瀬島龍三が死んだ。95歳であった。若い人は知らないかもしれないがすごい人なのだ。陸軍大学を首席で卒業し、すぐに大本営参謀として太平洋戦争の作戦を担当、終戦直前に関東軍に転出、終戦とともに11年間シベリアに抑留される。東京裁判では連合軍側の承認として出廷、シベリア抑留から帰還すると、伊藤忠で商社マンとなり活躍、結局伊藤忠の会長まで上り詰める。その間、中曽根康弘のブレーンとして行政改革でも力を発揮する。
と書いてみてあらためてこんな人もいるんだと驚いてしまう。このあたりは、山崎豊子の「不毛地帯」を読むと、主人公の壱岐正というのが瀬島龍三をモデルにしているのでよくわかる。小説を越える圧倒的な実人生を送ったひとである。ただ一方で、これだけのひとなので、毀誉褒貶があって悪く言う人もいる。
本人は基本的には参謀としての振る舞いに徹したようでそんなに表舞台にでてきたわけではないのでベールに包まれた部分もある。ですから、特に先の戦争をなぜ始めたのかとか、敗戦の責任はとかいったことを証言していないことに批判があるのは確かだ。
手元に2冊の本がある。「沈黙のファイル 「瀬島龍三とは何だったのか」」(共同通信社社会部編 新潮文庫)と「瀬島龍三 参謀の昭和史」(保阪正康 文春文庫)である。いずれも、瀬島龍三という人物の軌跡を追うことで日本の昭和史をあぶりだそうというノンフィクションである。だが、肝心の本人が何も語っていないので核心に触れることはできない。瀬島はなぜ語ろうとしないのだろうか。
よく、“この話は墓場までもっていくことだ”というようなことを言うひとがいるが、確かにそういうことがあるとぼくも思う。難しいのは、より真実に近い証言をするならすぐに言わないと意味がないことであるが、ただそのときは、関係者を傷つけることになるということだ。また、ずっと後になって証言しても、もはやそれは自分の都合のいいように真実が風化されてしまう恐れがあるため、簡単にいえばいいわけになってしまう。極端な話、時間が経った後の鮮度が落ちた証言はむしろ誤った解釈を生む恐れがあると思う。
ですから、瀬島は徐々にしゃべれなくなり、そしてしゃべらないことにしたのではないのだろうか。
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すさまじい偏向ぶり
悪く書かれすぎ?
なんだこりゃ
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瀬島よ、映画「ゴールデンボーイ」を見よ
瀬島氏の語らなかった教訓
「エリート」の生きる道とは?
