中国は多民族国家である。現在56の民族がいる。ただし、人口の94%が漢族だから、他の55の民族は「少数民族」という。広大な国だから、東西南北の境界のほうにはさまざまな容貌、生活習慣、言葉を持った民族がいる。ヨーロッパ人かと思うものや南方の浅黒いもの、日本人にそっくりなものなど驚くほど多様だ。
一応中国政府は少数民族を保護する政策をとっていて、言語使用や単独の法令制定などの権利を持たせている。30年前にも少数民族の保護ははさかんに喧伝されていた。北京にある民族文化宮というところに行くと、少数民族の写真などが展示され、いかにも中国政府は少数民族に足して手厚く遇していることを強調される。
ぼくは、そうはいっても結局は力でねじ伏せている裏返しに見えていた。チベットに対する弾圧をみればわかるように、少数民族が自立化へ目覚めないように懐柔しているだけなのだ。
さて、ぼくが出会った少数民族の話である。比較的大きな集団として満州族というのがある。いまは、東北部の遼寧省・吉林省・黒龍江省の3省を中心に1000万人くらいが居住しているそうだ。
この民族は、その昔、清という国を作ったこともあり、また1932年から1945年にかけて日本の支援を受けて「満州国」が存在した。その元首には、滅亡した清の最後の皇帝愛新覚羅溥儀が就く。あの有名なラストエンペラーである。「満州国」は日本の関東軍の強い影響下にあったため傀儡政権であるといわれていた。1945年に太平洋戦争での日本の敗退とともに消滅した。
30年まえに一緒に仕事をした中国側のメンバーに、確か課長くらいのレベルの人だったが、李さんという人がいた。よく働くまじめなひとで好感が持てるひとであった。前にも書いたが、この国は自力更生主義であり、また共産党員の監視が常時ある中では、われわれ日本人と仲良くやることを避ける人が多かった中では、気さくに話しもできた数少ないひとであった。その李さんが満州族であった。
これは、李さんに直接聞いた話ではなく、多分日本人の通訳のひとから聞いたと思うのだが、一般に満州族の人たちは日本人に対し、そんなに嫌悪感がない、むしろ好意を持っている人もいるということを言っていた。
当時は、たいていの中国人、特に年配の人たちの日本人を見る目は鋭く、ぼくらも町の中で射抜くような視線を何度も浴びたことがあった。だって、まだ日本の軍隊が荒らした痕跡が町の中に残っているのだから、そう簡単に許せる話ではないのだろう。
ところが、満州族の人たちはそうではないのだという。なぜかというと、傀儡であったかもしれないが、まがりなりにも自分たちの国を日本の支援で建設できたという思いが残っているのだそうだ。真偽のほどはわからないが、現在も満州族の自立への動きが話題になることを考えると、日本人にはなかなか理解できないところの自分の国を持たない民族の思いが少しわかるような気がする。
その李さんとは、5年後に北京で行なわれたプラント建設5周年記念フォーラムで一緒になり、相変わらずにこやかに言葉を交わした。そして、それから、12年後に東京で再会することになる。
李さんが政府系の商社の東京事務所長として着任したのである。なぜそれを知ったのかもう忘れてしまったが、ぼくがその事務所に訪ねていったときにはよく覚えてくれていて、お互いに再会を喜んだ。そして、一緒にあるプロジェクトも構想したのだが、残念ながらうまくいかなく、しばらくして李さんは帰国してしまった。
それ以来会っていないが、今はどうしているのか、もう一度顔をみたいなと思わせる満州族のひとであった。