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安心社会から信頼社会へ

以前、ブログでyabuさんという方から薦められた「安心社会から信頼社会へ」(山岸俊男著、中公新書)を読む。「日本人はいじわるがお好き?」というような話をこのブログで書いたら、もっと先行している研究があって、上記の本に書いてあるので読んでみたらというコメントをいただいたのだ。

確かにすごく面白かったのと感心させられた。のっけに“人を信じることは、おろかなお人好しのすることでしょうか。それとも逆に、誰も信じないで「人を見たら泥棒と思え」と思っているひとこそ、おろかな人間なのでしょうか”と問いかけてくる。

そこから、社会的ジレンマの実験や信頼ゲーム実験などからいろいろな仮説を導き検証していく。それらをいちいち書くわけにいかないので、現在の日本の社会が直面している問題について、本書から抽出してみる。

いま「日本型システム」の不信が拡大していて、これはこれまでの安定した社会関係が崩壊していることを意味している。それは、コミットメント関係、とくにやくざ型のコミットメント関係の形成による安心の維持が、機会費用の急速な上昇によって「高くつきすぎる」ようになったために生じた変化なのだそうだ。

そして、こうした集団主義的な組織原理から、より開かれた組織原理へ向かう日本社会の変革を進めるためには、一般的信頼の醸成が不可欠であるといっている。いいかえれば、コミットメント関係の内部で情報を共有しながら外部に対しては情報を漏らさないというやりかたで関係を安定させ、その内部で社会的不確実性を低下せしめてきたがそのコストが増大したというわけである。

だからそれとは逆に開かれた関係になった場合の不確実性をどう低減するかが問題で、それにはさまざまな組織における情報開示あるいは情報の透明性を高めることがその解決策であるといっている。

とまあ、かなり乱暴にまとめてしまったが、いまネットを中心に明らかに大きな情況の変化がおきているように思えます。この変化もまた、山岸俊平のいう“新しい文化の創造のプロセス”なのかもしれません。

もう世界は開かれたものになってしまったわけで、従来のように内輪でこちょこちょするようなことはやめなくてはいけない。ぼくの足元のシステム開発においても、必要なアプリケーションという意味でも、またオープンソースに代表されるような開発形態においても情報共有と情報開示がすごく重要なキーワードになっているような気がする。また、「ギークなひとたち」と「スーツなひとたち」の融合も開かれた変化の結果として実現してほしいと思う。

そのときわれわれは、「人を見たら泥棒と思え」とふるまうのか、だまされてもいいからひとを信じ続けるのか、ただ乗りするのか、意地悪行動をとるのか。少なくともぼくは、楽観主義の高信頼者でいようと決めている。

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2007年05月05日 10:09に投稿されたエントリーのページです。

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