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2007年9月 アーカイブ

2007年9月 1日

ビジネスは戦争か?

よくビジネスは戦争であるとか言われているが本当だろうか。もし、戦争と同じであったら、職場は常に戦場であり命をかけて戦っている場ということになる。常在戦場と言う経営者もいる。

たしかに組織的には指揮官がいて、あるヒエラルキーのもとに指揮命令により人々が動くということは同じといえば同じであろう。さらに言えば、軍隊では服従が絶対であり、それが崩れると死を意味する(逆に無能の指揮官に服従することが死を招くこともあるのだが)、もちろんビジネスの世界でも上司の命令に背けば終わりであり、逆に上司の命令に不服従だとくびになるのだ。

とここまでみると軍隊のよいところを会社にあてはめれば強い組織になれそうな気がしてくる。ところが、ちょっと待てよということがあるのだ。いったい戦争で兵隊さんは何に対して命をかけるのだろうか。鎌倉時代の武士は一所懸命といって自分の土地に命をかけて戦ったが、現代の戦争はその大義名分は一体何なのだろう。

それはひとつだけではなく、あるときはイデオロギーであり、宗教であり、主義であり、そうした大義への使命感が戦場へとかりたてるのだろうか。そういった意味では、ビジネスの世界で使命感を抱かせる大義とはいったいなんなのだろうか。経営理念、経営方針にはそんな魔力があろうはずはなく、いくらカリスマ的経営者がいたとしても教祖様にはなれないだろう。

一方で、それでは金のために働くのかというとそうでもなく、ノーベル賞の田中耕一さんの例のように、自分の好きなことができれば昇進も高給も要らないなんてこともある。従って、使命感、達成感、やりがい、評価(報酬)、名誉欲といったそれぞれの要素が絡み合ったものが、ひとを仕事にかりたてるのだろう。

みなさんよくご存知のNHKで放送していたプロジェクトXという番組があった。これなんかはまさにビジネスが戦争になった例なのではないでしょうか。戦後の復興から高度経済成長へ走っていた時期は本当にあちこちでプロジェクトXが出現していたような気がする。

だいぶ前にぼくは最初に入った会社の社史のようなものを編集したことがあったが、そのとき会社設立、工場建設といったことを当時を知る人から聞き書きしたり、昔の新聞を読み返したりした。それをまとめながら、こりゃプロジェクトXだと思わず叫んだことがある。もう何日も家に帰らなかったとか、3日続けて徹夜したとか、指導にきた米国人とけんかしたとか、そりゃすごいことの連続である。

よくそこまでできたかという思いだが、そうした苦労話を嬉々として話すOBの顔をみていると、テレビのプロジェクトXの出演者と同じなのだ。まあ、あのころは自分たちが日本を復興し、強くしていくのだという使命感のようなものを皆が抱いていたような気がする。日々戦っていたのである。

翻って今の日本にプロジェクトXはあるのだろうか。おそらく形は変わってもあると思う。30年後にテレビで放映したとき、どんなプロジェクトが、どんな出演者がそんな顔で語るのだろうか。ニンテンドーDSの開発秘話なんてかもね。

ところで、プロジェクトXを見ていたとき、いつも思っていたのは、あの出演者たちの奥さんはどうだったのだろうかということだ。きっとあれだけのことができる陰では奥さんが相当泣いていたことは想像に難くない。だから、半ば本気で「妻たちのプロジェクトX」という番組を作ってくれないかなと思っている。

2007年9月 2日

教訓は生かされていた

もうかれこれ1ヶ月以上前になるが、このブログで「教訓は生かされているか」というタイトルで、中越沖地震はその3年前に起きた中越地震の教訓が生かされたのかという問いを発したことがある。

そうしたら、おとといのITProの最新記事にそれに関する記事が出ていた。日経BPの書いたものであるからITについてのものが中心であったが、やはり、ちゃんと生かされていたんですね。
なかなか気が付かないような事象も含めて、ためになる事例があるので少し紹介してみる。

対策という意味では大きく二つあって、被害を防ぐための事前の対策と災害が起こった後の初動体制になるのではないだろうか。

それでは、まず事前対策ということでいうと、3年前の地震では、サーバーやネットワークが直接的に損壊した例は少なかったようだが、その寸前で、たとえばサーバーは固定していなかったが、サーバーにつながっているケーブルでかろうじて倒壊を防いだとかいった状態であった。そのため、ある会社では、新たに免震構造のデータセンターを作ってそこに主要サーバーを移したため、今回は何ともなかったという。

その他、地震を感知したら自動的に装置を停止させるシステムを導入したり、自家発電機の点検をきちんとやっておくなどである。こうした事前対策を施した会社は、被害を最小限に食い止めることができたようだ。

初動体制ということでは、面白かったのは、被災地に向かう交通手段を自動車ではなくバイクを使ったというのがある。道路が陥没して自動車が通れない箇所ができるのだそうだ。事実、自動車では6~7時間かかったのが、バイクだと2時間で着いたという。

また、北越銀行では、電話の規制に苦労した経験からデータセンターや本店に用意していた、優先的に発信をする特別な携帯電話が威力を発揮した。

このように、ITを守るための対策、あるいはITを活用した減災が、3年前の教訓を生かした形でできていたことに安心をした。

ただし、気をつけなくてはいけないのは、災害に強いとされた携帯電話の電子メールやWeb接続が、全幅の信頼を置くことはできなかったことだ。被災当日、柏崎市内で携帯電話が「圏外」となり利用できない状態ができた。ソフトバンクモバイルの基地局が中継回線の切断などで利用できなくなり大幅に停止したほか、 NTTドコモやKDDIでも停電でダウンする基地局が出たためである。

でも、こうしたこともまた次への教訓として学んでいけばいいと思う。ですから、この教訓は新潟だけではなく全国の人たちにも知ってもらったほうがいいので、どんどん情報発信し、メディアも取り上げていってほしいと強く思う。

2007年9月 3日

世界陸上が終わった

大阪で行なわれていた世界陸上が終わった。日本のメダルは結局、最終日の女子マラソンで土佐礼子が獲った銅メダルだけであった。そのせいなのか、観客の入りもいまいちのようで、盛り上がりに欠けた感じであった。で、今回はけっこうテレビを見ていたので、世界陸上に関して、気づいたことを何点か記すことにする。

まず、種目が男女同じようになってあらためて驚いた。ぼくらの感覚では、女子に3000m障害、ハンマー投げ、棒高跳び、三段跳びがあるのがなじまない。もう、男子だけにあって女子にはない種目はなくなったようだ。ただし、若干違いがあるものもある。110m障害と100m障害、十種競技と七種競技である。しかし種目は同じだから、男女の差がなくなったことがわかる。

日本人が弱い。為末だとか末続、朝原、それから長距離陣なんかの単純に走る競技はもう太刀打ちできないんじゃないかな。大阪だから「ナンバ走り」が効を奏するかと思ったが無理だった。だから、技術が要る種目(リレーとか)とがまんを競うマラソンでしかいい成績が残せない。

もう身体能力でまいったという選手がたまに外国の選手に出てくる。今回は、男子走り高跳びで優勝したバハマのドナルド・トーマスだ。この選手、1年半前まではなんとバスケットボールの選手だったのだ。遊びで跳んだらいきなり2m14cmをクリアしたというから驚きだ。だから、決してきれいではないフォームで、天性のバネだけで跳んでしまうのである。

そこでひらめいたのだ。日本の野球選手にやり投げをやらせるのはいかがでしょうか。甲子園で鉄砲肩の選手をスカウトしてやり投げ選手にするのがいい。

まあ、今大会でぼくのなかで最も印象に残った選手は、男女ともアメリカの選手で、男子は400m金メダリストのジェレミー・ウォリナーと女子は200mとリレー2種目の三冠となったアリソン・フェリックスである。このふたり、無茶苦茶強いし格好いい。男女ともこんなセクシーな陸上選手を見たのは始めてだ。ロシアや東欧でかわいい選手はいるけれどセクシーな躍動美はこのふたりにかなわない。

そのロシアだが、この国の男はどうしたのだろうか。メダルのほとんどが女子だ。かかあ殿下の国のようだ。

最後に、マラソン団体戦の話。日本はマラソンの団体で男子が金メダルで女子が銅メダルと報道されているが、最初に書いたように日本のメダル獲得数は土佐礼子の一つだけなんですね。そうなんです、マラソンの団体のメダルはカウントされないのです。ただ、表彰式もちゃんとやって、メダルも同じものをもらえるそうです。

ここでぼくは変な気分になるのですが、団体戦というのは上位3人の時間の合計で順位を決めていくわけで、参加したのが5人だと下位二人は非常に微妙な立場になる。この二人は、何にも成績に寄与していないのにメダルがもらえるわけで、おもはゆい気持ちになるのではないでしょうか。そういえば、下位二人の表情がどことなく。

やっと、世界陸上の終わりとともに暑い夏も去っていった。

2007年9月 4日

政治とカネとそしてテレビ

遠藤農水相が任命後8日間で辞めてしまった。またまたカネの不詳事だ。自らが理事長を務める農業共済組合が、補助金を不正に受給していた問題の責任をとった形になった。

これだけ、ぼろぼろとカネの問題が出てくると大臣になれるやつがいなくなってしまう。赤城農相の事務所費の問題が出たときなんかは、ぼくは事務所費の問題くらいは一旦ご破算にして、過去は水に流し、これから悪いことをしたら問題にするくらいのことをしないと収拾がつかなくなると考えてみたりした。

しかし、今回の遠藤農水相の問題は事務所費問題より悪質なのだ。なぜって、水増し請求して、その後問題が発覚しても返さないでいるというのがおかしいのだ。そんなことより、何よりもこのおっさん、補助金を出す側のトップになっても、というか国会議員になっても、補助金をもらう側の組合の理事長に居座り続けるという、とんでもない感覚の持ち主であることが問題である。

こういう感覚だから、おっさんはクールビスだといって棒タイを締めて登場するのだ。以前、米国に出張したとき、一緒に行った上司の人が、途中で棒タイを締めて空港にいったんですが、そのときカウンターにいたおじさんが上司を見てにやにやするんです。なぜか全然わからなかったのだが、米国に住んでいる人がそっと教えてくれたのは、棒タイというのは、もう一丁上がりの人が着けるものなのだそうです。

要するに私はもう歳ですので起ちませんと言っているというわけです。もちろん上司の人はまだ40代後半ぐらいだったので、空港のカウンターの人は、こんなに若いのにかわそうにと思ったに違いない。
少々、脱線してしまった。もう起たないヤツが大臣なんかやってはいけないのだ。

でここで、テレビのメディアとしての役割の変化について書く。実は、今までの話とも関係していて、政治家をもっとテレビださせろということを言いたいのだ。ぼくは、テレビも公共的役割はそこだと思う。政治家はテレビを通じて自分の主義主張や実績をアピールする。相手はテレビの視聴者だから、わかりやすく丁寧に説明する必要があるし、その人のひとがらのようなところまで露出させるのだ。

そういう政治家を見て有権者が評価していくというのが、いまや無党派層が多くなり、組織も崩れているわけだから、もう個人個人の勝負となった時勢のやりかたじゃないだろうか。だから舛添要一みたいな政治家がもてはやされるのだ。

テレビ局もどんどん政治家を引っ張りだし(最近はテレビタックルとか太田総理みたいな番組もあるが、出てるやつが固定している)、本音のトークあるいはインタビューナなんかをやったらいい。私はしゃべるのが苦手ですなんて言っているやつは失格。頭のいいヤツはおしゃべりだということです。人気投票みたいになるといわれそうだが、それでもいいのじゃないのか。

テレビは解体的出直しをした方がいい。同じ顔のお笑い芸人が同じ話しをし、なんでまあ朝青龍問題を飽きもせずに流し続けるのだ。わけ知り顔のコメンテーターというのがくだらないコメントをとばし、主婦がうなずく構図はもうやめたらいい。

さらに言うと、ぼくは、テレビニュースの事件の報道にも注文がある。特に殺人事件のような凶悪事件やイジメの事件などについて、どうしてああ微に入り細に入り放送するんだろう。そんなことを放送してだれが有益なものとして捉えるのか。

例えば、ときどき土曜日に「ブロードキャスター」という福留さんがキャスターを務める番組をみることがあるんだけど、なぜか知らんが「ブロードキャスター事件簿」というのをやり出す。レポーターが殺人事件があった現場を取材したり、事件の背景はこうだみたいなことを語るのだが、何の意味があるのか全くわからん。いつも気持ち悪くなってチャンネルを変える。

結局、テレビは芸能番組をみると芸能人がどんなヤツかだいたいわかるように、政治家がどんどん出る政治番組をやったらいいと思う。だから、テレビで必要な番組は、つまるところ、政治番組、芸能番組、スポーツ番組、天気予報だけで十分だ。そうそうあと趣味の番組があればいい。

2007年9月 5日

瀬島龍三という人

瀬島龍三が死んだ。95歳であった。若い人は知らないかもしれないがすごい人なのだ。陸軍大学を首席で卒業し、すぐに大本営参謀として太平洋戦争の作戦を担当、終戦直前に関東軍に転出、終戦とともに11年間シベリアに抑留される。東京裁判では連合軍側の承認として出廷、シベリア抑留から帰還すると、伊藤忠で商社マンとなり活躍、結局伊藤忠の会長まで上り詰める。その間、中曽根康弘のブレーンとして行政改革でも力を発揮する。

と書いてみてあらためてこんな人もいるんだと驚いてしまう。このあたりは、山崎豊子の「不毛地帯」を読むと、主人公の壱岐正というのが瀬島龍三をモデルにしているのでよくわかる。小説を越える圧倒的な実人生を送ったひとである。ただ一方で、これだけのひとなので、毀誉褒貶があって悪く言う人もいる。

本人は基本的には参謀としての振る舞いに徹したようでそんなに表舞台にでてきたわけではないのでベールに包まれた部分もある。ですから、特に先の戦争をなぜ始めたのかとか、敗戦の責任はとかいったことを証言していないことに批判があるのは確かだ。

手元に2冊の本がある。「沈黙のファイル 「瀬島龍三とは何だったのか」」(共同通信社社会部編 新潮文庫)と「瀬島龍三 参謀の昭和史」(保阪正康 文春文庫)である。いずれも、瀬島龍三という人物の軌跡を追うことで日本の昭和史をあぶりだそうというノンフィクションである。だが、肝心の本人が何も語っていないので核心に触れることはできない。瀬島はなぜ語ろうとしないのだろうか。

よく、“この話は墓場までもっていくことだ”というようなことを言うひとがいるが、確かにそういうことがあるとぼくも思う。難しいのは、より真実に近い証言をするならすぐに言わないと意味がないことであるが、ただそのときは、関係者を傷つけることになるということだ。また、ずっと後になって証言しても、もはやそれは自分の都合のいいように真実が風化されてしまう恐れがあるため、簡単にいえばいいわけになってしまう。極端な話、時間が経った後の鮮度が落ちた証言はむしろ誤った解釈を生む恐れがあると思う。

ですから、瀬島は徐々にしゃべれなくなり、そしてしゃべらないことにしたのではないのだろうか。


沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫
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  • 共同通信社社会部
  • 文庫 / 新潮社 (1999/07)
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    • 1 すさまじい偏向ぶり
    • 3 悪く書かれすぎ?
    • 1 なんだこりゃ
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瀬島龍三―参謀の昭和史 (文春文庫)
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  • 保阪 正康
  • 文庫 / 文藝春秋 (1991/02)
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    • 3 瀬島よ、映画「ゴールデンボーイ」を見よ
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    • 4 「エリート」の生きる道とは?
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2007年9月 6日

北の零年

わが家の台所のすみに置いてあって、ずっと気になっていたDVDがあった。吉永小百合主演の「北の零年」だ。なぜ、置いてあるかというと、実は嫁はんはトヨエツこと豊川悦司の大ファンで、そのトヨエツが出演している映画のDVDを買ってあったというわけだ。

その前も、これは借りてきたのだけれど「愛の流刑地」を見てにやにやしていた。ぼくが、「愛の流刑地」を見たいから貸してといったら、いやな顔をしてすぐに返してしまった。どうして貸してくれなったか謎だ。

その「北の零年」を見る。監督がいま注目の行定勲で、この監督の作品は窪塚洋介が主演した「GO」しか見ていないが、このときいい映画作るなあと思っていた。

さて、「北の零年」だが、物語は明治維新後淡路島から北海道へ移住を強いられた稲田家のひとたちが、苦労して開拓していく姿を描いたものである。

この時代設定や状況はそれだけで劇的なものであり、多くのエピソードに彩られている。だから、どこに視点を置くかで随分と違ったものになるような気がする。たとえば、苦労して苦労して田畑を耕すが、なかなか実らないというようなことを中心とした根性物語にもなる。

でこの作品を観てすぐに思ったのは、これは西部劇じゃないかということだ。馬が躍動したりする映像はまさに西部劇だ。ただし違うのが、男が戦わないところである。海の向こうの西部劇は開拓民がインディアンと戦いながら西へ進んでいくが、この映画では、インディアンの代わりにアイヌが出てくるが、主人公の志乃を助ける役回りだ。男どもは結局みんな意気地なしで、それに反して女どもがたくましく描かれている。

しかし、それを60歳を過ぎた吉永小百合が演じるのだけれど、荒れた土地を耕す鍬を振るにはちとお歳をめされ過ぎているように見える。それと、渡辺謙が演じる志乃の旦那が半月で帰るからといって札幌にいったまま5年間も戻らず、しかも結婚もしちゃって、その後政府の高官になって馬の徴用にやってくるという、こんな筋立てって無理があると思いません。このあたりがどうもしっくりいかなかったのである。

というわけで、吉永小百合のための映画なのだが、吉永小百合の開拓民は似合わない。そして、嫁はんイチオシのトヨエツにしても政府から追われている元会津藩の武士でアイヌの古老と一緒に暮らしているという役で途中まで格好よかったのに、最後に武士として潔く討ち死にするのかと思いきや、銃に撃たれる前に吉永小百合が立ちはだかってくれて命拾いする。

だから、渡辺謙にしても豊川悦司にしても、そうそう柳場敏郎もそうだが、みんなよく考えてみると最後は女々しい男になってしまう。ぬぬ、行定はあえてそういう設定にしたのかもしれない。


北の零年 通常版
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2007年9月 7日

風に強いぞ湘南モノレール

台風9号が夜半に小田原付近に上陸した。

たまに直撃に合うが、ぼくは台風をあまり恐れていない。わが家は山の中ににあって、周りが木に囲まれているので、風よけがあるのだ。特に竹林はすばらしい。しなりながら、強い風を弱らせる。

しかも、山を切り欠いて、家を建ててあるのでがけ崩れの心配もない。もちろん、水がでることもありえない。だから、台風は恐くはないのだ。台風の去った後は、木の葉や折れた枝で庭中が埋もれるが、それだけのことだ。

さらに台風に強いものを発見。それは、モノレールである。家の前というか上を湘南モノレールという乗り物が走っている。普通、モノレールは台風の時のように風が強いとあぶないと思いますよね。ところが、これが逆で風に強いのです。

湘南モノレールは懸垂式といって線路の上を走るのではなく、上からぶら下がる方式である。このぶら下がっているということが風に強いのである。高い線路の上を走っている京葉線はちょっと風が強くなるとすぐに止まってしまうのとは反対で、風にゆられながらすいすい走ってしまう。だから、台風が来てもなかなか運転をやめない優れものである。

ところで、めったに止まらないモノレールだが、駅と駅の間で止まったらどうなるのかと思うでしょう。けっこう高いところを通っている(でもなぜかトンネルも通るんですよ)ので、途中で止まったら恐いですよね。

で、一度だけその止まったところに出くわしたことがある。実際に乗っていたのではなく、止まって乗客が非難するところを目撃したのである。もう3,4年前の話しだが、このときも台風の後だったのだが発電所のトラブルで送電が止まったのだ。どうやって非難したと思いますか。実は、まず運転席の前の扉を開けるんですね。そこから、シューターをたらして滑り落ちるという算段です。

まあ、モノレールというのは、衝突事故もないし、交通渋滞もないのですごく信頼性の高い乗り物であるとともに、天候にも左右されない堅牢な交通機関であることを再認識したのであります。


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2007年9月 8日

百日紅が50日紅になってしまった

さて「百日紅」を何と読むでしょうか?そのまま読めば、「ひゃくじつこう」となりますが、それでもいいのですが、「さるすべり」です。百日間紅花が咲くから「百日紅」です。

「さるすべり」という名は、樹肌がすべすべなので猿も滑ってしまうことからついた。だれか本当に猿が滑ったところを見たのだろうか。

その百日紅がわが家の庭でずっと赤い花を咲かせていたのが、昨日の台風でみんな散ってしまった。普段は、夏のあいだ咲いて秋に入るとだんだん散っていくのが、今年はいきなり台風でやられてしまった。

今年は、尋常ではない暑さだったのでこの百日紅が散るとともに早く秋がやってくるんじゃないだろうか。と書いたら今日は猛暑復活だ。

台風到来前の百日紅

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台風が50日紅にしてしまった
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2007年9月 9日

親子丼という発想 - 親子丼的ビジネス奮闘記(3)

このエントリーのタイトルに“親子丼的”という言葉を使っているが、ただ単に親子でやるからそう付けたわけではない。この親子丼というのはそれなりの意味がある。

丼ものはいろいろあるが、ほとんどは、単品であって、組み合わせは少ない。なかには、無理やりくっつけたような鮭いくら丼とかがあるが、二つの素材がうまくミックスしてまた新たなものを生み出すようなものは親子丼くらいではないでしょうか。

さらに、この場合の二つはお互いにどちらかが上ということではなく、1+1が2以上になっていると思いませんか。すなわち、それぞれが離れてしまうと、たまご丼ときじ丼なんだろうけど存在感が薄いですよねえ。ところが、一緒になるとどうです立派な丼に生まれ変わるというわけです。

さて、賢い読者はおわかりでしょう。そうです「マッシュアップ」なんです。サービスとサービスを組み合わせて新しいサービスを生み出すのがマッシュアプですが、まさにこのことです。

単に並べておく組合せとは違い、1+1が2以上、あるいは新たなサービスを生むというところがポイントなのです。どちらか一方だと限界があったり、生かされないがそれが合わさると、いままで以上の機能が発揮されるとか、魅力的になるとかいったことである。

翻って、ぼくらのビジネスを考えてみる。ブログでも何度も言っているのが、企業の情報システムと個人が家庭で使っているネットシステムとは大きく乖離していて、壁があるというより、双方で相手が見えていないという問題がある。ビジネス側の人たちは、Web2.0のことをあまりよく知らないし、ネットの人たちはビジネスシステムには無関心である。スーツとギークの断絶である。

ところが、それぞれのアーキテクチャやテクノロジーを相互乗り入れさせたら、目からウロコのことがいっぱいあるのだ。ですから、ぼくらは、ぼくが長年企業で経験した多くの情報システムのことを語り、社長(息子)が最先端のネットの動向をレクチャしてくれると、そこでスパークするものが出てくると思っている。現に、いま進めているシステム開発技法はまさにこのコンセプトと技術とそして何よりも人間同士のマッシュップから生まれたものなのです。

当面は、この親子丼的な発想を忘れずにビジネスをやっていきたいと思っている。そのうち、お互いに離れて天丼やうな丼(なれればいいが)になるかもしれないが。

2007年9月10日

お金持ちの気分 - チャイナばなしその7

前回、高級食材を使った料理でもすごく安く食べられることを書いた。今は物価や中国人の収入などが日本に近づいてきているが、30年前というと、物価にしても労働者の賃金にしても大きく差があった。平均的な労働者の月収はだいたい50元くらいと言っていた。当時のレートは確か、1元が150円だったと記憶している。従って、日本円で月7,8千円といったところである。

ぼくたちは、国から招かれたひとたちであるから、入国するとパスポートを取り上げられるんだけど(話はそれるが、これって恐いですよ、いきなり身柄拘束されるわけですから)、その替わりといっちゃ何ですが、1日10元の生活費が支給される。当時はもちろん日本円は使えないので、その10元で生活を賄うわけである。1日10元だから月でいうと300元、ということは平均的な中国のひとの6倍ももらうことになる。

で、生活は工事現場(サイト)の近くの招待所(こういう呼び方をしているが、外国人専用の宿泊所でまあホテルのようなものです。食堂や卓球、ビリヤード等の娯楽施設もあるし、床屋もある。)に缶詰みたいなものだから、お金を使うところがない。近所には何もないし、だいいち半径1km以内しか出歩いてはいけないのだ。

一日でいくら食べても2,3元しか使えない。あとは、2週間に一回マイクロバスで北京市街に連れていってくれるときに豪勢に飲み食いするくらいだ。食べ物以外で買うといったって、ぼくは人民服と人民帽で暮らしていたが、それもおそろしく安く買える。しかも、余った人民元は持って帰れないのだ。

でこの金を使ってどうしたかというと麻雀なのだ。招待所のなかで日本人だけなら麻雀してもよいことになっているが、これって賭け麻雀かなあ。実質使えない金だからぼくらにとっては、単なるチップみたなものだが、中国人が見たらさぞかしびっくりしたはずだ。だって、“ロン!満貫、車一台”、“役満だ、家一軒!”なんて言葉が行きかうんだからすごいもんでしょう。でもおもしろくねえんだなこれが。

ところで、この生活費がもらえるということですごい助かったのだ。結局4ヶ月ぐらいいたので、そうなんです、日本でもらった給料がボーナスも含めてまるまる残ったというわけです。ぼくは、自慢じゃないが、江戸っ子になった気分で宵越の銭は持たないと豪語していたので、それまでまったくの蓄えがなかったのだが、一気に貯金通帳に数字が打たれたのであります。実は、結婚式をあげるお金がなかったのが、これで何とかなった。というような話は嫁はんにはしていない。

一瞬ではあったにしろ、その国ではお金持ちになったが、ただ、お金はもっているんだけどそれが使えないというのは、本当のお金持ちと言えるのだろうか。

2007年9月11日

つっこみ力

この本の著者は、パオロ・マッツァリーノという名の自称イタリア人なのだが謎。○○力ばやりのご時世だから、またぞろそんなこじつけ本かと思いきやそうではなく、けっこうつっこんだ論旨を展開していて面白かった。

彼いわく、つっこみ力とは、「愛と勇気とお笑い」ということらしい。そして、それぞれについてもう少しつっこんでいて、愛というのはわかりやすさであると断言している。これ素直に賛成しちゃう。ついちょっと前のブログにも書いたが、みんな難しく考えすぎてないといったことを書いたのでよくわかる。

勇気は、権威に負けずにつっこむ勇気ということだ。そして、権威へつっこむときのコツがあって、常に第三者の存在を意識することで、相手をどう打ち負かすかは二の次でいいんだそうだ。周囲の人を愉しませて巻き込み、あわよくば見方につけるのが、つっこみ力の理想なのだ。

最後のお笑いですが、ぼけとつっこみがあるのは日本だけだそうだ。アメリカの漫談なんかは、客がいまのセリフがジョークであったかどうか判断しなくてはならないので、笑いの感度が鈍いとオチに気づかないことがある。その点、日本の漫才ではつっこみ役が笑いのポイントを教えてくれる。このつっこみの効用というのは、わかりやすさを高めることと笑いの付加価値を創出して相手の興味を惹きつけるという2点なのだそうだ。

てなことで、この本の前半はつっこみ力とはなにかというテーマで書いてあって楽しいのだが、後半が“みんなのハローワーク-職業ってなんだろう”と“データとのつきあいかた”となって、ヤクザの話やデータを鵜呑みにしてはいけないだとかいったつっこみを入れている。だから、つっこみ力について語っているのか、つっこみをしているのか混然としている。

だれかが、新書は雑誌であると言ったが、まさに新書は百花繚乱。いろんな出版社から新書が出ているが、まあほとんどが昔の雑誌の記事みたいなものである。

ぼくは、もうひとつ雑誌の記事に近いものはブログだと思う。いまは、新書とブログでつっこんでいるわけです。「つっこみ力」という本も内容はブログに書くようなものである。この本に登場する社会学や経済学への皮肉やヤクザの経済学、データはうそをつくなどなどは、ぼくがブログでとりあげたテーマによく似ている。ぼくが書く前に本が出ていたが、読んでいなかったので別にまねしたわけではないのに似かよったものになった。

きっとこれからは、うまいあるいは鋭い記事を書くブロガーが新書の著者となるケースが増えてくるのではないでしょうか。


つっこみ力 ちくま新書 645
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  • パオロ・マッツァリーノ
  • 新書 / 筑摩書房 (2007/02/06)
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    • 5 「わかりにくさは罪である」
    • 5 鋭いつっこみ
    • 3 おもしろいが、意外と陳腐。
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2007年9月13日

密な一日

近頃めっきり外出も減り、家の中で仕事ということが多く、せいぜい食事に行ったり、たまに銀行や買い物に行ったり、プールに泳ぎに行ったりという生活である。ところがそんな生活なのにいろんなことが一日に集中することがある。昨日はそんな一日であった。だから、ブログを書く暇もなかったのである。2,3日でいいからずれてやってくればいいのにと思うのだがなぜかそうはいかないのだ。

朝から親戚の葬式にでかけ、帰ってからすぐ東京へでかけ、最初の打ち合わせが終わって、次までに1時間以上あったので浜松町のカフェで時間をつぶし、そのあとまたデモシステムの不具合の検討ミーティングがあって、それが終わってから大船で呑みがあり、帰ってからDVDでサッカーの試合をみてという具合で、そうそうそのあいだに安倍さんがやめてしまうし、これは関係ないか、久しぶりの密な一日であった。

最近は、デモをしたりするのでPCを持っていく。これが重たいのだ。普段、椅子に座ってばかりの身にとってけっこうこたえる。だいぶ慣れてはきているものの、まだまだよっこらしょという感じなのだが、いいこともあって、外に出ていてもPCを使って資料の作成ができるのがうれしい。昨日なんかもカフェでの時間つぶしのときに、その前の打合せで議論したことをまとめておいたので、早速今朝いちばんで送付することができた。

また、ぼくは呑みながらアイディアを絞ることをよくやるんだけど、今はPCに直接打ち込んでいる。飲み屋でPCをあけて、キーボードを打ちながら酒を呑むのは少々きざだけど、呑みながらだとアイディアがけっこう出てきて、大胆な発想ができるのも酒の効用である。

昨日は、普段の何倍も動いたので疲れたが、充実感あふれる一日でもありました。

2007年9月14日

リーダの辞め方

安倍首相が辞めた。まあ投げ出しと言ってもいいような無責任さであるが、これはもう追い詰められた結果、どうあがいても無責任であるという批判からは避けられない状態になってしまっていた。

ただここの局面だけで非難するのは妥当ではないような気がする。途中から完全にマイナスのスパイラルに入っていたから、何をやってもうまくいかない、悪いことばかりが続いて起きる、しかも自分の責任でもないことがあたかも自分がしでかしたミスのように転嫁される。これを、多分安倍さんは自分は運が悪いと思っていたんじゃないかな。そこが問題だと思う。

運が悪いのではなく自分がずっと前から蒔いた種なのであって、ちょっとしたずれをまあだいじょうぶだろうとか何とかなると思っていたにちがいない。こうしたほんの小さな亀裂が徐々に大きな断層となって現れてしまうのだ。それに気がついたときは、もう手遅れだ。

本当は参院選での敗北でこの亀裂を認識して辞めるべきであった。そうしなかったことにより、安倍さんについてきた人たちの信頼もなくなっていく。一旦信頼を失ったリーダはその求心力を雪崩を打つようになくしてしまうのは宿命なのである。これは、政治の世界だけではなく、ビジネスでもそうだし他の社会でも全く同じことが言える。

自分の経験から照らし合わせても、辞めるタイミング、その辞め方ほど難しいものはないような気がする。なぜかって、極限まで追い詰められた状態では、適切な判断を下す力が精神的にも肉体的にももはや残っていないからである。

さて、そのあとの後継者選びがこれまた奇異だ。どうも形勢は福田康夫さんに傾いているようだが、なぜそうなったかも含めて、こりゃおかしいということがいっぱいある。

・ 国民をかやの外に置いておいて自民党の内部だけで首相が決まってしまうこと
・ 十分な議論や見定めるための時間がいるからと投開票日を遅らせておきながら、もう大勢は決まっていること
・ ぼくは福田さんに近いので支援すると言っているひとがいるが、どこが近いか国民はわかっていないこと
・ 相変わらずの派閥論理、党利党略発想
・ 候補者の政治思想や政策の対立軸が見えてこないこと
・ 去年もう歳だからといって消極的だったひとが急に元気になったこと

などなど、もうちょっとまじめにやってよねと言いたい。ああ、こうしていとも簡単に一国のリーダーが決まってしまう軽さにうんざりだ。

2007年9月15日

ラジオデイズ

『ラジオデイズ』という「声」と「語り」のダウンロードサイトが昨日オープンした。このサイトには、「文芸」「話芸」「対話」の3つの街(カテゴリ)があり、そのなかから好きな作品を選びダウンロードできるというもの。

文芸というのは声のエッセーとか詩の朗読です。話芸はだいたいが落語ですね。そして、対話は対談とインタビューといったところです。いまはオープン記念ということで、本来なら有料のコンテンツが無料のキャンペーンをやっている。ぼくも早速、柳家小ゑんの「フイッ」をダウンロードして聴いてみる。

インターネットでもポッドキャスティング落語だとか、インターネット落語会などあり、これらは映像もあるのに無料なので、声だけで有料かよと言われるかもしれないが、ここは精選された人の作り出すコンテンツが勝負だろう。

精選された代表的な人として、小池昌代といま旬の内田樹が「文芸」と「対話」に登場している。

実は、このラジオデイズが始まるのは前々から知っていた。ぼくは、本か映画かもう忘れてしまったが、それについてコメントしている人を追いかけていたとき偶然に内田樹のブログに行き当たって、それ以来ずっとブックマークしている。そこに友達の平川克美という人が出てきて、そのひとのブログも同様に愛読していた。そこにラジオデイズの話がでてくる。この人が企画して立ち上げたサイトなのだ。それで楽しみにしていた。

ところで、かれこれ3週間くらいまえにこのラジオデイズからぼくのブログ宛にコメントをもらいました。内容はリンクを張ってくれということで、どうもブログで落語のことを書いている人に頼んで歩いたようだ。だから、このブログの右下にリンクを張ってあります。是非訪問してあげてください。

別にぼくが平川さんのブログを読んでいたから依頼が来たわけではないのに、つながってしまう面白さを実感したのであります。この“つながり”が良くも悪くもインターネットの大きな機能であり、効用であるのだ。

後光が差した富士山

ちょうどタイミングよく富士山に夕日が落ちた。
めったに見られない光景で一瞬で変わってしまう。


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2007年9月16日

映画と舞台の違い

映画と舞台の違いはいったい何だろう。こんなことを考えたのは、黒木和雄監督の「父と暮らせば」を観たからである。もともとこの作品は井上ひさしが舞台用に書いて、「こまつ座」で公演したものである。

二人芝居として書かれているが、映画はこの父娘ふたりと娘が好意を寄せる青年の三人しか登場しない。しかも、場所も娘の家がほとんどで動かない。従って、映画もまるで舞台を観ているように感じる。じゃいったいどこが違うのだろうか。

・ 舞台は毎日違った演技になるので出来不出来があるが、映画はうまくいったところだけつなぎ合わせている。
・ 舞台はセットに限界があるのでシーンの移動が少ないが、映画は様々なシーンに展開できる。
・ 舞台は観客が自由に焦点を合わすことができるが、映画は監督の目で俯瞰したり、クローズアップしたものを観客が見る。

といろいろあるが、ぼくは最後の違いがいちばんだと思う。舞台というのはある決まった空間のなかで俳優が演技して、それを観客は自分の好きなように、例えばある俳優の動きだけを追いかけるとか、アップにしてみるとか自由にできる。

ところが、映画の場合は、全部監督がこのシーンのこのカットはこの角度から俯瞰するだとか、このセリフのときは唇を映すだけにするとか、観客の自由ではなく、ある意味こういう風に観なさいと押し付けられているともいえる。ただ、だからこそ作品は監督に負うところが大きく、逆に言えば、○○監督作品というのが意味をなすのだ。その点、舞台は演出家より俳優のほうが大きな位置を占める。

ちょっと話はそれるが、テレビで舞台中継というのを時たまやったりするが、ぼくは基本的には観ない。なぜかというと、テレビ局が勝手に複数のカメラで映し、俳優の動きを追ったり、俳優をアップにしたりするが、現実の観劇というのは一定の場所で観客の自由な視点でみることだから、余計なことをしないで、ある座席で観ているようにカメラを置いてくれさえすればいいのだ。

さて、映画「父と暮らせば」だが、これはまぎれもなく黒木和雄の作品である。出演は宮沢りえと黒木作品ではおなじみの原田芳雄、そして浅野忠信の3人である。宮沢りえがいい。被爆者として負った心の傷が徐々に明らかになっていく様を見事に演じている。「たそがれ清兵衛」といいこの作品といい、大女優の道を歩み始めたのではないでしょうか。

黒木監督の演出も原爆の悲惨さを親子の会話だけで、最初は何気なく、そしてだんだん恐ろしくそして苦しい思いを吐露していくことで見事に描いている。

ちょうど、今日の朝日新聞の書評で「ヒバクシャの心の傷を追って」(中澤正夫著)という本について、香山リカが書いていたので、いまでも続いている被爆者のPTSDを考えると、この映画の言っている体の傷もさることながら、心の傷がいかに大きなものであるかよくわかったのである。

久しぶりに大粒の涙であった。


父と暮せば 通常版
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2007年9月17日

300エントリー達成

ついに昨日のエントリーで通産300エントリーを達成した。

このブログを始めたのが昨年の8月29日だから、ほぼ1年かかったことになる。最近は、毎日書いているが、最初の頃はそうはいかなかったので300に留まったが、これからの1年は365エントリーをめざしたい。

毎日書き出してからしばらくはけっこうしんどくてやめようかとか、ちょこちょこっと書けばいいやとか思ったのだが、だんだんと癖みたいになってきて、そんなに苦にならなくなった。

前にも書いたが、永井荷風は42年間毎日日記を書き続けたわけだからすごいですね。さしずめ今ならブログを毎日書くことに等しい。これと同じようなことがついちょっと前の天声人語に書いてあった。

もう1年も前のエントリーの内容なんて忘れてしまっているが、ときどき読み返すと面白い。そういう意味でも毎日何らか感じたことを文章にして残すという作業は、大げさに言えば生きた証みたいなものであろう。何よりも楽しいのだ。楽しい事は続けられる。

2007年9月18日

Mash up Award

うちの社長(息子)がリクルートとサンが共催している「Mash up Award 3rd」というコンテストに応募している。

Mash upというのは、ご承知のとおり、独立したネットワーク上のサービスを有機的に結合させ、新しいネットワーク・サービスを生み出す新しいスタイルのアプリケーション開発手法ですが、このコンテストは協賛するサービス・プロバイダが自らのサービスをWeb APIとして公開していて、それを使った Mash upアプリケーションの開発コンテストなのです。今回で3回目で優勝賞金が100万円ですので、それをねらっています(マジで)。

応募したサービスというのが、「これ☆ほしい」というサイトで、ウェブで話題の「みんなの物欲」がひとめでわかるものです。なかなか面白いですよ。

で、このコンテストの評価のひとつに、「MA3事務局による最優秀賞・マッシュ賞・アップ賞審査の際には、MA3オフィシャルコミュニティ「つくるぶ」が提供する「サイトスカウター」経由で頂いた一般ユーザーの皆様からのコメント・評価を参考とさせて頂きます。ぜひ「サイトスカウター」でコメント・評価を入力してください!」というのがあるそうだ。

そこで皆様にお願いです。ぜひ、「これ☆ほしい」にアクセスしてみて、そこにあるサイトスカウンターにコメント・評価をお願いたします。書き方はここに書いてありますのでよろしく。

ところで、前回の「Mash up Award」の最優秀賞は何だと思いますか。

それは「出張JAWS」というサイトです。出張する際に必要となる、往復の経路やホテルの検索から予約、さらには出張計画書や報告書の作成などの一連の作業をこなせるサイトで、非常にオーソドックスなものだと思うが、使いやすいユーザインターフェースなどユーザビリティが評価されたのではないだろうか。

これを開発したひとは黒田哲司さんという方で、何と北海道庁の企画振興部科学IT振興局情報政策課で主査を勤めていて、5種類を超すWebサービスAPIを組み合わせて、土日の休みを延べで10日ほど使っただけだけで独りで開発したという。

実はぼくはこの黒田さんを実際に会ったことはないが別のところで知っていたのである。それは、「HARP]というプロジェクトを北海道庁でやっているのを調べたことがあった。このプロジェクトは、共通プラットフォーム方式という新たな電子自治体の運営モデルを提示したものである。電子自治体の共通基盤をみなでシェアーしましょうという発想で、ASPやSaaSに通じる革新的なもので、そのキーパーソンが黒田さんだったのです。

だから、そのひとが「Mush up Award」で最優秀賞をもらったと聞いたとき最初は同じ人かと疑った。でも本当だったのでびっくりした。で、その黒田さんは受賞したら、道庁をやめて独立して自分で会社を作ってしまった。「出張JAWS」ではビジネスにならないから、これからどうやって収益をあげるか興味があるが、まあ余計なお世話か。

「HARP」と「出張JAWS」は一見結びつきがないようにみえるが、実は基本の発想は同じなのである。すなわち作らない、持たないということではないだろうか。

最後にしつこいようだが、「これ☆ほしい」のサイトスカウンターをよろしく。

2007年9月19日

IT業界構造 - 親子丼的ビジネス奮闘記(4)

先日、IBMの清水さんというSOAの権威のひとと会っていろいろと話す機会があった。いま、ぼくらがやっているBPMやSOAについて、デモをしてその評価をしてもらった。それなりに賛同も得られ、高い評価をいただいたので喜んでいます。ぼくのデモのあと清水さんにも若干SOAについて説明してもらったら、驚いたことにほとんど同じことを言っていたのです。

それで、お話は単にSOAやBPMにとどまらず、IT業界の構造にも言及していました。ぼくも以前から人月ビジネスから抜けられない今の業界について疑問を投げていたので盛り上がる。

清水さんは米国の事情にも詳しいので、日本との比較が面白かった。米国と日本との大きな違いは、米国の企業は基本的に内製なのだ。すなわち、社内のIT部門に開発エンジニアを抱え、そこでシステムの開発から運用を行なう。

ですから、米国のベンダーはそこに製品を供給する役割であり、日本でいうSIerというのはほとんどなく、あっても企業でリソースが不足したらそれを補う役割でしかない。契約にしてもはっきりしますよね。提供されるプロダクトやサービスに対する対価を払えばよいわけで、かかった人月で支払ういう出来高払いのような形態は少ない。日本のようにベンダーやSIerに丸投げして、できてからこんなはずではなかったなんて事態にははじめからならない構造なのだ。

日本もこれまでのやりかたでは、欧米やインド、中国との競争に負けてしまう、というより、賢いユーザは気がついてくるはずだ。すでに改革をしているユーザ企業もあると思う。今後は、自社内にITアーキテクトやプログラマーといったエンジニアを抱え、自力で真に自分たちの事業の役に立つシステムを構築していく動きにならざるを得ないのではないだろうか。というようなことを話してお互いに何とかしなくちゃと嘆いたのであります。

さらに、どうしてこうなってしまったという話題にも言及して、ひとつは、企業のIT部門の弱体化・人材不足ともうひとつはベンダーへのアウトソーシングの流れではないかというのが論点となった。前者ではおしなべてまだ日本の経営者の意識として、ITに突っ込んでこないことと名前の通ったベンダーにまかせておけばいいというのがあって、自社でリソースを抱えることのほうがコストがかかると思っている。このへんの意識が変わることが大事であるが難しい。

後者では、IBMが先陣を切ったがユーザ系情報子会社を買収して、親会社のフルアウトソーシングをするのがはやった。さすがに最近は見直しがかかったと聞いているが、これにより、ユーザ系の情報子会社のスキルが消失してしまった。清水さんはIBMのひとなのにこれについては反省していた。

これからは、日本でも内製化の方向に行くべきだと考えるが、その時のコンセプトあるいはアキテクチャはBPM on SOA が適していると清水さんもぼくも思っている。ただし、そのためには、清水さんが盛んに言っているように、SOA、BPMの正しい理解が必要である。単なる技術ではなく、ビジネスのありよう、サービスの構造というもっとビジネス寄りの考え方であることをきちんと咀嚼できるようにならなくてはいけない。

これについては、清水さんは会った次の日に日本JAVAユーザ会セミナーでのパネルディスカッションにパネラーとして出ていて、そこでの発言がITProに掲載されているので参考になる。この記事を書いたのがぼくと清水さんを引き合わせてくれた日経BPのY記者です。

ぼくは、それと実践として使える道具もなくてはいけないということを言った。実はこうした道具と技法の提供がぼくら親子丼的ビジネスの柱のひとつなのである。

2007年9月20日

乗り物が様変わり - チャイナばなしその8

最近中国の街の映像が映ると車が溢れていて、特に北京や上海などはすっかり世界の大都市に近いものになっている。この乗り物の変化もこの30年で大きく変化したもののひとつであろう。乗り物もさることながら、道路や鉄道、航空事情も昔とぜんぜんちがって非常によくなっている。

30年前の風景を少し書いてみる。

当時は自動車の数がほんとに少なかった。北京の市街地でもほとんどが自転車で、車は自転車をよけながら走っていた。郊外の行くと馬車か牛車である。のんびり御者が居眠りしながら道路を歩いていく。驚いたことに工場の中でも廃油のドラム缶を積んでいくのは馬車の仕事なのだ。だから、いたるところに馬と牛の糞がころがっていて、またその糞を拾っていくヤツが道路の脇を歩いている。燃料にするのだ。

自動車は紅旗という高級車と上海という一般車とあとすこしのフォルクスワーゲンとフォードくらい。日本車は全くない。トヨタにしてもホンダにしても中国進出は非常に慎重で、最近こそ多くの日本車が走っているが、最初はヨーロッパ車が進出していた。特に上海はヨーロッパ好きの都市で、そこは北京と違うところである。この北京対上海という対立構図についてはまたあとで記す。

さて、車に関して入国してからすぐにたまげたことがある。北京空港から市街まではいまでは立派な高速道路もでき、時間も短縮されているが、当時はまだ舗装もされていないところもあり、もちろん車の通りもほとんどない。着いたのが夜遅かったので特に真っ暗なところを自分たちの乗るマイクロバスだけが走っている。ところが、恐ろしいことに何とヘッドライトの明かりを消して走るのだ。そして、前から対向車が来るとそのときだけヘッドライトを点灯する。これには、びっくりしたなあ。いまでもそうだという話を聞いたような気がするがどうだろうか。

自動車のことを中国語で「汽車(チーチャ)」という。最初ホテルの前に汽車と書いてあるので機関車でも来るのかと思ったらタクシーのことであった。この言葉はすぐに覚えた。どこかに行って国際友誼商店(ここがいつも集合場所になっていた)に戻るときは、“チーチャ”と言ってタクシーを呼んでもらわないとえらいことになる。10年後くらいして行ったときには北京駅前に人力車がたむろしていたが、料金を聞いたらタクシーの何倍かの値段を吹っかけてきたので日本語で“アホぬかすな!”と言ってタクシーで帰った。

話変わって、日本語の汽車のことである。中国語では「火车」という。滞在中3度ほど乗ったことがある。いちばん印象的だったのは、上海から西湖のある杭州までの鉄道の旅です。みなさんよくご存知だと思いますが、中国には硬席と軟席というのがある。硬席は文字通り板が張ってあるままの硬い席ですぐにお尻が痛くなる。ぼくらはVIP待遇だから、乗るときも貴賓室みたいなところから乗り込んだのだけど、何かの手違いで乗った車両が硬席だったのだ。同行の通訳がびっくりして、乗務員と掛け合ってくれて軟席に移されたが、しばらく一般の中国人といっしょに硬席に座っていたので、そのすわり心地がわかるのだ。

さらに、飛行機のことである。北京から上海には中華民航で行ったのだが、仲間はほとんど何もしゃべらずじっと目をつぶっていたといったらおわかりでしょうか。

ぼくの見た30年前の風景から考えると今の状況は想像を絶する早さで変化していることになる。こうした、急激な変化がどこかでひずみを起さなければいいがと心配になる。え、もうひずみが出てるって。

2007年9月21日

メディアとのコラボ - 親子丼的ビジネス奮闘記(5)

昨日、日本BPM協会のUさんと一緒に、ITmediaのSさんに会う。以前からぼくが開発した新しい開発技法について、どうやってメディアに載せていくかということを話していたが、昨日でだいたい具体的にどうするか決まった。それに基づいて、詳細な内容や進め方などについてぼくのほうでまとめることになった。

大まかに言うと、@ITにある「BPMプロフェッショナル」という情報ポータルの一画にぼくのコラムというか意見が連載されて、それに従った研究会あるいは勉強会をBPM協会のWG4というワーキンググループで行なっていくというものです。

このプログラムのポイントは、ユーザ参画型であることと実際に動くツールを作っていき、それを実践する人たちをそこにどう糾合していくかというところです。

従来、こうした研究会やフォーラムのようなものは、得てしてベンダーやSIerのいわゆるIT業界のひとたちだけでやられている。しかし、いまわれわれがめざす「BPM on SOA」に基づく革新的開発技法は、ユーザの視点があるいはユーザ自身が開発できることが肝であるがゆえに、ユーザの参画が必須なのだ。

で、この場合のユーザというのは、まさにエンドユーザでITを知らないが実業務をよく知っている人が該当する。ところが、そういう人って見えてないですよね。どこにいるのかわからない。だから、ここのところで自分の手で役に立ついい業務プロセスを作ってやろうと思っているひとを見つけ出し、この世界に引っ張り出すのが大変なのだ。これについては、昨日の3人とも異句同音に嘆いていた。

もしそこがどうしても難しいのであれば、ユーザ系の情報子会社から捜すことになる。いかに、ユーザ感覚のものをつくっていけるかはここがポイントだ。

ものづくりのほうは、まだβ版なので参加してくれるみなさんと、よく議論しながらブラッシュアップしていきたいと考えている。

おそらく、オープンソースプロダクト開発のようなプロジェクトとはならないが、出来るだけ集合知を発揮できるようなやり方をしたいと思っている。

さて、いよいよメディアに乗っかっていくわけで、どうなるか不安でもあるが楽しみでもある。

思わず出たひとこと

ITmediaでの打ち合わせが終わって、Uさんと二人で有楽町のガード下の「まんぷく食堂」でレトロな雰囲気を愉しみながら、ハムかつと黒ホッピーで乾杯。相変わらず、団塊世代のオヤジの熱い会話。

そのあと、久しぶりの東京だったのでぼく一人で銀座の「M」行く。柳家小里ん師匠が独演会を2日後に控えながら、階下でカラオケに興じていた。稽古もしないでだいじょうぶだろうかと言ったのはぼくではない。

ひとしきりバカ話をして帰ろうとして「思わず無意識に普段のことが出てしまった一言」。

“もう一杯呑んだら寝るわ”

最近、外で呑むことがめっきり減ってほとんど家の中で呑む。だから、呑んだら次は寝るだけなのだ。ああ、電車に乗って帰ることを忘れていた。

2007年9月22日

SIerという存在 - 親子丼的ビジネス奮闘記(6)

一昨日、GoTheDistanceさんのブログエントリー「アメリカにはSIerなんて存在しない」がぼくのブログ記事をきっかけにして書かれている。そのエントリーがはてぶの人気エントリーのホットテン入りした。そのためぼくのこのブログのアクセスも急増した。

どうもSIerというものに何らかの問題意識をもっておられる方が多くいるのように思えた。ただ、昨日、GoTheDistanceさんも書いてあるように、若干誤解されるようなところがあったので、ぼくもそれについて補足する。

ぼくも、アメリカにSIerがいるとかいないとかは大きな問題ではなく、むしろ日本のIT業界におけるSIerという存在、あるいは役割はいったい何なんのだろうか。今のような構造でいいのだろうか、というようなことを言いたかったのだ。そして、こうした問題を考えたときに、ヒントとしてアメリカの企業のITに対するスタンスが参考になるのではないかということである。

まずは、SIerの定義になるが、これについてもぼくはそれほど明確にする必要もないと思っている。ぼくは、ユーザ側からしかITを見てこなかったので言わせてもらうと、本来企業の情報システム部門がやるべきことを、私たちはITのことはよくわかりませんので、おまかせしますのでよろしくやってくださいと頼む相手のことで、だから、決まったエリアがあるわけではなく、その企業ごとに必要な開発と運用をやってくれるという非常に便利な存在なのである。

こうした関係がいいのか悪いのか。これまでは、表沙汰にするのがめんどくさいのか、よくわからないのかあまり声高に議論されてきていないように思える。で、ここに来て何となくこのままじゃいけないんじゃないかと思い出してきたのではないだろうか。

これは、ユーザ、SIerのどっちが悪いという話ではなく、両方に問題がある。ユーザの中には、ITは自分たちにはよくわからないから専門家にまかせておけばいいやという経営者が多い。銀行のオンラインやPOS、配送システムなど事業の根幹に関わるものは、製造業が、生産プラントや生産ラインにこだわるように、経営者もしっかり見ているが、いわゆる一般的な企業情報システムは、ちゃんと期限どおり決算してよねと言うくらいじゃないだろうか。

そして、単にシステムコストを削減することに興味を持つだけとなる。いくら、情報システム部門がコストダウンより、付加価値向上のための投資が重要ですと言ったところで説得できる力をもち得ない。SIerに対しても、どうしてこんなに高いのよ、と言ったところで、それ以上指摘ができる技術力もない。

一方、SIerといえば、難しい専門用語を駆使して、これも必要、あれも必要とばかり、隣のスーパーに行くのに使うだけなのにベンツを売ることになる。そして、ユーザの要件をよく聞いて、経営に役立つシステムを作るんだと意気込んでも、ユーザはなかなか要件を言ってくれないで仕様が固まらない、最後はばたばたとプログラマーを投入して、何でもいいから仕上げて、それにかかった人件費はくださいとなる。

こうして、ユーザとSIerがお互いに嘆きあう構図はもうやめにしなくてはいけないと思う。本来、そこを接着すべき情報システム部門あるいは情報子会社が弱体化していることも問題なのだ。

これまで言ってきたことはみんなに当てはまるわけではないが、当たらずとも遠からずの情況ではないでしょうか。

いまこそ、ユーザを含めたIT業界全体の構造を変えていかないと相変わらず3K職場などと揶揄されてしまう。その改革の方向性として、アメリカの企業の内製化という姿がヒントになっているわけです。すなわち、SIer、ベンダー主導からユーザ主導へと舵をきることが、それこそ顧客満足度の高いシステムができるのではないでしょうか。

そのとき、SIerはどうすれば幸せになれるのだろうか。ぼくは、そのキーワードを「専門化」であると考えている。いま、頂上にあるメーカー系ゼネコンからピラミッド的に子、孫、ひ孫と階層化され、しかも同じようなことをやっている。これを解体して、ある領域に強みを発揮する専門会社群を形成するのだ。そして、それをネットワーク化して、適宜組合せを変えながらビジネスを展開するイメージだ。

実は、この考え方は見ようによっては、「BPM on SOA」に似ていると思いません。システムそのものの構造をビジネス(業界)の構造に当てはめるのです。

結局、「専門化されたところから生み出された高品質のプロダクトおよびサービスを使ってユーザが自分たちの手で自分たちの業務システムを組み上げる」というのがめざすところです。
具体的に、こうした考えに則ったプロジェクトを走らせますのでよろしく。

2007年9月23日

イカとクジラ

近くの映画館が閉鎖してしまったので、映画館にいくことがめっきり減ってしまった。横浜や平塚まで行かなくてはならないのでつい足が遠のく。だから、しかたなしにDVDを借りてくることになる。

「イカとクジラ」は、この奇妙なタイトルもさることながら、以前劇場で見ようと思っていたのに都合で観られなかったので、ずっと気になっていた映画である。酒のつまみの話ではない。

原題も「The Squid and the Whale」だからそのままイカとクジラだが、映画の中のエピソードで出てくるので、映画を観るとなるほどと思う。

物語は、ニューヨークのブルックリンに住む作家夫婦とその二人の息子の家族についての物語である。スランプ気味の夫と昇り調子の妻がある日突然離婚を宣言する。そして、16歳と12歳になる二人の息子は、共同監護というかたちで平等に父母の家をいったりきたりするという生活が始まる。

ぼくには、3つ違いの二人の息子がいるので、つい身につまされてしまう。幸いまだ離婚していないので、この映画の状況は共有できないが、子どもが父親と母親のどちらかと相性がいいとか、自分の持ち物にこだわるとか、実に微妙な生活感というか現実感がよくわかるのである。

そうなんです、映画のいたるところに粋な仕掛けがいっぱい出てきてもう大人の映画なのだ。ゴダールの「勝手にしやがれ」のせりふだとか、ピンク・フロイドの「Hey You」だとか、思わずにんまりしてしまう。

こういう映画は、日本ではなかなかお目にかかれない。インテリの家族って少ないのかもしれないが、夫婦、親子間の確執みたいな話になると、豊田利晃監督の「空中庭園」のような少々ベタベタな感じにどうしてもなってしまうようだ。

まあ、ウディ・アレンの作品を彷彿とさせる映画でなかなかよかったですね。


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    • 4 傷ついたカスガイ
    • 4 苦笑ばかりさせられた
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2007年9月24日

気になるなでしこジャパンの横断幕

17日に杭州で行われた女子ワールドカップ(W杯)のドイツ戦で日本は残念ながら0-2で敗れ、決勝トーナメント進出はならなかったが、その試合のあとで、観客席前で整列し、「ARIGATO 謝謝 CHINA」と書かれた横断幕を広げ深々とおじぎした。

この行為がいま中国国内で物議をかもし出しているらしい。「勇気に感動した。見習うべきだ」と称賛する声と「過去の侵略を認めない日本の宣伝活動に感動するなど中国の恥だ」と反発する声が交錯、メディアも巻き込んだ論争に発展しているのだそうだ。

またぞろ、この中国人の大人気ない反応はいかがなものだろうか。来年は北京オリンピックがあることだし、もう少し大人になってもらわないと困ったものだ。だいいち、観客のマナーがぜんぜんよくなっていないじゃないか。以前問題になったアジア選手権のときからよくなっていないと思われる。なぜスポーツの試合でそんなに日本に対して敵愾心をもつのだろうか。少なくとも、一方的なブーイングだけはやめてくれと言いたい。

ところで、ぼくはこの横断幕の騒動はともかく、なぜあのように横断幕を掲げたのかのほうが気になる。これまでもあまり見たこともない光景だったので一瞬変だなと思ったものだ。ところが、その伏線みたいなできごとがあったのを思い出した。

それは、試合の中継でフジテレビの青島アナが、明らかに日本に不利な応援や試合とは関係ないところでウエーブが起きたりとマナーの悪さがテレビを見ているだけのぼくらにもわかるのに、「中国の観客はサッカーがよくわかっている」とか「いいプレーには拍手してくれる」とかあたかも公平な観戦態度であるがごとくアナウンスしていたのだ。聞いたとき非常に奇異に感じて、どうしてこう観客をかばうようなことを言うのか不思議だった。

それがあって、試合後の横断幕なのだ。なぜか、中国に媚びているなと思ったのはぼくだけだろうか。おそらく、横断幕を掲げさせたのはフジテレビだと思うが、フジテレビは何か中国に借りがあるんじゃないかと疑ってしまう。さて、この論争いったいどうなるののだろうか。

2007年9月25日

床屋のオバサンの経営学 - 親子丼的ビジネス奮闘記(7)

ITで起業するとなると、ビジネスの形態をどうするかをまず考えなくてはいけない。簡単に言えば、商材を何にするかである。ITでは大きく二つの流れがある。自らの企画でプロダクトやサービスを作って提供するというものともう一方が受託開発である。能動的なビジネスなのか、受動的なビジネスなのかである。あるいは、フローのビジネスかストックのビジネスかである。リスクという点からいうと受託開発の方がリスクは小さい。

受託開発にも自分たちで営業してお客さんを捜してくるというのもあるし、大きな開発会社の下請けとして仕事を回してもらうというのがある。ただ、いずれにしろ、受託開発というのは開発者ひとりあたりの仕事量と単価で収益が決まってくるから、仕事を安定的に獲るにはどちらの形態がいいかだけの差になる。

この場合、経営は開発者をいかに遊ばせないように間断なく仕事を持ってくるかに腐心することになる。これをぼくは「受託開発の罠」と呼んでいる。せっせと稼働率をあげることにだけ力を注ぐわけで、単なる人貸しと変わらなくなってしまう。結局、人のキャパシティの範囲でしかビジネスが拡大しないから、会社が大きくなっても単純に人数が増えただけの話で利益率が同じで面白くもない。

さて話は突然変わるが、ぼくが行く近所の床屋はぼくよりちょっと年下のオバサンが経営している。椅子が4つ置いてあって、そのオバサンともうひとりを雇い入れているのと見習いの女の子の3人で切り回している。そのオバサンはすごいおしゃべりで、ぼくは髪を切られながらうとうとするのが好きなのに、ずっと相槌を打たなくてはいけない。でも、ときどき面白いことを言ってくれるので感心することもある。

このあいだ、人を雇うことについての話になった。いま、同じ年頃のオバサンを雇っているが、そのちょっと前はオジサンがいた。なぜ辞めさせたのかと聞いたら、“その人、私の言うことを聞いてくれないんです。わたしは、お客さんの髪の毛はあまり短くしてはいけないといっているのに、その人はすごく短くしてしまうのです”、“でもなぜいけないんですか?”とぼく。“だって、短くしたら、お客さんの来る回数が減るじゃないですか”。すごいですねえ。立派な経営方針ですね。

この店けっこう繁盛していたので、さらにぼくが、“もっと人を増やしてもうけたら”と言ったら、“お客さん、そこが難しいところなんです。ひとり増やしたいが、その増えたひとり分を賄えるだけのお客さんが来てくれるかが問題なんです。私はその踏ん切りがつかないのです”ということだそうだ。

これって、受託開発に当てはまると思いませんか。若干こじつけ風ですが、受託開発も床屋と同じように、いつまでも関係が続くように仕事を残すとか、極端な話、わざと品質を落として、後のメンテでお金をもらうとか、ひとが何でもいいから働いている状態を作るだけみたいになっていないだろうか。また、前に言ったように人を増やすのもいいが、増やしたときは持ち出しとなり、しばらくして、また増やせるくらいになると、また思い切って増やすが、そのときは赤字ということの繰り返しになってやしないだろうか。

ぼくたちも、最初のころはWebサイトの開発請負みたいなことで稼ごうかとも考えたが、人の数に依拠するようなビジネスの限界を感じたのと、根っから自分たちが働かなくても自分たちが作ったものが働いてくれるのを願うというナマケモノ気質を考えたら、受託開発ビジネスは無理だと悟ったのであります。まあ、どうしてもやらなくてはならない時以外は積極的に動かないつもりです。

だからといって、簡単にプロダクト、サービス事業ができるかというと、とんでもなく難しいし、ある程度の時間と資金がいる。何よりも創造力が不可欠であり、そしてそれ以外にも製品化力とかマーケティング力だとか、さまざまな能力が要求される。まあ、それだけ挑戦しがいがあるということで、とりあえずここのところでがんばっていきたいと思う。

2007年9月26日

今日のイチオシ新聞見出し

思わずうなった新聞の見出し。今日の朝日新聞朝刊から。
 

「閣僚、上書き保存」


少数民族 - チャイナばなしその9

中国は多民族国家である。現在56の民族がいる。ただし、人口の94%が漢族だから、他の55の民族は「少数民族」という。広大な国だから、東西南北の境界のほうにはさまざまな容貌、生活習慣、言葉を持った民族がいる。ヨーロッパ人かと思うものや南方の浅黒いもの、日本人にそっくりなものなど驚くほど多様だ。

一応中国政府は少数民族を保護する政策をとっていて、言語使用や単独の法令制定などの権利を持たせている。30年前にも少数民族の保護ははさかんに喧伝されていた。北京にある民族文化宮というところに行くと、少数民族の写真などが展示され、いかにも中国政府は少数民族に足して手厚く遇していることを強調される。

ぼくは、そうはいっても結局は力でねじ伏せている裏返しに見えていた。チベットに対する弾圧をみればわかるように、少数民族が自立化へ目覚めないように懐柔しているだけなのだ。

さて、ぼくが出会った少数民族の話である。比較的大きな集団として満州族というのがある。いまは、東北部の遼寧省・吉林省・黒龍江省の3省を中心に1000万人くらいが居住しているそうだ。

この民族は、その昔、清という国を作ったこともあり、また1932年から1945年にかけて日本の支援を受けて「満州国」が存在した。その元首には、滅亡した清の最後の皇帝愛新覚羅溥儀が就く。あの有名なラストエンペラーである。「満州国」は日本の関東軍の強い影響下にあったため傀儡政権であるといわれていた。1945年に太平洋戦争での日本の敗退とともに消滅した。

30年まえに一緒に仕事をした中国側のメンバーに、確か課長くらいのレベルの人だったが、李さんという人がいた。よく働くまじめなひとで好感が持てるひとであった。前にも書いたが、この国は自力更生主義であり、また共産党員の監視が常時ある中では、われわれ日本人と仲良くやることを避ける人が多かった中では、気さくに話しもできた数少ないひとであった。その李さんが満州族であった。

これは、李さんに直接聞いた話ではなく、多分日本人の通訳のひとから聞いたと思うのだが、一般に満州族の人たちは日本人に対し、そんなに嫌悪感がない、むしろ好意を持っている人もいるということを言っていた。

当時は、たいていの中国人、特に年配の人たちの日本人を見る目は鋭く、ぼくらも町の中で射抜くような視線を何度も浴びたことがあった。だって、まだ日本の軍隊が荒らした痕跡が町の中に残っているのだから、そう簡単に許せる話ではないのだろう。

ところが、満州族の人たちはそうではないのだという。なぜかというと、傀儡であったかもしれないが、まがりなりにも自分たちの国を日本の支援で建設できたという思いが残っているのだそうだ。真偽のほどはわからないが、現在も満州族の自立への動きが話題になることを考えると、日本人にはなかなか理解できないところの自分の国を持たない民族の思いが少しわかるような気がする。

その李さんとは、5年後に北京で行なわれたプラント建設5周年記念フォーラムで一緒になり、相変わらずにこやかに言葉を交わした。そして、それから、12年後に東京で再会することになる。

李さんが政府系の商社の東京事務所長として着任したのである。なぜそれを知ったのかもう忘れてしまったが、ぼくがその事務所に訪ねていったときにはよく覚えてくれていて、お互いに再会を喜んだ。そして、一緒にあるプロジェクトも構想したのだが、残念ながらうまくいかなく、しばらくして李さんは帰国してしまった。

それ以来会っていないが、今はどうしているのか、もう一度顔をみたいなと思わせる満州族のひとであった。


2007年9月27日

ついに0日紅になった

前に、台風で百日紅(サルスベリ)が50日紅になったと書いた。
ところが、昨日、おとといと植木屋さんが入って丸坊主にしていった。
ああ、これで0日紅になってしまった。

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私家版・ユダヤ文化論

このあいだ、チャイナばなしで民族のことを書いたが、ひとつの国の中の民族ではなく世界の中の民族という意味で、以前から謎なのはユダヤ人のことである。

疑問に思っていることがいくつかあって、例えば、どうしてあのホロコーストのようなことが起こったのか、反ユダヤ主義とは、なぜユダヤ人は結束が固いのか、ユダヤという名の国家が存在しないこと、どうして数多くの学者や芸術家など優秀な人材が輩出されるのだろうか、などなど日本人の普通の発想ではなかなか理解できないことが多い。

そんなことを考えながら「私家版・ユダヤ文化論」(内田樹著 文春新書)を読む。ついちょっと前に小林秀雄賞を受賞したばかりだ。内田樹はいまやマスコミの寵児であちこちの新聞、雑誌に登場する。(テレビには出ない)その歯切れのいい文章とキレのある論理で私たちに迫ってくる。ただ、ぼくは毎日彼のブログを読んで慣れているのでそう言っているけど、初めてのひとはちょいと読みにくいかもしれませんね。ところで、ウチダ先生がこんなにもてはやされるようになるとは思わなかった。「下流志向」あたりからぐっと露出が増えたように思える。

さて、「私家版・ユダヤ文化論」は、私家版とうたっているように内田樹の個人的な言質を主体に、「なぜ、ユダヤ人は迫害されるのか」という問題を追及している。

一昔まえに「ユダヤ人と日本人」(イザヤ・ベンダサン著、実は山本七平))という本がベストセラーになったが、もう内容は忘れてしまったが、そのとき、日本人にとってユダヤ人とは何かとということより、それこそなぜユダヤ人は迫害されなくてはならなかったのか、そしてなぜユダヤ人は創造性のある優秀さをもちあわせているのかが気になっていた。

「私家版・ユダヤ文化論」は、そのあたりについて非常に面白い議論が展開されていて思わずのけぞってしまうくらいだ。両方の論旨をここで載せても長くなるので、ユダヤ人の優秀さについて記す。

ぼくは映画が好きだが、映画人のなかにユダヤ人が多いことに気がつく。ウッディ・アレン、スピルバーグ、チャップリン、メル・ブルックス、イリー・ワイルダー、ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン、ポール・ニューマン、ローレン・バコール、バート・バカラックなどなどがいて、ユダヤ人なくして映画史ができない。映画だけではなく音楽界や学問の世界もキラ星のごとくユダヤ人が現れてくる。

ノーベル賞では、自然科学分野での突出ぶりがすごく、2005年度までの医学生理学賞48名、物理学賞44名、化学賞26名で割合で言うとそれぞれ26%、25%、18%に相当するのだそうだ。ユダヤ人は世界人口の0.2%だから、その異常さにびっくりします。

なぜこんなことになっているのだろうか。ユダヤ人だけが特別な脳をもっているわけではないし、しかも教育も含めて世界中のさまざまな異なった環境にいるから同じ環境で純粋培養されているわけでもない。
そこでウチダ先生はこう考えた。

この異常な数値は民族的な仕方で継承されてきたある種の思考の型が存在することを仮定する以外に説明することができない

そして、続けて

ユダヤ人にとっての「ふつう」を非ユダヤ人が「イノベーティヴ」と見なしているということである。

うーん、面白くなってきたぞ。

彼らはあるきっかけで「民族誌的奇習」として、「自分が判断するときに依拠している判断枠組みそのものを懐疑すること、自分がつねに自己同一的に自分であるという自同律に不快を感知すること」を彼らにとっての「標準的な知的習慣」に登録した。

なるほどそれで

ユダヤ人の「例外的知性」なるものは、民族に固有の聖史的宿命ゆえに彼らが習得し、涵養せざるを得なかった特異な思考の仕方である。
ユダヤ人の「聖史的宿命」とは、「諸国民」に先んじて、「諸国民」より以上に受難することである。

いやー、これだけではなかなか理解しにくいと思いますが、全部を読み通すとわかってくると思います。

こうしてみると、イノベーティブな仕事をしようと思ったら、ある種のユダヤ人的な思考の仕方を採り入れるということが有効なのかもしれませんね。

日本人が書いたユダヤ人論だからこそ冷静で客観的な見方が随所にみられ、さすが、養老孟司が絶賛して小林秀雄賞を受賞したことを実感する好著です。


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2007年9月28日

ドキュメント化は本当に必要か - 働きたくなるIT(13)

これまでの議論からちょっとずれた話かもしれないが、ドキュメント化ということについて考えてみる。

システム開発を行なうとその工程の中に必ずドキュメント化というタスクが割り当てられる。要件定義書、機能仕様書、設計標準、データ定義書、運用手順書等々多くのドキュメントを揃えて、プロジェクトは終わる。

ちょっとここで当たり前のように作っているドキュメントって本当に必要なのか立ち止まって考えてみてもいいような気がする。なぜかというと、こうして一生懸命つくったドキュメントが稼動してからあとどれだけ使われているのかをみるとどうもあやしいのではないでしょうか。

最初の頃は開発したばかりだから、ドキュメントなんか見なくてもわかる。むしろ時間が経ってあれはどうだったかなあといって見るようになる。ところがそれにはそのドキュメントをきちんと抜けがないように永続的にメンテナンスをしなくてはならない。一度、書いてあるものと実際が合わなくなったら、その時点でそのドキュメントは信用されなくなるという宿命をもっている。そして、捨て去られたドキュメントがどれだけあるのか。

完璧なドキュメントを維持するのは不可能に近くなるということなら、いっそのことドキュメントを書かないで済まないか、あるいは、システムの一部として持つというふうには発想を変えられないかということである。

いま、内部統制やISO、セキュリティなどの絡みでドキュメント化の重要性が謳われているので、それに逆行するようなことを言っているのだけれど、単に紙に書いて残すということではなく、何か別の方法で、開発をしながら自然と仕様書だとか定義書だとかができてしまうというようにはいかないものか。

もちろん全く何も書かないことは難しいので、最小限のドキュメント化を指向すべきではないでしょうか。それが“システムの一部として持つ”ということにつながる。すなわち、泥臭くヘルプに入れてもいいですが、フレームワークやテンプレートあるいはコンポーネントの括りで機能をつかめば、そこに書いてある説明でだいたい事足りるはずだ。

例えば、家庭では家電や自動車はほとんど何も見ないであつかえますよね。そして、難しい設計書なんてもらいませんよね。

システム開発もなぜそうならないのだろう。それはみんな違ったものを作るからだとぼくは思う。だから、なぜそうしたか、どうやって作ってあるか、どう動かすかについてちゃんと説明できるものが要るというわけです。

繰り返すが、どうもドキュメント化しないといけないという常識にとらわれて無駄なことをしているように思えてならない。極論すれば、ソースプログラムがドキュメントなんだからそれ以上の説明は要らないとも言える。

このドキュメントを書かない、書かなくてもユーザは理解できるというのが、望ましいと思う。これは、具体的にはプログラムを書かない、既存のフレームワークを使う、必要最小限のことはヘルプに埋め込んでおくなどになる。それでこそユーザの使い勝手のよいITになると思うのだがいかがでしょうか。

2007年9月29日

衝撃の映像

ミャンマーというとぼくはどうしても「ビルマの竪琴」の僧となった水島上等兵が肩に青いオウムを乗せてたたずむ姿が思い浮かぶ。ぼくが、小学生のときに近所にある鎖大師で有名な青蓮寺というお寺で「ビルマの竪琴」の上映会をやってくれてそこで観たのだ。その日4月8日は、花祭りといってお釈迦様の誕生を祝う日で、甘茶がふるまわれる。

この映画のインパクトはものすごく大きくずっと心の中に残っている。先日も、姉と話をしていたら、実は姉もぼくと同じように、そのときの映画のシーンや甘茶のことなど鮮明に覚えていて、二人でなつかしがった。

だから、ミャンマー(ビルマ)と聞くと映画のように戦争犠牲者の鎮魂のために僧侶となったお坊さんのいる国で、敬虔な静かな国という思いがあり、今回の騒動でたくさんの僧侶がデモに参加している姿をみると、そのお坊さんたちが立ち上がらなくてはならない事情の深刻さを思ったのです。

そして、非常に衝撃的な映像を目にしてしまった。一昨日のテレビニュースで映し出された長井さんのカメラをはなさず倒れている姿は大変なショックでした。

ここでは軍政を批判したりすることはしない。ジャーナリストの死について考えてみる。

古くはインドシナで地雷を踏んだロバート・キャパから、日本人では、カンボジア戦線を取材中に狙撃されて死んだ沢田教一、「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一之瀬泰造、近くはイラクでの橋田信介と取材中に命を失ったジャーナリストがいる。

多いのか少ないのかはわからない。危険なところにいるから多いのか、危険なところにいる割には少ないのか、そんなことは危険の冒しかたで違うし意味のないことだ。ただ、こうしたジャーナリストは普段から相当の覚悟をしているはずだ。もちろん自己責任のなかでハイリスク・ハイリターンの道を歩んでいるわけである。

しかし、このハイリターンと言うとき、彼らにとってリターンっていったいなんなのだろうか。ピューリッツァー賞やロバート・キャパ賞をもらうことなのだろうか。どうも違うような気がする。そういうこととは無関係な衝動が戦場に向かわせるのだろう。ぼくには、深層のところの理解はできない。

でもおのれひとりの力だけで、カメラを武器に戦う仕事は命をかける価値のあるものなのだろうことはわかるような気がする。

あえて、あえて言う、「長井さん、カッコイイよ」 合掌。


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