映画と舞台の違いはいったい何だろう。こんなことを考えたのは、黒木和雄監督の「父と暮らせば」を観たからである。もともとこの作品は井上ひさしが舞台用に書いて、「こまつ座」で公演したものである。
二人芝居として書かれているが、映画はこの父娘ふたりと娘が好意を寄せる青年の三人しか登場しない。しかも、場所も娘の家がほとんどで動かない。従って、映画もまるで舞台を観ているように感じる。じゃいったいどこが違うのだろうか。
・ 舞台は毎日違った演技になるので出来不出来があるが、映画はうまくいったところだけつなぎ合わせている。
・ 舞台はセットに限界があるのでシーンの移動が少ないが、映画は様々なシーンに展開できる。
・ 舞台は観客が自由に焦点を合わすことができるが、映画は監督の目で俯瞰したり、クローズアップしたものを観客が見る。
といろいろあるが、ぼくは最後の違いがいちばんだと思う。舞台というのはある決まった空間のなかで俳優が演技して、それを観客は自分の好きなように、例えばある俳優の動きだけを追いかけるとか、アップにしてみるとか自由にできる。
ところが、映画の場合は、全部監督がこのシーンのこのカットはこの角度から俯瞰するだとか、このセリフのときは唇を映すだけにするとか、観客の自由ではなく、ある意味こういう風に観なさいと押し付けられているともいえる。ただ、だからこそ作品は監督に負うところが大きく、逆に言えば、○○監督作品というのが意味をなすのだ。その点、舞台は演出家より俳優のほうが大きな位置を占める。
ちょっと話はそれるが、テレビで舞台中継というのを時たまやったりするが、ぼくは基本的には観ない。なぜかというと、テレビ局が勝手に複数のカメラで映し、俳優の動きを追ったり、俳優をアップにしたりするが、現実の観劇というのは一定の場所で観客の自由な視点でみることだから、余計なことをしないで、ある座席で観ているようにカメラを置いてくれさえすればいいのだ。
さて、映画「父と暮らせば」だが、これはまぎれもなく黒木和雄の作品である。出演は宮沢りえと黒木作品ではおなじみの原田芳雄、そして浅野忠信の3人である。宮沢りえがいい。被爆者として負った心の傷が徐々に明らかになっていく様を見事に演じている。「たそがれ清兵衛」といいこの作品といい、大女優の道を歩み始めたのではないでしょうか。
黒木監督の演出も原爆の悲惨さを親子の会話だけで、最初は何気なく、そしてだんだん恐ろしくそして苦しい思いを吐露していくことで見事に描いている。
ちょうど、今日の朝日新聞の書評で「ヒバクシャの心の傷を追って」(中澤正夫著)という本について、香山リカが書いていたので、いまでも続いている被爆者のPTSDを考えると、この映画の言っている体の傷もさることながら、心の傷がいかに大きなものであるかよくわかったのである。
久しぶりに大粒の涙であった。
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若い力に託した未来
舞台劇を映画化する難しさ。
今だから必要な戦争伝承
