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平凡という価値を認めよう

高校野球の特待生の話題で盛りあがっていますが、高野連が緩和策を提示して、どうも世論は特待生制度に肯定的になっているようだ。だいたいの人がこうした制度があることを知っていただろうし、いまさら何を言い出すのだという感じではないでしょうか。

スポーツに限らず何かに秀でた子を経済的に支援するというのは別に悪いことだとも思わない。昔は、勉強ができる子がお金がないので進学できないときに助けてあげるなんてことはよくあったわけで、今は勉強できる子はお金持ちの子だから援助はしなくてもいいというだけで、それとどこがちがうのかと思う。

つい勉強するのがいいことでスポーツでお金もらうのは汚いみたいに思う人がいる。プロ野球の選手になるのに特待生はおかしいということなのだろうが、勉強だってある意味お金を稼ぐためでもあるんだから、要は、才能がある子がその才能を伸ばすために経済的に援助してあげると考えればいいのだ。

みなの心情的な部分で、学校教育というのは傑出した人間を作る場ではないと思っているが、実はそうではなくて、いい例が、甲子園が終わるとマスコミがこぞって「さあ次の甲子園のスターはだれでしょう」なんてことを平気で言う。スターを作らないのが学校スポーツじゃなかったのかと思ってしまうが、特に日本の高校野球の世界はちょっといびつなのだ。それでも、できる子の道がそこしかないのだからそれはそれでいいんじゃないのと思う。

むしろ、ここでぼくが言いたいのは、勉強、スポーツ、芸術に秀でた子はいいけど、おおかたの子は普通の才能で、まあ他人より少し勝てるものをちょっと持っているだけであるわけで、その子たちを忘れないでねということになる。

つい才能豊かな人たちをすごいと思うが、もっと「平凡であること、平凡でいること」のよさ、価値を考え直してほしいと思う。

ここの「平凡でいること」も意外とできないものなのです。例えが飛躍して恐縮ですが天気のことです。天気予報などでよく「今年は平年並みの気候です」なんていうことがあるが、平年の天気ってあるの?と思ってしまう。特に最近なんか毎年異常気象といって、暑かった寒かったり、雨ばかりだったりというふうに、いつも同じような気候ではないのだ。昔だれだかが、言っていましたが「天気は異常なのが普通です」。

人生だってそうかもしれません。異常の繰り返しや突如降ってわいたような不幸が舞い込んだり、健康を損なったりするわけで、これも例えが悪いかもしれませんが、拉致被害者の家族にしても、本当はごく普通の人生であったかも知れないのが、全く違った人生になってしまうわけです。だから、「平凡でいること」も難しいのです。

ただし、この場合はかなり他力的な部分が大きいのでしょうが、「平凡であること」は自力の問題です。実は何もしないでぼおーとしていてはできないのです。そこには、堕落しそうになったときの倫理観だとか、有頂天にならない自制心だとか、もとにもどすバランサーが働いていること重要なのです。大げさに言えば「中庸」ということかもしれない。

そこには、教養だとか徳だとかいった裏打ちがあってこそできることのように思える。教育再生会議で「教えるべき徳目」とか「子育て提言」なんて言うけど、その前にこの「平凡であること、平凡でいること」の価値をみんなで認め合うことも大切ではないかと思う。


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2007年05月12日 19:04に投稿されたエントリーのページです。

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