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2006年11月 アーカイブ

2006年11月 8日

自転車に乗って展覧会

いま、日本画家の坂本武典さんからホームページのリニューアルを依頼されている。坂本画伯は熱海在住のまだ30歳の若さだが実績もあるエライ画家さんです。すでにホームページを持っているのですが、作ったデザイナーもどこかに行ってしまい、メンテが全然できなくて困ってウチに相談にきて、このあいだお会いしていろいろお話しました。画家というからいわゆる芸術家肌のひとかなあと思っていたらそうではなく、気さくなひとで、絵以外にも本を書いたり、居酒屋をプロデュースしたりと多様な分野で活躍されています。

そのとき、展覧会があるということで案内をいただいたので行くことにしました。展覧会は、ひとつは銀座の松屋の画廊で開かれている「グループ耕 日本画展」で、これは高山辰雄の門下生の展覧会で坂本画伯はそこに所属しています。出品されていたのは「樹」と題した太い樹木を描いた作品で来宮神社の大楠を描いたそうです。ボクは絵のことはよくわからないのですが、好きな色使い、筆のタッチでいい感じでした。

もうひとつは、上野の東京都美術館で開かれている日展を見にいきました。坂本画伯はこの秋の日展でみごと入選していたのです。すごいのは、今秋の入選を含めて春・秋あわせて何と17回の入選をはたしているひとなのです。ここの作品は熱海湾の港で働く青年を描いた150号の大作で、群青色を基調としたこれまたいい感じで仕上がった絵でありました。

このふたつの展覧会を1日で回ることにしたので、自転車を借りることにしました。え東京で自転車と驚かれたり、借りられるの?と思われるかもしれませんが、実は借りられるところが何箇所かあるんですね。秋葉原、有楽町、春日といったところですが、今回は有楽町の「無印良品」でやっている貸自転車を利用。1日中それも夜8時まで乗れて525円という値段なので電車を乗り継ぐよりも安く、さらに自転車のいいところは、小回りが効き、行動範囲が格段に拡がることで、小さな路地をスイスイ行けるし、すぐに立ち止まることもでき、誠に快適であります。

ということで、銀座から上野の森まで自転車でゆっくり、途中で神田のガード下の「アド街ック天国」に出ていた店をチェックしながら、今夜の酒はどこで呑もうかと考えながら走ったのであります。

秋山小兵衛になった気分

昨日、上野で日展を見たあと時間があったので、浅草のほうに足を延ばすことにしました。前々から行こうと思った「鐘ヶ淵」経由「橋場」というコースを選択。ぼくは池波正太郎が好きで多くの作品を読んでいますが、中でも「剣客商売」はお気に入りの作品で、主人公の秋山小兵衛の大ファンです。ですから、秋山小兵衛が住んでいた「鐘ヶ淵」とそこから妻のおはるがあやつる船で行く、息子大治郎の家や料亭「不二楼」のある「橋場」までを自転車で走ってみたかったのです。幸い風が強かったのですがよい天気で大川(墨田川)を眺めながらとてもいい気持ちになりました。

池波正太郎といえば、いいものを食べて、いい酒を呑んでということになるわけで、ちょっと早い時間でしたが浅草で順ちゃん(前にワインをもらった友達)に電話すると、忙しいひとなので空いていないかと思ったら、6時45分までなら付き合えますよという返事。ただし、呑みが蛎殻町であるのでその近くならということで、茅場町の長寿庵にすることになる。決まればすぐに呑みたくなるのはいつものことである秘策を使って自転車をとばし5時ちょい過ぎに到着。実は東京の自転車はそんなに早くないんですね。その理由は、メイン道路の歩道は混んでいることと信号待ちが多いためです。で早く走る秘策はというと、メイン道路を一本入った細い道路を行くことなのです。

長寿庵では、しめ鯖、ぶり大根、玉子焼きでビールと燗酒、仕上げにせいろということで時間がないのでせわしい感じでした。それから自転車を返しながら銀座に出ていつものように「もんぢゅーる」に立ち寄る。先客はめずらしくひとりのR子さんで「おぐ羅」のおでんを食べていた。いきなり、女性バーテンダーのかおりちゃんが自分で作ったという万華鏡を見せられる。どうも「大人の科学」という本で万華鏡の特集があってその付録だとのこと。うちの息子の”電子万華鏡”の話をしていたのでそれで見せてくれたのだと思うがうれしくなってしばし見入る。そのあとは「刺繍」で人間国宝に認定された福田喜重さんが来られ、ひとしきり血液型の話やビリヤードの話やらで盛り上がる。

「もんぢゅーる」で自転車の話をしたら、最近かおりちゃんが自転車でこけて顔をすりむいたことに話が発展し失礼ながら大いに笑ってしまった。さらにママが自転車もいいけど都営バス1日乗り放題500円という割引乗車券があることを教えてくれた。これもお得ですよね。今度東京に出てきたときにはこのサービスを利用してみようと思い、都営バスの路線図をじっとながめ、どこに行こうかなと思い巡らせている。

小説がなくなる?

リリーフランキーの「東京タワー」を読む。だいぶ遅くなって読むことにしたのは、書評やネットの書き込みでは、号泣ものの小説というふれ込みであったので何となくその手のものは避けていたが、下の息子が読んで部屋に置いてあったので、自分では買う気はないが家にあれば読んでみるかのノリで手にする。最近涙腺がやたら弱くなったぼくとしてはわーぼろぼろ涙かなあと期待?しつつ読んでみた。結果的にはほとんど泣かなかった。なぜみんな号泣するのだろうか。

読んでいる途中でふと”なんじゃこれは”と考え込んでしまった。あのおー、ストーリーがない、情景描写がない、葛藤がない、ない、ない。いや書いてあるんですよ、家族の物語が、東京タワーの景色が、会話が。でも文章を並べてあるだけ、自分史を書いてあるだけ、格言的コピーを間にはさんであるだけ。だからって批判しているわけではないのです。既成概念でいう小説と違うと言っているわけで、リリーさん本人も小説ではないかもしれないと言っている。おもしろいのは、リリーさんの紹介で「文章家、小説家、イラストレーター、コピーライター、作曲家・・・・」となっていて、最初に書いてあるのが文章家なんですね。

そうなんです、この作品は「文章」ということのようですと勝手に思っています。だからぼくには号泣する本ではなかったわけです。つまり、リリーフランキーというひとが自分の家族や友達のことを「文章」にしただけで、そのエピソードがフツーのひとより劇的であったということなのであって、母親に対する愛情や逆に母親が子どもに向ける愛情というあたりは、ほとんどのひとと変わりがないのではないかと思う。それこそガンで死ぬ母親はいっぱいいて同じシーンが繰り返されているので、感動はしますが、そこで号泣するというのはぼくにはよくわからなかった。

繰り返すが否定しているわけではなく、従来の見方では収まらないことになっているようだ。これは、文学だけの世界ではなく他の学問や芸術の世界でも同じような現象だと思う。ブログに代表されるようにだれもが表現するようになり、また他のジャンルとクロスオーバーできる手段が多く出現したということで、多分”同じレベルで共感”できるものが支持される時代なのではないかと思う。ある意味、「東京タワー」はブログ小説なのかもしれない。

自転車の効用

自転車で上野の森や池波正太郎の世界を行く話をしましたが、東京の街を自転車で走るのはお薦めですね。このよさに気付いたのは、半年前までの1年半ほどの間、学生の下の息子とふたりで文京区白山に住んでいたことがあって、そのとき買い物などの足にと自転車を買って乗っていたときのことです。

本宅(この言い方もおかしいが)は鎌倉にあって、いわば二地域住居者をやっていました。この生活は、経済的なことを除くといいことばかりで満喫しました。ただ、基本的に平日は白山にいて週末鎌倉に帰るという生活パターンですので休日に東京を巡る機会はそう多くはなかったのが残念でした。

以前ご紹介したレンタコーチの中村洋さんもニ地域住居者でして、浅草に自分のマンションを持っているのでずっとその暮らしをしていてうらやましい限りです。(週末を浅草で暮らす)それで、たまに休日に白山にいるともううれしくて自転車に乗ってあちこち行くことになる。白山というのはだいたい東京の真ん中にあるんですね。だからそこから東西南北1日あればどこへでも行けます。

自転車に乗っていて気が付くことのひとつに、東京はなんて坂が多い街なんだろうということです。白山の住まい自体が坂の途中にあったのですが、その周辺も司馬遼太郎の「街道を行く 本郷界隈」にも出てくるように小高い台地だったそうで、というより徳川家康が幕府を開いたとき江戸は山ばかりだったと言われています。ちなみに「東京23区の坂道」という坂に関するサイトがあって(世の中暇な人がいるんですね)、それによると確認できている数で642だそうで、文京区が一番多いとのこと。だから、独断的に言うと電動自転車の普及率が最も高いのは東京都ではないだろうか、主婦がやたら電動自転車で走りまわっていますよ。

その頭があったので、例の無印良品で最初に自転車を借りるときはもう即座に”電動自転車にしてください”と叫んでしまった。(いいでしょ電動自転車が借りられるんですよ、しかも同じ値段で)それでこのときも上野・浅草・谷根千方面に出かけ、帰りが両国、深川、月島方面というコースだったのですが、何と帰りに深川あたりでバッテリーが。バッテリーが切れた電動自転車で坂道を登るのは一転悲劇となり、自転車はもうただ重たいだけのワッパと化し、真夏だったので大汗をかいてやっと有楽町に帰還しました。だから今はごく普通のタイプにしているというわけです。

2006年11月13日

人間って変わらないなあとあらためて思う

昨日、高田馬場で大学の同窓会があった。ぼくはこれでも大学では応用化学を学んだのだ。その学科の全年代にわたる集まりは頻繁にやっているんだけど、今回は初めて同じ学年だけを対象に開かれたのだ。

話はそれるが、その全年代が対象の集まりは、どうもキャンパスが移動する前とその後で卒業した人で出席率が違うようで、キャンパスを移動する前に卒業した人たちのほうがはるかに出席率がいいそうだ。キャンパスが変わったからということではなく要はそれを境に学生数が大幅に増えた結果のようだ。

ところが、あいにくぼくは昼に用事が入ってしまったので、そのあとの2次会、これは同じ研究室だけで集まることになったのだが、そこに参加することになった。同学年の出席者数がたったの25人だったとのこと、そのうちわれらの研究室の人間が5人ということで最も出席率が高かったそうだ。

2次会はぼくを加えて6名ということで、山口県と福岡県に住んでいる2人は欠席となった。いきなり、みんな死んだヤツも離婚したヤツもいなくてよかったなあから始まり、昔の話や連れ合い、子供のことで盛りあがったのである。この仲間との同窓会は14年まえにもやっていたので、だいたいの頭の薄さや白さ、腹の出具合がわかっていてすんなり話に入れた。かれこれ3時間くらいおしゃべりしたがもう全く昔と同じで、やかましくて人の話をきかないやつ、おとなしく酒をのんでいるやつとそれぞれ全然変わっていないのです。

実はわれらの仲間に紅一点の女性がいるのです。当時理科系に来る女性は少なかったのですごく珍しがられていたのですが、いまや4人のお子さんがいるおばさんです。で彼女の口から”ワダく~ん”と呼ばれてしまい、えオレ今いくつだったけっかと一瞬とまどってしまった。

ということで、この次はみんなが定年になったらまた集まりましょうということで別れたのであります。

2006年11月17日

ブログのアカルイミライ

「Business Blog&SNS World]というセミナが、11月16日、17日に大手町のサンケイプラザで開かれた。ビジネスブログという言葉自体非常に新しいもので、ブログという道具を使って今までの個人レベルから企業レベルの情報共有に拡げていこうということのようだ。

ぼくが聞いたプレゼンは、シックス・アパートの「ブログ・オン・ビジネス」というブログの概説みたいな話、ニフティの「ココログラボの事例」、これは面白かった、事例として「ブカツブログ2006」というのがあって、ナイキがやっているんだけど、全然表に出てこないというのがいいし、伊藤園のホームページのブランドイメージアップ作戦とか、スバルのレガシーファンのコミュ二ティサイトだとか、要はブログのもつ双方向性をうまく活用している事例を紹介していた。あとは、ドリコム、スカイアークシステムから、企業内での情報共有の事例をもとに成功の秘訣やデメリットの話があった。スカイアークのユニクロの本部と店舗のコミュニケーションの話も参考になった。

実はその後のパネルディスカッションが一番面白かったのです。パネラーは、ドリコムの内藤裕紀さん、フィードパスの小川浩さん、ヤマハの鞍掛靖さんの3名でモデレータが何とあの神田敏晶さんということでビジネスブログの有効性みたなディスカッションだったのですが、当然のようにブログがこれから企業の中に浸透していくという結論です。

ただ、神田さんの”これまでのグループウエア例えばサイボウズのようなものとどう違うのですかねえ”という問いに明確に答えられていなかったのはなぜなのだろうか。どうもぼくが思うにはパネラーの彼らは企業の日常業務活動の実態あるいは管理のありようということが経験として分かっていないので、比較できないんじゃないのかな。だから、ブログ、特にイントラブログというような社内情報共有あるいは日報などの業務の一部としての使い方の場合に、最初に起こるコンフリクトがそのあたりにあるように思える。すなわち、企業というのは基本的にコンサーバティブなので、ブログベンダー側の茶髪のお兄さんが、ブログ良いですよみたいなノリで薦めても、”それ入れて何が良くなるの? ブログを書いている時間があったらもっと仕事をしたほうが会社のためだ”てなことを言われしまう。

内藤さん(内藤君といったほうがいいのだが、まだ27歳ですよ)も言っていたが、ブログが成功するかどうかは、会社として職位やキャリアなどがちがっても一人一人が自由に意見が出せる環境をもっているかどうかにかかっていて、ブログを使って管理しようとしたら必ず失敗するそうだ。とはいえおおかたの経営者、管理職は旧来型の管理志向は変えられないのでそこをどうチェンジマネージメントできるかが鍵のようだ。ただ救いとしてERPのように大金がかかるわけではないので、とりあえずやってみたらができることだ。

セミナーの全般的なトーンは、ブログよさである”簡単に情報発信できること”、”トラックバック・コメントによる双方向コミュニケーションが図れること”、”情報が自然に整理される”ということが顧客接点、従業員接点で威力を発揮できるため、ますます企業に普及拡大していくというものであった。ぼくも当然この意見に与するものであり、あくまでいい道具であり、最後は人だということさえ忘れなければ、非常に有効な手段を手に入れたと思う。

で黒澤清監督の映画「アカルイミライ」にでてくるクラゲのようにブログは繁殖し続けているのです。

家族がゆれる

「アカルイミライ」が映画初出演だったオダギリジョーが主演している「ゆれる」を観る。最初は「父親たちの星条旗」にしようかと迷ったが、”好評により上映期間延長”という惹句につられて「ゆれる」にした。見損なわないでよかった実に素晴らしい映画であった。

監督は、西川美和というまだ若い女流監督で、『蛇イチゴ』(02年)でオリジナル脚本・監督デビューを果たし、毎日映画コンクール・脚本賞のほか、その年の数々の国内映画賞の新人賞を獲得した新進気鋭のひとです。この監督がすごい、映画の作り方がちゃんとわかっている感じ、ひとつひとつのカットがきちんと撮れて意味があり、ストーリー展開も無理がない、キャストの選定もいい、ベタほめですなあ。

もううれしくなったのは、重要な小道具として8ミリ映写機が登場するところなんだけど、ぼくも昔同じFujicaScopeを使っていて、映画と同じように子供の映像を撮ってライブラリーとして残しておいたのだ。(ゆーすけべー日記にも書いてある) 映画のなかの8ミリ撮影した時期の設定が昭和55年なので、ぼくが映写機を買ったのは昭和56年だから、そうなんですよ、あの頃は8ミリカメラと映写機だったんです。

映画のキャッチコピーが「あの橋を渡るまでは兄弟でした」、すなわち兄弟がある事件をきっかけに、わかっているようでわかっていなかった、知っているようで知っていなかった、深層に隠れた思いが表れてくるといった心理的な葛藤、それが裁判という場であきらかになる。がしかし、事実は真実を語るわけではない、真実とはいったい何なのかが、結局わからない。このあたりの男同士の微妙な関係を女である西川監督がよく描けたなあと感心してしまう。

ぼくは、弟がひとりいるし、また自分の子供も男ふたりの兄弟だし、ぼくの親父も男兄弟で育ったというっこともあり、すごく考えさせられてしまった。すくなくともぼくの周りの兄弟は、一般的な言い方の仲のいい兄弟というわけではない。べたべた一緒に何かするわけでもなく、しょっちゅう行き来しているわけでもなく、たまに会話するくらいだ。しかし、だからといって仲が悪いわけでもないので、映画のような状況になったらどうなるんだと恐ろしくなる。

映画を素晴らしくしたものとしてキャストがまたいいのだ。弟役のオダギリジョーもいいし、何といっても兄役の香川照之がその屈折した感情表現や抑えた演技、最後の笑顔などすごい。この役者さんはみなさんあまり知らないと思うが、ぼくはだいぶ前に中国の映画で「鬼が来た!」というのがあってそこで日本兵役の香川照之を見てなんだコイツはと思ったことがある。今回もこの役を演じられるのは自分しかいないと言ったそうだが、それもうなづけるできばえ。脇を固めるほかの役者さんたちもみな良かった。

この映画は、主に兄弟を描いているがもっと広くみると家族の映画である。家族があってそのなかの兄弟というふうに捉えるべきであり、そうみると父親やその兄弟あるいは死んだ母親もまた「ゆれる」関係でもある。しょせん家族は「ゆれる」関係性から成り立っているということかもしれない。

  

「ナイフ」の描く世界がそのままだ

重松清の「ナイフ」は、いじめをテーマにした短編が収められている。この本は平成9年に刊行されたものだから、今から9年前の作品ということになる。今読んでみて、このなかに書かれたことが、現実にいま起きていることと同じなのに驚かされる。面白いことに重松清は、いじめに対して家族を特に父親を前面に出して展開している。もうひとつの当事者である教師の視点はほとんど無視されている。

いまのいじめの問題に関して、学校や教育委員会を”いじめて”いるが、それももちろん問題はあるがやはり家庭というか家族のありようがもっとも重要な点であるということなんだと思う。家族が大きく異常に”ゆれる”ためこどもたちが振り落とされているような気がする。これはいじめられる側もいじめる側も同じで、特にいじめる側の家族の問題(育てられ方の問題)が非常に大きいと思う。

いじめと自殺について、良いことを言っているブロがーがいる。このひとある映画のことで検索していたらひっかかったんですが、内容的にもぼくの好みにあっていたるのでよく見ています。その”www.さとなお.com”という有名なブログから少し長くなるが引用します。

だから、自殺が「世間にオオゴトとして取り上げられ」「相手がこっぴどく怒られ」「涙を流して反省もし」「強烈に後悔もし」しかも「自分が悲劇のヒーローになれる」チャンスとして機能している限り、自殺はなくならない気がする。だってアテツケなんだもん。視野狭いんだもん。まぁ個人的体験から言っているので一概には言えないけど。ということは、「オオゴトとして取り上げられない」「相手は涙を流して反省しない」「死んでも悲劇のヒーローになれない」という方向に自殺のイメージを変えれば、少なくとも自殺は減るかも。もしくは「そんな甘美なもんではなくて、すっっっっげーーーー痛いし、死んだあともキレイじゃない」とか。
 いまのマスコミの取り上げ方はこの逆を行っているから当分無理。報道すること自体で自殺を助長している。こういう時こそ報道協定を結べないものか。

ぼくもホントそう思う。ここですこし話はそれるのだけど報道するをおおやけに議論すると読み替えてもいいと思うので、この議論することについて考えてみた。ものごとの現象あるいは意見に対して、議論すべきこと、議論すべきでないでないこと、そもそも議論できないものに分かれるのではないだろうか。

いま、マスコミで格好の議論ネタは、いじめと核武装ではないかと思う。いじめは引用文にも書いてあるとおり、報道すべきことではないのです。だって報道してだれのためになるんでしょうか、いいことはひとつもない、かえって煽るようなことになり逆効果である。この問題はひとえに特定の家庭と教室の問題であって、そこでみんなが知恵をだして解決していくことが重要であって、いじめがあった学校の校長が頭を下げる映像をテレビで流してなんの意味があるのだ。マスコミの勘違いもはなはだしい限りだ。

事実を客観的に報道するのがつとめだなんて言うけど、報道は決して客観的にもできないし、事実を伝えることもできない、所詮マスコミが自ら作った「客観的事実」でしかありえない。だから、意図的に”報道しない”という姿勢も必要であると思う。

議論できない問題としては、核武装論議がある。北朝鮮の核実験以来いま盛んに報道されていて、芸能人まで巻き込んでやかましいが、これに対してこのあいだ朝日新聞の星浩さんの記事が秀逸でこれにつきるのではないでしょうか。高村正彦議員の言っていた意見として紹介したもので、曰く、議論というのは両論あってこそその賛否について意見を戦わすわけであって、核武装について言えば、核武装論者がいてはじめて議論というものが成立すののだが、日本の議員のなかで日本は核武装すべきだというヤツはどこにもいないわけで、そもそも議論なんてできないというものであった。

いま、真剣に議論しなくてはいけないのは、「教育基本法の改正」です。衆院委員会を通ってしまったが、多くの時間をさいて議論しつくしたと自民党は言っているが、そうは思えません。肝心な議論をほったらかしていて、”やらせ発言”なんてことを議論しているんですから全く困ったものだ。このやらせ発言の件だって、ぼくから言わせれば、議論する必要がないと思う。だって、重要なことはやらせ発言の結果どうなったかであって、それがが明らかになっていないのに、そこに行くプロセスの話をどうのこうの言ってっもはじまらないでしょうということです。

このようにマスコミがどうでもいことと非常に重要なこととの峻別ができなくなって来ている。ワイドショーならまだいいと言いかけて、待てよワイドショーの罪も大きいかもしれないと思いつつ、マスコミの姿勢がすごく気になる今日この頃です。

2006年11月22日

近くにいい店があった

昼メシは基本的には外で食べることにしていて、おいしいところを開拓するのが楽しいのですが、時々面倒臭さくなることもあり、ついいきつけのところにしてしまのだが、今日は家の近くにある「うな橋」といううなぎやに行く。ここへは、うなぎを食べに行ったことはあるが、昼の定食は初めてで焼き魚定食を頼む。いわしの焼いたやつと小鉢が4品あと味噌汁に物、食後にコーヒーが出て、これで800円は安い。しかもうまい。
ここのおやじの風貌がまたひげ面で和風の料理人らしくないところが面白い。

後ろでなじみのお客さんと話しているのが聞こえてきて、どうも60歳を超えていて、もう歳なので月曜日と火曜日を休む週休2日にしているとか、また耳寄 りな話として毎月月末の金曜日は800円でカレーが食べ放題だそうだ(これってなじみのお客さんしか知らない情報です)。それでこれがまたうまいらしい。なぜって作っている本人が大きな声で言っているんだからまちがいない。
unnahashi.jpeg

このブログで初めて写真を載せた。これで少しは見栄えがよくなったでしょう。ただこのやり方がやっとわかったのですが、写真の横に字が書けないないのだ。ただいま勉強中。

サッカー中継のアナウンサーと解説者は必要か

昨日、サッカーのU-21の日韓親善試合があって、第一戦に続いて1-1の引き分けに終わったが、試合そのものは水野の活躍もあって、日本代表チームとしてもこれから先成長していけそうな予感がした試合であった。平山も予想していたよりよくやっていたと思うし、もう少しからだがきれてきたらよくなるんじゃないのかなあ。ただ、これはオシムも言っているように走れていないので、どうしてもフォワードとバックの間が間延びしてコンパクトなサッカーができていない。そのうちできることを期待しましょう。

ところでこの試合を中継したのは、テレビ朝日だったんだけど、この実況放送ひどいよねえ。角澤アナウンサーと解説が松木安太郎のおなじみコンビだが、もうどうしようもない、角ちゃんはやたら興奮してただどなっているだけで、松木さんもただ「ボールに行かなくちゃ」「気持ちで行かなくちゃ」・・・・、これじゃあ解説にも何にもなっていない。後半カレンが入ってきて、「この選手は追い掛け回すのでいいですね」とそればっかり言うもんだから、角ちゃんも一緒になって、「見違えるように日本の動きがよくなりました」、それちょっと見方が甘いんじゃないの。けっこういい戦いかたをしていたときにも、「完全に主導権を握られています」なんて平気で言うんで、よく見ていろよとつい叫んでしまう。

そこで、各局のアナウンサーと解説者を眺めてみた。NHKはあの有名な山本浩アナウンサーや、そのほかにも栗田晴行もいていいんだけど、解説の加茂さんがひどい。NHKの場合は解説者いらないんじゃないかな。海外の録画なんか山本さんなんて一人でやってしまうものね。日テレとTBSはまあまだけど、ぼくの好きなのは何といってもフジテレビの青島アナと風間八宏さんのコンビだね。フジには長坂哲夫アナもいて好きだけど、青島・風間コンビは落ち着いたところと興奮するところとうまくミックスしながら、風間さんの味のあるコメントもあり一番ですね。

ところが、今はそうだけど昔のことも入れて評価すると”伝説のコンビ”がありましたね。若い人は知らないかもしれないが、1968年から20年間テレビ東京で放送していた「三菱ダイヤモンドサッカー」の金子勝彦アナウンサーと解説者の岡野俊一郎というコンビです。いまの50~60才くらいの元サッカー少年は必ずこれをみていたはずです。「サッカーを愛する皆さん、ごきげんいかがでしょうか?」という金子さん独特の語り口から始まる番組を興奮しながら見ていた記憶があります。

スポーツ中継がアイドルコンサートと化し、テレビ局お抱え選手をこれでもかと露出させ、プロでもアマでも共通にもつスポーツイズムみたいなものが失われてきている昨今、そういう堕落から免れているのがサッカーだと思うので(あまりにも巨大化したからだ)、競技あるいは試合そのものの生の姿を的確に分かりやすく伝え、視聴者と波長を合わせて一緒に一喜一憂する放送にしてほしいものだ。

2006年11月23日

mark's library

私が好きなあるいはかつて好きだったひと、もの、ことについて整理してみました。これは、今後追加されていくものです。これらがどんどん増えていくことが若さを保つ秘訣だと思う。すなわち、いつも何か新しいものや、今までとちがったことなどに興味を抱いて、それを取り込もうという姿勢こそ老化を防ぐことではないだろうか。そう、いつも好奇心をもって挑戦する気持ちが大事だってことです。
とりあえずアップして、徐々にコメントも入れながら埋めて行きます。


映画

◇好きな作品

  • 冒険者たち、アメリカングラフィティ、ブルースブラザース、スティング、暗い日曜日、明日に向かって撃て、ショーシャンクの空に
  • 幕末太陽伝、七人の侍、青春の蹉跌、仁義なき戦い、祭りの準備、八月の濡れた砂、砂の器、赤いワッパ0課の女

◇監督

  • ロベール・アンリコ、ジョージ・ルーカス、ウディ・アレン、ヒッチコック
  • 藤田敏八、栗木和雄、黒澤明、熊代辰巳、三谷幸喜、加藤泰

◇俳優

  • リノ・バンチェラ、ポール・ニューマン、トム・ハンクス、ロバート・デ・ニーロ、ニコラス・ケイジ、ジョニー・デップ
  • ジョアン・ナシムカス、ジャクリーン・ビセット、メグ・ライアン、ペネロペ・クロス
  • 原田芳雄、松田優作、川谷拓三、奥田瑛二
  • 酒井和歌子、夏目雅子、大場久美子、桃井かおり、五十嵐淳子、蒼井優

スポーツ

サッカー

◇好きな選手

  • ペレ、ベッケンバウワー、オベラート、カカ、デコ、ランパード、シェフチェンコ
  • 八重樫茂生、小城得達、森安一、山口素弘、今野泰幸、加藤望
    

登山

◇登った山

  • 大雪山、槍ヶ岳、穂高岳、宝剣岳、御岳、貝月山、恵那山、鈴鹿セブンマウンティン他

水泳

  • 水泳は週に1、2回近くのプールで泳いでいます。もう10年以上になります。
  • スポーツ観戦

    ◇見るのが好きなスポーツ

    • サッカー、マラソン、駅伝、ラクビー、野球

    読書

    ◇好きな作品、感銘を受けた作品

    • 何でも見てやろう(小田実)、二十歳のエチュード(原口統三)、ただ一撃(藤沢周平)、坂の上の雲(司馬遼太郎)剣客商売(池波正太郎)、大地の子(山崎豊子)
    • ライ麦畑でつかまえて(サリンジャー)、老人と海(ヘミングウエイ)

    ◇好きな作家

    • 藤沢周平、池波正太郎、永井明、塩野七生、五木寛之
    • レイモンド・チャンドラー、コナンドイル、アガサ・クリスティ、オー・ヘンリー

    音楽

    ◇好きなジャンル

    • ブルース
    • ◇好きな好きなミュージシャン

      • スリーピー・ジョン・エステス、バディ・ガイ、ジュニア・ウエルズ、憂歌団
      • 実は原田芳雄もブルース歌います。昔名古屋でコンサートに行きました

      旅行


      グルメ

      ◇料理

      • こだわっているもの:そば、カレーうどん、親子丼
      • ◇酒

        • 酒は何でも呑みます。冬は日本酒、夏は焼酎、一年中ビールってとこか
        • ◇店

          • 変わったところ:ウズベキスタン料理、チベット料理、コンパル座、福竹・・・

          • 芸能

            ◇落語

            ◇演劇

            ◇芸能人

    2006年11月26日

    ついに始まった「親子で紐解くWeb2.0」

     ついに「親子で紐解くWeb2.0」が始まった。どうやら実践編からのようで、「宿題」「アドバイス」「質問」というのをそれぞれのブログで展開していくことになる。さっそく宿題がど~んと4つも出た。(ゆーすけべー日記:「親子で紐解くWeb2.0」実践編その1) ”ヤツはなかなかサディスティックな面があるので”、これだけ一遍にだされるとけっこうきついが、”なかなかマゾヒスティックな面がある”ぼくとしては、上等じゃないか、受けてやろうという気になる。

    まあ、とりあえずひとつずつ片付けていくつもりだが、親父1.0 から親父2.0に変貌していく様子が分かればと思います。この親父のバージョンの定義もいるんじゃないかとふと考えてみたが、今回親父2.0に変身させてくれる息子ゆうすけがティム・オライリーばりに具体例の比較をしてくれたらいいんだけど。そのときはヤツをWeb2.0の世界に呼んでくれた「ティム・オハイリー」さんと呼ぶことにする。

    それでもここ数ヶ月でずいぶんと新しいツールや仕掛けを使ったり、今までと違ったコミュニケーションをしたりして、すでに変化が実感できているものがあるのでそれを示してみる。

          親父1.0                親父2.0 


         個人ホームページ            ブログ 

         メーリングリスト              mixi

         電話                     Skype

         テレビ・ラジオ・CD             iTunes


    まだかなりおおざっぱな括りなのでこれから詳細化していきます。
    よし、まずは「mixi上で友達10人つくりましょう」ですな。

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    2006年11月29日

    大船の居酒屋

    会社勤めをしていたころは、東京で一杯呑んで帰るというのが日課のようなもので、また呑む相手も仕事絡みが多く、呑むことも仕事だと呑み続けることを正当化していた。ところが、会社を辞めて鎌倉に引っ込んでしまうと、当然のごとくその機会は激減する。それでもときどき呑む機会もあって、きのう、おとといと2日続けての呑み会。おとといは、情報システムに関するあるベンダーの研究会の20周年記念パーティが新橋であって、そのあと銀座に出てということで従来パターンであったが、きのうは地元大船で呑むこととなる。

    その筋では有名なシステム会社の副社長でHさんという人がいて、ぼくより2つか3つ年上ですが、ときどき呑む間柄で久しぶりに呑みましょうとお誘いしたら、横浜か大船あたりでいかがでしょうかという返事。Hさんは戸塚に住んでいるとはいえ、ぼくがわざわざ東京に出なくてもすむ配慮がうれしく、じゃあいい店を探しておきますと答えたが、さてどこにしようかと思案。やはり、おじさん二人なら居酒屋でしょということでそれなら大船の「鳥恵」に決まりです。でも「鳥恵」で困るのは店に入れるかどうかなのです。もう5時の開店の時から満席なのですから。Hさんには並んでも入る気合でいきましょうと言っておいたのですが、きのうは幸いにもほんのちょっと待っただけでカウンターに座ることができた。すぐ後に来た二人連れが ”すいません、超満員なので”と言われて断られていたのでわれわれは超ラッキーでした。

    「鳥恵」はその名のとおり、鳥料理が売りでありますが、実は魚も旨いのです。ここは何といっても旨くて、安くて、しかも量が多いときてますから連日満員になるのもうなづけるのです。Hさんもとり刺しは苦手だったのですがといって一口食べたら、え、とり刺しってこんなに旨いものだったのですかと驚いていました。

    Hさんと呑むといつも最後は学生時代の話になって、お互い遊んでばかりいてできが悪かったなあということになる。Hさんのきのうの話のなかで面白かったのは、あまりにも成績が悪かったので担当の教授がご両親にもうちょっと勉強するようにと直筆の手紙を出したという話と、いまだによくみる夢だそうですが、単位がぎりぎりでどうしても受けなければいけない授業があるんだけど、それがどこの教室でやっているのかが分からなくてあせって目が覚めることがあるという話であった。実はぼくも似たような話があるんだけど書くのはやめておこう。

    Hさんが翌日セミナー講師があるのでということで控えめの酒量でお開きに。それでも、とり刺し以外にもいろいろ頼んでお腹いっぱいになり、いい気持ちで別れる。お互い近いのでこの気持ちよさを残したままでわが家に帰れることがうれしい。お勘定もひとり3000円いかないというこれまた懐暖かいままの気持ちよさで大満足の夜であった。

    2006年11月30日

    サムシンググレート

    以前、村上和雄という遺伝子研究で有名な人が書いた「人生の暗号」という本にえらく衝撃を受けたことがある。遺伝子の解読というのはすごい勢いで進んでいて、人の遺伝子の暗号は、20世紀の最後にほぼ解読されているんですね。ですごく驚いたのは、全DNAのうち実際に働いているのがたったの2%ぐらいなんだそうです。あとの98%はなにをしているのかがよくわからないのです。さらに最も驚いたのは、遺伝子にはスイッチみたいな作用があって、それがオンになったりオフになったりするらしい。だから、いい遺伝子のスイッチをオンにあるいは使われていない遺伝子をオンにできれば、人間の体や心を変えることができる可能性があり、例えば、人の気持ちが体を動かして、その結果、病気が治ることがありうると知ったとき、もう頭ががーんとなってしばらくそのことばかり考えていた。

    確かに大事な事があったそのときは気が張っているので風邪もひかないとか、土壇場になるととてつもない力を発揮するとか、何か得たいのしれない大きな力があるような気はしていたが、それが科学的にも説明されると納得してしまう。こんな構造を作ったのは、大自然の不思議な働きによるもので、これは「サムシンググレート」としか言いようがないんだそうだ。

    ただし、だれでもいい遺伝子をオンにできるわけではなく、「高い志、感謝、プラス思考」がそれを可能にすると村上先生は強調されています。また、恐ろしいことにその逆に「低い志、わがまま、マイナス思考」はいい遺伝子をオフにしているか、悪い遺伝子をオンにしていることになる。そういう人が増えているような気もしますね。

    その村上和雄と濤川栄太といって新・松下村塾の塾長をやっている人の共著で「人間 この神秘なるもの」という本が致知出版社から上梓された。以前の衝撃があったのでさっそく買い求めて読んでみた。ところがどうだろう、対話形式で書かれているんだが、残念ながらかみ合っていないように感じられた。濤川栄太は村上先生の言われた「高い志、感謝、プラス思考」が遺伝子のスイッチをオンにして病気を治すことができるを実践した人で実際に10余りの大病を患っていたのを克服してしまった。そこで二人が”美しくしなやかな日本人、その遺伝子をオンにする生き方、考え方は”というでテーマ書かれている。

    「日本再生」っていうところに行っているので、ちょっとした違和感と飛躍しすぎみたいな思いで読み終える。そういう祖国愛につなげるような話ではなく、もっと個人的なレベルでいいのであって、それこそ「高い志、感謝、プラス思考」を本当に実践できれば自分のカラダに絶対いいことがあるんだということでいいんじゃないかなあ。ぼくは、最近「神様」がいると信じているが、実はこのことなんだ。自分のなかに「神様」いるんだと。

    村上先生の本は、これではなく「生命の暗号」あたりを読むことを薦めます。
    〔文庫〕生命の暗号

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