何回かこのブログでもコメントしたが、格差についての面白い話を見つけた。で、すいませんが、またまた格差の話です。小林慶一郎という経済産業研究所のひとがいて、わが国の経済問題について論陣を張っているが、ちょっと前に朝日新聞の「けいざいノート」に格差問題の深層と題して寄稿していた。
論旨は次のようなこと。まず、市場競争を擁護する経済学者や企業経営者と格差解消を訴える人々との間で議論がかみ合っていないという指摘。すなわち、経済学者描く市場競争は価格の競争のことであり、互いの活動を邪魔する「争い」というイメージはない。それに対して、市場経済に批判的な勢力は、市場競争とは弱肉強食のイメージだ。
なぜ、市場競争に対して正反対のイメージになるのか。答えは、市場経済のどの側面をみているのかなのだそうだ。経済学者は、競争により社会の厚生が最大化できるというプラスの側面をみるが、負の側面もある。市場競争に批判的な人たちは、勝者のみしか繁栄できないような負の側面を強調する。
そして、この負の側面が生み出される原因について、競争に使われる技術の差だと言っている。これは、UCLAの故ジャック・ハーシュライファー教授の論で、技術というと経済学者は当然生産技術を想定するが、それとは別に闘争技術と呼ぶ、例えば、社内の権力闘争で勝つ技術、顧客の無知につけ込んで不必要な商品を売り込む技術、政治家に取りいって利益を誘導する技術などがあるのだそうだ。
どうも、市場経済に批判的な人々は、この闘争技術の弊害を問題視しているのではないか。ここがかみ合わない大きな理由で、従ってこれからは闘争技術をも取り込んだ経済学が必要である。
で格差ということだが、格差論争を一種の闘争とみることもでき、持たざるものは、生産活動よりも政治的な闘争に参加するほうが合理的な選択肢となる。
ここに非常に大きなエネルギーを使っているわけだから、再分配策を考え直すことにより、このエネルギーを政治闘争ではなく生産活動に向けるほうがいいのじゃないかということである。どういうことかというと、普通、再分配政策は、効率を犠牲にして公平性を高めるものと言われているが、それの逆発想である。そんな政治的な闘争に資源が消費されるのを防ぐことにつながるというわけだ。
ぼくは、経済のことはよくわからないが、なんとなく世の中の状況がわかったような気がする。結局、格差をなくすには、金銭的には再分配の構造を勤労意欲が低下しないようにし、こうして得られた金銭的な格差の是正により、政治的な闘争へ向けられたエネルギーを生産技術のほうに向ける余裕をつくり、かつ金銭的なもの以外の価値観の重要性をみんなで共有するという方向性のような気がしてきた。
さて、これをやってくれるのは、自民党なのか民主党なのか?