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難しく考えないことの難しさ - 働きたくなるIT(12)

なぜみんなものごとを難しく考えるのだろうか。世の中に難しいものってそんなにあるのだろうか。だって、それぞれの構成要素にばらしていくとそれ自体は単純なものになっていく。単純なもの(こと)が集まると難しくなるのだろうか。

ここで、あたかも難しいように装っていることを考えてみる。どのようにしてわざと難しくしているのかということである。

・難しい言葉を使う・・・中味は単純なんだけど難しい言葉を使うので理解が難しい
・あいまいな定義・・・あいまいなことはどっちにするか迷うので難しくみえる
・誰かの受け売り・・・自分で理解できないから、言っていることがつじつまが合わない
・ディテールが気になる・・・些細なところが難しいだけなのに全体が難しいと思わせる
・量が多い・・・ひとつひとつは単純だが多すぎてさばくのが難しいだけのこと

こういうことって、よくよく頭の中で整理していくと、実は簡単なことだったりすることが往々にしてあるような気がする。

結局、単純化することが恐いのかもしれない。単純化とは標準化であり、汎用化だから、例えば自分の仕事を単純化したとたん誰か他のひとに取って代わられるかもしれない。また、レポートなんかでも、単純に簡素に書いてくれればいいのにあたかも私はこんなに一杯仕事をしました、あるいは私はこんなにいろんなことを知っていますよと言わんばかりに書き綴り、難しいレポートができあがる。私はこんな難しいことをやっているのですよとか、自分だけしかわからないことがあるように見せかけて自分の価値を高めたいという気持ちなんでしょうね。

ITを使って効率的な仕事をするというのは、こうした“エセ難解族”をなくすことにつながる。別な言い方をすれば、業務処理プロセスを単純化、標準化してITにのせていくわけだから、難しく考えていたらプロセス化できないのである。

だから、シンプル化志向でいかないと、ITで置き換われるようなことを依然として人間がやってしまって、ITではできない人間の能力である判断能力、分析能力を発揮することまで手がまわらなくなるという事態になる。この判断して、分析する能力を生かすことでITとよりよい補完関係を保つことができるのではないでしょうか。

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2007年08月20日 09:26に投稿されたエントリーのページです。

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