近頃、ウェブの掲示板やブログでの意見のやりとりを目にする機会が増えているが、中には誹謗中傷、ののしりあいの類や炎上するのに出会うことがある。また、テレビなどでも対立した意見を言い合う討論番組なども見る。
そこでいつも感じるのは、議論がかみ合わなかったり、いったい何を話し合っているのかわからないとか、一方的に言うだけだとか、登場した人のキャラクターで方向が決まっちゃうみたいにところが多いなあということである。
これはどうも基本的なお作法みたいなものがないからではないかと思っていたら、そんものずばりの本が出た。岩田宗之さんの「議論のルールブック」(新潮新書)である。ぼくは以前からこの著者の岩田さんという人のブログを読んでいて、そこに書いてあったことが本になっている。いまやこうしてブロガーが本を出版する時代になった。
この本の肝は、「議論とは「話を聞くこと」である」ということ。そこのところを引用してみる。
相手の発言を否定せず、理解をしようとするところから議論は始まります。相手の発言が激しい口調で自分を攻撃しているように感じられたとしても、よくよく話を聞いて見れば、自分にとって非常にためになる情報や意見が含まれているかもしれません。相手の発言に反発してしまうと、それらを受け取れなくなってしまいます。 そもそも、相手の発言に対して感情的に反発しても、何の得にもなりません。相手が何か言ってくるには何らかの理由があるのですから、それをいったん聞いてみることは、自分のためになります。相手の主張が的外れだったり根本的に何かが間違っていたりしたら、その時に否定すればいいのです。 議論とは、それぞれが相手の話を聞き、わからない点を質問して、共通の問題について理解を深めていく過程です。
これが、ほぼ本書で言いたいエッセンスであろうと思う。環境問題や教科書問題の議論だとか、ネットの功罪など多くの議論が世の中で巻き起こっているが、どうもここに書いてあるルールというか作法みたいなものが欠如して、そこで議論があらぬ方向に行ったりしているような気がする。
そんなときは、この本に書いてあるルールをよく読んで実のある議論をしてもらいたいものだ。それだけよく整理されていていつもそばに置いておいて読み返してみたらいいと思う。
最後に、気になっていることとして、この本にも出てくる「匿名性」という問題について。
いまやネットの匿名性により過激な発言や行動が問題視されていますが、まず匿名という場合2種類あるということを皆さん忘れています。こういう前提となる認識がばらばらだとそれこそ議論になりません。
一つ目の意味は、「実名を隠して別の名前を用いること」で、これをハンドルネームと言います。ぼくもこれを使っています。もうひとつは、「名前を明らかにしない」ことです。“名無し”とか“通りすがり”といった、その人の固有のものではないものを使う場合です。
この二つは、一見おなじように思えるがこれが違うということを理解しておかなければならない。最初のようにハンドルネームを使っている場合は、実名でなくても特定の個人を指すと言ってもかまわないと思う。作家がペンネームを使うのと基本的には同じと考えるというわけです。
このあたりは以前佐々木尚さんと毎日新聞との論争なんかに見られるように、佐々木さんの言うように、何も実名でなければその言論の価値が落ちると考えることが間違いだとぼくも思う。まだ、日本の社会はまだまだ何を言ったかではなく、誰が言ったかが重要視される。しかし、重要なのは誰がではなく、その言動の内容のはずだから、ハンドルネームでもかまわないと思う。これって、けっこう大事なことでネットを使うのには権威をありがたがる態度は拒否されるのだ。
だが、もうひとつの匿名のほうでこれはやめたほうがいい。ただ、ネットは残念ながら「嫌なら読まなければいい」と言うわけにはいかないことが問題で、どうしても池田信夫さんがよくいう”ネットイナゴ”みたいなものが出現して、不愉快になることがあるが、だからといってどうしようもないので、もうこれはゴミと思うしかないですね。

