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激動の年 - チャイナばなしその1

これから、昔の中国のことについて書こうと思う。最近、オリンピックのことや、汚染食物やコピーのことなど何かと関心が高くなっている。そういったニュースに接するたびに、ああ昔と何も変わっていないなあとか、ずいぶんと様変わりしたものだなあとか感ずることが多い。そこで、記憶をたどりながら当時のことと今を比較してみようかと思う。

ぼくは、1976年3月から7月までの約4ヶ月間、中国で働いていたことがある。北京から南西60kmくらいのところで、実質中国史上はじめての石油化学プラントの建設と試運転にスーパバイザーとして派遣されたのである。1976年というのは、あの田中角栄が中国に行って国交を回復したのが1972年だから、それから、たった4年しかたっていなかったので、ほとんど日本人もいなかったし、ほんと中国は貧しかった。

また、この1976年というのは、中国にとって激動の年であった。周恩来の死の追悼から始まった「天安門事件」が4月に起こった。若い人は「天安門事件」というと1989年に起こった民主化運動を指す場合が多いが、ぼくの中では、1976年の第一次「天安門」事件をいう。このとき北京の近くにいたのだが、全く事件は知らなかった。一週間遅れてやってきた日本の新聞を見て始めてわかったのである。

この天安門事件で鄧小平が走資派と言われて失脚してしまった。工場には走資派という字が大きく掲げられ、鄧小平が言った「白い猫も黒い猫も鼠を取るのがよい猫だ」と言ったことが毛沢東の怒りにふれたと、まことしやかに聞こえてきた。ぼくらは、日本という全くの資本主義の国からやってきたわけだから、おれたちも走資派だよなあと言っては首をすくめたものだ。

さて、この年はほんとの激動の年で、まずぼくが7月に帰ったときに東京駅のホームで手に取った新聞で腰を抜かしそうになった。そこには大きく“田中角栄逮捕”とあった。周恩来とマオタイ酒で乾杯したあの田中角栄がロッキード事件で逮捕されたのである。

そして、ぼくが日本に戻ってすぐに唐山地震という大きな地震があって、まだ残っていた人はしばらくはテントで生活をしていた。その後の9月に毛沢東が死んだ。その直後、文革堅持を主張する四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)と政権を担当する華国鋒が対立し、10月に四人組は逮捕される。

というように、1966年の紅衛兵結成から始まった文化大革命の終焉の年に居合わせたことになる。その年から中国は失なわれた10年をとり戻すべく、ものすごい勢いで突っ走るのである。ぼくはそれから5年ごとくらいに3回北京を訪れている。これから、いろいろなことを思い出しながら書いていくが、初回は1976年という節目の年のことを書いてみた。

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2007年08月07日 18:49に投稿されたエントリーのページです。

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