桂枝雀が逝ってからもう8年半になる。枝雀その生涯を閉じた年齢と同じ年齢にぼくがなった。そんなこともあって「笑わせて笑わせて 桂枝雀」(上田文世著 淡交社)を手にする。
枝雀はぼくがいちばん好きで、いちばん笑わせてくれる落語家である。誰をも抱腹絶倒させるものすごいパワーの持ち主でとりこになった人も多い。そんな枝雀の人生について元朝日新聞の芸能記者だった上田氏が、その生い立ちから晩年の様子までを書きとめたものである。
枝雀は神戸大学まで進んだ頭のよい人であったが、決して平坦な道ではなく、途中養成工であったり、定時制の教師をやったりとずいぶんと起伏のある青春を送っている。昭和36年に神戸大学を中退して、桂米朝の弟子になる。21歳のときである。その頃は、小米と名のっていて、枝雀を襲名するのは12年後の昭和48年ことである。
枝雀がどんなにおもしろい落語家であったかのエピソードは、歌舞伎座でのカーテンコールに尽きるのではないだろうか。落語は普通は寄席でやるわけだから少人数である。もう少し大きくなると数百人のホール落語であるが、枝雀は上方の落語家としては初めて東京・銀座の歌舞伎座の舞台に上がる。この歌舞伎座になんと2200人ものお客さんが詰めかけたのである。そこで起きたのがカーテンコールである。「地獄八景亡者戯」を一気に1時間25分で演じきったあとのことである。
そしてまた、枝雀を語るとき必ず出てくるのが、英語落語である。なぜ英語落語を始めたかというと、枝雀は若い頃時から英語が好きで、また得意でもあったが、あるとき英語学校に入学して勉強を始めたのだが、そのとき授業のひとつにフリートーキングというのがあって、先生から「何でもいいから英語で話しかけて」といわれ、困っていると、「枝雀さん、気持ちをこめてしゃべれること、ありません?」「それはやっぱり落語ですね」「そんなら英語で落語をしゃべってみたら?」ということだったそうです。しかし、それを実際にアメリカやイギリスで演じてしまうところに枝雀のすごさがある。
まだまだ一杯紹介したいことがあるが、そうもいかない。もっともっと聞きたかったのに若くして逝ってしまった。枝雀は天才と言われるが、むしろ努力家であり、理論家であり、ものすごく落語を愛した人です。そして、決して満足することなく、いつももっと笑わせよう、面白がらせようと考えた、いや考えすぎたひとであった。それゆえ、休まる日がなく命を縮めたのだろう。
もう、30年近く前に四日市の市民会館で初めて生の枝雀を見てから、世の中にこんな面白い落語があったことを思い知らされ、それからずっと枝雀をお気に入りに入れていたぼくとしては、忘れないように時々はCDで聞いたり、本を読んだりしていこうと思っている、今日このごろでございます。
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芸を磨き続けた噺家、桂枝雀の人生
