いま、システム開発の方法論を研究していて、その技術的な部分もさることながら、どういう体制でやるのかということに思い巡らせている。要するに開発プロジェクトをどのようなチーム編成、どういうスキルをもったエンジニアを配置するかという問題である。
従来の方法では、とくに大規模プロジェクトだと、非常に多くの人間が階層的に組織され、仕様どおり規律正しく進めていくというやり方が主流である。そして、みんなが仲間に迷惑がかからないようにきちんとやってくれることを前提にプロジェクトは進められる。そうしたやり方だと、結局平均的なスキルにどうしても合わせにかかるから、プロジェクト全体のレベルも平均的なものにしかならない。
もっと飛躍して言うと、日本の社会全体もそういうことで良しといてきた面は否定できないだろう。だから、こういう組織や社会ではとんがることが嫌われることになる。この周りのひとたちが一生懸命やっているから、自分もまじめにやらなくてはいけないという仲間からの圧力を、「ピア・プレッシャー」という。
ピア・プレッシャーのもつ相互監視と相互扶助=「水平管理」のメカニズムは、日本の代表的な企業文化を作っていった。だが、それは家族主義的な居心地のよさを発揮する一方で、互いに監視し合うために、働きすぎたり、ストレスを生んだりするマイナス面もある。
でこのピア・プレッシャーには二種類あると茂木健一郎が言っていて、ひとつは、どちらかと言うと今述べたような「平均値に引きずり下ろそう」というベクトルと、反対に「とんがるような方向に煽る」ベクトルがあるとのこと。それで、最近の傾向は前者に大きく行きすぎていて、それは、メディアの「わかりやすさ」を追求する姿勢の影響が大きいと言っている。
ぼくも、最近同じように感じている。どうもおしなべて平均的なほうへ流れて入るような気がしている。だから、できるやつや真のインテリのひとたちの居心地はそんなにいいものではないような気がする。
そんなことを考えながら、一方で格差社会だなんて言われていることが何やら不思議に思えてくる。世の中のベクトルが平均化に流れていながら、平均的なひとたちがいなくなっているわけで、しかも二極化した上流、下流の両方が平均あるいは普通へのピア・プレッシャーを感じているという妙な構造になっているように思える。
だから、ここでは格差があって当たり前と考え、その中でお互いの価値を認め合う、そしてそれぞれの価値の多様性を認識できる社会を築きべきだと思う。エリートは必要です。コンセプト設計は頭の切れる真のエリートがすべきなのです。
最初のシステム開発についてもスーパークリエ-タの地位を高めて、そうしたいろいろなタイプのとんがったメンバーを中心のチームで開発することを考えている。