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2007年7月 アーカイブ

2007年7月 1日

忙しさはドライビングフォース

会社勤めをやめてから、通勤時間もなくなったこともあり、かなり時間の余裕ができた。ところが時間があるからといって仕事が進むわけではない。時間が一杯あると思うとついぼーっとしてしまう。どうも忙しいほど仕事ができるような気がする。いつでもできると思うといつまでもできないという状態になる。

人間の脳の回転は仕事のスピードよりはるかに速いし、しかも脳は疲れないからスタートアップとシャットダウンのロスを考えると次から次へと仕事をした方が効率的だし、いい知恵もわいてくるような気がする。

ところでその忙しさはどうやって作られるのかというとほとんどが外部からの強制力なんですね。なかには、自分でテーマとスケジュールを決めて忙しくする人もいないことはないかもしれませんが、大体の人はいついつまでに報告書を書かなくてはいけないだとか、納期に絶対間に合わせなくてはいけないだとかという圧力を受けて仕事をしている。

みのもんたもそうだが、はたからみるとこのひとこんなに忙しくてだいじょうぶなのだろうかと思うけど、本人はぜんぜん平気で、頼まれた仕事は断らないなんてうそぶいたりできる。それはきっと、脳をいつも活性化された状態に保っていられれば、そう大変なことではないということなのでしょう。

みのもんたに限らず、茂木健一郎や内田樹なんては、もう分刻みで仕事をしているのが、かれらのブログを見ているとわかる。むしろその忙しさを楽しんでいる風情でもある。まさに忙しさがドライビングフォースになっているようだ。

脳は疲れないが目が疲れるからそれで疲れたと感じるそうだ。つい、暇だとテレビをみたり、本をよんだり、ネットサーフィンをしたりしてしまうから、目はしっかりと使っているわけで、目にとっては暇ではないのですね。さて、だれか、「こら、さぼってんじゃねえ」とぼくをしかりつけてくれないかなあ。

2007年7月 2日

第一回BPMオフ会

第0回BPMオフ会というのを5月18日に行なってから、最初の勉強会である「第一回BPMオフ会」が昨日、月島で開かれた。午後から、マイクロソフトのエバンジェリスト松崎さんからマイクロソフトのワークフローエンジンWF(WindowsWorkflowFoundation)の話とスターロジック社長の羽生さんから業務の見える化ツール「マジカ」の実習を交えた紹介をしてもらう。

ワークフローエンジンの中身の話とそのエンジンに乗せる最初の業務分析のところの話でいわば最上流と最下流という感じ。すごいおもしろかった。やはり、前線で活躍しているひとを言っていることは迫力があるし、説得力がある。羽生さんには、懇親会のとき若干話したが、もう少し「マジカ」で仕事を洗い出したあとの整理の仕方を教えてもらいたい。

ぼくとこのBPMオフ会の関係はというと、ぼくはずっとBPM(Business Process Management)に興味をもっていて、いろいろ調べたりしていたが、そのなかでBPMに関するブログを書いている人を捜してみた。そのときひっかかったのが、「わきぶろぐ」、「Go The Distance」、「犬の耳」の三人の方々でした。それで、すぐに前者2二人に実際に会って話をすることにしました。そうしたら、近々にBPMの勉強会みたいなことを立ち上げたいという話だったので、是非やったらどうでしょうよと言っていたら、5月に最初の集まりがあって、今回2回目ですが勉強会という形で始まったわけです。

しかし、日曜日にもかかわらず16人も参加していて感心してしまいます。ぼくと「犬の耳」の澤田さんのようなおじさんから、20代の若い子まで幅広いメンバー構成で、昨日は仙台から参加してくれた方もおりました。

勉強会が終わったあとは。月島なのでもんじゃ焼きで懇親会です。ここでは、酒を呑みながらお互いに言いたいことを言える雰囲気で盛り上がるのです。

普段の会社のしがらみを忘れて利害関係のないコミュニケーションをとることも非常に大切のように思えた一日でした。

2007年7月 3日

データはウソをつく

いま、個人の情報処理について考えていて、一部「働きたくなるIT」にも書いているんだけれど、本当に有用で信頼のあるデータを取得するにはどうしたらいいのかという問題がいつもついて回る。

そこで「データはウソをつく」(谷岡一郎著 ちくまプリマー新書)を読む。著者の谷岡一郎は大阪商大の学長で、専門が犯罪学、ギャンブル社会学、社会調査方法論。この本の副題が、科学的な社会調査の方法とあるように、社会調査方法論に関するお話。方法論については「働きたくなるIT」で論じることにするが、こちらでは、だまされたり、間違ったりする例がいろいろ書いてあるので、それらを中心に書く。あ、そうなんだと気づかせてくれるおもしろい話です。

なぜ、そういうことがおきるかというと、社会科学界の事実というのは、自然科学と違って、「蓋然性(確実性)の世界」で、基本的には灰色であり、その灰色が限りなく白に近いか黒に近いかである。だから、そこには、時間、空間、そして文化の差異による制限がついてくる。このあいまいさを誤用したり、悪用するために間違ったデータ解釈が行なわれるのだ。

そして、マスコミは自分たちの都合のいいように事実をねじ曲げているというわけだ。あの「あるある大事典」の捏造問題である。ところが、著者は、それをいうなら、占い師が未来を予言したりする番組も捏造であり、また、宝くじがあたるジンクスとか、金運の上がる財布など、明白にウソの広告を載せることだって問題にすべきであると主張する。ぼくも全く同感で、極論するとテレビ、新聞などのメディアの情報はみんな捏造である。ああ、スポーツの試合結果だけを除いて。

あと大いに気になるのは、誘導することなんですね。言葉やその他の表現によって予断を与えてしまうやり方である。例えば、「○○法案、50%が賛成」と書くか、「○○法案、50%が反対」とかくかで読者のとらえ方が影響受ける。

また、東洋大学の平松貞実という人の実験で同じ質問でも言葉の順序で答えが変わる事例です。
Q あなたは次のどちらのタイプの先生がよいと思いますか
A:学生の面倒はよくみるが、講義の内容はあまりよくない   20%
B:学生の面倒はあまりみないが、講義の内容は大変よい    77%

Q あなたは次のどちらのタイプの先生がよいと思いますか
A:講義の内容はあまりよくないが、学生の面倒はよくみる   40%
B:講義の内容は大変よいが、学生の面倒はあまりみない    58%
これっておもしろいでしょ。

最後に、因果関係モデルの勘違いの話。よく因果関係について、何かの現象があたかもある事象と大きく関係していると思い込むと、実は単に勘違いしているだけということがありますよね。非常におもしろいエピソードを。

“連合軍の戦闘機スピットファイアが独軍のメッサーシュミットにバタバタと撃ち落され、命からがら帰ってきた機体のダメージをたくさん調べた将軍がいた。そして尾翼のダメージが特にひどいことを発見。本国に「スピットファイアの尾翼を強化するように」と打電したんだそうだ。本国には脳ミソのしわがちょっと多い人がいて、こう返事してきたという。「尾翼をやられた戦闘機は一応帰ってきたのではないのかね。他の場所を打たれた機が帰ってこなかったとすれば、強化するのは別の所ではないのかね」“
これまた、われわれでも時々犯す誤謬の例ですよね。

で、結局こうしたゴミだらけの情報を使いこなすのに必要な能力は、教養、サーチ・リテラシー(ツッコミを入れる能力、ウソを見抜く力)、セレンディピティ(必要なデータや情報、有用なデータや情報を短時間で見極めること、そして不要なもの(ゴミ)は切り捨てる能力)の3つなんだそうです。
なかなか参考になった“ゴミにならない”おもしろい本でした。


データはウソをつく―科学的な社会調査の方法
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    • 5 新聞やテレビに踊らされないように
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2007年7月 4日

画面が変わる - 働きたくなるIT(9)

情報を処理するためのインターフェースは画面と帳票になる。またこれらは、データモデルとプロセスモデルをつなぐ役割でもある。

このエントリーでは、主に画面について考えてみることにする。いま、繰り返して言っているように、企業情報システムも大きく変わろうとしている。本当に事業の役に立つシステムにどうしたらいいのか模索している。従って、システム全体あるいはコンセプトも変化していくのなら、コンピュータの使い方、画面の利用の仕方も以前の使い方と違ってくるはずなのだ。

ところが、いまのビジネスシステムの画面は昔のメインフレーム端末画面とそう大きくは変わっていないように思える。必然的に20年も前のオペレーションと大差ないのではないでしょうか。家庭ではブラウザを使ってインターネットと自在に会話しているのに会社の仕事ではそこまでやっていないというのが実状でしょう。いやー、ネットの使い方とビジネスは違うよとおっしゃる人もいるかもしれませんが、そうなのでしょうか。

情報処理には「時制」がある。未来の行動に向かって準備する、現在の仕事を処理する、終わった仕事を記録する、という3種類のパターンが考えられる。従来のコンピュータシステムは、そのうち“終わった仕事を記録する”ということに重きを置いた設計になっている。すなわち、生産実績、出荷実績、売上高などを登録するという機能である。今の話は、基幹業務システムのところのことで、ここでは、グループウエアの中にあるスケジュール管理だとかメールだとかは別の話にします。

一方、インターネットを使うのは、どちらかというと“未来の行動に向かって準備する”要素が大きく、何かをするためにネットから情報を得ているということが主な使い方になる。

ところが、現在形であるところの“現在の仕事を処理する”ということに対して、コンピュータが有効に使われているかどうかは、どうもあやしいような気がする。

ちなみに、ネットではどんどん現在形や過去形が入り込んできている。ネット購買やブログに日記を記録しておくなどである。

従って、これからのビジネスシステムは、コンピュータをうまく活用して“現在の仕事を処理する”ことを考えていくことが重要になると考えている。

そうした見方をしたとき、いまの様々な業務システムの画面は、使いやすいものになっているのだろうか。画面の種類をみてみると、だいたい、登録、参照(問合せ)、出力、閲覧(チェック)といったものが主体になっている。すなわち、金額、数量を登録するために過去のデータやマスタを参照して、そして入力したデータの出力とチェックを行なうといったアクションのために画面が構成されているような気がする。

もちろん、なかには手配や指示を行なったりするものもあることはあるが、そうした手配や指示は実際には帳票をFAXしたり、電話、メールで依頼するといったやり方も多いのではないでしょうか。

結局、従来の画面は業務プロセスと画面の一体感がないのだ。いま、BPMが注目されて、ビジネスプロセスをちゃんと設計しましょうよということになっても、プロセスをただ作ればいいわけではなく、そのプロセスをスムーズに回して、制御していかなくてはいけない。そうでないと、せっかくいいプロセスを作ってもどこかで停滞が起きたり、迂回プロセスを作ったりして、業務改善にも何にもならないことになる。

そのためには、画面を使って、そこから明確な指示を出して、その結果をその画面に返してもらうというアクションが必要になってくると思う。“情報がアクションを誘導する”というイメージだ。

ですから、賢明な読者の方はお分かりだと思いますが、「ビジネスコンポーネント指向開発」のフロントエンドツールであるCMS(Contents Management System)が、その役割を担うのに適した画面を提供してくれるというわけです。

2007年7月 5日

帳票は要らない - 働きたくなるIT(10)

前回は、画面のことについて論じたが、今回は帳票について考えてみる。帳票の枚数って数えたことがありますか? おそらくすごい数になるのではないでしょうか。数もさることながら、その様式についても数多くの種類があり、しかも細かい。表の枠の角はまるみをおびていなくてはいけないとか、どうしてそんなことにまでこだわるのかと思えるケースが頻繁に出てくる。

だいぶ前の話だが、SAPが日本に導入が始まったころ、ある先進企業に行って事例を聞いたことがあったが、そこはアドオンの嵐で機能の7割がアドオンだったという、それならパッケージを入れなければよかったのに、と思える話で驚いたことがある。ところが、さらにびっくりしたのは、その7割のアドオンのその7割が帳票だったという笑うに笑えない話を思い出した。

ことほどさように、日本の企業は帳票が大好きで、帳票だけで仕事をしているのかと思うこともある。もちろん、法定帳票はしかたがないが、そのほかの帳票って本当に必要なのだろうか。

いったいどんな帳票を出しているのだろうか、「○○一覧表」「○○履歴」などなど、その帳票を見ながら、入力や指図、手配を行なうためのもののようだが、意外と気づかないが多いものにチェックリストがある。入力したデータ、計算されたデータが正しく反映されているかどうかチェックするのである。これらは、画面やファイルの閲覧で済ませられるはずだ。画面にしても、こうした閲覧に対しては、検索機能やプルダウンなどで相当改善されているはずで、しかもマルチウインドウズなのだから画面上に並べてみればいい。

確かに、紙の一覧性というのは捨てがたい利点ではあるが、帳票というのは、単に紙に出力するだけにとどまらないのだ。出力された帳票を綴じたり、糊付けしたり、そして最後はファイリングするというわけで、その手間や保管スペースはばかにならない。だから、ペーパレスはかなりのコストダウンにつながることなのである。

さらに、紙を回して仕事をすることはやめたほうがいい。捺印の問題があってそうすぐにはできないかもしれないが、それこそ、事業所や営業所をまたがって帳票を回すと郵送費をかけていているわけで、そうではなくて、紙(ファイル)は共通フォルダーにあって、情報がネット上を駆けめぐるというのが、これからの仕事のやりかたの主流でしょう。

一旦しみついたクセ(仕事のやりかた)は変えたくないのが人情だが、これからは絶対ペーパレスを指向すべきだ。

余談だが、だからと言って会社から紙がなくなる、あるいは大幅に減るとは思っていない。おそらく、画面を印刷して机の上に載せて仕事するひとも多いのではないでしょうか。まあ、それはそれで、かまわないと思う。持ち運ぶ必要もないし、ファイリングする必要もないのだから。

2007年7月 6日

屋上ビアガーデン

昨日は、「呑み歩き隊」の久しぶりの例会で、場所がなんと大丸の屋上にあるビアガーデン。そういえば、近頃はビアガーデンというところに行っていなかったことに気づく。ビアホールや地上のビアガーデンには行ったが、屋上ビアガーデンとなると、いつ以来だろうか。四日市にいた頃は、夏になると決まって近鉄かジャスコの屋上ビアガーデンに繰り出したものだ。

そんなわけで、久しぶりの屋上ビアガーデンを堪能した。呑み放題、食べ放題で3500円は、お得感一杯の料金設定。ちなみに、女性は3000円なんだけど、女性だけのグループもけっこういたけど彼女らの呑みっぷりと食いっぷりを見ていると、おいおいちょっと不公平じゃないかと思ってしまう。

昨日は、梅雨のなかの貴重な晴れ間だったのでほぼ満員という盛況ぶり。外で呑む酒は気持ちがいい。
ただ、屋上ビアガーデンというと一番高いところがいいのだけど、大丸屋上も昔は高かったのだろうが、いまや周りに高層ビルが立ち並び、そのビルを見上げながら呑むのはちとやるせなかったのであります。

2007年7月 7日

U-20代表のサッカー

U-20ワールドカップで日本代表チームが快進撃だ。第2戦でコスタリカに1-0で勝った。快勝とまではいかないが、悪くない勝ちだ。

何回も危ない場面があったが、落ち着いてさばいていた。これまでの日本チームは、こんな試合ではすぐに浮き足立ってしまい、ぼろぼろになってしまうことがよくあった。しかし、このチームは、今のところ冷静さを失うことなく、また最後まで集中力を保ってやっている。

それを可能にしているのは、確かな技術力、スピードなのだが、これは普段Jリーグでもまれていることが大きいと思う。先発のかなり選手がレギュラークラスであることから、高いレベルの経験が生きているように思える。

もうひとつ言えるのは戦術理解度だ。ぼくは、このチームはオシム戦術をフル代表以上に忠実に実行しているのではないかと思う。すなわち、全員がよく走り、フォワードの守備の意識も高いし、両サイドバックからの攻撃も高い位置を保っている。

そして、何といってもファンタスティックなサッカーをやる。これまで戦った、スコットランドにしてもコスタリカにしても、攻撃はワンパターンで単純だ。力づくの攻めがほとんどだ。その点、わが日本チームは局面を一気に打開する創造性豊かなプレーができるので、見ていてもおもしろい。おそらく、カナダの観客も驚いているんじゃないかなあ。

ということで、これからがますます楽しみになってきた。

2007年7月 8日

草取りはエコではない?

昨日、梅雨の晴れ間を利用して、ばあちゃんちの庭の草取りというか、草刈を行なった。毎年、5月から9月くらいまでのあいだに3回から4回草を刈らないとぼうぼうになってしまう。自分の家の庭や家の前の道路の草刈もするので毎年かなりの重労働を強いられる。

家の前の道路との間は、市の土地なので、市の環境課がやることになっているが、年に1回なので刈ったあとの1ヶ月くらいしかもたない。しかも、規則なんだそうだが、道路の端から1mしか刈らないことになっているので、だまっていると家の塀のまえは草ぼうぼうのまま放って置かれる。

まあお役所仕事といえばそうかもしれませんが、家があったらその間は少々距離があってもやってくれてもよさそうだ。でも、実際に作業をするのは委託された業者だから、それはそれ、お願いだから家の前まで刈ってよと、その場で交渉すれば何とかなる。今年は、まだ来ていないので刈ってしまおうかと思うが、あとすぐに来そうな気がして放ってある。

で、昨日はばあちゃんちの庭だけにした。刈り方はいろいろ試したが、結局枝きり鋏でジョキジョキやることにしている。芝刈り機みたいなやつだとか、電動草刈り機、それも円盤みたいなのから、ナイロン糸のやつとか、バリカンだとか鎌だったりとほんと毎年変えてやたりした。また、除草剤をまいたりもしたが、あの除草剤と言うのはなんとなく気持ち悪いので1回でやめた。要するに、単純なのが一番いいのだ。

ところで、草刈してきれいになると気持ちいいことは確かなんだけど、何もしないでいたらどうなんだろうと考えてしまった。せっかく一生懸命生えてきたのにバサッと切ってしまうとかわいそうな気がしないでもない。
それに、うちは山の中なので刈り取った草は山に捨てて肥料にしているからいいかもしれないが、普通の家だとごみとして出さなくてはいけない。

そんなことを考えると草取りはエコではないなと思ってしまう。たしか、茂木健一郎も同じようなことを言っていて、雑草はそのままにしておけばいいじゃないかみたいなことだったと思う。ぬぬ、ある意味の自然破壊?なのか。

2007年7月 9日

七夕になると思い出すこと

おとといは七夕である。以前このブログでも書いたが、「ぼくが医者をやめた理由」などで有名な作家永井明は、3年前の七夕の日に肝臓ガンにより56歳という若さで逝ってしまった。

先週、永井先生とときどき顔をあわせた銀座のMに立ち寄ったときに、隣り合わせになった生前の先生に囲碁を教えていたという女流棋士のMさんと、ママと一緒に先生がなくなってからもう3年経つんだねえと偲びながら呑んだのです。

そのとき、死ぬ何ヶ月か前の話になった。先生は、医者だった、あるいは医者をやめた故にか、もちろん自分の病気も知り、余命も分かっていたと思うが、延命治療をせずに自然に自らの命の火を消した。

だから、病気になってからも普通にMに通っていたし、普段どおりの話ぶりであった。ところが、永井先生はその頃asahi.comで「メディカル漂流記」というエッセイを毎週書いておられたのですが、そのエッセイの内容が死ぬ一ヶ月前から急に変化したのです。

それまでは、飄々とした内容で、船医として船に乗ったことや、酒や食べ物、映画や寄席、沖縄のスキューバダイビングのはなしなどが淡々と語られていた。ところが、「遁走序曲」というタイトルで書いたときに、ぼくはあれっと思った。あきらかに、いままでのトーンと違っていたのだ。そこには、こんなことが書いてあった。

まあ、この国のあまりに粗末、無残なありさまにうんざりした。欲望を剥き出しにした「正義」、排除という名の「信念」がまかりとおる人間世界にはほとほと愛想が尽きたということだ。 現実逃避云々というご批判も、「はいはい。おっしゃるとおり」。もう聞き飽きた。逃げられるだけ逃げてやるぞという気分なのである。

こう書いたのが、死ぬ1ヶ月前なのである。おそらくこの時点で死を覚悟したのではないかとぼくには思えてくる。

そのあと、「みえこ姐さんのパラソル」と「ヒロシさんの絵筆」という2本のエッセイが最後になった。これまで、自分の昔の楽しかったことや嬉しかったことをあまり書いてこなかったが、最後になってやっと自分の子どものときの風景を書いたのだ。(ちなみに彼の出身地は広島県三原市である)

これが、誠に素晴らしい文章なのだ。もし、読みたい方があったら「ただ、ふらふらと」(中央公論新社)に載っていますので是非手にとってください。

ですから、ぼくが一番残念に思うのは、この三原の風景や軍医であったお父さんのことや、そうした自分のことを私小説の形で残してほしかったことである。


ただ、ふらふらと―酔いどれドクター最後の日誌
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2007年7月10日

自立できないユリ

家の庭にユリが咲いたのだが、倒れたままなのだ。
別に踏んづけたわけでもないのに、ずっと寝転がったままで花が咲いたらなおさら起き上がれない。
どっかの国の若者になぞらえるつもりはないが、なぜか「しっかりしろよ」と言いたくなる。

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2007年7月11日

BPライフサイクル(1)

ビジネスプロセスライフサイクルとは

企業の経営あるいは事業は、会社が保有するリソース(ヒト・モノ・カネ・情報)とビジネスプロセスから成り立っている。ここではビジネスプロセスはリソースデータを使って構成されるので、データを包含したプロセスというふうに括って、ビジネスプロセスをもって企業システムと呼ぶことにする。従って、自社のビジネスプロセスをどんな構造にし、どんな機能をもたせるかは、効率的な経営や競争優位戦略などにとって非常に重要なことになる。

このビジネスプロセスを開発することについては、「ビジネスコンポーネント指向開発」で詳しく論じたが、このビジネスプロセスは作ったらそれでおしまいというわけではなく、開発したビジネスプロセスをどうコントロールするのか、継続的に保守・運用をしていくのか、そして、不断の改善をやっていけるのかというビジネスプロセスのライフサイクル全体を運用してこそ、経営に貢献できるビジネスプロセスとなる。

従って、それぞれのフェーズにおける体系や方法論を整備し、それに従って開発(Development)・制御(Control)・維持(Maintenance)・改善(Improvement)を行なっていくDCMIオペレーションシステムのことをBPライフサイクル(BPLO)と呼ぶことにする。ここで、マネージメントシステムとは言わず、オペレーションシステムとしたのは、こうしたものは、管理的というより実際に実行してこそ意味があるわけで、そうした思いをこめているからである。

そして、このDCMIについて、それぞれに基本コンセプトがあって、その考え方に従って方法論なりシステムができあがっている。

Dの開発については、今までさんざん述べているように、Business Component Oriented Development(BCOD)ということになる。Cの制御は、Information Driven Control(IDC 情報駆動制御)、Mの維持は、Sustainable System Maintenance(SSM 持続可能保守管理)、Iの改善が、Continuous Process Improvement(CPI 継続的改善運動)である。

これから、このライフサイクルに従って、どのような考え方や方法でやっていったらいいのかについて議論を進めていきたいと思います。

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2007年7月12日

生物的であるということ

ずいぶんと昔のことになるが、ぼくの若い頃、あるプロジェクトが終わったのでそのことについて社内報に記事を書いてくれと頼まれたことがあった。そのプロジェクトは、プラント制御システムの導入に関わるものであったが、その文章に「これからシステムはより生物的なものに進化していく」というようなことを書いた。

ところが、その時の上司にチェックしてもらったら、この“生物的な”というのがよくわからんと言われて泣く泣く削除したことがあった。そのときに使った生物的という意味は、それほど深く考えていたわけではなく、ただ生物の柔軟性に富んだ反応、全体が調和的に動くさまなどが、決まりきった動きしかできないコンピュータシステムの行く先のめざすところではないかと思ったのだ。そして、今もコンピュータシステムに関係する立場から、頭の片隅に当時の“生物的”なシステムという考えがちらっと顔を出したりしていた。

そんな思いがあったので、「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著、講談社現代新書)を見つけるとすぐに買ってきて読んだ。これはとてもとてもおもしろい本だ。この手の科学に関する読みものは、どうしても学術的の説明文章となり、読んでいて途中で疲れて放り投げるというのがお決まりのコースなのだが、この本は最後まで一気に読んだ。

なぜおもしろいかというと、内容もさることながらこの著者である福岡伸一の文章力がすばらしいのだ。だから、難しいこともすんなりと理解をしながら読み進むことができるのだ。ちょっと前に「フェルマーの最終定理」を読んだが、それも著者のサイモン・シンもその文章力には感心させられたが、この「生物と無生物のあいだ」も同じように、数学の代わりの分子生物学をそれに関わる何人かを登場させることで歴史的なストーリーを交えて、われわれに教えてくれる。まさに、帯に書いてある“読み始めたらとまらない 極上の科学ミステリー 生命とは何か?」ということになる。

内容は、生命とは何か?という問いから始まって、人間の分子生物学的な構造や仕組みを解き明かされていく過程を描いている。生命と言うのは、「自己複製を行なうシステム」という定義なのだそうだ。DNAの二重ラセン構造をワトソンとクリックが提示してから、生命の謎へどんどん迫っていったのである。

いちいち内容を追っかけていくわけにはいかなので、いちばん感動したことを書く。それは「秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない」ということである。これは、シェ-ンハイマーの発見した生命の動的な状態という概念について述べたものである。このことについて本文から少し引用する。

私たちは、自分の表層、すなわち皮膚や爪や毛髪が絶えず新生しつつ古いものと置き換わっていることを実感できる。しかし、置き換わっているのは何も表層だけではないのである。身体のあらゆる部位、それは臓器や組織だけではなく、一見、固定的な構造に見える骨や歯ですらもその内部では絶え間のない分解と合成が繰り返されている。 入れ替わっているのはタンパク質だけではない。貯蔵物と考えられていた体脂肪でさえもダイナミックな「流れ」の中にあった。 それまでは、脂肪組織は余分のエネルギーを貯蔵する倉庫であると見なされていた。大量の仕入れがあったときはそこに蓄え、不足すれば搬出する、と。同位体実験の結果は全く違っていた。貯蔵庫の外で、需要と供給のバランスがとれているときでも、内部の在庫品は運び出され、一方で新しい品物を運び入れる。脂肪組織は驚くべき速さで、その中身を入れ替えながら、見かけ上、ためている風をよそおっているのだ。全ての原子は生命体の中を流れ、通り抜けているのである。中略 私たちの生命体は、たまたまそこに密度が高まっている分子のゆるい「淀み」でしかない。しかも、それは高速で入れ替わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を外部から与えないと、出ていく分子との収支が合わなくなる。

なるほど、“生命とは動的平衡の流れである”ということなのですね。このくだりは、会社にもあてはまりそうでおもしろかった。会社も法人というくらいだから人間と同じように生きているわけで、そうなると絶えず新しい息吹を吹き込みながら、停滞することなく組織の入れ替えが必要なのかもしれませんね。最初のシステムの話にしても、この動的な平衡を維持するための仕組みとしてあらねばならないと考えると、従来と少し視点を変えて見ることも大事であるような気がしたのである。

それにしても、最近はこうした分子生物学や脳科学がすごい勢いで進んできて、様々なことが解明されてきている。なんだかおそろしくなってくるが、どうしても分からないところがあるはずと思っているが、それは何なのだろうかと考え込んでしまう。

他にもおもしろい話が一杯詰まっていますが、興味のあるひとはぜひ購読してください。


生物と無生物のあいだ
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    • 5 無類に面白く、美しいミステリを思わせる読み心地
    • 5 このての本は、、、
    • 5 生命の生命たる所以
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2007年7月13日

BPライフサイクル(2)

プロセスということ

制御については、Information Driven Control(IDC 情報駆動制御)という概念を提示したが、この話にいく前にプロセスということについて考えてみる。

プロセスというと業務プロセスだけではなく、製造工程をさすこともあったり、それこそシステム開発の過程もプロセスである。筆者は若い頃石油化学プラントのプロセスエンジニアをやっていたので、プロセスというと化学製品の生産プロセスを思い浮かべる。この生産プロセスのライフサイクルを考えてみて、業務プロセスと対比してみる。

まず、開発だが生産プロセスの場合は最初はそれこそ試験管からは始まって、パイロットプラントを経てスケールアップされて、完成プロセスとなる。ここでは、もちろん反応方式が違うとかいったことも大きいが、このスケールアップというのが重要なファクターになる。業務プロセスの場合はいきなりどんと全社システムの導入のようなやり方になる。

システム開発ではこのスケールアップというステップがとれないし、これは生産プロセスも同じだが、一部を動かして順次全体に拡げていくというのも、無理すればできないこともないが難しい。ここが、システム開発のやっかいなところで、そのため導入時にはいくつかの弊害がでてくる。

例えば、業務間あるいはシステム間の全体整合をとるためにすごい苦労をしたり、プロジェクトの最後にはやみくもにコーディングして後で泣くとか、長いテスト期間をとるとか、そういった一発勝負的な開発が多いような気がする。ただし、これは今までの話であって、これからはこの問題についても解決手段として、BPM on SOA
が有効になる可能性があると思っている。

ここで忘れてはいけないのが、全社リソースデータが一元管理できていることが重要な前提となることである。スケールアップや順次稼動の場合、個別にデータベースを作っていたのでは、整合性のとれない“サイロ”システムを生み出すだけになるおそれがあるからである。

さて、生産工場などにおけるプロセスはどのように可視化されているかというと、実物の機器や配管などが目で見えるというのも大きな違いであるが、関係者がコミュニケーションできる共通の図面の存在も違いのひとつではないだろうか。

プラントでは、オペレーター、スタッフ、保全担当、安全担当などの人々は、何かあると必ずP&ID(Piping & Instrument Diagram)というものを見ながら話をする。文字どおり、プロセス流体の流れ、遷移状態、プロセス変数などがすぐに分かるようになっている。それと、配管図や機器図などを参照していけば、プロセスは可視化できるのである。

翻って、業務プロセスはどうか。このP&IDに当たるものがない。配管図や機器図に当たるものは、ネットワーク図やハードウエア構成図などがあるが、プロセスの動的な部分も含めて、流れの状態がわかるような図面がないように思える。業務フロー図、業務マニュアルがあるじゃないかといわれるかもしれませんが、それで制御できるのだろうか。

ここで強く言いたいのは、同じプロセスという概念で扱うのであれば、ただ開発したらあとはエンドユーザのひとにおまかせと言うのではなく、その後の制御、維持、改善を考えたライフサイクルを意識することが大事だということである。

特に、生産プロセスの場合は、制御というところにすごく重きを置いているわけで、そのためには、プロセスの設計には現場のオペレーションする人たちのかかわり方が強くある。自分たちがオペレーションしなくてはいけないプロセスは自分たちで考えようじゃないかという当たり前の話なのだ。

従って、業務プロセスの設計・開発にもあとで実際にそのプロセスを使ってオペレーションする人の参画を濃いものにしていかなくてはならない。これは、開発側の問題でもあり、ユーザ側の問題でもある。もちろん、ユーザ参画はいまでもやられているプロジェクトもあるが、もう少しその気になった参画と、あとの“制御”という考え方を取り入れた設計を行なう必要があると思う。

制御だけではなく、維持、改善というプロセスについても、生産プロセスの場合はかなりシビアに管理している。従って、業務プロセスの場合もこうしたことを含めたライフサイクルが非常に重要なことになる。

2007年7月14日

あらためて攻撃は最大の防御なり

アジアカップの予選リーグでUAEに3-1で快勝した。第一戦でカタールに引き分けたときはヤバイと思ったが、この勝利でほっとした。次のベトナム戦で勝ってすんなりと予選突破したいものだ。きのうの試合では、前半3点を入れたが、タイトルのかかった真剣勝負の国際試合でそこそこの相手に対して、こんな点の取り方は久しぶりなんじゃないかな。

まあ、何と言っても高原がほんと成長した。シュートが枠に行くのだ。身体的にも競り合いに強くなっているが、このシュート力がワールドクラスになってきた。それと、俊輔、堅剛、遠藤の3人のミッドフィルダーの役割がはっきりしてきたというか、特徴が生きるようになってきたと思う。俊輔はキラーパス狙い、堅剛はボール回しの起点、遠藤はバランサーの役回りだろう。

ところが、手放しでほめるわけにはいかないのが、後半に許した得点だ。せっかく3点もリードしているのに横綱相撲がとれないのかと言いたくなるが、実はここがスポーツの難しいところで、ずっと自分のペースで試合ができないのだ。海の波と一緒で寄せると思ったら引く、その逆もあって、結局全体として満ちているのか引き潮になっているのかで勝負がつく。

この、引いているときすなわち相手が押してきたときの対処のしかたが問題で、日本のチームはこんな時どうしても守りに入ろうとする。U-20W杯のチェコ戦もそうだが、勝っているときに守りに入ることで相手を勢いづかせることになる。それを避けるには、結局、攻め続けることしか手はないのだ。これはもう、精神力と経験がモノをいう。どの年代の日本代表ももう少しだ。

2007年7月15日

ヤクザのビジネスモデル

いつぞやWeb2.0のビジネスはヤクザみたいなビジネスだというコメントをいただいたことがあって、じゃヤクザのビジネスってなんなのだろうとずっと気になっていた。それで、先週東京に出たとき八重洲のブックセンターに立ち寄ったとき、ふと目にして思わず買ってしまった「ヤクザに学ぶ サバイバル戦略」(山平重樹著 幻冬舎アウトロー文庫)を読む。

そこには、ヤクザの強い組織、人間力、錬金術、生き様が描かれている。結論的に言えば、ヤクザの世界もビジネスの世界もあまり変わらない。結局、強いリーダシップをもったトップが堅い組織をつくり、知恵とアイディアで戦略を練り、不屈の精神で実行するという話なのだが、そうはいってもやはりヤクザはヤクザなりの特徴みたいなものがある。

まずは、「抗争をやって勝てば勝つほどカネが湧いてくる」ということだろう。ふつう、抗争なんかやると逆にカネがかかってしょうがないんじゃないかと思うが、そうではないのだ。どういうことかというと、ヤクザは何で稼いでいるのかだが、つい密売や売春、用心棒だとか、はたまた強請たかり、恐喝が思いつくが、実はヤクザのシノギの大半はカタギが持ってきてくれる仕事で成り立っているのだそうだ。

商店主から大企業のえらいひとまで、あまり表沙汰にしたくない問題を何とかしてくれと依頼されるわけだ。トラブルコンサルタント業である。だから、そういった仕事を依頼するほうにとっては、確実に早く解決してくれる力のある組織に頼むのが一番いいのだ。そこで、抗争で勝って力の強さを見せつければお客さんも増えるというわけだ。

また、ヤクザがバブル期の地上げに代表されるように拝金主義になってきているそうで、本来ヤクザはカネを稼ぐことが目的ではないはずなのだが、これがヤクザの仕事かと思えるようなことまで手を出している。

これはそなんに悪い例ではない、むしろうまくビジネスにしたということかもしれませんが、駅で読み終わった週刊誌やマンガを売っている光景をみることがあると思いますが、これはヤクザのビジネスなんです。テキヤというのもヤクザですが、そのテキヤの組長が思いついたそうだ。ホームレスを動員し、マンガや週刊誌を回収し、それを1冊10円とか20円で買取り、それを一律100円で売るのだが、テキヤだから露天販売はお手のものである。当然当局から苦情があったがそのときテキヤが言った言葉がおもしろい。「仕事がないというホームレスの人たちの自立ために、オレたちは及ばずながら力になろうとしているんだ」と言ったそうだ。

この話は、けっこうヤクザの世界を象徴している面もあるような気がする。すなわち、社会の底辺でうごめいているある意味の弱者を救う役割、通常の組織でははじきとばされてしまう若者を受け入れてあげる場であるのかもしれない。だから、本来のヤクザ(こういうのもちょっと変だが)はけっしてカタギに迷惑がかからないなかで、負の部分を担う裏の世界を形成していたわけで、それはそれでぼくは評価している。

最初の疑問であったヤクザのビジネスモデルとはという問いに直接答えてくれてはいないが、ITヤクザというより、ネットテキヤというのがありそうだ。それと、どうも“ヤクザはNPOである”ように思えてきた。

最後に、ビジネスモデルではなく、経営方針というか、五代目山口組・渡辺芳則組長がつくったという標語を紹介する。「団結 報復 沈黙」の3語だそうだ。


ヤクザに学ぶサバイバル戦略
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2007年7月16日

SOHO三種の神器

最近、テレビのコマーシャルで蒼井優ちゃんが赤い服を着て、「パソコン、パソコン毎日パソコン、渇いた、渇いた心が渇いた、赤い、赤い命は赤い♪♪」と唄っている。

キリンの「I-Tea」だ。パソコンをよく使う人のための健康茶だそうだ。コマーシャル見てすぐに買いに行ったがまだ店頭に出ていなくて最近やっと手に入れた。本当に効くかどうか分からないけど、気持ちがなんだかいいことしてるって感じでいいじゃないですか。

これで、眼精疲労、肩こりに効くビタミン剤とOA用の目薬とあわせて、SOHOの三種の神器が揃った。まあ、これらにあまりお世話にならないように根を詰めてやらなきゃいいのだが、どうしてもパソコンの前にいる時間が長く、「赤い、赤いお眼目が赤い」となってしまうので、せっせと飲んで、注しているのであります。


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2007年7月17日

帰納法か演繹法か - 働きたくなるIT(11)

人はどういうプロセスで理論を組み立てていくのだろうか。もう少し情報処理的な言い方をすると、ルールや法則をみつけてそれをパターン化するという作業がそれに当てはまると思うが一体どうやっているのだろうか。個人的な情報処理という動きのなかでも、自分なりのプロセスで自分なりの法則を見つける、あるいは自分の考えが正しいかどうか検証している。

このプロセス、すなわち「理論」と「現実社会の実態」との整合性を調べる方法には「演繹法」と「帰納法」の2つがある。(「データはウソをつく」(谷岡一郎著)) 「演繹法」というのは、特定の理論が、現実社会の実態と合致しているかどうか調べることで、「帰納法」とは、現実社会を計測し、データ化したものからそれらを矛盾なく華麗に説明しうる理論を構築することである。

マイクル・シャーマーの定義では、「帰納」とは、現存するデータから、一般的な結論を導き出すことによって、仮説を組み立てること、「演繹」とは、仮説にもとづいて特定の予測をたてることである。

そして、ほとんどの科学者が正しい方法論と考えるのは演繹法である。なぜなら、帰納法だと、データに合わせた理論を探すわけで、そうなると「ないものが見えてしまう」可能性があるということらしい。

ただし、以前のエントリーで「問題解決型」か「仮説検証型」かというのがあったと思うが、概ね「仮説検証型」のプロセスがいいということだが、結局どちらか一方だけではなく両方のバランスではないかと言ったことがある。この場合も同様で、必ずしも演繹法だけが正しいというわけではない。

例えば、実際には、とっかかりとしてはだれでも帰納法的なアプローチから入るのではないでしょうか。いろいろな事象をみてだいたいの理論の組み立てを行なうだろうから、これは帰納法的であるわけだ。

「生物と無生物のあいだ」(福岡伸一著)にもここのあたりのことがちょっと書いてあって、DNAのらせん構造を明らかにしたのは、ジェームス・ワトソンとフランシス・クリックであるが、かれらはそれこそ全く「演繹」的に自分たちの仮説を立証していったのだが、実はその陰にロザリンド・フランクリンというX線結晶学者の功績があったことはあまり知られていない。

DNA結晶にX線を照射して、その散乱パターンの写真撮影に成功していたのである。その写真を見てワトソンとクリックの理論ができあがったのである。彼女の研究の進め方こそ、全く「帰納」的なアプローチであった。ただひたすら個々のデータと観察事実だけを積み上げていった。ただ、DNAの構造を明らかにすることだけをめざしたのだ。一方、ワトソンとクリックは、直感やひらめきできっとこうなっているだろうというモデル化を行なってそれに近づこうとした。

おそらく、この両者のアプローチが合体したからこそ偉大な成果が誕生したのだ。何か革新的な業績を上げるには「演繹」的でなくてはならないが、それを後押しする「帰納」的なバックアップがなければ成し得ないと言える。

また、ITからそれてしまったが、情報処理のことでいえば、人間が「仮説検証型演繹的アプローチ」を担い、コンピュータが「問題解決型帰納的アプローチ」でサポートするという形になるのかなあと思ってみるのだが。

2007年7月18日

リアルタイガーマスク

リアルタイガーマスクを知っていますか?
16日のHERO'Sでアレッシャンドリ・フランカ・ノゲイラと戦った勝村周一郎のことです。残念ながらKO負けでした。まあ、ぜんぜん歯が立たなかったといったほうがいいかもしれません。ノゲイラは所英男に負け、勝村周一郎は昨年その所を失神させているので、そういうマッチメークがされたかどうか分かりませんが、実際はノゲイラが一番強いのです。

何せ、修斗の王座を5年間守り続けたのだから半端じゃありません。勝村はその修斗でノゲイラの一階級下でチャンピオンでもなんでもないのだから実力差は分かると思います。おそらくテレビ局が仕掛けたのだと思う。昨年の大晦日のK-1ダイナマイトにも出場し、このときも相手がプロレスの永田裕志だったが、同じく1ラウンドであっさりKOだった。

ただ、その試合の前に鎌倉の養護施設の職員として、施設内で子どもたちと一緒に生活をし、子どもたちに格闘技を教えている姿が映し出された。これが、プロレスマンガのタイガーマスクと似ていることから、リアルタイガーマスクと名のっている。今回も同じような映像が出て、要するにテレビ的にはこういったストーリー性がほしいのだろう。

だからといって、勝村自身がそんなことを気にしないでチャンスと思って戦えばいいのだ。そういう意味では、負けはしたが、両試合とも果敢に攻めていたし好感がもてる試合運びだったのでよかった。

なぜ彼に肩入れするのかというと、実は、勝村周一郎のお母さんがぼくの高校のときの同級生なのだ。もう4,5年前に同窓会があって、そのときうちの息子は格闘技の選手だという話を聞いてから、注目していたのだが、まだその当時はマイナーで修斗の試合に出ているなあくらいにしか見てなかったのが、昨年末の大晦日に登場したときはびっくりした。

彼のお母さんは、高校時代は才色兼備でスポーツ万能の皆の憧れの子だった。でも子どもが格闘家になるように思えなかったが、親の運動神経は良かったので一流の選手になったのだろう。

これからも応援を続けていこうと思うが、今度はもう少し勝てそうな相手と試合してほしいなと思うが難しいのかな。

でも、あのHERO'Sというのは、血は流すは、失神するはで見ていて痛々しい。だから親として息子の試合を見ているのか、見ていないのか、見ていたらどんな気持ちなのか気になる。今度会うことになっているのでそこのところを直接聞いてみよっと。

2007年7月19日

BPライフサイクル(3)

プロセスの制御

化学プラントのようなプロセスやその他の生産プロセスでは、プロセスを制御して生産性をあげるだとか、安全・安定な製品を作るということが重要だという話をした。ところが、ホワイトカラーの事務処理のような業務プロセスでは、プロセスを制御するという考え方が薄いような気がする。これまで、この領域ではコンピュータシステムを作ることに汲々としていて、しかもできたらそれで終わりみたいなところがあって、画面のレスポンスやバッチの処理時間のようなことには敏感だが、これはシステムの制御であって業務プロセスの制御ではない。

BPMはプロセス制御という考え方を取り入れてきているが、制御とはなにかという定義の問題も含めてまだバラバラのような気がする。プロセスのある部分での停滞を監視して、停滞箇所での処理を促すのか、系のパフォーマンスを算出するだけなのかというように、何をモニタリングして、その結果をどのように生かすのかが定まっていない。

それはBAM(Business Activity Monitoring)でしょという声が聞こえてきそうだが、BAMというのは、リアルタイムでモニタリングして何か異常事象が発生したらワーニングしたり、対応アクションにつなげたりすることなのだが、ただこれだと制御というイメージではなく、プラントで言えば安全装置を働かせたり、バイパスしたりといったことに相当する。だから、制御というのはプロセスが安定して動くようにどうするかということとその異常時対応の両方で成り立つ。

さて、制御には2段階あって、まず系を安定させる制御と異常時の対応ということなのだが、BAMの機能で言われていることを本当に有効に活用できる企業ってどれだけあるのだろうか。BAMの目的は、重要なビジネス目標をモニターし、オペレーション上のリスクを予知し、事後事象からアクション開始までのタイムラグを低減することなのだが、オペレーショナルレベルとビジネス目標が必ずしも密接につながっていることは少ないことや、異常事象とプロセス変数の相関も難しいし、そこから因果関係を見つけて操作変数を動かすのはもっと難しいことから、うまく(自動的に)使われるとは考えにくいのは筆者だけだろうか。少なくとも、相当成熟度レベルの高い企業にしか適用は難しいと思う。

なお、BAMは、またBIと組み合わせて改善につながるための監視機能にもなる。そこについては改善の項で言及する。

一般の会社においては、情報だけはもらうが、それを使ってどうするかは、結局人間の判断というのが現実的であろう。だから、プロセスをスムーズに回すにはどうしたらいいのか、システムはそれにどう寄与するのかという制御を考えたほうがよさそうだ。

それは、この方法論では「情報がアクションを誘導する」仕掛けである。具体的には、まずはCMSによるコラボレーションサイトである。これまでの、仕事のやりかたやシステムの構成は、どちらかというと逐次的な処理形態をベースにしている。すなわち、何かの処理が終わると次に回してという風に順番に仕事をこなしていく。しかも、その処理の受渡しは、次の処理を行なう人が情報を取りにいくプル型の流れになっていたのが多い。こうだと受け手が情報を見ないとそこで停滞がおき、相互の連携が切れてしまうので、全体の系の動きがコントロールできなくなる。

従って、これをプッシュ型に変えて、さらにその情報が関係者全員に分かるように公開することで、誰の手にボールがあって、次はどこに投げられ、どこで止まっているかが見通せるようにすることが大事だ。そうすれば、人間の目ではあるが、プロセスを円滑に機能させるためのドライビングフォースになる。一種のピアプレッシャーである。こうした、情報共有型業務処理では、人間の目による制御機構が働くことになる。

一方、マクロワークフローを回す部分では、システム的なパフォーマンス監視での制御となる。それぞれのプロセス変数に対して、閾値を決め、それを越えるようならワーニングを出す。ここは、定型的、安定的な処理になるため、こうしたシステム的な制御が有効になってくる。

何回も繰り返してきていることだが、業務処理のタイプ、すなわち、定型的かそうでないか、安定なのか不安定なのかといったことにより、その開発方法、稼動プラットフォームが違うのと同じように、その制御の仕方も違ってくるのだ。その制御方法こそ、情報駆動制御(Information Driven Control(IDC))ということになる。

2007年7月20日

近くの食べある記二題

今日は、久々の晴れ間だったので、昼めしを食いに自転車で鎌倉駅前に出る。平日で梅雨なのか人も少なめで自転車で走るには好都合だ。

昼めしは鶴岡八幡宮の前にある「天金」で”鎌倉丼”にする。「天金」はアド街ック天国でも紹介された老舗で、一応元祖鎌倉丼を出すところ。鎌倉丼というのは、ひと言でいえば、かつ丼のとんかつの替わりに伊勢海老のてんぷらが乗っているもの。

昔、鎌倉沖で伊勢海老がよく獲れて、それを鎌倉海老といっていたところからできた丼だそうだ。でもこれ名物って言っているけど最近の話で昔そんなのなかったように記憶しているんだけど。そうか、昔からあったんだけど名物として売り出したのが最近ってことかもしれない。

考えてみれば、卵とじとの組みあわせは他にもあって、鶏肉なら親子丼だし、サザエだと江ノ島丼というのがある。うなぎの卵とじで浜名湖丼なんてありそうだな。

さて、次はぼくの家のすぐ近くにそば屋ができた話。もう歩いて2,3分のところなのだが、かなり前からの家があって、母と息子、といってももうかなりの年配の息子だが、二人暮しであったが、もう2年前くらいかにお母さんが亡くなって、その息子さんが一人暮らしをしていたのですが、つい最近、家をきれいににしているなあと思っていたらいつのまにかそば屋になってしまった。

だから元々の家を壊したわけではないので、普通の民家のままの店で、中もお座敷で座って食べる。何となく風情があっていいのだが、ほんの近くのそういった店は近所のおばさんにお呼ばれされたみたいでへんな気分になる。そんなわけなので味がどうのはちと言いにくいので、まあまあおいしいですよと無難なコメントを。

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2007年7月21日

高所平気症

ぼくは高所恐怖症である。もう高いところに上がると「ケツの穴がすーとする」のだ。下品ですいません。何せ東京タワーの展望台の床がガラス張りになっていて下が見えるところがあるが、そこは恐くてへなへなと座り込んでしまうくらいなのだ。

昔山登りをしていたとき、槍ヶ岳から北穂高岳の縦走の途中にある「蟻の戸渡り」では、もう死ぬかと思った。さらに、ラスベガスにある有名な高さ350mの「タワー」にある恐怖の人間射出機「THE BIG SHOT」(これがあるのは250mくらいのところ)に乗せられたときにゃ、顔はひきつるわ、涙はでるわ、よだれを流すわでさんざんだった。まあ、これ以上高所恐怖症自慢をするのはやめにしよう。

ちなみに、あの絶叫マシンとやらが絶対だめなのだ。若い子が平気で乗っているのをみると、こいつらおかしいじゃねえかと思ってしまう。結婚したてのころうちの嫁はんにどうしても一緒に乗ろうと言われて、シャトルループとかなんとかいうのに乗ったことがあって、そのときもうわめきちらすわ、嫁はんにすがりつくわで、降りたときの嫁はんのぼくを見る顔が何ともいえなかった。ああ、情けない。

ところが、この高所恐怖症の反対で高所平気症というのがあるのだそうだ。最近子どもが高層マンションから転落する事故が増えているが、それが、高さに対する恐怖心が薄くなる高所平気症と、好奇心旺盛な子供の行動にあわせていないマンションの設計上の問題が絡み合って起こっているという指摘もされている。

転落する子供で多いのは2~3歳までの幼児と小学高学年~中学生までだそうで、2歳ごろは安全に対する感覚の未熟さがあること、小学高学年くらいの子供は、好奇心旺盛で行動の予見ができないことからくるらしい。

ぼくは、結婚してから子どもが小学生くらいまでは、ずっと社宅やマンションの3階、4階に住んでいたので、子どもがベランダで遊んでいたり、窓から体を乗り出したりするとすごく心配になったが、どうも幸いなことにうちの子供はふたりとも高所平気症ではなかったようだ。

専門家によれば、人間は当然高いところにいったら恐怖をおぼえるのはあたりまえで、高所でも平気なのは異常なのだそうだ。そうです、ぼくはまともなのだ。

2007年7月22日

よくやった!が

アジアカップの準々決勝であの因縁のオーストラリアをPK戦の上破った。個々の力では向こうの方が上であるが、戦術で勝っっていたようだ。ただ、割り引いて見なくてはいけないのがコンディションの差で、明らかにオーストラリアのコンディションは悪かったようだ。蒸し暑さへの慣れが日本と違っていた。まあ、それにしてもよくやった。

前回の準々決勝のヨルダン戦を思い出した。PK戦で俊輔とサントスが続けて外したとき、宮本エンドを変えるよう要求し、それがきっかけで逆転した、あの試合である。今回もあの試合と同様、川口の神がかり的なセーブで勝利。PK戦になったとき、オーストラリアのキーパーが194cmの長身で、あんなヤツがゴールに立ちはだかったら、入る気しないから負けちゃうのではないかと思ったが、よくみんな入れたよな。

試合の方は、早くて低いコーナーキックにまたしてもやられた。ベトナム戦の得点もオウンゴールだけど早くて低いボールの対処を誤った結果だ。むしろこうしたボールは日本がやるべきだと思うが、反対にやられてしまった。これからこの対策をしっかりやる必要があると思う。

すぐに、追いついたからいいようなもの、もしあのままずるずるいったら負けていた。高原様さまだ。その後、向こうが退場者を出して、ひとり減ったにもかかわらず攻め切れなかったのは、ちょっと反省する余地がある。しかも、コンディションが悪かったから、後半の後半や延長に入ってからの相手の運動量がめっきり落ち、足がつって動けない選手もいたのにである。

ぼくの見たところ、どうもずっと同じパターンの攻撃を続けていたことが問題ではないかと思う。すなわち、バックラインでボールをゆっくり回し、中盤でフリーになったらそこから前線にスルーパスを出して、ラストパスかシュートにもっていくというスタイルである。ところが、動けなくなった後半は、ゴール前に固まっているわけでこんなところに仕掛けても、空回りすることになる。

それよりも、もっと単純にクロスをどんどん上げてそのこぼれ玉をスピードのある選手が拾いまくるというほうが、相手もいやだったに違いない。ぼくの経験からも、疲れて、足がつりそうな時って、一回競り合うのはいいが、その後は動けないものだ。だから、波状的にゴール前にクロスを上げられるのはいやなのである。

だから、ここの臨機応変な対処があれば、90分で決着がついたのではないだろうか。自分たちのスタイルも大事だが、相手の状況で変えられる幅広い戦術理解度が大事だ。でもこれは欲かもしれない。こうした経験をつんでさらに強くなっていくのだろう。それを期待する。

2007年7月23日

教訓が生かされているか

中越沖地震からもうすぐ1週間になろうとしている。まだ避難所生活を強いられている被災者のかたたちも大勢いる。早く元通りの生活に戻ってもらいたいと願っている。

ところで、この地震で問題となったものに、柏崎刈羽原発の事故とリケンの被災がトヨタをはじめとする自動車会社の操業停止につながったことがある。

原発の場合は大事に至らなくて本当によかったのだが、そもそも設計での想定からかなり上回る規模の地震だったことがお粗末である。想定値の3倍の加速度だったというらしいが、逆によく大事故にならなかったのか不思議だ。これはぼくにも経験あるんだけど、本体は相当安全係数をみているってことかもしれない。

もう一方のリケンのケースは当然考えられることであった。こうした例は過去にもあって、例えばほんと身近な例ですが、2004年10月に起こった中越地震のときも、この地方にある半導体工場の被災で同じような事態が発生している。

そこで、中越地震の後に地元の長岡技術大学が「新潟県中越地震被害報告書」なるものを作成して報告している。実はその報告書のなかに、「ビジネス・コミュニティ型事業継続体制の重要性」というのがあって、ぼくも知っている渡辺研司助教授がまとめている。そのなかから、一部引用してみる。

3.サプライ・チェーンを介した被災地域外企業への影響 (1)現行SCM(サプライ・チェーン・マネジメント)の脆弱性  サプライチェーンの観点から、被災地域外企業の事業中断要因を見てみると、ジャスト・イン・タイム方式による最小限化された在庫に問題があると言えるであろう。在庫を極限まで抑制するジャスト・イン・タイム方式においては企業が部品を最小限しか保有しておらず。中越地震の事例のように、予め代替調達先を確保していなかった企業は、結果として部品を生産していた被災地の企業が被災したことによって直接、地震の被害に遭わなかったにも係わらず生産調整や停止を余儀なくされた。中略。 ジャスト・イン・タイム方式を今後も継続するか否か、再考する必要があると考えられる。これに付随して、平常時に在庫を保有するコストより震災時に緊急的にその都度対応するコストの方が安価だと考えている企業が多いようである。しかしながら、このコストの明確化は事前対策の決定に大きな影響を与えることから、今後、企業は予め事業継続対策として在庫を保持しておく経費と、被災時にその都度必要となる経費について、シミュレーションなどにより予め把握しておく必要がある。

渡辺先生は、BCP(Business Continuity Plan)とDR(Disaster Recovery)の専門家で、このことについて教えてもらったことがある。阪神・淡路大震災以降、災害時にいかに事業を継続させていくのか、いかに早く災害から復旧していくのかといったマネジメントの重要性がうたわれてきたので、話を聞いたのである。

先生はもと銀行に勤めていた方で、あの9.11テロのときに同僚を亡くしていたり、中越地震のときはたまたま学会で学生を連れて東京に来ていて、すぐに実家が被災した学生を連れてもどるのにものすごい苦労したといった興味深い話をいくつか伺った。

渡辺先生の書いた報告書どおりのことが、中越沖地震でも再現された。ただ、先生はさきほど言ったように民間出身だから、ジャスト・イン・タイムが悪いとは言っているわけではなく、要はコスト比較で考えればいいじゃないかといっている。だから、この場合ぼくが興味があるのは、トヨタなどの自動車メーカがシミュレーションをちゃんとやって、それこそ“想定内”のできごとであったかどうかである。

それはそうと、実はこの報告書はもとに、平成18年4月に発足した「中越防災安全推進機構」の活動の一環として、さらに研究を続けているそうだ。それで、この「中越防災安全推進機構」の設立趣旨は、「中越地震に関する記録や研究活動を推進・支援するとともに、研究成果を安心・安全な地域づくりや防災安全産業の振興に役立てます」ということで、しかもそこには、柏崎市や刈羽村も入っているわけで、この活動が今回に生かされたかどうかも興味あるところである。

2007年7月24日

BPライフサイクル(4)

プロセスの維持

さて、業務プロセスを開発して、制御したら、それを維持していかなくてはならない。日常的な運用や保守である。それは、ビジネスプロセスそのものの維持とそれを動かしているシステムの維持という二つの側面を持っている。

システム屋さんは、この前者のビジネスプロセスの維持という観点が薄いというか、ないのではないでしょうか。しかし、重要なのは、たえず事業に貢献できるプロセスであり続けるかというチェックである。単にユーザから変更要求があったら、それに対応すればいいという態度では、プロセスの劣化も起こるだろうし、つぎの改善というアクションにつながっていかない。ですから、ビジネスプロセスの維持管理は、BPライフサイクルでも軽視できない大事なサイクルである。

それでは、ビジネスプロセスが劣化するとはどういうことなのだろうか。劣化することがあるのだろうか。ビジネスプロセスそのものの劣化はないのではないでしょうか。腐るわけではないし、壊れるわけではないので。たとえば、プロセスに慣れてきたため、注意を怠って、誤って出荷先を間違えたなんてことが、プロセスの劣化とは言いがたく、それはオペレーションの問題でどちらかというと制御の領域と考えられる。

となると、ビジネスプロセスの劣化というのはどうも、法や制度の変更も含めたビジネス環境が変わったのでそれに対処するためにプロセスを変えていかないとビジネスが維持できないというケースがこれに当たるのではないでしょうか。改善とは違って、受身的な対応である。人事システムのように、毎年法改正や組織改正があってそれに対応するための変更が必ずあるというものもある。ですから、どこの会社でもあると思うが、年末調整の前や組織が変わるある時期だけ忙しくて、そのほかはメンテはほとんどないということがある。

他のシステムでも、人事ほどではないにしても、法や組織改正による変更が発生する。それ以外にも、競合他社に離されないためにプロセスを変えざるを得ないだとか、画期的なサービスや技術が登場して、それに対応しないと取り残されてしまうとかといった、ビジネスのレースから脱落しないための維持管理ということも非常に重要なことである。

こうした素早い変更ができるためには、プロセス自体が変更に強い構造になっていなくてはならない。機能とプロセスを、そしてデータを分離して、疎結合にしておくことで対応することになる。こうしたSOAのシステム基盤こそが、保守性の向上に大きく寄与するのだ。

さて、次はシステムの保守という問題である。ただ、これは従来からやられていたことだから、ここであえて採りあげるつもりはないが、ひとつ注意しなくていけないのに、オープンソースのソフトウエアの保守をどう考えるかがある。オープンソースは、使うのは無償ということもあり、開発時はコストもかからないからと飛びつくが、そのあとの保守をどうするかは考えていないことが多い。

バージョンを上げたら今のアプリケーションが動くかどうか誰がみてくれるのかとか、そもそもそのオープンソースのコミュニティがなくなってしまうというリスクもあるわけで、導入コストだけで判断すると危険である。ですから、まずはオープンソースといえどもメジャーでコミュニティも活発で、特に日本の活動がちゃんとされているものを選ぶのが大事だ。

そして、ソースコードをある程度読める要員を確保することが望ましい。本を書くのは難しいが読むのはそう難しくないように、プロダクトをクリエイトするのは難しいが、ソースを読んでどんなコードで成り立っているくらいは分かると思う。そういう人であれば、コミュニティへ参加して教えてもらうことも可能だ。もし、そうした人材も確保できなかったら、お金を払ってその橋渡しをしてくれる人か、会社を確保すればよい。

だから、オープンソースだとお金がかからないということはなく、維持管理にはコストがかかるのだ。これは商用のソフトウエアと同じで、自己責任の範囲を広げてコストダウンをするのか、コストをかけて責任を回避するのかということである。そこは、自社の人的リソースの状況あるいは対象アプリケーションの性格などによって、どちらを選択するか決めればいい。

「ビジネスコンポーネント指向開発」において、オープンCMSを採用した理由は、フロントの確定データを作るまでのコラボレーション業務に適用しているので、言ってみれば、重要度が落ちる領域であるからである。極端な話、そこで不具合があって動かなくなっても、電話とメールで会話して、手で入力すればすむのであって、そんなクリティカルなことではないのである。

逆に、その確定データが投入されたあとのシステムの不具合は、影響が多くなるため、商用ソフトウエアを利用する考え方をとっている。

ですから、こういうところにも適材適所のシステム構造を設計していかなくてはいけないのだ。

何と言ってもビジネスプロセスは持続可能でなくてはならない。そのためにもこうしたSustainable System Maintenance(SSM 持続可能保守管理)という考えかたが重要になってくる。

2007年7月25日

アイガモ農法

毎週火曜日の10時からは、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」とテレビ東京の「ガイアの夜明けが」重なってある。テーマによって見る方を決め、片方はDVDで録画するのが常になった。昨日は、NHKの方の「失敗の数だけ、人生は楽しい
〜農家・古野隆雄〜」を見る。

アイガモ農法と言って、水田にアイガモを放って、稲と共生させる。農薬は一切使わないというものである。アイガモが雑草や害虫を餌として食べるので除草、害虫防除ができ、さらに排泄物が米の養分となるそうだ。また、アイガモが稲をつっつくことで刺激され成長がよくなるとのこと。そして、アイガモは米の収穫が終わると食用として出荷される。

この農法は前から知っていたが、改めてテレビでみるとユニークでおもしろいと思った。結局なすがままに作ればいいじゃんということであって、人間が無理やり作物を作り上げるのはやめようということなのだ。自然のものなのだから、自然に作ろうという、ごく自然な発想というわけだ。

でも農業って厳しいなあとつくづく思う。気候に左右されて、いつもうまくいくとは限らないわけで、番組のなかで古野さんも言っていたが、たった30回しかやれないので、一回でも失敗したら大変なのだが、それでも挑戦し続けることが素晴らしい。

てなことを考えていたら、一緒に見ていた下の息子が、「結局コストの問題と、どれだけの付加価値を付けられるかだよね」と言い放った。アイガモ農法もけっこうコストがかかっていそうだし、この農法でできた米が高く売れるのかという問題が残りそうだ。

だから、この農法がすぐに一般化するというわけではない。ということは、こだわって信念もってやりとおしていることがプロフェッショナルと言っているのだが、そこにちょっとした違和感を感じた。その道のプロというような言い方があるようにあまり特殊性をもってしまうとちょっとプロフェッショナルという意味合いから外れるような気がした。

そこで、思い出したのが、「永田農法」というヤツだ。この農法は、永田照喜治さんという方が始めたもので、ひと言でいうと水と肥料を最小限にしていじめて育てる農法である。本来の生物の力を引き出すことでおいしいものができるという。今の農法は過保護に育てるからみずっぽい弱々しい作物しかできないというわけだ。

みなさん、トマトの原産地はどこだかご存知ですか。実は、アンデス山脈なんですね。そうなんです、山の岩はだに生えていて、雨が降らないから、からからの土地で育つのです。そういう環境で育ったトマトは水分を空中から取ろうとして表面に柔毛が生えてくる。このトマトを食べたらものすごくうまいのだ。で日本でも同じような環境ということで、石混じりの土地で水も肥料もほとんどやらずに育てている。

これに、目をつけたのがユニクロでこの農法で栽培したトマトを販売するビジネスを立ち上げたのである。最初、ユニクロが野菜を売ると聞いたとき、てっきり中国の山奥で野菜を作って安く売るのかなあと思っていたら、永田農法でやると知ってびっくりした。と同時にうまくいくのかなあという懸念も持ったのだ。案の定、はやばやと撤退したようだ。そうですよね、いくらおいしいといっても1個500円も600円もしたら買わないですよね。結局、思ったよりコストがかかってしまうのです。なんか、カルガモ農法とダブって見えてきてしまったのです。

2007年7月26日

ああ負けた!

アジアカップ準決勝で日本はサウジアラビアに2-3で負けた。昨日は東京に出掛けていて家に帰ったのが遅かったのでテレビを見れなかったので、試合の様子は知らないで結果だけでこれから書く。まあ、力が拮抗しているとこういうことになるのかなあと思う。

夕べも帰りがけに一緒に呑んでいた人に今日は2-0で日本が勝ちますからと言った。いろいろな状況が、日本有利になっていた。世界ランクは上、準決勝は優勝候補のオーストラリアに勝っている、サウジの中2日に対し中3日で休養十分、しかも移動もなくたっぷり練習もでき、という条件であったから、当然戦前の予想は日本有利である。ところが、そのまま戦前の予想どおりにはいかないのが、こうした大きな大会の常である。

試合内容をみていないで言うのも乱暴かもしれませんが、なぜ負けたのだろかと考えてみると、本当にほんのちょっとしたスキなのだろうと思う。油断なんて大げさではなく、ほんとほんとにわずかなスキが多くの選手にあったってことじゃないだろうか。オーストラリアに勝ったのだから、それより格下のサウジならだいじょうぶだ、これまでアジアカップの本大会で負けたことがないから今回も勝てるだろう、ふとこんな気持ちを抱いたはずだ。このちょっとしたスキが掛ける11になったら負ける。きっとチーム全体にふわっとした感じがあったのではないだろうか。

思い出すのは、ずっと昔ぼくが高校3年生のときの最後の高校総体サッカー神奈川県予選の準決勝で負けたことだ。ちょうど今頃だったのだが、いつも勝っている相手であり、当然決勝までいけるとみんなが思っていたのに、何となく負けてしまったのである。それが終わって、家に帰ってひとりで泣いたのを覚えている。それからもう間に合っこない受験勉強が始まっっていった。

こんなことを思い出しながら、スポーツで勝つということの難しさを痛感したのであります。

2007年7月27日

少しずつ変化が

今朝の朝日新聞に「IT調達改革の星」という記事があった。長崎県の島村さんというCIOの活躍を書いたものである。行政のIT化に必要な機器やシステムの調達を改善し、情報コストの低減とともに地場IT企業の育成、県職員のITリテラシーの向上を実現した話である。

最初の調達コストを下げた件は、従来は大手ベンダーに発注して割高になっていたのを直接地元業者に発注してことが大きい。発注側としては、実績もない小さな会社に依頼するのはリスクがあるのだが、そこを多少の失敗は覚悟でまかせたのだ。なんといってもこのスタンスがすばらしい。これで、コストは下げられるし、地元の業者は育っていくという大きなメリットをもたらしてくれる。お役所は冒険はしないところと決まっていたが、こういった挑戦的な役所も現れてきたのだ。

どうしてこういうことができたかというと、島村さんは民間から来た人なのだ。6年前に金子知事に招かれて日本総研から出向してきた(今は正式の職員になった)そうだ。こういう試みは大いにやるべきだし、他の行政も見習ってほしい。ぼくも盛んに言っていることだが、ITを梃子にした地場産業の活性化というのにも、こうしたケースは含まれている。すなわち、行政の仕事を地場のIT企業がやることで成長し、ひいては全国展開できるくらい力をつけることである。ITは地方からでもグローバル化できるのだ。

ところで、その記事の中に、国際大学の地方自治体IT調達協議会の調査の結果が出ていて、02、03年度都道府県の公募型IT調達では、NTT、富士通、NEC、日立製作所の4グループの合計シェアが何と75.8%で、しかも13政令指定都市では91.6%になるという。これってびっくりするでしょ。

ただし、実際に手を下してシステム開発をしているのは、下請けの業者だから、実開発業者のデータをとって調べたらおもしろいと思うが、上記4グループまあ言ってみればゼネコンだけど、彼らが全部上前をはねるという全くの女衒商売をやっているわけだ。だからこの構造を変えていかなくてはいけない。

さらに、島村さんは「殿様商売」に安住する大手IT企業には大きな技術的進歩が望めないのではないかとも指摘している。全くその通りだと思う。特に地方自治体なんかはITの妥当な価格は分からないし、そもそも予算さえとれれば、その予算どおりにつくればいいわけで、そこにはコストを下げるための工夫だとか、コストパフォーマンスの考えなんかないのだ。そうなると、ゼネコン企業側もこれだけ人月がかかりましたからお金をくださいといえば、そのとおりもらえるから、安全な方法で、あるいは今までと同じやり方でやっとけばいいやとなって、新しい技術を採用するだとか、少し開発的要素があるけどがんばってみようかということができなくなっているのだ。

その意味でも長崎県の事例は非常に参考になるし、単なる先進事例だけで終わらせることなく、他の県も追随していってほしい。そのためには、ゼネコン会社から人を受けるのではなく、その利害から外れたところにいた島村さんのような人をどんどん行政に送り込む必要があると思う。

2007年7月28日

暑いよお~

今日も暑い。
事務所にしている部屋にはエアコンがない。家が山のなかにあるので基本的にそんなに暑くはない。家の中の窓という窓を開けておけば風が抜けていくので涼しいのだ。
ぼくはもともと暑さは苦にならないし、そもそもクーラーが嫌いなので夏はクーラーを使わない。よっぽど暑いと扇風機を回す。
今日は扇風機のお世話になっている。
いよいよ本格的な夏の到来だ。

2007年7月29日

戦い方がまだ

アジアカップ3位決定戦で韓国にPK戦で負けた。その前のオーストラリア戦と同じだ。同じというのは、たまたまPK戦ではオーストラリアに勝ったが、韓国に負けたというだけで、内容的には同じであるということだ。

同じ失敗を繰り返している。相手がレッドカードで退場してひとり少ないにもかかわらず、攻めがどう人数のときと一緒のことをやっている。少なくなった相手は戦い方を変えてきているのに、こちらが対応できていない。当然彼らは守りを固めて逆襲だけ考え、PK戦になればOKという布陣になる。その攻めができない。前にも言ったようにシンプルに波状的に仕掛けることが求められるのに守備網の外側でパス回しばかりして、最後はゴール前の守備にひっかかるというパターンである。

だから、昨日の試合でレッドカードが出たとき(これは誤審だけど)、ヤバイと思った。あ、オーストラリア戦の二の舞だと思ったらその通りになってしまった。もし、退場にならずに同人数で戦っていたら勝っていたかもしれない。昨日の韓国勝利の立役者はあの審判だ。

確かに、韓国のチームは勝ったけど、今までの韓国チームに比べるとそんなに強いとは思えないし、迫力もなかった。今回のアジアカップで感じたことは、中東勢の身体能力の高さである。一発で切り裂く力強さがある。だから、一層韓国に迫力を感じなかったのかもしれない。日本も韓国と同じで攻めの迫力が乏しいのだ。

結局、今回の大会で分かったことは、日本代表はサッカーのやり方はできたが、戦い方がまだできていないような気がする。特に、トーナメントの一発勝負の何が何でも勝つという戦い方はこれからの課題だろう。

それにしても、実況したテレビ朝日のアナウンサーと解説の松木はひどい。アナウンサーは間違いが多いし、トンチンカンなことを言うし、松木にいたっては、ファウルの説明と背番号と名前を連呼し、いいですねえと言うだけで解説にもなんにもなっていない。U-20W杯決勝を放送したフジテレビの青島アナと風間さんの実況を見習ってほしい。

おお選挙だ

今日は参議院選挙の日だ。当然投票にでかける。

ぼくは、よほどのことがない限りは選挙を棄権したことはない。政治にあるいは政治家に対して何か言いたいのだったら、必ず投票にいかなくてはいけない。

社長と昼ごはんを食べにいきながら投票する。歩きながら、比例代表区制の話になったが、二人ともその制度の仕組みがよく分かっていなかったことが判明。

調べてみたら、日本の方式は非拘束名簿式といって、立候補者名簿は順番が記載されていない。有権者は政党または立候補者に投票する。政党の票と、政党に属する立候補者の票を合算した上で、まず政党の当選議席を決定する。次に政党内の立候補者の得票数によって、当選者を決定する。まあ、でも推測したとおりだったが、この方式は2001年からで、その前までは、厳正拘束名簿式拘束式といって、立候補者名簿は順番が記載されている方式だった。だから、どうなっているか分からなくなるのももっともだ。

さて、結果はどうなるのか。

2007年7月30日

続ああ選挙だ

選挙の結果が出た。自民党の惨敗だ。なぜ負けたかについて、いろいろなところでいろいろな人たちが論評して喧しいが、要は、自民党が国民感情に響く対象ではなくなったということである。もっと正確に言うと旧来型の自民党的体質を色濃くもった人たちはもう要らないと言っているのだ。感覚的にもういいやという気持ちなのではないだろうか。

今回の選挙の当選者をちょっと分析してみる。自民党と民主党で勝った人と負けた人の年齢を比較してみた。自民党では、勝った人の平均年齢が52.9歳、負けた人が55.4歳。一方民社等では、勝った人が、48.0歳、負けた人(少ないが)50.0歳である。

また、一人区で自民、民主が直接対決したところで比較すると、民主の18勝4敗なんだけど、そのうち13勝が年齢の低い方の候補者が勝っている。自民の4勝は半分が若く、残り半分も相手の民主の候補の年齢が高かった。

こうしてみると、単に自民が負けて民主が勝ったという構図ではなく、有権者の意識は、ある種の閉塞感みたいなものがあって、それを打破するには世の中の仕組みを変えていけるような、これまでの延長ではない斬新さを求めているのではないだろうか。単純に若ければいいというわけではないが気持ちとして若いひとに託すという気持ちが働いたとしてもおかしくはない。

テレビ朝日で田勢さんが、自民も山本一太や世耕弘成のような「民主っぽい」候補者は強かったといっていたが(山本一太はすかさず「民主っぽい」という言い方は間違っていて、若い改革意欲のあるひとたちと言っていた)、そうなんですね、「民主っぽい」というのは、今までと何かちがったことをやってくれそうだということなのだろう。

国民は染み付いた汚れや飽き飽きしたデザインを一旦壊してリフォームしたいと思っている。象徴的な選挙区が東京と岡山だと思うが、東京なんか地盤や組織を持った現職が若い元女子アナに負けるんですから、岡山のように大臣を経験した大物が負けてしまうのですから。

こうした地殻変動が起きていることを自民党の執行部は分かっていないのではないだろうか。安倍ちゃんの「美しい国」や「戦後レジームからの脱却」って言うのもいいが、現実の足元をみた政治を提示できていない。この感度のにぶさは「鈍感力」なんてほめたらいかんのであって、3代目のぼんぼんと言われてもしょうがない。

一方、民主党も浮かれてばかりではいられなくて、自民党の敵失に負うところが大きいので政権がとれるような組織にしていかなくてはいけない。まだ民主党の中はばらばらなところがあるのでどうするか見ものだ。そういう意味から言うと、自民党と民主党を合わせてシャッフルして対立軸の分かりやすい2大政党というのが進むべき道のような気がするが、そんなことを画策できるフィクサーがいない。

ところが半分冗談で言わせてもらうと、田中真紀子ができるかもしれない。彼女は、今回民主党の応援をしたが、元々自民党だし、自民党にいい候補者がいないから民主党を応援するんだなんてことを平気で言うし、何よりも感心したのは、昨日の選挙番組でグローバルな視点で論じていたのは彼女ぐらいである。世界のなかの日本という見方で政治を考えるべきであり、今のような政治ではどんどん世界から取り残されてしまうと強調していた。民主党の前原あたりをけしかけて仕掛けたらおもしろいのになあ。

ちなみに、神奈川県でぼくの高校のサッカー部の後輩である水戸まさし君が何とか松あきらを破って当選した。おめでとう。

2007年7月31日

闇の架け橋

またすさまじい本が出た。いま売れている「反転」(田中森一著 幻冬舎)である。え、こんなことまで書いちゃっていいのという感じ。政治家や企業家、ヤクザなどが実名で登場する。闇社会の実態を赤裸々に描いていて、飽きさせない読み物で一気に読んだ。

著者の田中森一は元特捜検事で、撚糸工連事件や平和相互銀行不正融資事件など数々の経済事件を手がけた辣腕検事だったが、なぜか検事をやめ弁護士に転じた。いわゆるヤメ検である。弁護士になってからも特捜時代の情報網や人脈でこれまた多くの事件の弁護を行なっている。でも、弁護士に転向した理由のひとつに経済的なこともあったと思うが、弁護士ってすごく儲かるんですね。まあこのひとは特別なのかもしれないが、検事を辞めるとすぐにいろんな企業や個人から三顧の礼で顧問契約をしてくれといってきたそうだ。

この本は、大きく3つくらいに分けられていて、最初が自分の生い立ち、司法試験に受かるまでが描かれている。何しろこのひと半端ではなく貧乏だったのだ。それでやっと岡山大学の法学部に入学し、学生の時に司法試験に受かっている。そのあたりのストーリはとてつもなくおもしろいし、感動させられる。

次が、検事時代でたたき上げの検事として数々の事件を起訴していくのだが、たたき上げであるがゆえに上司との衝突や被疑者との交流など、普通の検事とは違った生き方をしている。

そして、弁護士への転向。ここでは時あたかもバブルであり、その狂乱ぶりが、本人も含めて描かれている。このくだりはほんとびっくりする。ぼくらが新聞や雑誌でしかうかがい知ることができなかった、イトマン事件の許永中、伊藤寿永光、仕手戦の池田保次、小谷光浩、住専の末野謙一、政治家の山口敏夫、ヤクザの宅見勝等々生々しい話が満載だ。

しかしながら、ぼくはこの田中森一という男を好きになれない。清濁併せ持っていて、いくらきれいごとを言ったところで所詮世の中はどろどろしたことで成り立っているのだみたいに豪語するわけで、だからこそ、手のひら返したように検事から弁護士に転進できるような気がする。バブルのときに大もうけをしてヘリコプターまで買ってしまうほどクライアントのバブリー紳士たちと同類なのだ。

一方でかわいそうだなという気もする。彼は今石橋産業事件の詐欺容疑で懲役3年の実刑判決を受け、最高裁に上告中であるが、結局、成りあがり者は最後は別の大きな力で抹殺されるのではないだろうかということである。例えば、多少強引だが田中森一と田中角栄は似たところがあるような気がする。

ホリエモンや村上世彰などの犯罪もこの本に出てくる事件の延長にあるわけで、経済事件の実態とはこういうものだというのがわかるのでおもしろい。とにかくとんでもない本だ。


反転―闇社会の守護神と呼ばれて
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