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七夕になると思い出すこと

おとといは七夕である。以前このブログでも書いたが、「ぼくが医者をやめた理由」などで有名な作家永井明は、3年前の七夕の日に肝臓ガンにより56歳という若さで逝ってしまった。

先週、永井先生とときどき顔をあわせた銀座のMに立ち寄ったときに、隣り合わせになった生前の先生に囲碁を教えていたという女流棋士のMさんと、ママと一緒に先生がなくなってからもう3年経つんだねえと偲びながら呑んだのです。

そのとき、死ぬ何ヶ月か前の話になった。先生は、医者だった、あるいは医者をやめた故にか、もちろん自分の病気も知り、余命も分かっていたと思うが、延命治療をせずに自然に自らの命の火を消した。

だから、病気になってからも普通にMに通っていたし、普段どおりの話ぶりであった。ところが、永井先生はその頃asahi.comで「メディカル漂流記」というエッセイを毎週書いておられたのですが、そのエッセイの内容が死ぬ一ヶ月前から急に変化したのです。

それまでは、飄々とした内容で、船医として船に乗ったことや、酒や食べ物、映画や寄席、沖縄のスキューバダイビングのはなしなどが淡々と語られていた。ところが、「遁走序曲」というタイトルで書いたときに、ぼくはあれっと思った。あきらかに、いままでのトーンと違っていたのだ。そこには、こんなことが書いてあった。

まあ、この国のあまりに粗末、無残なありさまにうんざりした。欲望を剥き出しにした「正義」、排除という名の「信念」がまかりとおる人間世界にはほとほと愛想が尽きたということだ。 現実逃避云々というご批判も、「はいはい。おっしゃるとおり」。もう聞き飽きた。逃げられるだけ逃げてやるぞという気分なのである。

こう書いたのが、死ぬ1ヶ月前なのである。おそらくこの時点で死を覚悟したのではないかとぼくには思えてくる。

そのあと、「みえこ姐さんのパラソル」と「ヒロシさんの絵筆」という2本のエッセイが最後になった。これまで、自分の昔の楽しかったことや嬉しかったことをあまり書いてこなかったが、最後になってやっと自分の子どものときの風景を書いたのだ。(ちなみに彼の出身地は広島県三原市である)

これが、誠に素晴らしい文章なのだ。もし、読みたい方があったら「ただ、ふらふらと」(中央公論新社)に載っていますので是非手にとってください。

ですから、ぼくが一番残念に思うのは、この三原の風景や軍医であったお父さんのことや、そうした自分のことを私小説の形で残してほしかったことである。


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コメント (2)

酔狂:

三原市在住、明の同級生です。
あなたが残念がっていらっしゃる小説そのものの構想、あったんです。準備もしてました。時間がね。ほんとうに残念です。
 それでもみえこねえさんとヒロシさんをのこしてくれました。

mark-wada:

永井先生の同級生の方からコメントをいただくなんて、大変うれしく思います。
やはり、三原のことや子どものころの小説を書く構想があったんですね。もし、書いていたらすばらしい作品ができただろうと想像できます。
返す返すも残念でたまりません。
でもおっしゃるとおり、みえこ姐さんとヒロシさんがあるので、時々読み返しながら思いを走らせてみようと思います。

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2007年07月09日 10:06に投稿されたエントリーのページです。

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