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2006年12月 アーカイブ

2006年12月 1日

つぎの映画を早く観たい

同じ戦闘を両当事者側から描くという映画がこれまでにあったかどうか定かではないが、クリント・イーストウッドが監督した「父親たちの星条旗」と「硫黄島からの手紙」はそういう作品である。まず先にアメリカ側を描いた「父親たちの星条旗」が封切られているので、それを観に行く。

ひとことで素晴らしい映画に仕上がっていると思う。といっても本当は次回作と合わせて仕上がったというべきであるが、この作品だけでも十分見ごたえのあるものに完結している。「パイレーツオブカリビアン」の”乞うご期待次回作”の2本仕立てとはわけが違う。

戦争の描き方はいろいろあるが、この映画は割りと淡々としていて入れ込んでいないのがいい。擂鉢山の頂上に星条旗を立てたあの写真の裏にこんな隠された物語があったとは知らなかった。その物語を軸に普通の兵士が英雄に祀られながら、利用される姿に戦争のむなしさや不条理が表現されている。このあたりはクリント・イーストウッドの演出に感心させられる。

こうなると早くつぎの「硫黄島からの手紙」を観たくなった。

宿題の一部ができたぞ

「親子で紐解くWeb2.0」で出された宿題の一部ができました。

ほんとはまず宿題1の「mixiで友達10人つくりましょう」から始めたのですが、現在8人であと二人まできました。いろいろ手を打ってますのでもうちょっと待ってください。

それで、できたのは宿題4の「Blogに写真をのっける」ってやつだけど、この間うなぎやの写真のせたのでクリヤーです。でも携帯用の「miniSD」と「CardReader」を買ってきてもらったので、ちょっと減点かな。やっぱり自分で買ってこなくてはね。でこれは先生に買ってきてもらって、さらにインストールまでしてもらってます。このとき、携帯がなかなか認識してくれなくて、先生ちょっとあせっていたけど、さすがだね、「はてな」でぱっと検索して、パナソニック用のインストールソフトをダウンロードしてセットアップしてしまった。もし、オレだけだとパニックになっていただろうと思うが、ひとつ学んだのは「はてな」の威力だ。これはこれで後で勉強します。

それ以後の工程はなんなくクリヤーして、自分のブログに写真が載ったときはうれしかったですね。写真があるとだいぶ見栄えが違いますね。ただ、そのときにも書いたのですが、写真の横に文章が入れられないという状態ですので、それができるようにそのうちもっていきます。とりあえず、写真に限らずイメージを挿入することはできた。

あと、宿題にはないのですが、アマゾンのアソシエイト・プログラムに入って、リンクを張ったぞ。すごいだろ、お金が一杯入ってきたらどうしようか。いまアマゾンでは「インスタントストア」というサービスが正式リリースされたそうで、簡単なショッピングサイトを作れるようだ。ただ、例えばそんなものをブログに埋め込む手ってあるのかあな。今回も本のリンクを入れたが、ブログのなかに買い物かごがあるというのはちょっと抵抗感があるんじゃないかなあ。どこでお金が動いているかが分からないというのがWeb2.0的でしょ。個人的にはぎらぎらしたブログはやだよね、せめてテキストだけで控えめがよろしいと思うが先生いかがですか?

ところが、ちと困ったのは感想を書いたのはいいがこのコラムのエントリーにトラックバックできないのだ。これももうちょっと時間をください。

2006年12月 8日

mixiのお友達

親子で紐解くWeb2.0の宿題1である「mixi上で友達10人つくりましょう」をクリヤしました。ただいま10人でもうすぐ2人増えます。で結局、どうやって集めたかというと息子の友達と自分のかつての仕事仲間のオジサンたちです。従って、20代とおおかた50代という年齢構成でしかも男ばかり。

mixiをやるひとあるいはやりたがるひとの条件って何だろうか。まずは、対等なコミュニケーションのテーマをもっていて、それを発信し続けられるひと、キーワードで言うと「対等なコミュニケーション」と「情報発信力」のような気がする。この最初のキーワードから見ると、面白いことに若いひとか定年前後のオヤジが「対等なコミュニケーション」ができるのではないでしょうか。あとしいて入れてあげれば主婦か。

どういうことかと言うと、若いひとはわからないと思うが、われわれの経験から言うと、同窓会を思い浮かべてほしいのですが、学校を卒業してすぐの時ってけっこう頻繁に同窓会を開くんだよね、だけど会社に入ってというか社会にでて10年もすりゃ、出世するやつやそうでないやつ、結婚したやつできないやつとかいった風に差が出てくるんで、だんだんやらなくなって消えていくんだ。ところが、定年近くになるともおう諦めもあったり、幸せは出世することだけじゃないよねえみたいなことになって、えらくなった友達をあんまりうらやましく感じなくなったりする。だから、一旦途絶えていた「対等なコミュニケーション」がよみがえってくるというわけだ。

それと「情報発信力」という点では、若いときはそれこそばかなことや感じたままを素直に表現しても全然オーケーだし、かわいいんだよね。でも相応の歳を食ってくると構えてくるし、何よりも仕事に向かって行くから自分から発信する情報が蓄積できなくなる。というわけでおおかたのひとがプライベートなコミュニケーション世界から遠ざかってしまい、定年近くになってやっと自分の時間を取り戻すのではないでしょうか。だから、ぼくのマイミクシーの構成は当然の結果なのかもしれない。

今回のmixi友達探しでこんなことを考えてしまった。でもこの話は従来型の見方であって、mixiが当たり前の情報伝達手段である今の若いひと達が、われわれと同じような道をたどるかどうかはわからない。ぼくはこのあたりは興味を持ってみていきたいと思う。

(追加)前にトラックバックのやりかたがわからないという記事を書いたが、実はトラックバックができない原因はぼくのほうにあるのではなく、トラックバック先にあったのです。すなわち、トラックバックスパムが多いサイトは、一定時間に受けつけるトラックバックを制限していて、おそらくそれに引っかかっていた模様。これもクリヤです。

2006年12月 9日

ソバ屋で憩う

一昨日、久しぶりに所用で東京に出る。中堅の情報システム会社の社長と面談。ちょっとお願いすることがあったのでその依頼とひとしきり最近の業界やユーザの情報について教えてもらう。そのあと、お昼になったので何を食べるかあまり考えてこなかったので、いつも持ち歩いている「東京のソバ屋一覧表」を見る。そこで、次の予定が東京国際展示場だったので新橋駅前ビルの「本陣房」でそばにする。またしても非サラリーマンの特権である昼間のビールを飲んでせいろを食べる。おいしいかった。

実はソバ屋に関する本でいつも持ち歩いている本もある。「ソバ屋で憩う」という本で、残念ながらその作者である杉浦日向子は昨年7月に46歳の若さで他界されてしまいましたが、その杉浦日向子が食べあるいは呑み歩いたソバ屋についてまとめたものが文庫になっている。

なぜいつも持っているかというと、もうだいぶ前からだがKさんという当時同業だった別の会社の人がいて、そのひとと”ソバ屋めぐり”をしているからです。その本に載っている店に順番に行こうということになったわけです。その友達(先輩ですが)のKさんもぼくも酒が好きだから、うまい酒と肴で酔って〆にそばというパターンは言うまでもない。で本の最初のページは浅草の「並木 藪蕎麦」ですからそこからスタートです。

いままでにどこへ行ったかは”mark’s library”に載せておきますが、トピックスを2,3。まず、2回フラれた店の話で、高田の馬場に「傘亭」という有名な店があるんだけど、小さい店だから早くいかなくてはということで、確か6時前くらいに行ったんですが、ナント売り切れごめんなんです。それではということで次は早く行こうと4時半くらいに着いてさあ入ろうと思ったら、ナント本日休業なんです。え金曜日が休み。

もうひとつ、渋谷のNHKの前に「おくむら」という店があって、ここは杉浦日向子の行きつけの店なんですが、ここで呑んでいたら、その杉浦日向子が入ってくるではありませんか、多分NHKの「お江戸でござる」が終わったあとに来たんじゃないかな。

いまは、その本に書いてある店以外にももちろん行っていて、こんなところにこんな店がというのがいっぱいある。まだまだ”ソバ屋めぐり”は続くのであります。

おとなの居酒屋

ちかごろ居酒屋チェーンがあちこちにできているが、どうもどこも同じようなメニューやサービスで変わりばえしない。ただ安ければいいだろみたいな店も多い。最近はやりの半個室のちょっと高級感の店も増えているが、それはそれで結構高かったりする。そりゃ仲間同士の忘年会だとかで利用するが、じっくり呑みましょうということにはならない。なのでオヤジのいくところではないのである。

それと、いわゆる小料理屋というものもめっきり減ってしまった。ぼくは、新橋の柳通り周辺のそれこそおばちゃんがひとりでやっているような小料理屋へよく通っていました。ときどき三味線の音色が聞こえてくるような風情でとても落ち着いた楽しみ方ができました。でもなじみの店もおばちゃんが病気で店じまいです。そんな店がいっぱいです。そうここ5,6年で5軒の行きつけの店をなくしました。

というわけで、おとなの居酒屋がぼくの最近の”注目のブックマーク”です。じゃどこへ行くか。こういうときは、”ソバ屋めぐり”と同じなんだけど、水先案内人を探すのが一番なのです。そこで見つけたのが、「新精選 東京の居酒屋」(太田和彦著)です。元会社の後輩とこの本に載っている店をめぐるツアーを始め、これまで数軒の店に行きました。

一昨日、秋葉原の「赤津加」に行ってきました。まずびっくりしたのは、電気街の中にあるんですね。すげえミスマッチなんだけど、それでいてそんなに違和感がないという不思議な空間であり、メードさんをながめ、オタクと並んで歩いて、入るところが全然ちがうという面白い体験をしました。

「赤津加」の店内は結構広くて、3人で行ったんだけど、大きなテーブルに座りゆったり呑めてよかった。酒の肴も鍋もあったりして豊富です。煮込みやまぐろなどを頼み、ビールと燗酒で看板まで居座る。お客さんもオヤジばかりで、やかましくなくていい。久しぶりに酒を堪能。かくして”居酒屋めぐり”も続いていくのであります。

いいところをまねろよな

アジア大会のサッカーの予選リーグ最終試合で日本代表は北朝鮮に逆転負けを喫する。まあ、Jリーグの日程の関係でベストメンバーが組めなかったとか、相手はフル代表だとか言い訳を言っているが、あの試合そのものをやはりよく分析しておかなければいけないと思う。

冷静にみれば取られた2点ともペナルティエリヤのすぐ外からのフリーキックを入れられている。そのフリーキックは2度とできないようなすばらしいコースに飛んでいるので、運が悪かったみたいなとらえ方をするひともいるかもしれないが、問題はそのフリーキックの与え方が悪いのだ。相手のユニフォームをつかんで相手が倒れて反則を取られている。このユニフォームをつかんでディフェンスするというのが、Jリーグでもよく見られる光景だが、頻繁におこなわれる。ユニフォームを引っ張っられたくらいで倒れるなよなと北朝鮮の選手に言いたいかもしれないが、どうしてそんなディフェンスしかできないのだ。ファールでしか防げないというディフェンス力不足なのだ。今回出場したU-21の若い選手たちが、Jリーグなどの大人の試合でやっていることをまねているわけで、そんことをまねするなと言いたい。

それと、許せないのは、ヘアバンドとストッキングを試合中に下げるヤツ、見ていて不愉快になる。いい選手や名選手と言われたひとたちはけっしてユニフォームをひっぱたりしないし、身だしなみはちゃんとしていたんだ。若い選手諸君よ、小学生や中学生があなたたちをみて、悪いところをまねされたらいやでしょ。おっと最近小言が多いな。

2006年12月12日

アクセス解析をしてみた

「親子で紐解くWeb2.0」の宿題2で”Blogの訪問者数を毎日平均30人/1dayくらいにする”というのがある。この答えを考える前に、今自分のBlogにいったい何人の人がアクセスしているのかがわからないとどうしようもないので、アクセス解析とやらをやってみた。

このBlogを立ち上げたのは、今年の8月29日だから、まあ実質9月スタートということになる。いま4ヶ月目に入ったところです。その結果ですが、まず、月平均の訪問者数(ユニークユーザ数)としては、9月-8人、10月-9人、11月-12人、12月-25人でした。これってどうなの。

これを見てると、12月にぐっと伸びてもうすぐ目標の30人に行くかもしれないと思うかもしれませんが、ところがどっこい。よーく調べてみると、12月9日になんと73人という訪問者数を記録。翌日も40人でこの2日で数をかせいだわけです。それではなぜ急に増えたのだろうか。ページビューをみると「mixiのお友達」というタイトルのページに多くの人がアクセスしていた。

なになに、じゃこのページをどうしてみんなが見るようになったのだろうか。実はこれが、「はてな」の注目エントリーに入っていたのだ。おそらくその結果として訪問者数が急激に増加したと思われる。

ということで、「はてな」に注目されればアクセスは増えることはよく分かった。こんなことは、ゆーすけべー先生の"CDTube"を見れば明らかですが、自分もささやかではありますがちょっとしたうれしい体験です。

でだからといって宿題の答えが出たわけでもなんでもなくてここからです。なぜ「mixiのお友達」が、「はてな」に注目されたのか、逆に注目されるためにはどうしたらいいのか。つぎの宿題はどうも「はてな」関連らしいので予習しておこうかな。

2006年12月15日

冬はナベにかぎる

会社勤めではない生活をしていると、時間が自由になっていいのですが、一方で時間がむだになってしまうこともたまにある。例えば、東京に複数の用事ができたが、その間の時間が空いてしまうケースがある。先日このケースで、昼一番に用事があって、夜に呑みが入った。さてその間何をするのか、セミナとか展示会もさがすのですが、そううまくはまるものはやっていないし、以前のように自転車を借りてという手もあるが、寒くて雨がふる予報でもあったのでそうもいかず、そうだ都バス旅行かなとも思ったがどのコースに乗ったらいいかの事前チェックも大変だとということで思いついたのが、温泉だあ。

 お台場にある「大江戸温泉物語」に行く。東京テレポート駅にシャトルが来てくれるのでそれで行く。運転手さんに一緒乗ったおばさんが、「今日は混んでいますか?」と聞いたら、「いやーすいてますよ、ホントは神田くらいににぎわっていればいいんですが、今日は西新井ですよ」とわけのわからない江戸時代的ギャグを飛ばす。まず、入場料金2827円を払って通行手形(バーコード付きキー)をもらう、次に自分好きな浴衣を選んでそれに着替える。運転手さんの言う通りすいている。いくつかの風呂(露天風呂もある)につかり、間にお休み処でちょっとうたた寝、すっかりリラックス。施設の中には江戸情緒たっぷりの店がいくつもあり、ビールを飲みながら談笑する外国人や同窓会をそこでやっているおじいさん連中、デート中の若いカップルなど多様な人々が楽しんでいる。都会のなかの不思議な空間である。さて、お帰りはシャトルバスで門前仲町へ。

夜は、たびたび登場のナベちゃん(渡辺順ちゃん)と元の会社の部下だったT君と3人で、茅場町の「URA徳」で鳥の水炊き。ここは順ちゃんの一押しの店で、「鳥徳」の裏にあって、「鳥徳」の4代目が昨年秋にオープンさせた居酒屋風の店です。焼き鳥、鳥わさ、玉子焼きなどをつまみに温泉で乾いたのどをまずビールで潤し、あとは日本酒。お酒の種類も豊富で4代目がこちらの好みにあわせて酒を選んでくれる。だいぶ酔いが回ったところで水炊きをいただき、満ち足りた気分になる。最後はもちろん雑炊、思わずウメエー。

今回の鍋でもつつきながら語ろう会は大成功を収めたのあります。ねえナベちゃん、”冬はナベにかぎる”。

ちょっといい話その2

サーバー室にもなっている家の納戸がごちゃごちゃなので、息子たちと片付けを始め、壊れた椅子を粗大ごみで捨てにいくことになった。そのとき、この間新橋の小料理屋がなくなるという話を書いたあとだったので、ふとあるひとのことを思い出してしまった。

新橋の烏森口からちょっと行ったところにTという小料理屋があった。おばさんがひとりでやっている店で、ぼくはもうかれこれ15年ほど前に会社の先輩につれていってもらってから、時々寄っていた店です。けっしてきれいなところではなく、むしろきたないと言ったほうがいいかもしれないところだが、気さくな感じで気に入っていました。そこによく来るお客さんでHさんという、もうその当時80歳近くになるおじいさんがいました。ほとんど一人で来るのですが、たまに呑みすぎたときなど家族が心配して連れにきたりしますが、その歳でもしっかりして、ぼくもひとりなので隣合わせになったりするといろいろ話をしてくれます。

Hさんは、自分でH製作所という椅子を製造する会社を起こし、今は子供にその会社を任せて、まあ引退しているわけです。しかし、しょっちゅう会社に顔を出して、あれこれ言うらしいのです。ですから、若い人から煙たがられていて、どうもその鬱憤をはらすために呑みにきているらしく、いまの若いやつはなってないと嘆いてはまた一杯というわけです。

ただあるとき、何がきっかっけだったか忘れたが、実に面白い話をきくことができました。Hさんの会社は、高級な椅子や特殊な椅子の製作では腕がいいという評判で、そういう注文が来る。例えばの話として、船の船長の椅子って作るのが難しいがどこが難しいかわかりますか、難しいのは、足の長さなんだそうです。船の甲板は水平ではないんですね。傾いているんです。だから、座ったときに平らになるようおに足の長さを調節するのが難しいのだそうだ。この話がいい話ではありません。その後の話です。

あるとき、外務大臣も努めたかの有名な藤山愛一郎の家から注文があって、書斎で使っている椅子の張替えをしてくれといってきた。もちろんHさん自らが藤山邸に出向いて、実際にその椅子を見たとき唸ったのだ。”おお、この椅子はオレ作ったものだ”というと、周りの人はまさかという顔で、”えどうしてわかるの、本当かい”と答える。”絶対にこれはオレが作ったものだ、作ったオレが言うんだから間違いない”というわけで、実際に椅子をばらしだした。しばらくして解体が終わろうとしたとき、椅子の見えない支柱のところになんとHさんの名前が刻まれていたのだ。一同唖然として、さらにこれいつ作ったのか、するとHさんが20歳ころに作ったものらしいことが判明。ということは、30年くらい前のものでそれをずっと使っていたのであって、またそれを直して使おうとしていることにまた驚き。

そんな話を酔って呂律も回らなくなりながら語ってくれました。おそらくもう亡くなっていらっしゃると思いますが、本当に自分の仕事に誇りを持って生きた職人がだんだんいなくなっていくんだなあと寂しくなります。

2006年12月17日

リアルミクシー

このあいだから「mixi」に入って、いろいろな人たちとコミュニケーションしていますが、もちろん「mixi」ではなくても、現実の世界も「mixi」的なコミュニティはあるんですね。いまから”銀座の呑み屋コミュ”の話をします。

昨日、村上和雄の遺伝子の話をしましたが、この人とその著書を教えてくれたのが、銀座にあったSというバーのママでした。もう3年くらい前にやめて店もなくなってしまいましたが、それまではときどき呑みにいったところです。ぼくは、いきつけの店が銀座にいくつかあるんだけど、みんなに高いんでしょとよく言われのですが、そんなに高くなくていい店があるのも銀座です。もちろんガキの行くところではないけどね。さすがに銀座の女の子は話が面白いし、たまにびっくりするような教養をもった子もいて、昔よくいたような、店に入るなり一曲どうぞしか言えないオネエチャンと比べて格段に違う。でそのSのママが最近面白い本があるから読めとぼくに薦めてくれたのが村上和雄の「人生の暗号」という本でした。それを読んで衝撃を受けたことはすでに書いた。

その店がなくなってしまたので、行くところが減ってしまうので、その元ママにどこかいいところを教えてよねと言って紹介されたのが、いまでも時々行くYという店です。まず不思議なのは普通店を仕切るのはママさんですよねえ、ところがそこは”パパ”さんです。そんなことはどうでもいいんだが、ここは結構若い子がいるんだけど、映画や本の話をすると受けがいいのでよくする。要するに、呑み屋のオネエチャンにもてるには「シネマと書店とスタジアム」の話が一番なんです。

あるとき何と池波正太郎のファンだというはたちそこそこの子が登場。なかでも「剣客商売」の秋山小兵衛が大好きだと言うんだ。ぼくもファンであるいうことも前に書いたが、こんな若い子が秋山小兵衛が好きだとは恐れ入った。そういえば、秋山小兵衛はたしか60歳くらいで20歳のおはるを嫁さんにしている。おっと変な妄想はやめよう。

それから、別の映画好きの女の子に「暗い日曜日」というハンガリー映画を教えてもらって、それを観てすごく感動したこともある。この映画は、男二人と女一人が登場するんだけど、このパターンっていうのは、ぼくの一番好きな映画の「冒険者たち」と同じシチュエーションなんだ。日本でもそれをマネした「宿無」という映画があった。驚くなかれ、高倉健、勝新太郎、梶芽衣子が主演という豪華版ですぞ。ちょっと話がそれた。

というわけで、相対の人からいろいろな情報が入ってきたりする世界がまだまだあるのだ。それは、会社のようなフォーマルな組織というより、銀座の呑み屋のようなインフォーマルな世界のほうが面白いことが多いような気がする。

力道山というプロレスラーがいた

一昨日ふと新聞の片隅にその日(12月15日)は力道山が死んだ日であるという記事を見つけた。それを読んだとき、あの頃のことがさっと浮かんできたのだ。力道山が死んだのは1963年だからぼくは中学生だった。学校の帰り道に誰かが、「おい、力道山が死んだぞ」と言いに来た。その一週間前に赤坂のキャバレーでやくざに刺されたのだが、力道山のことだからすぐに治ってしまうと信じていたからすごい驚きだった。あの力道山が刺されたくらいで死ぬわけがない、何かの間違いだとしばらく思っていた。だが、実際の死を確認すると、人間ってこんなにあっさり死んでしまうものかと子供心に深く残ったのだ。(あとでわかるが、ほんとうは麻酔医のミスで腹膜炎を併発したらしい)

また、この10月末に力道山の愛弟子であった大木金太郎が死んでいる。

そんなことがあったので、すぐにレンタルビデオ屋で「力道山」のDVDを借りてきて観る。この映画は、ソン・ヘソンという監督が作った韓国映画で、主演がソル・ギョングで脇を中谷美紀、藤竜也、萩原聖人などが固めている。

残念ながら感動しない映画であった。実在のヒーローを描くことの難しさが出ている。結局、多くの人はその主人公に対する見方がすでにあって、しかも皆それぞれで違った思いや評価があるわけで、何もないところにしみ込むような感激がないのである。従って、この手の映画は、時系列的な成功物語ではなく、どこか断片を切り取って、そこから一人の人間を描くといったほうがいいような気がする。

この韓国映画は、逆境にもめげず、強い中にも弱さがあり、だが夢を持ち続けるみたいな類型的な感じ。それで結局、体のいいヤクザ映画にしかならなかった。しかも、心理描写にしても細部の映像のつくりにしても粗雑なところがある。ちなみに、この映画のシーンに出てくるコブラツイストもラリアットもブレーンバスターもその当時はまだなかったのだ。ボデースラムと飛びけり、ヘッドロック、頭突き、逆えび固めぐらいなもんで、ルーテーズのバックドロップ(日本では岩石落としといった)を見たときはぶったまげたものだ。

とはいえ、ぼくにとってやっぱり力道山は英雄だ。

2006年12月18日

山田洋次の話の話

昨日、鎌倉女子大で山田洋次の講演会に行ってきた。鎌倉商工会議所青年部の主催で、「鎌倉と私」と題しての講演です。山田監督に鎌倉を外から見たとき、どうすればもっと魅力的なまちにできるかについて語ってもらおうというのが主旨のようだ。ただ、山田監督は主として松竹大船撮影所の思い出を1時間半話された。それが面白かった。

昭和29年に助監督として松竹に入社したときから、「武士の一分」まで50年以上の長きにわたっているから、多くを語るにはあまりにも短かすぎる時間だったのだが、そのなかでもやはり渥美清の話は興味深かった。何しろ寅さんシリーズ48作も撮っているので思い入れは相当なもののようだ。48作目の最後のカットで渥美清が何も言葉を発せず呆然としていたことや、渥美清が死んだのを2日後の奥さんからの電話で知ったこと、死んで「送る会」を大船撮影所でやったら真夏にもかかわらず、なんと3500人が焼香に訪れ、大船駅から長蛇の列となったことなどをなつかしそうに話していた。さらに、エピソードとして、寅さんのしゃべるセリフはアドリブなのかという会場の質問に、基本的には山田監督の脚本どおりなのだが、集中すると思わず面白い言葉で飛び出し、それを使ったことが何度かあったとのこと。有名な「それを言っちゃおしめーよ」や「労働者諸君!」などは渥美清のアドリブが定番化した例だそうだ。

ここで、ちょっといい話。「男はつらいよ」といえば、帝釈天の御前様として登場する笠智衆がその貴重な脇役として活躍していますが、その笠智衆についての山田洋次の話。このひとは大船(岡本)に住んでいて、撮影所まで歩いて通っていた。いつも笠さんの出番の日はスタッフは朝からなんとも清々しい気分になったそうです。「男はつらいよ」は最初本当に柴又の帝釈天で撮影していたそうで、笠さんも大船から柴又まで行かなくてはいけないので車を差し向けるよう手配したが、絶対に車に乗らなかった。いつも、電車を乗り継いで現場まで行ったそうです。そこで、毎回大変だからということで、3作目か4作目のときに近くに似たようなお寺がないかと探して、結局それからは、鎌倉の光明寺で撮影したとのこと。

2006年12月22日

居残り佐平次

恒例の「柳家小里んの会」に池袋演芸場まででかける。今回の演題は「居残り佐平次」と「猫の災難」。最初の「猫の災難」で酔っ払いを軽妙に演じ笑いを誘ったあと、「居残り佐平次」は品川の遊郭に居残り覚悟で遊びに上がる話で、これは病んで身体の具合がよくない佐平次が、捨身というか開き直った軽やかさが肝のところなのだが、ここに若干不満が残る。落語というのは、角度を変えると残酷であり、極端な言い方をすればいじめがあり、与太郎がバカだチョンだとさんざん言われるわけで、それを笑いとばしてしまう乾いた明るさがいいところなのだ。そこには、“開き直り”というか、何というかある種の諦念があるような気がする。ここの表現が落語の芸であるというのは言い過ぎだろうか。ここで小里ん師匠にあえて言わせてもらえば“けつをまくる”感じがほしい。まじめなんですね。

実は、この「居残り佐平次」を題材にした映画がある。1957年の日活映画で川島雄三が監督した「幕末太陽傳」で、この「居残り佐平次」の他にやはり「芝浜」、「品川心中」という落語からネタをもってきた作品である。

この映画で主人公である「居残り佐平次」を演じたのがフランキー堺である。今の若い人は知らないでしょうが(リリーフランキーのおじさんではありませんよ)、フランキー堺というひとは元々ジャズドラマーですが、映画、テレビ俳優として活躍し、多くの作品に登場していますが、ぼくはこのひとは「私は貝になりたい」と「幕末太陽傳」につきると思う。名前と顔つきからバタ臭いイメージのキャラクターをもって逆に日本的な日本人を演じる面白さが印象的だ。特に「幕末太陽傳」における、“人生深刻ぶるなよなあ”みたいなノリの演技は秀逸であったことを思い出した。ともかくこんなことを考えた落語会であった。

ところで、小里ん師匠の弟子で今回も助演している柳家麟太郎が、来年「柳家麟太郎の会」というのを蒲田でやるというチラシをもらった。うれしいじゃありませんか。みなさん応援してやってください。

力の差

FIFAクラブワールドカップ(昨年からクラブ世界選手権という呼び方から変わった)のバルセロナがまさかの敗戦にはびっくりしたが、南米のインテルナシオナルの優勝はたぶんこの大会への意気込みの違いが出たのだと思う。今回、バルサはコンディションの差というより、この大会への準備不足のため、戦術不徹底が露呈しただけで、やはり世界規模の大会は相当に周到な準備が必要であることを再認識した。亀田興毅の世界戦もそうだし、このレベルになると戦い方というものがある。バルサはそれが徹底していなかった。

でこれから書くのは、バルサのことではなく、アジア代表の全北のことだ。ぼくは普段は応援することもない韓国のチームを今回は密かに応援した。というのは、アジア特に東アジアの代表がどれだけ戦えるのか、あわよくばヨーロッパ、南米のチームに一泡吹かせられないか(欧米か!(笑))ぐらいに思っていた。ところが全くがっかりさせられた。このがっかりは、おそらくガンバ大阪が出ていたとしても同じ感慨をもったと思う。

要するに、力の差が歴然としているのをまざまざと見せつけられてしまったのだ。それじゃあ、力の差はいったい何なのか。二つあると思う。ひとつは「意図(目的)をもったトラップ、パス、ドリブル」ができるかどうか。もうひとつは、「ディフェンス力」だと思う。ディフェンス力については、以前若干ふれ、ユニフォームを引っ張るようなディフェンスはあり得ないというようなことを書いた。決勝戦ではほとんどそんなシーンはなかったし、というかファールが少ない、ボールが外に出ないという、こういう試合が本当の一流の試合なんです。

「意図(目的)をもったトラップ、パス、ドリブル」ということについて、全北とクラブアメリカ(北中米代表)との試合をふりかえれば見えてくるものがある。

意図(目的)って分かりますよね。点を入れることと入れさせないことであって、相手を抜くことやセンターリングをあげることではないんですよ。ここですよ差がでるのは。クラブアメリカは、あくまで、どうやって点をとるのか、そのためのパスはどうすればよいのかを追求する。それに比べて全北は“アバウト”なんだ。適当にゴール前に流せば“誰かがあててくれるかもしれない”、また、まずはボールを止めてからどこへ出すか考えるというサッカーでしかないのだ。だからといって、クラブアメリカのサッカーを全面的に肯定するわけでもない。どちらかというと行き過ぎのところもあり、バスケットボール化してしまい、もっと大胆さも必要な局面がずいぶんあった。両方とも要るがどちらに重心を置くかだろう。

で全北のサッカーに戻ると、“確率的サッカー”は技術・体力に差がある場合のみ通用するということがわかっていない。とはいえ日本も同様であり、サッカー成熟度の違いを今回も思い知らされた。

さてどうするか。最初に言った戦い方の工夫だろう。ここがオシムに期待するところだ。

ところで来年はレッズだぞ!

2006年12月25日

いいことあるかもしれない

 昨日、車に乗っていて何気なく累計走行距離のメータに切り替えたら、げーもうすぐ7が並ぶぞ。というわけで下の写真のようにきれいに7が5コ並んだのであります。あわてて写真撮ったので車のカウンターだかわかんないけどまあいいじゃないっすか。
 しかも、クリスマスイブに、このラッキーセブン・セブン・・・・。別に必ずこの距離は通るのでいつも見ていればブチあたることだから、そんな喜ぶなと言われてしまうが、チャンスは100m車が走る短い時間のことだから、それをたまたま見ていたのがうれしくて。
 きっと、来年はいいことが起こるはずだ。

P1000009.JPG

2006年12月28日

「硫黄島からの手紙」が届かなかった

アメリカ側から硫黄島の戦いを描いた「父親たちの星条旗」に続く、日本側から描いた「硫黄島からの手紙」を観る。以前このブログで「父親たちの星条旗」を絶賛し、つぎのこの映画を早く観たいと書いた。
 
がしかしだ、ああ裏切られた。多くのひとが素晴らしい映画だとほめていたが、ぼくには並みの映画にしか映らなかった。

こういうときはコメントを書くのもいやになってしまう。だから、ここはYahooのユーザレビューから引用させてもらう。普段はあまりこの手のユーザレビューは気にしないようにしているし、Yahooの場合は、5点満点で点をつけていくやつなんだけど、1点つけているやつのコメントが、時に感情的になったり、トンチンカンだったりして嫌いなんだ。しかし、今回は1点をつけているやつのコメントがまともなんだ。ちなみに、この作品の採点では、全部で千人近くの投稿があって、そのうちの6割近くが5点満点つけていて、1点は30人という気持ち悪い結果になっている。

そのユーザレビューの最低点をつけたひとのコメントから

uocoxacquaさんのコメント
全体を通して手紙のやり取りが、ほとんど軍人側の数人の側に固定されてしまっており、相手側(家族・妻・子供など)の手紙や心情や想いはもちろん、硫黄島の時間軸に対応した郷里のシーンがほとんどありません。(中略)
日本向けに前作のオマケとして作られたという印象を受けました。

seiko1101938さんのコメント
予告編を見たときから不安でしたが、ああ、やっぱりか、という印象。なんといっても、脚本が中途半端。硫黄島はもっと悲惨だったはずだし、守備隊を見捨てた東条内閣や大本営の非情さも、玉砕を囃し立てた当時のマスコミの姿も、まるで、描かれていない。主人公達の人物描写も、これまた、なんとも、中途半端。そもそも、二万一千人もの兵士を死なせる羽目になった栗林司令官の苦悩とやらも、見えない。(中略)
演出面でも洞窟内の状況が芝居のセットそのもので、灼熱地獄といわれた雰囲気がまるで感じられない。さらに、二万数千名もの将兵がいたとはとても思えない。好評の二宮だって、演技はいいが、あんな兵隊が日本軍にいたのか。しろうとっぽい役者も多かったし、一般人の着物姿も陳腐だった。残念ながら、「父親達の星条旗」に比べて、かなり、見劣りする作品だ。イーストウッド監督の目で、もっと、客観的に、非情に日本軍の実体を描いて欲しかっただけに、本当に残念です。

まあだいたいここに書いてあることがぼくにとってもがっかりしたところですね。日本人の監督が撮っていたらもっと違ったのではというひともいるが、そうではなくて、取材不足かもしれないことも含めて、クリントイーストウッドの力の入れ方が違ったんじゃないのかなあ。

「父親たちの星条旗」では、星条旗を翻した写真の裏側という”ネタ”を機軸に戦争の悲惨さやむなしさを描いて成功しているのだから、なぜ”手紙というネタ”をもっと前面に出さず、まともに戦闘シーンに行ってしまったのか残念でたまらない。

今回は“ひとのふんどしで相撲をとる”ことをゆるしてください。

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