5月4日放送の「たけしの誰でもピカソ」で岡本光平という書家が齋藤けさ江という92歳のひとを紹介していた。このおばあさんは70歳で字を覚えたという人でそれからすぐに書を始めたそうだ。その書は素朴で自然体の字が素晴らしく、岡本光平は「いい字」だと言っていた。
またもうひとり8歳の高橋卓也君という子が登場。この子はモントリオール国際芸術祭・書道部門グランプリを受賞した有名な子で、その奔放なそして絵画的な漢字を書く。まあ天才ですね。けさ江ばあさんも言ってみればこどものようなものだから、おとなと違って余計なことを考えずに一生懸命書くということが素晴らしいのだ。
芸術家というのはみな、子どものように無心になれるか、邪念を振り払ってありのままを表現できるかどうかということを盛んにいう。
それと同じようなことを言っていた人たちがいた。ずっと前に中村勘三郎と柄本明が出演する「弥次喜多」の映画撮影現場の取材でふたりが異口同音に言っていた言葉に「こどもの学芸会のような芝居ができたら」というのがある。これも同じで、何というかそれこそ芝居っ気なしに素直に演じられてこそいい演技になるということを言っているわけで、さっきの書の話と通じている。
だが、芸術家になりたくてもなれないぼくらにとって、2つの問題を考えてしまう。
ぼくだってもちろんこどものときがあったわけで、じゃそのときぼくは芸術家だったのかということと、こどもが大人になるとそのみずみずしさを失っていくのかという点である。やっぱ、才能はもって生まれたものでしょうね。卓也君なんて2歳のときに漢字を書いているんですよ。ああ、ぼくなんか無心で書いた習字を先生が朱色に染めてくれたんだから。
また芸術的天才は、その天才を続けるにはある種の「狂い」がないとだめなのじゃないかと思ってしまう。それによって、「子ども」をかろうじて維持しているのではないかと。ちょっと大胆だったかな。