玉石混交の情報の集まりから“玉”を抜き出すことはむずかしい。データが何を語っているのかを見つけることが最終的にめざすところであるが、その前に多くのデータのなかから、冷静に客観的に必要な事実を選び出すことが至難の業だからだ。どうしても、こうなってほしいからとか、こうあるべきだからといった予断が入り込む。無意識のうちに結果に合わせた事実選びが始まるのだ。効した恣意的なデータ解析を行なっていながら、あたかも客観的な解析結果であるという主張にだまされることが往々にしてある。
例えば、粉飾決算なんていうのは最たるもので、利益という指標は事実ではなく単なる意思表示に過ぎない。黒字倒産が起こるというのも、データを読み間違えると会社をつぶしてしまう例である。
また、よくあるのは事業の収益が悪化してその説明を経営から求められたとき、ネガティブな事実はどこかにいってしまい、いまから市場はよくなるから収益は改善されるという、あらかじめそういう結果がでるようなデータを並べることがある。経営者はこれに鵜呑みにしてはいけないのだ。逆にこういった恣意性を見抜く力があるひとが立派な経営者になる。
この見抜く力とは何なのだろうか。それは、科学的、論理的というよりある種の勘ではないかと思う。勘とは、経験に裏打ちされたセンスではないだろうか。また、センスはものごとの本質と構造を理解し、おのれを客観視できる俯瞰力によってもたらされると思う。
ですから、データを見たとき、いったいこの情報の本質は何なのか、どこに位置するのかを考える癖をつけることが、正しいデータを選び出すのに重要な態度ではないでしょうか。
また、こうした恣意性を排除するために客観的なデータに頼った経営を行なう経営者もいる。様々な数値化された経営指標に基づき、その打つ手も予測モデルによっておこなっていくというもので、いわゆる「計器飛行」経営というわけだ。この意図は、人間が自分の目でみたものを頼りに行なう「有視界飛行」だと、たえず目先の天候に右往左往してしまい安定した経営ができないからということなのだ。
まあ、どちらがいいかというのは難しいが、「計器飛行」といえども危機的状況では「有視界飛行」にならざるを得ないわけで、その切り替え方を柔軟にそして適正にするとういうことが大切なのではないでしょうか。
少しオペレーショナルな話からそれてしまったので元に戻すと、データには数値データとテキストデータがあるが、数値データについては、データマイニングなどのシステムによりよくなってきていると思われる。小売業などで行なわれるクラスター分析など統計的手法は有効であり、だから一般の会社でも缶ビールとオムツの関係までいかないにしても、もう少し統計的な手法を取り入れてもいいような気がする。
一方、テキストデータについては最近のキーワード検索技術、コンセプトサーチ技術などが充実していて、これらを活用した情報収集は高度化してきている。このあたりの話はまた後で議論しいていくことにする。