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2007年2月 アーカイブ

2007年2月 3日

Web2.0ビジネスでお金儲けしていいんですか

先日、うちの社長(息子)と一緒に都内のあるWeb系の会社の社長と会う。彼らの運営するサイトにこちらも持つ技術・アイディアを提供できないかという話。今から書くのはその特定の話ではなく、そこでいろいろ話していてWeb2.0のビジネスは儲かるのかという素朴な疑問と、そもそもWeb2.0のビジネスとは何なんのかを考えてしまった。さらに、Web2.0の精神からいくとWeb2.0ビジネスでお金儲けをしてはいけないんじゃないかとも思ってしまった。

ぼくは、Web2.0の会社は明らかに従来型の会社ではなく、どうもNPOに似た会社であるのではないかと思っている。形態うんぬんというよりその精神や考え方が似ている。そうなると、お金儲けしてはいけないのだろうか。

ところで、もうだいぶ前になるが、NHK教育テレビで確か「お金儲け悪いことですか」という、各界のひとにお金儲けについてそれぞれ思っていることをインタビューするという形式の番組があった。出演は、楽天の三木谷浩史、映画監督の山田洋次、ポップアートの村上隆、NPOの木山啓子、新宿歌舞伎町駆け込み寺の玄秀盛、nci代表の藤田憲一(この人は、病気とたたかう社長Blogで有名ですが、この番組の収録が終わってすぐに亡くなってしまった。人生の価値は?まだ、答えがでない。答えが思いつかないといって死んでいってしまった。享年36歳)
それぞれすごい人ばかりで、しかもバラエティに富んでいてものすごくおもしろかった。

いちいち何を言ったかは忘れてしまったが、ぼくの受けたいちばんの感じは、みなさんまずは「お金儲けは悪いことではない」ということでは一致していたと思う。NPO法人ジェン(JEN)の事務局長の木山啓子でさえ明確に“NPO活動はお金がなくて困っている人を救えないより、お金儲けをして多くの人を救うほうが大事です”と言っている。

要するに、何かをやるにはお金がいる、そのためにお金を集めて、それを返さなくていけないから、ちゃんと利潤をあげることをしていかなくてはいけないというとだ。ここで、「何かをやるには」ということが重要で「お金がほしいから」というと本末転倒の話となる。

それで、結局どういうことかというと、お金儲けは必要で、儲け方の問題と儲けたお金の使い方の問題になる。もっと簡単に言えば、汚い儲け方で美しい使い方はあり得ない(汚い儲け方をするようなヤツが美しい使い方なんてできるはずがないという意味)から、ひとえに使い方の問題に帰着すると思う。

さらに考えてみるに、美しいお金の使い方って何だろう。これはどうも物質的な充足感ではないようだ。おそらく精神生活を豊かにすることがこれからの美しいお金の使い方のような気がする。発展途上国では違うよといわれるかもしれないが、確かにモノが必要であるのだけれど、例えば、途上国支援にしてもただ食料を配給すればいいというものでもないし、そこには同時に精神生活も豊かにする視点は絶対必要である。

どうもぼくらの世代は、物質的な欲求を満足するために一生懸命働いて、結果的に経済大国になり、マイホームをもち、車を手に入れ、その目的をある程度達成した最後の世代かもしれない。でこれからの人たちは、もはやぼくらが欲しがったモノはすでにあり、何のために働くのかが見えなくなってきているようだ。そこでは、ぼくらが積み残した精神生活の豊かさの追求が必要で、そこにお金を払うという価値観をも持てるといいんじゃないだろうか。

この“目的駆動型(Purpose Driven)”思考プロセスがすごい大事です。それでこの精神は、実はNPOであれ普通の企業であれ、ましておやWeb2.0企業も同じことである。

Webのビジネスとは何かについては次に書く。

2007年2月 4日

報道の劣化と野党のだらしなさ

ずっと前に、タウンミーティングでやらせ発言の問題があって、それについて議論するのではなく、その結果どうなったかを問うべきであると書いた。こうしたことが、新聞やテレビの報道でよく目につく。

例えば、事務所経費の問題や柳沢厚労相の「出産する機械」発言など、そりゃそのことは悪いことだし、品格もあったもんじゃないが、発言そのものを目くじらたててぎゃあぎゃあいうことではないのであって、そうではなくて、そんなことをやっているやつ、そんな発言をするやつがやっている政治がどうなのか、国民のために役に立つことをやっているのかをチェックし、そこで議論するのが本来のマスコミの拠って立つところではないでしょうか。一昨日の朝日新聞で白石真澄東洋大学教授も同じことを言っていた。

要するに、表面上の粗探しばかりで本質的なところで議論ができていない。この点は、マスコミだけではなく野党の連中もそうだ。だから、審議拒否なんてもってのほかでちゃんと政策論争してばかなことをいうやつの化けの皮をはがせばいいと思う。表面的な粗なんてだれでも持っていて、持っているからダメというなら、そのまんま東は知事になれなかったわけで、野党もビビんないでやればいいし、マスコミもこういう問題は深く追わないことが必要だ。単なる揚げ足とりはやめよう。

同じ閣僚の発言でも久間防衛相の反米発言のほうが重要な問題で、ここでも“反米的な発言をしていること”を批判するのではなく、その考え方、方針がわが国にとって正しい方向なのかを議論すべきなのだ。

こんなことばかりだから、もう民主党がひどい、特に小沢一郎がひどい。昔のことを引っ張ることもないから、すいません今から民主党はこういう考え方でやります、自民党と違うのはこういうところですと宣言したらどうだ。論点を鮮明にして、そこに議論を集中したらいい。格差社会の評価や経済成長か財政再建かみたいなところでだいたい対立点は見えてきているんじゃないのかな。

ウィル・スミス父子にやられた

実在の人物クリス・ガードナー氏の成功物語を映画化した「幸せのちから」を観る。主演がウィル・スミスで彼の実の子も出演している。

まず、この親子が実にいい。こう静かな信頼感というか同じ空間を共有しているというか、そんな雰囲気が感じられ、さすが実の親子だと思わせる演技でした。思わず自分の息子たちがその年ごろのときのことを思い出してしまった。

映画は、不運が重なってホームレスになりながらも、あきらめずに努力して、証券会社の正社員になるまでを描いたサクセスストーリーで、最初から成功するのは分かっているから、そこで感動するわけではなく、そこへ至る過程にわれわれは感動する。

しかし、この物語の過程はそんな大げさなものではなく、なんだ期待していたよりもドラマチックではないなと言うひともいると思う。でもぼくが身につまされる思いで観た。こういう映画は、結局自分自身の実生活と照らし合わせながら観るから、自分の経験や思いみたいなものと共感できるかどうかでその映画の評価となる。

例えば、商品が全然売れない不安だとか、自分を全く知らないところから売り込む苦しさだとか、どんなに苦しくても自分のめざすところを忘れないだとかは、最初から安定した職場が確保されている大企業のサラリーマンには分からないと思う。そんな人が見ると、どうして周りの人に助けてもらわないのかとか、どんな職でもいいから見つけばいいじゃないかとか言うと思う。ぼくは、会社をやめてほとんどコネがないところで仕事をするようになったので、この映画の言っていることがすごくよく分かる。

さらに、大げさではないが、それゆえに感動するのは、採用が決まって(アメリカ人ってこういうとき、“あなたを採用するのがきまりました”なんていわないですね。“あしたもきれいなシャツを着て来い”って言うんですね)、そのとき大きな声でThank You!て言うのかと思ったら、無言で涙を流すんです。(ネタばれですいません)要するに、観終わったあとジワっと良さが出てくる映画だと思う。清々しい作品です。

2007年2月 5日

ばあちゃんとデジタル家電

ぼくの家の前にばあちゃん(といってもぼくの母親だけど)が一人で住んでいて、いまぼくはその一室を事務所代わりに使わせてもらっている。

この状況はけっこう快適なのだ。どうしてかというと、まず会社をやめて家で仕事をすると言ったら、嫁はんに開口一番“ええ~、お父さん毎日ウチにいるのお~”と露骨にいやな顔をされた。それでというわけではないが、ばあちゃんの家の応接間を少し整理して事務所みたいにして、毎日そこに通っている。ぼくにとっても自分の部屋で仕事をするより、一応家を出て30秒歩いて出勤するので気持ちとしてはけじめがつく。また、嫁はんは粗大ごみがひとつ減るから喜ぶし、ばあちゃんはいま85歳なんだけど、息子がそばにいてくれるから安心のようで、夕方になると“いまからお風呂に入るからもし私が倒れたら助けに来てくれ”といつも言っていく。だから三者がハッピーである。

そのばあちゃんの楽しみがテレビで、すごくよく見る(余談ですが、年寄りというのはなぜ時代劇と大相撲があんなに好きなんだろう)。ところが、寝るのが早いものだから、夜9時頃からの番組を見ることができないので、最近そんなときビデオにとっておけたらなあと言い出だした。

はたして、85歳のばあちゃんがビデオを扱えるかと考えたら、そうだ今はハードディスクがある(残念ながらわが家はまだVHSビデオレコーダーとDVDプレイヤーです)と気がついた。ビデオは無理でもHDDならできるかもしれないと思って買いにいった。それも機能が少ない最もシンプルなものを捜した。

パイオニアのDVR-504Hという機種を選定、何よりもリモコンの操作性が気に入った。「番組表」と「見る」というボタンで基本的なことができてしまう。とは言え、85歳だからまだぼくが録画してあげて、見るだけにしている。

そんなことで、映画も借りて見れるからと言ったら、“じゃ「佐賀のがばいばあちゃん」が見たい"と言い出したので、借りてきて見ていた。この映画をみたあとすぐにぼくのところに来て、昔はみんな貧乏でなあという話をひとしきりしていった。

ばあちゃんには、携帯電話も持たせているけど、携帯は年寄り向けのものがあるが、テレビやビデオ(それ以外の家電製品全般に言えることだが)年寄りが扱える単機能のものを作って欲しい。それか、いまの余分な機能は全部デフォルトにしておいて、それを操作したかったら孫に聞いてくれというのが出てこないかなあ。家族みんなでハッピーになる製品は売れまっせ。

2007年2月 6日

パッチギは大木金太郎の頭突きのことだ

「佐賀のがばいばあちゃん」とともに井筒和幸監督の「パッチギ」を借りてきた。2005年のキネマ旬報の日本映画ベストワンに選ばれた作品なので、早く見たかったのが仕事が忙しかったりして遅まきながら見た。

期待にたがわずすごい傑作だ。何といってもぼくらの年代のものにとって、映画に出てくるフォーククルセダーズの歌を聞いただけでもうジーンときてしまう。特に「イムジン河」は出てきてすぐにレコードの発売や放送禁止になり、その時代の反動的な気分を象徴するできごととしてすごく印象的であった。

あの頃は、右手に平凡パンチ、左手に朝日ジャーナルと言われたときでその雰囲気が映画にもよく出ていたと思う。だから今から思うとその頃は、左も右も上も下もミックスした混沌の世界の、そこからどう抜け出すのか、変えるのか、みんなもだえ苦しんでいたんだなあとこの映画を見てもう一度思い起してしまった。

さらに、この映画を素晴らしいものにしているのは、若い俳優さんたちで皆いい顔をしていて好感が持てた。中でも、主人公の女の子の兄リ・アンソンを演じた高岡蒼佑(今は輔)がいい。こいつはブレークするんじゃないかと思っているんだけど、昨年夏に2ちゃんねるにぼろぼろにされたのでどうかな?

で最後に、題名のパッチギというのは、“頭突き”という意味らしいのだけど、この映画に釜山から密入国してきて仲間になるキム・イルという青年が登場するが、その昔実際にこの青年と名前も一緒で同じく釜山から密入国した青年がいた。その青年は後に大木金太郎と名のってプロレスラーとなり、その得意技は“パッチギ”だった。井筒さん、これってしゃれ?

2007年2月 7日

Web2.0のビジネスとは

この手の課題設定をするとどうしても、広告がどうのとかアフィリエイトがどうしたとか、それで収入を得るみたいなことになる。書店に行くと“私は○○で月○○円儲かりました”式の話となる。これって普通にはありえない、この前NHKテレビで9000ドル稼ぐ子がでていたけど、ほんとの少数です。

しかも厳密の意味でビジネスではないと思う。なぜか、まさに“ひとのふんどしで相撲をとる”、あるいは“コバンザメ”ということです。本当のビジネスは、自らが生産したプロダクトやサービスを提供し、収益をあげることです。

そうなると、どういうビジネスモデル、収益モデルを描けるかが勝負です。そのとき最も重要なのは“使う人が喜んでもらえるものを適正な価格で提供できるか”なんです。でもこういうと特に日本人は“振れる”民族だから、ユーザの言うことならなんでも聞きますというポピュリズムに陥る。だから軽くユーザに軸足をおくくらいの感じでいかないとだめだ。

そこで、そのビジネスモデルとやらですが、まず簡単にいうと 「どのような商材を、誰に対して提供し、どのように儲けるのか」ではないだろうか。

もう少し詳しく見ると、どのような商材、すなわちそれはプロダクトとかコンテンツなのかサービスなのか、はたまた技術そのものなのかという特定と提供する相手が一般のコンシューマーなのかある職業の人なのか、ある地域のひと限定なのかといったターゲッティング、それと収益モデルとして広告収入なのかライセンスするのか、会費なのかといった形態を決めることである。

ここでWeb2.0のビジネスを考えると、まず商材の部分では、Web2.0の技術そのものを売り物にするということも考えられるし、Web2.0の技術を使ったコンテンツやサービスを商品とするというビジネスもある。さらに、Web1.0の技術だが思想としてWeb2.0的なビジネスも含めてもいいような気がする。

じゃそのWeb2.0的とはいったいどういうことなのか。

「双方向のコミュニケーションができる技術により、いままで情報の受け手であった人たちが情報発信もできるようになり、みんなが参加することで生まれる集合知がシステムやサービスの価格を劇的に下げ、多くの人がその仕組みを活用できることでさらにいい技術やサービスが生まれる好循環サイクルのこと」と定義したい。

こうした場の提供やコーディネーションなどを行ない、そこから広告費や手数料・課金という形で売り手や買い手、もっと広い意味で情報の受発信者からお金を徴収することをWeb2.0ビジネスという。

アマゾン、mixi、はてな、楽天、Yahooなどのビジネスはこういうことだと思う。
一方Googleは、技術を売っているビジネスということではないでしょうか。

だから、単なるWebサイトの開発や広告代理店はWeb2.0的ビジネスではない可能性が高いし、逆に、仲間で農業をやって道端の無人売り場で作物を売っているのがひょっとしたらWeb2.0的かもしれない。

ターゲティングという面では、元来は絞らず世界中のどんなひととも等しくビジネスするというのがネットビジネスであったが、mixiもそうだが、いわゆる準匿名性という空間でぎりぎりの節度を保つビジネスが増えるような気がする。特に、地域性というのが、リアル世界と近づけるという意味で重要になると思う。

さて最も難しいのが収益モデルを描けるかになる。これまで言われてきたCGM(Consumer Generated Media)からPGM(People Generated Media)への変化もなお一層儲けの絵を書きづらくしている。社会起業家という考え方も生まれ、コミュニティビジネスという言われ方も出てきているので、Webビジネスのモデルはそんな方向にいくのではなでしょうか。すなわち、提供したサービスを喜んでもらうことが第一義で、そのサービスを受けたひとたちが、その対価を寄付的な感覚で支払うという、まずは名誉、次に金みたいなところで、そこそこの儲けが得られればよいというモデルなのかもしれない。

確かにgoogleも同じようなことを言っていて、「まずサービスを出してユーザに使ってもらい、その影響を見てから収益モデルを考えた」はずだ。

そう考えると、ホリエモンみたいなヤツはぜんぜんWeb2.0的ではないということがわかる。

2007年2月 8日

極私的健康法

ちょっと前に、スピルリナというサプリメントみたいなものを飲んでいることと水泳をしていると書いたが、健康にいいのでずっとプール通いをしている。もうかれこれ12年になるが、週に1~2回泳ぐ。泳ぐと言っても奥田英朗の「インザプール」のように中毒的に泳ぐわけではなく、せいぜい長くても1キロ弱程度で、それと泳いだ後20分くらい水中歩行を行う。

いま通っているのは、最近できた家の近くの市営プールです。その前までは、街のフィットネスクラブにプール会員というのがあって、それに入会して行っていました。でもこのフィットネスクラブには2つの不満があって、ひとつにはジャグジーがないのだ。厳密にいうとあることはあるのだが、水風呂で情けないジェットが吹き出ているというもので、こんなところに入っていられない。

もうひとつは、そのーフィットネスクラブだからいろいろなメニューがあって、アクアビクスという水中エアロビクスと水中歩行がある。このメニューの参加者はほぼおばさんで、このメニューを横でやっているところで泳ぐのですが、もう海で泳いでいる状態になる。そうです、アクアビクスで跳ねると波が立ち、水中歩行で歩くと渦が巻く。で何回水を飲んだことか。

そんなわけでその市営プールができたらすぐに脱会して、市営プールに切り替えた。何しろ新しいので設備もちゃんとしていてサウナこそないが、採暖室でも十分汗をかけるし、勢いよく噴射するジャグジーがあるのですごく快適だ。

プールの過ごし方も順番があって、まず採暖室に入って柔軟体操と例のクンバハカ体勢で汗を流します。そして、泳ぐのと水中歩行のあとジャグジーで身体をほぐすわけですが、ここで腰、肩、背中もさることながら、実は胃と肝臓をジェット噴射を入念に当てるのです。これは、ずっと前に誰かが言っていたと思うのだが、昔の女郎さんは酒を呑んで酔っ払っても更に呑めとお客さんに言われると自分の手で肝臓を揉みほぐすとまた呑めたそうです。そうジャグジーに入っていると胃や肝臓についている変なものをジェット流が篩い落としてくれそうだと思いませんか。

まあ、健康法なんて本人がいいと思ってやっていることが一番の健康法かもしれません、だって効くかどうかではなく、ああ気持ちよかったと思った瞬間にストレスが解消されるのですからね。

2007年2月 9日

オープンソース開発の難しさ

今、ウチの会社はWebサイトの構築がメインのビジネスになっていて、といってもぼくが作るわけではなく社長が作るのですが、その中に販売サイトの構築もする案件があるので、それをどういうECサイト構築システムで作ろうかという議論をした。

当然オープンソースのものを採用するのですが、ある国産のパッケージについて調べているとき、その開発コミュニティサイトを覗いた社長が軽く荒れているようでと言ってきた。ぼくも覗いてみると詳しいことはよく分からないのだが、どうも機能不足のところがあってそこの機能をなぜ付けないかといった要求を出したが、その対応がぬるいと怒っているようだった。

これは、真のオープン開発とは言えないわけで、本来参加者は対等な立場で議論していくというgive&take精神でないと成立しないはずだ。オープン開発だから何でも要求すればやってもらえるみたいな考えはNGなのです。その辺がオープン開発の難しいところで、だからと言って全くみんなが均等に参画できるかというとそれもありえないわけで、実際にはリーダーがいて広く議論するが、最終的にリーダが仕様だとか、体系を決めていくというのがうまくいくのです。

だから、自由の裏返しに責任があるように、オープンには規律みたいなものがあるわけで、そこのさじ加減が大事なように思われる。

それと、もうひとつは、オープンソースに向いているものとそうでないものがあるような気がする。上述の例でもけっこう上位機能というか、アプリケーション寄りの高いレイヤーのところの議論なので、ここのあたりは論理性からだんだん離れていくから難しいようだ。いわゆる“そこは趣味の問題でしょ”みたいなところに入ってくる。

逆にフレームワークや開発ツールみたいな道具を作る下位のレイヤーでは、オープンソース開発がすごく有効であると思う。その道具の使い方になると前述したように好き嫌いみたいなことが出てくるので難しくなるようだ。

先月から、日本BPM協会のComponent研究会というBPM(BusinessProcessManagement)のためのComponentの必要性やそれを使ったシステム構築方法を研究するワーキンググループに入って議論しているんだけど、ここでもオープンソースでビジネスプロセスを開発したらどうかという話になった。

そのときぼくが言ったのは、それはかなり難しいのではないか、まず自分たちのビジネスプロセスを出せるのかという問題が生じる。ノウハウが詰まったものを競合相手に出しますかということです。それならノウハウが詰まったものじゃないところでやればいいじゃないかと言うかもしれませんが、そんなものはすでに業務パッケージのなかに埋め込まれているわけで、そうではないところを開発するところに意味がある。

また、参加者のインセンティブが何なのか、自分の知恵、技術、ノウハウを提供してどんないいことが待っているのかになると、もちろん金銭的なメリットはないのだから、名誉なのか、純粋な知的満足なのかそんなところなわけで、そうなると、企業の従業員が自分の仕事についてそのノウハウなりを出して喜ぶだろうか。あらかたこんなことを言った。ただ、まったく否定したわけではなく可能性はないわけではないので、これからの課題だと思っている。

最初の話に戻ると、結局上位の概念のところは、趣味が違うんだったらその違うものは違うように別々に作っておけばいいんじゃないか。すなわち、それをComponentとして持っておいて、それらを疎結合の組合わせでプロセスなりシステムを作っていく。各Componentは標準化されたものとし、それらの組合せの妙で個性化・差別化するという考え方が大事である。こういったこともその研究会で話した。

基本的にプラグインやMashUpも同じ考え方だとぼくは思っている。これから、ここの議論をしていこうと思う。

2007年2月10日

「それでもボクはやってない」と言う前に

昨日、東京に出掛けたので日比谷のシャンテで評判の周防正行監督作品「それでもボクはやってない」を観る。

映画の話の前にちょっと。シャンテは、その場で切符買っても指定席となる面白いシステムなのだ。買うときに“中央は一杯になってきていますので端でもよろしいですか”とか、“隣が空いていたほうがよろしいでしょうか”とか聞いてくる。このシステムって一見するとよさそうに思えるが、よく考えると、普通に自由に販売するのとどう違うのだろうか。切符売り場の座席表で席を選ぶのと、すぐに劇場に入って席を決めるのと差がないと思うのだが、謎だ。

さて、映画の話だが、趣向を変えて裁判風に展開してみる。
(検事) この映画は、ドキュメンタリーを見せられている気がする
(弁護人)日本の刑事裁判の実態を描くにはそういう形式にならざるを得ない
(検事) 映画としては少し退屈になってしまう
(弁護人)裁判を茶化したり皮肉る必要はなく、オーソドックスにリアルに描くことが大事だ。だからエンタテイメントである必要はない。
(検事) 展開が平坦で説明的なセリフばかりでドラマティックじゃない
(弁護人)確かに、法廷のシーンなどは場面変化も少なく、淡々としていますが、それがかえって恐しさを誘発していると考えます。
(検事) 登場人物も類型的で感情的な起伏みたいなものが出ていない
(弁護人)そんなことはない。加瀬亮のいかにも痴漢に間違わされそうな感じとだんだん憔悴していく演技や、裁判官を演じた小日向文世の意地悪そうな表情などすごいと思います。
(検事) このような裁判あるいは裁判官ばかりだと言っているようで、変に誤解される恐れがある。
(弁護人)日本の刑事裁判のシステムの問題であるとか、無実の被疑者を有罪に仕立て上げる制度的問題であるとかを、分かりやすく解き明かすにはある程度断定的な表現はしかたない。
そのための問題提起映画としては意義があると思う。

(検事)そこは同意する。

まあ、こんな感じですかね。でも、テーマの設定、裁判の描写はすばらしくきちんとしていてさすが周防監督と思わせる。

この映画の肝は、「真実は神のみぞ知るはウソだ。オレだけが真実を知っている」というところだと思う。人間って、平気でうそを言う、意識的でなくてもウソを言う。ウソを言っているうちに事実だと思い込んでしまう。(これは、記憶というものが事実だけを記憶するのではなく、覚えておきたいように脚色して記憶するのと同じではないでしょうか) 無意識のうちに自分の有利になる方へ自分の言質を誘導すると思いませんか。

これは、裁判の証言や警察での尋問に限らず、ごく日常的な局面でも起こり得ます。ぼくにはそこの恐ろしさが一番印象深かった映画であった。ただ映画ってなんなのだろうと再び考えさせられる映画でもあった。

映画が終わったのが午後6時ちょっとすぎで、6時半からの呑み会に東京駅の近くまで行かなくてはいけなかったので急いで有楽町の駅から山手線に乗ろうとしたら、この映画のシーンと同じで満員で乗客を押しながら乗り込むはめになった。しかも、前に若い女性が。さて、ここでとった行動は?。まず後ろ向きになる、すなわち背中から乗り込み、右手にはリュック、左手は挙手した形でドア上部に押し当てた。完璧だ。「それでもボクはやってない」と言わざるを得なくなる前に、この備えが必要だったのだ。と映画を観て再認識。それでも、冤罪は起こりえるのかな?

2007年2月13日

芥川賞はプロ野球のドラフト会議だ

第136回の芥川賞が青山七重の「ひとり日和」に決定した。早速文藝春秋を買ってきて読む。文藝春秋の新聞広告の大きいこと、しかも作者の全身写真付き、びっくりですね。まあ、最近は芥川賞掲載の文藝春秋の売上がすごいからつい力が入るのでしょう。何しろ、3年前の金原ひとみと綿矢りさのダブル受賞のときは何と118万部売れたそうです。

さてその「ひとり日和」ですが、石原慎太郎と村上龍が絶賛したように(山田詠美は退屈だと言っていたが)、久しぶりに力量のある作家の登場を予感させられる。芥川賞の受賞作は最近不作が多いとぼくは思う。例えば、大道珠貴の「しょっぱいドライブ」、吉村萬壱の「ハリガネムシ」、モブ・ノリオの「介護入門」なんてどこがいいんだろうと思ってしまう。前回の伊藤たかみの「八月の路上に捨てる」にしてもぎりぎりの受賞レベルだ。そこからいくとこの作者はすばらしい。

「ひとり日和」は、母娘の生活からひとりで東京にいる親戚のおばあさんの家に下宿する若い女性を描いている。いわゆるニートで将来に希望もあまりなく、何となく生きているけだるさやそこからの変化をおばあさんとの会話のなかでうまく表現し、またその筋立ても無理がない。ほんと都会で孤独におびえながら、でもそれから積極的に抜け出せない(出そうとしない)、いまの若者の姿がよくわかる。最後に正社員になる結末もリアルな感じですごくいい。ただ、河野多恵子が言っているが、「よい小説を書き得た体験は、その後にいつも通用するとは限らない」のでこれからの精進がみものである。

最初に言ったように、芥川賞は芥川ショーのようになっている。確かに商業主義的な要素は避けられないが、まだ世の中で認められていない作家の登竜門なのに騒ぎ立てるはどうかかとも思うが、これはプロ野球のドラフト会議なのだと思えば得心がいく。さあ、あなたは1位指名しましたから、プロ球界(文壇)で活躍してくださいということなのだ。期待に対する賞であって、実績に対するものではないという変な賞である。だから、プロ野球の場合も1位指名でドラフトされても活躍できなかったやつは山ほどいるのと同じように消えていく作家もいるわけです。

ぼくは最近の芥川賞はだいたい受賞作が決まるとすぐに文藝春秋を買って読むことにしている。やはり、そこには現状の典型のようなものが現れているので、今はどういう時代なのかを確認するのには格好のナビゲータかもしれないと思うからである。

2007年2月14日

ディフェンスはどっちだ

といってもサッカーのことではありません。溢れる情報をどうハンドリングするかという話です。いまぼくの感覚では「情報が攻めてくる」という感じになっています。そうなるとこれをどう守るのかということになる。ここでいう守るということは、ボール(情報)の位置をしっかり確認してそれを持っている人をマークして、そのボールを奪い取ってゴールをめざすという意味なのです。

このときの守り方に二通りあって、マンツーマンディフェンスなのかゾーンディフェンスなのかの選択がある。サッカーやバスケットと同じようなものに思える。

どういうことかというと、マンツーマンというのは、その道で先導してくれる泰斗というか、この人についていけばだいたい分かる、そんな人をマークすることで、一方、ゾーンディフェンスというのは、注目あるいは重要と思われる領域をチェックしておくというやり方だ。おそらく、このどちらかではなく、併用するのがベストだ。サッカーも一緒で中盤はマンツーマンだが、ゴール前はゾーンというようなことと同じで局面に応じて使い分けることになる。

それで、ぼくのやっている具体的な方法というのは、RSSリーダでマンツーマンでは特定の人のブログを登録しておく、ゾーンでは、特定のキーワードでチェックするといった方法でやっている。

例えば、梅田望夫さんを追いかけておけばWeb2.0のことだったら分かるとか、社会学的な問題だったら内田樹さんのブログを抑えておくとか、そして、そういう人たちのブログからまたリンクされた面白い人を見つけることもできるのでまず人をつかむことが有効かと思う。次にある分野の情報を整理したいとなるとキーワードで集めておいて取捨するのだが、ただし、それだけではなく関連する情報誌のサイトを同時にチェックすることも必要になる。

でもロナウジーニョみたいな人のマンツーマンはしんどいぜ。実は、茂木健一郎のブログもリストしているのですが、脳がパニックになる。まあ、とりあえずしばらくこういうことで試していこうかと思う。

2007年2月15日

ハイブリッド・ライフスタイル

近頃、Web関連の本ばかり読んでいる。今回も高城剛という映像作家であり、DJでもある人が書いた「ヤバいぜ!デジタル日本」(集英社新書)を読む。

この本は、昨日書いたマンツーマンで押さえているひとの中の一人である野村直之さんが絶賛していたので買ってきたのだ。このひとは“Web 2.0 for Enterprise”の提唱者でメタデータという会社の代表取締役を務めるほか,法政大学大学院などで教えているひとです。野村さん曰く“ここ2カ月の間(昨年夏)にWeb 2.0関連の書籍を10冊以上読んだが,本書から受けたインパクトが最強であった”と言っている。

ということで、期待して読み進む。と確かに一見過激なことを言っているように感じるのだが、よーく考えてみると至極まっとうなことを言っている。要するに、未来志向が強い、悪く言うと先走り。ぼくもどちらかというと先走る方だから、彼の言っていることはさほど過激だとは思わないのかもしれない。

ざっと、高城剛が主張していることを列挙してみると。

・デジタルやITは終わった。特に世界標準の技術なきままに急速に成熟してしまった日本のIT産業は、すでに過去のものである。

・インターネットはもう遅い、これからは携帯トリプルX(マルチな使い方をする携帯)だ。

・デザインの時代はとっくに終わり、またメジャー・コンテンツの時代も終わった。
今後は、個人コンテンツの映像化の時代になる。なぜなら、メディアの歴史がいつも映像に向かっているから。

・直接的にコンテンツで稼ぐ時代は終わった。次はライセンスを多角化してポートフォリオ的に稼ぐことが重要。

と現状を分析しながら次の方向性を示した後、日本はこれからどうしたらよいかについて

・日本はこれまでの経済でアジアを引っ張ってきたのを文化で引っ張るようにしなくてはいけない。

・ポップカルチャー、別の言い方をすれば、ハードとソフトをつなげて新しい提案をするスタイルビジネスを海外に輸出すべきだ。

・そしてハイブリッドこそが日本のスタイルでそこは世界で誇れることである。このスタイルとは、知恵のことであり、組合わせのセンスである。そういう意味では日本人は世界でもっともスタイリッシュな国民である。

さすがに、世界中を飛び回って、最先端の息吹を常に浴びている人の論はなるほどと思わせる説得力がある。確かに、このめまぐるしく変化する時代に、どうも過去の日本の栄光がもはや終わったことに気がついていないひとも多く、日本全体がおのれを見失っているように思われる。もういちど自分たちのカルチャーやライフスタイルを冷静かつ客観的に見つめなおし、強いところ弱いところ、延ばすところ改めるところを再認識する必要がある。

さらに、高城はハイブリッドなライフスタイルにするためにどうしたらいいかについても言及していて、少々長くなるがそのまま引用すると

1. ひとつのことにこだわりすぎず、可能性があるふたつのことを並行して進めるやわらかい発想をもつこと。

2. 組み合わせ可能なものを探したり、組合わせるのがうまい職業の人を評価し、観察し、まねてみること。

3. 実際に、何と何とを組合わせると可能性や楽しみが広がるかを、自分なりに試してみること。

4. マルチスペシャリストを目指し、ふたつ以上の分野でスペシャリストになるためにどうしたらいいか徹底的に挑戦すること。

5. 生活時間帯を見直し、住む場所を見直し、自分なりのバランスポイントを早急に探し出すこと。

だそうだ。この提言はぼくにはすごく共感できるもので、いま実際にこのスタイルを実践している人が増えていると思う。ぼくも、そうなりたいと願っているのだが、いろんなことに手を出しているが、スペシャリストにはなっていない。でもこれって職業に限ったことではなく、趣味のような世界でも言えることで、それぞれの分野をうまくマッシュアップしてひとつのライフスタイルを作り上げるというのが肝要なのだ。


2007年2月16日

デブサミは“でぶ”のサミットではありません

目黒雅叙園で開かれたDevelopers Summit 2007に行く。これを通称「デブサミ」というらしい。初めて参加。2日間にわたってソフト開発の第一線の人たちが集まる会議で、そうそうたる人の講演が並んでいる。一言でソフト開発と言っても、横は企業システムから個人まで、縦は、要件分析からプログラミングまで、幅広い範囲をカバーしている。従って、参加者も企業ユーザや大手ベンダーの人もいれば、ベンチャーや個人事業主、さらにGeekなひとたちとこれまたバラエティに富んでいる。もちろん若い人が多い。

ぼくは、第1日目だけの参加で、主として上流設計の部分である要求分析やモデリングを中心に聞いた。ウチの社長も同様に1日目だけの参加でしたが、ぼくと全く重ならないセッションの選択。これが象徴的な話で開発の上流と下流の乖離が感じられた。

セッションのテーマの括りとしては、アーキテクト、開発テクノロジー、開発プロセス、プロジェクトマネージメント、ベンチャー&カスタマーズオピニオン、マーケティングテクノロジーの6つで圧倒的に開発テクノロジーのセッションが多いのですが、開発テクノロジーの聴衆とその他ではちょっと異質のようだ。 社長が参加していた「出張Shibuyaイベント ~ Shibuya.pm presents "Shibuya.js x Shibuya.pl mashup night" ~」なんて、何だか分かりますか、PerlやJavaScriptを扱いひとたちのコミュニティなのだが、ぼくなんかは近寄れない感じです。

さて、ぼくの聞いたセッションは、「プロジェクトを成功に導く要求獲得の本質」(中谷多哉子@エス・ラグーン)、「アーキテクチャを如何に“維持”するか?~SOA時代のアーキテクチャ・マネージメント~」(藤井智弘@日本IBM)、「ビジネスモデリングを極める!」(羽生田栄一@豆蔵、内田功志@システムビューロ)、「実践!モデルベースSOA~モデリングとオープンソースを活用した開発方法論と適用事例~」(大場克哉@オージス総研)、「Webサイトの提案に困っていませんか?」(棚橋弘季@ミツエリンクス)の5セッションだが、半日でこれだけ聞くとけっこうしんどかった。

これらの講演の主張はだいたい同じようなことを言っていた。最後のWebサイトの話も毛色が変わっているかと思ったらな何のことはない似たような論旨であった。共通的なキーワードは、「ビジネスプロセスの可視化」、「モデリング」、「ゴール指向分析」、「ユースケース」等々で要約した文章で言うと

“ユーザの要求は不安定だから、BSC(Balanced Score Card)とかシックスシグマといった手法を活用して、ユーザの要求を整理・分析して、ビジネスのめざすゴールを設定する。それをもとにモデリングを行い、ユースケース図を使ってプロセスを可視化し、システムに落とし込む。出来上がったシステムをユーザにレビューしてもらい、その結果をフィードバックする。こうしたライフサイクルをきちんとマネージメントしていく必要がある”

てなところがそれぞれの主旨のコアの部分である。

こういうことは、ずっと言われてきたことのように思えるのだが、これまでとの違いをしいてあげれば、最上位のビジネスのゴールを定めることの重要性を強調しだしたことかもしれない。そう言えば、BSCやシックスシグマはビジネスコンサルは言っていたけど、システム屋はあまり言っていなかった。それはそれとしていいことなんだけど、それで今のシステム開発の問題点が解決されるような話ではなく、もはや具体的にどうやっていくかの方法論の世界に入っているとぼくは考える。

だからこそ、開発者と設計者あるいはユーザとの距離感が気になるのです。ビジネスプロセスの可視化だとかモデリングと言っている人たちが、オープンソースのスクリプト言語ですいすいマッシュアップしてしまう技術を知っているのか、できるのかということ、また逆の話としてGeekたちがビジネスプロセスのことも少しは考えてみないかということなのである。

前述したような主旨すなわち、上位概念から下に向かって設計して、モデル化し、仕様を決め、製造するというスタイルは、至極まっとうなことなのだが、それでずーとやってきてなかなかうまくいっていないような気がする。うまくいっていないという意味は、中谷さんも言っていたように、“役に立たない正しいシステムばかり作り続けている”ことである。これに“高価な”というのを付加えたほうがいいが。

そうなると、発想の転換をしないとまたずるずる同じようなことを繰り返すような気がする。そのとき、企業情報システムに携わっているひとたちこそ、Geekな人たちと手を握らないといけないと思う。かれらの知恵や技術をおおいに活用するというか、そちらからの視点でビジネスプロセスを見てもらう必要があるのではないだろうか。それこそWeb2.0的開発スタイルです。そいうところをどうコーディネートしていくのかが大きな課題のようだ。

2007年2月17日

激安ラーメン店

ぼくの近所にすごいラーメン屋がある。ラーメン屋というより中華料理屋なんだけど、そこのラーメンが270円なのだ。しかも、ランチセットでは、プラス200円で半チャーハンと半餃子、それに杏仁豆腐がついてくる。これだけ安くてもけっしてまずくないといううれしくなってしまう隠れたC級?グルメ店です。

ちょっと話がそれるけど、この間どこかのブログでB級グルメの辛口評というのがあって、文字通りB級グルメ店の辛口なコメントが載っていた。これおかしいと思いません。批判するならB級グルメ店にするな、ですよね。すいません、話を戻します。

これはぼくの評価基準のひとつなんだけど、タクシーの運転手や宅急便の運転手がいく店は安くて旨い店が多いと思っている。その店も昼どきになると結構そういう系統のひとたちが立ち寄る。

店の名は「中華メモリー」、夫婦でやっていて、藤沢ボウルのとなりで、駐車場もあり便利で行きやすいところです。でも、他の料理は普通の値段なのだ。これらも激安にしてくれるともっといいのだが、ねえご主人。

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2007年2月19日

ちょっといい話その4

昨日、「東京マラソン2007」があって、フルマラソンを走っている市民ランナーと優勝者へ月桂冠を渡す石原都知事をテレビで見ていたら、ふとあることを思い出した。

ぼくの高校の1年先輩に植松二郎という作家がいる。「ペンフレンド」で毎日児童小説最優秀賞を、「春陽のベリーロール」で織田作之助賞を受賞。そのほか「人びとの走路」という市民ランナーの話の本も上梓している。この人は、自身でもずっと走り続けていて、その体験をもとに「人びとの走路」を書いている。

植松さんはサッカー部の先輩で、以前にも書いたが、その昔関東高校サッカー大会に優勝したときのメンバーのひとりです。その植松さんがもうずいぶん前になるが、ある雑誌でそのときのエピソードを書いていて、その話が“ちょっといい話”なのだ。書いているのが作家だから素晴らしい名文で感動したことを覚えている。記憶をたどりながらその話とそれにまつわるいくつかのおもしろい話をする。

そのとき、サッカー部の顧問にI先生という、大先輩で何代も前の監督だった有名なひとがいた。話はその先生のことである。

大会では、一回戦を抽選勝ちするとあれよあれよと勝ち進み、決勝戦で見事東京代表の帝京高校を破って優勝してしまった。前に書いたが、そのあとの全国大会では、逆に一回戦で抽選負けだったのでほんのちょっとの差で結果がぜんぜん違うという両極端の経験をした。

さて、その大会は茨城県の水戸で一週間くらいで行われたが、I先生は日課として、試合が終わると夕食までの間、好きなパチンコをしに近くにでかけていく。1回戦で抽選勝ちした夜、「おい、やっぱりツイているぞ」と言って、景品のチョコレートをいっぱい持って帰ってこられる。生徒たちは、食べるのもうれしいのと同時に、ほんとについているらしいという気にもなってくる。2回戦、3回戦も同じようにしてチョコレートも持って帰ってくる。それをみていると明日もツキはこちらだという気分になってくる。それで優勝である。

ところが、大会から帰って、皆でいろいろな話をしているうちに、まてよ、先生が持ってきたチョコレートが入った紙袋は確かどこかの菓子屋の名前が入ったやつじゃなかったのかと気がつきだした。植松さんは、その真相を故I先生に聞く機会をもてなかったので本当はどうだったか分からないけど、そんなことはどうでもよくてツキを呼んでくれたチョコレートよありがとうと結んでいる。そんな、いい話を思いだして書いてみた。

ぼくもI先生語録を少し。実は石原慎太郎もサッカー部の大先輩でI先生は「石原慎太郎はへたくそでなあ、石を投げて指導した」というような話をされていた。だからぼくは、テレビで石原慎太郎の顔を見て、この話を思い出しニヤッとしている。

また、I先生は、英語の先生だったので、普通ぼくらは、いいシュートを打つと「ナイスシュート」と言いますが、そう言うと「違う、ナイスショットと言え」、過去形じゃないとダメなんです。そういう厳格さも持ち合わせていました。

最後にこれはけっこう今でも刷り込まれていることがある。よくゴールするとみんな抱き合って喜びますよね、ところが、大喜びしようものなら、「ばかもん、そんなことで喜ぶんじゃねえ」と一喝される。これには、どうも2つの意味があったのがわかった。ひとつは、点を入れるのが当たり前のような顔をしろ、そうすれば、相手をもっと威圧できるのだからということと、もうひとつは、相反するようなことかもしれないが、大喜びするのは相手に失礼だろうということだったと思う。勝者は敗者の前で謙虚であらねばならぬということなのです。

I先生はもう四半世紀まえに亡くなられているが、いまだに、ぼくが現役のとき怒られたことをきのうのことのように思い出す。

2007年2月20日

日本アカデミー賞

先週、第30回「日本アカデミー賞」最優秀賞の発表があった。 受賞者・受賞作品は以下のとおりでした。

最優秀作品賞      フラガール
最優秀監督賞      李 相日  「フラガール」
最優秀主演男優賞   渡辺 謙 「明日の記憶」
最優秀主演女優賞   中谷 美紀「嫌われ松子の一生」 
最優秀助演男優賞   笹野 高史「武士の一分」 
最優秀助演女優賞   蒼井 優 「フラガール」

ということで、まあまあ順当なところですかね。ぼくの予想では、助演男優賞が香川照之だったが、外れたのはそこぐらいかなあ。Cannon三姉妹フェチのぼくとしては、蒼井優ちゃんが選ばれてうれしいのであります。去年は「ALWAYS 三丁目の夕日」で独占されていたのが、今年は各賞で適度にちらばったようです。

受賞式をテレビで見ていて一番面白かったのは、何といっても三谷幸喜で最優秀監督賞を逃した瞬間にグラスの酒を飲み干して、テーブルに伏せたしぐさであった。ところで、なぜそれをカメラは捉えていたのだろうか、山田洋次の顔でもよかったのに。個人的にはいずれは三谷幸喜に賞をあげたいと思っている。

さてこの時期は映画賞が多く、本場のアカデミー賞ももうすぐ受賞式だ。ぼくは来週「東京スポーツ映画大賞」の受賞式に行くことになっていて、楽しみにしているんだけど、この賞の中の主演女優賞が蒼井優なのだ。はたして、彼女はこの授賞式に出席するのでしょうか。もし来てくれたらすげえーうれしいだけど。

でも、日本アカデミー賞では助演女優賞なのに東スポでは主演女優賞なのだから、蒼井優はフラガールで主演だったのか助演だったのか、松雪泰子は主演だったのか、助演だったのか。まあ、どっちでもいいや。

2007年2月21日

ぼくの「インディアン」はどこに

アンソニー・ホプキンス主演の「世界最速のインディアン」を観る。インディアンというのはバイクの名前のことで、自分で改良したマシンで世界最高速度を記録した年寄り(当時63歳だったそうだ)のライダーの話です。これは実話に基づくものでもある。

ニュージーランドの小さな町から、ライダーの聖地であるアメリカのボンヌヴィル塩平原まで行って、自分の夢であった世界記録を打ち立てるまでを描く感動のロードムービーである。イチオシ映画です。

この手の映画は、もう最初からストーリーの結末が分かっていて、しかもサクセスストーリーだから、途中にエンディングを盛り上げるかの仕掛けをどう散りばめるかが、映画の良し悪しを決める重要な要素となる。映画では、一見くせがあるような人物を登場させるが、実は皆主人公に協力的になるいい人たちばかりで、トラブルのたびに周りの人が手助けして窮地を脱するシーンの連続である。

こんなに世の中いい人ばかりなんだろうかとついツッコミたくなるが、そうじゃないんですね、いい人にしてしまうということなのである。主人公バート・マンローの情熱や人柄が周りの人を自然と巻き込んで協力的な雰囲気を作ってしまうのだ。

当然のように、夢を持つ人間の、その夢を実現しようと一所懸命になっている姿は素晴らしい。その姿にみな感動するのだ。

この主人公を見ていると、以前このブログで「サムシング・グレート」について書いたときに言っていた「高い志・感謝・プラス思考」が、夢を追っている人の共通の合言葉のように思えた。そういえば、バートは絶えず感謝の言葉を口にし、そしていつも前向きに考えてくじけることがない。

こういう映画は無条件に気持ちがいい映画であり、観終わったあと爽快感がある。どうも団塊の世代向け応援映画のようですね。

だれが言ったか忘れたけど、「夢は逃げない。心のブレーキをかけるな」という言葉を思い出した。そうなんです、もう歳だからとか、体が悪いからとか、お金がないだとか、所詮やっても無理だからとあきらめていやしませんか。

さて、“ぼくのインディアン”はどこにあるのだろう。

2007年2月23日

違和感

昨日、先週と同じ目黒の雅叙園で行われた「経営とITの融合(KIU)」研究会主催の「第1回 アジャイル・エンタープライズ・カンファレンス」に行ってきました。副題が「<俊敏で柔軟な企業/組織の変革>のロードマップを求めて」ということで、内容的にはほとんどがSOAとBPMの話。

ここのところにわかにSOAやBPMが脚光を浴びてきたようだ。内部統制も後押ししているが、やはり、従来型のシステム開発の限界を認識し出したのかと思う。

ぼくは、自慢するわけではないが、かれこれ5年前にまだBPMという言葉もほとんど知られていない、やっとWebサービスという言葉が出てきたころに、BPMの仕組みを使ったアプリケーションの開発を行っていた。まだ、標準化されたインターフェースがなかなかなくてすごく苦労した覚えがある。SAVVIONというソフトがバージョンアップでそれを実現してくれたのでやっとできた。

だから、いま皆さんが声高にBPMといっているが、かなりのひとがはやりものに乗っかっている感じで、ぼくから言うと、とってつけたようにBPMだとかSOAと言ってみただけのように思える。なぜこの仕掛けが要るのかということを身をもって分かっているかということです。つまり、いいシステムをどういう構造にしたらいいのか、どうやって作ったらいいのかということを懸命に考え、苦労し、失敗もしてたどりついたかどうかということなのだ。みんな本当に分かっていて言っているのかと違和感を覚える。

それと、このカンファレンスというか、そもそも「経営とITの融合」と言うこと自体多少違和感を感じ始めた。以前はぼくも経営戦略をちゃんとし、KPIでビジネスのゴールを設定して、そういうことが重要で、みたいなことを言っていたのだが、最近はどうも違うんじゃないかと思うようになっている。

まず、ITから経営がどうのこうのいうのは“おこがましい”のじゃないかということだ。現に、このカンファレンスでも実際にユーザ企業で経営に携わっているひとが発表しているわけでもないので、IT側から一方的に経営ってこうですよねみたいに言っているのは、片思いというか、きつい言い方だと滑稽に思えてくる。だから、最近この近辺の話を聞くたびに、もやもやしている、違和感がある。

なんか、一度リセットして考え、ゼロベースで再設計する必要があるような気がしてならない。それが具体的に何なのかがまだ出てこないのだけれど、例えば、ITは経営がどうのこうのではなく、“いい技術・道具を提供する”ことだけで十分ではないのかとか、そんな発想ありかもしれないなと思ったりする。

そういう意味で、最後のパネルディスカッションで示唆的な意見が2つあった。ひとつは、オージス総研の山崎さんのテクノロジーからBPM、SOAを語ったことと、メタジトリーの丸山さんが、挑発的にみな大企業のことばかり言うが、本当にBPMが必要なのは中小の会社でそのビジネスモデルで差別化を図りたいところではないかと言われたことで、それらがヒントになると思う。

帰りは、会議のあと一緒する予定であったひとが話が違っていてふられてしまい、やむなくひとりで大船の「鳥恵」で一杯呑んで帰る。居酒屋もいろいろあるが、「鳥恵」はどうもひとりで行くところではなさそうだ。周りは男女2人連れが多くここでも違和感を覚えたのであります。

2007年2月24日

ばあちゃんとデジタル家電その2

うちの85歳になるばあちゃんがDVDレコーダーを買った話は前にした。ところが、最近テレビが故障で見えなくなってしまった。そんなわけで、新しいテレビを買うことになり、これからは地デジだから、それに対応したテレビにしようと言ったら、「わたしゃ、もうすぐ死ぬから、いままでのようなのでいいよ」と言う。でも、もはや地デジ対応液晶のテレビしかないと言って、それを買うことにした。

そうなると「あたしゃ、吉永小百合のテレビがいいや」となる。ところが、電器屋にいくと、“お客さんAquosよりこちらの日立のほうがいいですよ、何ったってこの「IPSαパネル」が一番ですよ、それに音もいい”と言われ、耳が遠くなったばあちゃんは、何となくじゃそれってことになった。

まずは、ばあちゃんが喜んだのは薄くて軽くなったことで、以前年寄りにはでかいほうがいいと思ってぼくが勝手にブラウン管の29インチ買ってきたら、それからずっとおまえはこんなでかいものを買ってきてとぶつぶつ言われ続けたので、これでほっとした。

ただ、ここで不満が二つ出てきた。ひとつは画面が横に細長いのが気にいらないようだ。どうも、水戸黄門の印籠が半分しか写らないのだそうだ。こりゃ、ご威光が半減だ。

もうひとつは、オフタイマーの設定が今までは一発ボタンで行けたのが、今度はメニューを押して、次にオフタイマーを選定して、次に時間をと言う具合に複雑になっている。こりゃ、ばあちゃんにはつらいぜ。結局、どんどん機能が増えてきて操作も面倒になるのは困ったものだ。とくに、リモコンは絶対にシンプルにすべきだ。だって、ばあちゃんの使うのは、電源のon/Offとチャネル、音量、オフタイマーだけで十分なのだ。だからこのユーザインターフェースをもっと年寄り向きにシンプルなものにしてくれないかなあ。

今、Webページなんかに対してAccessibilityということが言われているのに、もう少し家電の領域でのAccessibilityを何とかして欲しい。

こうなってくると、「親子で紐解くWeb2.0」の番外編として、ばあちゃんと一緒に「親子で紐解くデジタルツール」でも始めようかな。次は、インターネットはどうかと思って、この間、株のホームトレードというのをぼくのパソコンでやりだした。まだ、操作はぼくがやってあげているが、そのうち自分でできるように仕込もうかと思うが、ちょっと(かなり?)ハードルが高いか。

2007年2月25日

デブサミ補完ビデオ

デブサミ2007に行った話をしたが、その中で開発者の人たちの話を直接聞かなかったので、何となく気になっていたら、デブサミの講演そのままではないが、同じ話がちゃんとビデオで聞けるようになってなっていた。

それは、永和システムマネジメントの角谷信太郎さんの「実践『From Java to Ruby』 ~ 血があつい鉄道ならば/走りぬけてゆく汽車はいつかは心臓を通るだろう ~」というタイトルのプレゼンがGoogleVideoで見ることができる。今日時間があったので、80分くらいのものを全部聞いてしまった。

デブサミの感想でも評判のプレゼンで角谷さんの熱き思いが好評であった。確かに、聞いているとRubyに対する思いがひしひしと伝わってくる。私は、プログラマーに誇りを持っていますと言うのがすごく好感が持てた。なぜか、日本のソフト業界では、SEやアナリストに比べるとプログラマーは低く見られがちだが、そうではないとぼくは前から思っていたので、そういう気概をもった若い人が増えることを願っている。

ただ、ぼくには理解不能な箇所が随所に出てくる。なぜなら、早口でTechnical Termを頻発すること、文学的かつ哲学的な表現が断片的に登場するのでちとつらいところがある。それでも、一生懸命聞けば、またVideoのいいところはわからなかったら、戻って確認できることで、だいたいのところは分かった。

ぼくは自分でプログラムが書けないので、JavaとRubyの比較を見せられても本当に腹に入らないけれど、RubyもRubyOnRailesというフレームワークが大ブレークしたので、今後小規模あるいはフロント業務系で使われていくのは間違いないように思える。しかも、国産だから、ぜひ成長させて、グローバルに展開してほしい。IPAなんかももっとこういうものを支援したらいいと思う。

さて、このプレゼンで最初にRubyはビジネスと相性がいいというテーマで話出したので、期待したのだが、どうもこのビジネスというのが、ソフトハウスにとってのビジネスのことのようであった。ぼくは、こうした第一線の優秀な開発者がいかにいいビジネスシステムを作るかという視点で語ってほしいし、そういう方法論を確立してほしいと願っている。

例えが必ずしも適当でないかもしれないが、近くのディスカウントショップに行くといつも思っていることと似ているのでそのことを書く。

その店には、数人のアルバイトの子がいて、商品棚の整理をしている。商品を並べ変えたり、段ボールから新しい商品を出して陳列したりしているんだけど、買い物しているこちらとしては、邪魔でしょうがない。もうぼくらのことは見向きもしないで一生懸命で、時にはとなりのバイト仲間とおしゃべりしながら、仕事をこなしている。おそらく、この子らに「あなたの仕事は何ですか?」と聞いたら、きっと「商品をきれいに陳列することです」と答えるでしょう。そうならこの子らは優秀なバイトですね。そうでしょうか。違いますよね。あなたの仕事は、”お客様に気持ちよく買い物をしてもらい、商品をいっぱい買ってもらうこと”じゃないの。

そうなんですね。システムもお客さんが使ってくれてなんぼなんです。そんなことを考ええてしまった。もちろん角谷さんがそうだと言っているわけではなく、現場では実践しているかもしれませんし、むしろ、こうした最近の優秀なプログラマーの人たちがそこを埋めてくれそうな予感もあると思っている。プレゼンでもその芽のような話も出ていたので期待したい。

“スーツぽい”話だっておもしろいですよ。

2007年2月26日

もうすぐ春ですねえ♪

今日は素晴らしい青空で思わず口ずさむ。家から見る富士山もくっきり。それと、庭の梅の木が例年より早く花をふくらませて満開だ。これこそ、SOHOの醍醐味というものであろう。


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2007年2月27日

え、リメーク作品に作品賞?

アカデミー賞の受賞者・受賞作品が決まった。残念ながら、菊池凛子や「硫黄島からの手紙」は受賞ならず。その中で、作品賞が、マーチン・スコセッシ監督、レオナルド・デカプリオ主演の「ディパーテッド」に決まった。スコセッシ監督は、何度もノミネートされて、今回やっと受賞したということでおめでとうと言いたい。

ただ、ぼくはこの作品をまだ観ていないのだ。というのは、所詮リメーク品だから、ひとの作品をまねたような映画は観たくないというのが本音なのである。

オリジナルは、香港映画の「インファナル・アフェア」という作品でトニー・レオンが主演している。この映画はすばらしい作品で香港映画に力があることを感じさせてくれた。「ディパーテッド」は、まったく同じストーリーではないということで、どうも結末も違うようだ。

で、ここで言いたいのは、リメーク作品に作品賞を与えるアカデミー賞とは一体何なのかということで、主演男優賞だとかでもらうのは全然かまわないと思うが、作品賞ですぞ。だから、純粋に評価してどうのというんじゃないんですね。まあ、アカデミー賞というのは、仲間うちで選ぶ学級委員の選挙みたいなものだから、目くじらたてて怒ってもしょうがないけどね。


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ユーザ目線のBPM

今日から、「ユーザ目線のBPM」というタイトルで、ユーザの目で見た企業の情報システムはどうあるべきかについて、BPM(Business Process Management)という切り口で書いていく。

議論のフレームは、前提として、現在の企業の情報システムのあり方に問題があって、それを解決するのにBPMが有効な手段になりそうなので、それはどのような体系、方法論、テクノロジーであれば有効であるのかを議論することにある。

さらに、単に勉強するだとか体系だけ作っておしまいということではなく、実践の場や実行スキームなどの方策も指し示すことも行っていく。システムは作って何ぼ。いやユーザの役に立って何ぼの世界であることを肝に銘じて論を進めていく。

また、議論は業務アプリケーションの構築という領域に絞っている。従って、システム基盤や運用といったところには言及していない。

具体的には、 ユーザに役立つシステムにシステムにするためには

・どんな構造の仕組みがいいのか

・それをいかに早く作れるのか、変更できるのか

という観点でいろいろな角度から検討する。

ユーザ目線のBPM (1)

ユーザのためのシステムを作るんですよね

第1回目は、誰のためのシステムなのかということから始める。こんなことは皆当たり前に分かっているとお思いでしょうが、実は、勘違いも含めて、え、そんなことも分かってないのということがある。

最近、ある二つのカンファレンスに出席してみて感じたことが、そのあたりの状況を見てとれる。それは、「Developers Summit 2007」と「経営とITの融合(KIU)」研究会主催の「第1回 アジャイル・エンタープライズ・カンファレンス」で前者はソフト開発者の集まりで、参加者の多くがプログラマーやSEの若い人たちであり、後者はどちらかというと企業の情シ部門の人だとかSIベンダーのコンサルタントの人だとか、比較的年配が多いカンファレンスであった。

簡単にいえば、システム開発というのは、ユーザとSIベンダーのコンサル・SEとソフトハウスのプログラマーという三者の協業で作られる。この場合、企業の情報システム部門はユーザなのかSIベンダーなのかだが、そこは、情報システム子会社も含めてSIベンダーのほうに入れて考えたほうがよいだろう。そういう意味では、「Developers Summit 2007」プログラマー主体、「第1回 アジャイル・エンタープライズ・カンファレンス」はコンサル・SE主体であり、ユーザの参加は少なかったように思える。

そこで感じたことは、この三者の間のギャップなのです。別な言い方をすれば、システム開発の上流設計から製造までのプロセスが分断されているというか、うまく受け渡しがなされていないように思える。

要件定義は、経営戦略的にこうすべきだから、そのためのビジネスのゴールを設定して、それが実現できるように仕様を決めていくべきだと言われても、それはあくまでSIベンダーサイドの言い分であって、ユーザは本当にそう思っているの、ユーザのプロジェクト担当者だけ思っていることではないのとツッコミたくなる。

また、開発者サイドも自分たちの得意エリヤで、自分たち独特の言い回しで、自分たちだけで楽しむという一種のムラ意識があるように感じる。彼らのセッションでは出席者から「アウエーの雰囲気だったけど・・・」というような言葉も出てくる。どうも上流のビジネスプロセスがどうのこうのということに興味がないようだ。

ユーザからみると困ったもので、このギャップを埋めて欲しいと願っている。ただそれがすぐにできるとは思えない。なぜなら、本質的なあるいは構造的なといったほうがいいかもしれないがそういう問題が潜んでいる。

どういうことかと言うと、ユーザとSIベンダーとの間で言えば、両者の利益が相反するということが一番大きい。SIべンダーは自分たちの商品が売れればいいし、開発にかかった工数分の費用がもらえればいいのであって、それによってユーザの事業の役に立っただとか、収益に寄与したかなどどうでもいいのだ。実際にどこもがそうやっていると言っているわけではなく、本来的にそういう体質を持っているということなのだ。

開発者の場合について言えば、技術をというか技能といったほうがいいかもしれないが、それを極めるには必然的に足元の世界にのめりこむ。だから、同様にビジネスに貢献するとかという思考回路はあまり働かない。

開発者は無関心、SIベンダーとユーザはお互い嘆きあう構図はもううんざりだ。さて、どうしたらいいんだろう。そこはこれからの議論で追々詰めていくことになるが、少なくとも、「システムとはユーザのためにある」ということはよろしいでしょうな。

それで次回は、そのユーザとは誰のことかというテーマで書こうと思います。

2007年2月28日

ユーザ目線のBPM(2)

ソフトウエア業界の構造的な問題

ユーザとは誰なのかというテーマの前に、少し、SIベンダーとユーザ企業の関係について触れておく。

前回、ユーザとSIベンダーの利益が本来的に相反するということを書いたが、この問題は日本に固有のものであるかもしれない。まず、象徴的な事例を紹介する。世界的なERPベンダーであるSAP社が毎年「SAPPHIRE」いうユーザカンファレンスを開いているけど、アメリカ開催と日本開催で出席者の様相がまるで違う。アメリカでは出席者の7割がユーザなのに対し、日本の場合は7割がITベンダーなのです。ですから、アメリカではセッションでユーザの導入事例やユーザ自身が作ったアドオン機能だとかが多く紹介される。日本では、パートナー企業の売り込み的発表が多い。

日本の場合は、その歴史的な背景を見ておく必要がある。そう長くはない日本のITの歴史で国産メーカのはたした役割は大きく、国の保護の下、IBMの対抗軸として国産メーカは成長していった。当初のビジネスはIBMも含めて高価なハードウエアを販売することが収益の源であり、ソフトウエアはそのおまけとしてただ同然で提供された。

同じように、システム開発もハードウエア費用に隠れて、極端な話、いったいいくらだったのか分からないということもあったようだ。こうした関係であれば、ユーザは必然的にメーカにおまかせすることが最良の選択となる。この関係がいまだに続いているように思える。ですから、ユーザ自身の自立化という課題も厳然とあるのです。

まかされた側はどうなるか。ユーザがどうのこうのじゃなくて、確実に動くシステムを正しい方法で手間ひまかけて作り上げ、それにかかった費用はいただきますということになる。ユーザもITのことはよく分からないので反論もできず、高い金を払うという構図ができあがる。

もう、こんなことはやめようという声もあがっているようだが、ユーザが立ち上がっていない。そこで、情報システム部門やユーザ系情報子会社がユーザの立場になって考えることが必要になってくるが、ここがまた弱いのだ。中途半端になっている。ユーザの業務をよく知っているかと言うと、自社システムに乗っている仕組みは知っているが、例えば、なぜその業務があるのかとか、システム以外の業務はどうしているのかとか、分からないのだ。また、ITの本当のプロにもなりきれない。だから、前回に書いたように情報システム部門やユーザ系情報子会社は、どちらかというとSIベンダー側に寄せている。

結局、今後デブサミ2007で中谷多哉子氏がいみじくも言っていた「役に立たない正しいシステムを作るのは、もうやめましょう」ということになる。それには、ここで言っているような構造的な問題を改革することも重要なことである。


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