映画「武士の一分」について書いたので、藤沢周平についても書いておきたくなった。最近「週刊藤沢周平の世界」という本が発刊され、創刊第一号が「蝉しぐれ」であった。作家の名前の週刊誌というのはどういうものか読んでいないのでわからないが、週刊誌が作られてしまう藤沢周平はすごいなと思う。
こんなのは藤沢周平くらいかなと思っていたら、「週刊司馬遼太郎街道をゆく」があった、さすが司馬遼太郎だ。やはり、現代ではこの二人が双璧かもしれない。
佐高信の著作「司馬遼太郎と藤沢周平 「歴史と人間」をどう読むか」では、もともと佐高は山形県出身や反権力ということもあり、藤沢周平に肩入れした書き方であまり気持ちよくないのだが、二人の目線について書いていて、要は司馬は上から歴史をみている、すなわち権力者側から鳥瞰している、それに反し、藤沢は下から、庶民の目で歴史をみているというようなことを言っている。確かに、司馬の描く小説のほとんどには歴史上の人物が主人公であるが、藤沢のそれは、一介の武士が主人公となっている。だからといってどちらがいいかではなく両方とも読みごたえのある小説家であることは間違いない。
藤沢周平の代表作というと、「蝉しぐれ」、「用心棒日月抄」「たそがれ清兵衛」「隠し剣」シリーズなどがあるが、ぼくが好きな作品は、「三屋清左衛門残日録」、「海鳴り」、「ただ一撃」(暗殺の年輪に収蔵)も3本です。「海鳴り」、「ただ一撃」はどちらかというと他の作品と趣が違っていて、ぼくは藤沢周平が司馬遼太郎と違うところは、むしろこういう作品を書けることではないかと思っている。「海鳴り」は不倫の話で江戸版「愛の流刑地」(大げさか)です。「ただ一撃」は読んでいる人少ないかもしれませんが、あっと驚く結末で飄々としたところがすごく好きなところです。
「三屋清左衛門残日録」は、この歳になると身につまされる小説で、よってこのブログも言ってみれば「mark-wada残日録」でもありますのでよろしく。
ぼくは、こうした時代小説というもので絶対に読んでおいたほうがいい作家が三人いる。前述の藤沢周平、司馬遼太郎と塩野七生である。それぞれ、下級武士あるいは庶民から見た歴史、日本の国全体の大きな流れとして描かれた歴史、世界の中心としてのヨーロッパの歴史が圧倒される知識と筆力でせまってくる。作品は膨大な数になるので全部読むのは大変です。もちろんぼくも読みきっているわけではないのですが、これからできるだけ読み込んでいきたいと思うのであります。