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2007年10月 アーカイブ

2007年10月 1日

高齢者の運転

高齢者が運転する車の事故が多いらしい。ぼくの姉もかなり前だが80歳を過ぎた高齢のおじいさんにぶつけられた。左右を見るのだけれど判断の時間がかかるから、左をみて、次に右を見たときには、もう左から来た車に気がつかないというわけだ。

また、アクセルとブレーキの踏み違えも多いと聞く。いちがいに、高齢になったからといって免許証を返納せよとは言うつもりはないが、せめて、1年ごとの更新にして、運転能力に問題があるようなら更新できないようにすべきではないだろうか。

こんなことを書いてみたのは、おととい銀行に行こうとでかけたら、目の前で「96才」と書いた手作りのステッカーを貼った車を見たからです。運転書の姿がはっきり見えなかったが、老人の男の人が運転しているのは確かだったので、おそらくその運転者の年齢が96才なのだろう。

なぜ、年齢を貼り付けているのだろう。歳だから気をつけてくれ? それならシルバーマークをつければ済む話だし、どうだすごいだろうという自慢なのかなあ。もしかして、日本の最高齢運転者かもしれないな。

ところで、高齢者の運転に関する法律のことを少し。
・ 「高齢者講習」の対象年齢が、75歳以上から70歳以上に引き下げられた。
・ シルバーマーク(高齢運転者標識)をつけるよう努める年齢も同様に引き下げられ、70歳以上に拡大された。
・ シルバーマークをつけた車には、幅寄せや割り込みが禁止されます。
・ 高齢で自分の運転に自信がなくなれば免許証を返納できる制度がありますが、身分証がわりに保持する方も多いことから、新たに、免許証を返納しても身分証明書として通用する「運転経歴証明書」の交付を受けることができるようになった。

知っていました?

96sai.JPG

2007年10月 2日

自立と共生

福田首相のキャッチフレーズが自立と共生というらしい。最初、自立と共存と言ってあわてて訂正して失笑を買ったやつである。それがどんなものかよくわからないが、わが家でそれを具現化したものを見つけた。

ちょっと前に植木屋さんを入れて、庭の植木をきれいにしたのだが、ばあちゃんの家の庭でいままであまり気にもとめていなかった面白いものを発見。ひとつは、竹垣の上に南天が生えていた。どこに根があるのだろうか。こりゃ自立しているよ。

もうひとつが、樹齢百年くらいのモチノキがあるんだけど、その幹に空洞ができていて、そこから何と熊笹がでてきているのです。ヤドカリじゃないけどこりゃ共生ってやつですね。

これを見たばあちゃんが、このことを「ど根性草木」と名づけて新聞に投書すると言い出した。で一生懸命文章を書いていたと思ったら、さてどうやって出したらいいのかと尋ねてきた。結局ぼくが電子メールに書いて送ってあげた。採用されないと思うが、もし採用してくれなかったら朝日新聞を止めるといきまいていた。でも86歳にしてはまだまだ若々しい文章でした。

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Shibuya Perl Mongersデビュー - 親子丼的ビジネス奮闘記(7)

社長がついに昨日Shibuya Perl Mongersにデビューしました。Shibuya Perl MongersというのはPerlという言語のユーザのコミュニティで、東京地区得に渋谷周辺の人たちを中心に活動しているのでこうした名前がつけられている。定期的にイベントをやっていて、昨日は「テクニカルトーク#8」というプログラムです。

まあ、日本のPerlのトップ使い手が一同に会すようなところで、有名なシックスアパートの宮川達彦さんもサンフランシスコから来て“Guest Talks”でしゃべっていた。うちの社長は、一番最後で“Lightning Talks”で5分間だったけど「リビドー駆動開発によるPlaggerとCatalystを使った(Mashup)サイト開発」というタイトルでプレゼンをしていた。

ぼくがそこにいたかのように言っているが、実はこの模様はUstream.tvで中継してくれていたので、家でそれを見ていたのだ。回線スピードの関係でちょっと音声が聞き取りにくかったが、居ながらにして会場の雰囲気がわかるのだからすごいものだ。

ただし、ぼくには皆さんが言っていることが全くといっていいほどわからない。外国人のひとも英語で発表していたが、英語を理解するよりも難しい。

Geekの世界はこういうものなのかもしれないが、ITは幅が広すぎる。ビジネスからプログラムまで、これらをトータルで最適化するのは非常に難しいと思うが、よくわからないのだけれど、どこか本質的なところでつながっているような気がする。

まあ、これでPerlの使い手ともコネクションができたので、いまのビジネスプランで必要となったらコンタクトしてみようかと思っている。

昨日の様子は、社長のブログの「Shibuya.pm tech talk #8 で 「リビドー駆動開発によるPlaggerとCatalystを使ったサイト開発」を発表してきました」に詳しいので、そちらをみてください。

2007年10月 3日

「忙しい人」と「仕事ができる人」の違い - 働きたくなるIT(14)

少し前のはてなの人気エントリーで1000ものブックマークをもらったものに「『忙しい人』と『仕事ができる人』の20の違い」というのがあった。小林英二さんという人の「モチベーションは楽しさ創造から」というブログの記事です。

この手の話は受けるのですね。忙しい人が多いのかもしれませんね。皆、自分の忙しさを何とかしなくてはと思ってはいるが、そこから抜け出せないでいる。ぼくは前に忙しさはドライビングフォースという記事を書いたことがある。そこにも書いてあるが、忙しいこと自体は悪くはなくて、むしろ忙しくないと脳が活性化しない。だから、忙しい人がダメだと誤解されそうなタイトルはよくないので、本当は「忙しさを嘆く人と忙しさを楽しむ人の違い」と言ったほうがいいのかもしれない。

このブログで言っている20の違いはどれもなるほどと思わせるものばかりで、思い当たるふしが皆あると思う。それで、この20の項目をながめていて、もうちょっと整理してみたほうがいいなあと、ほら理系の性分が頭をもたげたのであります。ぼくなりに煎じ詰めていったら次のような6つの要素で括れるのではないかと考えた。

1.忙しさに対する認識
「忙しい人」は、忙しいことをカッコイイと思っていて、その状態に甘んじて受け入れている。
「仕事ができる人」は、忙しいのは無能の証明だから、絶対いやだと思っている。

2.時間の使い方
「忙しい人」は、プライベートな時間をとらないので気分転換も出来ず体調不良になり、学習の時間も取れていないので成長もできない。
「仕事ができる人」は、優先的にプライベートの時間をとり、適度の運動や睡眠で快調、そしてどんなに忙しくても学習時間の確保しチャレンジしている。

3.時間に対する考え方
「忙しい人」は、スケジュールを作っても終了時間への認識が甘く、トラブル対応で乱され、納期ぎりぎりで仕事をする。
「仕事ができる人」は、スケジュールは絶対遵守する意識が高く、仕事を前倒しでかつ他の仕事と並行してこなすことができる。

4.段取り・準備
「忙しい人」は、納期がせまっているものを優先的に、目的を明確化せずに、また段取りに時間をかけずにに始めてしまう。根回しも出来ていないのであとでトラブルがおきてしまう。やっつけしごとばかりで、しかもルーティンの仕事に時間がとられる。
「仕事ができる人」は、仕事の目的を明確にし、十分な段取りや根回しで仕事を始めるので、目標に対する寄与・貢献度が大。同じような仕事は、何も考えずにできるようにしてあり効率的。

5.作業環境
「忙しい人」は、集中できる環境が作れない。電話がかかってきて邪魔される。
「仕事ができる人」は、集中できる環境が作れる。電話がかかってこないように手を打っておく。

6.コミュニケーション
「忙しい人」は、他人に依頼したことを忘れるし、他人に仕事を頼むのも下手で、仕事を断れなくてためこんでしまう。相手の期待以下なのでいつも手直しが発生する。
「仕事ができる人」は、自分しかできない仕事を中心に、他人にうまく仕事を頼んだり、フォローをして、相手の期待以上にこなし手直しがないようにできる。

勝手に煎じてしまいすいませんが、さらに乱暴に「仕事のできる人」の持っているスキル、資質をいまはやりの「○○力」であげてみると

1. 時間制御力
2. スタイル形成力
3. 業務遂行力
4. 段取り力
5. 環境構築力
6. コミュニケーション力

こじつけ風のところもありますが、なんとなく「できる人」のイメージがわいてきませんか。

2007年10月 4日

相撲協会のアナクロニズム

ついに相撲協会が時津風親方を解雇するようだ。ええー、解雇できたんだ。それならもっとはやく事情聴取もし、相撲協会としてどう対処すべきかをきちんと決めるべきであった。てっきりどこかの総理大臣じゃないが、本人が辞めると言わなきゃ辞めさせられないものとばかり思っていた。理事長だって、この問題は親方にまかせてありますからとか言って逃げていたからなおさらそう思っていた。

ところが、全然違うのがわかった。要するに、会社と同じなのだ。理事長が社長で、親方が事業部長というわけだ。となると、今どき事業部の不詳事をそこの事業部長にまかせてありますから知りませんなんていう社長がどこにいますか。もう全く時代おくれもいいとこで何もわかっていない。

今回のしごきにしたって、昔からやってきたことを続けたのだろうが、入門してくる子どもの考え方や生活態度などは確実に変わっているわけで、そこに昔流のやりかたを当てはめたって通じるわけがない。このずれを誰もわからないことにより痛ましい結果に至ってしまった。

これはもう相撲界、相撲協会全体の問題であって時津風部屋だけの問題に矮小化してはいけない。朝青龍問題も含めて、なぜこんなことになってしまったのか。それは、ぼくはその閉鎖性にあると思う。北の湖理事長をはじめ協会の幹部、あるいは親方はみな元相撲取りなのだ。

このひとたちの多くは、中学を出ると新弟子となり相撲のことしかやっていないのではないだろうか。もちろん、なかには勉強もし、世間のことをよく知った子もいるだろう。また、大学を出てから入ってくる子もいるから、一概には言えないかもしれないが、相対的には一般の人たちにくらべると学問をしていないだろうし、社会的な常識に欠けているように思える。

だから、相撲協会がここでやらなくてはいけないことは、外部の血を入れることである。協会にもビジネスをした人だとかをスタッフとして入れるのと、それぞれの部屋にも相撲とは無縁だったひとにマネージメントさせるだとか、外に向かって開放しないと同じような不詳事は続くだろう。企業だって、いまや社外取締役を置いたり、外部コンサルに診断してもらったりしているわけだから、絶対にそうすべきだ。

2007年10月 5日

酒 - チャイナばなしその10

中国には酒が豊富にある。もちろん、日本酒やウィスキーはないが、ビールやワインもある。何と言っても中国酒で代表的なものといえば、醸造酒である黄酒と蒸留酒である白酒である。前者で有名なのが紹興酒や老酒で、後者では茅台酒や汾酒があります。

茅台酒は日中国交正常化の式典で田中角栄が周恩来と乾杯した酒として有名になりました。アルコール度数が55度ですから、気をつけないとひっくり返ってしまいます。われわれも当初は慣れていないものだから、宴会の席で茅台酒を飲みすぎて担がれて部屋に帰ったやつもいました。

そうなんです、この宴会というのが曲者で、円卓を囲んで飲み食いをするわけですが、やたら乾杯(中国でカンペー)をする。だれかがコメントを述べたらそれに対してカンペーとやる。一番多かったのは、「日中(中国側が言うときは中日)友好にカンペー」です。当時は多少言っていいことと悪いことに神経質になっていたところもあったので、まあ、これさえ言っておけば無難なのでそればっかりです。

これを繰り返すと酔っ払うのは目に見えています。よく見ると中国人は平気です。あとでよく聞くと、宴会慣れしていることもありますが、どうもカンペー要員を各テーブルごとに用意していたのだそうだ。そいつが、主に場を仕切っている。

でも、最近はこうしたカンペーを繰り返す方式もなくなっているようで、ぼくの姉の旦那が数年前に上海に駐在していたとき、宴会が大変でしょうと聞いたら、もう若い人が昔のようなことをやりたがらないので、日本とあまり変わらないようになっていると言っていた。

ビールは最近日本でも飲める青島啤酒や五星啤酒といったところを飲んでいました。ところで、中国ではビールを冷やす習慣がないのです。一度、北京の中南海公園で暑かったのでビールを飲もうとしたら、何と野ざらしの桶みたなものに入っていて、それをひしゃくで汲み取り、メスシリンダーのようなジョッキに入れてくれたときにはたまげたな。いくらなんでも、なまぬるい気が抜けたビールはうまくなかった。

で中国では酒が量り売りなんですね。ぼくは毎日宿舎の食堂で汾酒の量り売りを飲んでから食事をしたものだ。茅台酒にしても白酒は中国の料理によく合うんですね。強い酒なんだけど胃が中華料理の油でコーティングされているので、けっこう飲んでもだいじょうぶなのだ。

それで、おみやげに茅台酒をいっぱい買って帰ったのだが、不思議なもので現地で飲んだときと日本に帰ってから飲んだときとでぜんぜん違った。刺身に茅台じゃ、合わないし、すぐに酔っ払ってしまう。酒というのは、その土地の気候や料理があってこそうまく感じるものだとそのとき当たり前に強く感じたのである。


2007年10月 6日

Mash up Award 3rd - 親子丼的ビジネス奮闘記(8)

先月、社長の作った「これ☆ほしい」というマッシュアップサイトを「Mash up Award 3
rd
」にエントリーしたことを書いた。ひそかにどれかの賞をとれるのではないかと期待していたが、残念ながらひっかからなかった。

今回、最優秀賞(100万円)に輝いたのは「ONGMAP.COM(オンジーマップ)」というGoogleMap上に様々な情報を表示させるもので、元祖マッシュアップというしろもの。受賞の評は次のようになっている。

マッシュアップの定番といえば「地図に情報をプロット」。この作品は、そんなマッシュアップの王道を、パラノイアックなほどに突き詰めた作品でした。国内 外のAPI、新聞社が提供するRSS、公的機関が提供するデータ、KMLファイルなど、様々な情報を地図・位置情報という切り口で統合しており、それら を、Extを活用した使いやすいUIで提示しています。この作品は、2007年現在の日本における地図系マッシュアップサービスの完成形のひとつでしょう。作者の熱意と愛を感じることができる作品でした。
この評には書いてないが、GoogleMapは捜したい対象物の住所などがあらかじめ分かっているとき、そこがどこにあるのかを知るのに便利であるが、このサイトは、逆にある場所に対して、その周辺にどんなものがあるだとか、天気だとかいう状況などを網羅して表示してくれるというところが受けているではないでしょうか。

マッシュアップサイトを作るときの攻め方は二つのアプローチがあると思う。ひとつは、公開されたAPIがあるのでそれを使ってサイトを作ろうというアプローチである。シーズ発想とでも言ったらいいかもしれない。もう一方は、こんな楽しいサイトを作りたいのでそのためのAPIを捜してくるという、ニーズ発想である。

「ONGMAP.COM(オンジーマップ)」は、両方の要素を持ったものではないだろうか。まずは、スポンサーから提供されたAPIをどんどん使おうという発想とGoogleMapの利用の仕方の逆の使い方をしたいという発想がうまくかみ合った例ではないだろうか。だから最優秀賞と成ったのではないかと思っている。

ところで、うちの社長のマッシュアップサイトは、負け惜しみで言うわけではないが、社長も言っているのだが、ニーズ発想、すなわちこんなものがあったらいいな、こんなことができたら楽しいなというところから考えているので、スポンサーのAPIをほとんど使っていない。それも評価をしてくれていない一因ではないだろうか。

もともと、このコンテストに合わせて作ったというより、面白いのができたので応募しようという感じだった。「はてなブックマークされた数」でいけば、「ONGMAP.COM(オンジーマップ)」の56ユーザにくらべて、はるかに多い221ユーザだったのだから。

まあ、受賞できなかったのは残念だったが、Mashupediaの「マッシュアッパーを追う!」という企画で、社長のインタビュー記事が出た。先週、Mashupediaの人がわざわざ鎌倉まで来てくれてインタビューと写真撮影をして帰って行った。ぼくは、関係ないので挨拶だけして、奥に引っ込んでいて、ぼくの事務所でインタビューを受けていた。

こうしてみると、マッシュアップサイトをけっこう数多く作っていたのに改めて驚かされた。これが、ビジネスになるのかというとアフィリエイトだから、そう簡単にお金が入ってくるというわけにはいかない。だから、なかば趣味みたいに考えて楽しむこととそこでいろいろな技術的なことを確かめる場のように割り切ることなのかもしれない。それとアイディアが枯渇しない限り、数多く送りだすことですね。

2007年10月 7日

キャパ その青春

ビデオジャーナリスト長井さんがミャンマーで射殺されたことや内田樹の「私家版・ユダヤ文化論」を読んだこともあり、読みかけで置いてあった「キャパ その青春」(リチャード・ウィーラン著 沢木耕太郎訳 文春文庫)を読了。

ロバート・キャパはあの「崩れ落ちる兵士」を撮ったカメラマンである。スペインの内戦に取材したこの写真はあまりにも有名であるとともに、この写真はいわゆる“やらせ”で兵士に演じさせたところを撮ったのではないかという論争がいまだに続いている。真贋はともかく印象に残る、影響力を持った作品であることには間違いない。だからいまさらどちらでもいいと思う。

この本は、キャパが生まれてからこの写真を撮るくらいまでの青春を描いたものである。ロバート・キャパは本名エンドレ・エレネー・フリードマンといってハンガリーのブダペストで生まれる。フリードマンという名はユダヤ人によくある名前であり、もちろんキャパもユダヤ人である。

ブダペストという町はぼくにとってちょっと憧れの町だ。ドナウ川をはさんでブダとペストという地区からなっているきれいな町である。ぼくは行ったことがあるわけではないのだが、「暗い日曜日」というブダペストを舞台にしたハンガリー映画を観たとき美しいと思ったのである。

さて、キャパのことであるが、芸術家ならだれでもそうかもしれないが、最初はなかなか世間に認められなくて、貧乏生活を強いられて、しかし周りの誰かが助けてあげて、あるときその才能が開花するというパターンが多いが、まさにそのストーリーである。さらにおりしもナチスが台頭する騒然としたヨーロッパでのことでそのなかでしたたかに生きる青春があった。

ただ、この本は読みにくい。沢木耕太郎の訳だから翻訳の問題ではないと思うが、ただひたすらに“できごと”を追いかけているように感じられ、キャパの人間味のようなものが表出されていないのだ。

このあとに「キャパ その戦い」と「キャパ その死」というのが続くのだけれど、もう読む気がしなくなった。


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2007年10月 8日

花田少年史 幽霊と秘密のトンネル

昨年公開された映画がもうテレビに登場した。水田伸生監督の「花田少年史 幽霊と秘密のトンネル」である。なかなか評判がよかった映画だ。

なかで辛い評価をしたひともいたが、そういうひとたちは、一色まことの漫画の原作を読んでいるか、テレビ放送を見ていた人たちだ。いつも思うのだけど、原作に忠実でないとか、原作を改編しているから、つまらなかったというような批判はどうもおかしい。

極端な話、原作があろうとなかろうと映画になった瞬間に全くちがった作品になるのだ。だから、映画としてのできばえを評価してほしい。ぼくは、幸い原作も、テレビも知らないので変な先入観なしで観ることができた。

そこで、ぼくなりの評価ではよくできた映画で点数高いです。最近は子どもに見せる映画がアニメしかなくなってしまったが、この映画は親子で楽しめる珍しい映画だ。

ただ、時代設定が昭和中期のように思えるが、そうでもなさそうなところもあって、若干時間感覚が混乱した。別にきちんとした時代考証をすべき映画でもなく、だって幽霊が出てくるんだから、どうでもいいじゃないんですか。

ただ、雰囲気としてはぼくらが子どもの頃の家族の様子が随所に見れて、あの頃の親子、兄弟、友達の素朴な連帯みたいなものが感じられた。そうそう、じいちゃん、ばあちゃんと子どもは仲がよかったのだ。

物語は、海辺の町で花田一路という少年が、ある日トラックにはねられるが、九死に一生を得たが、そのとき幽霊が見える能力を身につけてしまう。そのあと関係する人々の幽霊が登場し、一路に頼みごとをする。そんなやりとりから、家族や周りの人たちの過去のことなどが解き明かされるというのがストーリーの骨格です。

この設定がユニークでしかも子どもの目で描いているのでピュアな感じもでていてよかった。この一路を演じた子役の須賀健太というのがすばらしい。この子は「ALWAYS 三丁目の夕日」にも出ていたがすごいのひとこと。

よくよくみていくとこの映画、異なった三様の父親像が描かれているんですね。それがみんな結局はいいお父さんだったというお話なので、昔のお父さんと子どもの絆はしっかりしていたなあと懐かしんで観た。


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2007年10月 9日

販売代理店 - 親子丼的ビジネス奮闘記(9)

最近、ぼくらが使っている「Savvion Business Manager(SBM)」のライセンサーであるSavvion,incの日本における販売代理店が日本プロセスから日商エレクトロニクスに変わるというニュースが発表された。

SBMというのは、ビジネスプロセスのモデリングやシミュレーション、フローエンジン、モニタリングなどの機能を持ったBPMSuiteのことである。

最近のエンタープライズ系のITでは注目の領域で、SOAと絡めてブレークしそうな気配です。

こうしたソフトウエアは、欧米のものが多く、従って日本に販売代理店を置いてそこでビジネスを展開することになる。このときのビジネススタイルは様々で、大きくは、単なるプロダクト売りなのか、ソリューションまでやるのか、その先の運用やサービスみたいなところまでやるのかがある。

これまでは、比較的プロダクト売り、すなわちライセンスを販売し、ロイヤリティとその後の保守料をもらうという商売が多かったように思う。これだと、英語とITがわかる社長とあと数人のスタッフがいればできてしまう。しかし、このような形態だと不安定なビジネスを強いられてしまう。

例えば、ライセンサーの気まぐれでいきなり販売代理店の契約を破棄されたり、技術者がすぐに転職してサポートがおろそかになったりする。現にぼくの経験でも仏製のあるBIツール*)を使っていたが、そのツールベンダーがそれまできちんと対応してくれてぜんぜん不満がなかった販売代理店をいきなり切ってしまい、すごい迷惑を被ったことがあって、直接フランスに文句を言ったことがある。

おそらく、これからは単なるライセンス商売は立ち行かなくなるのではないかと思う。なぜかというと、いまの趨勢を見るとオープンソースソフトの影響が大きいと思うが、ソフトウエア自体の価格がどんどんと無料化の方向に向かっている。

ということは、今後のビジネスは、ソリューションとかサービスという領域で勝負しなければいけないようになってきている。

そんな中、Savvionの代理店が日商エレクトロニクスに変更したことの意味は、この流れを象徴しているように思える。ついちょっと前にも日商エレの今回の責任者と話をしたが、ぼくが言ったようなことをしっかりと考えていて、自分たちのリソースを生かしたサービスという方向性を語っていた。

ということで、ぼくの今進めている開発方法論についての実行母体として大いに期待しているのである。

*)実は、このBIツールというのは、ビジネスオブジェクト(BO)という製品でBIではかなり名の知れたものです。そのBOがなんと独SAPに買収されたと7日に発表があった。驚くなかれ、その買収額が約8000億円というからたまげてしまいます。でも、SAPのCEOのカガーマン(この人とは2年前に会ったことがある)が、ソフトウエアライセンス収入を伸ばすと言っているが、上でも述べたようにちょっと方向が違うように思えるのだが。

2007年10月10日

憧れの地

前のエントリーで映画で見たブダペストの街が印象的であったと書いているとき、そうだ映画のシーンで忘れられない場所があるよなあと思い出してみた。まだ、行ったことはないが憧れの場所である。
ぼくにとってのベストスリーは以下の三ヶ所である。

1.ポタラ宮 ― 「セブン・イヤーズ・イン・チベット」
ポタラ宮はチベットのラサにある宮殿でダライラマが住んでいたところです。この壮大な景観は圧倒される。

映画は、広大な土地チベットを舞台に、登山家ハインリヒ・ハラーと若き日のダライ・ラマとの心の交流を、実話をもとに描いたブラッド・ピット主演の人間ドラマ。

なんとこの映画の大半はアルゼンチンのロケだそうです。まあ、反中国共産党の内容だからこんな映画作れるわけがない。ラサの街並みやポタラ宮もセットで再現されているそうだが、実物の写真と見比べないと偽物とは思えないできばえで感心させられる。

実は、ポタラ宮への憧れはこの映画を観たからではなく、ずっと前からで、30年前に中国に行ったとき、承徳というところの近くで紅衛兵にさんざん荒らされてしまったポタラ宮を模した宮殿があった。それを見たとき、ぼろぼろになっても荘厳さを残した建物に感動して、本物のポタラ宮を見てみたいと深く思ったのである。

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2.ボワイヤー砦 - 「冒険者たち」
ボワイヤー砦というのは、フランスのシャラント地方、La Rochelleという港町の沖合にある要塞島です。

映画はアラン・ドロン、リノ・バンチェラ、ジョアンナ・シムカスの「冒険者たち」です。この映画のラストシーンでアラン・ドロンが銃撃戦の撃たれてしまって、リノ・バンチェラが抱きながら言う台詞は最高ですね。

その場所がこの島ごと要塞になっているボワイヤー砦なのです。もちろん、今でもあるのですが、ホテルになると言われてもいますがそのままのようです。今も日本からのファンも訪れているとのこと。

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3.シワタネホの海 - 「ショーシャンクの空に」
シワタネホの青い海はメキシコの太平洋側にある海岸である。突き抜けるようなブルーが目に焼きつく爽快なところです。

映画「ショーシャンクの空に」のラストで刑務所から抜け出たティム・ロビンスとモーガン・フリーマンがそこで再会する。そのときの海と空の青さがなんとも印象的であった。

この映画は、封切り当初は観客動員も少なかったのが、ビデオで火がついて不朽の名作になった珍しい例です。原作が、スティーブン・キングだから、「スタンド・バイ・ミー」や「グリーン・マイル」と並ぶ感動ドラマだ。

ところが、この映画実はというのが二つあって、ひとつはこのラストのシワタネホの海岸で二人が会うのは原作にはないのと、もうひとつは実際の撮影はシワタネホではなくカリブ海の島で行なわれたらしい。

なんかだまされたみたいだけど、それでもいいんですね。いずれにしろ、映画は虚構の世界なわけだから、観るひとの心に残ればそれは実在するのと同じであるような気がする。


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2007年10月11日

人脈 - 親子丼的ビジネス奮闘記(10)

昨日、日商エレクトロニクス主催のセミナー「~成功事例に学ぶ、ITによる業務革新~ ビジネスソリューションフェア2007」に行ってきました。

前にも書いたように日商エレが「Savvion」というBPMツールの代理店になって、BPMベンダーとしての意気込みを表現する場でもあったようだ。本腰を入れだしたのは最近なので、まだ咀嚼しきれてないところもあったが、数多くの参加者もあり盛況であった。みなさんのBPMについての関心は一段と高いなってきているようだ。

だが、ぼくの感じでは、本当にBPMを理解している人も少ないし、人それぞれにBPMの解釈が違ったり、これぞBPMの事例だというのも少ない。

そうした中で昨日のセミナーで最も注目したのは、(株)岡村製作所の添田 恒広氏の「BPM活用事例、BPMによる業務改善の実践」という講演です。この例は、旅費精算を含む申請業務のワークフローを「Savvion」を使って実現したもので、全社の営業系の社員に適用して作業時間の短縮など大きな業務改善につなげた事例で、非常に参考になるものです。

実は、ぼくは添田さんを知っていて、というより、もう3年か4年前になるが、ぼくが「Savvion」を紹介したのです。以前いた会社に別件で訪ねて来られて、その時のディスカッションでBPMシステムを試行している話をしたのだ。でもこうして苦労されて全社規模で実行されている話を聞いてうれしかった。懇親会で久しぶりに顔を合わせたら覚えていてくれて目で“何とかできましたよ”と言っていました。

今回の(株)岡村製作所の事例は、どちらかというとフローのルールが決まっていて、そのルールにそってプロセスを回すタイプであるが、今後の課題にもあがっていたが、決まりきったプロセスではない営業の仕事などをどうやってシステムに乗せていくのかといったことを検討していく必要がありそうだ。ぼくらが提案している方法がそれには有効であると考えているので、ぜひ一緒にやっていきたいと思っている。

さて、このセミナーで日商エレ以外の人で知っている人は添田さんを含めて4人であったが、それ以外の人たちも紹介してもらった。セミナーのあとの懇親会はこのような新たな出会いがあるのが楽しいのです。

で何人かの人とお話しをしたのだが、面白いことが二つあって、ひとつは、ほとんどの人がフリーランスなのだ。ひとりで会社を作ってやっているような人で、人材紹介とか管理会計のコンサルとかIT会社のセールス指南だとかそんなことを個人ベースでやっている。まあ、ぼくもお仲間なのですが、まだまだ、ビジネスの規模、範囲には足元にも及びません。

もうひとつは、世の中狭いなというお話です。そういう人たちと話していると、だいたいがいろんな会社を渡り歩いているんですね。多いのは、IBMとDEC(今はコンパックに吸収された)です。そんなとき、ぼくが○○さんを知っている、○○さんと一緒に仕事をしたというと、あああいつはオレの部下だったとか、同僚だったとか、共通の知り合いが突如出現する。昨日もそんな話ばかりでびっくりした。

セミナーの懇親会が終わったあと、日商エレのUさんとIT会社の社長のKさん(この人とは初対面である)の3人で目黒のKさん行きつけのワインバーで呑んだのだが、そこでもUさんとKさんは元DECで一緒に仕事をしていた関係なのでその頃の話になって、共通の知人に電話をしたりしていた。

ところが、Kさんにぼくがよく知っている人がいてその人は元DECだと言ったら、ええあいつはオレの部下だったという答えで驚いてしまった。さっそく、ぼくがその人に電話をして、黙ってKさんに替わったらびっくりしていた。

そんなことがあって、みんなで世の中って狭いなあと改めて感じ入ったのであります。こうして、つながりのつながりから新たな人脈ができていくのだろう。リアルmixiですね。当然のように、Kさんには一緒に協力してもらうことをお願いしたのであります。

2007年10月12日

カメとチキンじゃ勝てない

あまり書きたくもないが、予想通り亀田大毅が内藤大助に完敗した。プロレスまがいのパフォーマンスで思わず笑ってしまった。

何が敗因かって、そりゃハートと技術がないっていう当たり前のこと。ベタ足で左のフックしか打てないボクサーがチャンピオンになれるわけがない。

それよりもなによりも、あのカメのように頭を抱えてちゃどうしようもない。ありゃ恐がっているだけで攻撃の姿勢になっていない。ボクシングで攻めなけりゃ勝てるわけがない。

ボクシングではなくても、オシムがしつこく言っているようにリスクを冒してでも攻めなくては勝負には勝てないのだ。アウェイの試合じゃあるまいし、打たれまいとするだけで、こいつ勝つ気があるのかと叫んでしまう。結局、気が小さいということが露呈した。チキンハートだったてこと。

あの親父にしても恐い顔をしているけど小心ものじゃないのかな。「肉を切らせて骨を切る」ことも教えなくていけないが無理だね。

あまり書きたくないが、予想通りTBSが提灯放送をした。あれで好試合だったなんて思わず笑ってしまった。

いくらなんでもひどいんじゃないの。あきらかに劣勢で大きな差があるのに、さも拮抗しているようにしゃべるし、あの反則だってちゃんと批判しなくちゃ。

まあ、あまり目くじらを立てるのも大人気ないのであまり言わないが、スポーツで片方に一方的に肩入れして放送するのは、テレビ局の自殺行為だと思うのですが。

2007年10月13日

ピンポン - チャイナばなしその11

いま、「ピンポン外交」という言葉を知っている人はどれだけいるだろうか。それは、中国が永年国際舞台から孤立していた状態を抜け出るきっかけとなったエポックメーキングな出来事である。

1971年、舞台は日本の名古屋であった。この年、第31回卓球世界選手権が開かれることになっていたが、日本の卓球協会長の後藤 二が、当時文化大革命で数年前から参加できないでいた中国を出場させるべく奔走した。それが、周恩来の応援や毛沢東の決断で参加が決定。そして、来日してある偶然のできごとがきっかけとなり、米国等の卓球チームの訪中が電撃的に決まる。

あるできごととは、アメリカの選手が間違って中国選手が乗っていたマイクロバスに乗りこんでしまったのだ。中国の選手は米国人と絶対に話をしてはいけないと厳命されていたから、車内はしーんとしていた。

ところがそのときひとりの中国選手が紛れ込んだ米国選手に語りかけたのである。その選手の名は、荘則棟である。過去3回連続世界チャンピオンにもなった有名な選手が声をかけたのである。この予想外の接触を翌日の新聞が取り上げた。これが、後押ししたかのように毛沢東も米国選手団の中国訪問を許可したのである。

そこから、キッシンジャーの秘密訪中につながり、ニクソン訪中、そして数ヵ月後に田中角栄の訪中、国交回復へと進む。

ちょっと長々とピンポンをきっかけに日中国交回復までいった話をしたが、このように中国では非常に卓球が盛んであり、国技みたいなものですね。荘則棟を筆頭に、当時もものすごく強い選手が一杯いた。その前は日本が強く荻村伊知郎とか田中利明とかいった世界チャンピオンを生み出していたが、このころから中国が台頭してきたように思う。

さて、30年前に中国にいた時も卓球が盛んで、宿舎にある卓球場でたまに中国人を交えて卓球大会を開いたりした。これがみんな強いのだ。いわゆる前陣速攻というやつで打ったと思ったらすぐ戻ってきてやられてしまう。

そして、ある日のこと日本人が集めれて、いまから近くの体育館に行くと知らせがあった。何があるのだろうと興味深々だったが、普段行ってはいけない公団アパートみたいな集合住宅のところに連れていかれた。

なんと、そこで卓球の中国代表選手による模範演技があるというではないか。女子選手だったが数人のトッププレイヤーがラリーの応酬や練習試合を見せてくれた。当時は娯楽のない国だから、こうしてチームを組んで巡回しているらしい。住民も多数集まってきて観戦するのである。

まあ、プレーのすばらしさもさることながら、ぼくがいちばん驚いたのは何だかわかりますか。それは、彼女ら卓球選手の体格や血色のいいことである。からだもふっくらとして、顔も肌もつやつやしていて、観客と比べると全く違う人種に見える。

そのころの中国人に太ったやつは一人もいなかった。皆、がりがりにやせていたのだ。いまの中国人の子どもをみると明らかに肥満児といえるやつもいるが、当時はそんなヤツはいなかった。

で通訳の人に聞いてみると、代表選手は普通の人と全く別の生活をしているとのこと、食べるものも栄養のあるものをたらふく食べられるそうだ。いまは福原愛ちゃんが行っているくらいだから、日本なんてと変わらないと思うが、当時は国策としてのピンポンがあり、その国の威信を背に見世物もやりなながら戦っていた選手を思うと、いくらいいものを食べられたとしても幸せなのかと考えさせられたものだ。

2007年10月14日

桂枝雀

桂枝雀が逝ってからもう8年半になる。枝雀その生涯を閉じた年齢と同じ年齢にぼくがなった。そんなこともあって「笑わせて笑わせて 桂枝雀」(上田文世著 淡交社)を手にする。

枝雀はぼくがいちばん好きで、いちばん笑わせてくれる落語家である。誰をも抱腹絶倒させるものすごいパワーの持ち主でとりこになった人も多い。そんな枝雀の人生について元朝日新聞の芸能記者だった上田氏が、その生い立ちから晩年の様子までを書きとめたものである。

枝雀は神戸大学まで進んだ頭のよい人であったが、決して平坦な道ではなく、途中養成工であったり、定時制の教師をやったりとずいぶんと起伏のある青春を送っている。昭和36年に神戸大学を中退して、桂米朝の弟子になる。21歳のときである。その頃は、小米と名のっていて、枝雀を襲名するのは12年後の昭和48年ことである。

枝雀がどんなにおもしろい落語家であったかのエピソードは、歌舞伎座でのカーテンコールに尽きるのではないだろうか。落語は普通は寄席でやるわけだから少人数である。もう少し大きくなると数百人のホール落語であるが、枝雀は上方の落語家としては初めて東京・銀座の歌舞伎座の舞台に上がる。この歌舞伎座になんと2200人ものお客さんが詰めかけたのである。そこで起きたのがカーテンコールである。「地獄八景亡者戯」を一気に1時間25分で演じきったあとのことである。

そしてまた、枝雀を語るとき必ず出てくるのが、英語落語である。なぜ英語落語を始めたかというと、枝雀は若い頃時から英語が好きで、また得意でもあったが、あるとき英語学校に入学して勉強を始めたのだが、そのとき授業のひとつにフリートーキングというのがあって、先生から「何でもいいから英語で話しかけて」といわれ、困っていると、「枝雀さん、気持ちをこめてしゃべれること、ありません?」「それはやっぱり落語ですね」「そんなら英語で落語をしゃべってみたら?」ということだったそうです。しかし、それを実際にアメリカやイギリスで演じてしまうところに枝雀のすごさがある。

まだまだ一杯紹介したいことがあるが、そうもいかない。もっともっと聞きたかったのに若くして逝ってしまった。枝雀は天才と言われるが、むしろ努力家であり、理論家であり、ものすごく落語を愛した人です。そして、決して満足することなく、いつももっと笑わせよう、面白がらせようと考えた、いや考えすぎたひとであった。それゆえ、休まる日がなく命を縮めたのだろう。

もう、30年近く前に四日市の市民会館で初めて生の枝雀を見てから、世の中にこんな面白い落語があったことを思い知らされ、それからずっと枝雀をお気に入りに入れていたぼくとしては、忘れないように時々はCDで聞いたり、本を読んだりしていこうと思っている、今日このごろでございます。


笑わせて笑わせて桂枝雀
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2007年10月15日

マルチスキルを持ったバウンダリーエンジニア - 親子丼的ビジネス奮闘記(11)

ひと言でITといっても幅が広いということは前にも述べた。そうですよね、上流(超上流という人もいる)のビジネスとか業務とかいった領域から、実際に物を作る、プログラミングだとかデバイスだとかいった領域まで、すごく広いし深い。

こうしたIT領域は全部が連続的にあるいはボーダーレスにつながっているわけではない。例えば、簡単なところでは、設計・開発・運用というサイクルを見ても、設計と開発の乖離だとかが当然起こる。

また開発でもエンタープライズ系とパーソナル系でも違う、さらにエンタープライズ系のなかでもビジネス系と組み込み系でも違うというように、様々な切り口で括られている。そして、これらは往々にして携わっている人間も分かれてしまっている。

まるで、リアル世界の縮図をみるようでもある。国ごと、人種ごとに境界を引いているようにIT世界も同様で、しかも鎖国をしているようにも思える。

この独立主義(孤立化)は、おそらくスキルの差に起因しているような気がする。だから、そのスキルを持っている、使えるひとたちで部落を作ることになる。細かい話だと、私はJavaしか使えません、Oracleだけしかわかりません、なんてことにもなる。

ここを何とかしたいのだ。

そこでマルチスキルを持ったバウンダリーエンジニアが必要となるのだ。世にバイリンガルとかマルチタレントとかいう言い方があるが、それだと同じ世界の中で複数のスキルあるいはタレントを持っているイメージだが、そこに異種世界においても高いスキルやタレントを保有し、両方を融合できることが望ましい。

例えば、複数のプログラム言語を操れるのだとバイリンガルですよね。また、金融システムに詳しい人が流通もよく知っているというのはマルチタレント的ですよね。このあたりは、どうも水平的なマルチであるので、それを垂直方向にもマルチにもっていくということです。オールラウンドプレイヤーといった感じかもしれない。

具体的に言うと、ビジネスとITとつなぐ、あるいはデザインと開発を一貫してできる、といったことである。いまこうした境界のところに溝ができていて、そのためにシステム品質が悪かったり、システムが悪構造になり、また開発の効率性が損なわれたりしているように思う。

以前、SIerのこれから進むべき道は「専門化」ということを書いた。こういうと何かひとつのことに専心することのように思われがちだが、そういう人もいてもいいが、専門化するがゆえに境界をしっかりみているエンジニアが必要になってくる。

専門化するということは、境界線を引くということに他ならないわけで、そうなるとどこに線引きをし、どういう関係で周囲と連携するのかが問われる。専門化することとは孤立することではない、まさに、バウンダリーエンジニアの出番なのです。

そこで、親子丼的ビジネスでは、まずぼくとしてはビジネスのところにどうやってITを生かしていくのかを追求し、業務プロセスを広く設計できるスキルをもつことにしている。また、社長は、デザイン思考ができること、そしてそれを実際に動くモノ作りへ落とす技術をもつことができる。Mash up サイト制作なんてまさにそれで最初から最後までひとりで素早く作ってしまう。

さらに二人の間にある溝を埋めていくことになる。スーツとギークの融合だ。これは、ニッチとも違う、システムインテグレーションともちと違う、バウンダリービジネスあるいはフュージョンビジネスといったものかもしれない。今まであまりやれていないところですので、ここが狙いどころだと思いませんか。さあ、どうなるか、とにかくチャレンジだ。
 
 

2007年10月16日

良識ということ

ノーベル平和賞にアル・ゴアとIPCC(国連の「気候変動に関する政府間パネル」)が選ばれた。

ノーベル委員会は、「人類は深刻な気候の変化を目撃している。ゴア副大統領とIPCCは、人類に大きな脅威になる気候変化の問題に警戒心を催した代表的な人物と団体」だとした選定理由を述べている。 さらに「ゴア副大統領は、気候の変化に関連した多くの演説とキャンペーンを繰り広げた。IPCCは気候変化の原因と被害などに関する報告書を通じて、気候の変化の深刻さを知らせるのに力を注いできた」と説明している。

ところが、IPCCはゴアと一緒に受賞したのを歓迎していない。というのもゴアの主張していることが科学的な根拠がないことがだんだん明らかになってきて、「不都合な真実」は単なる政治的なプロパガンダではないかと言われているからだ。

確かどこかの国で裁判になって、科学的な誤りがあると指摘されている。IPCCとの対比で言うと、「不都合な真実」では、むこう100年間で海面が20フィートも上昇することになっているが、IPCCは1フィートであると報告している。うーん、違ったことを主張している個人と団体が同時に受賞するのって、ちょっと変ですよね。

この地球温暖化に限らず、環境問題というのは、どうもぼくにはなんか変だなという気にさせられる。環境保護団体の原理主義やヒステリックな庶民感覚、扇動政治家のアジなど、一歩引いてしまう。

それはどうしてかなあと考えてみるに、まずは科学的な根拠に基づいた共通認識の上での議論になっていないことではないかと思う。先ほどの海面上昇のことでもみんな勝手なことを言っているように見える。たとえば、北極の氷が溶けると海面は上昇しますか?よく考えて見てください。コップの中に氷を入れて暖めたらコップから水が溢れますか?だから、感覚的にものを言ったらだめなのです。

でこんなことを考えたらすごい人に出会った。中部大学の先生で資源材料工学が専門の武田邦彦さんというひとです。最近「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」を出版した。ぼくは、まだ読んでいないのだが彼が主張していることで目から鱗の話を紹介する。この人は東京大学を卒業して、旭化成に入社して、そこで長い間企業の研究者であったので、世間を知っているので説得力がある。この人は「リサイクルしてはいけない」と言っています。

ごみを減らさなければならないということについては、日本人のほとんどが異議は無いと思います。問題は、ごみの減らし方です。一つはごみそのものを減らすということともうひとつはリサイクルです。

 リサイクルということで言えば、ごみの量自体が減らないのなら「ごみをもう一度使えば良い」と考え、「ごみを分別すれば資源」という言葉も作られました。確かに、素人感覚から言えば、ごみをもう一度使えばごみの量が減るように感じられます。でも実際はそうではありません。

 最近リサイクルが進んできたのでごみが少なくなったという報道が多いように思います。これはリサイクルしたからごみが減ったのではなくて、焼却が 進んだ結果です。リサイクルをするまでは多くのプラスチックが埋め立てられていました。

その頃にダイオキシン問題のため、プラスチックを焼却炉で燃やせな いと言われリサイクルが始まりました。でもダイオキシンや焼却炉の技術的な問題などはすぐ克服できます。実際それが克服されたので、現在では外国に持ち出 しているものを別にすると、国内ではペットボトルの約95%、ペットボトつまり、リサイクルが始まってごみの量が減ったと言うのはその通りなのですが、何故ごみの量が減ったかというと焼却しているからです。

決してリサイクルして、材料が再び使われているからではありません。ほとんどの日本の自治体がそうですが、市民が一生懸命分別したものを結局は全部集めて焼却しています。

 一旦、リサイクルとして出されたごみですから焼却してもリサイクルと言っていますが、こんなことをするのなら最初から分別せずにまとめて焼却した方が良いに決まっています。分別すると資源の回収が難しいのですが、全部一緒に焼却すると資源は回収できます。

 もう一度、初心に返って「分別すればごみ」と言い換えることが大切でしょう。

ああ、知らなかった。でも前からあの面倒くさい分別がどれだけ意味があるのか疑問だったのが解けたことと、リサイクルしても実際にはゴミが減らないということに驚いてしまう。

環境問題について常識だと思っていることが実は科学的根拠がない情緒的な思い込みであるということなのだが、それを環境意識の高い人々に対して、あなたたちの“常識”は間違っていますよと堂々と言うということが“良識”ある態度であると思うのである。
 

2007年10月17日

システムショック

今日までの3日間、読売新聞で「システムショック」というタイトルの記事が載っていた。首都圏の自動改札機トラブルなど大きなシステムトラブルが立て続けに起きているので、こうした特集を組んだのだろう。

その記事の中味は、ITベンダー(この言葉を記者は初めて聞いたように書いていたのが印象的、認知度が低いんですね)の多重下請け構造や顧客との溝について書いている。論調としては、下請けの末端になるとコスト削減を迫られろくにテストもしないで収めるのでトラブルになるとか、ユーザ企業はベンダーの言いなりになっていて、企業の要求がシステムに反映されないといったように、どちらかというとITベンダー側の問題点を指摘していた。

総合紙の記者だから、そんなにIT業界に詳しくないと思うが、やはりIT業界構造については問題ありと見えるのだろう。その記事によると、今年経産省の呼びかけでベンダーとユーザ企業の役員が産業構造審議会の小委員会で顔を揃えたそうだ。

とっくの昔にやっておかなくてはいけないことだろうが、役員同士で、しかも大手だろうから、ぼくはその会議の実効に期待はもっていない。だって、多重下請け構造の問題だって本当の末端の実態ってわかっているのかということや、いままでずっと大手ベンダーに丸投げしていたところが、急にユーザとベンダーの溝を埋めましょうと言ったところで表面をなでるだけの話のような気がする。

しかも、システムに対する思想や技術を今の延長のままで考えていたら何も変わらない。変革というのは、内側から、あるいは底からわーっとマグマが吹き出すように起こるのではないでしょうか。これまでの常識を打ち破るブレークスルーがなければいけない。IT業界(ユーザ企業も含めてかもしれない)は、一旦ゼロベースに落として再設計するぐらいのことをしないと「パラダイス鎖国」どころか、みんなが不幸せな国になってしまう。

今回の自動改札機のトラブルについて気になったことをもう少し。

システムに不具合が生じたのは日本信号社製のものだけだった。他の東芝やオムロンのものでは起こっていない。

現象としては、自動改札機は、始発前にJR東日本などが作った合弁会社「ICカード相互利用センター」から、盗難などで使用停止措置が取られたICカード乗車券のデータが送られ、それを読み取ることで起動する仕組みになっているが、日本信号社製の改札機にプログラムミスがあり、一定量のデータが送られると異常が起きるようになっていたらしい。

おいおいちょっと待ってくれ、このプログラムというのは、3社とも同じになっているんじゃないの。そうか、他の2社で起きていないということは、別々に作ったのだ。ええー、同じプログラムを3社が別々に開発したということは、3倍の開発コストがかかっているじゃん。機械が違うからそうならざるを得ないってことなのだろうか。それとも、リスク分散?

だから、システム自体の複雑さも合わせて巨大なブラックボックスとなってしまっているような気がする。
全体があとで見てもその構造が分かるように疎結合されたモジュールの組み合わせになっていたのかどうかを知りたいものだ。そうしておいて、そのモジュールごとに分業するというのが正しいのではないでしょうか。同じものを3社に作らせるのは分業とは言わない。
 

2007年10月18日

喜んでやがて悲しき日本サッカー

今日は朝から気分がよくない。北京五輪最終予選で日本代表がカタールにまさかの逆転負けを喫したからである。試合終了直前に決められたドーハの悲劇が再び繰り返されてしまった。

痛恨のハンドでPKという、なんともやりきれない負け方だ。首位を譲ったといってもまだ決まったわけではない。自力はなくなったが逆転は十分ありえるからこれからがんばってほしいと思う。

でもこのチームは点がはいらないなあ。セットプレーでやっと入れられる感じでピリッとしない。

その点、昨日のフル代表はエジプトを4-1と下して、得点力があることを見せつけた。2006年のアフリカチャンピオンを相手に4点も入れるなんて、久しぶりに溜飲を下げた。ああそれなのにU-22はどうなってるのだ。と嘆いてももうしょうがない。

ただ、両試合ともハンドの反則で点を入れられたのはいただけない。どうも日本の選手がゴール前で致命的なハンドの反則をよくするような気がしてならない。あくまで、相手のハンドで日本チームが得点したことが少ないような気がすることとの比較で言うのだが、日本選手の胸付近の球扱いに問題あるんじゃないかなあ。

さて、負けた試合のコメントより勝った試合のコメントのほうがまだ気分がいいので、エジプト戦のことだが、結果的にはいかにも圧勝のように見えるが、試合をよーく観察してみると、そう手放しで喜べるものではないように感じる。そんなに辛口にならないで素直に認めればいいじゃんという声が聞こえてきそうだが、ひとことで言えばエジプトが弱かったし、戦術的にも劣ってただけなのだ。

どうも主力は来なくて若手主体のようだった。あれだけサイドのスペースをフリーにしていたらやられる。特に前半なんか駒野がいつもフリーでいた。いつも日本チームは、両サイドの加治と駒野がディフェンスに追われ、サイドをかけあがれないで、攻めが単調になっていた。昨日エジプトはそれをやすやす許していた。

また、大久保が2点、前田が1点とフォワードが久しぶりに多くの得点を入れていたが、これにしても、向こうのバックスの甘さが目立った。チャージの厳しさがないので楽々とポストプレーができたし、ゴールを背にしてボールを受けても簡単に振り向けたのでやりやすかったに違いない。ファウルも少なかった。もう一段高いレベルのチームだったら、そりゃー激しいマークでキープもできない、振り向きもできないというシーンが繰り返されるはずだ。

結局、昨日の試合は日本チームが力を発揮できる条件がみな揃ったということだ。ホームゲーム、ピッチコンディション、気候条件、そしてやさしい相手チームとこれだけ揃うと内弁慶ジャパンも強い。だから、これで日本チームの力がアップしたとする見方は早計のような気がする。次の試合が見ものだ。

ところで、また言うのもなんなのだけど、テレビで解説していた松木はどうにかならんのか。全く解説になっていない。テレビを見てればだれでもわかる、個々のプレーをなぞって言っているだけでうるさいだけだ。こんな解説は素人でもできる、もうやめてほしい。堀池か福田に変えてくれ!
 

2007年10月19日

ビジネスコンポーネント指向開発(10)

ソフトウエア工学的な開発手法との対比

久しぶりに開発技法の話です。

この「ビジネスコンポーネント指向開発」の技法は世間的には何という名前なのだろうか。いわゆるソフトウエア工学では、従来の構造化分析、構造化プログラミングといった構造化手法からいまはオブジェクト指向というふうに変わってきていると書いてある。

構造化技法というのはDFDを書いて、プログラムを関数という「部品」に分割して、それを組み合わせてソフトウエアをつくると言われてもだいたいわかるが、オブジェクト指向はよくわからない。オブジェクト指向で、「データ」と、それを操作するための「メソッド」の組み合わせて、それをカプセル化したものが「オブジェクト」ですと言われても、これって構造化手法のこととどこが違うのと思ってしまう。

一方、オブジェクト指向はプログラミングから来ているから、分析とか業務設計には向いていないとも言われている。DOAをやっている人がよく言う。確かにUMLでビジネスを書かれても、特にユーザは理解できない。ユーザに理解してもらえない手法は、システム屋のマスターベーションでしかない。だからといって、DOAのER図がユーザから理解されるかというとこれもなかなかむずかしい。

DOA(Data Oriented Approach)というのは、和製英語で堀内一さんが最初に言い出したものでが、それまでのPOA(Process Oriented Approach)というものは今はどうなっているのだろうか。

こうしてみると開発手法は、構造化手法、オブジェクト指向、DOA、POAとあるが、これだという決定打はないように思える。いまは、オブジェクト指向ばかりのように見えるが、それだけで満足できるものができるかどうかあやしい。筆者は、それぞれの手法を適材適所的に使うことを提案したい。言い換えれば、それを実行しているのが、「ビジネスコンポーネント指向開発」なのである。

システムは(ビジネスといってもいい)、再三言ってきたように機能とプロセスとデータから成り立っている。これらを設計するのに、基本的に機能はOOA(Object Oriented Approach)、プロセスはPOA、データはDOA、全体を「構造化」するという考え方である。ここでいう「構造化」というのは、構造化手法ということではなく(いわゆる構造化手法というのは、POAやOOAに引き継がれている)、SOAの概念で柔軟な構造にするという意味です。

ここで注意しなくてはいけないのは、全く別々にやるわけではなく、主としてその手法を用いるといった程度のものである。逆に共通するもの、あるいは交差するものもある。

例えば、機能といった場合、いまオブジェクト指向で言う「オブジェクト」という概念をあてはめているが、POAでは「アクティビティ」であり、DOAでは「エンティrティ」に相当する。だからそこでお互いが結ばれていくというイメージです。もう少し説明を加えると、OOAで実ビジネスおける概念をしっかり定義することであり、そこから生まれたアクティビティ(コンポーネント)をPOAでシンプルなプロセスにし、DOAでリソースデータを中心にしたデータインフラを構築するというのが正しい方向である気がします。

この考え方を「ビジネスコンポーネント指向開発」において具体的に説明すると、まず「オブジェクト」を書類というふうに定義しています。ビジネスではほとんどの場合、書類の受渡し(紙ではなくても)により仕事をしています。だれかに依頼され、それを処理して、つぎに渡すという流れですが、それは書類という「オブジェクト」を作成し、できたものが「クラス」と言ってもいいかもしれませんが、その書類が転記されていくことが処理に当たると考えています。

この「クラス」が、「アクティビティ」となってBPMに飛んでくるわけです。BPMではPOAに考え方によりプロセス中心に構築していきます。「ビジネスコンポーネント指向開発」では単なる「アクティビティ」ではないもう少し、広いサービスのようなものも対象にしますから、それらもひっくるめて「ビジネスコンポーネント」と呼んでいるのです。

次に、データとの関係を見て行きましょう。DOAでは、ER図を書くことでデータとプロセスが表現できることになっています。DOAでは、まずリソースデータとイベントデータに分けて設計します。リソースデータは、人・物・顧客などの、いわゆるマスタデータで、イベントデータは、「○○する」という言い方ができる、例えば、受注、出荷、購買といったものがこれにあたります。そのイベントデータは時系列的においていきますから、プロセスを表現していることになります。

とういうことは、それでプロセス設計ができるじゃないかと言われますが、なかなか分かりにくく、ユーザには難しいのです。従って、DOAでリソースデータベースの設計を行ない、BPM側はそのリソースデータを使ってプロセスを回し、そこで発生したイベントデータはBPM側で作るというのがいいのではないだろうか。

このデータベースの設計と蓄積されたデータの活用も含めたデータベースマネージメントについては次回に提示する。
 

2007年10月20日

秋の富士

富士山が綿帽子(いささかハンチングのようではあるが)をかぶったようになった。
いよいよ秋本番である。

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視聴率の錯覚

今は亀田家の話題がテレビ番組で盛り上がっているが、あの朝青龍や前時津風親方はどこに行ってしまったのだろうか。

TBSがいかに批判されようとも視聴率が取れればまた亀田モノをやるんじゃないかな。だって、なんだかんだといってもテレビというのは視聴率が取れなかったら国営放送になってしまうわけで、いくらまわりで視聴率のために番組がゆがめられてと言ったところで、この本質は変わらないのである。

ところがである。どこで読んだか忘れたが、思わず「おおそうだったか」と叫んでしまったことがある。賢い皆さんはとっくに分かっていらっしゃっると思うが、「視聴率というのは、その番組を見た時の人の数だから、その番組の評価とはぜんぜん違う」ということなのだ。

その番組を見てよかったと思ったひとの数ではないということ。だから、連ドラや帯番組は、評価が次に視聴率に反映されるけど、単発ものは評価は分からずじまいになる。変な話であたかも視聴率が高いといい番組のように錯覚してしまうがそうではないのだ。だから、単発の場合は番組の質を高めることより、始まる前に煽り立てて、話題性を高め、瞬間の視聴率さえとれればいいという考えかたになってしまう。

まあ、どうでもいいけどテレビがどんどん衰退していくようにみえるが、なくなりはしないと思うが、形が変わっていくと思う。話題を追っかけて、どこのチャンネルも同じことばかり放送しているのを見るにつけ、そんなことを考えてしまう。
 

2007年10月21日

「狂い」のすすめ

このあいだ、新書や文庫本用の書棚を買ってきて、2階の廊下に置いた。家族で自分が読んだ本をそこに入れておくことにした。というのも、重複して同じ本を買ってきてしまうことがあるからだ。ちょっと読む本が切れたのでそこを覗いてみると、「「狂い」のすすめ」(ひろ ちさや著 集英社新書)という本が目に入ったので読むことにする。

著書のひろちさやという人は、仏教を中心に宗教についての著作を多く残している。ただ、タイトルがちと過激で一体どんなことが書いてあるのだろうと思ってしまう。最近の新書のタイトルは、凝ったというか、奇をてらったものが多く、購買意欲をそそるものもあるが、逆に中味と乖離したものもある。この本のタイトルもぼく的には行き過ぎのような気がする。もう少し、マイルドに「「非常識」のすすめ」くらいにしておいたほうがよかったと思う。

この本を買ってきたのは、下の息子で、なにかで落ち込んでいたとき手にしたらしい。本の内容はそうした鬱屈している気持ちを、くよくよしたって始まらないから、そんなにまじめに考えないで楽にいこうよみたいなトーンで書かれている。

まず、“世間を信用してはいけません”とくる。世間の常識は、世間そのものにとって都合のいいものを一般大衆に押し付けているだけだと。なるほど、同感だ。ぼくの持論に、無常識はダメだが、非常識はいいことだというのがある。常識がないのは困るが、常識を持った上でその常識を打ち破る姿勢が必要だと思っている。そうでないと、常識ってころころ変わるものなので、常識に固まった人は、常識に振り回されることになるからだ。

まあ、このあたりはいいが、つぎが、“目的意識を持つな!”である。目的意識があると、その目的が達成されないと、毎日がつまらなくなるからそんなものは持たないほうがいいというわけです。

そして、つぎが“人生は無意味”、“「生き甲斐」は不要”ときた。ここは少し引用する。

もしも、「人生の意味」を論じるのであれば、あらゆる人間に通じるものでなければなりません。百八歳まで生きた老婆と、たった三日間しか生きられなかった赤ん坊と、その両者がともに同価値でなければならない。天皇や皇太子の人生とホームレスの人生とが、同価値であるような「意味」であってこそ、真の「人生の意味」といえるのです。わたしはそう思います。 だとすると、「無意味」だというのが、真の「人生の意味」なんです。 そして、わたしたちはついでに生きているのです。

こうして、肩肘張らずに淡々と生きようとうメッセージは、確かに落ちこぼれだとかひきこもりの人たちあるいは病気で悩んでいるひとたちに救いを与えるかもしれない。ひきこもりでいいじゃないか、がんになったってがんを治そうとしないでがん患者として生きればいいじゃん、ということなのだが、ぼくらのように齢を重ねた人間にはある程度理解でき、実践もしようという気にはなる。

しかしながら、若い人たちにとって受け入れられるのだろうか。悟ったような冷めた生き方もいいが、熱き思いをもったアグレッシブな生き方も必要のような気がする。目的だって要ると思うし、生き甲斐もあってもいいと思うがいかがなものだろうか。

こうした生き方は、年をとってからでも遅くはないとぼくは思う。五木寛之が言っている林住期になったころからだんだんと孤独の中で死を迎える準備として、こうした考えをもっていくのでいいのじゃないだろうか。
 

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2007年10月22日

ビジネスコンポーネント指向開発(11)

データベース

プロセスだけではなく当然データベースの設計、構築もしていかなくてはならない。データベースは一種類だけではなくその用途に応じて構築されるべきである。

大きく二つに分かれる。インフラ系のデータベースとイベント系のデータベースである。イベントデータは、前回にも書いたようにプロセスに結びついたトランザクションデータとなります。ですから、このデータベースはプロセスの設計時にそのアクティビティに付属するデータとして捕捉されます。Savvionではデータスロットに格納されるデータということになります。

ここでの議論は主にインフラ系のデータベースについてとなります。インフラ系のデータベースはリソース系と参照用データベースにわかれます。リソース系というのはマスタデータ、参照用というのはデータウエアハウス(DWH)と言い換えてもかまいません。

DWHは、さらにセントラルDWH(エンタープライズDWH)と用途に応じて絞り込んだデータマートに分解されていきます。

さて、「ビジネスコンポーネント指向開発」では、業務プロセスが可視化され、そのプロセスから生じたデータがイベントデータベースに格納されて、そのデータをモニターしてプロセスの制御を行なったり、パフォーマンスの解析に使ったりする。

また、エンタープライズレベルでは、BIツールを使ってデータ分析を行ない、BSCなどの業績評価や管理会計につながっていく。筆者は管理会計というのはデータウエアハウスだと思っていて、静的データはリソースDBから、動的データはBPMのイベントDBからもってきてマッピングするのではないでしょうか。

このように、データベースもその使い方や性格に応じて構造化しておき、相互の連携を行なうことが大事である。場合によっては、EAIのようなツールを使うことになるかもしれません。

特に、リソースデータ(マスタ)は、One Fact in One Placeの原則をきちんと守り、システム開発の最初に構築しておくことが望ましい。

最近、マスタデータマネジメントシステム(MDM)という言葉を見かけるになってきた。意外とこのマスタデータを運用・管理するのは手間がかかるものである。多くは人手を介して泥臭くやっているのではないでしょうか。エンドユーザ自身にやってもうというのもあるかもしれないが、いずれにしろここはシステマチックにいきたいものです。

ここでもBPM-CMSを使ったシステム化を推奨します。すなわち、マスタの追加・変更をCMS上に流し、そこで承認を得たものがBPMを通してマスタに飛んでいくというイメージだ。システム部門ですぐにできるのでそこからはじめたらどうだろうか。

BPMというと、どうしてもプロセスに目が行ってデータベースがおろそかになるが、データベースありきが前提というわけには行かない場合もあるので、プロセス設計と同じようにデータベース設計も重要であることを忘れないようにしたいものだ。

2007年10月23日

名寄せ

最近の社保庁の年金問題で「名寄せ」という言葉が盛んに出てくる。企業のコンピュータシステムをやっている人たちにとっては、なじみのある言葉だが、一般のひとで知っている人は少ないと思う。しかし、意外なところでこの言葉を聞いた。

嫁はんに洗濯機の糸くずフィルターが破れたので買ってきてくれと言われたが、これがなかなか売っていないんですね。しょうがないから、ネットで買おうかと言ったら、近所の家電量販店「デンコードー」に電話をかけて、取り寄せてもらうことにしていた。

話はちょっとそれるけど、電化製品の部品もネットで買えるのですね。そのとき、思ったのですが、こういうものこそネット販売がいいんじゃないですかねえ。数がものすごくあるし、各メーカのものをそろえておかなければならないし、そう頻繁に売れるものではないので、店頭での販売は非効率ですよね。そういうものこそネットにして、それを戸別でもいいし、販売店で受け取るのもいいしという方法がいいんじゃないかと思った。上新電機がこれをやっているんだな。

さて、「名寄せ」の話だが。「デンコードー」にその糸くずフィルターを取りにいったら、「メンバーズカードをお持ちですか?」と聞かれたので、「失くしてしまいました」と言ったら、すぐに再発行してくれた。それで手続きを終えたら、そこの店員のオバちゃんが「これ名寄せしておきましたから、前のカードが出てきても両方使えます。ちゃんとポイントは合算したものになりますから」ときた。おおー感激。社保庁よよく見習え。

2007年10月24日

「教養」の現れ方

ぼくの好きな俳句に“浜までは海女も蓑着る時雨かな”というのがあります。滝瓢水という江戸時代の俳人が詠んだ句です。瓢水は、先日あの痛ましい事件があった加古川市別府で大きな廻船問屋を営んでいる家に生まれたが、家業をほったらかしにし、遊蕩三昧で結局家業をつぶしてしまったという破天荒な人生を送った人です。

この句は、あるとき瓢水の名を慕って禅僧が訪ねてきたが、瓢水は薬を買いに行って留守であった。死ぬのが怖いやつはだめだとして帰ろうとした僧に、「浜までは海女も蓑着る時雨かな」と詠んだと言われています。

名前の通り、なにか飄々とした感じがいいと思いませんか。その他にも“手に取るなやはり野に置けれんげそう”という句もあり、これなんかも同じような雰囲気ですよね。

この最初の句の意味するところはなんでしょうか。海女は海中に潜るのが仕事だから、どうせ濡れてしまう。しかしそうであっても、雨が降れば浜までは蓑を着てゆく。やがてそうなる事は分かっていても生き方の姿勢、けじめは大切という事だと言っていると言われています。

ぼくはもう少し突っ込んで「矜持」あるいは「誇り」のようなものを感じるのです。それと、その姿を見ている瓢水のたたずまいを空想し、その見つめる目に優しさを感じてしまうのだ。

なぜこのことを書いたかというと、今日の新聞の書評で橋本五郎さんが、「移りゆく「教養」」(苅部直著)という本について書いてあった内容が、先の句のことと似ていたのである。G・オーウェルのエッセイ「絞首刑」の中に出てくる話について書いてあったくだりで、その一部引用する。

インドの帝国警察の警官としてビルマに勤務していたオーウェルは、ひとりのインド人が絞首刑にかけられる場面に立ち会う。絞首台に向かって歩いた男が、水溜りに近づくとふと歩みをそらして足が汚れるのを避けた。その瞬間、オーウェルの心に小さな衝撃が走る。すぐ命が絶たれるのに「生への愛おしみ」を保つ死刑囚。その姿に植民地支配者と現地住民の壁を越えて、同じ人間であることを了解する。そのオーウェルに政治学者栗原彬は大きな「教養」を見た。「限界状況で、教養は生の証とか、人間の尊厳としか言いようのないものとして、そっと現れる」からだ。

まあ、ちょっと大げさのようだが、「「狂い」のすすめ」でひろちさやが書いているように、仏教で言う“その時々を一生懸命生きるということ”が大事ではないだろうか。

そして、その姿をやさしく包むように見ることができる心の有り様が「教養」ということなのではないかとそんなことを思わされた。
 

2007年10月25日

コンポーネント部会再スタート - 親子丼的ビジネス奮闘記(12)

昨日から、日本BPM協会の「コンポーネント部会」が今までのやり方から変えて再スタートとなった。要するに、全体をなめることから、テーマを絞ってやろうということです。そこで、どういうテーマにするかについて、ぼくから提案を行なった。

提案したテーマは、「ビジネスコンポーネントベースのBPM開発に合った業務プロセス設計ガイドラインの作成」ということ。いわゆる上流の部分の設計をどうやっていくかを検討しましょうということで、これだとBPMSがなんであろうと適用できるので共通テーマとしてはいいのじゃないかと思う。

この上流設計については、オブジェクト指向やDOAあるいは要求工学、要求開発など多くの方法論がある。また、業務のモデリングというアプローチもある。しかしながら、上流から下流の開発、実装までをスムーズに流れるものは少ないように思える。

オブジェクト指向にしても業務設計のところは弱いといわれているし、DOAは逆にプロセスの開発・実装には向いていない。また、トップダウン的なモデリングのアプローチだと、詳細なアクティビティレベルまで落とし込むのが大変だ。

そこで、実際の開発技法を意識して、そこにうまく落としこめるプロセス設計法をみんなで議論しましょうということをお話した。そのためには、コンポーネントベースの開発についての理解が前提となるわけで、昨日はそこの議論が活発に行なわれた。これまで、意外とこのあたりの議論ってなされてない面があって、いろんな意見が出て面白かった。

キーとなる部分は、コンポーネントを何とするかということで、ぼくの進めている「ビジネスコンポーネント指向開発」では、「書類のライフ」という定義をして、そこは不定形、不安定な業務処理を情報共有型のCMSで表現しようとするものである。ここの部分が、皆さんが腑に落ちるかどうかが重要であり、この入り口部分の議論をさらに深めていったほうがいいような気がした。

というわけで、BPM協会で設計ガイドラインの作成を始めていきます。

この会合の前に、B社の取締役のMさんと打ち合わせ。ぼくの方法論を使った事例構築のお願いをする。Mさんはユーザ会社出身なので、業務コンサルで、多くのプロジェクトを手がけたプロです。興味を持っていただいたようで一度社長(この人も有名な技術者)に会ってくれということになり、来月初めに来訪することになった。

また、別の会社、CMSを自分のところで開発した会社で、ここにもアプローチしていて
フロントのCMSの開発部分がやれる可能性がある。

まあ、そんなこんなで、ここにきて徐々にネットワークができつつあるので、早く組織化して進めていきたいと思っている。
 

2007年10月26日

SaaSあるいはASPそしてSOA - 企業情報システムのかたち(17)

さて、こちらも久しぶりのエントリーになります。テーマは最近の流行であるSaaSあ(Software as a Service)とSOA(Service Oriented Approach)についてです。

このふたつのキーワードに熱いまなざしが向けられている。それは、バズワードという、一見専門用語のように見えるがそうではない、明確な合意や定義のない用語のことではないかという人もいる。筆者はそうではないと考えるが、定義の仕方がひとによってばらばらのような気がする。

それはどうしてかというと、特に3文字略語の場合、その言葉やコンセプトを作ったひとはどういうことかもちろんわかっているが、そうでない人たちは、まずは3文字ありきなのであって、その3文字を自分の知識や理解で勝手に解釈してしまうからだ。だから、そうした言葉を使いながら話をしていて、お互いに全然違う定義でしゃべってしまい、かみ合わないことがある。

結局、言葉から入るのではなく、自分のやりたいこと、考えていることがそのコンセプトやアーキテクチャに合っているかどうかという視点が重要で、それが合っていれば腹に入って来るのだ。

そうした目で見ていくと、まずSOAから言うと、多くの間違いは、SOAを技術やソフトウエアだと思っている人がいることだ。わけが分からないのは、さあ今からSOAを構築しましょうというやつで、それどうやって作るの、何に使うのということになる。これでは、ベンダーがだまそうとするバズワードになってしまう。

SOAはあくまで、思想であり、概念である。システム全体をフレキシブルでアダプティブな構造にして、ビジネス環境の変化にシステムが迅速に対応していこうという考えかたなのである。だから、システム側の要求でもなんでもなくて(まあメンテナンス性の向上はあるがメインではない)、ビジネス側が望んでいることなのである。

ここをしっかりと理解する必要がある。すなわち、ビジネス側の要求として、必然的にSOAが求められたのだ。それが、これまでは技術的に難しいところがあってできなかったのが、ここへきてやっと実現できるようになったから、注目されているわけで、そういう意味でバズワードではないと言っているのです。

つぎにSaaSだが、これと同じような仕組みにASP(Application Service Provider)というのがある。2000年くらいに若干もてはやされていたが、いまはこの言葉を聞くことは少ない。実は、筆者はその当時、ASPを実際に始めた経験を持っている。この仕組みを適用しようとしたきっかけは、情報システム部門の子会社化である。

情報子会社の使命のひとつにグループ会社の支援がある。グループ会社というのは、だいたいが中小規模でシステム部門をもたないようなところが多い。その当時はどこの会社も子会社の情報システムはあまり面倒をみていなかった。独立心の強い会社が多い(昔は親会社がそう仕向けた面もある)せいでもあったが、自分たちでできないから地元のITベンダーにまかせっきりになっていた。

ところが、2000年3月期から連結決算の開示の義務化により、単体経営から連結経営重視へ舵がきられたため、親会社も子会社のシステムについて知らんぷりもできなくなってきた。典型的な例が、連結決算データの集約が早く正確にやらなくてはいけなくなったことなど、グループ全体のシステム化という視点を持たざるをえなくなった側面がある。

で筆者が掲げたのは、情報子会社はグループ会社のための、Application Service Providerになろうと決めたのである。すなわち、グループ会社はIT資産はPCとLAN以外は持たないということである。親会社のシステム部門に開発から運用まで全部任す形態である。

そのために、一箇所にアプリケーションを置いてそれを各社が共同利用するというシェアリングの考え方を採用したのである。その頃はまだ、Webアプリケーションも少なく、ネットワークパフォーマンスやサーバーのスケイラビリティイの問題があってなかなか難しかった。

いまや、ASPとはあまり言わず、SaaSという言葉が主流となっているが、どこが違うのだろうか。これについて昨年栗原潔さんがブログに書いてあるのを借用してみる。いま言ったようなことを踏まえると筆者の考えを代弁してくれている。

現状のSaaSの定義は、「アプリケーション・ソフトウェアをユーザーが自分のシステムに導入して使うのではなく て、ソフトウェア・ベンダーが所有するインフラで稼働してもらって機能だけをネット経由で使うモデル」という感じでしょう。そうなりますと、SaaSと ASPモデルはどこが違うのという話になります。

ネット上で「SaaSとASPはここが違うんだ」という意見をサーチすればするほど、私的には「やっぱり同じでは」と思えてしまいます。たとえば、

1.ネットコストの違い: 昔のASPは通信費が高かったが、SaaSは高速回線を安価に使用できる
   これは利用環境が変わったというだけで、特に本質的な違いではないのでは?

2.ホスティング方式の違い: ASPではシングルテナント(1サーバ=1ユーザー)が普通だったが、SaaSではマルチテナント(1サーバ=複数ユーザー)が主流
   これまた利用環境の違いであって、モデルの本質的な違いとは思えません。

3.アプリケーション設計の違い: ASPはクライアント・サーバ・アプリケーションを無理にネット対応にしたもの、SaaSは最初からネット向けに設計
   そうなんでしょうか?ASP時代にもネット・ネイティブのアプリケーションはあったと思います。

ということで、今の私の結論は「SaaSとASPに本質的な違いなし、ASPにはあまりビジネス的に成功できなかったという悪いイメージがあるので それを避けるために、ベンダーがマーケティング上SaaSという新しい言葉をプロモートしている」というものです。そもそも、1990年代末のASP時代 から"software as a service"という言い回しはよく聞かれてました(SaaSという短縮形は一般的ではなかったかもしれませんが)。

まさにこの通りで、ASPといわれた時代の技術的な限界がいまはなくなって、その当時思い描いていたことが実現できるようになったということだと思う。

そこで、SaaSの利用の仕方についてである。現時点で有名なのは「SalesForce.com」であるが、これが正しいSaaSの利用の仕方なのだろうか。どうも疑問がある。まず、ユーザサイドでいうと、大企業から見るのと中小企業から見るのとはだいぶ違う。

中小企業は、全社システム丸ごとという利用の方向であるが、大企業は必要なサービスだけをもってくるという方向であると思う。大企業は、基幹業務システムは自社で保有するが非基幹系あるいは情報系については必要に応じて外部サービスを使うというのが多いでしょう。

こうしてみると、「SalesForce.com」はSaaSで提供されるべきものなのだろうかと考えてしまう。しかも、営業の業務というのは様々な形態があるし、またその会社あるいは部署によって特徴のあるプロセスだったりするわけで、それをある決まった型に押しこめるのはいかがなものだろうか。そもそも基幹業務なのではと思う。

SaaSに向いている業務サービスは、差別化しなくてもいい、あるいは自社でメンテしにくいもの、専門的なものが適している。例えば、プロフェッショナルサポートと呼ばれるような税務、法務・特許、労務、与信などのサービスを外部にまかせるというのが取るべき形態であると思う。

いまや多くの業務がSaaSに取って替わられるような勢いで語られることもあるが、そう簡単に移行できるとは思わない。むしろ、以前のASP的なアプローチで最終的にはBPO(Business Process Outsourcing)につながるような形態が多くなるような気がする。

2007年10月27日

なんじゃもんじゃ

夏以来の「呑み歩き隊」の例会。今回は、月島のもんじゃ焼きで一杯のコース。老舗の「近どう」で6時半に待ち合わせ。ここは、もんじゃストリートから一筋入ったところだが、さすが人気店で満席である。お客さんは、若い人が多く、特に女性客が目立つ。おじさん4人組はちょっと異質な感じとなる。

どうして、こうもんじゃ焼きがはやるのだろうか。ぼくは不精ものだから、目の前に料理を運んでもらわないと、自分で焼いてというのは苦手だ。せいぜい焼肉ならなんとか自分で焼くが、お好み焼きやこのもんじゃは自分ではできないので、積極的には食べに行かない。この日も、N君に任せて焼いてもらったのを食べる。

周りの若い人たちはみんなで突っつきあいながら楽しそうに食べている。そう、みんなでわいわい言いながら、料理をするっていうのがいいのかもしれない。お酒を呑めない人も楽しめる。

あと、若い人にとっては、料金が安いというのも魅力的なのだろう。ということで、お腹いっぱい食べて、呑んでも3500円といううれしい会費であった。

終わって、家が遠いKさんを帰してから、残り3人で「岸田屋」に向かう。ところが、店の前に数人が並んでいるではないか。さすが人気の「岸田屋」だ。仕方がないので、少し離れたN君の行きつけの「玉ちゃん」という酒場に行くことにする。そこで、主人の友達の佃煮やが釣ってきたという東京湾の魚の刺身をいただく。もんじゃのあとの刺身もいいもんじゃ、というわけで満喫の夜であった。

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2007年10月28日

台風一過の富士山

台風が去った後のさっぱりとした富士山です。
普段、まだどんよりして見えるのがはっきりとなる。
台風は、何だか大きな掃除機のように思える。

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シリコンバレー精神

梅田望夫さんの書き下ろし新刊「ウェブ時代をゆく」(ちくま新書)が11月6日に刊行されるので、それまでに読んでおこうと(直接は関係ないが)思って、文庫になった「シリコンバレー精神」(ちくま文庫)を読む。

この本はもともとは2001年に新潮社から出た「シリコンバレーは私をどう変えたか - 起業の聖地での知的格闘記」という本に「文庫のための長いあとがき - シリコンバレー精神で生きる」を増補したものである。

もとの本では、1996年秋から2001年夏までの5年間にシリコンバレーで起きたこと、梅田さんがその場所で感じたことを綴ったものである。あとがきは2006年に書かれているので、その5年間を5年後に振り返って書いてあるので、その対比が面白い。

このシリコンバレーで起こったことはものすごいスピードであったわけで、だからそのとき読むのといま落ち着いて読むのとでは感じ方が違ってくる。ぼくは1996年にはもうITの世界に入っていたので、いくぶんはシリコンバレーの雰囲気は普通の人よりは知っていたし、現にそのころシリコンバレーに行ったこともあって、本書の内容には感慨深いものがある。

梅田さんは、「Web進化論」で知ったのだが、非常に読みやすく、そこに溢れるオプティミズムが心地よかった。「シリコンバレー精神」は、この「Web進化論」を書く前の話だから、この本で、なぜ「Web進化論」が書かれたかがよくわかる。

このエントリーでは、本書の中味というより、今現在との対比についてみてみたい。

その前に、「シリコンバレー精神」とは何かを理解しなくてはならない。梅田さんの定義では、

「シリコンバレー精神」とは、人種や移民に対する底抜けのオープン性、競争社会の実力主義、アンチ・エスタブリッシュメント的気分、開拓者(フロンティア)精神、技術への信頼に根ざしたオプティミズム(楽天主義)、果敢な行動主義といった諸要素が交じり合った空気の中で、未来を創造するために執拗に何かをし続ける「狂気にも近い営み」を、面白がり楽しむこころの在り様のことである。

確かに、こういう精神だからこそ革新的なアイディア、挑戦的なビジネスが出現してくるのだろう。これは、日本にはなかった。“ない”ではなく“なかった”と書いたのは、最近日本のなかでもこうした風潮ができたように思うからである。いまの若い人たちにがんばってもらいたいと心底思う。

さて、本書で書かれて時代から本当にものすごいスピードで変化している様がよくわかる。一番いい例は、グーグルである。この本の中にはほんの一箇所だけちょこっと書かれているだけである。それが5年間でこれだけの巨大企業になると誰が予想できたのだろうか。ということは、これからの5年でまたグーグルのような会社が出現するかもしれないということだ。

もうひとつの象徴的な例を挙げる。マイクロソフトであり、ビルゲイツのことである。つい最近EUによる独禁法違反の訴えが認められ、マイクロソフトの敗訴が決定したニュースをご存知だと思いますが、ほんとうに驚いた。あのビルゲイツが負けた。あれだけアメリカでは屈しなかったのについにあきらめたのか。

これは時代の大きな転換点かもしれない。マイクロソフトのビジネスモデルがもはや色あせたのだろうか。確かに、オープンソースの登場により、ソフトウエアの無料化の波が押し寄せ、機動力に富んだベンチャー企業が素早くビジネスをたちあげていく中では、巨大化し、官僚化した組織になってしまったマイクロソフトは立ち往生しだしたように思えてならない。奇しくも2008年にはビルゲイツが引退を表明しているし、いよいよ幕が引かれるのか。

まだ、書きたいことがいっぱいあるが、別のエントリーで書いていくことにして、今度出る梅田さんの本を早く読んでみたくなった。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)
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  • 梅田 望夫
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    • 5 梅田望夫の哲学
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2007年10月29日

観光地 - チャイナばなしその12

中国には、歴史的な観光地がたくさんある。さすが4千年の歴史の国だ。だから、中国にいたとき、ずいぶんといろんなところに行ったし、連れていってもらった。

前にもいったとおり、普段は工場のすぐ近くの宿舎から出られなかったが、2週間に一度の日曜日に北京までマイクロバスを出してくれる。基本的に北京市内は自由に動けるので、自分たちでタクシーと徒歩で回る。その他には、特別に史跡見学会みたいなのを何回かやってくれる。それと、プロジェクトが終わって、ごほうびとして上海旅行を行なって帰国した。だから、かなりの観光地を知っていることになる。

その北京へのマイクロバスにしても、北京市内と市外の境界で検問があるが、毎回そこで止められてチェックを受けるところが、あの「盧溝橋」である。ここは観光地とは言いがたいが、まあ史跡ではある。毎回、何となくいやな気分になるところである。

北京および北京近郊には、万里の長城、明の十三陵、頤和園、故宮、天壇、周口店北京原人遺跡という6ヶ所の世界遺産がある。これら全て行ったが、どれもこれも歴史を感じるとともにスケールが大きく驚かされることばかりだ。

だって、万里の長城なんてヒルマンじゃないけど「シンジラレナーイ!」。だいたい、八達嶺というところに行くのだけれど、そこに行っても長城の全貌はわかりっこないわけで、ほんの一部を見るだけということになる。故宮なんか、これまた贅を尽くした遺物にびっくりする。頤和園なんて、人工の庭園だけどそのスケールが違う。日本の庭園なんて比ではなく、池じゃなくて湖を作っちゃうんだから。

このように、北京の史跡は皇帝の権力を誇示するようなものが多く、ぼくはあまり好きではない。色にしてもけっこう派手だし、渋い感じがまるでないのだ。

ところが、北京以外ではそうでないところもあって、ぼくが印象的だったのは、北京から北東259キロくらいのところにある承徳という町と、上海から南西180キロくらいのところにある杭州である。杭州には世界一美しい湖である西湖があることで有名だ。この湖は頤和園の人工湖なんかと比べものにならないほど清楚で美しい。ここのほとりの宿で一泊したが、ほんとに癒されるところである。

さて承徳のほうは、明清の時代から避暑地として有名で、康熙帝が造営した「避暑山荘」(これも世界遺産です)がある。趣としては京都という感じで、落ち着いた静かな町です。そのほかに「外八廟」(これも世界遺産)といってチベット式寺院がいくつも建てられているところがる。

前にもこのブログに書いたけど、ポタラ宮を模した宮殿があり、さしずめミニチベットという様相である。ぼくが行ったときは、紅衛兵が荒らしまくったあとに行ったので、非常に残念だったし、がっかりした。それでもぼろぼろになりながら屹立している姿には感動したのである。

実は承徳という町は、かつて日本の関東軍が占領し、司令部が置かれた場所でもある。町を歩くと塀などに日本の兵隊さんが書いたであろう自分の名前と出身県を落書きしてあるのを見つける。いまはどうなっているのか分からないが、少なくとも30年前には、日本軍の爪あとが残っていたのである。

ぼくは、そのとき日中両国の軍人さんに痛めつけられた傷を両方同時に目の当たりにして非常に複雑な気分に陥ったことを、今思い出している。
  


2007年10月30日

わかったようなことを言うな

『たけしの日本教育白書 楽しくマジメに生放送』というのがあって、とても全部は見れないので、ところどころつまみ食いしたが、テーマはどうも「責任」ということらしいのだが、なぜそこに亀田の話題がでてくるのか分からないが、久米宏やテリー伊藤、小倉智明がでてきて、たけしと爆笑問題でトークをやっていた。

亀田興毅の謝罪会見を見ていなかったのでよく分からないが、どうもあのバッシングから同情論に変わってきたとのこと。オヤジが出てこないで長男の興毅が涙ながらに謝ったのが好感をもたらしたようだ。ええー、それだけで空気が変わってしまうの。むしろ、会見の時のインタビュアーが不評を買っているのだそうだ。恐いですねえテレビ、いやメディアは。いやいや、メディアは腐ってきた。そんなメディアに加担しているタレントどももどうかと思いますね。

そのタレントがそのあとテレビの責任ということで討論していたが、なにを言っていたか忘れるほど中味がないと思うが、だいいちテレビの責任を言うんだったらテレビを見ている一般の視聴者の意見を入れなけりゃ何もならない。タレントというテレビ側のことしか知らない、一般の生活を知らない特殊な人種が言っても、違った視点もあるのになあと思ってしまう。

まあ、久米宏が言っているように、民放はCMありきで成り立っているのだから、スポンサーの製品なりサービスが売れることを促していることが本来的な姿としてある。ということは、世間に消費の拡大が是であり、使い捨てを奨励していることに他ならない。そんなところに責任なんてあるわけないじゃないか。

だからタレントがいかにも庶民の代弁者のようにしゃべるのはやめてくれと言いたい。ビートたけしにしたって、この番組で企業に不詳事の話題で、不祥事があったら社長はすぐに辞めるべきか、とどまって後始末をちゃんとすべきかというのがあったが、その話のなかで、「今の会社の社長なんてみんなまつりあげられたお飾りみたいなもんだから、何かあったらすぐに挿げ替えればいいんだ」みたいなことを言っていた。

すかさず宮崎哲弥が「悪いことをしているのはみんな同族経営の会社です」とフォローしていたが、いまの会社経営はものすごく厳しくて、“よきにはからえ”式の経営者はやってられないし、そんなやわな経営者はもういないことを知らないのだ。

ことほどさように、自分があまり知らないことを軽々しく言わないでほしい。アホな視聴者はすぐに信じてしまうから。
  

2007年10月31日

ITとサプリメント- 働きたくなるIT(15)

いきなりITとサプリメントと言ってもどういう関係なのかわからない。別に直接関係があるわけではなく、最近サプリメントを採る人が増えた風潮をながめていて、これはITの世界も似ているなあと思えたので、こんな表題をつけてみたのである。

サプリメントは元来栄養補助食品だから、不足する栄養素を補充するものである。それがビタミンであったり、ミネラルであったりする。昔はこんなものはなかった。終戦直後はみな栄養失調だったけど、その後は普段食べている食物から採れば十分であったはずなのに、なぜこんなものがもてはやされているのだろうか。

健康ブームに乗った商法なんだろうけど、朝飯をカロリーメイトで済ましてしまう若者に受けたのかもしれない。さらに、年寄りにはあの手この手のサプリメントを提示し、ガンにならない、関節痛がなおる、ボケ防止などと煽っている。グルコサミンだ、ヒアルロン酸だと言われても何じゃこりゃと思ってしまう。亜鉛だクロムだといったものまである。

それで、これは○○の病気に効くというふうになっているが、それだけ飲んでも効果があるとは思えない。人間の体なんかもう数え切れない数の栄養素でバランスされているから、単品で摂取しても効くわけではない。

人間は誕生してからずーと食物からそれぞれの栄養素を採りながら健康維持できる仕組みになっているので、単体で採ってもうまくいかないのではないだろうか。結局、バランスのよい食生活をすることが一番なのだ。

そこでITの話である。なぜ似ているかというと、企業の情報システムを考えたとき、企業という組織体は健康で活発に活動しなければならないから、そのためにいろいろな栄養素を採ることになる。そのひとつがITであると考えられないことはない。

会社のどこかで血の流れが悪くなったら、そこにITを導入して流れをよくする、頭の回転が悪くなったので、そこをIT化して、いい判断ができるようにするといったことを考えると、何となくITの姿がイメージできますよね。

そんなとき、今のITはサプリメント発想に近くなってやしないかと危惧するのである。すなわち、処方箋としてすぐにミクロ的な技術やソフトウエアを提示して、それで解決できると言っているように見える。企業の仕組みは、人間と同じように様々な要素から成り立っているわけで、そうした全体を考えて、バランスのよい処方を提供する必要がある。

それをソリューションと呼んでもいいが、要は、局所的な痛みや不具合だけに目を向けるのではなく、それに至った体質だとか免疫力などから改善していくという姿勢が大事だということである。

もちろん、技術オリエンテッドという側面も必要ではあるが、そうしたときも常に根底にこうした本質を見る目と全体感、バランス感覚を忘れないようにしたいものだ。


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