最近、正月が面白くない。毎年駅伝なんかのスポーツ中継をだらだら観てしまう。それで今年は本を読むことにした。だからって駅伝は見ないかというと音を消してみることにした。ときどき本を読む目をテレビに移して順位を確認する。これで十分だし若手のアナウンサーのやかましい声が聞こえないだけでもいい。
というわけで、何冊か読んだ本を紹介します。
・「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」(村上春樹)
以前、同世代の作家の作品は恥ずかしくて読めないと書いた。だから村上春樹の小説も読みかけのままほおってあるとも言った。しかし、ついに初期3部作を読破した。
どうして読めたか考えてみた。まず村上春樹の読者層はおそらく背広にネクタイをしめた人は少ないと思われる、そうなんです、そりゃあ会社勤めでもいいんだけど、それにどっぷりつかっていては村上春樹は読めないんじゃないかな。頭であるいは理屈で読むのではなく、ぼくは“スイングする感覚で読んでいける"かではないかと密かに思ってみた。
でぼくは今会社勤めをやめこの歳になってやっとその“ノリ”をわかったのかもしれない。
・「ウエッブ人間論」 (梅田望夫、平野啓一郎)
梅田さんの「ウエッブ進化論」を読んでいるのでちょっと読むのを躊躇していたが、平野啓一郎との対談なので面白いかなという感じで手にする。
これ二人が噛み合っていないんです。まずそれ以前に対照的なのは、平野君は言っていることが相変わらず難解。彼の芥川賞作品「日蝕」を読んだとき全然分からなかった記憶がある。それに対し、梅田さんの言っていることは明瞭でわかりやすい。そして、梅田さんの底なしのオプティミズムに懐疑的な平野君という対立構図がなんとも愉快で、どっちが年寄りなのかわからなくなってしまう。そのあたりは、“おわりに”に梅田さんが書いてあることが端的に示しているので紹介する。
平野は、「社会がよりよき方向に向かうために、個は何ができるか、何をすべきか」と思考する。それに対し、梅田は、「社会変化は、否応なく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考える。
あまり書くとネタバレになるのでここまでで、じゃあお前はといわれそうなので一言。
Web2.0の世界は、“Optimism & Democracy”が前提であるが、梅田さんの超楽観主義は、同じく超楽天家のぼくも一瞬たじろいでしまうくらい明快だ。ぼくらの生い立ちから言うとおわかりでしょうが“自分たちの手で社会を変革するんだ”式思考回路のほうが自然なのだ。まあだからWeb2.0なんだろうけど。不連続の連続ということかもしれないが、あまりにも安易に変化を許容してしまうのもちょっと怖いような気がするオヤジです。
・「ハイ・コンセプト」(ダニエル・ピンク、大前研一訳)
サブタイトルが、“「新しいこと」を考え出す人の時代 富を約束する「6つの感性」の磨き方”となっている。この6つの感性というのは、デザイン、物語、調和、共感、遊び、生きがいのことである。この磨き方は、右脳を使えということらしい。論理的、分析的左脳タイプのひとから、統合的で感情表現や全体像の把握ができる右脳タイプへと成功するひとのタイプがシフトしていくと言っている。
左脳タイプのひとの仕事はどんどんインドなんかにとって替わられてしまい、クリエイティブな人が残るということだそうだが、この話どこかで聞いたことがあると思ったら、なんのことはないトーマス・フリードマンの「フラット化する世界」に同じようなことが書いてあり、フラット化した時代に生き残れる人、すなわち自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化、オートメーション化されない人をやはり右脳を使ってするような仕事に就いている人と規定している。
確かにわかるんだけど、この本にも単純な二元論的な世界ではないと書いてあるように、左脳もやはり大事でむしろこれがベースでそこに右脳的な部分を加味していけばいいというのが正解だ。
それとこれも単純に例えばプログラミングは左脳を働かせてやる仕事だという意見にもぼくは与さない。なぜなら、ぼくもITに関わりだしたころはそう思っていたけれど、どうも違うんじゃないかと思うようになった。それは、プログラムでもデータベースでもいいんだけれど、できたものを「これは美しい」と言うのを聞いたときからだ。全部論理的に決まったものしか生まれないと思っていたのが、作るひとによって違い、機能も含めた美的要素が大きく関係するという。
誰かが言っていたがコーディングはある種の文学だ、だから理科系の人間より文学部出身のプログラマーのほうがいいコードを書くと言っていてた、まさに至言である。
何を言いたいかというと、どんな仕事、職務でも全体をデザインする力、物語を作れる力がなくてはいけないのであって、ぼくはよく囲碁の例で言うんだけど、囲碁で重要なのは最初の布石でしょう、そこをうまく打てるかが勝敗を分けるのに、いきなり四隅の生き死にに走るひとがいる、そうじゃないでしょということです。
少し、話それたがダニエル・ピンクの言っていることは前から言われていたことだと思うが、きっとよりそれがクローズアップされる時代になったということなんだと思う。
