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ピンポン - チャイナばなしその11

いま、「ピンポン外交」という言葉を知っている人はどれだけいるだろうか。それは、中国が永年国際舞台から孤立していた状態を抜け出るきっかけとなったエポックメーキングな出来事である。

1971年、舞台は日本の名古屋であった。この年、第31回卓球世界選手権が開かれることになっていたが、日本の卓球協会長の後藤 二が、当時文化大革命で数年前から参加できないでいた中国を出場させるべく奔走した。それが、周恩来の応援や毛沢東の決断で参加が決定。そして、来日してある偶然のできごとがきっかけとなり、米国等の卓球チームの訪中が電撃的に決まる。

あるできごととは、アメリカの選手が間違って中国選手が乗っていたマイクロバスに乗りこんでしまったのだ。中国の選手は米国人と絶対に話をしてはいけないと厳命されていたから、車内はしーんとしていた。

ところがそのときひとりの中国選手が紛れ込んだ米国選手に語りかけたのである。その選手の名は、荘則棟である。過去3回連続世界チャンピオンにもなった有名な選手が声をかけたのである。この予想外の接触を翌日の新聞が取り上げた。これが、後押ししたかのように毛沢東も米国選手団の中国訪問を許可したのである。

そこから、キッシンジャーの秘密訪中につながり、ニクソン訪中、そして数ヵ月後に田中角栄の訪中、国交回復へと進む。

ちょっと長々とピンポンをきっかけに日中国交回復までいった話をしたが、このように中国では非常に卓球が盛んであり、国技みたいなものですね。荘則棟を筆頭に、当時もものすごく強い選手が一杯いた。その前は日本が強く荻村伊知郎とか田中利明とかいった世界チャンピオンを生み出していたが、このころから中国が台頭してきたように思う。

さて、30年前に中国にいた時も卓球が盛んで、宿舎にある卓球場でたまに中国人を交えて卓球大会を開いたりした。これがみんな強いのだ。いわゆる前陣速攻というやつで打ったと思ったらすぐ戻ってきてやられてしまう。

そして、ある日のこと日本人が集めれて、いまから近くの体育館に行くと知らせがあった。何があるのだろうと興味深々だったが、普段行ってはいけない公団アパートみたいな集合住宅のところに連れていかれた。

なんと、そこで卓球の中国代表選手による模範演技があるというではないか。女子選手だったが数人のトッププレイヤーがラリーの応酬や練習試合を見せてくれた。当時は娯楽のない国だから、こうしてチームを組んで巡回しているらしい。住民も多数集まってきて観戦するのである。

まあ、プレーのすばらしさもさることながら、ぼくがいちばん驚いたのは何だかわかりますか。それは、彼女ら卓球選手の体格や血色のいいことである。からだもふっくらとして、顔も肌もつやつやしていて、観客と比べると全く違う人種に見える。

そのころの中国人に太ったやつは一人もいなかった。皆、がりがりにやせていたのだ。いまの中国人の子どもをみると明らかに肥満児といえるやつもいるが、当時はそんなヤツはいなかった。

で通訳の人に聞いてみると、代表選手は普通の人と全く別の生活をしているとのこと、食べるものも栄養のあるものをたらふく食べられるそうだ。いまは福原愛ちゃんが行っているくらいだから、日本なんてと変わらないと思うが、当時は国策としてのピンポンがあり、その国の威信を背に見世物もやりなながら戦っていた選手を思うと、いくらいいものを食べられたとしても幸せなのかと考えさせられたものだ。

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2007年10月13日 15:52に投稿されたエントリーのページです。

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