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”情”ということ

最近、“情”ということをよく考える。“知”に対する“情”は、人間にとって非常に重要なものではないかと思っている。日常、どうしても頭のなかの理屈で考えることが多く、情の動きを抑えることもあるが、そんなとき、ふと心で感じることも必要だと思う。

“情”というのを辞書で調べるとつぎのように書いてある。

(1)何かを見たり聞いたりして起きる心の動き。
(2)人が本来もっている性質。
(3)他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。
(4)特定の異性を愛する心。恋情。
(5)実際のようす。ありさま。
(6)我(が)。意地。頑固。

さらに、熟語では、情感、情熱、情緒、情況、情操、情報、愛情、人情、感情、強情等々いろいろな意味の言葉が出てくる。

これらはみな人間としてもっているものであり、この“情”の自分のなかでの有り様が人間関係を良くもするし、悪くもするのではないだろうか。だから今、”情”の大切さをすごく思うのである。

漱石は、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」といったが、“正しい情況”をつかんで深入りしなければ流されないでしょう。

実は落語というのは、この“情”について語っている。そこについて、もう死んでしまったが、ぼくが一番好きな噺家の桂枝雀が面白いことを言っている。

「“知”的なものには、記憶がある。しかし“情”的なものには記憶がない」

だから、昔から同じ演目をいろいろな噺家がしゃべってもみな違うように聞こえてくるのだ。

話は飛躍するが、情報という言葉に“情”が使われていて多少奇異な感じがあったので調べたら、Informationを「敵情を報知する」という意味で情報と訳したようだ。実際の様子という意味だが、これからのネット社会では、情報とはそれだけではなく心の動きのようなものまで表現するようになるかもしれないと、ちょっとそんなことを考えてしまった。


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2007年04月25日 19:28に投稿されたエントリーのページです。

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