遠藤農水相が任命後8日間で辞めてしまった。またまたカネの不詳事だ。自らが理事長を務める農業共済組合が、補助金を不正に受給していた問題の責任をとった形になった。
これだけ、ぼろぼろとカネの問題が出てくると大臣になれるやつがいなくなってしまう。赤城農相の事務所費の問題が出たときなんかは、ぼくは事務所費の問題くらいは一旦ご破算にして、過去は水に流し、これから悪いことをしたら問題にするくらいのことをしないと収拾がつかなくなると考えてみたりした。
しかし、今回の遠藤農水相の問題は事務所費問題より悪質なのだ。なぜって、水増し請求して、その後問題が発覚しても返さないでいるというのがおかしいのだ。そんなことより、何よりもこのおっさん、補助金を出す側のトップになっても、というか国会議員になっても、補助金をもらう側の組合の理事長に居座り続けるという、とんでもない感覚の持ち主であることが問題である。
こういう感覚だから、おっさんはクールビスだといって棒タイを締めて登場するのだ。以前、米国に出張したとき、一緒に行った上司の人が、途中で棒タイを締めて空港にいったんですが、そのときカウンターにいたおじさんが上司を見てにやにやするんです。なぜか全然わからなかったのだが、米国に住んでいる人がそっと教えてくれたのは、棒タイというのは、もう一丁上がりの人が着けるものなのだそうです。
要するに私はもう歳ですので起ちませんと言っているというわけです。もちろん上司の人はまだ40代後半ぐらいだったので、空港のカウンターの人は、こんなに若いのにかわそうにと思ったに違いない。
少々、脱線してしまった。もう起たないヤツが大臣なんかやってはいけないのだ。
でここで、テレビのメディアとしての役割の変化について書く。実は、今までの話とも関係していて、政治家をもっとテレビださせろということを言いたいのだ。ぼくは、テレビも公共的役割はそこだと思う。政治家はテレビを通じて自分の主義主張や実績をアピールする。相手はテレビの視聴者だから、わかりやすく丁寧に説明する必要があるし、その人のひとがらのようなところまで露出させるのだ。
そういう政治家を見て有権者が評価していくというのが、いまや無党派層が多くなり、組織も崩れているわけだから、もう個人個人の勝負となった時勢のやりかたじゃないだろうか。だから舛添要一みたいな政治家がもてはやされるのだ。
テレビ局もどんどん政治家を引っ張りだし(最近はテレビタックルとか太田総理みたいな番組もあるが、出てるやつが固定している)、本音のトークあるいはインタビューナなんかをやったらいい。私はしゃべるのが苦手ですなんて言っているやつは失格。頭のいいヤツはおしゃべりだということです。人気投票みたいになるといわれそうだが、それでもいいのじゃないのか。
テレビは解体的出直しをした方がいい。同じ顔のお笑い芸人が同じ話しをし、なんでまあ朝青龍問題を飽きもせずに流し続けるのだ。わけ知り顔のコメンテーターというのがくだらないコメントをとばし、主婦がうなずく構図はもうやめたらいい。
さらに言うと、ぼくは、テレビニュースの事件の報道にも注文がある。特に殺人事件のような凶悪事件やイジメの事件などについて、どうしてああ微に入り細に入り放送するんだろう。そんなことを放送してだれが有益なものとして捉えるのか。
例えば、ときどき土曜日に「ブロードキャスター」という福留さんがキャスターを務める番組をみることがあるんだけど、なぜか知らんが「ブロードキャスター事件簿」というのをやり出す。レポーターが殺人事件があった現場を取材したり、事件の背景はこうだみたいなことを語るのだが、何の意味があるのか全くわからん。いつも気持ち悪くなってチャンネルを変える。
結局、テレビは芸能番組をみると芸能人がどんなヤツかだいたいわかるように、政治家がどんどん出る政治番組をやったらいいと思う。だから、テレビで必要な番組は、つまるところ、政治番組、芸能番組、スポーツ番組、天気予報だけで十分だ。そうそうあと趣味の番組があればいい。