このまえのブログでこの情報の洪水のなかで重要なのは、「分類学と定義力、時々、整理術」と書いた。このあたりを現実の今のわれわれの知的作業で具体的にどうやっていくのかを考えている。
あの有名な梅棹忠夫の「知的生産の技術」が刊行されたのが1969年であるが、それから40年近い年月が経過し、また知的作業に使う道具もすごく変わっている、特にパソコンの登場による変化はすさまじいものがある。従っていまこの時代における新たな知的生産の技術はどうあるべきかをよく考えてみる必要がある。
こうしたことを考えるときに陥りやすいことは、つい情報の分類の仕方やツールそのものの話になることである。例えば、すぐに、taxonomyからfolksonomyへのシフトだとかディレクトリーからタグだとかという議論になる。その前に、いったいわれわれは情報を扱うとき何のためにその情報を取得するのかという目的の設定とそれをいかに効率的に処理するにはどういうプロセスがいいのかということが大事である。もう少し言い方を変えると、分類というとすぐに集めた情報・データをどうい分類名で格納するかを言ってしまうが、そうではなくて、自分の行おうとしている作業を分類し、その分類された作業に必要な情報を採ってくるという、逆のアプローチで考えるべきだと思う。
そんなことを考えているとき、朝日新書から出ている「情報のさばき方」(外岡秀俊著)という本を読んでみた。著者の外岡秀俊は現在朝日新聞の東京本社編集局長(要するに朝日の新聞記者のトップ)の要職にある人で、その人が長い記者生活の経験から、情報をどう扱うかを、「つかむ=収集」「読む=分析・加工」「伝える=発信」の3つのプロセスに切り分けて書いてある。このプロセスに分けて解説しているところに惹かれたのだが、やはり新聞記者向けに書かれているところがあって、いくぶん物足りなさを感じた。
そこで、他にいい本はないかと思っていたら、そうだ野口悠起雄の「「超」整理法」だ。もう一度読み直してみる。この本の趣旨は、「整理は分類なり」という固定観念から抜け出し、「情報を整理せずにすます方法」を提案している。具体的には、情報をただ時間軸というキーワードだけで分類する、ファイルを日付とタイトルだけ書いた封筒に入れ、それを本棚に時系列で順番に並べておくという方法である。確かに一生懸分類してそこに保存してもほとんど使われなかったというような経験は誰しももっているのではないでしょうか。だいいち、その分類名を考えるだけで大変でなかなか決められなかったり、決まったとしても実際の情報をどこに入れたらいいのか分からなくなるという問題を本質的に抱えている。だから、最初からそんなことはやめて、どんどん情報を投げ込めばいいということで、しかも近年はコンピュータの検索技術がすごいから、そこに預ければいいという発想です。
こうした発想は、今の環境では十分説得性のある考えかたと皆さん思われますが、この本が発刊されたのが1993年だから、その当時はインターネットの活用がまだできていない時であったため、今日のこの時点での状況からみるとこの本でも物足らなさがある。
それと、この本にも書いてあるとおり、“業務の中で情報をいかに収集・保存・検索し、それを用いて創造的な仕事を行うかという、より広義の方法論を確立する必要がある”のは確かだが、むしろ初めのほうでも言ったように、逆のアプローチである“創造的な仕事をするために、必要な情報を検索しそれを活用していくための方法論を確立していく必要がある”というのがぼくの意見だ。
この知的生産のためのプロセスをどうシステム化するのかをこれから探っていきたい。それがあってこそfolksonomyやtaggingなのではないでしょうか。