンバーで、大学の先生が2人で、そのうちのひとりは「ショージ先生の船の博物館めぐり」という本を書いた東京海洋大学の庄司教授です。また、以前このブログでも採り上げた作家の植松二郎さんも先輩です。他にも慶応大学ソッカー部(慶応は昔からサッカーではなく、ソッカーといいます)の総監督の人とか、昨日は来られなかったがウズベキスタンの大使館付き医師の人とか、おもしろい人たちばかりです。
この代は関東大会優勝という今から考えるとすごいチームだったわけで、その強さは、様々な個性を持った人たちが、その能力を十分に発揮することができたことに尽きる。個々にみたらそんなに飛びぬけた選手がいたわけでもなく、むしろ、高校に入ってからサッカーを始めた選手が多くいたのだ。その選手たちの力をうまく引き出す戦術とモチベーションを監督の先生がチームに植えつけたのであった。
だから思うのである。チームとして強かったからこうして42年経った今でも結束力があるのか、この結束力があったから強かったのか。いずれにしろ、アマチュアチームスポーツのあるべきひとつの姿を身近で感じたことは、これまでのぼくの人生に大きな財産となったことは間違いない。
この2世代はまた、誰も欠けることなくここまで来ていますが、昨日は胃がんの手術をして退院したひとの快気祝いも兼ねていたのだが、ぼくらの同期にも半年前にやはり胃がんの手術をしたというやつがいて、胃を3分の2切った、いや俺は5分の4だなどと、この話で盛り上がった。しまいには、先生から「こりゃ、イガンタイショクだな」という駄洒落まで飛び出すことに。
でも、二人とも酒は呑むわで、いまや胃がんは恐くないようですね。ただ、ぼくの同期のやつはJICAにいるんだけど、半年前にボリビアに行く話がでて、そのための健康診断をやったときにがんが見つかったそうで、もしそれを知らずにそのままボリビアに行ってしまったらと思うとぞっとしたと言っていた。
先生は高齢なので(といっても72歳とは思えない元気さですが)早めに引き上げましたが、その後、やはり40数年前の話になる。ところがみんな昔のことをよく覚えているんですね。ということで、昨日はみな高校生に戻ったのであります。
いよいよ、来年はぼくらの世代が還暦を迎える。また、先生が「お前らも祝ってやるから」と言ってくれたので、メッセージ入りの先生が描いた水彩画の絵葉書を来年もらえることを楽しみにしている。