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2007年4月 アーカイブ

2007年4月 2日

脳科学に行きつくのか(その3 プログラミング)

IPA(独立行政法人 情報処理推進機構)の事業で「未踏ソフトウエア創造事業」というのがある。2000年度よりソフトウェア関連分野で優れた能力を有する「スーパークリエータ」を発掘支援することを目的に作られたものである。その若年層向けで「未踏ユース」というのもあって、10代から20台前半ぐらいのひとたちが応募してくる。

その2003年度「未踏ユース」で、「イーサネットのソフトウェア実装とトンネリングシステムの開発」というタイトルでスーパークリエータに認定された、当時18歳の筑波大学の学生だった、登大遊君という若者がいる。その時のプロジェクトマネージャであった電通大の竹内先生がこの子は天才だと絶賛していた。年齢や能力とともにこの技術であるSoftEtherも相当話題になった。その後起業もしている。同じ時にうちの社長が準スーパークリエータに認定されたのでよく覚えている。

その、登君が大学を卒業することになって、自分のブログで面白いことを書いていたので今から書く。脳科学のことに若干ふれている程度だが、本人も脳科学を勉強し始めていると言っているので、そうしたことに関係していると思う。

「論理的思考の放棄」と題して、プログラミング作業のほぼ全てにおいて、論理的な思考は必要ないと言い切っている。作業の邪魔だとさえ言っている。

彼は、驚くことなかれ、1日に少なくとも3,000行程度、多く書くときで10,000行以上のプログラムを書くことができ、多い月で10万行/月くらい書いてしまうそうである。普通の開発者の作業能力は、1ヶ月数百行程度、多い人でも1ヶ月で3,000行程度というから、驚異の能力である。普通のプログラマーの1ヶ月分を1日で書いてしまうわけで、しかもバグの発生率も少ないのだそうだ。

この違いについて彼が言っているのは、ついプログラミングは「論理的な仕事」であるというように思ってしまい、プログラミング作業の全部において、人間の側が論理的な思考でもって作業を行ってしまうが、実はそれが非常に効率が悪い作業なのだそうだ。なぜか。彼の書いたところをそのまま引用する。

人間のアーキテクチャは感覚的思考によって動作し、その処理能力はとても高い。そのため、人間は、努力すれば、感覚的思考の機能の上に、普通のコンピュータが行っているような論理的処理を行う環境を仮想的にエミュレーションし、その上で色々な論理的プログラムを実行することができる。だが、人間の感覚的思考機能の上でエミュレー ションされた論理的処理機能は、所詮エミュレータ上のようなものなので、実マシン(人間本体)と比較すると、とても処理が遅い。オーバーヘッドが大きすぎるのである。あらゆる方式の処理を瞬時に同時実行することができる人間の頭脳がせっかくあるのに、論理的処理用の仮想環境を脳の中で構築し、その上で物事を考えるから、効率が悪くなる。

う~ん、分かるようで難しい。しかし、以前ぼくもプログラミングは理系の人じゃなく文系、例えば文学部出身のひとなんかがむしろいいプログラムを書くというようなことを言ったことがある。それは、“美しいコードだ”といった言い方もされるので、これは工学ではなく文学だ、芸術だと思ったということに通じるのではないだろうか。

こういったことって、確か将棋の羽生さんも言っていたような記憶がある。いかにも論理的であるような将棋の世界でも実は理詰めではなく感覚的にやっていたのだ。(長島茂雄もこれにあたるのかな?)でも、こういうことができるのは天才だからなのかとも思ってしまう。なぜって、「感覚的な思考」の感覚は、みんなに備わっているものだとは思えないし、みんながピカソになれないわけで、要するに“センスいいよねえ”と言われる人は少ないのである。

とここまで書いてみたら、おっと、そんなことを言っているやつに批判を浴びせたことも書いてあった。

論理的に考えないほうがうまく行くと聞いても、それが正しいかどうかやってみずに、論理的な正誤判断をしようとして、「論理的に考えた結果、まさかこんなことはないだろう」という論理的な考えに従い、いつまで経ってもやってみないということがある。それはとてももったいないことである。

まいった、ぼくも彼の言うことをよく聞いておこう。それにしても、登君の脳の中を覗いてみたいものだ。


2007年4月 3日

あの時代のことを少し

並行して読んでいた村上春樹の「ノルウエーの森」と中公新書ラクレから出ていた「アグネス・ラムのいた時代」を読み終えた。そして、植木等が死んだ。

「ノルウエーの森」は1969年~1970年ころの物語であり、「アグネス・ラムのいた時代」では、昨年亡くなったグラビア写真家の長友健二が1960年から1980年くらいにかけて、多くのスターやアイドルを撮った、そのときどきのエピソードを中心にどんな時代であったかを書いた本である。

だからいま、ぼくの20代を思い出している。1968年から1977年である。

「ノルウエーの森」の主人公のワタナベ君が「僕の学校の学食のランチは、A,B,CとあってAが120円でBが100円でCが80円なんです。それでたまに僕がAランチ食べるとみんな嫌な目で見るんです。Cランチを食えない奴は60円のラーメン食うんです。そういう学校なんです。」と言った学校に通っていたときにハタチになった。メキシコオリンピックのサッカーで銅メダルを獲得、3億円事件があった年だ。

その翌年に東大安田講堂事件が起き、1970年にはよど号事件、三島由紀夫の割腹自殺、1972年浅間山荘事件と政治の季節でもあった。ぼくはノンポリだったから、構内で火炎ビンが投げられるのを横目にみながら雀荘に入り浸っていた。ワタナベ君のように政治的ではないが生きていることに真剣に悩み哀しんだりはしなかったが、しかし将来に不安をいだきながらモヤモヤしていた。

長友の本によると、このころから日活が一般映画の製作をやめ、ロマンポルノ路線に切り替わっていく。また、1971年には「日本初のアイドル」と呼ばれた天地真理がデビューする。TBSのテレビドラマ「時間ですよ」の隣の真理ちゃんです。どうも、この年から大衆がタレントに求めるものの質が大きく変わったようだ。そう「かわい娘ちゃん路線」である。

そして、いろいろなことが初めてだったらしい。会場で「真理ちゃーん」と掛け声がそろって上がる声援。文房具、雑貨など本人の写真やイラストを入れたアイドルグッズ。そして、アイドルの寿命は短いこと。そのあと、知性派アイドルのアグネス・チャン、元祖バラドルのキャンディーズ、伝説のグラビアアイドルのアグネス・ラムと続く。

かたやかわい娘ちゃんでかたやロマンポルノという対比はいま考えるとおもしろかったなあ。梢ひとみの裸のポスターが貼ってある部屋でキャンディーズの歌を聞いて「限りなく透明に近いブルー」を読んでいるわけで、何かがどんどん変わっていったような気がする。

このあたりでは、シャボン玉ホリデーも終わり、クレージーキャッツもグループとしての活動から、個人での活動が主となっていた。だからハナ肇の「あっと驚く為五郎」なんてあったが、植木等が何をやっていたかよく覚えていない。性格俳優として位置を占めるのはもう少しあとだから、その当時はあの躍動していた無責任男から変貌をとげる脱皮の時だったのだろうか。

あとこの時代で忘れてはいけないのがフォークソングだ。最初は反体制・反戦ソングとして登場し、ぼくらもボブ・ディランやジョーン・バエズの曲を下手なギターをかき鳴らしながら唄ったものだ。フォークソングも政治から四畳半へ変わっていったときでもあった。

そして、ダッカのハイジャック以外たいした事件も起こらずぼくの20代最後の年は終わった。

2007年4月 5日

藤田敏八のことを少し

前回、「アグネス・ラムのいた時代」という本を紹介したが、そのなかで、「ロマンポルノの旗手、藤田敏八監督」という章があった。ぼくは、藤田敏八監督にはすごい思い入れがあったので興味深く読んだ。

若い頃三重県四日市で働いていたが、実は藤田敏八の実家が四日市市にあり、そのとき、以前東スポ映画大賞の招待券をくれたQさんの紹介で2回ほどお目にかかって話をしたことがある。炬燵に一緒に入り酒を呑んでいろいろなことを話したことや、映画会を開いて座談会みたいなことをやったりしたことを今でもよく覚えている。

その藤田敏八と長友健二は仲がよかったらしい。どうも1972年に長友が平凡パンチに川村真樹のヌードを載せたら、それを見た藤田が自分の映画に起用したいと言ったことからつきあいだしたようだ。「八月はエロスの匂い」である。その後、「エロスの誘惑」「エロスは甘き香り」でも川村真樹を起用する。こうした藤田の作品は朝日新聞の映画評で絶賛されたのも今から考えるとすごいことだった。

そのころから日活ロマンポルノは活況を呈する。長友が撮った1974年のカレンダーを飾ったポルノ女優の名が、梢ひとみ、小川節子、田中真理、宮下順子、片桐夕子、潤ますみとくればその当時を知る人は懐かしさで涙が出るでしょう。

それでも当時はポルノ女優のなり手なんかいないわけで、主演女優を探すのに大変苦労したようだ。それがだんだん市民権を得るようになると、皮肉なことに最盛期を迎えると同時に転換期を迎えることになる。日活の元宣伝部長植松康郎の言葉、

「認知度が上がり、ロマンポルノに若くてきれいな女優を集めやすくなればなるほど、内容としては薄くなっていった。ドラマの内容が、若づくりになっていく。世の中の風潮が。ロリコン好みに変わっていったせいもありますが、僕らの側としては、女優の変化はロマンポルノ衰退の理由の一つとなりました」

徒花のようなこのロマンポルノの時代は80年半ばくらいに散っていった。ロマンポルノの話に行ってしまったが、藤田敏八は1955年大学卒業と同時に日活に入社して、1967年に「非行少年 陽の出の叫び」で監督デビューする。その後数々の作品を残し、また俳優としても活躍する。

この長友の本に書いてあった彼にまつわるエピソードを紹介する。1971年の藤田の作品「八月の濡れた砂」で日活はいったん、事実上一般映画の製作を中止、ロマンポルノ路線へと切り替わるが、そのときのことを前出の植松康郎の回想。

「最後の作品、藤田敏八監督「八月の濡れた砂」に、エンドマークが入っていないのは、おれたちはもう一度復活するぞという思いの表れだったんです」

1997年8月藤田敏八は帰らぬひととなってしまった。

2007年4月 6日

日本映画は元気なのか

昨日の朝日新聞の「私の視点」に邦画の人気について、フラガールのプロデユーサーだった李鳳宇が書いていた。その趣旨はつぎのようだ。

昨年の邦画の興行収入が外国映画を抜いたが、こうしたデータをみると「元気だ」と言える。この隆盛の特徴は、テレビ局の出資がはいっていること、それを支えているシネマコンプレックスである。日本映画人気は、メディアとシネコンの二つの集客システムで成り立っているというわけだ。

しかし、李さんは、映画文化がいい方向に進んでいる実感がないと言っている。最近の映画製作というのは、まず大ヒットした原作が優先で、そこにテレビ局や配給会社が参加する、つぎにみんなが知っている俳優、さらに主題歌を決め、最後に「監督を誰にするか」となるわけで、これでは、「日本に映画はあるけど、映画文化はない」ことになると嘆いている。

ぼくも全く同感で、やはり、映画は総合芸術であり、そこには作家性も必要である。テレビドラマの延長のような作品だとか、荒唐無稽な物語だとか、そんなものが闊歩している限りは、決して日本映画が隆盛だとは到底思えない。

これまでに書いたことだが、あの山田洋次や藤田敏八の映画に対する情熱や藤沢オデオン座のシネコンに負けない運営だとかがだんだん消えざるを得ない風潮が恐いのだ。単なるお金儲けの手段としての映画ではあってはならないと思う。だから、興行収入は増えたかもしれないが、観客動員数は増えていないという現実を何とかしなければ、表面上は元気があるように見えても長続きしないですぐに終わってしまうのではないでしょうか。

2007年4月 7日

自分本位では気がつかないこと

前回、日本映画の心配を書いたが、また日本映画のことが朝日新聞に載っていた。この記事では、聴覚障害者のためにぜひ日本映画に字幕を入れてくれと訴えている。先日字幕屋の本を読んだので興味深く読んだ。

あの本のなかにはこうしたことは触れられていなく、吹き替えと字幕の違いでも、要約しかできないとか俳優の肉声が聞きたいかどうかといった切り口で語られている。しかし、いまの話でいくと、そうなんです、字幕というのは聴覚障害者にとっては素晴らしいことなんですね。

ですから、変な話、外国映画は楽しめるのに日本映画は観れないなんてことになっているわけです。こうしたことは、自分が聴覚障害者の身になって考えないとわからないことなのです。健常者の視点のままだとそこまでの想像力が働かないのだ。

ぼくが経験した同じようなことがある。それは、聴覚ではなく視覚障害者のことである。

ぼくは、以前勤め人のときは京浜東北線に乗って通勤していた。あるとき、視覚障害者の若い女の方が乗ってきてぼくの隣に座った。それでしばらくするとその人がそわそわしだしたのだ。するとぼくに向かって次の駅はどこでですかと聞いてきた。そのとき、ちゃんと車内放送を聞いていないのかと一瞬思ったが、次の駅を教えてあげた。どうも彼女はそこの駅ではなくもう少し先の駅で降りるようだったので、ぼくは意識的に次の駅を案内する車内放送に耳を傾けていた。

するとなんと放送していることはしているが、何を言っているのか聞き取れないのだ。若い男の声で早口で口ごもった言い方でやるわけで、さっぱりわからない。適当に言っておけばいいやという感じなのだ。結局どこの駅で降りるか聞いて教えてあげたのだが、この車掌は電車に目が見えないひとが乗っていて、そのひとにとっては“アンタの声”が唯一の頼りでいることを全く理解していない、そんなことを想像できない奴なのだ。それから、いつも車掌の案内に耳をそばだてているが、まだまだ同じような車掌がいる。

いま、バリヤフリーだとか言っているが、エレベータをつけるだとかそういった物理的なことではなく、“自分と違う人の身になって社会を見てみる心づかい”をみんなが持つことがすごく重要な気がする。

2007年4月10日

ビジネスコンポーネント指向開発(1)

はじめに

「ユーザ目線のBPM」で実際に動くものをつくらないといけないと言い、その形としてオープンCMS(oss-CMS)によるコンポーネントをBPMでプロセス化することを提案した。そこでこの「ビジネスコンポーネント指向開発」についてもう少し具体的に考えていこうと思います。

その前に、おさらいの意味でもう一度「ユーザ目線のBPM」のなかでなぜ「ビジネスコンポーネント指向開発」を提唱したかを整理してみる。

BPMはまだきちんと定義されているわけではなく、共通認識がないように思われる。従って、ひとによって様々なアプローチがある。
大きくは次のようなアプローチがあるように思える。
①企業の業務を分類・定義し、モデル化・体系化を行なう。
②企業の業務をフロー図などに書き出し可視化する。
③業務コンポーネントを組み合わせてBPMでプロセスをつくりあげる。
④BPMを使ってSOAの仕組みを構築する。

さて、BPMを考えるうえで重要な視点はいったいなんなのだろうか。それは、BPMの最終ゴールはどこにあるだろうかということに他ならない。そして最も適した答えは、「事業の役に立つ業務プロセスをつくること」ではないだろうか。

経営ではなく、事務ではなく事業のためであり、その事業の足を引っ張ることはもってのほかで、事業が円滑に運営するための本当に役に立つ仕組みでなくてはいけない。

そう考えると、上記のアプローチでは物足りない。事業の役に立つためにさらにどこまでやらなくてはならないかを掘り下げる必要がある。従って、つぎのようなところまでやってこそ初めてBPMらしくなる。

①では、そこで作られた業務モデルをテンプレート化し、ベストプラクティスとして利用する。
②のフロー書き出したら、さらにその業務フローを標準化・最適化する。
③は、事業からの変更要求に柔軟かつ迅速に対応できるようにする。
④は、事業部門というよりシステム部門の役に立つことかもしれない。

で、今回提唱している「ビジネスコンポーネント指向開発」というのは、③のアプローチのことである。④は事業視点が薄いので除外すると、①②であるが、③のアプローチがプロセス制御の考え方でいうところのフィードバック制御的であるのに対し、①はフィードフォワード的、②はシーケンス制御的であるといえないことはない。

フィードフォワードでは外乱に対する制御量の把握の難しさやそれだけでは完全な制御ができないこと、またシーケンスの論理回路の設定が難しいことなど、言い換えれば、よその会社のテンプレートが自社の本当のベストプラクティスになりえるのかという問題や、標準化・最適化が本当にできるかなどの問題があり難しいアプローチであると考えている。

従って、業務プロセスに対する応答性のよいフィードバック制御が一番現実的で有効であると言っているのです。ただし、こうして開発されると業務コンポーネントが蓄積され、またブラッシュアップされていくため、こうした業務コンポーネントをモデル化あるいはテンプレートすることによって、次第にフィードフォワードやシーケンス制御の利点も取り入れることも可能になっていくものと思われる。

制御工学の話を持ち出してわかりずらかったかもしれませんが、まずは、業務プロセスをきちんと制御してから、その後より最適な方向に持っていくというアプローチを推奨しているわけです。
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2007年4月11日

トカイナカって何のこと

トカイナカって知っていますか?トナカイではありませんよ。都会と田舎を合わせた言葉です。

すなわち、前に書いた二地域居住者のことです。よくリタイアして都会から田舎に引っ越す人がいますよね。それとは違い、都会の家を残したまま、田舎にもう一軒家をもつことなのです。だから、昔の別荘とか、最近増えてきている海外ロングステイみたいなものとも違う。奥さんが東京で旦那が軽井沢に住んでときどき行き来しているなんてケースのことである。

そりゃあ優雅でいいけど、結局お金持ちのひとしかできない生活ですよね。

ぼくは何度も書きますが、以前東京と鎌倉の二地域生活をしばらくしていたことがあって、そりゃ快適でした。仕事は東京で余暇は鎌倉でというわけですから気分転換にもなってよかったのですが、とここまで書いて思い出したのだ。

そういえば、もっと前に二地域居住者になったことがあった。単身赴任だ。この場合はイナイナカですが。もうかれこれ十数年まえになるが、4年間三重県の四日市で単身社宅で過ごしたことがある。ちなみによく言われるジンクスで自分の家を建てると転勤になるってやつをもろ体験しました。3ヶ月間新居に住んだだけでした。そこでぼくが考え出した生活パターンは、毎週家に帰ることでした。だから二地域居住者というわけなのだ。

毎週金曜日の夕方会社が終わるとすぐに家に向かう。勤めが工場だったので比較的早く退社できるので家には9時半くらいには着ける。それで、土曜と日曜は家の仕事をしたり、子どもと遊んだりした。そして、月曜日の朝5時半に起きて家を出る。新幹線の中で朝食を食べ、ひと眠りして10時ころに出勤するという生活を4年間やった。

問題は経済的なところだが、帰省手当とか別居手当みたいなものがあり、また、どうせ休みに一人でいても呑みにいったりで散財するわけだから、そんなに負担ではなかった。まあ、JRにはずいぶんと貢ぎましたが。

こうした生活もけっこう快適で、何よりも往復の新幹線のなかで仕事モードと家庭サービス・遊びモードに切り替わる時間がいい気分転換にもなった。すなわち、家に帰るときの車内では、仕事のことは忘れていき、逆に会社に向かうときの車内では、さあ仕事をするぞとなる。しかし、さすがにそれも2年ぐらいまでは楽しかったたが、それ以降はだんだん苦痛になってきて、また戻れたときはほっとした。

いまはまだ、遊ぶのを控えてかなり仕事をしていかなくてはいけない身なので、当分は今の生活を変えられないが、そのうちトカイナカ生活ができたらと思う。おいおい、そのために必要な資金がどこにあるのだ。

ビジネスコンポーネント指向開発(2)

なぜビジネスコンポーネントなのか

コンポーネントという場合、どうしても部品とか、クラスライブラリーとかいったイメージで語られることが多い。これは、システムを作るうえでのシステム機能を指している。そういうものであると、しょっちゅう使う機能や、共通的な機能をまとめて外だしにする、いわゆるフレームワーク化することで、それらの再利用性を高め開発効率をあげることを目的としている。従来のコンポーネント開発といわれるものは、こうしたシステム機能寄りの発想が主なものになっているような気がする。

そうした業務非依存のアプリケーションフレームワークのレベルのものは、いまやStrutsや.NETFramworkあるいはWebの各種フレームワークなどがあり、こうしたフレームワークにあるシステム機能コンポーネントを活用すればいいことになる。問題は、業務に密着したその上層のドメインフレームワークがなかなか難しいのである。再利用性が高いドメインフレームワークはあまり見たことがない。

さて、フレームワークといってもよく分からないが、要はビジネスコンポーネントをどういう粒度で分類するかが肝になるところである。「ユーザ目線のBPM」にも書いてあるので重複するが、もう一度整理する。

業務アプリケーション(例として販売管理)
業務プロセス(受注~代金回収、営業支援、見積、在庫管理・・・)
業務サービス(受注、出荷、売上、請求・・・)
業務コンポーネント(受注受付、出荷依頼、売上登録、請求書送付・・・)

言葉の使いかたはともかくとして、このくらいの階層構造になるのではないかと思う。

これらを分類・定義していくわけだが、業務分類から入るビジネスモデリングからのアプローチだとレベルが高いうちはいいが、詳細に落とし込んでいくとその固有性や例外、特殊性などの罠にはまり、モデル化が困難になるのではないだろうか。

そこで、いい業務プロセスを作るには、業務コンポーネント主体の開発でないといけないと考えた。より普遍的な粒度で業務コンポーネントを規定し、細かい機能的なぶれはそこで吸収し、業務サービス・業務プロセスでは、差別化のための差異を表現するというアプローチだ。

いい業務プロセスを引き出す方法論、道具の提供を目指すビジネスコンポーネント指向開発こそがBPMの正しい活かし方であると考えている。

次回はこの業務コンポーネントの粒度についてさらに具体的にみていく。

2007年4月12日

法整備を急げ

高田延彦、向井亜紀夫妻が代理出産でもうけた双子の日本国籍取得を断念した。最高裁が不受理を確定し、そのとき最高裁決定の補足意見で、法的な親子関係を成立させるための選択肢として勧められた「特別養子縁組」など、その後実子にするための方策をいろいろと検討していたが、結局契約が壁となりあきらめたようだ。

ここで、代理出産の是非を論じるつもりはなく、最高裁が「代理出産という民法の想定していない事態が現実に生じている以上、医学的観点や子の福祉などについて検討が必要で、立法による速やかな対応が強く望まれる」と国会に法整備を促したことを書く。

ぼくらは普通に三権分立ということを教えてもらい、司法・立法・行政がバランスよく機能しているように思ってしまうが、今回のように司法が立法に法整備を促したことに驚いてしまう。司法はやっぱり法を超えることはできないと改めて思うことと、世の中の変化に法が追いついていない現状が浮き彫りになった。

なぜ、法整備が遅れているかは国会の怠慢であることは間違いないが、やはり昨今の科学技術の発展が大きいと思う。そのなかでも、ITとライフサイエンスのめまぐるしい変化が特に顕著のような気がする。上述の代理母の問題にしても昔は考えられなかったことだ。

法整備の遅れということでは、先日テレビで放映していた「ドクターヘリ」のことを紹介する。これは、病院にヘリコプターを常備した救急医療のことで、緊急出動がかかると担当医師と看護師がすぐにヘリコプターに乗って現場に急行し手当てするものである。こうした病院は全国でまだ11箇所しかないが、年間4000件の出動で多くの命を救ってきている。

ところが、この放送のなかで法や行政が邪魔をしている場面がでてきた。場所ははっきり覚えていないが、どこかの高速道路で大きな事故があって負傷者が発生したので、ドクターヘリが出動した。ところが、ヘリコプターがなかなか現場に降りられないで上空を旋回している。高速道路にヘリコプターが着陸するのは違法なのだそうだ。だから、結局許可がおりず、近くの空き地におりてそこから現場に駆けつけるという時間のロスを強いられた話であった。

こんな話を見聞きすると、国会は何をやっているんだと言いたくなる。

だから、立法府たる国会に関する最近の動きが気になる。憲法改正の動きが盛んになってきているがそれはそれで大いに議論したらいいと思うが、一方で“法に則って適正に処理している”からいいんだと嘯いている農水大臣がいたり、教育に関する法律も本来長期スパンで考えるべきものを目先のことしか頭にないのではないかとか、そんな状況を見ていると、国民のための法整備を真剣に進めているように到底思えない。

国会よ、ぐだらぐだらやっている場合じゃないぞ。

ビジネスコンポーネント指向開発(3)

コンポーネントの粒度

粒度の話に行く前に前回話した業務アプリケーションの階層構造について図示したものを見ていただきたい。

例えばとして販売管理という業務アプリケーションについてのそれぞれのプロセスやサービス名を書いてある。このなかで一番小さい業務コンポーネントは細かすぎるので書いていないが、本回ではここを中心に議論する。

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この業務コンポーネントの粒度を決めるのは、その理論的な基準もないため非常に難しい。そこで考えついたのが、「書類」という単位です。

業務というのは、結局人間を中心に仕事の依頼(指示)が来て、それを受付し、何らかの処理や判断を行い、またつぎの人に新たな仕事を依頼するという繰り返しではないかと思う。その一部をITが人間の替わりに振舞ったりすることはあっても基本的な流れは人間を経由してまわっていくのではないでしょうか。

そのとき、受付-処理-依頼というアクションというかタスクというか、そういった単位業務処理は、書類で受け渡すことになるのではないのかということです。

「○○依頼書」で依頼して、その依頼書を受け付けて、処理というのは依頼書の作成・編集に相当して、例えば承認にしてもその書類に承認のサインをすることであるし、その時点でその書類が最終化され、次のステップのきっかけになっていく。

これは、何も書類になっていなくてもよくて、例えば「在庫引当」というような場合、あたかも「在庫引当依頼書」を発行したかのように振舞えばいいわけで、ほとんどのケースでそうした単位に分けることができる。そうです、この書類のライフとでも言ったらいいと思うが、一つの書類に対する「作成-編集-確定-承認」の単位を業務コンポーネントとすれば、すごく分かりやすいし、そのコンポーネントは業種・業態や環境の変化に左右されない。

そして、この業務コンポーネントを「受付」、「依頼」を介して、BPMがプロセスにしていくことになる。

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2007年4月13日

ビジネスコンポーネント指向開発(4)

業務コンポーネントのつくり

業務コンポーネントのつくりをどうするのかになるが、書類のライフと定義したということは、書類の作成から編集・確定・承認という、いわばワークフローという形態でもあると言える。しかし、ワークフローといっても、この場合は単純なもので、むしろ「状態遷移」と捉えたほうが分かりやすい。要するに、書類が作成された初期状態から、追記されたり、変更を加えられたりして、編集された状態に遷移する。それをメンバーが確定し、承認者に承認をうけて完成させるということである。

しかも、これらを逐次的な流れではなく、メンバー間での情報共有的さばきかたでやるのがこれからの仕事の進め方になるし、効率的であると思われる。Web2.0的な考え方の、参加型のアーキテクチャ、あるいは集合知の活用というところでしょうか。従って、これこそoss-CMSが本来的に持っている機能の重要な部分である。だから、それを利用するのだ。

誰かが、該当メンバーに書類の作成を宣言し、できたものをβ版でいいからすぐにアップする。それをみんなが寄ってたかって意見を言い合い改編していく、場合によっては承認者も参加しているため、承認伺いが立ったらすぐに承認・公開されるというわけだ。

それでは、具体的にoss-CMSをみていきましょう。CMSはコンテンツマネジメントシステムのことであるが、IT用語辞典「e-Words」によれば、「Webコンテンツを構成するテキストや画像、レイアウト情報などを一元的に保存・管理し、サイトを構築したり編集したりするソフトウェアのこと。広義には、デジタルコンテンツの管理を行なうシステムの総称。」ということになる。

もうちょっと技術的にいうと、「Webサイトを構築するには、テキストや画像を作成するだけでなく、HTMLやCSSなどの言語でレイアウトや装飾を行ない、ページ間にハイパーリンクを設定するなどの作業も行なう必要がある。これらの要素を分離してデータベースに保存し、サイト構築をソフトウェアで自動的に行なうようにしたものがCMSである。」であるが、CMSには拡張機能がいろいろあって、プラグインよいう形で付加できるため、広い範囲のアプリケーションに対応できる。

代表的なものをいくつかあげると、PloneXoopsWordPressMovableTypeosCommerceZenCartなどがあり、WikiやSNSも入れると数多く存在する。

今回さしあたって、「書類の状態遷移」を業務コンポーネントと定義した場合に適したものとして、Ploneを選択した。理由は、“オブジェクトの状態とユーザロール”を中心に構築されたワークフローの機能をもっていたからです。

Ploneはどのユーザが見たり実行したりできるのかを定義するのにロール(役割)を用い、そのオペレーションのすべての面においてセキュリティを組み込む。ロールにはanonymous(無名)、member(メンバー)、owner(所有者)、reviewer(レビューワ)、それにmanager(マネージャ)がある。

そして、Ploneのワークフローにはvisible(可視)、pending(保留)、published(公開)、private(私的)の4つの状態があり、それぞれのロールを与えられたユーザがオブジェクトを利用できるかどうか、また、オブジェクトが次に他のどんな状態に遷移できるのかはオブジェクトの状態によって決まってくる。

このように、ロール(役割・権限)とオブジェクト(書類)の状態を管理することでひとつの業務を処理していくわけです。こうした単位業務を組み合わせることで業務プロセスが形成されるのです。

業務コンポーネントにPloneを指名しましたが、場合によってはその他のCMSでもかまわないのです。例えば、ZenCartのような販売サイトをコンポーネントとして捉えてもよいし、Xoopsでコミュニティの議論結果をもってくるとか、応用動作は多くあるような気がします。

次回はBPMについて議論します。

2007年4月14日

花の命は

ばあちゃんの家の牡丹が見事に咲いた。

紅白で二対の花はめずらしい。ところが、咲いたと思ったらすぐに花をちょん切ってしまった。来年また大きな花を咲かすには早めに切っておかなくてないけなのだそうだ。

なんか変な気がするが。

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ビジネスコンポーネント指向開発(5)

BPMを使う

業務コンポーネントは、oss-CMSを有効に活用し、できない部分も軽量言語とフレームワークでさくさくと開発してしまいましょうということを提案した。

さて次に、そうした業務コンポーネントをフローにしていかなくてはいけない。しかも、単なるワークフローではなく、業務フローが適正なつながりになっているか検証できるシミュレーション機能やできあがったフローの稼動を監視するモニタリング機能などが要求されてきている。そういった意味では、最近注目のBPMを使って業務プロセスを組み上げ、フロー制御していくのが有効な手段であると考えている。

BPM製品もEAIやWASから拡張されたようなものも含め、数が増えてきているが、ここでは「SAVVION」という製品でBPMを行なってみる。この製品は4年前に筆者が実際に使ったことがあることや機能的にもすぐれているので採用することにする。

ただし、この製品でなくいてはいけないということではなく、他の製品でもかまわないし、場合によってはオープンソースのものでもいいのだが、この分野はまだコミュニティが成熟していないのでまだリスクが大きいと思われる。

BPMで必要な機能とはいったい何なのだろうか。最低必要なものとしては、
1.ビジネスプロセスデザイン(シミュレーション機能付き)
2.コンポーネント(サービス)ハブ
3.モニタリング
4.実行エンジンとユーザインタフェース
であると考える。

その他、BAMだとかBIあるいはビジネスルールなどあるが、そこまで活用できる企業は少ないのではないでしょうか。ですから、まずは、適正な業務プロセスが作れて、すぐに動かすことができ、その動いている状況を把握できる仕組みがあればいいのです。

こうしたものはBPMS(BPM Suite)とよばれるが、このBPMSが機能的にすぐれた道具の集まりであることが大切で、誤解をおそれず言うと、BPMそのものあるいはBPMN,BPELとかはあまり重要視していない。

ここで、ビジネスプロセスデザイン機能についてもう少し詳しくみていく。単純に今やっている業務フローを書き出すだけでは、ビジネスプロセスデザインとは呼べない。そのAsIsのフローをシンプルで一貫化されたものにする、適正化という作業が大事である。そのためには、BPMSの中に適正化のためのチェックが自動的に行なわれることと、いろいろなケーススタディができる機能が望まれる。ここはまだ研究中でどうするかは時間が要りそうだ。

もう一つの検討課題は、PloneとSAVVIONとの接続性の問題であるが、これについては、Webサービスを用いてやることになるが、もちろん開発要素は出てくるが接続性については問題にはならない感触を得ている。

参考までに、SAVVIONのモデラーでサンプル業務フローを書いた例を載せる。
この四角の箱がアクティビティであるが、その中味はPloneで作られているといったイメージになる。そして、それぞれの線の取り合いが依頼と受付になる。それで理想的には、アクティビティの機能や線のつなぎ方に業務プロセス上で重複や迂回などのルール違反があるとワーニングしてくれるというのがうれしいのですが。

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次回は、開発方法について考えてみる。

2007年4月15日

ビジネスコンポーネント指向開発(6)

開発手順

おおまかな開発手順は次のようになる。
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こうした手順はウォーターフォール的に書いてあるが、実際にはスパイラル的に行なっていく。開発には、ビジネスプロセスをデザインする「ビジネスプロセスデザイナー」、業務コンポーネントの開発部分を担当する「スーパープログラマー」、実装を請け負う「ITアーキテクト」からなる開発部隊とそれを「プロジェクトマネジャー」が統括する形で行なっていく。

人数も少数精鋭で短期に仕上げて行く。また、非基幹系の業務プロセスで高い正確性を要求されないものなどはβ版で公開し、少しずつブラッシュアップするやり方も行なう。

ここで特徴的なのは、エンドユーザのひとたちと対面して開発することである。そのためには、要求が出たらすぐに実装して見せてあげることが必要となる。こうした開発方法をここでは、「対面開発(Face2FaceDevelopment)]と呼ぶことにする。ユーザの要求の”ぶれ”を早期に吸収し、手戻りの発生を防止する効果を期待する。

さて、これまでの述べてきた「ビジネスコンポーネント指向開発」の特徴と優位点についてまとめてみる。

1.ミクロワークフローとマクロワークフローに分けたこと
2.ミクロワークフローは、オブジェクトの状態遷移であると捉えたこと
3.オブジェクトを書類単位とし、それを業務コンポーネントとしたこと
4.業務コンポーネントにオープンソースCMSを適用したこと
5.オープンソースCMSにワークフロー機能とオブジェクトデータベースを内臓した「Plone」を採用したこと(オブジェクトを書類の状態遷移としたため、こうした選択となったが、違った要件では別のCMSでももちろんかまわない)
6.業務コンポーネントをBPMで組み合わせて業務プロセス・サービスにしていくこと
7.BPMはプロセスを構築するための道具と捉え、BPMSの色合いを濃くみていること
8.BPMSとして「SAVVION」を採用したこと(ただし、これも他のBPMSでもかまわない)
9.ユーザ参画型の「対面開発(Face2FaceDevelopment)」により、迅速開発と変更要求対応力を重視していること
結局、役に立つBPMというのは、こうした考え方、技術、方法論により実現できると考える。これらを図示すると次のようになる。
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2007年4月16日

今年のベイはひょっとするかも

西武の裏金騒動や突如出てきた那須野問題でプロ野球の人気に水をさすのかと思ったら、大リーグの日本人選手の活躍もあり、何となく日本のプロ野球も楽しげです。

なんといってもぼくはセリーグのプレーオフ制が効いているように思える。まあ、1位は中日でしょうが、そのあとの2,3位狙いがおもしろい。横浜、広島が張り切っているように思えませんか。

そうです、わがベイスターズは、ひょっとしたら3位に行けそうかも。投手陣では寺原ががんばっているし、攻撃陣も鈴木尚典が戻ってきたし、吉村は復活の気配であり、村田ははや100号本塁打ですぞ。でも、昨日は工藤がメタメタだ。まあ、今のところ5割だからいい線だ。

やっぱ、仁志と工藤の加入の影響が大きいかもしれない。それまであまりにも変化が少なかったのじゃないかなあ。二人は戦力としてではなく気分を新たにしたみたいな効果じゃないかと思う。いよいよ今年のプレーオフが楽しみだ

ビジネスコンポーネント指向開発(7)

適用業務

この開発手法でどこまでの業務アプリケーションができるのだろうか。いままでの議論では、どちらかというと非基幹系業務ならだいじょうぶそうだが、基幹系だと無理じゃないのかと思われる方もいると思う。基幹系の仕組みが既にあってその周辺の業務に適用するものではないかと。しかしながら、例示したなかに販売管理システムがあったように、基幹系にも十分適用できるものと考えている。

そのとき、何をもって基幹系なのか非基幹系なのかの定義をしておく必要がありそうだ。ERPにあるから基幹系だとか生産・販売・物流は基幹系だとか、なんとなくぼやっとしていないだろうか。広義の意味では企業のPDCAサイクルを回す業務のことであるが、これだとまたよく分からないところがあるので、もっと狭めて考える必要があるような気がする。

ここで、基幹系とは、「ヒト・モノ・カネに関する確定した数量・金額を処理する」業務のことと定義する。

簡単にいえば、確定した見積金額、確定した受注数量、確定した売上等々を処理することであり、どれだけ売り上げてどれだけコストがかかったのかをはっきりさせることであり、BS/PLに反映されるアクションである。

なぜこうした境界にしたかというと、安定なシステムであるかそうでないかを峻別したいがためである。もともとコンピュータが導入された当初はこの部分しかシステムに載せていなかったわけで、その後PCが端末に登場することで、確定前の処理もPCに載せだしたために“不安定な”システムが作り出されたように思える。

例えば、受注にしても受注するまでに顧客やあるいは社内関係部署との間で在庫状況のチェックや与信などいろいろなやり取りがあって確定していくが、そのやりとりというのは必ずしも決まった手順があるわけではなくケースバイケースでの対応が多い。

こうした処理を基幹システムに放り込むことにより、例外処理や戻し処理、過剰なエラーチェックなどシステムを複雑かつ不安定にしてやしないかということである。

ですから確定前の業務はむしろ非基幹系業務ということにして分けて考えたほうがいいような気がする。また。基幹系業務で生成されたデータを使って処理する業務も非基幹系業務のひとつとして定義できる。従って、別の言い方をすると、確定前処理というのは情報共有的な進め方であるのが一般的であるため、「情報共有」と「情報活用」業務のことを非基幹系業務ということにする。

「情報共有」によりデータを確定し、それを基幹系システムに渡し、基幹系ではそのデータを使って業務処理を行い、決算データを作成し、そこで生成されたデータを「情報活用」し、次のアクションに生かしていくというシステム構造である。

さて、「ビジネスコンポーネント指向開発」は基幹系業務にも適用できるといったが、情報共有を主体とした確定前処理業務に適用するほうが向いていることから、まずはこの領域で実践し、もし有効であれば基幹系にも拡げていくことをねらう。

上述の定義からいうと非基幹系業務がけっこういっぱいあるのではないかと思う。極論すれば、今の業務パッケージをスリムにして(確定後の処理だけにして)、その周りを「ビジネスコンポーネント指向開発」で作り上げ、できたコンポーネントと業務プロセスをできるだけ再利用していくという方向性が見えてくる。

ただし、すぐには難しいのでやりやすいところから実現していくのがよいが、そのターゲットとしては見積依頼管理、顧客サービスのようなものが考えられる。また、ITILのシステム化やISO文書管理などへの適用も有効かもしれない。

2007年4月18日

東西三人会

一昨日、国立演芸場に32回を数える「東西三人会」を聴きに出かける。東の柳家小里ん、古今亭志ん橋、西の笑福亭松喬の三人の落語会のことである。

さて、演目は、小里んさんが「不動坊火焔」、志ん橋さんが「船徳」、松喬さんが「佐々木裁き」でそれぞれ熱演した。3人は人気落語家というわけでもないが、油の乗り切ったところで(年齢的には、小里んさんを挟んで三歳ずつくらい違うんじゃないかな、若い松喬さんも確か55歳かな)、こうした落語会で多くの古典落語を披露してくれる。

今回も、「不動坊火焔」での幽霊、「船徳」における俄か船頭の若だんな、「佐々木裁き」でのとんちのきいた子どものそれぞれの演じ方がすごくよかったように思う。

寄席や独演会もいいが、こうして対応の違った三人三様の噺をたっぷり聴けるというのはありがたい。落語はなんといっても聴いたあと心持がよくなるのでうれしい。

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10度、Low

昨日、今日と冬に逆戻りのような陽気で何となく気分もよくない。だが、このタイトルを思いついたときはすっきりたなあ。わかりますか、下の息子と朝会ったとき「今日は寒いなあ、気温も“ジュード・ロウ”だな」と言ったらメチャ受けたのだ。それで、観る映画も決まった。キャメロン・ディアスとジュード・ロウの「ホリディ」だ。

昼間、東京で打ち合わせを終えて「川崎109シネマズ」に向かう。ここは、駅直結なのですごく便利で少々早く行っても待つところが広くあり気に入っている。

映画は、クリスマス前に恋に破れた二人の女性が、家や車を交換する“ホーム・エクスチェンジ”で住み替わるところかから始まる。片やアメリカで映画の予告編を製作する会社を経営するキャメロン・ディアスは、イギリスの田舎町に住んで、そこの住人であったケイト・ウィンスレットの兄であるジュード・ロウと恋に落ちる。一方、ケイト・ウィンスレットは同じ職場の恋人に二股をかけられ、捨てられて傷心を抱いてアメリカにいき、そこで知り合ったジャック・ブラックとできてしまうという物語である。

“ホーム・エクスチェンジ”というのがありえない設定なのかはほっといて(映画だからいいでしょう)、失恋して、再出発するそう若くはない女性の気持ちの動きや過去をなかなか捨てられないことや、さまざまな過去を知りながら好きになる大人の恋愛とかがすごくよく描かれていていい作品であると思う。男女4人の演技もさることながら、年老いた脚本家のエピドードの配置やジュード・ロウのかわいい娘たちの登場などが、うまい具合にスパイスのような効き目があってすばらしい。

ただ、いい作品だからこそ2つ注文。

その老脚本家が失恋を嘆いているケイト・ウィンスレットにこう言う、「君は主演女優なんだよ、それがいまは助演女優になっている」と戒めるシーンがある。ここでこう言ったのなら、前の恋人をあきらめて新しい男を見つけたとき、「そうよ私はこれから主演女優なのよ」とくらい言わせてほしかった。

もう一つは、ラストシーンが気にいらない。最初にインターネットでメッセージ交換しているシーンが効いているので、最後もこういうシーンで終わりたかったなあ。

映画を観るまでの時間がたっぷりあったので、今読みかけの川上弘美の本と新書で「安心社会から信頼社会へ」という2冊を読んでいた。川上弘美は、そう若くない女性と男の間でかもしだす空気感みたいなものが好んで描かれる。

「安心社会から信頼社会へ」では、これまでの日本の社会の特徴である「安心社会」が崩壊し、欧米型の「信頼社会」へ変貌していかなくてはならないというようなことが書いてある。川上弘美の描く世界はどちらかというと「安心」のある情景のような気がする。欧米は「信頼」型であり、「ホリディ」の世界もそういうことである。とまあ、日米比較人類学みたいな思いも同時に感じて面白かった。

2007年4月19日

雨後なのにタケノコが出てこない

わが家の前に竹林があって、例年だと連休1週間前になるとにょきにょきとタケノコが出てくる。ところが、なぜか今年は2、3本しか見ることができない。その中でも家の庭の敷石近くまで侵攻している根から生えてきたのが一番大きい。

よく、いいですね家でタケノコ狩りができてと言われるが、最初のころは楽しんでいたが、最近では申し訳ないがうんざり気味です。掘るのも斜面なのでけっこう大変で、さらに出だすと一気に出てくるし、ほっておくとすぐ伸びるから、さっさと採らなくてはならない。従って、毎日タケノコご飯とあいなる。

もっとゆっくり生えてきてくれないかなあ。それより、ひょっとすると今年はもう生えてこないのか?

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2007年4月21日

嫌いなもの

食べ物の話である。わが家の夕食でこども二人がおおサーロインステーキである。ところが嫁はんには「お父さんは鯛の塩焼きにしといたから」と言われた。

そうなのです、もう数年前から脂の乗った肉が食べられないのだ。霜降りのいい肉が嫌いだ。あの焼かれた脂の匂いやぷりっとしたのが苦手だ。まあ嫌いというより正確には食べられないと言ったほうがいいのかもしれない。そのくせ、ヒレ肉やカツ丼、吉野家の牛丼は大好きなのである。要は、脂がだめなのだ。

実は、こどものときにもこの脂が受つけられなかった。そこで、こどものころの肉にまつわるおもしろい話をする。

ぼくらのこどもの頃というと戦後そんなに経っていないので食糧事情もよくなくサツマイモばかり食わされた。そうだ、嫌いじゃないが食べられないものにサツマイモがあった。いまサツマイモの料理を進められてもぼくはほとんど食べません。これはおそらくこどものときに一生分のサツマイモを食べてしまったからだと思う。

さて、肉にまつわる話のことだが、家の前に小さな川が流れていて、そこでよくザリガニ釣りをした。山から竹を切り出して、普通の木綿糸に皮をむいた蛙をえさにして釣る。えさは他にスルメであったり、たくあんであったり、釣ったザリガニのしっぽだったりする。ザリガニがそのえさをハサミでつかんだところをひきあげるのである。

ある日、近所に住んでいるアメリカ人の子どもがぼくらの釣りをじっと見ていた。するとさっと家に戻っていったと思ったら、何やら抱えて帰ってきた。それでぼくらと同じようにザリガニ釣りを始めようとしている。抱えたものを地面に落としたときぼくらは目を丸くした。なななんと何と肉の塊である。

当時のわが家の食卓にはめったに肉がのぼらない。それをああザリガニに食わしちゃうのだ。えびで鯛はわかるが、肉でザリガニじゃしゃれにもならない。ぼくらは、釣りどころではなくじっと横目で肉をながめ続けたのである。このときはこども心に敗戦国のみじめさとアメリカの豊かさを実感したのであります。だから、腹いっぱい肉が食いたいとしみじみ思った。

ところが、たまにすき焼きだなんていうとうれしくなるのだが、その肉はけっしていい肉ではなく脂身がついてくるのだ。その脂身が食べられないのでよけて食べて母親から怒られた。それから、大人になるのと肉の質がよくなったこともありだんだん好きになっていった。

それが年をとってからまた食べられなくなったというわけである。よくテレビのグルメ番組でうまそうに特上カルビの塩焼きだなんていっているがよだれもでてこない。まあ、かわいそうにとか言われるけど、みんなじゃんじゃん食べてコレステロールをためたらいい、とちょっと開き直ってみる。

2007年4月23日

川上弘美と酒を呑みたい

川上弘美の「センセイの鞄」と「溺レる」、「ゆっくりさよならをとなえる」を読む。川上弘美は前から気になっていた作家で、どうしてかというと、ぼくは内田百閒の随筆が好きで読んでいるんだけど、その百閒の影響を受けている作家ということだったので、一度読んでみたいと思っていた。

「センセイの鞄」は確かテレビドラマにもなっていたようだが、ぼくは見ていない。その「センセイの鞄」は40歳まえの女性と30歳くらい年上の先生の恋物語?である。センセイは国語の先生で女性はそのときの教え子なのだが、あるとき酒場で居合わせて、それからしょっちゅういっしょに飲む間柄になる。だから物語は居酒屋で呑むシーンばかりで、そこからすこしずつセンセイのこれまでの生き方や生活がうかびあがっていくとともに女性の心がセンセイに傾いて様がたんたんと描かれる。

実にほんわかとした雰囲気が読者にも伝わってきて癒される。さすが内田百閒に影響されているのか、飄々として突然得体のしれないものがとびだしたり、そのいわゆる空気感がなんともいえない。川上弘美は女性の読者が多いらしいが、男でも楽しめる小説だと思う。ぼくの好きな作家になった。

しかしながら、この本に出てくる飲み屋の場面がまさにリアルでしかもぼくの好みの飲み方なのだ。酒の肴も、いきなり「まぐろ納豆、蓮根のきんぴら、塩らっきょう」だ。そして、「豆腐は万能です」「はあ」「湯豆腐や良し。冷や奴や良し。煮豆腐や良し。揚げ豆腐や良し。万能です」。おでんは、大根につみれにすじお願いしまーす。酒はもちろん手酌です。そして、バーで飲むのはバーボンのソーダ割りだ。まいった。

てなことで、読みながら酔っているようだった。いちどでいいから川上弘美と一緒に呑んでみたい。

2007年4月24日

セーフティーネット

きのうは、日本BPM協会のワーキンググループの定例会に出席。終わってからメンバーのうちの数人と近くの居酒屋に呑みに行く。入った店の名が「土俵や」という。席についたら目の前にミニチュアの土俵があった。

いろいろな話がとびかっていたが、なぜかセーフティネットがどうのこうのとかいう話になった。そのときぱっとひらめいたのが、あ、土俵にはセーフティネットが付いているんだということ。

だからすかさず、“土俵ってこう盛り上がっているのはなぜか知っていますか?これはねえ、力士がけがしないためなんですよ。土俵で倒されたとき、そのままフラットだと、変にふんばったりしたりして身体をひねったり、どこかを打ったりするのだ。ところが段差があると土俵の上から下に落ちる間に身体がフリーになるのだ。そうすると、身体全体の力が抜けけがをしないですむというわけだ。”とざっとこんなことをしゃべってから、“これこそ究極のセーフティーネットだ”と主張。一同けっこう受ける。

そうなんですね、セーフティーネットというと、それこそ周りにネット張ってそこで拾い上げるイメージだけど、土俵そのものにわからないようにセーフティネットがあるというのがすばらしい。しかも、落ちた力士を砂かぶりの観客が受け止めて押し返すわけで何ともいい世界ではないですか。

ちょっとこじつけ風だが、そんなことを思った「土俵や」であった。

2007年4月25日

”情”ということ

最近、“情”ということをよく考える。“知”に対する“情”は、人間にとって非常に重要なものではないかと思っている。日常、どうしても頭のなかの理屈で考えることが多く、情の動きを抑えることもあるが、そんなとき、ふと心で感じることも必要だと思う。

“情”というのを辞書で調べるとつぎのように書いてある。

(1)何かを見たり聞いたりして起きる心の動き。
(2)人が本来もっている性質。
(3)他人を気の毒だと思う気持ち。思いやり。なさけ。
(4)特定の異性を愛する心。恋情。
(5)実際のようす。ありさま。
(6)我(が)。意地。頑固。

さらに、熟語では、情感、情熱、情緒、情況、情操、情報、愛情、人情、感情、強情等々いろいろな意味の言葉が出てくる。

これらはみな人間としてもっているものであり、この“情”の自分のなかでの有り様が人間関係を良くもするし、悪くもするのではないだろうか。だから今、”情”の大切さをすごく思うのである。

漱石は、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」といったが、“正しい情況”をつかんで深入りしなければ流されないでしょう。

実は落語というのは、この“情”について語っている。そこについて、もう死んでしまったが、ぼくが一番好きな噺家の桂枝雀が面白いことを言っている。

「“知”的なものには、記憶がある。しかし“情”的なものには記憶がない」

だから、昔から同じ演目をいろいろな噺家がしゃべってもみな違うように聞こえてくるのだ。

話は飛躍するが、情報という言葉に“情”が使われていて多少奇異な感じがあったので調べたら、Informationを「敵情を報知する」という意味で情報と訳したようだ。実際の様子という意味だが、これからのネット社会では、情報とはそれだけではなく心の動きのようなものまで表現するようになるかもしれないと、ちょっとそんなことを考えてしまった。


2007年4月28日

企業情報システムのかたち(1)

はじめに

企業情報システムに関して、これまで「ユーザ目線のBPM」と「ビジネスコンポーネント指向開発」というテーマで書いてきたが、これらはどちらかというとHow Toに近いもので、その前にそこに至った背景というか、全体感があってこそ意味があることになる。すなわち、その会社の情報システムをどんな「かたち」のものにしたいのかを明確にしておく必要がある。
それってEA(Enterprise Architecture)でしょという声が聞こえてきますが、確かにそうなのですが、何かEAと言ったとたん、すごく難しいような気がしてしまいます。もちろんEAの思想や体系は参考にしますが、もう少し気楽に考えようというのがここでの趣旨です。

簡単に言えば、会社のなかの業務にはどんなものがあるのか、その業務遂行にはどんなシステムが必要で、そのシステムの構造をどうするのかがあり、それをどのように開発して、保守・運用していくのかを明らかにすることである。まあ、全体を構造化すると言ったらいいとも思う。

EAに比べるとはるかに泥臭いし、もう少し「ヒト」の問題にも焦点をあてるアプローチである。結局、すばらしい体系や基準を作ってもそれを実現するのは人間である。しかもすべてが優秀な人間ばかりではないので、いかにその会社のリソースに見合った構造にするかが大事なことである。

なぜ、いま構造化が必要なのだろうか。それを解くキーワードは「SpeedとReach」と考えています。ご承知のようにビジネス環境の変化はものすごい早さですし、ITもどんどん新しい物が出現しています。また、インターネットの普及により販売先や取引先は場所を選ばなくなり、コミュニケーションの相手はすごい拡がりを見せています。こうした、環境変化に迅速に対応しないと企業としての存続が危ぶまれることになります。

そのためにも変化対応力に富んだ柔軟なシステム構造にしておかないと、ITが経営の足かせになるなんてことも起こりえるわけで、早い段階に構造改革に着手しないと大変なことになるのである。というわけでこれから「企業情報システムのかたち」というタイトルで“美しいかたち”について一緒に考えて生きましょう。
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2007年4月29日

日本のブルース

この間、「たけしの誰でもピカソ」という番組を見ていたら、津軽三味線奏者の浅野祥という高校3年生の若者が出演していた。ブレーク寸前の若手アーティストを紹介するというテーマで、他には大衆演劇の15歳の女形の子とか12歳の天才ピアニストが出演していた。いずれもこりゃすげえというもので、ぼくにもこういった才能があったらなあと嘆いてみる。

さて、その浅野祥君だが、何しろ津軽三味線のコンクールで3年連続優勝したという腕前だから、半端ではない。吉田兄弟が有名だが、この子の津軽三味線もキレがあっていい。そして、番組のインタビューで目標とする人はという問いに、何人かのなかに高橋竹山の名前が出て、篠田正浩監督、岩下志麻主演の映画「はなれ瞽女おりん」のスチール写真が流れた。これですっかり昔のことを思い出してしまった。

かれこれ30年も前になるが名古屋に高橋竹山のコンサートを聴きに行ったのだ。あの力強いたたきつける演奏は胸にしみた。そのころぼくはブルースを聴きだしたので、これは日本のブルースだなと思ったものだ。

で、話は本当の日本のブルースのことになる。日本でブルースを唄う人は少なかったが、なかでも憂歌団というグループが存在感があった。彼らのコンサートにも足を運んだのもそのころだった。ちなみに、俳優の原田芳雄も実はブルースシンガーなのだ。あるとき、やはり名古屋で原田芳雄のコンサートがあって、そのときビールを飲みながら見ていたら、なんと舞台の上の原田芳雄が“おれにビールを飲ませろ”と言ってきて、舞台の上に紙コップのビールを置いて一緒にそれを飲みながら唄い続けたことがあった。楽しかったなあ、これぞブルース。

さて、3日前ほど横浜へ出た帰りに大船の居酒屋で呑んでいたら、そこの店に貼り紙がしてあった。そこには、「内田勘太郎のSHOWが4月29日にこの店で開催される」と書いてあった。もうびっくりした。内田勘太郎というのは元憂歌団のメンバーで日本のブルースギタリストの第一人者だ。スライドバー奏法といって瓶の首のところを使っての演奏は有名であった。

しかし、まさかあの内田勘太郎が大船の居酒屋でライブをやるって信じられない。で、店員さんに「内田勘太郎ってあの憂歌団にいた内田勘太郎ですよね」と聞いてみたが、キョトンとしてわからないのだ。まてよ、しかもSHOWなんて書いてあるから、ひょっとしたら大衆演劇のスターとかと“勘”違いしているのか。家に戻って調べてみたら、まさにあの内田勘太郎なのだ。わあ行きてえーなと思ったが予定が入っていて残念ながらあきらめた。

なにか昔のことを思い出して、そしてみんなしぶとくやっているよなと感慨深かった。

企業情報システムのかたち(2)

構造的な問題

まず、現状の企業情報システムの構造的な問題を考えてみよう。

大きく3つの問題があるように思える。ひとつは、システムそのものの構造の問題である。従来のメインフレームで作られたシステムをいまだに引きずっているものがけっこうあると思う。密結合でかっちり作りこまれたもので、ホスト集中からオープン分散へ変わっていっても概念的にはホスト集中の思想から抜け出ていないような気がしている。そこが、SOAやBPM、SaaSなどのコンセプトが登場した理由なのだ。すなわち、疎結合で柔軟でアダプティブなつくりにし、前回指摘した変化対応力を備えた戦えるシステムにしたいというのがこれからの方向性になる。

2番目の問題は、情報システム部門あるいは情報子会社とメーカーあるいはベンダーとの関係です。この問題は、「ユーザ目線」で論じているのでこれ以上言わないが、所詮“同床異夢”の世界であるという構造的な問題を抱えているということに立脚して、どうやったらWin-Winの関係ができるかという議論になる。

さて最後の問題は、情報システム部門のヒトの役割あるいは組織のありかたの問題である。企業におけるIS部門の位置づけはどうなっているのだろう。もちろん、一概にどこの会社も同じであるとは言えないが、ITが会社の中枢を担っているようなところを除くと、悲しいかなIS部門の地位はそんなに高くないのではないでしょうか。このあたりの議論は人材活用や分社化の問題などとあわせてあとで行ないます。

ところで、この構造化するということはどういうことなのかもう一度おさらいすると
(1) 全体を俯瞰したうえで、構成要素に分解し
(2) それらの構成要素間の関係をわかりやすく整理し
(3) 統合化されたモデルを作ること
と定義したい。

ということで、まずは企業経営・業務モデル化を行い、その経営・業務モデルに対応した企業情報システムモデルができるということになる。

そして、そのモデルを実現できる実際のアプリケーションやサービスのラインアップを行い、次いでシステムの構造化、そして運用や体制も含めたシステム基盤構築へとつなげていくことが本当の意味の構造化ということになる。

さて次回は企業経営モデルをどう考えるかという議論に入っていきましょう。

2007年4月30日

企業情報システムのかたち(3)

業務機能の分類

企業の業務プロセスは大きく2つに分かれる。コアプロセスとサポートプロセスである。コアプロセスというのは、文字通り会社の根幹をなす業務プロセスで、その会社の商品・サービスを企画・開発して、生産あるいは仕入れて販売するプロセスをいう。会社のメインのPDCAサイクルをまわす業務である。

それに対してサポートシステムはこのコアプロセスが円滑に機能するようにサポートするプロセスである。そのなかでも性格上いくつかに分類できる。まずは意思決定支援のためのプロフェッショナルサービス、例えば、法務や税務などの業務である。そして、サプライチェーンをサポートする環境管理、物流管理、設備管理、品質管理などの業務がある。それと、定型業務である給与計算や福利厚生サービスあるいは汎用購買などの業務がある。情報システムの運用サービスもこの定型業務に含まれる。

そして、このサポートプロセスは、機能分社されたり、シェアードサービス化あるいはアウトソーシングしたりできるので、その会社の実態にあった形で外部化した構造にすることになる。

また、コアプロセスでは、複数の事業の集合である場合が多いし、グループ企業と一体となった経営が行なわれているが、その場合は事業執行部分を縦糸にサプライチェーンサポートを横糸にして、上下を戦略的かつ統制管理的な機能と定型業務機能がサンドイッチする構造になっていく。

そうした構造を図示するが、この図は主として大きな製造業をモデルにしている。しかしながら、非製造業や中堅企業にあっても基本的にはこのような構造になるのではないかと思う。少なくとも骨格は同じようになり、肉の付き方が様々ということではないでしょうか。

次回は、この経営モデルに従って企業情報システムがどのようにかぶさっていくのかを見ていく。
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