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自分本位では気がつかないこと

前回、日本映画の心配を書いたが、また日本映画のことが朝日新聞に載っていた。この記事では、聴覚障害者のためにぜひ日本映画に字幕を入れてくれと訴えている。先日字幕屋の本を読んだので興味深く読んだ。

あの本のなかにはこうしたことは触れられていなく、吹き替えと字幕の違いでも、要約しかできないとか俳優の肉声が聞きたいかどうかといった切り口で語られている。しかし、いまの話でいくと、そうなんです、字幕というのは聴覚障害者にとっては素晴らしいことなんですね。

ですから、変な話、外国映画は楽しめるのに日本映画は観れないなんてことになっているわけです。こうしたことは、自分が聴覚障害者の身になって考えないとわからないことなのです。健常者の視点のままだとそこまでの想像力が働かないのだ。

ぼくが経験した同じようなことがある。それは、聴覚ではなく視覚障害者のことである。

ぼくは、以前勤め人のときは京浜東北線に乗って通勤していた。あるとき、視覚障害者の若い女の方が乗ってきてぼくの隣に座った。それでしばらくするとその人がそわそわしだしたのだ。するとぼくに向かって次の駅はどこでですかと聞いてきた。そのとき、ちゃんと車内放送を聞いていないのかと一瞬思ったが、次の駅を教えてあげた。どうも彼女はそこの駅ではなくもう少し先の駅で降りるようだったので、ぼくは意識的に次の駅を案内する車内放送に耳を傾けていた。

するとなんと放送していることはしているが、何を言っているのか聞き取れないのだ。若い男の声で早口で口ごもった言い方でやるわけで、さっぱりわからない。適当に言っておけばいいやという感じなのだ。結局どこの駅で降りるか聞いて教えてあげたのだが、この車掌は電車に目が見えないひとが乗っていて、そのひとにとっては“アンタの声”が唯一の頼りでいることを全く理解していない、そんなことを想像できない奴なのだ。それから、いつも車掌の案内に耳をそばだてているが、まだまだ同じような車掌がいる。

いま、バリヤフリーだとか言っているが、エレベータをつけるだとかそういった物理的なことではなく、“自分と違う人の身になって社会を見てみる心づかい”をみんなが持つことがすごく重要な気がする。

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2007年04月07日 11:42に投稿されたエントリーのページです。

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