ノーベル平和賞にアル・ゴアとIPCC(国連の「気候変動に関する政府間パネル」)が選ばれた。
ノーベル委員会は、「人類は深刻な気候の変化を目撃している。ゴア副大統領とIPCCは、人類に大きな脅威になる気候変化の問題に警戒心を催した代表的な人物と団体」だとした選定理由を述べている。 さらに「ゴア副大統領は、気候の変化に関連した多くの演説とキャンペーンを繰り広げた。IPCCは気候変化の原因と被害などに関する報告書を通じて、気候の変化の深刻さを知らせるのに力を注いできた」と説明している。
ところが、IPCCはゴアと一緒に受賞したのを歓迎していない。というのもゴアの主張していることが科学的な根拠がないことがだんだん明らかになってきて、「不都合な真実」は単なる政治的なプロパガンダではないかと言われているからだ。
確かどこかの国で裁判になって、科学的な誤りがあると指摘されている。IPCCとの対比で言うと、「不都合な真実」では、むこう100年間で海面が20フィートも上昇することになっているが、IPCCは1フィートであると報告している。うーん、違ったことを主張している個人と団体が同時に受賞するのって、ちょっと変ですよね。
この地球温暖化に限らず、環境問題というのは、どうもぼくにはなんか変だなという気にさせられる。環境保護団体の原理主義やヒステリックな庶民感覚、扇動政治家のアジなど、一歩引いてしまう。
それはどうしてかなあと考えてみるに、まずは科学的な根拠に基づいた共通認識の上での議論になっていないことではないかと思う。先ほどの海面上昇のことでもみんな勝手なことを言っているように見える。たとえば、北極の氷が溶けると海面は上昇しますか?よく考えて見てください。コップの中に氷を入れて暖めたらコップから水が溢れますか?だから、感覚的にものを言ったらだめなのです。
でこんなことを考えたらすごい人に出会った。中部大学の先生で資源材料工学が専門の武田邦彦さんというひとです。最近「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」を出版した。ぼくは、まだ読んでいないのだが彼が主張していることで目から鱗の話を紹介する。この人は東京大学を卒業して、旭化成に入社して、そこで長い間企業の研究者であったので、世間を知っているので説得力がある。この人は「リサイクルしてはいけない」と言っています。
ごみを減らさなければならないということについては、日本人のほとんどが異議は無いと思います。問題は、ごみの減らし方です。一つはごみそのものを減らすということともうひとつはリサイクルです。リサイクルということで言えば、ごみの量自体が減らないのなら「ごみをもう一度使えば良い」と考え、「ごみを分別すれば資源」という言葉も作られました。確かに、素人感覚から言えば、ごみをもう一度使えばごみの量が減るように感じられます。でも実際はそうではありません。
最近リサイクルが進んできたのでごみが少なくなったという報道が多いように思います。これはリサイクルしたからごみが減ったのではなくて、焼却が 進んだ結果です。リサイクルをするまでは多くのプラスチックが埋め立てられていました。
その頃にダイオキシン問題のため、プラスチックを焼却炉で燃やせな いと言われリサイクルが始まりました。でもダイオキシンや焼却炉の技術的な問題などはすぐ克服できます。実際それが克服されたので、現在では外国に持ち出 しているものを別にすると、国内ではペットボトルの約95%、ペットボトつまり、リサイクルが始まってごみの量が減ったと言うのはその通りなのですが、何故ごみの量が減ったかというと焼却しているからです。
決してリサイクルして、材料が再び使われているからではありません。ほとんどの日本の自治体がそうですが、市民が一生懸命分別したものを結局は全部集めて焼却しています。
一旦、リサイクルとして出されたごみですから焼却してもリサイクルと言っていますが、こんなことをするのなら最初から分別せずにまとめて焼却した方が良いに決まっています。分別すると資源の回収が難しいのですが、全部一緒に焼却すると資源は回収できます。
もう一度、初心に返って「分別すればごみ」と言い換えることが大切でしょう。
ああ、知らなかった。でも前からあの面倒くさい分別がどれだけ意味があるのか疑問だったのが解けたことと、リサイクルしても実際にはゴミが減らないということに驚いてしまう。
環境問題について常識だと思っていることが実は科学的根拠がない情緒的な思い込みであるということなのだが、それを環境意識の高い人々に対して、あなたたちの“常識”は間違っていますよと堂々と言うということが“良識”ある態度であると思うのである。