ぼくは、ほとんど毎日決まった人たちのブログを読む。その中には梅田望夫、茂木健一郎、内田樹、高城剛やそのほかIT関連のひとたちがいる。RSSリーダに入れているので毎日それを開いて更新されたブログ記事を読むという算段だ。全部読むとかなり時間をとるのでしんどいのですが追っかけ出すとやめられない。でも、それでかなりの情報が入ってくるので昔に比べれば格段に効率的である。
同じようなことが、いま読み終えた「フューチャリスト宣言」(梅田望夫、茂木健一郎 ちくま新書)にも書いてある。この二人のブログを毎日読んでいるので、この本の中で語っていることはおおかた予想できることでもあり、二人のベクトルも似通っていることもわかっているので、そう驚きや感動はなかったのだけれど、それでも改めて未来志向の楽観主義には敬意を表する。ぼくは、梅田さんの「ウエブ進化論」からそうだけど、99%賛同する。茂木さんの考え方にもちょっと難しいけど好ましく思っている。そんな二人の対談だから、もうそうだそうだとうなづくばかりである。そのなかでも特に感心したとうなところを抜いてみる。
「茂木」 アメリカには、日本では評価されないし頭角を現しづらいタイプの人、つまりビジョナリーがいますよね。自分ではすべてをこなすわけではないけれど、ビジョンを示す。「梅田」 自分では手を動かさなくても、駄目なものは駄目と言って、きちんと方向性を示して全体を動かしていくタイプの人はいますね。日本の現場主義はこういうタイプを嫌う傾向にあります。
そうなんですね。ですから、ぼくは日本のIT産業から世界的なソフトウエアが出てこないのはここに起因すると思っている。すなわち、コンセプト・メイキングを大切にする風土が日本にはないのだ。それと次のような風土もまた拍車をかけているように思える。若い人たちを応援する体制について、
「梅田」 バックアップ体制と言ったときに、官僚的なロジックでお金をいくらいくら出して、というのは全然だめで、本当に必要なバックアップ体制って、社会における精神なんですよね。欠点を含む小さな芽に対して「良き大人の態度」がとれるかどうかということ。ここがいちばんのボトルネックです。日本は新しいことをやった人を賞賛しないですね。それが根源的にまずい。新しいことをはじめると最初は不安だし、何か既存のやり方や既得権にさわっていくという直感から、危険性をまず指摘する。それがよくない。日本はその度合いが強いです。これもまったくその通りですよね。これまでと違ったようなことをしようとすると、やってもいないのにそれは無理だとか、リスクがあるだとかわけのわからんことを言って反対する。まあとりあえずやってみよう精神をなぜもたないのだろう。こういうことばかり言うと孤立してしまいうかもしれませんね。そんなやりとりを。
「茂木」 ネットってそれぞれの人の倫理観が試されているような気がしますね。ブログの書き方ひとつにしても気を遣う。僕の倫理観としては、基本的にポジティブな気持ちを広げる感じにしたい。イヤなことは書かない。「梅田」 ブログは教育メディアと限定されるわけじゃないし、自己表現でもあるけれど、若い人がそれを読んで勉強する、という意味が大きいと思います。結局教育って、ポジティブなものを与えるということ以外に何の意味もない。
「茂木」 ポジティブなビジョンを与えること以外に教育はない。梅田さんと同じことをシリコンバレーの人は言うでしょう。でも日本はネガティブな人が本当に多い。僕も梅田さんもそういう意味では孤立しているなあと時々感じる。
そのほか、大学はもう終わっているだとか、たったひとりの狂気で世の中が動くといった過激な発言があるが、これからどういう人間が生きのびるかみたいことを言っていて、そのなかで、たくさんの分野に興味があって、関係性に興味がある、俯瞰してものを見て全体の構造をはっきりさせたいという志向がある人と、その反対にあつことにのめりこんで深堀するんだけどそれが好きで好きでたまらんという人に二極化するのではないかということらしい。僕は以前から情報システムに対して俯瞰力をもって構造化することを唱えているので意を強くした。
まだまだ書きたいことがいっぱいあるが、本の中味を全部ばらすようなことになるのでこれくらいにするが、1%注文があって、特に梅田さんにだけど、若いひとにみんなとんがれとか意識を変えろとか挑発的な言葉を発している傍らに、そうは言っても能力がなかったり、楽観的にはなれない人たちに対しても暖かいまなざしを持っていてほしいと思う。
最後に、この本は「若い人たちに希望と勇気を与えたい」と書いていたが、全くその通りだと思うと同時に、若い人に限らずぼくらのおじさんたちにもあてはまると思う。そう思うような人間だったら「フューチャリスト同盟」に入れてくれますよね。