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帰納法か演繹法か - 働きたくなるIT(11)

人はどういうプロセスで理論を組み立てていくのだろうか。もう少し情報処理的な言い方をすると、ルールや法則をみつけてそれをパターン化するという作業がそれに当てはまると思うが一体どうやっているのだろうか。個人的な情報処理という動きのなかでも、自分なりのプロセスで自分なりの法則を見つける、あるいは自分の考えが正しいかどうか検証している。

このプロセス、すなわち「理論」と「現実社会の実態」との整合性を調べる方法には「演繹法」と「帰納法」の2つがある。(「データはウソをつく」(谷岡一郎著)) 「演繹法」というのは、特定の理論が、現実社会の実態と合致しているかどうか調べることで、「帰納法」とは、現実社会を計測し、データ化したものからそれらを矛盾なく華麗に説明しうる理論を構築することである。

マイクル・シャーマーの定義では、「帰納」とは、現存するデータから、一般的な結論を導き出すことによって、仮説を組み立てること、「演繹」とは、仮説にもとづいて特定の予測をたてることである。

そして、ほとんどの科学者が正しい方法論と考えるのは演繹法である。なぜなら、帰納法だと、データに合わせた理論を探すわけで、そうなると「ないものが見えてしまう」可能性があるということらしい。

ただし、以前のエントリーで「問題解決型」か「仮説検証型」かというのがあったと思うが、概ね「仮説検証型」のプロセスがいいということだが、結局どちらか一方だけではなく両方のバランスではないかと言ったことがある。この場合も同様で、必ずしも演繹法だけが正しいというわけではない。

例えば、実際には、とっかかりとしてはだれでも帰納法的なアプローチから入るのではないでしょうか。いろいろな事象をみてだいたいの理論の組み立てを行なうだろうから、これは帰納法的であるわけだ。

「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)にもここのあたりのことがちょっと書いてあって、DNAのらせん構造を明らかにしたのは、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックであるが、かれらはそれこそ全く「演繹」的に自分たちの仮説を立証していったのだが、実はその陰にロザリンド・フランクリンというX線結晶学者の功績があったことはあまり知られていない。

DNA結晶にX線を照射して、その散乱パターンの写真撮影に成功していたのである。その写真を見てワトソンとクリックの理論ができあがったのである。彼女の研究の進め方こそ、全く「帰納」的なアプローチであった。ただひたすら個々のデータと観察事実だけを積み上げていった。ただ、DNAの構造を明らかにすることだけをめざしたのだ。一方、ワトソンとクリックは、直感やひらめきできっとこうなっているだろうというモデル化を行なってそれに近づこうとした。

おそらく、この両者のアプローチが合体したからこそ偉大な成果が誕生したのだ。何か革新的な業績を上げるには「演繹」的でなくてはならないが、それを後押しする「帰納」的なバックアップがなければ成し得ないと言える。

また、ITからそれてしまったが、情報処理のことでいえば、人間が「仮説検証型演繹的アプローチ」を担い、コンピュータが「問題解決型帰納的アプローチ」でサポートするという形になるのかなあと思ってみるのだが。

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2007年07月17日 11:05に投稿されたエントリーのページです。

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