このあいだ、新書や文庫本用の書棚を買ってきて、2階の廊下に置いた。家族で自分が読んだ本をそこに入れておくことにした。というのも、重複して同じ本を買ってきてしまうことがあるからだ。ちょっと読む本が切れたのでそこを覗いてみると、「「狂い」のすすめ」(ひろ ちさや著 集英社新書)という本が目に入ったので読むことにする。
著書のひろちさやという人は、仏教を中心に宗教についての著作を多く残している。ただ、タイトルがちと過激で一体どんなことが書いてあるのだろうと思ってしまう。最近の新書のタイトルは、凝ったというか、奇をてらったものが多く、購買意欲をそそるものもあるが、逆に中味と乖離したものもある。この本のタイトルもぼく的には行き過ぎのような気がする。もう少し、マイルドに「「非常識」のすすめ」くらいにしておいたほうがよかったと思う。
この本を買ってきたのは、下の息子で、なにかで落ち込んでいたとき手にしたらしい。本の内容はそうした鬱屈している気持ちを、くよくよしたって始まらないから、そんなにまじめに考えないで楽にいこうよみたいなトーンで書かれている。
まず、“世間を信用してはいけません”とくる。世間の常識は、世間そのものにとって都合のいいものを一般大衆に押し付けているだけだと。なるほど、同感だ。ぼくの持論に、無常識はダメだが、非常識はいいことだというのがある。常識がないのは困るが、常識を持った上でその常識を打ち破る姿勢が必要だと思っている。そうでないと、常識ってころころ変わるものなので、常識に固まった人は、常識に振り回されることになるからだ。
まあ、このあたりはいいが、つぎが、“目的意識を持つな!”である。目的意識があると、その目的が達成されないと、毎日がつまらなくなるからそんなものは持たないほうがいいというわけです。
そして、つぎが“人生は無意味”、“「生き甲斐」は不要”ときた。ここは少し引用する。
もしも、「人生の意味」を論じるのであれば、あらゆる人間に通じるものでなければなりません。百八歳まで生きた老婆と、たった三日間しか生きられなかった赤ん坊と、その両者がともに同価値でなければならない。天皇や皇太子の人生とホームレスの人生とが、同価値であるような「意味」であってこそ、真の「人生の意味」といえるのです。わたしはそう思います。 だとすると、「無意味」だというのが、真の「人生の意味」なんです。 そして、わたしたちはついでに生きているのです。
こうして、肩肘張らずに淡々と生きようとうメッセージは、確かに落ちこぼれだとかひきこもりの人たちあるいは病気で悩んでいるひとたちに救いを与えるかもしれない。ひきこもりでいいじゃないか、がんになったってがんを治そうとしないでがん患者として生きればいいじゃん、ということなのだが、ぼくらのように齢を重ねた人間にはある程度理解でき、実践もしようという気にはなる。
しかしながら、若い人たちにとって受け入れられるのだろうか。悟ったような冷めた生き方もいいが、熱き思いをもったアグレッシブな生き方も必要のような気がする。目的だって要ると思うし、生き甲斐もあってもいいと思うがいかがなものだろうか。
こうした生き方は、年をとってからでも遅くはないとぼくは思う。五木寛之が言っている林住期になったころからだんだんと孤独の中で死を迎える準備として、こうした考えをもっていくのでいいのじゃないだろうか。
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考え方次第で幸せに?
狂うこと、狂わないこと、どちらが「正常」?
気が楽になりますよ
