« 目線の話 | メイン | 久しぶりに梅田さんのブログから »

格差をなげく前に

最近のニュースで、横浜市の職員のなかに学歴を詐称したものが700人もいたというのがある。普通は学歴詐称というのは、どこかの選挙候補者にもいたように、高学歴側にウソをつくのだが、今度の場合は、その逆で大学卒を高卒と偽って、学卒では採用してくれない技能職についたという。この話を聞いたときやっぱりかと思った。

というのは、別のエントリーで実業高校の衰退のことを書いたからである。昔は、工業高校や商業高校にいく子が多くいて、その子らが世の中の技能職のレベルを保持してくれていた。ところが、生活が豊かになるととともに、皆こぞって大学に行きだしたので高校から社会にでていく人たちが減ってしまった。そしてその子らはどこへ就職していったのだろうか。企業は、総合職と一般職と分けて採用するから、大学を卒業したはいいが総合職で就職できない子らができることもありうると思ってもいたので、横浜市の例は、ああそういうこともあるなと納得がいったのである。

こんな例を見聞きすると、格差というけどいったんどういうことなんだろうかと考えさせられる。どうも十把ひとからげにして言っているようでよくわからない。究極的には個人の経済的な格差を言っているだけで、そういう意味ではいつの時代にもあったことで、どこに位置している人たちがお金がなくて困っていて、それが多いか少ないかということに帰結する。

それは、社会の構造をどういうものにするかというフレームワークをデザインした結果として、今のような状況、例えば都市部への富の集中、地方補助金の削減、非正規社員の増加等々を皆が了解したのかということがあいまいで、知らない間に自分はそれこそ貧乏くじをひかされたと思っているのだ。

だから、今回の選挙でああいう結果になったのだが、どうも現象論として議論しているだけで、社会構造論としての議論ができていないような気がする。いまの状況は小泉内閣のときに行なった構造改革の負の遺産だと言うけど、そういう批判ではまた時代逆行パターンの繰り返しになる。

問題の本質は、小泉純一郎が唱えた構造改革のように、“自民党をぶっ壊す”といったように、ただぶっ壊すだけではなく、一番大事なのは自分たちの国を構造化するということである。

どういうことかというと、政治でも経済でも、また社会の仕組み、都市と地方の関係、教育のあり方などなど、どんな形のものにすべきなのか、したいのかを明らかにし、そしてコンセンサスを得て、その形と今の形とのギャップを埋めていく、そのためには、痛みを伴うものも出てくれけどそれはみんなで我慢しよう、というのが真の構造改革というものだ。

構造化もできていないものに対して構造改革というからおかしくなる。これからでもいいからまっとうな議論をしてほしいものだ。

だから、先に出した横浜市の例でもわかるように、いびつな構造になっているから、ひずみとしておかしな現象が現れてくるのだ。さらに、地方の問題にしても、すぐにシャッター通りの絵をみせて、また公共事業がめっきり減ったので仕事が激減したと嘆かすよりも、自分たちで知恵を出して自力で何とかする気概が必要であることを訴えるべきだ。

東京の大学に行ってもろくに勉強しないなら、地元でもっとやることがあるような気がする。ヒントは都市と地方の格差がないネット社会となかよくすることではないでしょうか。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://kamawada.com/~masanori/blog/mt/mt-tb.cgi/279

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2007年08月05日 18:01に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「目線の話」です。

次の投稿は「久しぶりに梅田さんのブログから」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type