昨日、鎌倉女子大で山田洋次の講演会に行ってきた。鎌倉商工会議所青年部の主催で、「鎌倉と私」と題しての講演です。山田監督に鎌倉を外から見たとき、どうすればもっと魅力的なまちにできるかについて語ってもらおうというのが主旨のようだ。ただ、山田監督は主として松竹大船撮影所の思い出を1時間半話された。それが面白かった。
昭和29年に助監督として松竹に入社したときから、「武士の一分」まで50年以上の長きにわたっているから、多くを語るにはあまりにも短かすぎる時間だったのだが、そのなかでもやはり渥美清の話は興味深かった。何しろ寅さんシリーズ48作も撮っているので思い入れは相当なもののようだ。48作目の最後のカットで渥美清が何も言葉を発せず呆然としていたことや、渥美清が死んだのを2日後の奥さんからの電話で知ったこと、死んで「送る会」を大船撮影所でやったら真夏にもかかわらず、なんと3500人が焼香に訪れ、大船駅から長蛇の列となったことなどをなつかしそうに話していた。さらに、エピソードとして、寅さんのしゃべるセリフはアドリブなのかという会場の質問に、基本的には山田監督の脚本どおりなのだが、集中すると思わず面白い言葉で飛び出し、それを使ったことが何度かあったとのこと。有名な「それを言っちゃおしめーよ」や「労働者諸君!」などは渥美清のアドリブが定番化した例だそうだ。
ここで、ちょっといい話。「男はつらいよ」といえば、帝釈天の御前様として登場する笠智衆がその貴重な脇役として活躍していますが、その笠智衆についての山田洋次の話。このひとは大船(岡本)に住んでいて、撮影所まで歩いて通っていた。いつも笠さんの出番の日はスタッフは朝からなんとも清々しい気分になったそうです。「男はつらいよ」は最初本当に柴又の帝釈天で撮影していたそうで、笠さんも大船から柴又まで行かなくてはいけないので車を差し向けるよう手配したが、絶対に車に乗らなかった。いつも、電車を乗り継いで現場まで行ったそうです。そこで、毎回大変だからということで、3作目か4作目のときに近くに似たようなお寺がないかと探して、結局それからは、鎌倉の光明寺で撮影したとのこと。